大伴駿河麻呂 おおとものするがまろ 生年未詳〜宝亀七(?-776) 略伝

大伴御行の孫。父は不詳。家持の又従兄。坂上家の次女二嬢を娶るか。
天平十五年(743)、従五位下に叙され、同十八年、越前守の地位にあった。天平宝字元年(757)、橘奈良麻呂の乱に連座し、弾劾を受ける。その後復権し、宝亀元年(770)、出雲守。同三年には陸奥按察使に任ぜられたが、老衰により辞任した。同四年、陸奥鎮守将軍。同六年、参議。同年十一月、蝦夷追討の功により正四位上勲三等。同七年(776)、卒す。万葉集巻三・四・八に計11首を残す。

大伴宿禰駿河麻呂の歌一首

梅の花散らす冬風(あらし)の音のみに聞きし我妹(わぎも)を見らくしよしも(万8-1660)

【通釈】梅の花を散らせる冬の嵐の烈しい音――その音ではないが、音(噂)にばかり聞いていたあなたに逢えたことは結構なことよ。

【補記】初めの二句は「音のみに」を導く序。今までは噂に聞くばかりであった人に、とうとう逢えた喜び。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日