◎鈴木健人著『封じ込めの地政学』(中公選書)

 

 

タイトルにある通り地政学に関する本。地政学と言えば、この本にあるように、ナチスが手前に都合のいいように利用したこともあって、戦後しばらく不遇をかこってきた。しかし最近、とりわけロシアの暴挙や中国の軍拡のせいもあって、再び脚光を浴びるようになってきた。この選書本も開口一番、「日本は今、重大な岐路に立たされている。第二次大戦後に出現し、日本も大きな恩恵を受けてきた「リベラルな国際秩序」が重大な挑戦を受けているのだ。ウクライナ戦争に示されているロシアの行動や中国の擡頭である(iii頁)」と述べている。

 

「序章」では、まず地政学について簡単に説明されている。そこに登場するのは地政学と言えばたいてい真っ先に取り上げられるハルフォード・マッキンダーと、彼の理論を外交という実践面で応用した政治家ジョージ・ケナンで、よく知られているように、そこでは国際政治がユーラシアの大陸勢力(ランド・パワー)と、それを取り巻く海洋勢力(シー・パワー)を二分する図式によってとらえられている。ちなみにアメリカ大陸やオーストラリアは実際には大陸であっても、ユーラシア大陸の核心部(ハートランド)との対比で島と見なされ、大西洋はユーラシア大陸半島部とアメリカ大陸に挟まれた内海部と考えられている。

 

それについて本書から引用してみましょう。「[マッキンダーは]ケナンと同様、アメリカと西欧は大西洋を挟んで巨大な共同体を形成しているというのだ。そしてマッキンダーによれば、大西洋は北米大陸とヨーロッパ大陸の間に存在する「内陸海」であった。シー・パワーはランド・パワーの脅威に対抗するため、兵力をランド・パワーの側の海岸部に投入しなければならないが、これはまさに水陸両用作戦になる。シー・パワーは「内陸海」を経てランド・パワーの側に、つまりヨーロッパ大陸に上陸しなければならない。そこで、フランスが橋頭保に、イギリスが前進基地に、アメリカが戦略的縦深になるという役割分担が必要となるのである(54〜5頁)」。

 

この考えをマッキンダーが提示したのは一九二〇年代とのことだけど、第二次大戦のノルマンジー上陸作戦はまさにこの考えに沿って実行されたと見ることができる。また57頁には、ケナンがシー・パワーとランド・パワーの違いを、「シー・パワー:民主主義――グローバリズム――同盟の維持――貿易や商業重視――平和的」「ランド・パワー:独裁政治――リージョナリズム――便宜的同盟――領土拡大とアウタルキー(自給自足)――平和は戦争の合間」としてとらえていたとある。ちなみに個人的には、シー・パワーの項目としてあげられている「グローバリズム」は、「インターナショナリズム」とすべきだと思うけど(そもそも同盟を重視するということは、国家が先にあることを認めているのだから国境の存在を無視、あるいは軽視するグローバリズムとは言えない)、ここではその点は重要ではないのでよしとしましょう。もちろんこの図式を絶対視することはできないけど、これまでの歴史や現在の各国の姿勢を考えれば、おおよその目安としては妥当だと思う。

 

こうしてみると日本が戦前、戦後に犯した最大の過ちとは、本来ユーラシア大陸の周縁部に位置する島国国家であり、シー・パワーに属し、イギリスとよく似た境遇にある日本がランド・パワーの大国ドイツと同盟を結んで、シー・パワーの大国たる英米と一戦を交えた点にあることがよくわかる。その点、日英同盟を結んでロシアと対峙した明治の政治家は、地政学という観点から見れば、昭和初期の政治家よりも賢明だったことがわかる。

 

それから安部氏がお星さまになったとき、米英では左派メディアでさえ、(左派メディアだけにright-orientedという批判はあったにせよ)彼のインド太平洋構想をこぞって称賛していたのは、まさにシー・パワーに属する米英が、同じくシー・パワーに属する日本の政治家が、第二次大戦時とは違ってシー・パワーに徹する役割を担うことを自ら提唱し、のみならずそれをQUADという形態で具体化していったから、その点を評価せざるを得なかったのだろうと思う。同じ左派でもその点をまったく無視していた(そして無視し続けている)日本の左派メディアと、米英の左派メディアでは地政学的な理解がまったく異なっているのだろうな、というより、日本の左派メディアには地政学的な観点がまったく欠如しているんだろうなということがこの事実からもよくわかる。

 

第二次大戦直後や冷戦時とは国際状況がまったく変わっているのに(たとえば当時の誰が今日の中国の台頭を予想できただろうか?)、いまだ半世紀以上前の視点でしか世界を見られないのなら、国際情勢を伝えるメディアとしては、ガラパゴス化して価値がないどころか読者や視聴者を誤った方向へ誘導しかねないのできわめて有害だと言える。

 

ところでケナンは、アメリカの安全保障にはユーラシアの勢力均衡、つまりパワーバランスが必須と考えていたとのこと。というのもアメリカ以外の四つのパワーセンター(イギリス、ドイツ、ソ連orロシア、日本)が一致団結してアメリカに牙をむいたらヤバいので、それらの国々のあいだで緊張関係を保たせようと考えていたってわけ。より具体的には次のようにある。「第二次大戦は、ドイツと日本が、イギリスとソ連を支配してユーラシアを統一しようという動きであった。アメリカはそれを防止するためイギリスはもちろん、ソ連とも同盟し、ドイツと日本を敗北させた。しかし今度は、ソ連がドイツや日本を支配しようとする動きを見せている。そこでドイツと日本を経済復興させ、ソ連の進出を「封じ込め」る必要が出てくるわけである。イギリスはドイツやロシアがユーラシアを統一しようとすると、必ず脅威を受けることになるので、アメリカからの援助を受けてでもその脅威に対抗しようとする。またアメリカから見てもイギリスがドイツやロシアに対抗することが、「ユーラシアの勢力均衡」を維持するうえで極めて重要となる。したがって、米英同盟が、アメリカにとってもイギリスにとっても最も重要で自然な同盟となるのである(103頁)」。

 

「第3章 封じ込めの軍事同盟」「第4章 封じ込めとドイツ分割」は、アメリカが第二次大戦直後、ユーラシアの勢力均衡を図るために敗戦国のドイツを始めとするヨーロッパ諸国に対してどのような政策(それには対ソ戦略も含まれるが、対ソに関しては第6章と第7章で詳しく取り上げられている)を取ったか、取ろうとしたかが具体的に解説されている。この二章に登場する主人公はやはりジョージ・ケナンなのよね。

 

「第5章 地政学的周辺部における封じ込めの模索」では、中国や東南アジアに対する、戦後のアメリカの封じ込め政策が取り上げられている。それに関しては、次のような興味深い指摘をあげるにとどめる。「東南アジアに対する合衆国の政策(PPS−51)」の「注目すべき点は、インド・太平洋地域にまたがる「大三日月地帯」という地政学的構想を示していたことである。アジア大陸が共産化するなど、敵対的政治勢力になったとき、それを「封じ込め」るための戦略構想である。大三日月地帯とは、日本、オーストラリア、インドを結ぶ地帯のことであり、現在の「QUAD」にも通じる構想であった。そして東南アジアは、その地域自体は戦略的に二次的だが、大三日月地帯の結節点となっているという意味で極めて重要となった(210頁)」。まさに戦後間もない頃から、QUAD的な戦略の重要性が、アメリカでは認識されていたってことになる。実はこの大三日月地帯がきわめて重要だったのははるか昔からで、それについては以前に取り上げた『海の東南アジア史』(ちくま新書)を読めばよくわかる。

 

それからもう一点あげておくと、次のような指摘は興味深い。「だが東南アジアに関して、アメリカはジレンマに直面していた。それはイギリス、フランス、オランダなど西ヨーロッパの同盟国を強化するためには、東南アジア地域に対する西欧の支配を過度に脅かすことは戦略的にマイナスであるが、そうかと言ってアメリカ自身が帝国主義の味方だと思われてしまうことも大きなマイナスであることであった。¶アメリカはフランスやオランダの政策を、やがて「失敗する運命にある」と考えていた。西側はアジアのナショナリズムを支援し援助することによってのみ、共産主義の拡大に対する抵抗力として東南アジアを自由世界の一員とすることができるであろう(210〜1頁)」。

 

アメリカは「フランスやオランダの政策を、やがて「失敗する運命にある」と考えていた」にもかかわらず、フランスの代わりにベトナムに深入りして失敗こいたのは皮肉としか言いようがないけど、いずれにしても東南アジア諸国を自由世界の一員にするには、現地の「ナショナリズム」に訴える必要があると考えられていたことは示唆的だと言える。ただ一点だけ指摘しておくと、ベトナムを考えてみればわかるように、当時の東南アジアのナショナリズムは共産主義や社会主義と結びついていた側面もあって(それについては別の機会に詳述するつもり)、その意味でもハートランドに位置するソ連とつながる恐れがあった。だからアメリカは、ドミノ理論のような一国こけたら皆こける的な一種の被害妄想に取りつかれていたわけね。

 

「第6章 封じ込めの目的」「第7章 水爆開発の決定」では水爆開発を含めた朝鮮戦争前のアメリカの対ソ封じ込め戦略が、また「第8章 封じ込めと限定戦争」「第9章 戦争か平和か」では朝鮮戦争時のアメリカの封じ込め戦略(これもおもに対ソになる)が取り上げられているけど、細かくなるのでその内容には触れない。

 

ここまでの説明からもわかるように、本書はもっぱらアメリカの視点から見た封じ込めが論じられており、序盤こそマッキンダーやスパイクマン(アメリカの地政学者)らの地政学理論が取り上げられているものの、「第2章 ケナンの「封じ込め」構想」以後は、ジョージ・ケナン、ディーン・アチソン、ジョージ・マーシャルらを中心としたアメリカの政治家(外交官)が主要登場人物になる。また対象期間はほぼ大戦直後から朝鮮戦争までに限られており、最後は冷戦の終焉まで一足飛びにジャンプする。したがってたとえばキューバ危機やベトナム戦争に関する言及はまったくない。また、現在では対中国(習近平)ならびに対ロシア(プーチン)の封じ込め戦略をどうするかが喫緊の課題になっているのに、冒頭で開口一番に指摘されているこの点については、前述した210頁の指摘を除けば最後までほとんど何も触れられていないことにちょっとがっかりした。

 

最後にアメリカが取った地政学的戦略に関して本書のまとめにもなる文章が「終章 冷戦の終焉と封じ込め戦略」にあるので、それを引用して締め括ることにしましょう。次のようにある。

 

「次に地政学的対立である。本書でも示したように、第二次大戦期から冷戦期にかけて、アメリカの政策決定者は、マッキンダーやスパイクマンの地政学的視点に影響を受けていた。ケナンの封じ込め構想も、地政学的な世界認識を基盤に持っていた。五つのパワーセンターという考えに基づく、ユーラシア大陸における勢力均衡によって、「ハートランド」に位置するソ連の影響力拡大を抑えようとしたのである。アメリカは「リムランド」に位置するイギリス、(西)ドイツ、日本の復興を援助し、NATOなどの軍事同盟を形成することでユーラシアの勢力均衡を回復し維持した。¶そして、限定戦争はパワーセンターそのものをめぐっては発生せず、むしろパワーセンターを支える周辺部で起こった。アメリカは、パワーセンターを支えるために十分な周辺地域を保持することには成功したが、限定戦争そのものについては必ずしも成功しなかった。(…)冷戦の勝利は、アメリカという「島」、すなわちシー・パワーが、リムランドに位置するパワーセンター(これにはイギリスや日本という他の島国も含まれる)の力を結集して、ソ連というランド・パワーを包囲することによってもたらされた。そしてアメリカとその同盟国の影響力が、ユーラシア大陸西部で拡大し、ランド・パワーであるロシアの勢力圏を縮小させることになった。またソ連の崩壊は、旧ソ連を構成していた諸国をバラバラにして、弱体化させた(335〜6頁)」。

 

 

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※2023年4月29日