第1部:資本の生産過程
第6篇:労賃
普通の労働日が12時間であり、そのうち6時間が支払われ、6時間は不払いであるとしよう。その価値生産物は6シリングであり、それゆえ1労働時間の価値生産物は6ペンスであるとしよう。平均程度の強度と熟練で労働する1労働者、したがってある物品を生産するために実際に社会的必要労働時間だけを用いる1労働者が、24個――別々の24個であれ、または連続的製品の24個の測定可能な部分としてであれ――を12時間のうちに提供するということが、経験的に明らかであるとしよう。その場合には、この24個の価値は、それに含まれている不変資本部分を差し引けば、6シリングであり、各1個の価値は3ペンスである。労働者は、1個につき1(と)1/2ペンスを受け取り、こうして12時間では3シリングをかせぐ。[575]
ここで問題となるのは、1個の価値を、それに体化されている労働時間によってはかることではなく、その逆に、労働者によって支出された労働を、彼によって生産された個数によってはかることである。時間賃銀では、労働は、その直接的持続時間によってはかられ、出来高賃銀では、労働は、労働が一定の持続時間中にそのなかに凝縮される生産物量によってはかられる。労働時間そのものの価格は、結局は、日労働の価値=労働力の日価値 という等式によって規定されている。したがって、出来高賃銀は、時間賃銀の変化された形態にすぎない。[576]
出来高賃銀は、資本家たちに、労働の強度をはかるまったく確かな尺度を与える。あらかじめ定められかつ経験によって確定されたある商品分量に体化される労働時間のみが、社会的に必要な労働時間とみなされ、そのようなものとして支払われる
労働者が平均な作業能力をもっていないならば、それゆえ一定の最小限の日仕事を提供できないならば、彼は解雇される。[576]
この場合には、労働の質と強度が労賃の形態そのものによって規制されているので、この労賃の形態は大部分の労務監督を不用とする。それゆえ、この労賃の形態は、前述した近代的家内労働の基礎をなすとともに、等級的に編制された搾取および抑圧の制度の基礎をなす。[577]
「等級的に編制された搾取および抑圧の制度」について、マルクスはつぎの2つの形態を指摘している。
前者の場合は、介在者たちのもうけ分は、資本家が彼らに支払う労働価格と、このうち労働者に実際に手渡される分との差額である。後者の場合は、資本家は個々の「班長労働者」と契約を結び、「班長労働者」はその労働価格の範囲内で「補助労働者」を集めるので、「資本による労働者の搾取は、労働者による労働者の搾取を介して実現される」。
注(50)「製品が数人の手を通り、その各々の人が利潤の分け前を取り、仕事をするのは最後の人だけである場合には、女子工員の手にはいる給金は、みじめなほど不つり合いなものとなる」(『児童労働調査委員会、第二次報告書』、LXXページ、第424号)。
注(51)弁護論者のウォッツでさえも、述べている――「1人の人が、自分自身の利益のために彼の仲間を過度に労働させることに関心をもつのではなく、ある仕事に従事するすべての者がそれぞれ自分の能力に応じて契約当事者となるならば、それは、出来高制度の大きな改善であろう」(『児童労働調査委員会、第二次報告書』、53ページ、第424号)。[577]
出来高賃銀がひとたび行なわれるようになれば、労働者が自分の労働力をできる限り強度に緊張させることは、もちろん労働者の個人的な利益であるが、そのことは、資本家が労働強度の標準度を高めるのを容易にする。それと同じように、労働日を延長することも、労働者の個人的な利益である――なぜなら、それにともなって彼の日賃銀または週賃銀が増大するからである。それとともに、時間賃銀のところで既述した反動が生じてくる――労働日の延長は、出来高賃銀が不変な場合にさえ、それ自体として労働の価格における引き下げを含むということを別にしても。[577-8]
時間賃銀では、ほとんど例外なく、同一の機能にたいする同一の労賃が支配しているが、出来高賃銀では、労働時間の価格は、確かに一定分量の生産物によってはかられはするが、しかし、日賃銀または週賃銀は、労働者の個人的な相違によって変動する……。したがってこの場合には、実際の収入については、労働者個人の熟練、力、精力、持久力などの相違に応じて、大きな差が生じてくる。[578]
それでは出来高賃銀制は、個人の力量に応じた、がんばっただけ報われる賃金制度なのだろうか。マルクスはつづけて、出来高賃銀のもたらすこの「効果」が「資本と賃労働とのあいだの一般的関係をなにも変えはしない」ことを指摘している。
そしてマルクスは、出来高賃銀が労働者の個性に負っているということのもたらす、いくつかの傾向を指摘している。
大工業の「疾風怒濤時代」(「1797-1815年」)には労働時間を延長し労賃を引き下げる役割を果たしたこの賃金制度は、工場法適用以降、制限された労働時間内で剰余価値率を上昇させることに効果を発揮した([580])。
出来高賃銀制は、すでに「14世紀のフランスおよびイギリスの労働法令」に出現していたにもかかわらず、なぜマルクスは「資本主義的生産様式にもっとも適応した労賃形態である」と強調したのか。それは、上記に指摘された「効用」をもたらす特徴を、この賃金形態がもっているからだ。
労働の生産性が変動するにつれて、同分量の生産物によって表わされる労働時間が変動する。したがって、出来高賃銀も変動する。というのは、出来高賃銀は一定の労働時間の価格表現であるからである。……言い換えれば、出来高賃銀は、同じ時間内に生産される出来高の数が増加する――したがって同じ1個の出来高に費やされる労働時間が減少する――のと同じ割合で、引き下げられる。出来高賃銀のこの変動は、純粋に名目的であっても、資本家と労働者とのあいだの絶え間ない闘争を呼び起こす。なぜなら、資本家は、それを口実にして労働の価格を実際に引き下げるか、または、労働の生産力の増大には労働の強度の増大がともなうからである。あるいはまた、労働者は、彼にとっては彼の生産物に支払われるのであって、彼の労働力に支払われるのではないかのように見える出来高賃銀の外観を真に受け、それゆえ、商品の販売価格の引き下げが対応しない賃銀の引き下げにたいして反抗するからである。[581-2]