後伏見院 ごふしみのいん 弘安十一〜延元元(1288-1336) 諱:胤仁

伏見院の第一皇子。母は五辻経子。花園院の異母兄。西園寺寧子(広義門院)との間に量仁親王(光厳院)豊仁親王(光明院)ほかをもうけた。
伏見天皇の弘安十一年(1288)三月三日、生誕。正応二年(1289)四月、皇太子に立ち、この時永福門院の猶子となる。永仁六年(1298)七月二十二日、父帝の譲りを受け、践祚。十一歳であった。鷹司兼忠を摂政とし、伏見院が院政をとる。同年八月、両統迭立により大覚寺統の邦治親王を皇太子に立てる。同年十月十三日、即位。正安二年(1300)正月、十三歳で元服。翌年の正安三年(1301)正月、亀山院の幕府への強い働きかけがあって譲位に追い込まれ、春宮の邦治親王が践祚(後二条天皇)。在位は三年足らずに終わった。延慶元年(1308)、弟の花園天皇が即位し、正和二年(1313)に伏見院が出家すると、以後五年間、院政を行なう。また元弘元年(1331)八月の後醍醐天皇の笠置遷幸から同三年五月京都還幸までの約二年間は、光厳天皇の代にあって再び院政を行なった。元弘三年(1333)、鎌倉幕府が滅亡すると、六波羅探題北条仲時に擁せられ、花園院・光厳天皇とともに東国への脱出をはかったが、近江国番場宿で敵軍に襲われ、捕えられて帰京。六月二十六日、四十六歳で出家、法名は理覚(のち行覚)。持明院殿を御所とした。三年後の延元元年(1336)四月六日、四十九歳で崩御。御陵は京都の深草北陵。
乾元二年(1303)閏四月の仙洞五十番歌合、同年五月四日の歌合、嘉元三年(1305)三月歌合、正和元年(1312)八月十五夜五首会などに出詠。京極派に属するが、為兼とは不仲だったとの伝がある。装束に関する著『後伏見院御抄』、日記『後伏見院宸記』がある。新後撰集初出。勅撰入集は計九十四首。

  3首  2首  2首  2首  3首  2首 計14首

題しらず

花鳥のなさけまでをぞ思ひこむる夕山ふかき春のかすみに(風雅44)

【通釈】花や鳥の情趣までをも含み込んでいるかのように、その色や声を感じ取ることだよ。夕暮の山の深い春霞のうちに。

【補記】すべてを包み込むように立ちこめる深い霞だからこそ、そこに様々な春の風情を感受できる。「思ひこむ」は、恋心を内に秘めるなどの意で用いられた語だが、この歌では特殊な意味に転用している。

【参考歌】伏見院「御集」
春はただかすむ色よりおしこめて花鳥までのなさけをぞみる

雨中花を

雨しほるやよひの山の()がくれにのこるともなき花の色かな(風雅258)

【通釈】晩春三月の山では、雨がぐっしょりと濡らす木々に隠れて、もはや残っているとも言えない程わずかな花の色である。

【補記】「色」は京極派愛用語の一つ。ものの実体や客観的実在を容易く信じようとせず(あるいは信じることができず)、主観的・表層的な感覚に執着した京極派歌人は、独特のニュアンスでこの語を用いた。

題しらず

なにとなくみるにも春ぞしたはしき芝生にまじる花の色々(風雅291)

【通釈】何とはなしに見るにつけても、去りゆく春がいとおしく感じられるよ。芝生にまじって咲いている、花の色々よ。

【補記】「花の色々」は、様々な種類の花であり、また様々な色の花。

首夏を

春くれし昨日もおなじ浅みどりけふやはかはる夏山の色(風雅302)

【通釈】春が暮れた昨日も、同じ浅緑の色だった。立夏の今日は変わったのだろうか、夏山の色よ。

【参考歌】西園寺実兼「玉葉集」
花鳥のあかぬわかれに春くれてけさよりむかふ夏山の色

水鶏を

心ある夏のけしきの今宵かな木のまの月にくひな声して(風雅377)

【通釈】風情ある夏の趣きの今宵だことよ。木の間に漏れる月の光に、水鶏の声がして。

【補記】水鶏(くいな)は、水辺に棲む小鳥。初夏の頃、戸をたたくような声で鳴く。

【参考歌】花園院「御集」
更くる夜の庭のまさごは月しろし木陰ののきに水鶏声して

風後草花といふことをよませ給うける

夜すがらの野分の風の跡みれば末ふす萩に花ぞまれなる(玉葉508)

【通釈】夜通し吹き荒れた野分の嵐――ようやく過ぎ去った跡を見れば、枝先が倒れ伏した萩に、花はほとんど残っていない。

【参考歌】源有房「文保百首」
くちのこる老木の梅はさきやらで春待ちえても花ぞ稀なる

九月尽を

月もみず風もおとせぬ窓の内に秋をおくりてむかふともし火(風雅724)

【通釈】月を見ることもなく、風の音を聞くこともない窓の内側で、去りゆく秋を送りながら、ひとり灯火に対座している。

【補記】いかなる風景もなく、ただ孤独に沈潜する心の内に秋を送別する。あたかも禅僧の境地を思わせる。風雅集秋下巻軸。

【参考歌】伏見院「御集」
月も見ず嵐も聞かずのどかなるみ山の庵の夜すがらの雨

【主な派生歌】冷泉為村「為村集」
友もなくなすわざもなくつくづくとかかげてひとりむかふともし火

題しらず

都にはあらしばかりのさゆる日も外山(とやま)をみれば雪ふりにけり(続千載652)

【通釈】都には山おろしの風が冷たく吹くばかりの日だが、外山を見ると、もう雪が積もっているなあ。

【補記】「外山」は、深山(みやま)や奥山と対(つい)になる語で、人里から姿を見ることの出来る山。山地の外側をなす山々。きわめて日常的な感覚で冬の季節感を詠んでいる。

題しらず

鐘のおとにあくるか空とおきてみれば霜夜の月ぞ庭しづかなる(風雅784)

【通釈】暁鐘の音に、空は明るくなったかと起きてみれば、霜夜の冷え冷えとした月の光が射して、庭は静まり返っている。

【参考歌】伏見院「御集」
明けぬやと寝ざめてきけば秋の夜のさもまだふかき鐘の音かな
  楊梅兼行「兼行集」
明けぬやと鐘よりのちにおきてみればまだ山暗ししののめの空
  中山家親「玉葉集」
おきてみれば明がたさむき庭の面の霜にしらめる冬の月かげ

契明日恋といふ事を

いく夕べむなしき空にとぶ鳥のあすかならずと又やたのまむ(風雅1052)

【通釈】幾夕べ、虚空を飛びまわる鳥のような、あてにならぬあなたを待ち続けることか……「飛ぶ鳥の明日香」ではないけれど、「明日かならず」と、それでも私は性懲りもなく期待するのだろうか。

【補記】女の立場で詠む。地名明日香(飛鳥)の枕詞「とぶ鳥の」を巧みに利用した。

三十首歌めされし時、恨恋を

よしさらばうらみはてなんと思ふきはに日比おぼえぬあはれさぞそふ(玉葉1703)

【通釈】ええいそれならもう恨みきって別れよう――そう思う間際になって、普段は感じない情愛が加わり、決心が鈍ってしまう。

【補記】思い掛けない心理の襞を裏返してみせる、その発見は詩的なのだが、和歌としての韻律はほとんど失ってしまっている。

恋御歌の中に

今更にその世もよほす雲の色よわすれてただに過ぎし夕べを(玉葉1817)

【通釈】今頃になって、当時の睦み合っていた仲を思い出させる雲の様子だよ。あの頃のことはもう忘れて、何ごともなく過ごしていた夕方だったのに。

【補記】後伏見院若年期の秀詠。玉葉集撰進時、作者はまだ二十代半ばであった。

【参考歌】朔平門院「風雅集」
待ちなれしむかしににたる雲の色よあらぬながめの暮ぞかなしき

題しらず

鳥のゆく夕べの空のはるばるとながめの末に山ぞ色こき(風雅1659)

【通釈】鳥が飛んでゆく夕方の空を遥々と眺めやる――その先に、山が陰って色濃く見えるよ。

【補記】「色こき」は花や紅葉の色について言うことが多いが、ここでは夕空を背景にした山が陰翳深く見えることを言っているのだろう。

【参考歌】伏見院「風雅集」
鳥のゆく夕べの空よそのよには我もいそぎし方はさだめき

雨夜思といふ事を

ひとりあかすよもの思ひはききこめぬただつくづくとふくる夜の雨(風雅1692)

【通釈】独り眠らずに様々な物思いを心中に籠めた――ただつくねんと、更けてゆく夜の雨音を聞きながら。

【参考歌】伏見院「御集」
夜をながみよもの思ひのいくうつりさめてもおなじ窓の灯し火
つくづくと見ぬ空までもかなしきはひとりきく夜の軒の春雨


公開日:平成14年11月23日