第1部:資本の生産過程
第4篇:相対的剰余価値の生産
第12章:分業とマニュファクチュア
まずはじめにマルクスが指摘しているのは、共同労働における共同作業場内での分業が、典型的な形態で確立したのが、このマニュファクチュア(Manufacture)の段階であることだ。ただし、共同作業場内における分業の仕方は、もっとも単純な分業システムであっても、それぞれの商品のちがいにおうじて千差万別である。まずマルクスは、マニュファクチュアの分業の発生についての考察で、多種多様なそれらの形態の発生過程を、大きく二つの系統に分類することができる、と指摘している。
「種類を異にする自立的な手工業の結合」と、「種類を同じくする手工業作業の特殊化、分立化」である。
マニュファクチュアの発生の仕方、手工業からのマニュファクチュアの生成は、二面的である。一方で、マニュファクチュアは、種類を異にする自立的な諸手工業の結合から出発するのであって、これらの手工業は、自立性を奪われ、一面化され、同一商品の生産過程における相互補足的な部分作業をなすにすぎないところにまで到達する。他方で、マニュファクチュアは、同じ種類の手工業者たちの協業から出発するのであって、同じ個別的手工業をさまざまな特殊的作業に分解し、これらの作業を分立化させ、自立化させ、それぞれの作業が一人の特殊的労働者の専門的職能になるところまでもっていく。[358]
こうしてマニュファクチュアは集中された作業場内で行なわれる生産過程のなかで、分業をいっそう発展させる。しかし、マルクスは、この発展する分業をめぐって、マニュファクチュアという協業形態の段階にふさわしい限界をもっていることも、合わせて指摘している。
生産過程をその特殊な諸局面に分割することが、この場合には、一つの手工業的活動をそのさまざまな部分作業に分解することとまったく一致する。その作業は……依然として手工業的であり、それゆえ、個々の労働者が自分の用具を使用するさいの力、熟練、敏速さ、確実さに依存する。……この狭い技術的基盤は、生産過程の真に科学的な分割を排除する。というのは、生産物が通過するそれぞれの部分過程は、手工業的部分労働として生産過程の基盤であるからこそ、各労働者はもっぱら一つの部分機能に適応させられ、彼の労働力はこの部分機能の終生にわたる器官に転化される。[358-9]
したがって、この節のさいごでマルクスが強調しているように、マニュファクチュアにおける分業の発展という積極面は、協業という労働形態の一般的本質から発生するものであって、マニュファクチュアという歴史的特殊的分業形態はむしろ、それに応じた限界をもつのである。
この分業は協業の特殊な種類であって、その利点の多くは協業の一般的本質から発生するのであり、協業のこの特殊な形態から発生するのではない。[359]
だから必然的に、分業のより高度な発展のためには、いずれマニュファクチュアという協業形態は、より高度に発展した協業形態に発展し、並存しつつ駆逐されてゆかなければならなくなる。
ここで例にあげられている「客馬車」。『資本論』が書かれた時代がだいたいどういう時代であったか、あらためて想う(『資本論』第1巻の初版が刊行されたのは1867年)。乗用機械は現代においては、当時からだいぶん様相を違えているが、考えてみればフォード社がガソリンによるエンジン稼動の乗用車を大量生産するのにベルトコンベアーによる生産ラインを採用したのが1908年。現代の「モータリゼーション」のような、車椅子や歩く人間がおきざりにされたいびつな交通システムが永遠につづかないことの逆の証明のように思える。
このあとの章で展開されてゆくはずの「機械による大工業の段階」も、まだこの時代には、先んじて技術革新をとげているのは紡績産業であり、他の産業部門における技術革新と生産過程の変革は、動力が蒸気から電気へと変化してゆくのにともなって、また自然科学の進展にともなって、『資本論』が書かれた時代よりはるかに多様な発展をとげている。