歴史

なんか

信じない

1966年(昭和41年)30歳 

1月評論集「みんな怒らせろ」、最初のスポ−ツ評論集。

「戦いはスポ−ツだが、勝つことは思想だ」

「ジャックロンドの小説を読むまで、私はボクサ−になるつもりだった」とここでも書いている。

4月「遊撃とその誇り」(三一書房)を刊行。10月「ああ荒野」(現代評論社)

初版の表紙にはジゴロ風の寺山が白の上下の背広で胸に赤い薔薇をさしているそうです。

「競馬場で会おう」(華書房)放送のための叙事詩「コメット・イケヤ」がイタリア賞グランプリを受賞。 ドキュメンタリ−「おはようインディア」で芸術祭放送記者グランプリ賞を受賞 テレビドラマ「子守歌由来」で芸術祭奨励賞を受賞。

1967年(昭和42年)31歳

3月「書を捨てよ、町にでよう」(芳賀書店)、7月「はだしの恋唄」(新書館)、10月「時代の射手」(芳賀書店)を刊行。横尾忠則、東由多加らと演劇実験室「天井桟敷」を設立。天井桟敷の設立 設立時のメンバ−として横尾忠則、東由多加、九条映子ら。その第一回公演として「青森県のせむし男」を上演。 第二回公演「大山デブ子の犯罪」第三回「毛皮のマリ−」第四回「花札伝綺」。放送叙事詩「まんだら」で芸術祭賞を受賞 芸術祭って何種類の賞があるの? 

1968年(昭和43年)32歳 

1月天井桟敷「さあさあお立ち合い」(徳間書店)を刊行。天井桟敷第五回公演「新宿版千一夜物語」第6回「伯爵令嬢小鷹狩鞠子の七つの大罪」「あおひげ」。アメリカ国務省の招きでアメリカの前衛演劇の視察をする。第七回公演「書を捨てよ、町にでよう」。放送詩劇「狼少年」で芸術祭奨励賞受賞。第八回公演「星の王子さま」10月「誰か故郷を想はざる」(芳賀書店)を刊行。

1969年(昭和44年)年33歳

7月、詩集「時には母のない子のように」、8月、東大闘争のルボルタージュ「ぼくが戦争へ行くとき」、評論「アメリカ地獄めぐり」、12月、評論「幸福論」を刊行。渋谷に天井桟敷館及び地下小劇場落成。第九回公演「時代はサーカスの象にのって」。ドイツ演劇アカデミーの招待により国際演劇祭内EXPERIMENTに劇団員とともに渡独。「毛皮のマリー」「犬神」を上演する。演劇理論誌「地下演劇」を創刊・編集。イスラエル国務省の招侍によりイスラエル演劇事情を視察する。西ドイツ、エッセン市立劇場の招待により、「毛皮のマリー」「時代はサーカスの象にのって」を演出のため、宇野亜喜良とともに渡独。唐十郎率いる状況劇場との乱闘事件で留置される。

1970年(昭和45年)34歳

4月、詩論「暴力としての言語」、11月、戯曲「ガリガリ博士の犯罪画帖」を刊行。第十回公演「ガリガリ博士の犯罪」。十六ミリ実験映画「トマトケチャッブ皇帝」を作る。第11回公演「イエス」ではじめて、自作以外のレバートリーを上演する。ロックフェラー財団の招きにより渡米、「毛皮のマリー」を演出。九条映子と離婚。西ドイツで「あゝ、荒野」が刊行される。第12回公演「市街劇・人力飛行機ソロモン」を新宿一帯を使って上演。

三島由紀夫と雑誌「潮」誌上で対談。
11月25日、三島由紀夫、自衛隊市ヶ谷駐屯地にて自決

1971年(昭和46年)年35歳

1月、「寺山修司全歌集」、5月、評論「地下想像力」、9月、「馬敗れて草原あり」を刊行。長編映画第一作「書を捨てよ町へ出よう」を監督。ナンシー国1際演劇祭の招侍により、劇団員とともに渡仏、「邪宗門」「人力飛行機ソロモン」の二作を上演する。サバリで「毛皮のマリー」アムステルダムで「邪宗門」を上演。オランダフェスティパルの招きにより、「人力飛行機ソロモン」を上演する。ロッテルダム芸術財団の招きにょり国際詩人祭に出席、パブロ・ネルーダ、サングィネッティらとともに自作詩を朗読。西ドイツで、論文集「演劇対政治」が刊行される。ベオグラード国際演劇祭の招きにより、劇団員とともにユーゴスラビアで「邪宗門」を上演、グランプリを受賞する。イタリアタリァのサンレモ市の国際映画作家展に、「書を捨てよ町へ出よう」を出品、グランプリを受賞。

1972年(昭和47年)36歳

3月、「家出のすすめ」、10月、「寺山修司詩集」を刊行。ミュンヘン・オリンピック芸術祭展示に招かれ、野外劇「走れメロス」を公演。デンマーク・オデンシァターの招きで「邪宗門」及び市街劇ワークショソプを公演。オランダ・メクリシアターで密室劇「阿片戦争」を公演。

1973年(昭和48年)37歳

六月、舞台劇詩集「盲人書簡」、七月、歌集「わが金枝篇」を刊行。ペルセポリス・シーズ芸術祭の招きにより、イランで「ある家族の血の起源」を公演。ポーランド国際演劇祭の招きによりブロツワフ・ポルスキー劇場で「盲人書簡」を上演。

1974年(昭和49年)38歳

一月、「新釈稲妻草子」、八月、「青女論」、九月、「花嫁化鳥」を刊行。長編映画第二作「囲園に死す」(芸術祭奨励新人賞)が公開される。実験映画「ローラ」「蝶服記」「青少年のための映画入門」完成。

1975年(昭和50年)年39歳

1月、句集「花粉航海」、シナリオ「田園に死す」、4月、詩集「人形たちの夜」、6月、エッセイ「青蛾館」を刊行。東京杉並で30時間市街劇「ノック」公演、警察が介入、新間の社会面をにぎわす。オランダのメクリシアターの招きによりオランダ、西ドイツ等各都市で「疫病流行記」を巡演。エディンバラ映画祭の特別企画「寺山修司特集」の招きにより渡英。「疽瘡談」「審判」「迷官談」でオーバーハウゼン実験映画祭銀賞を受賞。

SMASH IT UP |  寺山修司 | 18歳まで 
 19歳から29歳 | 40歳から47歳 |