第1部:資本の生産過程
第7篇:資本の蓄積過程
第24章:いわゆる本源的蓄積
封建家臣団の解体によって、また、断続的な〔度重なる――フランス語版〕暴力的な土地収奪によって追い払われた人々、鳥のように自由なこのプロレタリアートは、それが生み出されたのと同じ速さでは、新たに起こりつつあるマニュファクチュアに吸収されることはできなかった。他面、自分たちの歩き慣れた生活の軌道から突然投げ出された人々も、そう突然には新しい状態の規律に慣れることができなかった。彼らは大量に乞食や盗賊や浮浪人に転化した。それは、一部には性向からであったが、たいていの場合は周囲の事情に強制されたものであった。それゆえ、15世紀末から全16世紀にわたり、西ヨーロッパ全体で浮浪罪にたいする流血の立法が行なわれた。こんにちの労働者階級の祖先は、なによりもまず彼らの余儀なくされた浮浪人化と受救貧民化のために罰せられた。立法は彼らを「自由意思による」犯罪者として取り扱い、もはや実存していない古い諸関係のもとで労働を続けることが、彼らの自発的な意志に依存していると想定した。[761-2]
封建的土地所有関係を維持しようと苦悩していた、当時のイギリス王権と議会は、自営農民層を維持する法律を制定する一方、いったん浮浪化した元自営農民にたいして、浮浪化していることそのものを罪として、グロテスクな処罰を加えることのできる法律も制定していたのである。この立法は、ヘンリー7世の時代にはじまり、ヘンリー8世、エドワード6世、エリザベス女王の治世をへて、ジェイムズ1世の治世にまでいたる。その身の毛のよだつ処罰内容がくわしく紹介されている([762-5])。これら代々の治世下では、つぎに考察されている、賃銀引き下げのための諸立法も同時に制定されている。
王族や貴族やジェントルマンたちによって制定された、これら法律の執行内容を見ると、“野蛮”というカテゴリーのダブル・スタンダードということを考えずにはいられない。現代にも、似たような二重基準がそこここにまかり通っている。
こうして、暴力的に土地を収奪され、追放され、浮浪人にされた農村民は、グロテスクで凶暴な法律によって、鞭打たれ、烙印を押され、拷問されて、賃労働制度に必要な訓練をほどこされた。[765]
資本主義的生産過程が十分に発達した段階では、その社会の経済的諸関係の強制力は、労働者に対する資本家の専制として確固とした力をはたらかせるようになる。この専制力は、直接的な暴力の使用をともなうことも依然としてあるけれども、
ものごとが普通に進行する場合には、労働者は「生産の自然法則」に、すなわち、生産諸条件そのものから発生し、それらによって保証され永久化される資本への労働者の従属にまかせておくことができる。資本主義的生産の歴史的創生記中では、事情は違っていた。[765]
新たに生まれ成長しつつあった資本家階級は、国家権力の強制力を利用して、条件の整備を行なった。
貨殖に適合する制限内に労賃を押し込めるために――また労働日を延長して労働者自身を標準的な従属度に維持するために……。これこそは、いわゆる本源的蓄積の本質的な一契機である。[766]
もともと労働者の搾取を目的とし、その進行中もつねに同じように労働者に敵対的である、賃労働にかんする立法は、イギリスではエドワード3世の治下1349年の“労働者規制法”によって開始される。[766]
この法律は、「法定賃銀」よりも高い賃銀を受け取ることや、労働者の団結を重罪とした。最低賃銀という概念はない。賃銀の最低限についての法律上の保証はまったくなかった。この「賃銀の最低限を法律上定める」という考え方がイギリス議会ではじめて議論されたのは、1796年のウィットブレド氏の下院における提案によってであった([768])。
これらの法律の基本概念は、実に、マルクスが『資本論』を執筆していた時代、19世紀まで、綿々と生き続けていた。([768-9])