異種百人一首 続百人一首

【概要】

佐佐木弘綱(1828-1891)の撰になる百人一首です。弘綱は幕末から明治にかけて活動した国学者・歌人で、師は本居春庭・大平の弟子であった足代弘訓(あじろひろのり)。すなわち本居宣長の弟子筋にあたります。藤堂藩藩校や東京帝国大学・東京高等師範で教鞭をとり、『日本歌学全書』を編纂するなど、今日の和歌研究の基礎を築いた人物と評価されています。

本書『続百人一首』は、いつの撰とも確かなことは分かりません。弘綱の子、信綱が明治二十六年(1893)に編集刊行した『標註七種百人一首』(東京博文館)の解説から、およその成立経緯が知られるばかりです。

續百人一首は、我父弘綱、ある人の、むすめの手本の料にもし、わが歌よむたづきともなりなん歌を、百首かきてよと請ひしかば、いととみに撰びいでゝ、かきてあたへしを載せつるなり。

知人から、娘の書道のお手本として、また自身の歌の教科書として、百首の歌を請われるまま、選出し書き与えたものだった、というわけです。百首が穏健かつ平明な歌々で占められているのは、弘綱自身の歌観もさることながら、もともと初心者向けの撰だったゆえでしょう。

動機はどうあれ、平安時代の醍醐天皇から江戸時代後期の光格天皇まで、九百年にわたる和歌史からの抜粋百首は、雄大な構想です。
本家の小倉百首に採られていない歌人百人の歌を選出する方針であったと見られますが、何故か源実朝は重複して選ばれています。信綱の解説に「いとゝみに撰びいでゝ」とあるのは謙辞ではなかったのでしょう。
誤りはほかにもいくつか見え、58番源通具の歌としている「武藏野は…」は正しくは源通光の作です(従って百首中に通光の歌が二首存します)。また79番の作者は後龜山院でなく長慶天皇です。

歌人の顔ぶれを見て何より特徴的なのは、南朝(吉野朝)の歌人が際立って多いことでしょう(17人)。反対に、北朝歌人は一人として採られていません(京極為兼・伏見院・永福門院といった大歌人も漏れています)。維新後間もない時代風潮を如実に反映していると言えましょう。

七種百人一首續百人一首
『七種百人一首』表紙と「続百人一首」の頁

【例言】

明治二十六年(1893)刊行の佐佐木信綱編『標註七種百人一首』(東京博文館)に収録された「續百人一首」を底本として作成したテキストです。明らかな誤字と思える箇所は訂正しました(84番の作者名「大納言師實」とあるのを、「大納言師賢」に訂正)。

仮名遣・用字はなるべく底本に従うことを原則としましたが、「志」「尓」等のいわゆる変体仮名は現行通常の平仮名に改めました。繰り返し符合「ゝ」「ゞ」はそのままとしましたが、「く」を延ばした形の踊り字は同音の平仮名表記に代えました。またJIS第二水準までに含まれない漢字は、通用字で代用している場合があります。

歌の頭に半角アラビア数字によって通し番号を付しました。また歌の末尾には〔〕内に出典の勅撰集名を記しました。出典が勅撰集以外の歌集の場合、〈〉で囲いました。

【もくじ(10番ごと)】

◆01醍醐天皇 ◆11藤原高光 ◆21上東門院 ◆31權僧正永縁 ◆41平康頼 ◆51平經正 ◆61藤原隆信 ◆71大納言爲家 ◆81宗良親王 ◆91楠判官正成


續百人一首 佐佐木弘綱撰


醍醐天皇
1 末たえぬ吉野の川のみなかみや妹背の山のなかをゆくらん〔続古今〕

兼覽王
2 女郎花うしろめたくも見ゆる哉荒たる宿にひとりたてれば〔古今〕

村上天皇
3 教へおくことたかはずば行末の道遠くともあとはまどはじ〔後撰〕

具平親王
4 ひとりゐて月をながむる秋の夜は何事をかは思ひのこさん〔千載〕

源信明朝臣
5 あたら夜の月と花とをおなじくば心知れらん人に見せばや〔後撰〕

源公忠朝臣
6 とのもりの伴のみやつこ心あらば此春ばかり朝ぎよめすな〔拾遺〕

大中臣ョ基朝臣
7 白露のおくての稻も刈てけり秋はてがたになりやしぬらん〔玉葉〕

祭主輔親
8 いづれをかわきてをらまし山ざくら心移らぬ枝しなければ〔後拾遺〕

源順
9 定めなき人の心にくらぶればたゞうき島は名のみなりけり〔拾遺〕

藤原元真
10 わするやとしばしばかりも忍ぶるに心よわきは涙なりけり〔風雅〕

藤原高光
11 かくばかりへがたく見ゆる世の中に羨ましくもすめる月哉〔拾遺〕

藤原仲文
12 白雪のふれる(あした)のしらかゆはいとよく似たる物にぞ有ける〔新拾遺〕

藤原清正
13 芦間より見ゆるながらの橋柱むかしの跡のしるべなりけり〔拾遺〕

藤原長能
14 あられふる片野のみ野の櫻狩ぬれぬやどかす人しなければ〔詞花〕

藤原範長朝臣
15 すむ人もなき山里の秋の夜は月のひかりもさびしかりけり〔後拾遺〕

大貳高遠
16 あふさかの關の岩かどふみならし山たちいづるきり原の駒〔拾遺〕

源道濟
17 おもひかね別れし野べをきて見れば淺茅が原に秋風ぞふく〔詞花〕

齋宮女御
18 松風の音にみだるゝ琴のねをひけばねのひの心地こそすれ〔拾遺〕

中務
19 さくら花ちりかふ空はくれにけり伏見の里に宿やからまし〈中務集〉

小大君
20 ふらぬ夜の心を知らで大空の雨をつらしとおもひけるかな〔拾遺〕

上東門院
21 濁なきかめ井の水をむすびあげて心の塵をすゝぎつるかな〔新古今〕

檜垣嫗
22 年ふればわが黒髮もしら河のみづはくむまで老にけるかな〔後撰〕

源義家朝臣
23 ふく風をなこその關とおもひしに道もせにちるやま櫻かな〔千載〕

橘爲仲朝臣
24 あやなくも曇らぬ霄をいとふかなしのぶの里の秋の夜の月〔新古今〕

津守國基
25 薄墨にかくたまづさと見ゆるかなかすめる空に歸る雁がね〔後拾遺〕

權中納言公實
26 昔みし妹が垣根は荒にけりつばなまじりのすみれのみして〈堀河百首〉

權中納言國信
27 中々に憂世は夢のなかりせば忘るゝひまもあらましものを〈堀河百首〉

右兵衞督師ョ
28 難波潟たづぞなくなるこれやこのたみのゝ島の(わたり)なるらん〔新千載〕

神祇伯顯仲
29 都人きても見よかししぐれつゝうつろふ山の秋のけしきを〈永久百首〉

藤原仲實朝臣
30 くちにけりこれやながらの橋柱あはれ昔のあとばかりして〈堀河百首〉

權僧正永縁
31 きくたびに珍らしければ郭公いつも初音のこゝちこそすれ〔金葉〕

前齋院肥後
32 山里のしばをりをりにたつ烟人まれなりとそらにしるかな〔千載〕

前齋宮河内
33 春のくる夜の間の風のいかなれば今朝吹くにしも氷解らん〔金葉〕

小大進
34 あす知らぬみ室の峯の根なし艸何あだし世に生ひ初めけん〔千載〕

皇嘉門院
35 何とかや壁に生ふなる草の名よそれにもたぐふ我身也けり〔新古今〕

大藏卿行宗
36 我宿は淺茅が原と荒にけりうづらなきぬといはぬばかりに〈行宗集〉

藤原爲忠朝臣
37 ふく風に渚のさくらちるときは池のうき草はなさきにけり〈為忠家後度百首〉

加茂重保
38 あづま路の柴すり衣なれにけりいく朝露にそぼちきぬらん〈月詣集〉

祝部成仲
39 ゆく年は浪とともにやかへるらん面がはりせぬわかの浦哉〔千載〕

太政大臣師長公
40 教へおくかたみのことをしのばなん身は青海の波に流れぬ〔千載〕

平康ョ
41 かくばかりうき身の程も忘られて猶こひしきは都なりけり〔千載〕

源仲正
42 落かはる二毛の鹿のくもり星やゝあらはるゝ夏は來にけり〈夫木和歌抄〉

從三位ョ政
43 みやま木のその梢ともわかざりし櫻は花にあらはれにけり〔詞花〕

源仲綱
44 玉藻ふく磯屋がもとにもる時雨旅寢の袖もしほたれよとや〔千載〕

平忠盛朝臣
45 有明の月もあかしの浦風になみばかりこそよるとみえしか〔金葉〕

從三位通盛
46 わが戀は細谷川のまろ木橋ふみかへされてぬるゝそでかな〈平家物語〉

參議經盛
47 櫻さく峯をあらしやわたるらんふもとの里につもるしら雪〈月詣集〉

左近衞中將重衡
48 さゞ浪の音はへだてず八重霞志賀のから崎たちこむれども〈月詣集〉

右近衞中將資盛
49 あづさ弓春のしるしやこれならん霞たなびくたかまとの山〈月詣集〉

平忠度朝臣
50 秋きぬとしらできくとも大方はあやしかるべき風の音かな〈月詣集〉

平經政朝臣
51 わけてこし野べの露とも消ずして思はぬ里の月をみるかな〈月詣集〉

平行盛
52 身をつみてたれか哀と思ふべき我ばかりうき人しなければ〈月詣集〉

覺性法親王
53 高嶺よりはるかに見れば大井川となせはをちの梢なりけり〈出観集〉

高倉院
54 今朝よりはいとゞ思をたきましてなげきこりつむ逢阪の山〔新古今〕

建禮門院
55 いざさらば涙くらべん時鳥われもうき世にねをのみぞなく〈平家物語〉

土御門院
56 うき世にはかゝれとてこそ生れけめことわりしらぬ我涙哉〔続古今〕

大納言通光
57 三島江や霜もまだひぬ芦の葉につのぐむほどの春風ぞふく〔新古今〕

中納言通具
58 武藏野はゆけども秋の果ぞなきいかなる風のすゑに吹らん〔新古今〕

大藏卿有家
59 岩がねの床にあらしをかたしきて獨や寐なんさよのなか山〔新古今〕

源具親朝臣
60 しきたへの枕のうへをすぎぬなり露をへだつる秋のはつ風〔新古今〕

藤原隆信朝臣
61 音にこそ時雨もきゝしふる里の木の葉もるまで荒にける哉〔新後撰〕

藤原隆祐朝臣
62 夕日さすとほ山もとの里見えてすゝきふきしく野べの秋風〔風雅〕

法橋顯昭
63 ふる里を戀ふる寐覺の悲しきに千鳥なくなりちかの汐がま〈月詣集〉

鴨長明
64 雲さそふあまつ春風かをるなり高間の山のはなさかりかも〈三体和歌〉

宜秋門院丹後
65 忘れじななにはの秋の夜半の空こと浦にすむ月は見るとも〔新古今〕

小侍從
66 まつよひに更ゆく鐘のこゑきけばあかぬ別の鳥はものかは〔新古今〕

後鳥羽院宮内卿
67 花さそふ比良の山風ふきにけりこぎゆく舟の跡見ゆるまで〔新古今〕

俊成卿女
68 あだにちる露の枕にふしわびてうづら鳴なりとこの山かぜ〔新古今〕

右京大夫
69 椎ひろふ賤も道にやまよふらんきりたちこむる秋のやま里〈建礼門院右京大夫集〉

靜前
70 見るとてもうれしくもなし増鏡こひしき人の影もとめねば〈義経記〉

大納言爲家
71 天の川遠きわたりになりにけり片野のみ野のさみだれの頃〔続後撰〕

參議爲氏
72 をとめ子がかざしの櫻さきにけり袖ふる山にかゝるしら雲〔続後撰〕

藤原信實朝臣
73 老となる物とはしりぬしかりとて(そむ)かれなくに月を見る哉〈井蛙抄〉

右大臣實朝
74 ものゝふの矢並つくろふ籠手の上に霰たばしる那須の篠原〈金槐集〉

後宇多天皇
75 時しあれば谷よりいづる鶯に世をたすくべき人をとはゞや〔新千載〕

宗尊親王
76 初雁もなきてきにけりうき事を思ひつらぬる秋のゆふぐれ〈宗尊親王三百首〉

後醍醐天皇
77 忘れめやよるべもなみのあらいそを御舟の上にとめし心は〈新葉集〉

後村上院
78 九重に今もますみの鏡こそなほ世をてらすひかりなりけれ〈新葉集〉

後龜山院
79 をさまらぬ世の人事のしげければ櫻かざして暮す日もなし〈新葉集〉

尊良親王
80 花鳥のいろにも音にもさきだちて時しるものは霞なりけり〈新葉集〉

宗良親王
81 おもひきや手もふれざりし梓弓おきふし我身なれん物とは〈新葉集〉

興良親王
82 いかになほ泪をそへてわけわびん親にさきだつみち芝の露〈新葉集〉

懷良親王
83 日にそへて遁れんとのみ思ふ身にいとゞ憂世の事しげき哉〈新葉集〉

大納言師賢
84 しでの山こえんも知らで都人なほさりともと我やまつらん〈新葉集〉

中納言藤房
85 いかにせんたのむ陰とて立よればなほ袖ぬらす松のした露〈太平記〉

大納言宣房
86 長かれと何おもひけん世の中のうきを見するは命なりけり〈太平記〉

右少將俊基
87 いにしへもかゝる(ためし)をきく川のおなじ流に身をやしづめん〈太平記〉

源中納言具行
88 歸るべき道しなければこれやこのゆくをかぎりの逢坂の關〈新葉集〉

權大納言守房
89 霞む夜の月を見るにもくもらじと思ふ心をなほみがきつゝ〈新葉集〉

左中將義貞
90 わが袖の涙にやどるかげぞともしらで雲井の月やすむらん〈太平記〉

楠判官正成
91 つゝめども色香ぞあまるかつらきや霞の袖のはなのしら雲〈出典不明〉

楠正行朝臣
92 とても世に長らふべくもあらぬ身の假の契をいかで結ばん〈吉野拾遺〉

菊池武時
93 ものゝふの上矢のかぶら一筋に思ふこゝろは神ぞ知るらん〈太平記〉

頓阿法師
94 青柳のなびくを見れば長閑なる春とて風の吹かぬまもなし〈草庵集〉

兼好法師
95 遁れても柴のかりほの假の世に今いく程かのどけかるべき〈兼好法師集〉

逍遙院内大臣
96 曇らぬを神代のまゝの心ぞとそらにいさめて月やすむらん〈雪玉集〉

後柏原院
97 をさまれる我世いかにと浪風の八十島かけてゆくこゝろ哉〈柏玉集〉

後水尾院
98 旅まくら都おもへば都にて見しにもあらずかすむつきかな〈後水尾院御集〉

靈元院
99 限なき民の草葉もおしなべて風しづかなる世になびくなり〈霊元院御集〉

光格天皇
100 くるとあくと常に心に忘れぬはやすかれと思ふ四方の國民〈光格天皇御集〉

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更新日:平成16年12月29日
最終更新日:平成22年03月21日
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