◎中谷陽二著『ミシェル・フーコーと狂気のゆくえ』(講談社選書メチエ)

 

 

「みんな大好きフーコーさん」は最近も取り上げたけど(ミシェル・フーコー)、また取り上げてしもた。だって「みんな大好きフーコーさん」なんだもん。とは冗談としても、今回取り上げたのには理由がある。それは、わが「ヘタレ翻訳者の読書記録」で取り上げた『ミシェル・フーコー』や『フーコーの言説』の慎改康之氏、あるいは取り上げていないフーコー関連本の著者はすべて哲学者、もしくはそれに近い系統の学者だったのに対し、『ミシェル・フーコーと狂気のゆくえ』の著者の中谷陽二氏は、最後の著者略歴を見ると精神医学者らしいこと(しかも犯罪者を対象にしているように思える)。だから哲学に関する文系的な記述より、精神医学に関する理系的な記述が多いのではないかと期待したというわけ。「ヘタレ翻訳者の読書記録」のトップページのインデックス上で「自然科学」に分類したのはこの理由による(ただし私めが多大な関心を寄せている現象学的精神医学のような分野が存在することを考えて見れば、精神医学を純粋に自然科学に含められるか否かに関しては疑問があっておかしくはないので、「自然科学」という分類は「自然科学・精神医学」に改めた)。そのため、精神医学的な観点からフーコーの主張はどう見えるのかに焦点を絞りたいので、それにはあまり関係がなさそうな記述(章)は一切省略することにする。というより具体的に言えば、フーコーと反精神医学の関係に焦点を絞りたいと考えている。実のところ、一回読んだ限りで言えば、第5章以降は、それらの目的にはあまりそぐわないように思えた。というより、去年の年末頃から高血圧で頭がボケかけている私めには(現在降圧剤を服用中でござんす)全体的な主旨がよく把握できないからか、取っ散らかった印象があって、ようまとめきらんと言ったほうが正確かもしらん。なので、後半の次の章はすべて割愛する。

 

●『狂気の歴史』のなかでフーコーが注目している、バスティアン・ブラントの有名な『阿呆船』と、エラスムスの『痴愚神礼賛』が取り上げられている「第5章 愚かさと狂気」

●デカルトを扱った「第6章 フーコーはデカルトをどのように読まなかったか」

●デリダが登場したと思ったら、次には日本の能や世阿弥が登場する「第7章 想像力の世界と狂気」

●レーモン・ルーセルが取り上げられている「第8章 ルーセルの衝撃」

●ソクラテスが登場する「第9章 ソクラテスとフーコー」(残念ながら私めは読んだことがないけど、フーコーには『レーモン・ルーセル』という著書がある)

まとめ的な「終章 我狂う、ゆえに我あり」

 

つまり、前半だけを取り上げて後半はすべて省略するので、今回はいつものレビューの半分くらいの分量になる予定。

 

ということで、まず「第1章 初期フーコーと狂気の問題」から。『狂気の歴史』をおもに取り扱ったこの章では、冒頭で述べたフーコーと反精神医学の関係が次のように提起されている(詳細な議論は「第2章 反精神医学の神殿へ」で繰り広げられている)。フーコーの思想の形成を追ったアルティエール[フィリップ・アルティエール、フランスの歴史家]らは次のように記している。サンタンヌ病院でフーコーはスタッフと患者の中間の立場にいた。しばらくの間、精神科医になることに思いをめぐらせたが、それを思い止まらせたのはロジェという名の患者との出会いだった。患者は前頭葉ロボトミーを受け、フーコーに消し難い苦しみのイメージを残したという()。このくだりを読むと、ロボトミーを受けた患者との出会いがフーコーに精神医学への疑問を抱かせたと想像される(33〜4頁)。実を言えばフーコーと反精神医学という結びつきは、『ミシェル・フーコー』にも書いたように個人的には意外に思える(その理由はそちらのレビューを読まれたい[ページ内検索キーワード:反精神医学])。メチエ本の著者も、直後に事実はどうであろうか(34頁)と述べており、著者自身もアルティエールの言説には疑問を呈している。ちなみに、ロボトミー手術は、フーコーが『狂気の歴史』を書いた一九六〇年代くらいまでは普通に行なわれていた。

 

さらに少しあとに次のようにある。後年つくられた精神医学批判者フーコーのイメージを通して見ると、このエピソード[ロジェとの出会い]が彼を反精神医学に向かわせたと解釈したくなる。しかし彼のロボトミーに対する疑問は、非人道性あるいは非倫理性とは別の意味――重い病と死のリスクを冒してでも人から創造力を奪うべきではない――から発している。フーコーを反精神医学の論客とみなす立場からは、若き日のサンタンヌ体験の中に精神医学批判の萌芽があったとみなされやすい。しかしそれは回顧的な意味づけに過ぎない(35〜6頁)後年つくられた精神医学批判者フーコーのイメージ、あるいはフーコーを反精神医学の論客とみなす立場というくだりが、メチエ本の著者自身はフーコーを精神医学批判者として見ていないことを示唆するとしても、ここまでのところでは、フーコーが反精神分析の論客であったか否かというより、少なくともサンタンヌ体験、つまりロボトミーを受けた患者と出会ったせいで反精神医学の立場を取るようになったわけではないことが明らかにされていると見るべきかも。

 

いずれにせよ、細かな議論は次の章「第2章 反精神医学の神殿へ」で展開されているので、そちらに参りませふ。まず冒頭に次のようにある。一九六〇年代から七〇年代にかけて欧米先進国では反体制運動の高揚と連動して「反精神医学(anti-psychiatry)」と呼ばれる思想と実践が盛り上がりを見せた。このうねりの中でフーコーは精神医学批判の急先鋒とみなされ、『狂気の歴史』は反精神医学のバイブルに等しい存在となった。次いで反対側つまり正統的・伝統的な立場の精神科医らがフーコーを槍玉に挙げた。フーコーと反精神医学の関係は単純ではない。『フーコー伝』[ディディエ・エリボンの『ミシェル・フーコー伝』]によれば、『狂気の歴史』が社会運動に取り入れられたのは一九六八年以降であり、「この社会運動が、まったく異なった読解をこの本に押しつけ、出版当初にはなかった政治的射程をこの本に与えるようになった」という()。しかしこの評価は全面的に正しいとは言えない。異なった読解を「押しつけ」られたというが、フーコー自身が種を蒔いた面を否定できないのである(52頁)。う〜〜ん、これだけではどっちつかずな見解に思える。そもそも反精神医学には、代表者の一人であるR・D・レインの著書を読んでもわかるように、伝統的な家族制度批判という左派思想的な色合いがきわめて強いという印象がある。『狂気の歴史』は読んだことがあるし、フーコーを扱った解説書も何冊も読んでいるいるけど、『狂気の歴史』それ自体に反精神医学に通じるような左翼思想があったという覚えは個人的にまったくない。

 

ところで著者によれば、精神医学史家のエドワード・ショーターは反精神医学の卓越した理論的主導者を六人あげているそう。その六人とは、トマス・サス、前述のR・D・レイン、デイヴィッド・クーパー、フランコ・バザーリア、アーヴィング・ゴフマン、そしてフーコーなのだそう。ゴフマンも反精神医学の陣営に分類されるのね(まあ全制施設を舞台にした『アサイラム』のような著書を刊行しているからだろうけど、ゴフマンを反精神医学者に分類することには個人的には違和感を覚える)。いずれにせよここではゴフマンは関係ないので脇に置くとして、この六人にフーコーが含まれていることに関して、メチエ本の著者は次のように述べている。ショーターは〈反精神医学六人衆〉の一人にフーコーを数えた。これは一般に流布された見方であり、日本の精神科医の多くが持つフーコーのイメージも〈反精神医学に肩入れした哲学者〉といったものである。他方で、そのような見方に批判的な見解もある。チェビリは「フーコーと反精神医学」と題する論考で、フーコーが反精神医学のパンテオンつまり神殿に祭られている現状に注意を促した()。彼によると、「反精神医学者フーコーという神話」は二段階で形成された。第一段階では『狂気の歴史』が反精神医学のエンブレムつまり象徴とされた。第二段階ではアンリ・エー()を先頭とする主流の精神科医らがそれに否定的に反応した。確かにフーコーは反精神医学に関心を向け、いくつか論文を著し、会議にも参加したが、それらの中に反精神医学そのものを見出すことは不可能である。フーコーが反精神医学のパンテオンに座し、いわばカトリックの香炉保持者(thuriféraire)である、というのはエーらの偏見が作り上げた神話にすぎない。このことは彼の思想の厳密さをかえって損なってしまう(61〜2頁) カトリックの香炉保持者(thuriféraireとはいったい何のこっちゃ?と思ったのでググってみたところ、thuriféraireには「おべっか使い」の意味があるらしい。この主張はメチエ本の著者というよりチェビリという人の見解だけど、私めがフーコーの著書を読んだ限りにおいても、前述のとおりフーコーを反精神医学に結びつけることにはかなりの無理があるように思える。確かに反精神医学陣営にとっては、フーコーの著作は都合よく利用できる素材であったのだろうけどね(それについては、次に述べるようにフーコー自身が似たようなことを述べている)。

 

では、フーコー自身は反精神医学についてどう考えていたのか? まず彼は、一九七四年の対談で次のように述べているとのこと。『狂気の歴史』を書いたとき、私は無知もいいところで、すでにイギリスに反精神医学論が存在していたことを知らなかったのです。今からふり返ってみると、私はそうした動きの中にいたことになりますね。〔〕『狂気の歴史』は、少々やみくもに、つまり個人的な経験のせいで、言わば高揚した調子〔lyrisme〕で書いてしまいました。私はあの本に愛着を抱いています。というのも、もちろん私が書いたからでもあるのですが、イギリスの反精神医学を主張する精神科医達、アメリカのサスやフランスの社会学者達のような、それぞれ立場を異にする人々に〈道具箱〉として役立ったからでもあります。彼らはあの本を探って、後で彼らにとって役立つような章や分析形式を見出したわけです(66〜7頁)。この引用からは、一九七四年の時点では、フーコー自身、自分の著作が反精神医学者によって利用されたと考えていたが、そのことを本人自身まんざらではないと思っていたらしいことがわかる。

 

ところが一九七〇年代後半になると、ややトーンが変わっているように思える。一九七八年に行なわれ対談で、フーコーは次のように述べたらしい。私が書いた事柄とそれらが生産した諸効果とのあいだには特異な関係があります。『狂気の歴史』の運命を見てください。あの書物は、モーリス・ブランショ、ロラン・バルトといった人びとによって熱い歓迎を受けました。初期において、あの書物は、精神医学者からはいささかの好奇心と一定の好意をもって受け入れられ、関心などないということで、歴史家によっては完全に無視されました。そして、かなり早く、精神医学者の敵意の度合いがあがってきて、あの書物は今日の精神医学に対する攻撃であり、反精神医学の宣言書であると判断されるほどになりました。ところが、それはまったく私の意図ではありませんでした。それには、少なくとも二つの理由があります。一九五八年に私がポーランドであの書物を書いたとき、ヨーロッパに反精神医学は存在していませんでした。さらに、いずれにせよ、あの書物は一九世紀のごく初頭の出来事で終わっているというこのうえなき理由から、精神医学に対する攻撃ではなかったのです()。ところがあの書物は、公衆の{頭/エスプリ}のなかでは絶えず現代精神医学に対する攻撃として機能したわけです(68頁)。さらにメチエ本の著者によれば、また一九七七年の対談では、一九世紀初頭までを扱った考古学的な分析が精神科医たちによって精神医学への攻撃とみなされたことについて、「生物学の考古学なら反生物学にならないものを、どうして精神医学の考古学は反精神医学になってしまうのか」と辛辣に反論している(68〜9頁)のだそう。ということは、一九七〇年代の後半になると、フーコーは自分の著者が反精神医学に利用されたことを苦々しく思うようになっていたことになる。私めがフーコーと反精神医学を結びつける言説を読むと???と思ってしまう理由の一つも、まさに生物学の考古学なら反生物学にならないものを、どうして精神医学の考古学は反精神医学になってしまうのかという疑問がフツフツと湧いてくるからなのですね。

 

そして、一九八二年にカナダのトロントで行なわれたインタビューで次のような決定的な発言をしたらしい。かつて私は、一七世紀から一九世紀初頭に至る精神医学の歴史に関する本を書きました。この書物の中で、私は精神医学の同時代の状況についてほとんど何も語っていませんが、そうしたことも、人々がこの書物を反精神医学のマニフェストとして読むことを妨げはしなかったのです。ある時、私はモントリオールで開催された精神医学に関する会議に招聘されました。たとえ私がこの領域において少し経験がある――――とはいえ、私は精神科医ではありませんから、はじめ私はこの招聘を断りました。しかし、会議の主催者は私を、精神医学に関する歴史家の資格で、導入の演説をするためにのみ招聘する、と私に保証しました。私はケベックが好きですから、その会議に出かけたのです。そしてそこで、私は本当に罠にかけられてしまいました。というのも、議長は私をフランスにおける反精神医学の偉大な代表と紹介したからです。当然ながら、そこにはとてもご親切な人々がいて、彼らは私の書いたものを一行も読んだことがなかったものですから、私が反精神医学者であると信じ込んでしまったというわけです。私は一九世紀初頭までの精神医学の歴史を書いただけです。いったいなぜ、こんなにもたくさんの人々が――そこには精神科医も含まれています――私を反精神医学者とみなすのでしょうか(69〜70頁)。八〇年代になると、明らかにフーコーは自分が反精神医学の広告塔のように扱われることを嫌っていたのですね。

 

ということで、次の「第3章 フーコーはピネル神話を破壊したか」に参りましょう。冒頭に次のようにある。近代精神医学の祖とされるフィリップ・ピネルに対する批判はフーコーの精神医学批判の要にあり、彼を反精神医学の陣営に組み入れる理由の一つともなっている(75頁)。ということは、前章までに引き続き第3章でもフーコーと反精神医学の錯綜した関係が扱われているということになりそう。次に著者はピネルについて次のように述べている。精神病患者を鎖から解き放ったという有名な事績からピネルは人道主義、博愛主義の唱道者とみなされてきた。他方で、精神医学史家のポステルらによる「一九世紀初頭における精神医学の誕生の歴史に関してピネルに過剰な称賛が与えられてきた」という指摘もある()。近年、伝統的なピネル観を修正あるいは批判する見解が現われているが、フーコーは独自の視点からピネルに切り込んだ。本章ではピネルの事績とその神話化、それに関するフーコーの議論の問題点を検討する(75頁)。実のところ、この章の主眼は、この引用部の前半部より後半部のそれに関するフーコーの議論の問題点に主眼が置かれている。これは、このメチエ本の著者が哲学者ではなく精神医学者であることから出来しているように思われる。

 

それからしばらく、ピネルに関する記述が続いたあと(それらの記述についてはここでは省略する)、次のようにある。ピネルの記述を長く引用したことにはわけがある。私の個人的体験が重なって、ピネルの苦渋に少なからず共感したからである。私は攻撃性や衝動性が強い患者を多く治療する病棟に長く勤務した。顔に唾を吐きかけられたことも、頭からクズカゴならぬ味噌汁を掛けられたこともある。問題は身体的なリスクではない。攻撃性を心理的特性として客観的にみることと、自身が攻撃性の標的になることは全く別のことである。ピネルが言っているように、患者の衝動行為は石が自然に落下するのと同じように疾病が引き起こした抗し得ない現象だと理屈では分かっていても、仏ならぬ身で寛大に受け止めてばかりはいられない。寄り添おうとすると不信感で跳ね返される。一八世紀と現代とでは治療法にも医療環境にも隔世の感があるが、重篤な患者との向き合い方に内在する根本的な難しさは変わっていない。日本では精神医療が障害者の人権を抑圧しているという批判は根強い。確かに医療の側に反省すべき点は多々あるが、あえて言いたいのは、そのようなバッシングの多くが外野席の高みから評論家的に発せられるということである。まずグラウンドに下りて身をもって現実を知ってほしい(86頁)私の個人的体験とは、それに続く記述からもわかるように「私の精神科医としての個人的体験」という意味になる。最後の三文は、そのような個人的な経験を得て著者が達した個人的な境地の吐露といった趣があるけど、よくわかる気がする。随分前に暴力的なサイコパスの医療に従事していたアメリカの元アメフト選手の精神医学者が書いた本を読んだことがある(ちなみに同様なテーマが扱われていたエイドリアン・レイン氏の『暴力の解剖学』ではなく、著者名と本のタイトルは失念してもた)。その本に、元アメフト選手だけにごっつい体格をしているにもかかわらず、暴力的なサイコパスにインタビューする際には、何かあったときに即座に逃げられるよう必ずドア側に自分が座ると書かれていた。ひとたび暴力的になったら(しかもサイコパスなので、何をきっかけにそうなるかがまったく予想できない)、サイコパスは何を仕出かすかわからないのですね。医療の現場では、たとえば社会的弱者に対する人権のような抽象的な概念は通用しなくなる場合がある。そもそも自分の人権のほうが危うくなってしまうからね。いやでも現実に向き合わねばならない人々に対して外野席の高みから評論家的に批判する輩は、どんな分野にも少なからずいる。だからナシブ・タレブさんは、「身銭を切っていない人の言うことを信用してはならない」という趣旨のことを言ったのですね。

 

では、フーコーは実際に、どのようにピネルを批判したのか。それに関してメチエ本の著者は、ピネル及び保護院に対するフーコーの批判は次の文章に要約される(99〜100頁)として、『狂気の歴史』から次の箇所を引用している。実証主義の時代の保護院〔asile〕、その創立者として人々がピネルをほめたたえているような保護院は、観察・診断・治療の自由な領域ではない。それは人が告訴され裁かれ有罪宣告を受ける司法的空間〔espace judiciaire〕である。そしてそこから自由になるには心理の深層でのこの審判の解釈〔version〕、つまり悔悟によるほかない。狂気は、仮に外の世界では潔白を宣言されても、保護院では罰せられるだろう。狂気は、長いあいだ、少なくとも現在に至るまで、道徳の世界〔monde morale〕の中に閉じ込められるのである(100頁)。このフーコーの見解に対するメチエ本の著者自身の見立ては次のとおり。フーコーは「ピネルは治療法を刑罰に変えた」という。事実は逆である。先に引用した事例では、恐ろしい道具を手にした監督人が戸口に立って「スープを飲まなければ過酷な罰を受ける」と脅していた。もう一例では、裁判官に扮した監督人が患者を前に無罪を高々と宣告していた。これらの刑罰の脅しや裁判の演出は、妄想の支配下で日々衰弱していく患者を前にした――有効であるかは別として――患者の妄想を逆手に取った窮余の策としての治療手法だったのである。ピネルは治療を刑罰に変えたのではなく、裁判と刑罰を模擬的に治療の道具として利用したに過ぎない(101頁)。要するに著者は、「外野席の高みから評論家的にピネルを批判しているフーコーさんは、当時の保護院の現実を見ていない」と言いたいのでしょう。それが正しいか否かは私めには判断のしようがないけど、哲学者や歴史家ではない精神科医がフーコーを読むと、そういう印象を受けるのでしょうね。その点は非常に興味深い。

 

最後にもう一文引用して第3章をおしまいにしましょう。次のようにある。蓮澤優[『フーコーと精神医学』(青土社)の著者]はピネルにおけるモラル療法の意義を掘り下げ、フーコーに対する批判的視点を提供しているので、要点を引用したい()ロック(John Locke)は狂気を理性的能力の全面的な変質や喪失ではないとした。この考え方に影響されたピネルのモラル療法では理性と狂気は対立よりも力動的な関係で捉えられ、残存する理性に働きかけることで治癒が得られるとされた。ピネルが用いた大仰な仕掛けを使った演出は道徳的効果よりも情念を揺さぶって理性を回復させる試みだった。他方、フーコーは保護院を道徳的画一化と社会的告発の道具とみなしているが、それはピネルの思想そのものへの批判にはなっていない。蓮澤の考察はフーコーによるピネル批判が抱える問題点の核心を衝いたものである(102〜3頁)

 

さて次は「第4章 精神医学権力」で、この章では『狂気の歴史』のメインテーマであった狂気の「考古学」が、フーコーの頭の中で次第に「権力」の分析へとシフトしていった経緯が論じられている。ただしその内容の詳細については、先日取り上げた『ミシェル・フーコー』でも検討されていたので割愛し、ここではフーコーにおけるこの変化に対する、精神科医でもあるメチエ本の著者の見方だけを引用しておく。著者はフーコーのコレージュ・ド・フランスでの講義を紹介したあとで次のように述べている。以上のように『狂気の歴史』とコレージュ・ド・フランス講義との接続と研究のおおまかな見取り図が示された。到着したゴールからの新たなスタートあるいはリセットである。こうして『狂気の歴史』での表象の分析に代わる保護院と権力という新たな問題が提起された。権力装置の分析が中心に据えられたことによって、あれほど生き生きと描き出された人々の狂気に対する知覚や経験、絵画や文学に描かれた狂人の像という問題は脇に置かれることになった(111頁)。やはり精神科医(精神医学者)の目からすると、権力の分析は非常に抽象的なものに、もっと言えば外野席の高みからの評論のように思えてくるのでしょうね。

 

その証拠に、著者はもっとあとのほうで次のように述べている。私の感想を言うなら、フーコーはあまりに精神医学を権力の問題に引き寄せている。フーコーの論法は精神医学への批判を越えて、ほとんどその全否定とすら感じられる。この立場を徹底すれば、あらゆる実践を権力の文脈で読み替えることが可能となるだろう。精神科病棟での患者の行動の注意深い観察は一般医学での身体状態の観察・記録と本質的に異質なものではない。しかし権力論の文脈では患者に対する「絶えざる監視」と意味づけられる。確かに患者の自殺徴候を早期に発見するやり方は監視といっても間違いではない。それなら保育園児の事故を防止する保育士の見守りも「絶えざる監視」なのだろうか。別の例を出すなら、日本には保護観察中の人の指導や相談を担当する保護司の制度がある。再犯を防止して社会の安全を維持する機能という面から見れば明らかに権力装置の一部である。しかし同時に対象とされる人の社会復帰を手助けするものでもある。そうでなければ使命感をもってボランティアの保護司を引き受ける人はいないだろう。同様に精神医療の場でも、権力装置の歯車であることを自覚せよと言われるなら、医療者は萎縮するしかない。精神医療の現場に関わる人であれば、このような違和感を共有するに違いない。私と同じ精神科臨床医である蓮澤優は、この違和感を「困惑」と表現している()。医療者はグラウンドで球を投げるプレーヤーであってスタンドの客ではないのである(129〜30頁)。ここでもグラウンドで球を投げるプレーヤースタンドの客などといった比喩が用いられており、著者のイライラが十分に伝わってくる。私めは銀河系一のヘタレ翻訳者であって精神科医ではないので、フーコーの権力理論、たとえばとりわけ「君主権的権力」や「規律権力」などといった概念は、非常に重要だと思っている(「君主権的権力」や「規律権力」については、『フーコーの言説』を参照[ページ内検索キーワード:監獄の誕生])。それでも、メチエ本著者がフーコーの議論にイライラするのもよくわかる気がする。「現実はそんな単純なものではないべさ」、あるいはむしろ逆に、「生身の経験としての現実は、フーコーさんが言うようなひねくれたものではなく、もっと単純なものだべさ」と言いたいのかもね。

 

ということで、このメチエ本に関しては、哲学者ではなく精神医学者(精神科医)である著者がフーコーをどう見ているか、そしてフーコーと反精神医学の関係をどう見るべきかに焦点を絞って取り上げたため、フーコー自身の業績に関してはほとんど触れなかったけど、フーコーを取り上げる機会はいくらでもあると思うので、許しておくんなまし。

 

 

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※2026年1月29日