鳥羽天皇の第五皇子。母は待賢門院璋子。崇徳院・後白河院の同母弟。近衛天皇の異母兄。
父帝退位ののち、崇徳天皇の大治四年(1129)に生まれる。保延元年(1135)、七歳で仁和寺に入り、覚法法親王(白河天皇第四皇子)に師事する。同六年(1140)、出家。法名は信法(のち覚性)。久安三年(1147)、一身阿闍梨(あじゃり)宣下。仁平三年(1153)、仁和寺の寺主となる。ほかに六勝寺・法金剛院・円宗寺などの名刹も管理した。仁安二年(1167)、総法務の宣下を受け、法務大僧正となる。同三年、守覚法親王に伝法灌頂を授ける。
仁和寺内に紫金台(しこんだい)寺を建立して住み、紫金台寺御室とも呼ばれた。同寺には西行・教長や徳大寺家の人々を出入りさせ、歌会や歌合を盛んに催した。観蓮・二条院・崇徳院などとも親交があった。嘉応元年(1169)十二月十一日、薨去。四十一歳。
他撰の家集『出観集』がある。千載集初出。勅撰入集二十二首。清輔撰の『続詞花集』では崇徳院に次ぎ第二位の入集数(15首)。
春 3首 夏 2首 秋 3首 冬 3首 恋 2首 雑 6首 計19首
竹畔残雪
日をさふる真野の若竹影うすしいつまで残るこぞの雪かも(出観集)
【通釈】真野の地に、日を遮って生い茂る若竹は細く、影は薄い。竹のほとりに残っている去年の雪は、いつまで消えずにいるだろうか。
【語釈】◇さふる 遮る・妨害する意の下二段動詞「さふ」の連体形。◇真野 滋賀県大津市真野町。真野川が琵琶湖に注ぐあたり。薄が生い茂り、鶉が鳴く、寂しげな野として詠まれることが多い。
問樵夫尋花
妻木こるしづをにとへば花は見ゆ朝日あたりの峰にとぞ言ふ(出観集)
【通釈】薪用の枝を伐り採っている樵夫(きこり)に尋ねると、「桜の花ならあるよ、朝日山あたりの頂の方に」と言う。
【語釈】◇問樵夫尋花 樵夫に問ひ花を尋ぬ。『頼政集』『林葉集』に「逢樵夫問花」の題が見え、当時流行った歌題の類型か。◇妻木(つまき) 薪などにする小枝。◇しづを 賤男。樵夫を指す。◇朝日 宇治の朝日山か。貴族の別荘があり、遊山の地であった。
【補記】「花は見ゆ。朝日あたりの峰に」は、木こりの話し言葉をそのまま写しているかのように聞こえ、耳新しく面白い。「朝日あたりの峰」が「朝日のあたる峰」の意を帯びて、無意識のうちに掛詞になっていることも、見逃せない。木こりのさりげない受け答えに、作為もなく生じた風流を発見しているのである。
夜思山花といへる心を
夜もすがら花のにほひを思ひやる心や峰に旅寝しつらむ(千載59)
【通釈】一晩中、遠い山の桜が美しく咲くさまに想いを馳せて過ごす――私の心は、山へあこがれて行って、頂で野宿してしまうことになるのだろうか。
【語釈】◇夜思山花 夜、山の花を思ふ。
蛍
【通釈】すだれの外では、夜の灯火がまだ消えずに残っていて、光がほのかに点滅している。そう思ったのは、蛍だったよ。
さ夜ふけて砧の音ぞたゆむなる月を見つつや衣うつらむ(千載338)
【通釈】ずっと聞えていた砧(きぬた)の音が、夜が更けて、時々やむようになった。月を見ながら衣を打っているのだろうか。
【語釈】◇擣衣 布に艷を出すため、砧の上で槌などによって衣を叩くこと。◇砧 衣板(きぬいた)の転という。衣を打つための台。◇たゆむなる 「たゆむ」は、緊張がゆるむ・持続していた努力を途中で怠る、といった意。「なる」はいわゆる伝聞の助動詞。但しここでは「…らしい」という伝聞・推測の意は無く、音がそう聞える、という判断を指し示しているにすぎない。
霧中遠帆
淡路潟かぢ音すなりちたの江の朝あけの霧に片帆かくれて(出観集)
【通釈】淡路潟のほとりにいると、楫の音が聞えてくる。見れば、ちたの江に立ちこめる朝霧に片帆を隠しつつ、漕いでゆく舟の影…。
【語釈】◇淡路潟 淡路島近辺の海。詳細は不明。「潟」は遠浅の海。◇かぢ 船を進めるための装備。櫓(ろ)や櫂の総称。◇ちたの江 讃岐国の歌枕かという。◇片帆 真帆(まほ)の対語。帆を一方に片寄せて風を受けること。また、そのようにした帆。
【他出】万代集、歌枕名寄、夫木和歌抄
秋思故郷
ふるさとに我がなれ
【通釈】今頃妻は、懐かしい都の我が家で、私の着馴れた衣を重ね着しているだろう。この僻地の荒れ野も、秋風が寒い。
【語釈】◇ふるさと 荒れた里、古い由緒のある里(例えば奈良・吉野)、昔なじみの土地など、さまざまなニュアンスで用いられる語であるが、ここでは鄙の地にいる《我》にとっての故郷、すなわち都を指す。◇鄙 都から遠く離れた地方。もともとは、東方の土地を「あづま」と呼んだのに対し、西方および北方の土地を「ひな」と呼んだ。
【参考歌】丹比真人「万葉集」巻二
天ざかる夷の荒野に君を置きて思ひつつあれば生けるともなし
時雨の歌とてよめる
木の葉ちるとばかり聞きてやみなまし漏らで時雨の山めぐりせば(千載405)
【通釈】木の葉が散る音だとばかり思って聞いたことだろう。山を巡って降る時雨が、我が庵の屋根を漏れることがなかったなら。
【語釈】◇山めぐり しぐれ雲が山から山へ移動しつつ雨を降らせてゆくこと。同語で山寺の巡礼をも意味するため、話者が出家の身であることを暗示する。
【補記】時雨はパラパラと音をたてて降る。雨水が漏れてこなかったら、散り落ちた木の葉が屋根にあたる音と聞き間違えただろう、ということ。
雪中惜別
ふる雪にひれふる袖も見えじかしあまざかりゆく君が舟出は(出観集)
【通釈】降りしきるこの雪に、領布(ひれ)を振る袖も見えないだろうなあ。遠い鄙の地へ旅立ってゆくあなたの船出は。
【語釈】◇ひれ 衣の上から肩にかけて垂らした細長い布で、スカーフのようなもの。女子の装身具。◇あまざかりゆく 空遠く離れてゆく。「天離(あまざか)る」は万葉集に「夷(ひな)」「向ひ」などに掛かる枕詞として見える。ここでは「遠隔の地へと旅立ってゆく」程の意で用いている。
題しらず
たとへてもいはむかたなし月影に薄雲かけてふれる白雪(千載450)
【通釈】何ものに喩えても言い様がない。月に薄雲をかけるようにして降っている白雪の風情は。
人々に十五首の歌よませ給ふとて、初恋のこころを
よそにのみ恋てふことのみなれざをけふは我が手にとりてけるかな(出観集)
【通釈】恋というものは、よそごととばかり見慣れていたけれども、今日は自分自身のこととして経験したことだ。
【補記】「みなれざを」は水馴れ棹、使い込まれて水によく馴れた舟棹のこと。「見慣れ」を掛けている。その棹を初めて手に取ったとは、すなわち未知の恋の旅に舟出したことになる。
【本歌】よみ人しらず「拾遺集」
大井河くだす筏のみなれざをみなれぬ人も恋しかりけり
暮恋故人といへる心を
なき人を思ひ出でたる夕暮は恨みしことぞ悔しかりける(千載954)
【通釈】夕暮になると、よく、死んでしまったあの人を思い出す。そんな時には、恨んであの人を責めたことが、悔やまれるのだ。
【語釈】◇夕暮 逢引の時刻。◇恨みしこと 「恨む」は、相手の態度を不満に思い、心の中では相手を責めながらも、堪え忍ぶ。または、その不満をあらわして恨み言を言う。この歌の場合、後者と解した。
待賢門院かくれさせ給うて後、法金剛院にて
古郷にけふこざりせば時鳥たれと昔を恋ひてなかまし(千載588)
【通釈】私が今日、母君の住まわれた懐かしいこのお寺に来なかったら、ほととぎすよ、おまえは誰と昔を恋しがりながら鳴いただろうか。
【語釈】◇待賢門院 藤原公実の娘。鳥羽院皇后。作者の母。久安元年(1145)、崩御。◇法金剛院 京都市右京区花園。待賢門院の御願寺で、出家後の住まいとした。◇昔 待賢門院の生前の思い出。
落花の心をよみ侍りける
はかなさを恨みも果てじ桜花うき世は誰も心ならねば(千載1053)
【通釈】あっという間に散ってしまうはかなさを、どこまでも恨み通すことはすまい、桜の花よ。憂き世では、誰だって心ならずも生きているのだから。自分の心から散るわけではない花を、どうして責められようか。
【語釈】◇恨みも果てじ 「はて」は最後までし通す意。
木の間もる有明の月のおくらずはひとりや山の峰を出でまし(千載1001)
【通釈】木の間を漏れてくる有明の月が送ってくれなかったら、私は独りぽっちで山の峰を出て行くことになっただろう。
【語釈】◇箕面の山寺 大阪府箕面市の竜安寺(ろうあんじ)。役小角(えんのおづぬ)創建と伝わり、修験道の霊場であった。
松閑中友
むかひゐて幾とせすぎぬこの宿にあるじもひとり松もひともと(出観集)
【通釈】向かい合って何年過ぎただろう、この庵に、主人も一人ぽっち、松も一本だけで。
【語釈】◇松閑中友 松は閑中の友なり。「閑中友」とは、世を逃れた閑寂の生活における友。「誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに」(藤原興風)など、松を友に譬えるのは古来の例。
題しらず
ながめしてすぎにし方を思ふまに峯より峯に月はうつりぬ(新古今1537)
【通釈】ぼんやりと外を眺めながら、過ぎ去った昔のことを思いめぐらすうちに、いつしか月は東の峰から西の峰に移ってしまった。
【補記】『続詞花集』では題「月前述懐心を」。
きりとうだい
秋くればさやけき月とたつ霧と歌いづれをかさきによむべき(出観集)
【通釈】秋になると、冴え冴えと照る月と、立ちこめる霧と、どっちを先に歌に詠んだらいいか、いつも悩むのだ。
【語釈】◇きりとうだい 切燈台。室内用の燈火具の一種。
【補記】物名歌。一首のうちに「きりとうたい」を詠み込んでいる。
更新日:平成16年04月17日
最終更新日:平成22年02月02日