兼明親王 かねあきらしんのう 延喜十四〜永延一(914-987) 別称:前中書王・御子左大臣

醍醐天皇の第十六皇子。母は藤原菅根女、淑姫。源高明の異母弟。
源姓を賜わり、臣籍に下って、承平二年(932)、従四位上。播磨権守・右近衛中将・左近衛中将などを経て、天慶七年(944)、参議。天暦七年(953)、権中納言。同九年、中納言。康保四年(967)、従二位・大納言。天禄二年(971)、左大臣。貞元二年(977)、勅により親王に復し、二品中務卿。寛和二年(986)、卿を辞す。晩年は嵯峨に隠棲。
『本朝文粋』に詩文を残す。勅撰和歌集入集は後拾遺集の1首のみ。『古今和歌六帖』の撰者に有力視されている。

小倉の家に住み侍りける頃、雨の降りける日、蓑借る人の侍りければ、山吹の枝を折りて取らせて侍りけり、心も得でまかりすぎて又の日、山吹の心得ざりしよし言ひにおこせて侍りける返りに言ひつかはしける

七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞあやしき(後拾遺1154)

【通釈】(詞書)小倉(京都嵯峨の小倉山付近)の家に住んでおりました頃、雨の降った日でしたが、来客があって、帰りがけ蓑を借りたいと言われたので、山吹の枝を折って持たせました。その人は事情が呑み込めずに帰って行きましたが、何日か経って、山吹の真意が解らなかったと言って寄越したので、その返事に歌を届けました。
(歌)表の意:山吹の花は七重八重に咲くのに、実が一つも結ばないのは不思議です。
裏の意:山吹ではありませんが、お貸しすべき蓑ひとつ無くて心苦しいことです。

【語釈】◇みのひとつだに 「実の一つだに」「蓑一つだに」の掛詞。八重山吹の花が実を結ばないことに、貸すべき蓑がないことを掛けている。◇なきぞあやしき 無いことが申し訳ない。「あやしき」は、この場合「道理や礼儀にはずれている」程の意。江戸時代の流布本などでは「かなしき」になっている。

【補記】後世、湯浅常山の『常山紀談』巻一「太田持資歌道に志す事」などに引かれ、広く知られるようになった(太田持資は太田道灌)。

八重山吹

【主な派生歌】
山吹のはながみばかり金いれにみのひとつだになきぞかなしき(四方赤良)
山吹のみの一つだに無き宿はかさも二つはもたぬなりけり(*橘曙覧)


公開日:平成12年09月02日
最終更新日:平成15年03月21日