「日蓮」創作ノート8

2007年5月

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05/01
「日蓮」の担当編集者からメール。入稿するとのこと。これで次の段階へ進める。昔、文芸誌の編集部に原稿を持ち込んでいた頃は、何度も書き直しを命じられた。その頃の恐怖感がしみついているので、入稿というのは、お祝いをしたいような気分だ。本日は朝から雨。しかし昼にはやんだので1時間ほど散歩。昨日の松を切る作業が足腰にきていてひどく疲れた。
ところで月が変わって5月のページになったが、まだゲラが出たりするので「日蓮」の創作ノートというタイトルで行くことにする。8カ月目に入るわけだが、大作だから時間がかかる。並行してさまざまな仕事の準備を進めていきたい。

05/02
義父母到着。義父が高齢となったので最近は電車で来ることが多かったのだが、体調がよくないので車で来たとのこと。体調がよくない人が車は運転するのはまずいと思うのだが。
この仕事場には三つの仕事の準備ができるように資料をもってきた。一つは講談社α新書の「熟年夫婦の掟」。これは前に講談社から出した「夫婦の掟」を熟年版にするもの。従って資料は自著「夫婦の掟」のみ。同じ講談社の青い鳥文庫から去年「星の王子さま」の翻訳を出した。その時に、オリジナルの童話を書く約束をした。日本の神話を冒険物語に翻案したい。資料は『古事記』と『日本書紀』の一巻ずつ。もう一つの仕事は某有名作家の伝記。二回にわたってインタビューした速記録や、既存の資料などが袋に一杯。とりあえずこれを読むところから始めた。
三宿を出発する直前に、岳真也氏との対談で一冊本を出すという仕事のゲラが届いた。これが一番の緊急なので手を入れ、まえがきも書いた。引き続き、伝記を書き始めた。資料があるので、すらすら書けるようではあるが、資料がないところは何も書けない。これが「空海」や「日蓮」なら、いくらでも嘘が書けるのだが、ご本人が存命中であるから、フィクションというわけにはいかない。筆が進んだり止まったりする。

05/03
この仕事場を作って26年になるが、一度も浜松祭りに行ったことがない。中田島砂丘というところで凧揚げをやる。ゴールデンウィークの人出の記録で、毎年、必ずベスト3に入る。そんな混雑のところに行きたくないという思いがあった。しかし義母が、冥土のみやげに一度は見たいと言うので、おりよく遊びにきた大工さんを案内人に、砂丘の方に行ってみた。さすがに土地勘のある人の適切なアドバイスで、交通規制の網をかいくぐり、よい場所に駐車スペースを見つけた。それでも海まではかなりの距離があったが、義父母ともよく歩いた。凧揚げ会場を実際に見ることができた。なかなかのものであった。

05/04
某有名作家伝、順調に進行している。まだ全体の構想を立てていない。生い立ちから順番に書いていくだけだ。ここまで某有名作家としか書いていなかったが、名を書かないと創作ノートにならないので名を書くことにする。堺屋太一伝である。一介の通産省の新人役員が、大阪万博という途方もないイベントを実現するまでの過程が山場になる。まだ存命中の人物だから晩年は書けない。国務大臣になるのだが、そのあたりを山にすると凡庸な話になるので、「団塊の世代」の執筆くらいのところまでで終わりにしたい。とにかく生い立ちから順番に書いていって、所定の枚数になったら終わりにしようと思っている。テンポが必要なので、あまり話をふくらませずに淡々と語りたい。
どうでもいいことだが、ふだん三宿で仕事をしている時は、パソコンをネットにつないでいない。今回、三ヶ日の仕事場にブロードバンドを入れたので、コードをつないだ状態にしている。三宿では仕事の合間にソリティアやフリーセルをする。それでやや腱鞘炎ぎみだったのだが、三ヶ日では仕事の合間はネットサーフィンをするので、腱鞘炎が急速に回復している。ソリティアは頭の体操になるので愛用していたのだが。

05/05
蒲郡へ行く。義父母へのサービス。海は少しかすんでいた。蒲郡は一時間と少ししかかからない近距離である。帰って猪鼻湖の湖岸を散歩。仕事も少し。

05/06
一日中雨。散歩にも行かず、ひたすら仕事をしていると、夕方、ほんの少しだけやんだので散歩。これが今回の最後の散歩。明日には東京に帰る。

05/07
妻の運転で三宿に戻る。渋谷まで散歩。日常が戻る。

05/08
下北沢に散歩。15メートルのケーブルを買う。いまの仕事は時事問題が多いため、ネットが必要なので、自分の定位置でもネットを使う必要が出てきた。たとえば堺屋太一が通産省の役人だった頃に書いた通商白書の全文をネットで読むことができる。20メートルのケーブルもあったので買うときに迷った。ちゃんと測っていけばよかったのだが。迷っているわたしの姿を見ていたのか、レジの店員が言った。おとりかえはできません。帰ってとりつけてみると、ちょうどいい長さであった。

05/09
夕方まで仕事をしてから、メンデルスゾーン協会の理事会。この理事会はいつもそのまま飲み会に移行するので要注意。とにかく、いろんな人が集まってくる場としては貴重な会だ。

05/10
本日は何事もなし。三軒茶屋に散歩しただけ。豪雨という予想だったがパラッと降っただけだった。

05/11
ジャスラックまで徒歩で往復。日射しは強いけれども乾いた風が吹いている。いい散歩になった。これから飲みに行くのだが、気持ちがいいので渋谷まで歩こうと思う。

05/12
土曜日。何事もなし。

05/13
日曜日。スペインの長男から、突然、テレビ電話に出ろと言ってきた。これは次男の嫁がセットしてくれたもので、最初にテストして、画像がとびとびになるし、声も聞こえないので、それっきり使わなかったので、やり方も忘れていたのだが、息子の方がこちらを呼び出してくれたので、何とかつながった。孫二人、とびとびの映像ではあるがしっかり顔が見えて、動き回っているところもわかった。やれやれ。こういう文明の利器は便利ではあるが操作が難しい。

05/14
またウィークデーが始まった。今週はフルに仕事がある。本日は文藝家協会で理事長と打ち合わせ。その後、千鳥ヶ淵のあたりを散歩。暑い。

05/15
本日は自宅で記者の取材。著作権問題。これまでにも語ってきたことをまた語ることになるが、熱心に聴いていただけると話しがいがある。ここ3日ほど、たまっていた雑文を書き続けているのだがまだ終わらない。

05/16
文化庁の小委員会。保護期間延長反対の人々が次々にスピーチ。途中で抜け出してジャスラックへ。協議会の幹事会。引き続き記者会見。ジャスラックの催しの中に25分だけ時間を割いてもらった緊急記者会見なので、時間が限られており、充分に説明できなかったかもしれない。政府と経団連を相手に抗議する内容だが、全面的な闘いにならないよう、ささやかな声を上げるといったスタンスの声明である。その後、ジャスラックの催しをやっている間、一度自宅に帰って仮眠。前夜、たまっていた雑文を一気に片付けたのでほとんど徹夜だった。一時間寝てから再び徒歩でジャスラックへ。懇親会をやっている。生ビールを数杯飲んで帰る。また徒歩で自宅に帰り、今度は本格的に寝る。

05/17
文藝家協会の総会。今年から副理事長なので出席者と向かうことになり、あくびなどできないので疲れた。一昨日、たまっていた雑文を一気に片付けた時、散歩にも行かず座り続けていたので腰を痛めた。懇親会のあと、例年のごとわたしが理事長をしているNPOのスタッフと近所で二次会。本日はさまざまな人々と会い、頭を下げ続けていたが、それがよい運動になったのか、腰の痛みは軽減された。文化庁の若い人たちがいて、挨拶すると、このノートを読んでいるとのこと。弁当がなくなってすみません、と言われて、そんなこと書いたかなあと思ったが、どこかに書いたのだろう。去年までは会議のあとで弁当が出たのだが、今年から出なくなったのである。どうでもいいことだが、経済産業省別館の弁当がよかった。

05/18
昨日、自宅に帰ったら、妻がネットがつながらなくなったと告げた。ほんとにつながらない。そのまま寝たので何をやってもうまくいかないという悪い夢を見た。パソコンについて何の知識もないのだが、頭の中のどこかで「初期化」という概念がひらめいた。ルーターの電源を抜いて、しばらくしてからつなぐと、正常に戻った。やれやれ。しかしどういう仕組みになっているのだろう。蒲田の区民センターで講演。どうやって蒲田に行くのかとしばし考えたが、妻に学芸大学前まで車で送ってもらう。これが早い。多摩川まで10分、乗り換えて蒲田まで10分だ。この多摩川から蒲田までの電車は昔は目蒲線だったが、目黒からの電車が東横線に乗り換えた武蔵小杉まで行くようになったので、残った路線が「多摩川線」ということになっているのだが、わたしが利用する田園都市線は少し前までは新多摩川線と呼ばれていたので、まぎらわしい。多摩川から蒲田まで行くのだから、タマカマ線でいいのではないか。

05/19
友人のご子息の結婚式。昔、八王子のめじろ台に住んでいた時に、三軒ほど先に住んでいて、そこの長男、次男と、うちの長男、次男は、いつもいっしょに小学校に行っていた。夏はいつもこのお宅の軽井沢の別荘で子供たちといっしょに遊んだ。そこの親戚の子供たちとも親しくなった。で、本日はその子供たちがたくさんいたので懐かしかった。皆、大人になっている。あどけなかった子供が、もう社会に出て働いているのだから、すごいことだ。でもみんないい育ち方をして、立派な大人になっている。子供が成長したのを見ると、こちらが歳をとったという気もするが、子育ての責任を果たして自由になった大人たちは、わがままな子供にかえっていけばいいのだ。

05/20
日曜日。長い一週間だった。一日も休みがなかったので、作業はやや滞っているが、まあ、順調にここまで来ていると思う。昨日、結婚式から帰ると宅急便の不在票が入っていた。作品社からということで、もうゲラが出たのかと緊張した。本日届いた封筒をあけると確かに「日蓮」のゲラである。まだ気持ちが高まっていないし、連載が一件あるので、明後日くらいから集中して一気に読みたい。この空白の期間、最後の佐渡の部分を少し充実させたいと考えたほかは、とくに思いつくこともなかった。読者と同じ気持ちで、先入観なしに文章を読んでいきたい。本日は三軒茶屋まで散歩。一昨日、ケータイが怪しい音を発したので妻に、これは何かと聞くと、電池が消耗したらしい(妻の方がケータイに詳しい)。三軒茶屋のショップにもっていくと、あと2日で丸二年になるのでそれまで待ってほしいとのこと。まあ、散歩に出かけたので無駄足ではないし、他人からかかってくることのない電話なので(誰にも番号を教えていない)、スイッチを切っておけばいい。

05/21
文藝家協会で引用についての協議。会議が終わったあと書記局と打ち合わせ。それで一時間よぶんにかかった。夜は神楽坂で宴会があるので、計画では麹町の文春ビルから神楽坂の出版クラブまで歩いていき、途中の靖国神社の茶店で休憩する予定であったが、一時間の遅れのために、靖国神社にたどりついた時は、茶店が閉まっていた。ここで生ビールを飲むのが、精神にカンフルを与えることになるのだが。しかし次善の計画も立ててあったのであわてることはない。飯田橋は教育NPOの本拠があるので、早く着きすぎた時などによく行くカフェがある。ここは夜はスナックになるところなので生ビールサーバーがある。しかし時間がないので、生ビール一杯飲んであわただしく出発。神楽坂の坂を登る。貸与権センターのパーティー。わたしはここの「顧問」になっているらしい。渡された名札にそう書いてあった。知人がたくさんいて挨拶をしているだけで閉会になった。サンドイッチ2コ食べただけ。酒もほとんど飲むひまがなかった。夜中、プリズン・ブレイクの最終回を見る。毎週欠かさず見ていたのに、最終回の日は三ヶ日にいたので見損なった。再放送があってよかった。

05/22
本日は公用なし。ウィークデーに休みがあるのは嬉しい。作家なら毎日が日曜日のはずだが、そうもいかない。去年までは大学が週に2日あったから、今年はまだましだ。北沢川を散歩。某有名歌手の邸宅まで行って曲がるのが以前のコースだったが、友人の弁護士がその先に引っ越してきたので、その前を通り過ぎてから左折する。そこから烏山川緑道まで行って、戻ってくる。これがわたしの三角コースである。PHPの『文蔵』の連載を片付けて、いよいよ「日蓮」のゲラ。冒頭、親鸞との対決シーン。本を開いたらいきなり山場の論争だ。すごい小説だ。1ページ読んだだけで疲れた。読者が疲れては困るのだが、難しい論理は用いていないので、すらすらと読めるはずだ。すらすらと読めるかをチェックしながら読むので、こちらは疲れる。ゲラ、とくに初校を読む作業が、あらゆる行程の中でいちばん大変だが、幸福な時間でもある。読む前はドキドキするのだが、読み始めると一気に作品の中に入り込める。じっくりと楽しみながら読んでいきたい。

05/23
床屋へ行く。メンデルスゾーン協会理事会。これで7月のコンサートまでに必要な準備は終わった。この会はいつも飲み会になる。これからチャンピオンズリーグの中継を見る。

05/24
著作権問題を考える創作者団体協議会主催のシンポジウム。わたしが主催者の「議長」なので開会の挨拶をする。それだけかと思っていたが、打ち上げに関係者や文化庁の人が残っていたので、挨拶する。長い一日であった。感想。シンポジウムに先立つ講演の講師として、元著作権課長の岡本薫教授にお願いしたが、この人は業界の有名人なので、大いにウケて楽しかった。岡本さんにはわたしもいろいろとお世話になった。頭の回転の速い人で、話していると楽しかった。現在の文藝家協会の著作権管理部の全身の保護同盟という組織を吸収合併する時は、わたしが岡本課長に頭を下げて、半年で合併を完了させたいと目標だけを申し出ると、即決で必要な手配をしていただいた。それは文化庁のお役人数名が月に二度、半年間にわたって文藝家協会まで足を運んで引き継ぎの協議に参加するというもので、他の業界の人に話したら、よくもそんなことができたものだと言われた。ゆっくりお礼を言いたかったのだが、講演が終わると風のごとく去っていった。すごい人だ。シンポジウムも無事に終わった。政府と経団連を敵に回すようなシンポジウムなのだが、まあ、話せばわかっていただけるとこちらは考えている。いま「日蓮」のゲラを見ているのだが、いまわれわれが置かれている状況は、もしかしたら日蓮より厳しいかもしれない。

05/25
本日も文化庁。著作権教育の会議。まあ、必要な会議ではある。午前中の会議なので起きるのがつらいが、一日は長く使える。夕方までに「日蓮」のゲラ、1章終わる。まだ序盤だが、ここまではすらすら読める。この作品はあとへ行くほど盛り上がるので、出だしがこれくらいにスムーズだと、最後まで一気に読めるはず。

05/26
土曜日。快晴。真夏のような陽射しで気温は高いけれども風が爽やかだ。中目黒まで散歩。この週末から来週にかけては比較的ヒマなので、「日蓮」のゲラを一気に進めたい。2章の前半、旭ヶ森で題目を唱える場面は、日蓮が一種の悟りの境地に到達するシーンで、作品の中でも山場といえるのだが、ここが一番難しいところだ。冒頭の親鸞との対話は、抽象的な議論ではあるが、まだ人物がいてセリフによって話が進んでいく。しかし旭ヶ森に到る場面は、ただ一人瞑想に耽っているだけなので動きがない。しかも日蓮が学んだ法華経の内容が関わってくるので、読者に法華経の世界観を共有してもらわないといけない。注釈で法華経の説明をすれば簡単だがそれでは話の流れが途切れる。無理を承知で流れの中に法華経の世界観を盛り込んだ。ここは読者の集中力に期待するしかない。

05/27
日曜日。渋谷まで散歩。本日も仕事に集中できると思っていたら、夕食の直前にスペインの長男から電話。ネットのテレビ電話をつなげというので、孫たちと対面。まあ、孫の顔を見るのはいいのだけれど、頭が日蓮になっているところに、いきなりスペインの孫が出てくると、日蓮が抜けていってしまう。5歳の長女の方は、日本語もしゃべるし、イメージどおりなのだが、次女の方は、去年の夏に会った時にはまだ立てなかったので、それが立って、何やらしゃべっているのが不思議だ。64年ぶりに牝馬が勝ったダービーとか、白鵬の全勝優勝とか、全日空のコンピュータの故障とか、いろんなことの起こった日曜日であった。とりあえずこちらは、再び日蓮を憑依させてゲラに没頭する。妻が「良質素材」というビールみたいなものを買ってきた。こういうものの試飲は好きなので試してみたが、うーん、これは何だろう。ホッピーみたいなものか。アサヒのノンカロリーと少し似ている。どこかのグビナマというのよりはましだが。わたしは発泡している飲み物が好きなので(スペインのカバという発泡白ワインがとくに好きだ)、泡さえあれば何でもいいようなものだが、この種の苦くない発泡酒に慣れてくると、ビール系の苦味が重く感じられるようになる。しかし生ビールはどのメーカーのものでも苦味はないので、あのキリンビールのような苦味は、むしろ個性的なのかもしれない。キリンの「隠し苦味」というキャッチフレーズのビール(正式名は忘れた)はなかなかいい。
ところでこのホームページもかなりページが増えたので、アップロードする時に、送るべきファイルを見つけるのに苦労するようになった。階層状に整理すればいいのだが、これは実は面倒な作業だ。当初は更新する必要のない過去のファイルは、ミラーサイトの方(ハイホーの方)に送るようにしていたのだが、そのうちハイホーとの接続の仕方がわからなくなっていた。昔、電話で送っていた頃は、ハイホーのサイトにアップロードするためには、ハイホーに電話しないといけなかったからだ。しかし最近は電話で接続することもなくなったので、ミラーサイトは簡略化したものだけ掲示して、更新をまったくしていなかった。しかし、数日前、何かの拍子に、ブロードバンドだと別のプロバイダのホームページにもつながることを発見した。なーんだという感じで、するとハイホーの方に送り込んでもいいし、三ヶ日の仕事場用にアドレスを一つ獲得したので、そこにもホームページを開設することができる。不要のファイルをそっちに送ればいいようなものだが、それで何か問題が生じないか、考えているヒマがない。全日空の飛行機が動かなくなったのも、充分にシミュレーションせずにソフトを切り替えて、想定外の事態が起こったのだろうと思う。とにかく日蓮が憑依している間は、そういうことには関わらない方がいいだろう。

05/28
月曜だが、今週はわりとヒマだ。本日は何もない。近所を散歩。あとはひたすら「日蓮」のゲラ。一日に一章というノルマでやっているのだが、昨日は半分くらいしかいかなかった。本日の夕方にようやく3章が終わる。これで全体の3分の1になった。このあたりから話が動いていくのでピッチが上がることを期待したい。

05/29
今日も公用なし。4章終わる。1日1章のノルマもやや遅れ気味。ここまですらすらと読めるようにはなっているが、盛り上がりが不足している。後半に入ると盛り上がるはずだが、前半部は人物の紹介だけで話が進行する。まあ、それが小説の宿命なので仕方がない。戦国や幕末ものと違って、日蓮の他は有名人があまり出てこない作品なので、人物像を書き込むだけでも大変な作業になってしまう。

06/30
本日は日本点字図書館の評議員会と理事会。間に1時間の休憩をはさんで2時間ずつ、計5時間の長丁場だ。本日は申し訳ないけれどもゲラを持ち込んで内職をした。高校生の頃を思い出した。それでも評議員、理事として必要な発言はした。ふだん仕事をする時も、テレビの前で妻と会話をしながらパソコンの指は動いているというマルチ作業をしているので、作業に支障はなかった。というか、驚異的に仕事がはかどって、この5時間(休憩時間は喫茶店)で5章と6章が終わった。2日ぶんのノルマを果たしたことになる。これから夜中も作業すればもっと進むだろう。毎日理事会があればあっというまに作業が終わってしまう。

06/31
書協で会議。いろいろ話し合った割には結論の出ない会議であった。まあ、人と会って話すのは勉強になる。神楽坂から神保町まで歩く。いい散歩になった。会議の前、妻に送ってもらったので少し早めに書協に着いた。玄関のロビーでゲラを見る。会議室でも少し見た。7章が終わる。夜8章も終わる。この作品、ゲラが届いた時は記憶がなくなっていて、全体が10章に序章、終章がついていると思っていたのだが、実際は8章だった。ということであとは終章を残すのみ。ただ、後半は人物の輪郭がくっきりして躍動感も出てくるのだが、前半が平板である。ここはセリフを少し加えるなど、小手先でもいいから色をつけたい。ということで、まだゲラ直しの作業が続くことになるが、いちおう「日蓮」のノートはここで終わりとする。半年以上にわたってこの作業を続けてきたが、いい作品ができたと思う。好感のもてる人物像に仕上がったと思うし、後半に行くに従ってユーモアが出てきたのが収穫である。次の作品についてはまだ何も考えていない。とりあえず年内に河出で「西行」を書きたいと思っているが、これは恋愛小説みたいなポップなものにしたいと思っている。さて、6月のノートはとくにタイトルをつけずに進めたい。


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