「準備作業として実現したのは『管弦楽のための5つの断章』作品42で、6月9日の一日でそのすべての草稿が出来上がりました。交響曲第4番の完成形となる作品の着手は、通常1935年9月中旬とされています。10月末、ガヴリール・ポポフは第1楽章を再現部まで聴き、『きわめて厳格で、力強く、そして格調高い』と評しました。(
“Shostakovich: A Life” by Laurel Fay p.93 )。」
「12月初旬までにはまばゆいばかりにオーケストレーションされた第1楽章が完成し、『壮大な(30分に及ぶ!)』という言葉がモスクワにもたらされました。さらに、1936年1月6日、ショスタコーヴィチはモスクワからソレルチンスキーに連絡を取り、交響曲の第2楽章を数日前に完成させたことを『アレグレットのテンポで間奏曲のような雰囲気です。演奏時間は10分です。出来栄えに満足しています。』と伝えています。ソレルチンスキーはその時、ボリショイ劇場の不運な『マクベス夫人』の公演(*)とマールイ・オペラ劇場の巡業にも関わっていたのでした(
“Shostakovich: A Life” by Laurel Fay p.93 )。」
*1月26日にスターリンが臨席することになる公演の準備をしていました。次章『プラウダ批判』参照。