「草野球の窓」

第70章
「悔し涙」

 オリンピックでメダルが取れた選手はうれし涙を流し、期待されながらも残念な結果に終わった選手は悔し涙を流す。長野五輪では多くの日本人が選手の流す涙に感動した。特に、「巨人の星」のようなスポ根モノを観て育った者にとってはこの涙はこたえられない。私はうれし涙にも勿論感動するが、悔し涙の方により感動する。甲子園においても、最近は優勝チームでうれし涙を流す選手は少なくなったが、負けたチームで悔し涙を流す選手は依然として多い。苦しい練習を積み重ね、自他ともに認める実力がついたにも関わらず、本番で実力が発揮できなかった時は本当に悔しい。実力さえ発揮できれば、それ以上の力を持った選手やチームに負けたとしても涙は出ない。しかし、実力が発揮出来なかったのは誰のせいでもない、自分自身に対して悔しいのだ。

 草野球でも実力を発揮できずに負けたときは悔しい。草野球の場合には、涙を流すほど普段練習もしていないし、深刻に考える必要もない。所詮、草野球である。だが、試合で負けた直後でありながら、笑い声が高々と上がるチームをたまに見かける。草野球とはいえ、一生懸命試合に臨み、実力を十分に発揮して負けたのならいざ知らず、実力を発揮できずに負けたのに、楽しそうに談笑できるところが理解できない。相手チームに対して失礼ではないか。相手チームも一生懸命プレイし、やっと勝って喜びを噛みしめているのに、隣で負けたチームが高笑いしているのでは、どっちが勝ったチームなのか分からない。喜びの表現は勝ちチームの特典なのだ

 試合に負けたらまず、相手チームに対して敬意を表し、お互いに健闘を讃え会う。これがエールの交換だ。次に、グランド脇で反省会をすぐ開き、記憶が鮮やかなうちに、何がよくなかったのか、次への課題は何なのかを話し合う。悄然としたり、悔し涙を流すほどではないが、少なくとも楽しそうにバカ笑いする状況ではないはずだ。ところが、反省会を開き反省点を話し合っても、その場限りになってしまうことが多い。反省会の直後は誰でも今度こそ失敗しないように練習に励もうと考えるのに、その後皆でビールを飲んだり、一晩寝れば反省点はすっかり忘却の彼方に追いやられ、次の試合でも全く同じことを繰り返してしまう。これでは全く進歩というものがない。

 大事なことはこれら反省点を踏まえた上で、翌日から練習を積み重ねたり、次週の試合に向けた準備を始める。例えば、暴投した選手は次からは暴投しないように通勤途上でボールを何回も握りなおし、ボールを掴んですぐに正しい握りが出来るようにトレーニングする。

これ、ゆめゆめ忘れることなかれ。  (平成10年8月11日掲載)


【幹事補足】
 この章の師のお言葉に対しては、意見が二分されることでしょう。チーム名簿でも、試合後のビールのおいしさを述べているチームが非常に多いことからも推測できます。
 野球に対する考え方が二通りあって、その考え方が異なるチームが対戦した場合のわだかまりは、以前「グランド倫理」でも問題になりました。「野球に勝利すること」を目標とするか、「野球というスポーツをすること」を目標とするかがその分れ目です。自分のチームがどちらを目標としているか、また、相手チームがどちらを目標としているかを認識することは、草野球界では重要であります。
 願わくば、すべてのチームが「勝つための野球」を目標としてくれればと、私個人的には思います。



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