1999.10.23

参考文献*小説編*

 

参考文献というと、やっぱりまっとーな学究書でないと、でも小説にもおもしろいものはあるし……というわけで、参考文献小説編です。

そういう小説がミステリに限られるなら歴史ミステリが好き!のページを拡充すれば済みますが、普通小説はそうはいかないし、というのがこのページを作るきっかけです。というのも、豊田有恒『大友の皇子東下り(おおとものみこあずまくだり)』を読んだので、思わず書きたくなったのです。^^;

■読んでおもしろかった古代史もの(作家別)

永井路子
『茜さす』(上下) 
『氷輪』(上下)
『この世をば』(上下)
『望みしは何ぞ』
豊田有恒
『大友の皇子東下り』 
『持統四年の諜者』
『崇峻天皇暗殺事件』
『海神(わたつみ)の裔』
『異聞・ミッドウェー海戦』
長尾誠夫
『黄泉国の皇子』(歴史ミステリのページにリンク)
『異説 壬申の乱』


『茜さす』 永井路子/新潮文庫(上下巻)

この作品で「古代史っておもしろい!」というのをつくづく思った、わたしには無視できない一冊。この本がなかったら、古代史にはまっているわたしはなかったかも。

主人公・なつみは、女子大を卒業し、出版の編集プロダクションに何とか就職するものの、詐欺紛いの憂き目にあって失業。そんななか、女子大のゼミで少し勉強した古代史、とりわけ持統天皇(讃良皇女)の生き方に惹かれていく。ついには飛鳥に住むことにして……。と、若い女性の生き方模索と持統天皇の生き様をからめた展開になっています。恋愛・結婚観も大きな要素です。

なつみの持統天皇像は、とても力強い。父・天智天皇に反発し、憎み、天武天皇を愛し、助け、妻として母として天皇としてたくましく生きた古代の女性、というイメージ。ちなみに、里中満智子のマンガ『天上の虹』の持統天皇もほぼ同じ人物像で、この作品のイメージから書かれたのではないかと思います。

いずれどこかにじっくり書きたいけれど、わたしはむしろ、持統天皇はずっと天智天皇を想い、天武天皇のほうを憎んでいたと思っています。もっとも、この<憎む>は愛情の裏返しの<憎し>ですが。

この作品でいちばんわくわくしたのは、なつみが古代史にのめり込んでいく姿。『日本書紀』や『懐風藻』を手元に置き、吉野・飛鳥など一帯の地図を買い込み張り合わせ、壬申の乱の道を辿る……。その情熱はそのままじぶんに当てはまるので、妙に感情移入してしまいました。わたしもいつか、壬申の乱の道を辿ってみたいなぁ、とか。地図やその土地にあたるという発想は勉強になりました。


『氷輪』(上下) 永井路子/中公文庫

8世紀後半の日本が舞台。鑑真がやっとの思いで中国から日本へ着いた頃。日本は淳仁天皇の治世だが、光明皇太后と結んだ藤原仲麻呂が政治を思いのままにしていた。やがて仲麻呂は孝謙上皇(聖武天皇と光明皇太后のむすめで、淳仁の前の天皇)が信任する僧・道鏡と対立、挙兵するが戦死する。

仲麻呂亡き後、天皇位の継承争いは混迷する。聖武天皇の直系は孝謙上皇しかおらず、上皇は結婚していないのだ。孝謙上皇が重祚して称徳天皇となると道鏡が一番の実力者になるが、称徳没後、追放される。そしてそのあと天皇に即位したのは、天智天皇の孫にあたる光仁天皇だった――

古代史といっても、中大兄周辺ばかりを読んでいるので、この時代は新鮮でした。何も知らなかったじぶんに気づきました^^;

天武天皇以後、天武系といえる皇統で天皇位が継承されていきましたが、光仁天皇以降は天智系で、現代まで続きます(ちなみに光仁の子が桓武天皇)。そう、じつは天智天皇っていまの皇統の祖なんですよぉ。とってもエラいのです

この小説を読むと光仁天皇が即位するにいたるまでの政治のどろどろが見えてきますが、いやぁ、天智の孫だからって即位できるような時代ではないのですね。孫といっても志貴皇子の子なので、それまでとくに重要視されていたわけでもない。それでも天智系に皇統が写っていくのは、運命の皮肉を感じます。つまり――天武天皇が「革命」として壬申の乱で皇位を奪ったことに対しての。


『この世をば』(上下) 永井路子/新潮文庫

タイトルから察せられるでしょうが、藤原道長物語です。道長が栄華の頂点にあったときに詠んだ歌、
この世をば我が世とぞ思ふ 望月の欠けたることのなきを思えば

から来ています。つまり月の満ち欠けの他は全部思い通り〜って歌ですね。

そういう歌を思わず詠んでしまうような、無邪気さを残した人物として道長が描かれています。じっさい四男坊で、若いころは家督相続を考えていなかった人物なので、そういう天真爛漫さを残していたかもしれません。

道長と奥さんとの関係とか、ホームドラマ的要素もある、出世物語です。


『望みしは何ぞ』 永井路子/中公文庫

上の『この世をば』と『王朝序曲』と(順序は逆かな)で平安三部作になる一冊。主人公は、道長の子・藤原能信。彼は道長の子とはいえ、母の立場が強くなく、かつ三男のため出世もなかなかかなわない、という人物。じっさい、彼の官職は権大納言で終わってしまいます。

一般的にはメジャーとはいえないこの人物を、作者が注目したきっかけは『大鏡』のなかで、さりげなく能信の有能さが書き込まれていたからだそう。能信に近い人物が『大鏡』成立にかかわっているのではないかと、調べ始めたのがきっかけだそうです。(ちなみに『大鏡』は、道長一代を中心とした藤原全盛期を批判的に叙述した歴史物語=以上山川出版社『日本史B用語集』)

彼は、道長流の天皇外戚として権勢をふるう方法はとれませんでした。むすめがなかったのです。じぶんがついた中宮(天皇妃)に皇子もできませんでした。摂関政治のなかで敗者であるはずの能信。しかし……

興味を持たれた方はぜひ読んでください。


『大友の皇子東下り』 豊田有恒/講談社文庫

豊田有恒は、SF作家です。で、本業はSFですが古代史に強い関心をもち、かなり前(1971年)から作品を発表されていました。70年代後半の作品に、『倭王の末裔』『倭の女王・卑弥呼』『持統四年の諜者』などがあります。『持統四年…』は、わたしも読んだことがあります。

さて、『大友の皇子東下り』。これは1990年の作品で94年に文庫化されました。

大友皇子はもちろん、天智天皇(中大兄皇子)の子。671年に天智天皇没後、大友皇子が天皇と目されたのですが、吉野に隠居していた天智天皇の弟・大海人皇子が672年6月、挙兵します。それが日本史上最大級の内乱・壬申の乱です。

『日本書紀』では1ヶ月余の戦いを経て、大友皇子は自害して果てることになっているのですが、異説があります。千葉県に、大友皇子の墓という言い伝えのある土地があるのです。小櫃山(おびつやま・木更津の東、房総半島のまっただ中)にある白山神社付近で考古学的にも7世紀後半の出土品があります。

この作品はその伝承を踏まえ、『日本書紀』の記述の疑問の残る点や曖昧な点を鋭く突いて、大友皇子はじつは自殺しておらず、数人の腹心とともに、東国=房総へ向かったという物語を構築しています。

歴史推理としてではなく、そうであったという前提の小説ですが、作者は細かく丁寧に冷静に証拠を挙げ、読者を説得します。この検証の綿密さはすばらしいです。ちょっと説明文風になってしまっているのが小説としては多少マイナスですが、「なるほど」と刺激される部分もありました。ネタバレになりますから、ポイントはこちらで説明しておきます。

地図で木更津〜富津〜小櫃あたりを見てください。馬来田だの鎌足だの、気になる地名がちらほら……。ちなみに「小櫃」は大友皇子の遺骨を納めた櫃を指すそうです。気になりませんか?


『持統四年の諜者』

 


『崇峻天皇暗殺事件』 豊田有恒/講談社文庫

詳しくは「歴史ミステリが好き」ページも参照してください。

崇峻天皇は用明天皇なきあと、物部本宗家を蘇我馬子らが打ち破ったあと即位した天皇。馬子の傀儡というイメージは強く、天皇としての印象はない人物ですが、じつは日本史上唯一、暗殺されたことが明らかになっている天皇。下手人は馬子配下の東漢直駒(ひがしのあやのあたいこま)。

と、ここまでは『日本書紀』に書いてあります。その暗殺事件から始まる一連の事件の真相を、廐戸皇子(聖徳太子)を探偵役に追っていく……という、歴史ミステリです。

歴史ミステリなのでねたばれを避けますが、背後で糸を引いていた人物は意外な人物です。大物。

さて、本書の特長は廐戸皇子がふつうの少年(18歳)に書かれているところ。だから、最後の最後は従来の廐戸皇子像から言えばかなり意外な展開なのではないでしょうか。


『海神の裔』 豊田有恒/集英社文庫

短編集です。「海神(わたつみ)の裔(すえ)」「熊野伝説」「邪馬台国最後の日」「近江京脱出」「倭王の伝説」「SF織田信長」「メトセラの裔(すえ)」「入鹿暗殺」「大友の皇子、都落ち」

「海神」「熊野」は日本神話(日本書紀の神代などにのっている)をベースにしたもの。「邪馬台国」は邪馬台国の比定地とその後についてのある考察、「信長」はタイトルどおりです。「メトセラ」は浦島太郎伝説をベースにしたSF。

「近江京」「入鹿」「大友の皇子」が、中大兄関連です。歴史の時系列では、「入鹿」「近江京」「大友」。「入鹿」は乙巳の変、大化改新の端緒となった入鹿暗殺を書いたもの。入鹿をリベラルな人物として高く評価しているのが特長。反動で中大兄が猜疑心の強い右翼って感じですが……。「近江京」は、壬申の乱前夜、大海人皇子の吉野行きがテーマ。大海人は臆病な人物だったという解釈です。

最後の「大友の皇子」は、テーマは『大友の皇子、東下り』と同じです。作品の雰囲気やルートは違います。また大海人皇子も中大兄皇子の実弟ではない、謎の人物とされています。

ほとんど古代史をネタに、バラエティーに富んだラインアップで作者の豊かな発想を感じます。さらっと書きすぎているようには思いますが。「海神」と「メトセラ」が好みでした。


『異聞・ミッドウエー海戦』 豊田有恒/角川文庫

短編集です。副題はタイムパトロール極秘ファイル。未来の人間が過去にいき、過去を変えようとしたのを取り締まるタイムパトロールたちのレポートというかたちで、いろんな時代の事件が語られています。「白村江異聞」「壬申乱異聞」「信長公異聞」「清正公異聞」「尾張名古屋異聞」「ミッドウェー異聞」

「白村江異聞」は百済王・夫余豊の側近による書という設定で、敗戦後のふたりは……が語られています。「壬申乱異聞」は乱そのものではなく、そのそもそもの発端、天智天皇の死について。『扶桑略記』の、山科に沓だけがのこっていた……というのをベースにしてます。「信長公異聞」は本能寺の変秘話といった感じ。「清正公異聞」は対馬の目から見た、秀吉の朝鮮出兵で、加藤清正に批判的(というかこきおろしている)のがおもしろい。「尾張名古屋異聞」は、倹約倹約の将軍・徳川吉宗の時代に尾張・徳川宗春が贅沢を推奨・尾張を豊かにした史実に基づき、そのブレーンは現代人だった……とするもの。「ミッドウェー異聞」は、演習中の自衛隊護衛艦が、ミッドウェー海戦のまっただ中にタイムスリップした、というもの。小さな護衛艦とはいえ、40年後の最新装備を備えているだけに米軍を一網打尽――でもそうしたら、世界大戦はどうなるの?!という話。

いずれも作者の調査力・発想力を物語る作品です。最後の「ミッドウェー異聞」がいちばんおもしろかったです。


『異説 壬申の乱』 長尾誠夫/新人物往来社

短編集です。基本的に、雑誌・歴史読本および別冊歴史読本に発表された作品を収めたもので、発表年は87年から93年、この本じたいは94年12月の刊行です。

「葬列の海原―異説・磐井の乱」「夢犯鬼」「異説・壬申の乱」「蝦夷大乱」「道真怨讐」「異説「羅生門」」の6作、時代からいえば六世紀前半の磐井の乱から十世紀頃の羅生門まで、古代史といえる範囲を幅広くカバーしています。デビューがサントリーミステリー大賞の作家だけあって、「蝦夷大乱」は密室まで登場するミステリと言ってよく、「夢犯鬼」「異説「羅生門」」も広義のミステリ作品でしょう。いずれにしても6作品、すべて発想にすぐれて文章的にも工夫があって高水準。うれしい短編集でした。

「葬列の海原―異説・磐井の乱」は、『日本書紀』にも登場する、筑紫の大豪族・磐井の叛乱を描いたもの。磐井と朝廷から派遣された物部麁鹿火(もののべのあらかい)の戦いを描いたもの。麁鹿火おそるべし。

「夢犯鬼」は、有間皇子の反逆事件をテーマにしたもの。一般的にこの事件は、斉明朝で中大兄皇子が力を発揮していく中、ライバルである有間皇子追い落としのために蘇我赤兄をつかって反逆の罪を犯させたと解釈されています。この短編を事件概要を変えずに、人物関係を全面から見直し、新解釈をしたもの。わたしも興味ある事件だけに、読後の感想は「おおーーっ」に尽きました。ポイントは、建皇子を生んですぐ死んだと考えられがちな遠智娘が事件当時も生きていたと解釈していることかな。これ以上は言えませんけど。読んでね。

「異説・壬申の乱」は文字どおり壬申の乱を、より厳密には瀬田での最後の決戦前夜の大友皇子を描いたもの。これがまた斬新な解釈で、しかもある種説得力があるんですよね。丹念な資料検討の賜物だと思います。天智・天武天皇異父兄弟説とかがからみます。けど、これもこれ以上説明しません。読みましょう。

「蝦夷大乱」は、坂上田村麻呂の蝦夷(えみし)討伐を描いたもの。だけど、蝦夷のほうから観たものなんですね。『日本書紀』で読むと、野蛮な蝦夷を朝廷が服従させてめでたしめでたし、て感じですが、じっさいのところ、じぶんたちの国を営んできた蝦夷の立場からいえば、勝手に賊とされて攻め込まれてるわけで。重要な視点だと思います。それだけでなく、密室殺人あり、最後まで飽きさせない駆け引き、と上質な作品です。すばらしい。

「道真怨讐」は、菅原道真(学問の神様ですね)がらみの話。道真は政争に負け、大宰府に流されてそこで非業の死を遂げた人物で、これは道真を罠にかけた藤原時平サイドをクローズアップした作品。時平サイドから、というのが目新しく感じましたし、ただ道真の怨霊におびえているのではない時平にも興味をもちました。

「異説「羅生門」」は、おそらく芥川竜之介の『羅生門』をもとにした作品。おそらくというのは芥川のをわたしが読んでないから断言できないのです(恥)。証言を重ねていって最後に真相がわかるのが、ミステリ的な作品。周辺の証言から核心へと迫っていくあたり、オーソドックスですが洗練された展開です。小説としてもよくできていて、人間の悲哀も感じてしまいます。今度芥川のも読もうっと。

 


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