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冨山常喜さんの健康状態に関して

内藤 武

経過の報告
 冨山さんの健康状態は2000年春頃から悪くなり、2001年秋頃には篠原さんの面会には、車椅子で来るようになりました。心配になり、拘置所長に病名等を問い合わせたところ、2002年5月2日付で回答があり、その回答書を知り合いの内科医に見せたところ、その回答書に記されている内容だけでは正確に病状が把握できないという意見でした。

 それ以降、面会に行くたびに、健康の悪化が報告され、2002年6月の段階では、40年近く不屈の精神で獄中闘争を戦ってきた冨山さんから「もう駄目かなという感情に襲われる」との声をきくようになりました。篠原さんに宛てた面会に対する礼状も、従来のものとは全く異なり、文字に乱れが見られ判読すらできないものでした。

 このような事情で、改めて冨山さんに対して必要な医療処置を判断する為に、10月30日付で東京弁護士会を通して、東京拘置所長宛に照会申出書を提出しました。一方、11月27日、保坂展人国会議員に衆議院法務委員会で波崎事件と袴田事件の確定死刑囚に関する処遇問題を取り上げていただき、万全の治療を施すよう法務大臣に要請しました。(議事録参照) その直後、照会に対する回答書(資料1参照)が、11月27日付で届きました。

 これら一連の働き掛けもあって、拘置所では冨山さんに対して急に、さまざまな検査(MRIを含む)を実施し始めたことが面会を通して判明しました。しかし、獄中死が予想されるとの判断から、このような危機的状況に置かれている疾病・老衰者に死刑という厳罰を科することは、「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」(第36条)とした憲法に違反すると同時に、危機的状態の疾病・老衰者にとっては「拘置」自体が拷問であり残虐であるとの認識から、弁護団は2002年12月6日、東京拘置所宛てに恩赦出願書(資料2参照)を提出しました。恩赦の種類は特赦もしくは減刑または刑の執行免除としました。

 残念ながら、事態はさらに急変し2003年1月27日の面会で、冨山さんがICU(集中治療室)に入っていて、意識がぼんやりしていることがわかりました。拘置所長からの回答書・治療報告書のデータを見た知り合いのS内科医は、透析の効果がほとんど現れていない、このままの治療を続けていたら、そう長くは持たないとの意見を寄せました。幸いにも、S内科医が入院と治療を引き受けて下さるとのことで、獄中では死なせない、拘置所外の医療機関でより良い医療を受けさせてあげたいとの思いで、法令(監獄法第43条[病院移送])に従い、2月7日、S医師の意見書(資料3参照)を添えて、拘置所外病院への移送申請手続き(申立書)を取りました。拘置所外の病院でより良い治療を受けながら、少しでも長く生きてほしいと切に願います。(2003年2月8日)

第四三条【病院移送】
(1)精神病、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律に定むる感染症其他の疾病に罹り監獄に在て適当の治療を施すこと能はすと認むる病者は情状に因り仮に之を病院に移送することを得

追記
 2月17日、保坂議員が衆議院予算委員会で冨山さんについて再度緊急質問くださる


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