北条氏政 ほうじょううじまさ 天文七〜天正十八(1538-1590)

相摸小田原城主。氏康の長男。母は今川氏親の娘。弟に氏照がいる。子に氏直がいる。
永禄二年(1559)、父氏康より家督を譲られる。父と共に武田信玄・上杉謙信らとたびたび交戦する。元亀二年(1571)、常陸の佐竹義重を攻めるが、この時父は病没。同四年(1573)、当主を氏直に譲る。天正十年(1582)織田・徳川と結び、武田勝頼を滅ぼす。同十八年、豊臣秀吉の小田原征伐の際、小田原城に籠城するが、ついに降伏して開城、秀吉の命により弟氏照と共に自刃させられた。

北条氏政・氏照墓所 神奈川県小田原市栄町。右より氏政夫人・氏政・氏照の墓と伝わる。

我が身いま消ゆとやいかに思ふべき空より(きた)りくうに帰れば(関八州古戦録)

【通釈】我が身は今この世から消え去ると、どのように思えばよいというのか。ただ空から生まれて、再び空に帰って行くだけなのだから。

【補記】『太閤記』などにも見える辞世の歌。同じ時の辞世として「雨雲のおほへる月も胸の霧も払ひにけりな秋の夕風」も伝わる。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日