◎井上文則著『軍と兵士のローマ帝国』(岩波新書)
タイトル通り軍と兵士を中心としたローマの軍事史に関して事実が淡々と述べられている。最初は、岩波さんの本だし、そのうえタイトルに「軍と兵士」などという語が含まれているから、どうせまた左派的な言説が飛び出してくるかと予想して身構えていたけど(とはいえ岩波新書はわが知識の貴重な源の一つだと思っているので岩波さん怒らんとってね)、そんなことはまったくなかった。それどころか「あとがき」には、「ローマ帝国へアプローチする道はいろいろあるが、軍はそのもっとも捷経なものの一つであろう。しかし、その軍のあり方を研究する軍事史研究は、軍事全般に対する忌避感が戦後長らく強かったわが国においては、熱心になされてきたわけではない(239頁)」などと、戦後における軍事史研究の不足を批判しているともとれる記述が見られた。
これは『戦争の地政学』のなかで、国際政治学者の篠田英朗氏が戦後の日本で地政学が忌避されてきた経緯を語っているけど、それに通じるものがある。そこには次のようにある。「日本において地政学は、大日本帝国時代の帝国主義的政策と結びついていたがゆえに、第二次世界大戦後の時代にタブー視されるに至った。そのため地政学が1970年代以降に徐々に注目されていった際、地政学は戦後の日本で禁止された「悪の論理」であると喧伝された(同書121頁)」。なおその理由は細かくなるのでここでは述べない。そちらのレビューを参照されたい。いずれにせよ、このような軍事史や地政学を無視、あるいは軽視する態度は、冷戦時代はともかく、ロシアや中国や北朝鮮のような独裁国が好き勝手をするようになった現在では、知的怠慢どころか有害であるとしか言いようがない。
『軍と兵士のローマ帝国』の話に戻ると、歴史的事実に関する記述が淡々と続いていることと、皇帝などの人物の名前が次から次へと現れては消えていくので話を追うのに難儀したこともあって、この本に関してはコメントすることはほとんどない。でも一点だけ、私めの関心を大きく引くことがあった。それは、現在では国際政治学者や地政学者のたぐいと見なされているエドワード・ルトワックへの言及が二か所ほどあったこと。率直に言って岩波新書でルトワックの名前を見かけるとは思っていなかった。どうやらルトワックは1970年代には、(おそらくは軍事を中心として)古代ローマを研究していたらしい。だからルトワックという名を目にしたとき、私めの頭のなかには、地政学者は古代ローマ帝国をどう見ていた(る)のかに関してむくむくと興味が湧き上がってきた。
もちろんマッキンダーを始めとする二〇世紀の地政学者たちは、研究の焦点を近代以降に置いていたんだろうとは思うけど、地政学はもっと広く古い時代にも適用しうるのかが気になってきたというわけ。この新書本に記述されているローマ帝国の軍事史を見ていると、ローマ帝国は内陸へ内陸へと拡大しているので(反対側に突き抜けて今で言うところのイギリスにまで達しているとはいえ)、マッキンダーの地政学用語を使えば、ランド・パワーとして振る舞っていたことがわかる。
もちろん現代の観点で見れば、地中海は内海なので現代のイタリアがシー・パワーに属するとはなかなか言えないように思われるので、ローマ帝国が内陸に向ったことはそれほど不思議ではないように思えてくるかもしれない。ただ現代と古代ではそもそも航海に関する技術の発達度がまるで違うのであって、古代ローマ帝国にとっての地中海とは、現代では太平洋や大西洋に勝るとも劣らない大洋であったはず。その点では、海のルートを利用して地中海や黒海沿岸に植民地を拡大していった古代ギリシアのほうがシー・パワーのごとく振る舞っていたと言える。そのような古代ローマ帝国と古代ギリシアの振る舞いを地政学はどうとらえるのかが気になったという次第。それとも地政学はあくまで近代以降にしか通用しないのだろうか?
ただこの新書本は軍事史の本であって地政学の本ではないので、そこからこの問いに対する答えを見出そうとしても無益であるのは確かとはいえ、ただそういう問題提起にはなったということね。残念ながらルトワックの著書は一冊も読んだことがないので、機会があればそのうち読もうと思った次第。なお地政学については、前述した篠田英朗著『戦争の地政学』(講談社現代新書)、ならびに鈴木健人著『封じ込めの地政学』(中公選書)を最近取り上げたのでぜひ参照されたい。
※2023年5月17日