第1部:資本の生産過程

第5篇:絶対的および相対的剰余価値の生産

第15章:労働力の価格と剰余価値との大きさの変動

第1節
労働日の大きさおよび労働の強度が不変で(与えられていて)
労働の生産力が可変である場合



「労働の強度」と「労働の生産力」

先を読みすすめる前に、私の理解が不正確だった「労働の強度」と「労働の生産力」について、整理しなおさなければならない。

すでにこの章のはじめに、「労働力の価格と剰余価値との相対的な大きさ」を制約する「3つの事情」をマルクスは指摘していた。そのなかで、「労働の標準的強度」すなわち、「一定の時間内に、一定の労働分量が支出されるということ」を挙げている。それにつづいて、3つ目に「労働の生産力」すなわち、「生産諸条件の発展の程度によって、同分量の労働が同じ時間内に、より大きいまたはより小さい分量の生産物を提供するということ」を挙げている([542-3])。

第1節の規定を眺めつつ、一向に頭が働かず苦しんでいたのだが、第2節、第3節と先の筋をおおまかに眺めてみて、私は自分が「労働の強度」と「労働の生産力」の意味を混同していたことに気づいた。私は、労働の強度を強めることは、労働の生産力が高められることと、同じ事柄だととらえていた。

ところが、上記引用のマルクスの定義によれば、「労働の強度が強められる」ということは、「一定の時間内に支出される労働分量がより多くなる」ということである。一方、「労働の生産力が高まる」ということは、一定の時間内に支出される労働分量が一定していて変わらないと前提したうえで「生産条件の発展度合に応じて一定の時間内に生産される生産物の分量がより大きくなる」ということである。もちろん、労働の強度が強まることと、生産力が高まることとは、同時に起こりうる。

「労働の強度」という語彙はどのような使われ方をしていただろうか。こういうことを調べるときに、上装版『資本論』のいいところは、「総索引」が付いていることだ。「事項索引」で「労働の強度」という語彙が使用されている箇所を調べてみた。初めて使用されている箇所は、第1章第1節の以下の部分。

社会的に必要な労働時間とは、現存の社会的・標準的な生産諸条件と、労働の熟練および強度の社会的平均度とをもって、なんらかの使用価値を生産するのに必要な労働時間である。[53]

2番目に使用されている箇所は第12章第3節の以下の部分。

労働相互の、それゆえ労働者相互のこの直接的依存が、各個人にたいし自分の機能に必要な時間だけを費やすよう強制するのであり、そのため、独立の手工業の場合とは、または単純な協業の場合とさえも、まったく異なる労働の連続性、画一性、規則性、秩序、とりわけ労働の強度までもが生み出される[365-6]

とりわけ「労働の強度」についてまとまった考察がおこなわれているのは、第13章第3節C項――「労働の強化」([431-440])。ここでは、労働日の短縮、すなわち「労働の外延的大きさ」の変動と、機械設備の導入による機械経営の発展という生産諸条件の変動とが、たがいに影響しあい、労働の強度の強まりを生み出している様子が分析、考察されている。

いま私が取り組みはじめたこの章節では、複雑に関連しあっているこれら諸要因が厳密に3つに分けられ、それらのさまざまな組み合わせのケースのうち典型例をあげて、これまで考察されてきた「剰余価値の生産」過程が分析されることになる。マルクスがなぜ「労働の強度」と「労働の生産力」とを厳密に分けて規定しているのか。それを理解するためにも、とりあえず、先を読みすすめてみよう……。

第一のケースにおける三つの法則

この前提のもとでは、労働力の価値と剰余価値とは、3つの法則によって規定されている。[543]

  1. 「与えられた大きさの労働日は、たとえ労働の生産性が、またそれとともに生産物総量が、それゆえまた個々の商品の価格がどのように変動しようとも、つねに同じ価値生産物で表わされる」
  2. 「労働力の価値と剰余価値とは、互いに反対の方向に変動する。労働の生産力における変動、それの増加または減少は、労働力の価値には逆の方向に作用し、剰余価値には同じ方向に作用する」
  3. 「剰余価値の増加または減少は、つねに労働力の価値のそれに照応する減少または増加の結果であって、決してその原因ではない」

第一の法則

「労働の強度」が不変であるということは、支出される労働量が不変であるということだから、同じ労働時間内に生産される生産物の総量は、その量の増減にかかわりなく、同じ大きさの価値をもつ。この前提のもとでは、1労働日の生産物の価値の大きさは不変である。

第二の法則

この前提が与えられていれば、労働力の価値と剰余価値の変動の傾向が導かれる。すなわち、

この不変の大きさは、剰余価値の総額と、労働者が等価によって補填する労働力の価値との合計に等しい。一つの不変の大きさの2つの部分のうち、一方が減少しなければ他方が増加できないことは自明である。……このような事情のもとでは、絶対的大きさにおける変動は、それが労働力の価値の大きさであっても、剰余価値の大きさであっても、それらの相対的なまたは比較的な大きさの同時的変動なしには不可能である。この2つが同時に低下したり上昇したりすることは不可能である。[543]

「労働の強度」が不変である前提のもとで、「労働の生産性」が変動するということは、同じ労働時間内に支出される労働量が不変であるもとで、個々の生産物に費やされる労働量が変化するということだ。1労働日の生産物総量の価値の大きさが不変であるもとで、生産物総量が増減すれば、個々の生産物の価値の大きさは、生産物総量が大きくなれば小さくなり、生産物総量が小さくなれば大きくなる。

さきの章でマルクスは、労働力価値の増減の決定的要因として、労働力価値を規定する生活手段価値の変動をあげていた。上記のような事情のもとで生活手段として費やされる諸生産物の価値の変動が生じる。

労働の生産性の増加は、労働力の価値を低落させ、したがってまた剰余価値を上昇させるが、他方では、逆に、生産性の減少は、労働力の価値を上昇させ、剰余価値を低落させる。[544]

労働力価値と剰余価値の変動率

「第一のケース」の前提のもとでは、「労働力価値」と「剰余価値」の合計は不変の大きさであり、労働力価値が小さくなれば剰余価値が大きくなり、労働力価値が大きくなれば剰余価値が小さくなるという「同時的変動」がおきる。この「同時的変動」をめぐって、リカードウの学説を批判的に引用して、マルクスは次のように注意をうながしている。

この法則の定式化にさいして、リカードウは、一つの事情を見落とした。すなわち、剰余価値または剰余労働の大きさにおける変動は、労働力の価値または必要労働の大きさにおける逆方向の変動が条件になっているが、この2つが同じ比率で変動するということには決してならない、ということである。この2つは、同じ大きさだけ増加したり減少したりする。しかし、価値生産物または労働日の各部分が増加したり減少したりする割合は、労働の生産力の変動が起こる以前に行なわれていた最初の分割に依存している。……一方でつけ加えられ、他方で取り去られるのは、……同じ大きさである。しかし、比率的な大きさの変動は、双方では異なっている。……労働の生産力におけるある与えられた変動の結果である剰余価値の増加または減少の比率は、労働日のうち剰余価値で表わされる部分が、最初に小さければそれだけ大きく、最初に大きければそれだけ小さいということになる。[544]

第三の法則

剰余価値の変動は必ず労働力価値の逆向きの変動から生じる。その逆ではない。さらにまた、労働力価値の変動は労働生産力の変化による生活諸手段の価値の変動に照応している。

剰余価値の「中間的諸運動」

たとえば、労働の生産力が高められた結果、労働力の価値が4シリングから3シリングに、または必要労働時間が8時間から6時間に、低下しても、労働力の価格は、3シリング8ペンス、3シリング6ペンス、3シリング2ペンス等々にしか低下せず、それゆえ剰余価値は、3シリング4ペンス、3シリング6ペンス、3シリング10ペンス等々にしか上昇しないということがありうる。3シリングを最小限度〔「最大限度」とすべきであり、マルクスは第2版の自用本でそのように訂正している〕とする低下の程度は、一方の側から資本の圧力が、他方の側から労働者の抵抗が、天秤皿に投げ入れる相対的重量に依存している。[545]

生活手段総量の変動と労働力価格の変動

労働力の価値は、一定分量の生活手段の価値によって規定されている。労働の生産力とともに変動するのは、この生活手段の価値であって、それらの総量ではない。この総量そのものは、労働の生産力が上昇する場合には、労働力の価格と剰余価値とのあいだになんらかの大きさの変動がなくても、労働者と資本家とにとって、同時にそして同じ割合で増大しうる。[545]

労働の生産力が上昇する場合には、労働者の生活手段総量が同時に持続して増大しながら、労働力の価格は絶えず低下するということがありうる。しかし、相対的には、すなわち剰余価値と比較するならば、労働力の価値は絶えず低落するであろうし、したがって労働者の生活状態と資本家の生活状態のあいだの隔たりは拡大されるであろう。[546]

リカードウの定式

これら「第一のケースにおける三つの法則」は、すでにリカードウによって定式化されていたという。このこと自体はたいへん画期的な業績だったのだが、リカードウの研究には弱点や限界もあった。マルクスは、リカードウの定式化にみられる「欠陥」を次のように指摘している。([546])

  1. マルクスが「第一のケース」として前提にした「特殊的条件」を、リカードウは「一般的かつ排他的な条件」とみなしていること。すなわち、「労働日の変動」「労働の強度の変動」が見落とされていたこと。
  2. 「剰余価値の特殊的諸形態」である「利潤や地代」と、その源泉としての剰余価値そのものとを、リカードウはきちんと解明しきれていなかったこと。このことから、利潤率と剰余価値率とを混同していたこと。

リカードウの定式化にあった「欠陥」を克服するうえでも、「労働の生産力の変動」だけではなく、「労働日の変動」「労働の強度の変動」という条件を視野に入れて、労働力の価値と剰余価値、それぞれの大きさの変動を分析することが重要だったのだ。



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