章義門院 しょうぎもんいん 生年未詳〜建武三(?-1336) 諱:誉子

伏見院の第二皇女。母は洞院公宗女、従三位英子。永福門院の猶子として永仁三年(1295)八月十五日、内親王・准三后となる。徳治二年(1307)六月二十二日、院号宣下。正和二年(1313)八月、出家。法名は解脱心。建武三年(1336)十月十日、薨去。五十歳に満たなかったと思われる。勅撰入集は玉葉集八首、風雅集三首、新続古今集一首、計十二首。

暮春鶯といふ心をよませ給うける

春をしたふ心の友ぞあはれなる弥生のくれの鶯の声(玉葉284)

【通釈】春を慕うことでは同じ心の友であるのが愛しいよ。三月も終わろうとする頃の鶯の声。

【補記】鶯が去りゆく春を惜しんで鳴いていると聞きなす。

萩をよみ侍りける

さきやらぬ末葉の花はまれにみえて夕露しげき庭の萩原(玉葉493)

【通釈】まだ咲ききらない末葉(すえば)の花はわずかしか見えず、夕露はおびただしくきらめいている、庭の萩の茂みよ。

【補記】「末葉の花」は枝の先端の葉先に花をつける萩の形状を簡明にあらわした言い方。

月御歌の中に

ながめわびあくがれたちぬ我が心秋にかなしき月の夜な夜な(玉葉682)

【通釈】じっと眺めてばかりはいられなくなって、私の心は空へとさまよい出てしまったよ。秋ゆえに切ない、月の輝く夜はいつも。

【補記】「秋の夜の月に心のあくがれて雲ゐに物を思ふころかな」(花山院『詞花集』)、「心こそあくがれにけれ秋の夜の夜ぶかき月をひとりみしより」(源道済『新古今集』)など同趣向の歌は古来多いが、下句の表現は新鮮。

恋歌の中に

むかふ中のつらくしもなき気色にぞ日ごろのうさも言はずなりぬる(風雅1110)

【通釈】やっと逢えて向かい合った私たちの仲はと言えば、あの人はつれなくもない様子。それで日頃溜まった憂さも口に出すことはなかったよ。

【補記】気色(けしき)は顔の表情や言葉つきなど、心のほのかな動きがあらわれたもの。

【参考歌】洞院実泰「玉葉集」
恋ひ恋ひてあひみる夜はのうれしきに日ごろのうさはいはじとぞ思ふ


最終更新日:平成14年12月18日