平忠度 たいらのただのり 天養元〜寿永三(1144-1184)

桓武平氏。忠盛の子。母は藤原為忠女(平家物語)。清盛・教盛・経盛らの弟。子に忠行がいる。
熊野で生れ育ったという。嘉応二年(1170)、右衛門佐の職にあった。治承二年(1178)正月、従四位上。同三年十一月、伯耆守。治承四年(1180)、薩摩守。最終官位は従四位上か(尊卑分脈によれば正四位下)。反平氏勢力追討のために大将軍として各地を転戦。寿永二年(1183)、平氏一門の都落ちの際、都へ引返して藤原俊成に自詠の巻物を託したとの話はよく知られる。寿永三年二月七日、一の谷の合戦で源氏方の岡部忠澄に討たれた。享年四十一。
承安元年(1171)の太皇太后宮亮経盛歌合、治承二年(1178)の別雷社歌合、仁安元年(1166)から治承二年(1178)頃の為業(寂念)歌合などに出詠。守覚法親王の歌会などにも参加し、また自邸で歌合を主催した。家集『忠度集』がある。千載集初出(但し「よみ人知らず」として入集)。以下勅撰入集は計十首。

  3首  1首  4首  3首 計11首

梅の花夜は夢にも見てしがな闇のうつつのにほふばかりに(忠度集)

【通釈】昼間に見た梅の花――あれを夜には夢にも見たいものだ。現実は真っ暗な闇なのだけれど、その闇が匂うほどに。

【補記】下句を「やみのうつつはにほひばかりぞ」とする本もある。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
むばたまの闇のうつつはさだかなる夢にいくらもまさらざりけり

故郷花といへる心をよみ侍りける

さざなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな(千載66)

【通釈】さざ波寄せる琵琶湖畔の志賀の旧都――都の跡はすっかり荒れ果ててしまったけれども、長等(ながら)山の桜は、昔のままに美しく咲いているよ。

【語釈】◇さざなみや 「さざなみ」(楽浪)は琵琶湖西南部一帯の古名。この歌では「さざなみや」で「志賀」にかかる枕詞として用いている。◇志賀の都 志賀は琵琶湖西南岸、南志賀地方。景行・成務・仲哀三代の皇居の地と伝わり、天智天皇の大津京もこの地に営まれた。◇昔ながらの山ざくら 「ながらの山」に長等山を掛ける。

【補記】この歌は千載集に「よみ人知らず」の作として載る。作者が忠度であることは周知の事実であったが、朝敵の身となったため、撰者の藤原俊成が配慮して名を隠したのである。『平家物語』巻七「忠度都落」にもその間の事情が述べられている。家集の詞書は「為業哥合に故郷花」。藤原為業(寂念)邸での歌合の作。

【本歌】高市黒人「万葉集」巻一
楽浪の国つ御神のうらさびて荒れたる都見れば悲しも
【参考歌】紀貫之「拾遺集」
あだなれど桜のみこそ故郷の昔ながらの物にはありけれ
  源順「拾遺集」
名をきけば昔ながらの山なれどしぐるる秋は色まさりけり

【主な派生歌】
思ひ捨てて我が身ともなき心にもなほ昔なる山桜かな(*藤原忠良[新勅撰])

旅宿花

行き暮れて木の下蔭を宿とせば花や今宵のあるじならまし(平家物語)

【通釈】旅をゆくうち日が暮れてしまい、桜の木陰を宿とすれば、花が今夜のあるじということになるのだ。

【補記】『平家物語』巻第九、「忠度最後」。一ノ谷の戦いで忠度は岡部六弥太忠澄に首を討ち取られた。忠澄が忠度の箙(えびら)に結び付けられた文を取ってみたところ、この歌が書き付けられていたという。

【本歌】藤原公任「拾遺集」
春来てぞ人もとひける山里は花こそ宿のあるじなりけれ

身のほどに思ひあまれるけしきにていづちともなくゆく蛍かな(忠度集)

【通釈】小さな体に余るほどの思いが、火となって燃えているような様子で、どこへともなく飛んで行く蛍であるよ。

【語釈】◇思ひあまれる 胸中の思いが隠しきれずに外にあらわれる。思ひのヒに火を掛けている。

【補記】初句を「身のほどは」とする本もある。

互忍恋といふことを

恋ひ死なむ後の世までの思ひ出はしのぶ心のかよふばかりか(新拾遺945)

【通釈】私はもう恋に焦がれて死んでしまうだろう。そうして来世まで持ち越す思い出といったら、ただお互いに堪え、隠し通した恋心だけなのか。

【語釈】◇互忍恋 互(かたみ)に忍ぶ恋。◇後の世 来世。生まれ変って後の生。◇しのぶ心のかよふばかりか 堪え忍んだ思いだけが、恋人と共通する唯一のものなのだろうか。この「かよふ」は「思いが通じる」「互いに共通点がある」といった意味。

失本心恋

かからじと思ひしことを忍びかね恋に心をまかせはてつる(忠度集)

【通釈】こんなふうに正気を失うことはあるまいと思っていたが、それも堪(こら)えかねて、とうとう恋に心をゆだねきってしまった。

【語釈】◇失本心恋 本心を失へる恋。「本心」は正気・理性の意。◇かからじと かくあらじと。このようになりはしまいと。

恋遠郷人

恋ひわたる(いも)が住み家は思ひ寝の夢路にさへぞはるけかりける(忠度集)

【通釈】ずっと恋し続けているおまえの住む家は、おまえを思いながら寝入った夢で訪ねる道でさえも、遥か遠いのだった。

【語釈】◇恋遠郷人 遠き郷の人を恋ふ。◇夢路 夢の中で辿る道。

【参考歌】兼藝法師「古今集」
もろこしも夢に見しかばちかかりきおもはぬ中ぞはるけかりける

題しらず

たのめつつ来ぬ夜つもりのうらみてもまつより(ほか)のなぐさめぞなき(新勅撰852)

【通釈】期待させながら来ない夜が積もり積もった。津守の浦ではないけれど、いくら恨んでみたところで、結局松ならぬ待つよりほか、私には慰めなどないのだ。

【語釈】◇来ぬ夜つもりの 「つもり」は動詞「積もり」と地名「津守」の掛詞。津守は摂津国の歌枕で、今の大阪市西成区あたり。松の名所。◇うらみても ウラは浦・恨みの掛詞。◇まつより外の 「まつ」は待つ・松の掛詞。

【補記】女の立場で詠んだ歌。

野径月

月影の入るをかぎりに分け行けばいづこかとまり野原篠原(忠度集)

【通釈】月が山に隠れるまでは…と分け入ってみたのだが、いったいどこで立ち止まって野宿すればよいのだろう。行けども行けども篠の生い茂る野原――。

【語釈】◇月影の入るをかぎりに 月が沈む時を限界として。月が沈んだら、その時は適当な場所で野宿するつもりで、篠原に分け入ったのである。◇とまり 終着点。また、宿泊する場所の意味も重なる。

平経正朝臣摂津国にまかりて、「など音づれぬぞ」と申して侍りける返り事に申しつかはしける

我のみやいふべかりける別れ路は行くもとまるもおなじ思ひを(玉葉1116)

【通釈】どうして私だけが悲しみを言うべきだろうか。別れにあっては、発って行くにせよ、留まるにせよ、同じ思いなのに。

【語釈】◇平経正 参議経盛の子。正四位下皇太后宮亮に至る。歌林苑会衆。◇など音づれぬぞ なぜ音信をくれないのか。

閨冷夢驚といふことを人にかはりて

風のおとに秋の夜ぶかく寝覚して見はてぬ夢のなごりをぞ思ふ(忠度集)

【通釈】秋の深夜、寒ざむとした風の音に目が覚めて、途切れてしまった夢のなごりを追想するのだ。

【語釈】◇閨冷夢驚 閨(ねや)の冷たさに夢から醒める、の意。

【補記】この歌は鴨長明『無名抄』に「させる事なけれど、ただ詞続きにほひ深くいひなしつれば、よろしく聞こゆ」歌の例として挙げられている。


更新日:平成15年01月21日
最終更新日:平成20年12月17日