藤原信実の娘。弁内侍・少将内侍の姉。
後堀河天皇の中宮藻壁門院(九条道家の娘。正しくは藻璧門院だが、藻壁門院と表記されるのが普通)に仕える。出家後、法性寺旧跡に住む。井蛙抄巻六に逸話を伝える。
貞永元年(1232)頃の洞院摂政(教実)家百首、同年七月の光明峰寺摂政(道家)家歌合、同年八月十五夜の道家主催名所月歌合、寛元元年(1243)十一月の河合社歌合、同四年十二月の春日若宮社歌合などに出詠。洞院摂政家百首に詠進した「おのが音につらき別れは…」の歌に感嘆した藤原定家が古今集を書写して与えたという。新勅撰集初出。新三十六歌仙。『新時代不同歌合』歌仙。女房三十六歌仙。
関白左大臣家百首歌よみ侍りけるに、かすみをよめる
さびしさの真柴のけぶりそのままに霞をたのむ春の山里(新勅撰1032)
【通釈】見れば寂しさの増す、真柴の細ぼそとした煙――それが空に立ちのぼり、そのまま霞になることをあてにして心細く過ごす、春浅い山里。
【補記】貞永元年(1232)の洞院摂政家百首。「真柴」は薪などに用いる雑木。「増し」を掛ける。「けぶりそのままに」は「細ぼそとした烟のように心細く」といった意を兼ねるのであろう。
関白左大臣家百首歌よみ侍りけるに
おのがねにつらき別れはありとだに思ひもしらで鳥や鳴くらむ(新勅撰794)
【通釈】自分の鳴き声がもとになって、辛い別れがあるなどとは、これっぽっちも知らずに鶏は鳴くのだろうかなあ。
【補記】同じく洞院摂政家百首。暁の鶏の鳴き声によって恋人は別れの時刻を知る、というのが当時の常識であった(多分に文学的な常識であるが)。「新時代不同歌合」「女房三十六人歌合」「六華集」などの秀歌選に採られた、藻壁門院少将の代表作。この歌により作者は「おのがねの少将」の異名を馳せたという。
【主な派生詩歌】
寝覚にもさすが驚く暁を思ひしらずと鳥や鳴くらむ(西園寺前内大臣女[新後拾遺])
老いの名の有りとも知らで四十雀(芭蕉)
前関白家歌合に、寄鳥恋といへる心をよみ侍りける
暁のゆふつけ鳥もしら露のおきてかなしきためしにぞなく(新勅撰806)
【通釈】暁を告げる鶏も、起きて別れねばならぬ、その悲しい手本として鳴くのだ。
【語釈】◇ゆふつけ鳥 木綿付け鳥。鶏のこと。◇しら露の 「置き」から「起き」を導く虚辞。「おきて」には「掟」の意も掛けるか。
【参考歌】西園寺公経「続古今集」
ひとり寝のおきてかなしき朝霜のきえなでなにとよをかさぬらむ
藤原為家「新拾遺集」
そのままにさても消えなで白露のおきてかなしき道の芝草
恋歌の中に
それをだに心のままの命とてやすくも恋に身をやかへてむ(続古今1297)
【通釈】様々なしがらみゆえ思うに任せない人生だけれども、せめてこの命だけは心のままにゆだね、安んじて恋と我が身を引き換えにしてしまおうか。
【補記】「やすく」は「平然と」「安価に」の両義が掛かり、自分の命を安価なものとして恋のために差し出してしまおう、程の意にもなる。
恋の歌よみ侍りけるに
いつはりと思ひとられぬ夕べこそはかなきもののかなしかりけれ(新勅撰844)
【通釈】あの人の約束は偽りだったと、悟ることが出来ず、いつまでも待ち続ける夕方――虚しいとは分かっているけれど、やはり愛しく切なくてならないのだ。
【補記】「新三十六人撰」では第二句「思ひしられぬ」とする。
恋歌中に
待ちなれし夕べの空もかはれただ人の心のあらずなる世に(続古今1214)
【通釈】あの人の約束を期待して、待つことに慣れてしまった夕方の空――もう、きっぱり変わって雨でも降ってしまえ。人の心があてにならないこの世なのだから。
【補記】恋人の心は変わってしまったのだから、いっそお天気も変わって、待つ私を諦めさせてくれ、との気持。
題しらず
思ひつついかに寝し夜を限りにてまたもむすばぬ夢路なるらむ(新拾遺1222)
【通釈】あの人を思いながら、どんな風に寝入ったのだったか――あの夜を最後に、再び夢で出逢うことは叶わないのだろうか。
【補記】「むすばぬ」は、「願いが実現しない」「契りを結ばない」の両義。
【参考歌】土御門院小宰相「続古今集」
はかなくて見えつる夢の面影をいかに寝し夜とまたやしのばむ
最終更新日:平成14年10月15日