第1部:資本の生産過程

第7篇:資本の蓄積過程

第22章:剰余価値の資本への転化

第4節
剰余価値の資本と収入とへの比例的分割から独立して蓄積の規模を規定する諸事情――労働力の搾取度、労働の生産力、充用される資本と消費される資本との差額の増大、前貸資本の大きさ



剰余価値が資本と収入とに分裂する比率を与えられたものと前提すれば、蓄積される資本の大きさは、明らかに剰余価値の絶対的な大きさによって定まる。……蓄積の大きさの規定にさいしては、剰余価値の総量を規定する諸事情のすべてが一緒に作用する。[625-6]

「労働力の搾取度」が蓄積の規模を規定する

剰余価値率はまず第一に労働力の搾取度に依存する……。剰余価値の生産にかんする諸篇では、労賃は少なくとも労働力の価値に等しいということが絶えず想定されていた。けれども、実際の運動では、価値以下への労賃のこの強制的な引き下げがあまりにも重要な役割を演じている……。この引き下げは、事実上、一定の限界内で、労働者の必要消費元本を資本の蓄積元本に転化する。[626]

もし労働者が空気だけで生きていけるなら、彼らはどんな価格でも買うことはできないであろう。したがって、労働者がただであるということは数学的意味での極限なのであって、絶えず近づくことはできても決して到達しえないものである。彼らをこの虚無的な立場に〔彼らの価格をゼロに〕引き下げようとするのは、資本の変わらぬ傾向である。[626]

実際、労働者の生活費をどれだけ切り詰められるかという、とんでもない“経済学的研究”が、くそまじめに行なわれていたらしい。いくつかの“経済学論集”からの引用を、マルクスが行なっている。

「しかし、わが貧民」(労働者を表わす述語)「がぜいたくに暮らしたいと思うならば……彼らの労働は当然高いものになるに違いない。……ブランデー、ジン、茶、砂糖、外国産果物、強いビール、捺染もののリンネル、嗅ぎタバコ、喫煙タバコなどという、わがマニュファクチュア労働者たちによって消費されるおびただしい量のぜいたく品のことを考えてみるがよい」【『工場および商業にかんする一論』、ロンドン、1770年、44ページ】[627]

「労働はフランスではイギリスでよりも実に3分の1も安い。というのも、フランスの貧民たちは過酷な労働をするが衣食は粗末であり、彼らのおもな食物は、パン、果物、野菜、根菜、および乾魚だからである。すなわち、彼らはごくまれにしか肉を食べず、また小麦が高価なときには、パンもごくわずかしか食べないからである……そのうえさらに、彼らの飲物はと言えば、水かまたはそれに似た弱いリキュール酒であるから、実のところ彼らはおどろくほどわずかな金しかつかわない。……このような事態にもっていくことは確かに困難なことではあるが、しかし、フランスでもオランダでも、実際にそうなっていることがはっきり証明しているように、それはできないことでもない。」【同前、70、71ページ】[627]

「大麦5ポンド、とうもろこし5ポンド、3ペンスの鯡、1ペンスの塩、1ペンスの酢、2ペンスの胡椒と野菜――合計20(と)3/4ペンスで64人分のスープができる、それどころか、穀物の平均価格でなら、費用は1人あたり1/4ペンス(3ペニッヒ足らず)まで下げられる」【ベンジャミン・トンプスン『政治的、経済的、および哲学的論集』、全3巻、ロンドン、1796-1802年、第1巻、294ページ】[628]

さらに、労働の強度を増すことによっても、蓄積を増大させることができる。

どの産業部門でも、労働手段〔フランス語版では、「労働手段」が「労働手段類(ウチャージ)」となっており、これは「機械、器具、用具、建物、建造物、運輸・通信手段など労働手段の総体を意味する」という注がついている〕から成り立つ不変資本部分は、投資の大きさによって規定される一定の労働者数にたいして十分なものでなければならないが、それは決して就業労働量とつねに同じ比率で増加する必要なない。……資本家はもとからいる100人の労働者を、8時間ではなく12時間労働させることもできるのであり、この場合には既存の労働手段で十分間に合うのであって、ただそれがいっそう急に摩損するだけである。こうして労働力のより高度な緊張によって生み出される追加労働は、それに比例して不変資本部分を高めることなしに、剰余生産物と剰余価値を、すなわち蓄積の実体を増大させることができる。[629-630]

具体的に、マルクスは、「本来の工業」「製造工業」に原料と労働手段を提供する、採取産業(鉱山業など)と農業とにおける労働強化によって、「追加的な資本の供給をまたないで生み出した生産物増加分」が、「製造工業をも利する」という関係を指摘して、つぎのように述べている。

一般的な結論――資本は、富の二つの原形成者、すなわち労働力と土地とをみずからに合体することによって膨脹力を獲得するのであって、これにより資本は、一見すると資本自身の大きさによって定められた限界を超えて、すなわち資本の定在形態たる、すでに生産されている生産手段の価値および総量によって定められた限界を超えて、自己の蓄積の諸要素を拡大することができる。[630-631]

「労働の生産力」が蓄積の規模を規定する

労働の生産力の上昇とともに、一定の価値を、したがってまた与えられた大きさの剰余価値を表わす生産物の総量が増大する。剰余価値率が不変であれば、またかりにそれが低下しても、労働の生産力の上昇よりも徐々にしか低下しない限り、剰余生産物の総量は増大する。それゆえ、収入と追加資本とへの剰余生産物の分割が不変であれば、資本家の消費は蓄積元本の減少なしに増加しうる。蓄積元本の比率的な大きさは、消費元本を犠牲にしても増大しうる――その場合にも、資本家は商品の低廉化によって、以前と同程度かあるいはそれより多くの消費手段を自由に処分することができるが。[631]

また、第1部第15章“労働力の価格と剰余価値との大きさの変動”(とくに第1節)で分析されたように、「労働日の大きさ、労働の強度が与えられている場合」、

労働の生産力における変動、それの増加または減少は、労働力の価値には逆の方向に作用し、剰余価値には同じ方向に作用する[543]

実質賃銀が上昇する場合でさえもそうである。実質賃銀は決して労働の生産性に比例しては上昇しない。したがって、同じ可変資本価値がより多くの労働力を、それゆえまたより多くの労働を運動させる。[631]

また、労働の生産力が上昇するということは、生産手段としての生産物価値も低下させるということであるから、

同じ不変資本価値が、より多くの生産手段に、すなわちより多くの労働手段、労働材料、および補助材料になって表われ、したがって、より多くの生産物形成者ならびにより多くの価値形成者、または労働吸収者を提供する。[631]

だから、労働の生産力が発展するにつれて、追加される資本の価値が増加しなくても、つまり、変わらないか、減少する場合でも、蓄積は加速的に行なわれることになる。再生産のための生産手段が、より多くなることはもちろんのこと、剰余価値の生産の増大が、追加資本の価値の増大よりも、ますます速くなる。

労働手段への反作用

機能している不変資本の一部分は、機械設備などのような労働手段からなっており、これらは比較的長期間にわたってのみ消費され、それゆえ再生産され、あるいは同種の新品によって取り替えられる。……この労働手段の一部分は、……毎年その周期的再生産の段階、または同種の新品による代替の段階にある。もし労働の生産力がこうした労働手段の出生の場所で増大するならば――そして労働の生産力は科学および技術の不断の流れとともに絶えず発展するが――より効率の高い、その性能を考慮すればより安価な機械、道具、装置などが、旧式のものに取って代わる。……旧資本はより生産的な形態で再生産される。[631-2]

労働対象への反作用

原料や補助材料のような不変資本の他の部分は、その年のうちに絶え間なく再生産され、農業から生まれるものはたいてい年々再生産される。したがってこの場合には、改良された方法などの採用は、いずれも、追加資本とすでに機能している資本とにたいし、ほとんど同時に作用する。化学のあらゆる進歩は、有用な素材の数を増やし、すでに知られている素材の利用を多様化し、それゆえ資本の増大につれてその投下部面を拡大する……。それは同時に、生産過程および消費過程の廃物を再生産過程の循環のなかに投げ返すことを教え、こうして、先行の資本投下を要することなく新たな資本素材をつくり出す。[632]

「社会基準上の摩滅」にたいする「減価償却」

労働力の緊張をより高めることによる自然的富の利用が増大することと同じように、科学および技術は機能資本の与えられた大きさからは独立した資本の膨脹力能を形成する。この膨脹力能は、同時に、原資本の更新段階にはいった部分にも反作用する。原資本はその新しい形態のなかに、古い形態の背後で生じた社会的進歩を無償で合体する。もちろん、このような生産力の発展は、同時に、機能諸資本の部分的な減価をともなう。この減価が競争によって痛感されるようになると、またその主たる重圧は労働者にのしかかる。……資本家は、労働者の搾取を強めることによって損失を埋め合わせようとする。[632]

「生きた労働の天分」――「再生産の重要な契機」

同一の労働量はつねに同量の新価値額しか生産物につけ加えるにすぎないとはいえ、それが同時に生産物に移転する旧資本価値は、労働の生産性が高まるにつれて増大する。……生産物のなかに旧価値は新しい有用的形態で維持され、……新たに資本として機能することができる。……新価値を創造しながら旧価値を維持するということは、生きた労働の天分である。それゆえ労働は、その生産手段の効果や規模や価値の増大につれて、したがって労働の生産力の発展にともなう蓄積につれて、絶えず膨脹する資本価値を、つねに新しい形態で維持し、永久化する。[632-3]

注(60)古典派経済学は、労働過程および価値増殖過程の不完全な分析のために、再生産のこの重要な契機を本格的には把握しなかった……。たとえば、彼〔リカードウ〕は言う――生産力の変動がどのようなものであろうと「100万の人間は工場ではつねに同じ価値を生産する」と〔『経済学および課税の原理』、ロンドン、1821年、320ページ〕。もし、彼らの労働の長さと強度が与えられているなら、それは正しい。しかしそれは、100万の人間が、彼らの労働の生産力が異なるのに応じてきわめて異なる量の生産手段を生産物に転化し、それゆえ、きわめて異なる価値量をその生産物のうちに維持するのであり、したがって彼らが提供する生産物価値もまたきわめて異なる、ということをさまたげない[634]

「充用される資本と消費される資本との差額の増大」が蓄積の規模を規定する

資本の増大ともに、……労働手段の価値量や素材量は増大するが、他方、それらの労働手段はただ漸次的にのみ摩損するにすぎず、それゆえそれらの価値を一部分ずつ失うだけであり、したがってまた一部分ずつその価値を生産物に移転するだけである。これらの労働手段は生産物に価値はつけ加えないが生産物形成者として役立つ程度に応じて、したがって、全部的に充用されながら部分的にしか消費されない程度に応じて、……自然力と同様の無償の役立ちをするのである。過去の労働のこの無償の役立ちは、生きた労働によって利用され生気を与えられるとき、蓄積の規模の増大とともに累積されていく。[635]

「前貸資本の大きさ」が蓄積の規模を規定する

労働力の搾取度が与えられていれば、剰余価値の総量は同時に搾取される労働者の数によって規定されるのであり、この数は、比率は変わるものの、資本の大きさに照応する。したがって、継続的な蓄積によって資本が増大すればするほど、消費元本と蓄積元本とに分かれる価値総額もそれだけ増加する。……こうして結局、前貸資本の総量につれて生産の規模が拡大されればされるほど、生産のすべてのばねがますます精力的に働くのである。[635-6]



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