磐之媛命 いわのひめのみこと

建内宿禰の子葛城襲津彦の姫。仁徳天皇の皇后。履中天皇・住吉仲皇子・反正天皇・允恭天皇の母。天皇の側室黒比売・八田皇女に対する激しい嫉妬の話が伝わる。万葉集最古の作者。陵墓は『延喜式』に大和添上郡の平城坂上墓とし、奈良市佐紀のヒシアゲ古墳に比定されている。
古事記には「石之日売命」とあり歌謡二首を、日本書紀には「磐之媛命」とあり歌謡四首を伝える。万葉集には「磐姫皇后」とあり、短歌四首を載せる。以下には古事記の二首と万葉集の四首を掲げる。

磐之媛の墓
磐之媛陵 ヒシアゲ古墳とも。奈良市佐紀

 

つぎねふや 山代川やましろがはを 川のぼり が上れば 川のに てる 烏草樹さしぶを 烏草樹さしぶの木 が下に てる 葉広はびろ 五百箇ゆつ真椿 が花の 照りいまし が葉の 広りいますは 大君ろかも (古事記)

【通釈】山代川を船で溯ってゆきますと、川の岸辺に生えている、さしぶの木。さしぶの木、その下に生えている、広い葉のたくさんの椿。その花のように、照り輝いていらっしゃり、その葉のように、ゆったりと足を広げていらっしゃるのは、天皇陛下でいらっしゃいますよ。

【語釈】◇つぎねふや 山代の枕詞。語義未詳。◇山代川 現在の淀川にあたる。◇烏草樹の木 シャクヤク科の常緑灌木という(岩波古典大系)。

【補記】磐之媛が紀国に行幸している間、仁徳天皇は八田若郎女と昼夜遊び戯れていた。難波まで戻ったとき、この話を聞き知った磐之媛は大いに恨み怒り、堀江を遡って山代へ向かった。その時に詠んだ歌という。さらに奈良山の手前まで行って詠んだのが、次の歌である。

 

つぎねふや 山代川を 宮のぼり が上れば あをによし 奈良を過ぎ 小楯をだて やまとを過ぎ が 見がし国は 葛城かづらき 高宮たかみや 吾家わぎへの辺り(古事記)

【通釈】山代川を、難波の宮を遠ざかって溯ってゆけば、奈良を過ぎ、倭も過ぎた先、私が見たいと願う国は、葛城の高宮、私が生れた家のあたりなのだ。

【語釈】◇あをによし 奈良の枕詞◇小楯 「やまと」の枕詞◇倭 「此は城下郡なる、倭ノ郷を詔へり」(古事記伝)。◇葛城高宮 和名抄にある大和国葛上郡高宮。葛城氏出身である磐之媛の故郷。

皇后の天皇をしのばしてよみませる御歌四首

君が行き長くなりぬ山たづね迎へか行かむ待ちにか待たむ(万2-85)

【通釈】あの人が旅に出て、もう何日も経った。山道を探しながら、迎えに行こうかしら。それとも、ただひたすら待っていようかしら。

【語釈】◇君が行き 「君」は仁徳天皇を指す。「行き」は旅行を意味する体言。

【補記】この歌は古事記に軽大郎女の作とする下記の歌の異伝。
 君が往き日長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ

【他出】綺語抄、袖中抄、古来風躰抄

【主な派生歌】
君がゆきけながくなりぬ奈良路なる山斎(しま)の木立も神さびにけり(*吉田宜[万葉])

 

かくばかり恋ひつつあらずは高山の磐根いはねきて死なましものを(万2-86)

【通釈】これ程まで恋しさに苦しみつづけるのよりは、いっそ高い山の岩を枕にして死んだほうがましだ。

【語釈】◇恋ひつつあらずは 「ずは」は、「…ではなくて」「…せずに」などの意味の条件句をつくる連語。◇高山の磐根し枕きて 山陵の石室に葬られることを言う。前の歌との関連からは、山を探し歩く途中で絶命してしまう意にもなる。

【参考歌】柿本人麻呂「万葉集」巻二
鴨山の磐根し枕ける我をかも知らにと妹が待ちつつあるらむ

 

ありつつも君をば待たむうち靡くが黒髪に霜の置くまでに(万2-87)

【通釈】じっとこうして、あの人の帰りを待とう。床に投げ出した私の黒髪に、白いものが交じるようになるまでも。

【語釈】◇うち靡く 長く垂らした髪は歩くたびに靡くように見えることから、「黒髪」を枕詞風に修飾する語として用いた。この歌では、床に投げ出され、横たえられた黒髪のイメージを思い描くべきだろう。◇霜の置くまでに 「霜」は白髪の暗喩。「か黒き髪に いつの間か 霜の降りけむ」(巻5-804 憶良)。

【補記】万葉集巻二左注に「古歌集中出」として、次のような異伝を載せる。
 居明かして君をば待たむぬばたまの我が黒髪に霜は降るとも

 

秋の田の穂のらふ朝霞いつへの方に我が恋やまむ(万2-88)

【通釈】秋の田に実った稲の穂並――その上にたちこめる朝霧は、いつのまにか消えてしまう。あれみたいに、私の恋心もどこかへ消えていってほしいのだけれど、いつまでも私の胸に立ちこめたままだ。

【語釈】◇秋の田の穂 秋、穂が実った稲田。一本の稲穂でなく、穂並を言っている。

【他出】古今和歌六帖、奥義抄、袋草紙、古来風躰抄

【主な派生歌】
秋の田の穂の上霧合へりしかすがに月夜さやけみ鴫鳴き渡る(長塚節)
潮沫(しほなわ)のはかなくあらばもろ共にいづべの方にほろびてゆかむ(斎藤茂吉)


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成21年04月17日