第1部:資本の生産過程

第7篇:資本の蓄積過程

第24章:いわゆる本源的蓄積

第4節
資本主義的借地農場経営者の創生記



次の問題になるのは、資本家たちは本源的にはどこからきたのか? ということである。というのは、農村民の収奪は直接にはただ大土地所有者をつくり出すにとどまるからである。[770]

この節では、

本来の借地農場経営者――彼自身の資本を賃労働者の使用によって増殖し、剰余生産物の一部分を貨幣または現物でランドロードに地代として支払う者[771]

がどのように形成されたかが考察され、その契機として二つのことがあげられている。ひとつは「農業革命」であり、もう一つは「貨幣の減価」である。

15世紀の最後の三分の一期に始まり、ほとんど16世紀全体(とはいえ最後の2、30年をのぞいて)にわたって続いた農業革命は、農村民を貧しくするのと同じ速さで借地農場経営者を富ませていく。共同牧場などの横奪によって彼らはほとんどただで自分の家畜をおおいにふやすことができ、他面、この家畜は土地耕作のためのいっそう豊富な肥料を彼に供給する。[771]

16世紀には一つの決定的に重要な契機がつけ加わった。当時は借地契約が長期で、99ヵ年にわたるものもしばしばあった。貴金属の価値、それゆえ貨幣の価値が引き続き低落したことが、借地農場経営者に黄金の果実をもたらした。この低落は、さきに論じた他の事情はすべて別にしても、労賃を低下させた。労賃の一部は借地農業利潤に加えられた。……すべての農業生産物の価格の継続的な上昇は、借地農場経営者がなにもしないでも彼の貨幣資本を膨張させたが、他面、彼が支払わなければならなかった地代は、旧来の貨幣価値で契約されていた。こうして、借地農場経営者は、彼の賃労働者と彼のランドロードとを同時に犠牲にして、自分を富ませた。[771-2]



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