「2007年の暑い夏」創作ノート2

2007年7月

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07/01
日曜日。渋谷に散歩。本日は涼しくて快適。さてこのページは「創作ノート」なので時事的なことはあまり書きたくないのだが、防衛大臣が「長崎の原爆投下は戦争を終結するために仕方がなかった」といった発言をしたことに、一言だけ書いておきたい。これは意見というよれも事実の指摘である。
広島の原爆投下によって、戦争は終結の方向に向かっていた。広島と比べてはるかに規模の小さい爆弾を長崎に投下する必要はまったくなかった。しかし米軍はこの爆弾を重要なものと考えていた。それはこれがプルトニウム爆弾だったからだ。広島に投下したウラン爆弾は、天然には0.7%しかないウラン235(同位元素)を20%にまで濃縮するのに大変な時間を必要とした。濃縮さえすれば、ボーリングのボール程度の球体を作るだけで爆発する。それでは困るので実際は、球体を分割した半球を作る。それだけで体積と形状によって臨界点を超えなくなるので爆発しない。爆発させたければ半球はピタッと合わせて球形にするだけでいい。
これに対して、プルトニウム爆弾は爆発させるのが難しい。プルトニウムの性質上、小さな体積でも小規模な爆発を起こすので、大爆発させるためには、小さなピースに分け、これを一気に圧縮する必要がある。丈夫な鉛の球の内側に爆薬を入れ、その中心にプルトニウムの小片を入れて、外側から圧縮するというメカニズムが必要である。これがうまくいくかどうかは実験してみなければわからない。ただし成功すれば、材料のプルトニウムそのものは、原子炉(重水を使用した原子力発電所/これが北朝鮮にあるので問題になっている)を一つ作れば、使用済み燃料として大量のプルトニウムが生成される。米軍は第二次大戦以後の世界を制覇するために、ぜひともプルトニウム爆弾の実験をする必要があった。
長崎に落とされた爆弾は、プルトニウム爆弾のメカニズムの正否と威力を確認するための実験であり、死者が被爆者は人体実験の犠牲者である。こういう認識が防衛大臣にまったく欠けているということは、単なる無知ではすまされない。まあ、こんなページで指摘してもどうしようもないことだが、原子力の専門家ではなく、わたしのようなただの小説家でも知っていることを、防衛大臣がまったく知らない様子なので困ったことだと思っている。
余計なことを書いてしまった。7月になった。「日蓮」はついに再校も終わった。再校をチェックしながら、踊り念仏の一遍はまだ出てきてないよね、とか、富士山は噴火していたのか、とかあわてて百科事典やネットで調べたりしたが、問題なかった。一遍の時宗の流行は日蓮が死んだ後、富士山はまったく噴火していない。空海は噴火を目撃しているのでいいシーンが書けたのだが、日蓮は運がわるかった。三田誠広が生きている間に、一度くらい噴火してくれないかと思う。本日から本格的に「熟年夫婦」に挑む。しかし「熟年」って何だろう。わたしは作家としては熟年にさしかかっているという気がするが、夫婦が熟すというのは、熟し柿みたいに、いまにもポタッと落ちそうだということではないか。そういうスリリングな本にしたい。

07/02
月曜日だが公用なし。三軒茶屋まで散歩。「夫婦の掟」の出だしの部分について試行錯誤を重ねている。出だしですべてが決まるというくらいに、この本の出だしは重要だ。ここさえ突破すれば、中身は8年前の本の材料と、ふだん講演でしゃべっていることをつなぎあわせていけばいい。ただし文体に切れ味が必要だ。その意味でも出だしの数ページの文章は重要である。

07/03
文藝家協会理事会。必要なことを報告する。いつもながら長い報告になる。本日はえらい人数が少なかった。

07/04
自宅で教育新聞のインタビュー。佼成出版から出る子供向け哲学書シリーズの宣伝。これは一年以上前に原稿を書いたので、どんなことを書いたかも忘れていた。数人で一冊を書き、それが何冊かまとまったシリーズなので、全員の原稿が揃うまでに時間がかかったようだ。わたしは必ず締切を守るので、タイムラグが生じて、書いたことも忘れていた。とにかく本が実際に出るようでめでたい。
メンデルスゾーン協会運営委員会。何だかわからないうちに理事長になったこの組 織も、動き始めているので、とりあえず演奏会を開くことになる。隣の部屋でやっていた厚生省関係の会議と合流して、遅くまで飲むことになった。何だこれは、と思うけれども、まあ、楽しかった。

07/05
作品社の担当者と大久保のくろがねで飲む。くろがねは「早稲田文学」御用達の店。新人賞のパーティーの二次会として必ず行く店であったが、早稲田文学がフリーペーパーになってからは行く機会がなかった。いつも高田馬場から西武線の新宿駅へ行って職安通り経由で店に行っていたのだが、今日は大久保から行ったので道に迷った。作品社の高木有さんは『文芸』の頃からのつきあい。再校を渡してこれで手が離れたと思ったのだが、念校でもう一回手を入れることにした。次の作品についても話し合った。来年の仕事になる。

07/06
今週は昨日で終わり。週末の仕事もない。渋谷まで散歩。本日は気温30度くらいか。さすがに疲れた。

07/07
今日は少し涼しい。土曜日。何事もなし。

07/08
日曜日。昨日も今日も三軒茶屋へ散歩。そろそろ雑文を書きためないといけない。

07/09
文化庁小委員会。本日は午後なので早起きしないですんだ。久しぶりの三田会議所。わたしは三田という苗字なので、このあたりに出向くと意識する。三田という看板が目につく。また、慶応大学の方ではないのでそれほどでもないが。会議所のあるところはむしろ麻布十番に近い。行きは妻に車で送ってもらった。帰りは麻布十番から地下鉄に乗る。都営地下鉄に乗ると速いのだが、料金をケチッて永田町乗り換えで帰る。これだと営団(いまは東京メトロとかいうらしい)だけなので料金が少し安い。しかも急行だったので渋谷で降りた。三軒茶屋まで乗ると150円もする。一台待って普通電車で池尻大橋で降りれば120円。しかし渋谷で降りて歩いて帰れば0円である。行きは車だったから、運動不足の解消にもなる。小委員会はわたしの見るところ好い方向に進んでいる。

07/10
本日は小雨。それでも散歩には出る。火曜は妻がスペイン語講座に行くので夕食が遅くなる。雑文を書く。

07/11
NPO日本文藝著作権情報センターの理事会兼総会。わたしが理事長をしているNPOである。児童文学二団体との交流会のようなもので無事終了。その後、スタッフを慰労。

07/12
今週は土曜に講演があるだけで今日と明日は休み。雨が降っていたので散歩にもです。ひたすら仕事といいたいところだが、集中力がなくぶらぶらしていた。

07/13
金曜日。何事もなし。渋谷まで散歩。「日蓮」の三校、届いたようだ。三校までもらうことはめったにないが、気にかかることがあるので見ることにした。三箇所くらいに手を入れたい。一行か二行で済むようなことだが。これに備えて雑文を仕上げる予定だったが、集中力がなくまだ仕上がっていない。これで元気が出るだろう。週一の連載を2本かかえている。一月ぶん4本を一度に書くことにしているが、すると8本書かないといけない。明日は八戸で講演。ゲラはまだ気持ちが充実していないのでもっていかない。来年書く仕事の資料の文庫本一冊くらいもって新幹線に乗る。たぶんビールを飲んでぼんやりしているうちに3時間はすぐに経ってしまうだろう。

07/14
八戸で講演。八戸は遠いと思っていたが、新幹線で3時間だから大阪と変わらない。しかし終点なので、地の果てに来たという感じはする。このところ老人問題を話すことが多いのだが、本日は教育問題。聴衆の年齢層の幅が広いので反応がよかった。しかし往復6時間の列車の旅は、帰宅すると疲れが出た。

07/15
国立能楽堂。桜間右陣さんの公演。思いがけず岳真也氏と会う。世間は狭い。雑文ほぼ完了。明日からは「日蓮」の三校に取り組む。

07/16
月曜だが休日。小説家は休日でも仕事をする。著作権関係の仕事が多いので、週日は会議が多い。休日の方が自分の仕事に集中できる。「日蓮」のゲラ(三校)。3カ所をチェックする。弟子が怪我をするところ、弟子が殉教するところ、それと佐渡に流された時と、日蓮は三度涙をこぼす。ここまで強い日蓮を描こうとしていたので、このシーンはさらっと流していた。しかし人間味を出す必要があると認識したので、具体的なシーンとしてセレフを加えた。これが格段によくなったと思う。サッカー、ベトナムに勝つ。次はオーストラリアだ。

07/17
昨夜、下書きしたところをゲラに記入。ただちに編集部に発送する。これで完全に手が離れたと思う。

07/18
日本メンデルスゾーン協会コンサート。目黒区のパーシモンホール。弦楽四重奏。まさに室内楽向きのいいホールだ。しかも三宿からバスで20分。今回から理事長になったので挨拶する。少し長すぎて出演者を待たせたかもしれない。終わってから施設内のレストランで打ち上げ。こういう公立の施設でレストランが11時まで営業しているところは珍しい。目黒区の見識を評価する。カルテットリーダーの桐山建志さんと向かい合わせに座ったのでいろいろと話ができた。そこで解散かと思ったら元締のHさんが、どうしても行かねばならぬ店があるというので、都立大学前駅の駅前にある居酒屋へ。帰りは深夜になったが、祐天寺から三宿まで気持ちよく歩いた。

07/19
何事もなし。今週は昨日のコンサートが山だったので、ほっとしている。次男の嫁さんが来て万歩計をくれたので、渋谷まで往復したのだが、9000歩しか行っていない。1万歩を超すためには青山学院のあたりまで行かないといけないのか。

07/20
次男の嫁は電器製品について詳しい。妻がパソコンを買うので相談したら、四日市から出てきて、池袋のヤマダ電器で格安のを買ってきた。こちらはひたすら仕事。「熟年夫婦」、ようやく出だしの文体が決まった。

07/21
コーラス。いつも終わってから行く店に入ると貸し切り状態。学生がいなくなったせいだろう。一つだけ残っていた連載の仕事を書き始めたが完成せず。

07/22
日曜日。何事もなし。来週はまたハードな日々になる。月曜と金曜に午前中の会議がある。体調を崩さずにここを乗り切りたい。

07/23
ハードな一週間が始まる。午前中の会議。著作権に関するもので、とくに議論というわけではなく、こちらの見解を述べてご理解をいただいた。前夜は全英オープンに、女子ゴルフに、F1にヤンキースとスポーツ中継があったので、ほとんど寝ていない。すごい湿度。久々にクーラーを入れる。

07/24
東洋大学で情報通信政策フォーラム主催の講演会。著作権フリー原理主義の人々との論争みたいになったが、この種の人々との対応も何度か経験しているので、想定内。講演1時間、質疑1時間という予定だったのが、質疑が長びき、結局、全体で3時間になったので、さすがに少し疲れた。さて、雑用がすべて終わったので、「夫婦の掟」に集中する。すでに書いた部分を最初から読み返したが、まだ文体が甘い。200枚ほどのコンパクトな本なので文体を引き締めないと中身のないものになってしまう。

07/25
中村くんと飲む。中村くんは「天気の好い日は小説を書こう」の編集者。いま直接の仕事はしていないが、時々三宿で飲む。彼は柏崎の出身なので、地震のことなどを話す。実家は丘の上にあって無事だったとのこと。三宿には新しい店が次々にオープンする。たいてい中村くんといっしょに探索する。本日は初めての店だったが、なかなかよい店であった。フレンチなのに生ビールがあるところがいい。野菜の鉄ポット煮の味加減が絶妙。

07/26
何事もなし。渋谷まで散歩。あまりの暑さに、マークシティーから井の頭線の駅に降りてしまった。冷房の効いた電車で池ノ上まで行く。まあ、こういう散歩があってもいいだろう。

07/27
文化庁小委員会。本日は激しい議論もなく、情報を交換してよりよきシステムを構築しようとする、前向きの話し合いができた。会議はこうでなければいけない。ものすごく暑い。午前中の会議はいつも妻に送ってもらうのだが、三田会議所から自宅に帰るまでが午後の一番暑い時間帯だった。「夫婦の掟」プロローグが完了し、第一章に突入。文体が固まったので、あとはペースを上げたい。

07/28
土曜日。妻と期日前投票に行く。今日も暑い。ひたすら仕事。次男と嫁さんは、わが母のいる立川に行ってくれた。母のいる施設の屋上は、立川の花火大会を見る絶好のスポットなのだ。例年はこの日に集まって、母の誕生祝いを兼ねて、いっしょに食事をするのだが、高齢の母はいまは病室にいるので、わたしと姉は来週行くことにしている。花火の日は多くの家族が来て屋上は大変なにぎわいになる。次男たちが行ってくれたので、母も楽しかったと思う。とはいえ、行った当初は、あんた誰?といった感じだったらしいが。姉やわたしのことはまだ認識できるが、孫まではすぐにはわからなかったようだ。しかし説明すればわかったとのこと。その次男たちが夜に到着。次男といっしょにサッカーの延長戦を見る。PK戦で負け。次男は(長男と違って)スポーツが好きなので、いっしょにテレビを見ることが多かった。ドーハの悲劇といわれている負け試合もいっしょに見た。その次男も三十歳を越えている。いまは四日市にいる。

07/29
日曜日。前日に投票は済ませた。次男夫婦を東京駅まで送っていく。夜は選挙速報を見る。NHKの決断が早い。開票率0パーセントでも当確がずらっと並ぶ。民法は慎重すぎて面白くない。自分が入れた候補は、二人とも入った。嬉しい。仕事もちゃんとやっている。いい本になりそうだ。

07/30
前夜はずっと選挙速報を見ていた。選挙区は早々と決まり、比例区があと数人といったところで、いつものことだが、何がどうなっているのかわからなくなる。わたしはドント方式が始まった直後から主張しているのだが、テレビ局は微妙なつばぜりあいをちゃんと報道してほしいと思う。ドント方式では、政党の得票数を、その党の名簿の順位で割った数が、比例区の候補者個人の得票数になる。だから、政党の得票数を1で割った数字、2で割った数字……、をずらりと並べれば、当落線上のポイントがわかる。例えば、民主党の18番目と、自民党の12番目と、公明党の8番目と、田中康夫が競っている、ということがわかれば、見ている方も熱が入る。べつに田中康夫を応援しているわけではないが、何が起こっているかはわかる。昔のように順位がズラッとついた名簿ではなく、衆議院は惜敗率、参議院は個人名の記載で順位がつくので、流動的だが、その流動する順位も逐次公表すれば、もっとスリリングになる。各テレビ局は次の選挙でこういう方式を考慮してほしいと思うのだが、夜中の選挙速報を熱心に見ているのはわたしくらいのものかもしれない。朝(といっても正午頃だが)起きると寒かった。雷と豪雨。キリッと涼しい。本日は散歩にも行かずひたすら仕事。

07/31
母のバースデー祝いのために立川へ行く。往復だけで1日仕事だ。


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