藤原八束 ふじわらのやつか 霊亀元〜天平神護二(715-766) 略伝

北家房前の第三子。母は美努(みの)王の娘、牟漏(むろ)女王。従って橘諸兄の甥にあたる。天平宝字四年(760)頃、真楯の名を賜る。後世繁栄を謳歌する藤原北家は真楯の嫡流。
聖武天皇の寵臣。春宮大進・治部卿・中務卿などを歴任し、天平二年(766)年一月、大納言に至るが、同年三月、薨じた(五十二歳)。称徳天皇より大臣としての葬儀を賜わる。大伴家持との親交が窺われる。万葉集に8首の歌を残す。

藤原朝臣八束の月の歌一首

待ちかてに()がする月は妹が()る三笠の山に(こも)りたりけり(万6-987)

【通釈】私が待ちきれない思いでいた月は、あの子が着る笠という、三笠山に隠れていたのだなあ。

【語釈】「妹がける」は、笠を身につける意から三笠山にかかる枕詞。

藤原朝臣八束の歌一首

さ牡鹿の萩に()き置ける露の白玉 あふさわに誰の人かも手に巻かむちふ(万8-1547)

【通釈】牡鹿(おじか)が萩の枝を糸として貫き通した露の白玉、この美しい白玉を、いったい誰が軽はずみな気持ちで手に巻いてしまうというのか。いや、深く思い入れてこそ手に巻くべきである。

【補記】白玉は婚期にある若い少女を暗喩する。「あふさわ」源氏物語などに見えるオホザフと同じという(本居宣長説)。大方、並々などの意。一説に「逢うとすぐに」などの意とする。なおこの歌は旋頭歌。秋雑歌。

藤原朝臣八束の歌一首

春日野に時雨ふる見ゆ明日よりは紅葉かざさむ高円の山(万8-1571)

【通釈】春日野に時雨の降るのが見える。明日からは、紅葉を挿頭(かざし)にするだろう、高円(たかまと)の山よ。

【補記】当時、時雨が葉を紅葉させると信じられた。「かざす」は頭髪に挿す意だが、ここでは高円山を擬人化して、山が紅葉を挿頭にする、と見立てている。ただし、<紅葉を挿頭にしよう、高円山で>とも解釈できる。

新嘗会(にひなへまつり)肆宴(とよのあかり)に、詔を(うけたま)はる歌

島山に照れる橘髻華(うず)に挿し仕へまつるは卿大夫(まへつきみ)たち(万19-4276)

【通釈】庭園の山に輝く橘の実を髪飾りに挿してお仕えしているのは、大君の御前に伺候する官人たちである。

【補記】天平勝宝三年十一月二十五日の作。髻華は髪飾り。橘は常世から持ち来ったとの伝承をもつ、めでたい木の実。この場合、橘諸兄を主導者として仰ごう、との政治的暗喩があるか。八束は母が諸兄の妹だったこともあり、藤原氏でありながら親諸兄派であった。

―参考―

九月尽

山さびし秋もすぎぬとつぐるかも槙の葉ごとにおける朝霜(和漢朗詠集)

【通釈】山は寂しい。秋も過ぎ去ったと知らせているのだろうか。針葉樹の林を眺めれば、どの葉にもどの葉にも朝霜が置いている。

【補記】この歌は「和漢朗詠集」「深窓秘抄」などに八束作として見える。風雅集には大江千里作としてよく似た歌「山さむし秋もくれぬとつぐるかもまきの葉ごとにおける朝じも」がある。いずれも出典不明。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日