「2007年の暑い夏」創作ノート1

2007年6月

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06/01
「日蓮」がほぼ終わったので「創作ノート」のタイトルを変える。といっても当分、長篇小説に取り組むことはないので、この夏を乗り切るためのノートとする。いまかかえている仕事は、堺屋太一伝、熟年夫婦の掟、童話、西行、小説論、全共闘論などだが、この「夏」の課題は最初の三つくらいだろう。西行は小説にするつもりなので、そこまで行けば新たな創作ノートにする。9月くらいまでに本3冊書ければと思っている。本日はウィークデーだが公用はない。ただまだ「日蓮」のゲラが完了していないので、しばらくは「日蓮」のノートの続きということになる。
さてその「日蓮」のゲラだが、本日、終章まで読み終えた。後半は流れがよく盛り上がっていく。エンディングもいい。序章もいい。問題は1章から4章くらいまでが、動きがよくない。とくに法華経の説明がダルイ。大幅にカットすると同時に、必要ならセリフやイメージでポイントを押さえるための書き込みをしないといけない。ということで、1章をチェック。ゲラの用紙が真っ赤になるほど手を加えて、少しはよくなった。このペースでチェックを進めればあと3日ほどで完成する。

06/02
土曜日。梅ヶ丘まで散歩。まだ「日蓮」のゲラ。ゴールは近いがまだ手が届くところまでは来ていない。2章のチェック終わる。ゲラが真っ赤になった。それでよくなったと思う。ところで、わたしはクジ運とか、そういったものについてはあまり考えたことはない。芥川賞をもらった時はラッキーだと思ったし、大昔の大学入試(まったく受験勉強せずに早稲田だけ受けた)の時もラッキーだと思った(実力だとも思ったが)。何を言いたいのかというと、どうも出力が落ちていて買い換えようと思っていた電子レンジがリコールになって新品になった。ただし思い切りシンプルな機種だし音はやたらでかいのだが、こういうものはシンプルな方がいいと思っていたので、これはラッキーだったのではないかと思う。

06/03
日曜日。3章、4章のチェック。これで完了だ。5章以後はまったく問題がない。かなり削ったので流れがよくなったはず。必要なところは書き足したが、トータルとして少し短くなったのではないか。宅急便で送る。これでしばらくは手が離れる。かなり書き足しがあるので、うまく収まっているか、再校で確認しないといけない。

06/04
ウィークデーだが、今週は明日が理事会、明後日が対談、その次が同窓会と、まあ楽なスケジュール。午前中の会議がないので問題はない。ゲラも終わった。宅急便で送ったので少し不安だったが。ちゃんと届いたと担当者からメールがあった。ワープロを使うようになってから、生原稿を郵便で送るといったスリルはないが、ゲラだけは手書きなので、なくなると困る。とくに書き足した部分は二度と書けないものなのでなくなるとダメージが大きい。自分でもって行こうかとも考えたが、カバンを盗まれたりするリスクは同じなので、クロネコヤマトを信用することにした。ユニコードの漢字を使った原稿(「日蓮」なども仏教用語はユニコードを使用する)は念のために自宅のプリンターでプリントした原稿を送ることにしているが、この場合はユーパツクを使う。なくなってもいいと思っているから。それくらい郵便局は信用できない。話がユニコードになったのでついでに書いておくが、このノートはユニコードを使っていないので、たとえばアシュク如来を漢字で書くことができない。阿?如来と書いても文字化けしてしまう。これは保存する時にユニコードを選択すればいいのだが、そうすると古いパソコンで見る人は文書の全体が文字化けしてしまうらしい。さて、ゲラが終わったので堺屋太一伝に戻りたいのだが、連載2本を先にやってしまいたい。

06/05
文藝家協会理事会。何事もなし。と思っていたら次男が来た。「主事」になったとかで、本社で研修があるとのこと。明日からは本社近くのホテルに泊まり込むとのことで、まあ、1日早くきて実家の様子を見に来たのだろう。

06/06
本日の新聞に、中上健次の生原稿が出てきたという話が出ていた。『文藝』の編集長だった故金田太郎氏の遺品の中から発見されたという記事だが、実は、わたしの原稿も出てきたのだった。わたしは生きているので、すぐに河出書房から届けて貰っているのだが、まだ中身を開けていない。過去の自分に出会うのが怖い気もする。『文藝』に連載していた幻の長篇「帰郷」の生原稿は、続きを書く必要があるのですでに返してもらっていた。だから、雑誌に発表した原稿だけだろうと思うのだが、もしかしたらボツになったものもあるのではないか。いずれにしても、いまはゆっくりとじっくりと調べるヒマがない。そのうちその存在さえ忘れてしまうかもしれない。
本日は『諸君』で海老沢泰久さんと対談。大学で教えることについて。海老沢さんとは初対面であるが、気楽に話せた。同世代だから話は早い。ところで文春ビルの文藝家協会がいつも使わせてもらっている西館だったので、昨日もここに来たな、という感慨があった。夜は雑文。まだ堺屋太一伝に行けない。

06/07
高校の同窓会。15名集まる。今回は社長から会長に昇格(?)した者2名の激励会という名目。わが高校は名門なので東大、京大出身が多く、皆、偉い人になっている。早稲田の文学部の同窓会も毎年やっているが、こちらは弁護士が1名いるだけで、あとはフリーターに近い人々である。

06/08
本日は何事もない。渋谷まで散歩。ようやく堺屋伝を再スタート。ブランクがあったが、止まっていたところからすぐに筆が進んだ。20日すぎに「日蓮」の再校が出るので、それまでにスピードを上げたい。

06/09
土曜日。追手門学院の同窓会。小中と通った学校。総会と懇親会の間にコンサートがあったが、中1の同級生が歌手になっているのだった。全然知らなかった。

06/10
日曜日。すごい豪雨で目がさめた。ひたすら堺屋伝。

06/11
月曜日。今週はわりとヒマで公用なし。ひたすら堺屋伝。

06/12
本日も公用なし。世田谷代田まで散歩。どうでもいいことだが、わたしは人の顔を憶えるのが苦手だ。人の顔に興味がないせいかもしれない。それでグッドウィル・コムスンの会長と、ワタミの社長の区別がつかない。ワタミがコムスンを継承しても同じことだという気がするのだが。ところでこのノート、「暑い夏」というタイトルを思いつきでつけたのだが、気象庁がほんとに「暑い夏」になると予想を発表した。というか、もう暑い夏が始まっている。北海道では33度になったとのことだが、パキスタンでは52度だといっている。地球温暖化どころか、これでは火の玉だ。わたしが「定位置」と呼んでいる書斎の窓の側は、隣の二階建ての日陰にあり、緑の丘を吹き抜けた風が建物の裏側から流れ込んでくるので、とても涼しい。リビングルームにいるとエアコンをつけたくなるのだが、この定位置にいると快適である。ということで、本日も集中して仕事ができた。

06/13
妻がどこかへ出かけた。生協の荷物が届いているので対応するようにと言われていた。冷凍ボックスに入っているものを冷凍庫と冷蔵庫に入れる。これでもう本日の仕事は終わった気分になる。今日は妻がいないので久しぶりに松屋に行ったり、コンビニで夜食を買ったりする。あとはひたすら仕事。長男はわたしと妻に見せるだけのためのブログを書いている。それによると義父(嫁さんの父)とハイキングに出かけたとのこと。ピレネー山で世界遺産になっているようなところらしい。銀行のサービスみたいな観光ツアーだが、奥さんを亡くした義父は一人では行けないので息子を誘ったらしい。リタイアした人ばかりの日帰りツアーで、ウィークデーだからふつうのサラリーマンは参加できない。わが長男は週休4日(音楽院の教授)だから、ひまそうに見えて誘われたのだろう。よい親孝行をしている。このわたしにもそんな親孝行をしてくれるだろうか。そういえば、次男が結婚する直前に、わたしを後楽園ドームに誘ってくれた。久しぶりに次男と二人で野球を見た。清原がホームランを2本打った。清原が巨人にいた頃だからずいぶん前のことだが、よい親孝行であった。考えてみると自分は父に対してそんな親孝行はやったことがない。父はいい人であったが、何となくつきあいにくい人物であった。

06/14
ジャスラックで幹事会。今後の展開を協議。その後、メンデルスゾーン協会の編集会議。この協会では理事会、運営委員会、そして今回、編集委員会というのも作った。これらにすべてわたしが出ないといけないのはどういうわけだ。しかし古いつきあいの某誌の某氏に編集長を引き受けてもらった。これでこの作業も前向きに進んでいく。この会はいつも会議のあとで飲み会になる。飲み屋で会議をするから必然的にそうなるのだが、なかなか楽しい。

06/15
書協で図書館との協議。こちら側からの要求の説明。大したことではない。図書館では書籍の「一部」をコピーできるのだが、「一部」とは何かという問題。数字を見ていれば、一部とは「一割」くらいだろうと思うのだが、半分は「一部」かといった議論が長く続いた。コピー機によるコピーは、音楽のデジタル録音と違って、完全なコピーではないけれども、読めることに変わりはないので、コピーは一部にとどめてほしいという思いがある。同じように、雑誌については、「相当期間が経過した」ものについては作品の全部をコピーしていもいいことになっているのが、その「相当期間」とは何か。言葉って、かなりいいかげんなもので、そのいいかげんさが法律をダルいものにしている。どうでもいいが今日は暑かった。家の外に出た途端に額に汗。書協は神楽坂にある。大江戸線が最寄りだが、大江戸線に乗ってどうするんだといつも思う。坂を下りて有楽町線に乗ればいいのだが、何となく人けのない大江戸線に惹かれる。これに乗ると結局、新宿西口の雑踏をくぐりぬけることになる。いつもは下北沢で降りるのだが、ここにも雑踏がある。今日は思いついて世田谷代田まで乗った。ここはほとんど無人駅のようなところ。ここから人けのない坂道を下ると、北沢川緑道にでる。ここまで来ればいつもの散歩のコースで、急にリラックスした気分になる。いままでどうしてこういうことを思いつかなかったのかと思う。

06/16
土曜日「星の王子さま」の第4版届く。ラジオ放送とCDも制作中。コーラスの練習。全員集合。秋にコンサートをやる(賛助出演)ので練習に熱が入る。直後のビールがうまい。真夏のような暑さ。帰ると次男夫婦が来ている。次男は先週も来たのだが。

06/17
日曜日。父の日だが、誰も感謝してくれない。蛇崩方面に散歩。このところ蛇崩川にコッている。

06/18
今週もいくつか公用がある。本日は著作権情報センターの理事会。これはただ出席するだけでいい。初台まで妻の車で行ったので、運動不足。初台から電車に乗るといつも笹塚行きが来るので、笹塚から歩いてやろうと思っていたのだが、そういう時に限って八王子行きが来た。何となくもったいない気がしてそのまま明大前まで行く。ここで急行が来たら下北沢から歩くことになるが、各駅が来たので一つ前の新代田で降りた。先日、小田急の世田谷代田から家に帰ったことを思い出した。新代田から世田谷代田まではわずかな距離だ。しかし知らない道なので結局、下北沢の近くまで戻ってしまった。しかし雑踏を通らなくてすんだのでよかった。堺屋伝は順調に進んでいるのだが、作品社からのメールで、再校が明日くらいに届くらしい。それで本日はPHPの連載を片付ける。

06/19
教育NPOとの定期協議。本日は協議だけのはずだったのだが、終わったあと軽くビールを飲み始めたら、気がつくと深夜まで飲んでいた。いつも見ている夜中のテレビ(デスノートのアニメ)は頑張って見たのだが、そこで力尽きて、仕事はできず。まあ、明日がある。

06/20
三重県にいる兄が状況してきたので、女優の姉と三人で母のところに行く。母と会うのは久しぶり。この前はまだ腹痛で入院していた時だった。まったく元気になっていたので安心した。兄も元気であった。九歳年上の兄が元気なのは安心する。髪がふさふさしているのは勇気づけられる。

06/21
さて、体調も、精神力も調ったので、「日蓮」の再校に取り組む。序章終わる。ここはいい。直すところはまったくない。若き日蓮と老いた親鸞の対決が的確に描かれている。ここはプロローグなので、理屈っぽい議論は避けている。二人の対話を通して、日蓮がどういう状況で弘法を始めようとしているかということが、さりげなく示されている。いちおう議論としての深みは設定しているつもりだが、埴谷さんの「死霊」の最終章のようなものすごい対話ではない。

06/22
妻と下北沢の銀行に行く。銀行のことは何もわからない。言われるままに列に並んで、作業は終わった。その他、別の銀行と区役所の出張所にも行った。年金関係の手続きらしいが、わたしの年金は以前に確認してあるので問題はない。国民年金を来年の3月ぶんまで払い込むと、妻はそれでおしまいらしい。わたしは6月生まれなので、来年、4月と5月ぶんを納めればおしまいとのこと。やれやれ。老人になったものだ。

06/23
土曜日。校正2章まで。

06/24
日曜日。前夜からほとんど徹夜で新幹線に乗り、大阪中津で講演。関大全共闘の同窓会。20年くらい前に早稲田でも同様の催しをやった。当時は40歳くらいでまだ血気盛んの人がいた。今回は全員、60歳くらいで、穏やかで和やかな会であった。とても懐かしく、少し哀しいようなムードであった。哀しいのは元全共闘だからではなく、みな老人だということだが、少し酒が入ると全員、元気になった。わたしも元気になった気がしたが、帰りの新幹線に乗り込むと疲れが出た。本日は仕事はできず。

06/25
月曜日。日曜に仕事をするとウィークデーの初日がこたえる。本日は文化庁、文部科学省、外務省を回って、CISAC(著作権協会国際連合)の総会決議について報告した。その決議というのは、第二次大戦の敗戦によって日本国だけに負わされている「戦時加算」という罰則を、戦勝国の著作権団体は今後は要求しない(その時期については日本の保護期間が欧米並になる時期を参考に各国で判断する)というもので、当該戦勝国だけでなく発展途上国も含めた満場一致で採択された。この戦時加算の問題は、わたしたちが要望している保護期間の延長のための大きな障壁となっていたので、このCISACの決議は大きな前進だと言える。自宅に帰って仕事。3章完了。

06/26
文化庁の「過去の著作物等の保護と利用に関する小委員会」。前2回は主に反対派の人々の意見を聞いていたので、今回は賛成意見を言う機会だと思っていたのだが、前2回のまとめに時間を費やした。それでもう各論に入ろうとするムードだったので、委員の意見を闘わせて議論を深めるべきだと提案して、残りの時間は緊迫した論争となった。委員会は各論を並記するだけでは面白くない。結局は各論並記になるのだとしても、現場ではシンポジウムなみの論争をした方が面白い。ということで、本日は楽しい委員会になった。内容が文化庁のホームページに出ると、ネット書き込みでわたしの悪口がいっぱい出るのだが、ネットユーザーの多くはPD原理主義(著作権なんてない方がいいというコピーレフト推進派)とでもいうべき人なので、つきあってはいられない。二十世紀後半の世界的な文豪の中で、谷崎や川端や安部公房の作品だけが50年しか保護されないというのは、わたしたち現役の作家の努力不足であると痛感している。文豪を出している国や音楽が盛んな国はことごとく70年になっている(例外は中国)。お隣の韓国がすでに70年に延長することを決めているので、文化や芸術作品の輸出入が盛んな国の中で、日本だけが取り残されている。これでは文化的後進国と言われても仕方がない。自宅に帰って雑文一つ。これで今月の義務は果たした。あとは「日蓮」に集中できる。

06/27
著作権情報センターの総会。今日は笹塚行きの電車が来たので笹塚で降りた。このあたりの道路は難解である。東西南北に対して道がすべて傾いている。井の頭にどおりとも必ず斜めに交差している。その先に茶沢通りというのがあった。何じゃ、これは。東北沢の来たから下北沢に向かう細い道だ。茶沢通りを三軒茶屋から下北沢に向かうと、小田急の踏切で道が急に細くなり車など通れない商店街になってしまう。たいていの車はそこで右折して細い路地を進むことになるのが、それを茶沢通りと称しているらしい。しかしこの道幅ならわが自宅の前と変わらないぞ。などという発見がある。ここを横断すると東北沢の駅に着いた。ここからは知っている道だ。結局、笹塚から自宅まで35分。意外と近い。「日蓮」の担当者とメールで打ち合わせて、締切を来週の木曜日とした。少し余裕ができた。

06/28
本日は公用がない。電話取材の約束を一件果たしたあと、妻とお台場で映画を見る。何を見たかはここには書かない。ラストシーンがお台場という映画だ。出かけるまえに6章完了。全体の4分の3くらいのところか。ここまでずっとすらすら読める。ひっかかるところは削っていく。初校を見た時は4章までの流れがわるく絶望的な気分だったが、かなり削ったのでよくなった。今回、再校で見ても引っかかるところはほとんどなかった。日蓮が30歳くらいのところから晩年までを描いているのだが、その時間の流れの重みが充分に伝わってくる。政治の面白さも楽しめる。日蓮はつねに反体制で、だから全共闘運動みたいなものかというと、もっと深く政治権力と関わっているので、スリルがある。読んでいても、自分がこれを書いたということを忘れて楽しめる。

06/29
本日も公用なし。散歩に出ようと思ったら雨が降ってきたので本日は散歩も休み。「日蓮」の再校、夕方に完了。書いている時に充実感を覚えた作品だが、初校でかなり修正する必要があった。しかし結果的に思っていたとおりの作品になった。自分にとって大切な作品だ。もちろん日蓮を愛し敬う人々にとっても大切な作品になっているはずだ。

06/30
土曜日。大森で残間里江子さんと公開対談。大森まで妻に車で送ってもらう。会場に着くとものすごい列ができている。先着二百名ということで列ができたみたいでこれは残間さんの人気だろう。残間さんに初めてお目にかかったのは山口百恵さんの著書が百万部突破した記念の宴会で、なぜわたしが招かれたのか記憶が定かではないが、ゲラを読んだ記憶があるから、広告か何かに使っていただいたのだろう。その頃は互いに三十歳前後であったろうと思うので、ずいぶん昔であるが、残間さんは外見、人柄ともに、その頃とまったく変わっていない。本日は公開の対談。一人でやる講演は、時間を気にして、終わり方を考えながら話すことになるが、本日は残間さんが話の展開を考えて質問してくださってので、楽であったが、突然、思いがけない方向に話を振られることもあったので、やや緊張した。本日は催しは、ボランティアの方々が中心になっているようで、活気があった。
大森というのは初めての場所なので、帰途、大森周辺を散歩。歩いていくと新代田行きのバスが来たので飛び乗る。環七を走るバスで、いつもの散歩のコースの宮前橋まで来たので降りる。ここは自宅の近くも通っている北沢川緑道が環七にぶつかる地点で、わが庭のようなものだ。都心を通らなかったので、少し長い散歩といった感じしかしないのだが、会場に講談社の担当者もいて、打ち合わせができた。昨日、「日蓮」の再校が完了したので、次の仕事に進む。堺屋伝は編集部が追加インタビューをしてくれるらしいのでしばし中断。で、「熟年バイブル夫婦の掟(仮題)」というのを始める。これは昔講談社から出した「夫婦の掟」のリバイバル。当時はわたしは中年だったので、これを熟年版に焼き直すだけの作業だが、文体を根本から改める必要があるので、けっこう手間のかかる作業になる。

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