道・鎌倉街道探索日記

◆◆◆◆◆◆ 小川・伊勢根  ◆◆◆◆◆◆

小川町の鎌倉街道遺構は、平成14年3月に『鎌倉街道上道跡』の名称で小川町指定史跡になっています。

下の写真の農道は、小川町の天王原の街道遺構からこの写真奥の山林内にある伊勢根の街道遺構に繋がる道です。現在のこの農道は、以前からあったと思われる昔の道を、農業構造改善事業により造り変えられたもので、水田内を南北に通る道になっています。鎌倉街道上道は天王原の遺構からこの道伝いに、伊勢根の東端の鎌倉街道伝承遺構へと、ほぼ一直線に続いていることになります。現在の農道は写真奥の山林手前で西に折れ曲がって行きますが、昔は山林の中へ街道が続いていたものと思われます。


そしてここはホームページ作者自身、鎌倉街道に取り付かれる切っ掛けとなったところなのです。

小川町伊勢根の掘割状遺構南の水田を通る道

小川町伊勢根の掘割状遺構

伊勢根の掘割状遺構は長さが約140メートルあると『歴史の道調査報告書』に書かれています。遺構の東側には人ひとりが通れる細道があります。現在、遺構の南側は狭くなっていて、大小の礫により遺構を塞いでいるようになっています。北に進むにつれてその遺構の規模が大きくなって行き、鎌倉街道跡の典型的な景観を示しています。そして丘陵の頂部付近で再び大小の礫に埋め尽くされています。
2年ほど前にホームページ作者が初めて、ここに訪れたときは、まだここに堀割状の遺構があることを知りませんでした。嵐山町より北はホームページ作者が住んでいる川越市からは遠いので、それまでこの辺りへ訪れる機会は少なかったのです。特に小川町の奈良梨付近は、交通の便が悪く、近くに鉄道の駅がありません。しかしそのような利便性から土地開発もそれほど進んでいなく、この付近には良好な街道遺構が多く残っているのです。

伊勢根の掘割状遺構南の切通し

掘割状遺構と呼ばれる街道跡は、それまでホームページ作者は毛呂山町市場のものしか見たことがなかったものですから、第一印象は毛呂山のあれと同じだと直感的に感じました。この辺りの鎌倉街道の詳しい前知識も無く、いきなり目の前に現れたものがこのような規模の大きな掘割状遺構であったのですから、それは大層な感激ものでした。その時も写真のように木の葉越しから、そそぎ込む陽光がきらきらと輝き、ときより吹く風に木の枝が囁いていました。自然の中に親しむやすらぎと、長い歴史に包まれた空間とのコントラストが不思議な感動を与えてくれたものでした。

伊勢根の掘割状遺構

伊勢根の掘割状遺構は『歴史の道調査報告書』によると、普済寺の東の台地の裾から頂部近くにかけ、長さ140メートル、比高差約10メートルにわたり形成され、上幅約13メートル、下幅約10メートル、深さ1~2メートルを測ると書かれています。また東斜面は崩壊土が被いかぶさって旧状を留めていないということです。昭和56年に発掘調査が行われていて、南側水田面から約60メートルの第二トレンチと115メートルの第一トレンチの2箇所で、2メートル幅で横断するように発掘区を設定していました。調査結果として街道伝承を否定するものは無く、第一トレンチの堆積状況や両トレンチに共通する側溝状遺構の存在など、道路として使用されたと肯定できる内容であったと書かれています。また第二トレンチでは若干の土師器・須恵器などの小片が出土したそうです。

伊勢根の掘割状遺構

伊勢根の掘割状遺構は発掘調査から廃道であることが確認されました。いったいいつ頃から道としての使命を終えたのかなど考えていると興味が尽きません。小川町の天王原、伊勢根、能増の遺構は、それぞれが別ではなく、三者は一体となって機能していたことは十分に考えられることです。これら三者の遺構が円滑に繋がることは地図を追ってみれば素人でもある程度は判断できます。三者は同時期に運命を共にしたのではないでしょうか。そして、これらの遺構がいつ頃に造られたものなのか、800年前の鎌倉街道上道で間違いないものなのか、或いはその後に造られた道なのか、考えればロマンは尽きません。
現在でも残るこの遺構は、『歴史の道調査』の報告書の中で両側溝をともなう道路状遺構であることが考えられるということと、これらの地点には鎌倉街道の伝承が残っているということから、ここは街道史跡として保護してもらいたいものです。

伊勢根の掘割状遺構

下の写真は伊勢根の道路状遺構を台地上に上りきったところを撮影したものです。ここでは遺構は完全に埋め尽くされていますが、街道の面影を残す景観として感じられませんか。写真では、かなりの規模の街道であったことが窺えませんか。
ホームページ作者はこの伊勢根の掘割状遺構を見たときに、鎌倉街道歩きで初めて「鎌倉」を意識することができたのでした。大げさにいいますと、掘割状遺構の先に鎌倉の由比ヶ浜や稲村ヶ崎などの海岸の風景、そして潮の香りが感じられる錯覚のようなものでした。
その後ホームページ作者の鎌倉街道探検が本格的に始まりました。図書館に行き『歴史の道調査報告書』を知り、ここの掘割状遺構のことを調べると、この直ぐ先にも、能増の掘割状遺構があることがわかりました。

伊勢根の掘割状遺構の北側

 

オリジナルを重視するため、鎌倉街道上道(埼玉編)の作成当初の市町村銘そのままにしています。 平成27年の鎌倉街道上道が通る市町村は、以下のとおり変更(合併)されています。

花園町→深谷市  川本町→深谷市  児玉町→本庄市

PAGE TOP