第1部:資本の生産過程

第4篇:相対的剰余価値の生産

第13章:機械設備と大工業

第3節
労働者に及ぼす機械経営の直接的影響



工場の編制された機械体系……この客観的有機体に人間材料がどのように合体されるかを見るまえに、その革命が労働者そのものに及ぼすいくつかの一般的反作用を考察しよう。[416]

a 資本による補助的労働力の取得。婦人労働および児童労働

「工場の編制された機械体系」は、労働過程における筋力の比重を下げる。そのため、非力な、あるいは成長過渡期であり、作業にたいする柔軟性の高い、女性や子どもが工場の作業現場に引き入れられる。このことがもたらす労働者、あるいは労働者家族への影響を、マルクスはいくつか指摘している。

(1)労働者人口の増大

労働と労働者とのこの強力な代用物は、たちまち労働者家族の全成員を性と年齢の区別なしに資本の直接的支配のもとに編入することによって、賃労働者の数を増加させる手段に転化した。[416]

(2)家事労働の減少と家計支出の増大

資本家のための強制労働が、児童の遊戯に取って代わったのみでなく、慣習的限界内における家族自身のための自由な家庭内労働に取って代わった。[416]

(120)……アメリカの南北戦争にともなった綿業恐慌……は、労働者を工場の雰囲気から締め出したことは別として、衛生上ほかにもいろいろな利点をもっている。労働婦人たちは、いまでは、自分の子供たちをゴッドフリーの強心剤(一種のアヘン剤)で毒する代わりに、授乳するために必要な暇を見いだした。彼女たちは料理を習う時間を得た……また恐慌は、特殊学校で労働者の娘たちに裁縫を教えるために利用された。[416]

(121)家族の特定の諸職能、たとえば子供の世話や授乳などは、まったくやめにすることはできないので、資本によって徴用された家庭の母は多かれ少なかれ代わりの人を雇わなければならない。裁縫やつぎあてなどのような家庭の消費に必要な諸労働は、既製商品の購入によって補われなければならない。……労働者家族の生産費が増大して、収入の増大を帳消しにする。そのうえ、生活手段の利用や準備における節約と合理性が不可能になる。[417]

(3)労働力価値の低下

機械設備は、労働者家族の全成員を労働市場に投げ込むことによって、夫の労働力の価値を彼の全家族が分担するようにする。それゆえ機械設備は、彼の労働力の価値を減少させる。たとえば4つの労働力に分割された家族[の労働力]を買い入れることは、以前に家長の労働力を買い入れた場合よりもおそらく多くの費用がかかるであろうが、しかしその代わり、4労働日が1労働日に取って代わるのであって、それら労働力の価格は、4労働日の剰余労働が1労働日の剰余労働を超過するのに比例して下がる。[417]

(4)搾取度の拡大

1家族が生活するためには、いまや4人が、資本のために、労働だけでなく剰余労働をも提供しなければならない。こうして機械設備は、はじめから、資本の人間的搾取材料すなわちもっとも独自な搾取分野と同時に、搾取度をも拡大するのである。[417]

(5)労使関係の法的変革

機械設備はまた、……労働者と資本家とのあいだの契約を根底から変革する。商品交換の基礎上では、資本家と労働者とは自由な人格として、独立の商品所有者として……相対するということが、第一の前提であった。しかしいまや、資本は、児童や未成年者を買う。……いまや労働者は、妻子を売る。彼は奴隷商人となる。[417-8]

乳幼児の死亡率をめぐる考察

第3篇第8章「労働日」のなかで詳細に告発された児童労働や女性労働の実態について、マルクスはこの節のなかでも告発しているが、とくにマルクスがここで注目しているのが、乳幼児死亡率の増大である。現代日本で社会問題となっている児童虐待(この場合には「恣意的放任」「精神的威圧」も含まれる)を連想させる叙述部分は次の通り。

1861年の公式医事調査の示すところでは、地方的事情を別とすれば、この高い死亡率はとくに母親の家庭外就業によるものであり、またそれから生じる児童の放任と虐待、なかでも栄養不適、栄養不足、アヘン剤の投与などによるものであり、さらに、母親が自分の子供から不自然に隔離されていること、その結果として故意に飢えさせたり有毒物を与えたりすることが加わる。[420]

女性労働はいまも一般的に行なわれており、日本においては、とくにその労働形態が正規労働者としてではなく、流動的労働力として資本の思うがままに使用することができるしくみづくりがさかんに行なわれてはいる。ただし、現代の資本主義社会においては、労働者の運動もあって、乳幼児や児童を社会が保育する制度が一定程度確立しており、日本における乳幼児死亡率の高さを単純に「母親の家庭外就業によるもの」と断定できない条件が多分にある。むしろ前段で指摘された、家族生活の破壊作用が、色濃く反映しているものと見ることができる。

義務教育制度をめぐる考察

続けてマルクスは、工場主たちが“しぶしぶながら”認めざるを得なくされた、初等教育を義務づける教育法をめぐって、資本の本質的指向について指摘している。

婦人労働および児童労働の資本主義的搾取から生じる精神的な萎縮……未成熟な人間を単なる剰余価値製造機械に転化することによって人為的につくり出された知的荒廃――それは、精神の発達能力やその自然的豊饒性そのものの破壊なしに精神を休閑状態におく自然発生的な無知とはいちじるしく異なるものであるが――は、ついに、イギリス議会をさえ強制して、工場法の適用を受けるすべての産業において、初等教育を14歳未満の児童の「生産的」消費のための法定の条件にさせるにいたった。[421-2]

資本主義的生産の精神は、工場法のいわゆる教育条項のいい加減な作成から、またこの義務教育を大部分ふたたび架空なものにしてしまう行政的機構の欠如から、またこの教育法にたいする工場主たちの反対そのものから、そしてこの教育法の法の網をくぐり抜けるための彼らの実際的な策略と計略からも、きわめて明白である。[422]

この教育法が、かなり長期にわたって、子どもたちに確かな初等教育を施すという意味で、ほとんど効力を発揮していなかった実態は、この後にマルクスが引用している『工場監督官報告書』の驚くべき記録のなかで暴露されている。

「……立法府は、児童教育のために配慮していると見せかけながら、この口先だけの目的を確保できるただ一つの規定をも含まない欺瞞的法律を公布した……この法律が規定しているのは、ただ、児童たちが毎日一定の時間数」(3時間)「のあいだ、学校と称する場所の四壁内に閉じ込められるべきこと、また児童の使用者が、これについて、毎週、男性または女性の学校教師という名前で署名する人物から証明書をもらわなければならない、ということだけである」[422]

1844年の改正工場法の公布以前には、……学校教師が自分で字が書けないので、彼らによって十文字のしるしで署名された通学証明書がまれではなかった。[422]

「学校」と称される教育現場の悲惨な状況の描写は、現代日本においても、再三にわたる教師や父母たちの要請にもかかわらずいまだに国の制度として確立していない少人数学級制や、現在問題となっている「学級崩壊」のようすを彷彿とさせる。

「……第二の学校で、私は、奥行15フィート〔約4.6メートル〕、間口10フィート〔約3メートル〕の教室を見たが、この部屋に75人の児童がいて、わけのわからないことをしゃべっていた」。「……有能な教師がいる多くの学校でも、3歳以上のあらゆる年齢の児童たちのがやがやする群集のために、教師の努力は、ほとんどまったくむだになってしまう……。教師の暮らしは、どうせみじめなもので、一室に詰め込めるだけ詰め込んだ最大多数の児童から受け取る小銭の数に依存している。そのうえ、学校の備品はとぼしく、本やその他の教材は不足しており、息詰まるような臭い空気は哀れな児童たち自身に作用して元気を失わせる。私はこのような多くの学校を訪ねたが、そこで、まったくなにもしていない多数の児童を見た。そしてこれが通学として証明され、またこのような児童が公式統計では教育を受けたものとして示される」[423]

マルクスは、この小節のさいごに、もう一つ、児童労働と女性労働が及ぼす影響をあげている。資本家総体と労働者総体との社会的対立の力関係に及ぼす影響である。

結合された労働人員に圧倒的多数の児童および婦人をつけ加えることにより、機械設備は、マニュファクチュアにおいて男子労働者が資本の専制に対抗してなお行なっていた抵抗を、ついに打ちくだく。[424]

b 労働日の延長

第2節で考察されたように、機械設備は、商品の生産に必要な労働時間を短縮する。このことは、「競争の強制法則」が満遍なく貫かれる資本主義生産様式のもとでは、労働時間の短縮ではなく、労働日の限りない延長をもたらした。なぜか。

労働手段の稼動が労働者にたいして自立化する

機械設備においては、労働手段の運動および活動が労働者にたいして自立化する。労働手段は、それ自体として、一つの産業的な“永久運動機関(ペルペトウム・モビレ)”となるのであって、この機関は、それの人間的助手……の肉体的弱点と我意に衝突しないならば、不断に生産し続けるであろう。それゆえ自動装置は、資本として……、反抗的であるが弾力的な人間の自然的制限〔肉体的弱点と我意〕を押さえ込み最小限の抵抗にしようとする衝動によって、精気を吹き込まれている。[425]

労働日の拡大にたいする抵抗を押さえ込む、大工業システムのもつ本質的要因を、マルクスは、児童や女性を労働力として資本のもとに引き入れる傾向とそれがもたらす影響とは、明確に区別して考察している。

資本を労働日の延長に駆り立てる動機が生まれる

第2節で考察されたように

機械設備の生産性は、……機械設備から製品に移転される価値構成部分の大きさに反比例する。機械設備が機能する機関が長ければ長いほど、機械設備によってつけ加えられる価値がそれだけ多くの生産物に配分され、機械設備が個々の商品につけ加える価値部分がそれだけ小さくなる。しかし、機械設備の活動的な生存期間は、明らかに、労働日の長さすなわち日々の労働過程の継続時間に、この労働過程が繰り返される総日数を掛けたものによって規定される。[426]

しかし、また

機械の摩滅は、決して厳密に数学的にその利用時間に対応するものではない。[426]

7年半にわたって毎日16時間働く機械は、15年にわたって毎日8時間しか働かない同じ機械と同じ大きさの生産期間を包括しており、また前者が後者より多くの価値を総生産物につけ加えるわけではない。しかしまえの場合にはあとの場合に比べて、機械価値が2倍再生産されるであろうし、資本家は、この同じ機械によって、7年半で、あとの場合に15年間にそうするのと同じ分量の剰余価値をのみ込むであろう。[426]

なぜなら、「機械の消耗」には3通りあって、機械の使用による消耗と、機械が使われないで放置されているあいだの自然力による消耗、そして「社会基準上」の減価をこうむるからである。

はじめの種類の摩滅は、機械の使用に多かれ少なかれ正比例し、あとの種類の摩滅は、ある程度まで機械の使用に反比例する。[426]

機械は、同じ構造の機械がより安く生産されうるようになるか、より優れた機械が現われそれと競争するようになれば、その程度に応じて交換価値を失う。どちらの場合にも、その機械の価値は……もう、事実上その機械自身のなかに対象化されている労働時間によって規定されるのでなく、それ自身の再生産またはより優れた機械の再生産に必要な労働時間によって規定される。それゆえその機械は、多かれ少なかれ減価している。機械の総価値が再生産される期間が短ければ短いほど、社会基準上の摩滅の危険はそれだけ少なくなり、また、労働日が長ければ長いほど、右の期間〔機械の総価値再生産の〕はそれだけ短くなる。[427-8]

他の条件が同じで、労働日が制限されている場合とそうでない場合とを比べてみる。前者の場合、2倍の労働者数を雇用しようとすれば、機械工場の設備や原料、補助材料などもそれに応じて2倍にしなければならない。後者の場合、生産手段、とくに工場設備に投資される大きさは変わらないままでも、労働日が延長されれば、生産の規模も拡大される。

それゆえ、剰余価値が増大するだけでなく、剰余価値の搾取に必要な諸支出が減少する。確かにこのことは、労働日が延長される場合にはいつでも多かれ少なかれ起こることであるが、しかしこの場合には、いっそう決定的に重要である。……この形態〔機械設備や建物等〕においては、資本は、一方では絶えず価値増殖しうるが、他方では、生きた労働との接触を断たれるとただちに使用価値と交換価値を失うのである。[428]

機械経営における「特別剰余価値」

機械は、それが直接的に労働力の価値を減少させること、また、労働力の再生産にはいり込む諸商品を安くして労働力を間接的に安くすることによってのみ相対的剰余価値を生産するのではなく、また、機械がはじめて散発的に採用されるさいに、機械所有者によって使用される労働を、力能を高められた労働に転化し、機械生産物の社会的価値をその個別的価値以上に高め、こうして資本家が1日の生産物のより少ない価値部分で労働力の日価値を補填することができるようにすることによっても、相対的剰余価値を生産する。それゆえ、機械経営が一種の独占状態にあるこの過渡期のあいだには、利得は途方もなく大きく、そして資本家は、この「青春の初恋の時代」を、労働日のできる限りの延長によって、もっとも徹底的に利用しようとする。利得の大きいことが、いっそう多くの利得への渇望を激しくする。[429]

いずれにせよ、マニュファクチュア時代から大工業時代への過渡期における、この「特別剰余価値」は、

同じ生産部門における機械設備の普及につれて、機械生産物の社会的価値はその個別的価値まで低下し、またそれにつれて、剰余価値は資本家が機械によって置き換えた労働力から生まれるのではなく、逆に、資本家が機械につけて働かせる労働力から生まれるという法則が貫徹する[429]

ことで、解消される。一時期の熱狂的渇望は法則的渇望へと発展する。

労働者数を減少させることによってのみ剰余価値率を増加させる

これまでの考察によって、機械経営は、つぎのような「矛盾」をはらんでいることが明らかとなる。

機械設備は、与えられた大きさの資本が与える剰余価値の2つの要因のうち、一方の要因、すなわち労働者数を減少させることによってのみ、他方の要因、すなわち剰余価値率を増加させる[429]

資本の指向は、労働者数の減少を労働時間の延長によって埋め合わせようとする。

搾取される労働者の相対的総数の減少を、相対的剰余労働の増加のみならず絶対的剰余労働の増加によっても埋め合わせるために、労働日のこのうえない乱暴な延長へと資本をまたもやかり立てる[430]

機械は過剰人口の生産手段となる

機械設備の資本主義的充用は、一方では、労働日の無際限な延長の新しい強力な動機をつくり出し、この傾向にたいする抵抗を打ちくだくような仕方で労働様式そのものと社会的労働体の性格とを変革するとすれば、他方では、一部は、労働者階級のうち、以前には資本の手の届かなかった階層を編入することによって、一部は、機械に駆逐された労働者を遊離することによって、資本の法則の命令に従わざるをえない過剰人口を生み出す。そこから、機械は労働日のあらゆる社会基準的(ジットリッヘ)および自然的な諸制限をくつがえすという、近代産業の歴史における注目すべき現象が生まれる。[430]

c 労働の強化

第8章で詳細に考察されたとおり、

機械設備が資本の手中で生み出す労働日の無際限な延長は、……のちにいたって、その生命の根源をおびやかされた社会の反作用を引き起こし、それとともに、法律によって制限された標準労働日をもたらす。[431]

この「標準労働日」の社会的強制によって生じる

労働日の強制的短縮が、生産力の発展と生産諸条件の節約に巨大な刺激を与えるとともに、同時に、労働者にたいして、同じ時間内における労働支出の増加、労働力の緊張の増大、労働時間の気孔充填のいっそうの濃密化すなわち労働の凝縮を、短縮された労働日の以内でのみ達成されうる程度にまで強制するにいたるやいなや、事情は一変する。与えられた時間内へのより大量の労働のこの圧縮は、いまや、それがあるがままのものとして、すなわちより大きい労働分量として、計算される。「外延的大きさ」としての労働時間の尺度とならんで、いまや、労働時間の密度の尺度が現われる。[432-3]

労働日の短縮がもたらす一般的労働強化

機械設備が一般的ではない産業部門においても、労働日の短縮は一般に、労働の規則性、画一性、秩序、継続性、エネルギーを高める。機械設備が支配的に充用されるようになった工場においても、1844年のイギリス工場法における労働時間短縮をめぐる論議を契機に行なわれた実験的経営によって、その作用が確認されている。

この小節のはじめに、マルクスは「出来高賃銀」についてもふれている。この問題は第1部第19章で扱われることになるが、ここでは、労働者が短縮された時間内に労働力をより多く「流動させる」ようにするために資本がとる「支払い方法の配慮」という言い方でふれられている。

資本の手中にある機械設備による労働強化

労働日の短縮は、さしあたり、労働凝縮の主観的条件、すなわち与えられた時間内により多くの力を流動化させる労働者の能力をつくり出すのであるが、この労働日の短縮が法律によって強制されるものとなるやいなや、機械は、資本の手中にあって、同じ時間内により多くの労働をしぼり出すための、客観的な、かつ系統的に充用される手段となる。そうなるには、二通りの仕方がある――すなわち、機械の速度の増大と、同じ労働者によって監視される機械設備の範囲または労働者の作業場面の範囲の拡大とによってである。[434-5]

これらの労働強化は、機械設備の改良をともなってすすめられる。

労働日の制限は、資本家に生産費の極度の切り詰めを強制する……。蒸気機関の改良は、そのピストンの1分間の運動回数を増加させ、同時に、いっそうの力の節約によって、石炭消費を不変のまま、または減少させながら、同じ原動機でより大規模な機構を運転することを可能にする。伝動機構の改良は、摩擦を減少させ、そして……大小のシャフトの直径と重量を、絶えず低下する最小限度まで縮小させる。最後に、作業機設備の改良は、近代的な蒸気織機の場合のように、速度を高め作用を広げながらその大きさを減らすか、または、紡績機の場合のように、機体とともに機械の運転する道具の大きさと数を大きくするか、または、これらの道具の運動性を、目立たない細部の諸変更……によって増加させるか、である。[435]

この機械設備機構の改良は、かのレナド・ホーナー(Leonard Horner 1785-1864)――工場主の法律やぶりはもちろん、その法律そのものの矛盾点すら時には大胆に指摘し、労働者の実態を克明に記録し、暴露しつづけた、工場監督官――でさえ、予想だにしなかった密度と広がりをもって発展し、また、それに応じて、人間労働力は「豊かな弾力性」を発揮したのである。すなわち、12時間に制限された工場労働において、その限界点まですすめられていると考えられていた労働強化は、10時間(12時間より1/6だけ短縮された労働時間)に制限された工場労働においても、さらにより強力におし進められた。

12時間に制限された工場法のもとでも、すでに

「以前に比べると、工場で行なわれる労働は非常に増大したが、それは、……機械設備の速度のいちじるしい増加が労働者にいっそうの注意深さと行動性とを要求するということの結果である」(164)ジョン・フィールデン『工場制度の呪詛』、ロンドン、1836年、32ページ[435]

「工場の諸工程で仕事をしている人々の労働は、いまや、このような諸作業の導入のときの3倍もの大きさである。機械設備は、疑いもなく、数百万の人間の腱や筋肉に代わる仕事をしてきたが、しかしまた、その恐ろしい運動によって支配される人間の労働をおどろくほど増大させた。……40番手の糸を紡ぐため、12時間にわたって1対のミュール紡績機につき従う労働は、1815年には、8マイルの距離を走り回ることを含んでいた。1832年には、同じ番手の糸を紡ぐため、12時間のあいだに1対のミュール機につき従って歩き回る距離は、20マイルまたはしばしばそれ以上にのぼった。1825年には、紡績工は、12時間のあいだに各ミュール機につき820回、総計で12時間に1680回の糸張りをしなければならなかった。1832年には、紡績工は、その12時間労働日のあいだに各ミュール機につき2200回、合計4400回の糸張りを、1844年には、各ミュール機につき2400回、合計4800回の糸張りを、しなければならなかった。……――労働が累進的に増加していくのは、歩行距離がいっそう増大するからだけでなく、生産される商品の量が増加するのに工員が比例的に減少するからでもある……」(165)ロード・アシュリー『10時間工場法案』、ロンドン、1844年、6―9ページの各所[435-6]

この傾向は、10時間法が適用された工場において、ますます促進された。

「紡錘の速度は、1分間に、スロッスル紡績機では500回転、ミュール紡績機では1000回転だけ、増加した。すなわち、1839年には1分間に4500回転であったスロッスル紡錘の速度は、いまでは」(1862年)「5000回転になっており、また1分間に5000回転であったミュール紡錘の速度は、いまでは6000回転になっている……」(168)『工場監督官報告書。1862年10月31日』、62ページ[437]

「……同じ名目馬力の近代的蒸気機関が、その構造上の改良、ボイラーの容積縮小と設備などの改良によって、以前よりも大きな力で運転される。……それゆえ、名目馬力との比率では以前と同じ数の工員が働かされていても、作業機との比率では、より少数の工員が使用される」(170)『工場監督官報告書。1856年10月31日』、14、20ページ[437-8]

「あらゆる種類の機械に加えられたいろいろな大改良は、機械の生産力をいちじるしく高めた。労働日の短縮が……これらの改良に刺激を与えたことは、まったく疑問の余地がない。これらの改良と労働者のより強度な緊張とは」(2時間すなわち1/6だけ)「短縮された労働日中に、以前のより長い労働日中に生産されたのと少なくとも同量の製品が生産されるという結果をもたらした」(173)『工場監督官報告書。1858年10月31日』、10ページ。『工場監督官報告書。1860年4月30日』、30ページ以下参照

以下にあげる表は、マルクスのあげた数字にもとづくものであるが、ここに明らかに示されるように、1850年から1862年にかけて、各工業部門で、紡錘、織機などの工場設備が増加する一方で、就業人口は減少している(ただし児童労働者数は増加している)。これらの数字がものがたる工場労働の強化は、労働者の健康状態に著しい影響をおよぼした。

イギリスの絹工業の進展
紡錘数織機数労働者数
1856年1,093,799錘9,260台56,137人
1862年1,388,544錘10,709台52,429人
イギリスの梳毛糸工業の進展
紡錘数織機数労働者数(14歳未満児童労働者数)
1850年875,830錘32,617台79,737人9,956人
1856年1,324,549錘38,956台87,794人11,228人
1862年1,289,172錘43,048台86,063人13,178人

(175)……第二版への追加。「30年前」(1841年)「には、1人の綿糸紡績工は、3人の助手と一緒に、300錘から324錘の紡錘をつけた1対のミュール紡績機を受けもつことだけしか要求されなかった。いまでは」(1871年末)「彼は5人の助手とともに、2200錘もの紡錘をつけたミュール紡績機を受けもたなければならず、1841年に比べて少なくとも7倍の糸を生産している」(『技能協会雑誌』1872年1月5日号のなかの工場監督官アリグザーンダー・レッドグレイヴの論述)。[439]

「たいていの綿工場、梳毛糸工場、絹工場では、機械設備の運転速度が近年異常に速められているが、その機械設備につく労働に要する心身消耗的な興奮状態が現われており、そのことが、グリーノウ博士が彼の最近の感嘆すべき報告で指摘した肺疾患による死亡率の過大なことの原因の一つである」(176)『工場監督官報告書。1861年10月31日』、25、26ページ[440]

労働時間の限りない延長による労働者の健康被害と搾取率の増大は、資本に標準労働日を強制した。労働時間の制限による労働強化もまた、限られた一定の労働日のなかでの労働者の健康被害を広げ、搾取率を増大させた。この資本の傾向は、

やがてまた労働時間の再度の減少が不可避となる一つの転換点に到達せざるをえない。(177)いま(1876年)、8時間運動がランカシャーで工場労働者たちのあいだに始まっている。[440]



Copyright © 2003 Kyawa, All Rights Reserved.