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 宗教法人 カトリック福岡司教区

〒847-0842
佐賀県唐津市山下町1201−1

教会の紹介pREFACE       目 次   

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教会を初めて訪れる人のために


1。 良き出会いは、どんな場合も恵みをもたらすものです。教会を初めて訪れてくださるあなたに豊かな恵みをもたらす出会いがあることを願っています。何よりも、教会が神さまとの出会いの場となりますようにあなたをご案内いたします。イエス・キリストは、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。(マタイ 11:28)」と言われました。このことがあなたの上に実現しますように。

2。 「カトリック」とは「普遍の、全世界の」という意味で、世界に広がる教会を意味します。キリストが伝えた福音(良き知らせ)を信じるカトリック教会の信者が全世界に約13億7千万人以上います。ローマ教皇(法王)は、その人々の一致のしるしとして、善き牧者として、また最高責任者として奉仕しています。

3。 キリスト者は神によって呼び集められ、世界に派遣されます。その目的はキリストから受けた3つの使命を果たすためです。キリストの良き知らせ(福音)、すなわちイエス・キリストによる救いを宣べ伝えること。神への感謝と賛美の祈りを共に捧げること。そしてキリストが教えた愛に生きることです。

4。よく質問されるミサについてですが、ミサとはキリストが亡くなる前の晩に弟子たちと食事をされたときに制定してくださった祈りです。カトリック教会では、信仰生活の中で最も大切にしている祈りです。初めて教会に来られた方は、少しずつ理解を深め、その祈りの豊かさと恵みに満ち満ちているミサの祈りの体験をされることを願っています。キリストの死と復活を通して神の愛が実現したこと。キリストの死は私たちの罪の結果であったこと。キリストの死が私たちの永遠の滅びからの救いのためであったこと。これらのことを理解し、納得して信じることは時間がかかることです。信じる恵みを得た者が、ミサに参加して神に感謝と賛美を捧げ、同時に生きる力の恵みを頂くのです。

5。 日曜日のミサについて述べます。なお、ミサのある曜日と時間は次をクリック。ミサ時間
 日曜日は、主キリストの復活を祝う日であり「主日」と呼ばれます。キリスト信者は共に集い、ミサに与ります。多くの教会では平日もミサが行われています。唐津教会も水曜日と金曜日にミサがあります。どなたでも参加できます。ただし、聖体のパンは、カトリックの洗礼を受けた人だけがいただきます。洗礼を受けていない方は座ったままで結構ですが、列に従って前に進み出て、司祭から神の祝福を受けることができます。
 主日のミサでは、「聖書と典礼」というパンフレットと「典礼聖歌」を使います。ミサの式次第の冊子もあります。ミサ終了後、信者または司祭にお気軽にお声を掛けてください。お待ちしています。キリスト教や聖書を学びたい方は、まず司祭にご相談ください。
 また、
「教会だより」 という印刷物を毎月発行しています。教会のさまざまな情報を、知ることができます。ご自由にお取りください。このホームページからも読むことが出来ます。


 聖書の勉強会:
 
 聖書を学ぶのが初めての方、聖書を学び直してみたい方、誰でも参加できます。

    日時:毎月第4水曜日 午前10時〜11時

    場所:教会聖堂内の第1会議室

    講師:カトリック唐津教会 主任司祭 江夏 國彦

 ★聖書は神のみ言葉が書かれています。永遠の命のことばを学びましょう。洗礼を受けていない方でもお友達と一緒に参加できます。誰でも随時、気軽においでください。歓迎いたします。
 現在、ヨハネによる福音書を学んでいます。2023年12月はお休みして、2024年1月24日(水)から再会します


6。身障者のための設備:
 車椅子で玄関へアクセスできる
スロープ、身障者用の多目的トイレ、耳の不自由な方のために音響設備の中に、マイクの音声をイヤーフォンへ直接伝えるFMラジオ発信器が備えられています。
 年を取ると、だんだん音を聞き取りにくくなるものです。ミサの中で司祭が唱える式文は聞き取れても、説教になると聞き取れないという方のために、教会の音響設備に音の発信器を付けました。FMラジオを持っておられる方は、教会に持参して周波数を9000Hzに合わせるとマイクを通して話した声がお手元のFMラジオのイヤーフォンを通して直接自分の耳へ伝わり、音声を聞き取ることが出来るようになります。説教がよく聞き取れないという方は是非、主任司祭に相談ください。




  



7
。駐車場:
 教会の駐車場は、教会用と幼稚園用と合わせて最大50台位は、駐車できます。なお、幼稚園のためには、別途に第2駐車場(12台駐車可)もあります。 →
写真




。日本国内におけるカトリック教会の情報は、カトリック中央協議会のカトリック教会マップページにアクセスして下さい。次のボタンをクリック。
 


教会巡礼地


 佐賀県の嬉野町の近くにある不動山地域には1617世紀にキリシタンがいて宣教師による宣教活動が行われていました。当時キリシタン迫害がひどくなっていった時代でした。不動山の太刀洗川において1634年に大山四郎兵衛の一家とその他5人が火刑によって殉教したと、太刀洗川史跡案内板に記されています。現在7か所の「キリシタン史跡」の記念碑が建立されており、毎年11月に嬉野市の不動ふれあい体育館で「不動山殉教者祈念祭」のミサを行っています。

 唐津市にも殉教者がいたのかも知れませんが記録は残っていません。しかし16世紀の迫害時代、豊臣秀吉の命で京都に集められたキリシタンたちが唐津を経て長崎へ護送されて殉教したことは周知のことです。

 護送は、1597年1月3日から始まり、約890キロメートルに及ぶ長い道程を33日かけて進み、その途中、21日に唐津の材木業者、木屋利右衛門の屋敷に聖人たちが立ち寄った記録があります。唐津市魚屋町の町田川にかかる「千鳥橋」の傍に建つ日本26聖人顕彰碑」と「木屋利右衛門屋敷船着場跡」と刻まれた銅板を貼り付けた石板があり、利右衛門が聖人たちを密かに厚遇したと伝えています。

 殉教者たちは京都から大阪、姫路、岡山などを通過し下関からは船で小倉へ、次に陸路で赤間、志賀島へ、再び船で博多へ渡り、陸路で唐津に2月1日に着きました。さらに名護屋(唐津市)、伊万里、武雄、嬉野、そして長崎の彼杵から三度目の船で大村湾を渡って時津へ、更に陸路で浦上を経て西坂の丘に着いたと記されています。

 だから殉教者が出た嬉野と共に、唐津は日本26聖人殉教者たちが辿った地とし巡礼者が訪れます。殉教者たちは土地の領主にリレー方式で引き継がれて京都から長崎までを護送されました。唐津は、その最後の領主引き継ぎの地でした。肥前国 唐津藩初代藩主の寺沢広高は、当時長崎奉行も兼ねていました。しかし、広高は朝鮮半島に出かけていて不在であったので弟の半三郎がその任にあたったのです。そして長崎での処刑を命ぜられた彼は2月5日、西坂の丘で執行したのでした。

 この処刑執行の翌年に豊臣秀吉は病で死亡したため、1592年に朝鮮半島に侵攻した日本軍は撤退し、6年間続いた文禄・慶長の役は終わりました。従って、秀吉の政治的野望による戦いの最中にこの殉教は起きたのです。朝鮮半島を舞台に戦われたこの国際戦争は16世紀における世界最大規模の戦争であった言われています。唐津は地理的にこの野望を果たすための出陣に適していた地であったと言えます。当時大阪城に次ぐ全国2番目の規模であった唐津の名護屋城の周辺には全国から集められた諸大名たちの陣屋が築かれ、建築関係の職人たちの家族など含め、多くの人々が集っていました。

 さらに、尾張国の生まれの寺沢広高はキリシタンであったこと、そして半三郎は受洗していなかったが、殉教者の一人であるパウロ三木と共にキリストの教えを学んだ学童の友であったこと、その幼馴染の友と唐津の名護屋で再会したことなどは特記に値します。イギリスの歴史家のマードックは、彼の葛藤と苦悩を思い「気の毒な半三郎であった」と述べました。

 また当時の長崎駐在のアントニオ司教は「
太閤は私たちがキリスト教を日本に広めたことを犯罪として、この長崎で磔刑に処することを命じたが、この罪こそその死を生たらしめて、限りなく神に感謝するところです。我々はこの殉教者たちに対して、実に、その死と我々に残してくれた尊い模範をうらやましく思います。」と述べた書簡をフィリピンのフランシスコ会宛に書いている。

 処刑が執行されて12年後の1609年に寺沢広高は唐津城を築城しています。当初、キリシタンであった広高は、キリシタン弾圧を積極的には行いませんでしたが、徳川家康が1612年と1614年に発布したキリシタン禁教令以降は厳しくなり、晩年は拷問の手法を取るようになりました。

 このように唐津は、日本26聖人殉教者に深い関わりがあった地として巡礼者がしばしば唐津教会を訪れます。時には海外からも訪れミサを捧げています。当教会の玄関には「巡礼ノート」とスタンプを置いて歓迎しています。


教会の略歴


1902年(明治35年)唐津城の近くの城内二ノ門に創立。「平和の元后聖マリア教会」と命名。初代司祭の山口宅助神父が佐賀から巡回。馬渡島、松島、呼子、唐津4教会を一つの宣教地域として司牧。
福岡教区創立25年前のことである。

1927年(昭和2年)カトリック福岡司教区の創立。

1941年(昭和16年)山下町に教会は移転。3回目の移転。深堀司教が「守護の聖人聖ヨゼフ教会」と命名。

1961年(昭和36年)唐津カトリック幼稚園 創立。同年、旭が丘にカトリック墓地も建立。

2002年(平成14年)教会設立100周年記念式典

2015年(平成26年)幼稚園の現在の園舎が落成。

2017年(平成29年)現在の聖堂が落成。納骨室も併設に伴い旭が丘のカトリック教会墓地を閉鎖。


歴代の司祭


1902年〜1926年:山口宅助神父が長崎,佐賀から巡回司牧

1927年〜1946年:ブレンゲ 神父(パリ外国宣教会)

1936年〜1954年:ヴェイヨン神父(パリ外国宣教会)

1954年〜1962年:スヴァノーニ・ゼヴリーノ神父
            唐津教会から帰天(ミラノ宣教会)

1962年〜1978年:プラチド・サルヴィ神父(ミラノ宣教会)

1978年〜1983年:リカルド・マグリン神父(ミラノ宣教会)

1983年〜1991年:スカロット・アルフレッド神父
                    (ミラノ宣教会)

1991年〜1994年:カッツアニーガ・ピーノ神父
                   (ミラノ宣教会)

1994年〜2005年:チェリッザ・ヴィルジニオ神父
            唐津教会から帰天(ミラノ宣教会)

2005年〜2009年:ヴィッラ ・マルコ神父(ミラノ宣教会)

2009年〜2014年:ポヲムスキ・スタニスワヴ神父(神言会)

2014年〜2022年:中村信哉神父(福岡教区)

2022年〜現在  :江夏國彦神父(福岡教区)


司祭のブログ


主任司祭 江夏神父のブログ。毎月一回更新しています。日頃、神のみ言葉について黙想したことを記事にしていますのでご覧ください。次のボタンをクリック 


 なお、感想や意見を述べたい方は、次のメールアドレスへ:ckaratsu1201@gmail.com
 

教会への問い合わせ


 
住所:〒847-0842
    佐賀県唐津市山下町1201−1

  TEL & FAX: 0955-72-2758
 E‐mail: ckaratsu1201@gmail.com


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