大伴安麻呂 おおとものやすまろ 生年未詳〜和銅七(714) 略伝

右大臣長徳の第六子。旅人坂上郎女の父。家持の祖父。御行の弟。万葉集には佐保大納言大伴卿・大納言大将軍大伴卿などの名で見える。
天武元年(672)、壬申の乱に吉野方として参戦し、叔父の吹負らと共に倭古京を制圧する功を挙げた。天武政権確立後は壬申の功臣として重んぜられ、新都のための適地視察の使に派遣されたり、新羅の使者接待のため筑紫に派遣されたりした。文武天皇即位後の大宝元年(701)、直大壱より「正従三位」に昇叙される。『公卿補任』によれば、この年三月中納言に任ぜられたが、直後に中納言が停廃されたため、散位と為る。同二年、前年廃された中納言に代わって新設された参議に就任し、兵部卿を兼ねる。慶雲二年(705)、中納言が復活したのに伴い、中納言となり、同年さらに大納言に昇進する。この時点では右大臣石上麻呂・大納言藤原不比等に次ぐ第三位の地位であった。同年、大宰帥を兼ねる(遥任か)。和銅三年(710)、平城京遷都に際し、佐保に宅地を賜わる。同七年五月一日、薨ず。時に大納言兼大将軍正三位。元明天皇より従二位を追贈される。歌は万葉集に三首見える(うち一首は旅人作とする説もある)。

大伴宿禰、巨勢郎女(つまど)ふ時の歌一首

玉かづら実ならぬ木にはちはやぶる神そつくといふならぬ木ごとに(万2-101)

【通釈】実のならない木には、おそろしい神がとりついていると言いますよ。実のならない木にはどれも。

【補記】「玉かづら」は「実」の、「ちはやぶる」は「神」の枕詞。「實なる木の實ならぬには、神の領し給ふと云諺有しなり。心は女のさるべき時に男せねば、神の依たまひて、遂に男を得ぬぞとたとへいふ也」(萬葉集略解)。巨勢郎女の返歌は「玉葛花のみ咲きてならずあるは誰が恋にあらめ吾(あ)は恋ひ思ふを」。口先だけで実の無いのはあなたの方だろう、私は恋い慕っているのに、とやり返したのである。

大納言大伴卿の歌一首 未詳

奥山の(すが)の葉しのぎ降る雪の()なば惜しけむ雨な降りそね(万3-299)

【通釈】奥山の菅の葉を押し伏せて積もっている雪――これが消えてしまえば惜しいだろう。雨よ降らないでおくれ。

【補記】万葉集巻三、雑歌。旅の歌が並んでいる中に置かれており、旅の道中での嘱目詠か。なお題詞脚注の「未詳」は、万葉集編纂者にもこの歌の作者がよく判らなかったことを示している。作者を旅人とする説もある。

大納言兼大将軍大伴卿の歌一首

神樹(かむき)にも手は()るといふをうつたへに人妻といへば触れぬものかも(万4-517)

【通釈】御神木にも手を触れる人があるというのに、人妻だからと言うだけで、絶対手を出さないものだろうか。

【補記】万葉集巻四、相聞。御神木に触れると祟りがあるとの信仰があった。「うつたへに」はあとに否定表現を伴い、打消しの意を強める詞。「ものかも」は反語的表現で、「触れてもよいではないか」との心を籠める。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日