米米解散後、テレビCMや声優、ミュージカル、ロックオペラと幅広い活動をされている小野田さんにお話を伺う事が出来ました。
米米のシンボル、米米の神様としてファンに崇められ君臨してこられた小野田さんの素顔はいかに・・・
じつは、小野田さんはとっても気さくで、優しくて、真面目な方だったのです。ファンならではの知りたい事が満載です。


1998年4月15日。都内某所でその会見は密かに行われたのでした。
初対面で緊張しまくりのコメホカスタッフの前に現れた小野田さんは、じつに気さくにお話ししてくれたのです。

コメホカ:今日はお忙しいところを、お時間を割いて頂き有り難うございました。
(と言う事でまずはコメホカの自己紹介から・・・)

と、ここで小野田さんおもむろに鞄をごそごそと・・・何やら取り出したのは・・・

プロフィールとか、持ってきたんですけど。
ありがとうございます。(おおっ!なんとご親切な!感激!)
自分なりに、今までの、ちょっとした事とかを。
(プロフィールと『江分利満氏』『ハムレット』のチラシを)
これしかないんですけど。自分で気に入っているんで、持ってきました。初めて、素顔で撮ってただいたんですけど。
そうですよね。これって、「フォーカス」に出てた写真と同じお顔でしたっけ?あの時に、ほどんど同時位に取材が あったんですか?
そうですね。「フォーカス」とかスポーツ新聞ですか、その時に使われた写真、っていうか撮った写真とか出してますね。
そうですね。ヒゲを剃ってるとこになってましたよね。
あと、その場で稽古に来ていただいて、その場で、そのかっこうで撮ったりとか、今のかっこうとか、あんまり変わらないんですけど。
皆さん、ご存じのもの(プロフィール)とかあると思うんですけど、多分、解散前後がグチャグチャして、何やってるかわかんないと思う んですよね。個人の情報がね、解散前後の。特に、97年。まあ、てっぺいちゃんが映画撮ってる間にやってた時期とか。


プロフィール
ジェームス小野田 ex.米米CLUB

本 名   : 小野田 安秀 ONODA YASUHIDE
生年月日  : 1959年11月8日
出身地   : 神奈川県川崎市

・1985年 10月21日
       ソニーレコードよりアルバム「シャリシャリズム」、シングル「I CAN BE」でデビュー。

・1994年 11月17日〜21日
       ミュージカル「キング・オブ・ラディッシュ」出演。出演:布施明、小野田安秀

・1995年 5月27日〜6月6日
       ミュージカル「改訂版キング・オブ・ラディッシュ」出演。出演:小野田安秀、歌川椎子、福井貴一

・1996年 TV出演。NHK「うたってオドロンパ」役:パオさん
       CFナレーション
       ・ケンタッキー・フライドチキン:「爆」(バオ)
       ・ANA:「沖縄」

・1997年 CFナレーション
       ・AJINOMOTO:「野菜応援団」
       ・トヨタ:「ラウム」
       ・DDI:「セルラー」
       ・東 レ:
       ・コーセー:「ルージュラブラス」
       ・トリンプ:

・1998年 ワールド・オン・アイス「オズの魔法使い」声:出演。オズ役、他5役。
       1月 ひとりエッセイミュージカル「江分利満氏の優雅な生活」出演。
       3月 ひとりエッセイミュージカル「江分利満氏の優雅な生活」京王プラザホテル ディナーショウ出演。
       5月 ロックミュージカル「ハムレット」クローディアス(デンマーク国王)役出演予定。


ひとりエッセイミュージカル「江分利満氏の優雅な生活」


15日、雪でね、夜の公演がなくなっちゃった。(1月15日の大雪の日)
25日に見させていただいたんです、コメホカ全員揃って。
アートスフィア入り口

最終日、サックスのリードが、カパッってやった瞬間、ヒラヒラヒラとリードが落ちた瞬間、ザーっと血の気が下が っちゃっいました。
血の気が下がりますよね、どうしようかって。あの日ね、10年前に、友竹正則さんがやられてるんです。で、お亡くなりになって、 ご病気だったんで、1回しかできなかったんですって、それも銀座の小さい所で。それで、1回で終わってしまったんで、プロデューサ ーのほうは、やりたかったんですって。で、そういう気持ちがあって、最終日に友竹さんの遺品を、私に、いただきました。
指輪をね、形見をいただきまして、それをポケットに入れてやってたんですよ。そしたら、緞帳は下がらないし、サックスのリードはピラピラとれちゃうし。結構、緞帳が下がらなかったのが、一番なんかね、ドキリ。自分はわからなかったんだけど、スタッフはね。勝手 にしろーとか、言って。(笑)舞台監督は、こっちに来てくださいって。
(タタリってことはないですよねぇ・・・)
そうだったんですか。でも、あの時、カメラ入ってましたよね。なんか、BSでやるみたいな。
そうです。4月の28日の夜中、27日の夜の1時から。で、なんか、NHKのドキュメンタリー風にやるらしいんですよ。だから、 入場から、花とか映しながら、舞台に。で、見るとちょっとはずかしいんですけどね。やる前に「どうですか、意気込みは」とか、カメ ラの前で言われて。「あがりますよ。精一杯やってますから」なんて言って。「どうですか、今の心境は」「もう、ドキドキ、口から心 臓が飛び出る位、ドキドキしてます」とか。
前の、友竹さんのは、ご覧になった事は?
いや、見なかったです。見ると影響されちゃうから。結局、最後まで見なかった。映画は見ましたけどね、あの人がやっている、え ーと、東映でやってるんですよね。ど忘れしちゃった。
映画化もされているんだ。
映画化されています。
かなり前ですよね。
かなり前、昭和30年代、40年位前。白黒でしたもん。
あの、「ダカーポ」の常盤さんの感想、お読みになりました?
読みました。最終日に、山口瞳先生の奥様とバッタリ、会ったんですって。あ、書いてありましたね。それで、すごく感動して。書 かれる前に、プロデューサーのほうから、「常盤新平さんがね書いてくれるって言ってるよ」って。どんな人かよく知らなくって。
「ダカーポでね、書いてくれるって。普通、役者なんか、書いてくれないんだから。」って言われて。「役者だからって、うまいとかそ ういうので、書いてくれるような人じゃないんだから」。こっちは、「はあ」とか言って、全然、「そうなんですか」って。
私も、読んだんですけど、実は、今も持ってきてるんですけど。やっぱり、年代が、私達が見ると、どうしても、ちょっと、江分利 満氏っていうのは、父の世代にどっちかっていうと近いんで、自分よりもね。
そうですね。自分よりは。
でも、常盤さんは同世代として見てらっしゃるから、やっぱり、読み方が深いっていうか、すごいな。「あ、そうか、こういうアレ だったのかな」っていうのと、やっぱり、身内がほめられたみたいに嬉しい、っていったら、変ですけどね、やっぱり嬉しかったですね、 あれ読んで。
そうですね。あの文章の書き方、山口瞳さんの、あれ、似てますよね。
似てます。
だから、好きなんじゃないかな。文体とか。
だと思います。
細かく、スパゲティーを食べてどうのこうのとか。
すごく、日常の..
あ、これ、山口流に書いてあるんじゃないの。これ、常盤さん好きなんだなーって思って。山口さんの作風がホンとに好きなんだな って。嬉しかったですね。
本当に。
書いてってお願いしないで、向こうからきてますから。

石井さん、金子さん、美奈子さんのお花

今回のお芝居で、苦労されたっていうか、4ヵ月以上も御稽古されたっていうことなんですけど。
そうなんですよ。演出家の竹邑類さんっていう方がいて、スリムカンパニーじゃなくてスーパーカンパニー、忙しくて、なかなか稽 古をつけていただけなかったんですが。っていうのは、最初に台本もらったのも8月なんですよ。まず、覚える。一人だから覚えなさい、 と。まず、歌から覚えないと。歌がすごく難しいんですよね。甲斐さん、甲斐正人さんって、この江分利満の曲かいた時って、この人、ブ ルーリボン賞もらった方なんですよ、知ってます?鎌田行進曲作った人ですよ。その時に作った曲で、一番脂が乗っている時にこの江分利 満の曲作ったんで、すっごい難しいんですよね。普通、一番、2番、サビがあって、っていうんじゃなくて、最初から最後まで一番ってい うような。
(笑)
最初から最後まで全部違うメロディー。
(笑)
だって、似たようなメロディーが、ちょこちょこ違うんですよ。同じメロディーが繰り返さないから、この曲は、オペラ歌手の友竹正則さんにかいたんで、友竹さんだったら、このくらい歌えるだろうってかいたんだと思うん ですよね。オペラ畑の、クラシック派の人だったら、そういうの、譜面見ればわかると思うんですけど。私なんかね、別にクラシック畑じ ゃないし。自分でメロディー作って♪フンフンとか歌ってたから、ずっと10年間やってきたんで、きっちり、譜面を見て、譜面を覚えて っていうのが、なかったものですから、結構苦労しましたよ。最初から、苦労しました。でも、4ヶ月かけてよかったなあと思いましたけ どね。とにかく、一人でやるわけですから、コケたら終わりじゃないですか。(笑)
そうですよね。
もう、2度とできないと思ったから。まあ、これは、ずっとやってきたいなと、思ってるんですけどね。回数を重ねていくうちに、少しづつ馴れてきているので、次やる時は、もうちょっとうまく、っていうか上達したかたちでみせられると思うんですけど。
やっぱり、歌とかも、発声法とか、よくわからないんですけど、歌いかたも全然変えてやらないとダメなんですか?
変えてやりましたね。っていうか、音楽助手の方が、田中正子さんっていう方がいらっしゃるんですけど、ミュージカルの歌を全部や ってるんです。ミュージカルの歌いかたみたいな感じで。
米米でずーっとやってきた歌いかただと、全然違うんで、結構最初はとまどいましたよ。こうですよって。
でも、まあ、一応ちょっとベルカントはやってたんですよ。何ヶ月か、米米時代にもちょっと、一回のどつぶしたりしたとかしてね、この 歌いかた、ちょっと変えなきゃダメかなっていう時に、知り合いの人でベルカントやってる先生がいて、それをちょっと習ったんで、こう すればこうなるっていう部分の論理は知ってたんですよ。でもそれができるかできないかは、ちょっとあれだったんですけど。
それを知りながらやってたんですよね。やっぱり、12年間の、15年間ですか、やっぱり染み付いたクセが、どうしてもノドで歌っちゃ うような、ノドでつくって歌っちゃうような形になっちゃう。それじゃ全然響かないから、お腹で響かして歌わないと、通じないですよ、 みたいな感じで。もうちょっと前にとか、奥の方にとばすようにとか。
芝居だと、ロックとかだと、米米のように前にいて、後ろバンバンバンこう演奏の中で歌わないといけないから、マイクに頼ったりとか、 シャウトしちゃったりする部分でやってたんですけど。
ピアノ一本で、マイクはつけるんですけど、ほどんど生声で、伝えるような形でやらなきゃならない。その辺でやっぱり切り替わりが、こ れは15年間やってたクセですね、みたいな。
あと衣装つけて歌うとどうしても肩が上がっちゃうんですよ。
(笑)
肩がこうやって上がって歌ってるんですよ。かた下げて歌わなきゃいけないでしょ。「下げないと声でませんよ」、って言われて。「いや ー、衣装の重たいの、肩でこう、動いてたものですから。肩以外支えるものがなかったんで」って言い訳して。「ああ、そう」としか。 「ああ、そう。変えてね、通用しないからね。」みたいな。(笑)だから、すごく勉強になりましたよ。
つらいですね。そこまで言われると。
そうですよ、知らないわけですから、米米見たことのない人ですから。

布施明さん、ノブ&フッキーさんのお花

いかがですか、評判は?
評判?いやー、もう関係者の人は、知ってる人は、もう見てられないっていうか。もう直視できないっていうか。ドキドキものでした、 観る方がね。やる方もドキドキして、観る方もドキドキして。
一人だから、視線が外れる時がないから、やっぱり、そういう意味ではすごいプレッシャーっていうのはありますか ?一人芝居っていうのは。
初日はわけわからずやってましたね。初日、そんなこと言っちゃあれなんですけど。とにかく、ゲネプロで通しではやってるんですけ ど、お客さんいると、コミニュケーションとりながらのやり方っていうのは、その場でしかできないことですから。
お客の反応なんかっていうのは、みていてわかるんですか。
わかります。やっぱり、セリフで笑ってくれると気が楽ですね。あ、お客さん、楽しんでるな、みたいな、感じながら、セリフ言った り。
あのなかで、タップとか、最初のところで披露なさってましたけど、どれくらい練習なさったんですか?
だから、最初の台本がきて、9月から、9、10、11、12、4ヶ月ですかね。ギリギリまで、タップはもう、ギリギリまでやって ました。全然うまく、なかなかならなくて。最初の1ヶ月は全然音が出なくてね。4ヶ月経っても、多少、ちょっと音が、マイクで拾って くれる位の音が出るようになって。
ディナーショーとか、観られたかたいらっしゃいます?
いや、京王プラザの?残念ながら、都合があっていけなかったんですけど。
値段も高いしね、なかなか。
いやいや。あれは、趣向としては、ディナーショーというか、立食パーティーみたいな感じですかね、最初は。
ディナーショーというよりは、ビュッフェショーなんですよ。最初にビュッフェがありまして、部屋があって。会場はまた別にあるん ですよ。立って食べたり飲んだりして、1時間半位食べて、少しおなかも落ち着いて。じゃあ、会場へ移動して、ちゃんとこう、席が普通 のシアターみたいな形。1時間半くらい、全部で1時間半くらいのステージで。1部2部だったじゃないですか、さっきのは。2部だけだ ったんです。
そうなんですか。
2部と、1部の1、2曲やって。「私は、江分利満です」とか言って。最初、『東京の屋根の下』で出てきて、「私は、江分利満です」 って、川崎の歌(『我が住居、川崎にありて』)を歌って、いきなり2部に、酒を飲みながら。すっごい、全部短縮。(笑)その後に、 アンコールみたいなので、まあ、ちょっと、実はということで1部の曲を、『すみれの花咲く頃』とか、『夏子』(『愛のバラード、あ なたの夏子』)とか。あと、リンダメドレーもやりました。
そうですか。うわぁ、いいなぁ。
リンダメドレー、『こまっちゃうな』と、『どうにもとまらない』『狂わせたいの』『ジンジンさせて』『狙い撃ち』をやったんです よ。それを、ヴァイオリンとピアノとシンセザイザーでやったんです。
すごいなあ。
すごいでしょ。『狂わせたいの』とかタンゴ調になっちゃって、ダンダンダンとか。歌いかたもちょっと変えてみて、タンゴみたいな 感じになっちゃって。
あ、それ聞いてみたい。レアもの。
レアものですよ。
あの、みんな年齢層が高かった、結構京王プラザ利用している方がお客さんで来ていて、年齢層が結構上だったんですよ。結構、みんな、 知らない人は、ボーっとして。(笑)だから、ほどんど、米米のファンの人で来ていた人は、ほどんどいなかったんですよ。
でも、アートスフィアのときも、前半分は若い人なんですけど、後ろ半分が結構50代くらいの、年配の方が結構い らしてて。
かえって、米米のファンくらいの子だと、ちょっと、それこそちょっとピンとこないのかな。私でも、自分の父親よ りちょっと上くらいの設定なんで、私でもちょっととピンとこないところが実は。後半部ですね、特に。
後半部ね。
戦争がなんとか、かんとかっていうところになると、ちょっとわかんないことろが。
自分も経験してないんですけど、やっぱり、どう伝えるかっていうことろがね、自分が経験していないところを伝えなくちゃいけない から、大変でしたよね。
でも、まあ、すごく入り込めるのは、入り込めたと思うのは、「聞け、わだつみのこえ」っていう本があるじゃないですか。全国の遺書を 集めた本ですよね。それを読んでくと、ああ、こういう気持ちだったのかとか、だんだん感情移入が入ってきて。
あれを読むたびに、なんか結構、気持ちが入るようにはなったんですけど。とりあえず、今全然信じられないなみたいなのが、書いてある じゃないですか。自分が18歳の頃って何やってたかな、みたいな。
スネかじりって言うか、親のスネかじって、文化学院通ってたよなあ、みたいな。
18歳にしてすでにもう、大人の考え方をしていたな、昔は。
全然違いますよね。
母上、父上、ですからね。そのへんからね。


素顔のままで


やっぱり、素顔でやるよりは、ある程度作ったような感じの方が、好きですか?
好きですね。素顔でやると、ちょっと照れくさいんだよね。
ほんとにさらけ出しているという。やっぱり、恥ずかしいってっていう感じありますね。
それでも、作ってますって言えば、作ってるのかもしれないけども。
それはそうなんでしょうけど。
やっぱり、『江分利満』、ちょっと耐えられたかな、みたいな。ちょっとじゃないけど、耐えられたかな、って自分ではね、思うんだけど。 恥ずかしいね。
もともと小野田さんって、どっちかっていうと、我々からみると、いわゆるシャイキャラっていう感じですよね。だ から、すごいそうだと思うんで、やっぱり、『江分利満』で素顔をさらすって、すごい大変だったなあと思うんです。勇気がいるっていう 気がするんです。
出てきてすごい衣装を着て、「どうだ!」って言えばさ、あとで少しはキャーとかあるじゃないですか。
ところが、誰だ、このオジサン、みたいなさ、知らない人は思うわけだよ。
最初、宣伝とかするのにさ、すごく大変でした。素顔を出すべきか、メイクを出すべきか、みたいな。どっちか。メイク出したら、なんだ かわかんないだろうしさ、原作者に失礼だし。素顔を出すと、米米のファンの人は、他の人はわかんないだろうし。両方出そう、みたいな。
それで、あんなに小さく、でてるんですね。
そう。両方出しても、よく分からない。(笑)
落差が・・・。真ん中を出さないと・・・。
同一の人に見えないから、よけいに分からないんだよね。両方出そうっていう案はよかったんだけど。
だから、知らない人はわかんないんですよね。米米のファンは、「あ、小野田さん素顔ってこうだったんだ」ってわ かりますけど、年配の方は、なんかここに化け物みたいなものがいるけど、これはなんなんだ、みたいな。(笑)
背後霊みたいな。同じ人ですよって、説明がなければ、わかんないよね。
だって、あのチラシを見て初めて、素顔ってこうだったんだーって思っちゃいましたもん。
必ず言われますよ。こんな顔だったんですねー。
ほとんど、デーモン小暮と一緒くらいで、素顔がわからないって。
最近ちょっと、『江分利満』でてからは、たまーに、なんか気付かれているような気配を感じる。前は全然、気付かれなかったんですけ ど。
すごい幼稚な質問するんですけど、ヒゲって伸びるの早いんですか?(笑)
早いんですよ。
小学生みたいな質問で、すいません。
早いんです。(笑)
すごい、びっくりするんですよね。3月まではヒゲ無かったのになぁって。
計画的に、一応、例えば、これだったら、2ヶ月経ったらこれくらいまで伸びるなっていうのが、一応あるんですよ。
そうですよね。ファンとしては、何ヶ月単位で見るわけですけど、その度ごとに違ってるから、これは、と思って。
今、ちょっと、これ4月1日から伸ばし始めてるんですけど。
まだ2週間ですよね。すごいですね。
2週間です。
それは、その、今度の『ハムレット』のための、っていう感じなんですか?
ええ、それで足りなかったら、ここになんか金のヒゲを付けるって。足りなかったらね、ちょっと迫力ないから、付けましょうか、って、 言われてるんです。
コマーシャルじゃないけど、どんな栄養取ってるんですか、みたいな。ワカメとかいっぱい食べるとか。
あの女の子みたいに。「小さい頃、何食べてました?」って?(笑)

ロックオペラ「ハムレット」


最近、映画では何かご覧になったりとかしたんですか?『タイタニック』とか、よくわからないですけど。
『タイタニック』見ましたよ。あと、『ハムレット』も見ました。4時間何分の。
腰、痛くなりませんでした?私、『タイタニック』でも、腰痛くなりました。
『タイタニック』はね、そんなに疲れなかったけど、やっぱり『ハムレット』は、ケニス・ブラナーの『ハムレット』は結構疲れた。すご く忠実にやっているみたいなんですよ。
それは、今度のあれ(舞台)の参考に?
参考に、見たの。でも、あんまり参考にならなかった。
(笑)
ロックオペラだからね、普通にやってもしょうがないですもんね。
面白そうですね。
まあ、曲とか全然違う人が書くんですけど、結構その人のキャラクターに合わせた曲が多いんですよ。だから、結構、私に書くと、なん か、ダーン、ダーン、ダーンこんな感じで出てくる感じとかね。ペニシリンだとツィタツィタツィタツィタ、なんかそういう感じ。『ロマンス』みたいな。これ絶対、ペニシリン歌うなみたいなさ。曲を全部聞いたんですけど、これ絶対ペニシリンの、やっぱりそうだ。ペニシリンのメンバーの誰かが歌うな。ちょっとなんかバラード、やさしい感じ、これは朝倉未希さんかな。
曲だけで、大体、キャラクターがわかっちゃう。
曲だけで、これ、俺だ、みたいな。『微熱少年』みたいな曲がさ、こうあったとするんですよ、『微熱少年』まではいかないけれども、 あんな、結構重たい感じのやつ。ああ、ちゃんとキャラクター見て作ってんだな、って思って。
皆、それぞれ全然、歌いかたが違うじゃないですか、あのメンバー。お互いに聞いてて、なんかこう、おかしくなる時ってないんでしょ うかね。
うーん。でも、今、始めたばっかりなんで。曲を覚えている段階なんで、ええ。一応、朝倉未希さんとデュエットしたりとかあるんです。 まあ、デュエットっても、王様とお后様です。結構、楽しみなんですよ、『ハムレット』は。自分ではね。ほら、1年くらいずっと、『 江分利満』だったから、なんか久々にハデなものをやってみたいな。
結構ね、意欲満々なんですよ。一人だけ浮いちゃったらどうしよう、みたいな。
でも、ノリはジェームス小野田っていう感じに、やっぱりなるんですね。
なるでしょうね。それを期待してるのね、プロデューサーも。米米のステージ見て、じゃあ、これ小野田さんがやってっていう感じ。
やっぱりファンとしてもね、どうしてもね、そっちが見たいって思っちゃうんですよ。そうなんですよ。でも、そっちばっかりじゃ、イ ヤなんだけどね。
ぜひ、暴れてほしいなっていうのは、ありますね。
別にね、過去を追ってるわけじゃないんですけど、なんとなく、こう。
でも、やっぱり、そういうのやろうなっていうと、血が騒ぎますね。
やっぱり。長年馴染んだ水というか。(笑)
そう。
もう、『ハムレット』の稽古なんか、入ってますか。
もう、入ってます。
異色なメンバーですよね。ペニシリンもいますし。あの独特のうたい方で。
おもしろいですよ。昨日、いやおととい(4/13)始まったんですよ。読み合わせで、全員集まって。なかなかおもしろいですよ。
コロッケさんとか、岩本恭生さんとかいるしね。舞台もね、中野サンプラザでやるんですけど、結構自由に使えるらしいんですよ。結構、 いろんな仕掛けとかして、なんか懐かしいなって思って。米米の、例えば、BCとかね、ああいう感じの...
こじんまりと、ああいう感じですか。
こじんまりとっていうわけでもないですけど。セットはすごいですよ。
そうなんですか。
見てもらえれば、楽しめると思うんですけど。なかなか、期待、思ったよりすごいなって思って。5年前もね、一回話は来て。見には行 ってないんですけど。ローリー寺西さんとか、デーモン小暮さんとか。
あの時も、結構話題になりましたけど。 こちらは、東京だけなんですか。
大阪も1日だけあります。大阪の厚生年金会館で、6月の14日?16日だったかな。ちょっと確認しないとわかんないかもしれない。
でも、もうチケットは出してますからね。大阪のほうでもスポットは流れていて。
でも、東京と大阪だけで、地方っていうのは全然、今のところ予定はないという?
ええ。
でも、もったいないですね。
もったいないですよね。
これだけのメンバーで。
でも14公演やるんですよ、東京で。10日間で14公演ですから、1日2回公演も。
大変ですね。
コンサートと違って、芝居の場合、2回公演って当たり前ですから。前のミュージカルも、「KING OF RADISH」でも、1日 2回とか。
頑張って下さい。期待しています。

ということで、「ロックオペラ ハムレット」は絶対に見逃せないものになりそうです。
ちなみに、コメホカスタッフは6月6日の公演を見に行く予定。
勿論、ばっちり取材をしてきますので、公演レポートをお楽しみに。


ウルトラ・バロック・オーケストラ

あと、すごく個人的な興味で聞くんですけれど、去年の秋に、「ウルトラ・バロック・オーケストラ」(吟 シャリ亭、産直通信その23を参照)っていって、小野一郎さんの写真展に連動したものを、やったじゃないですか。オノイチロウさん っていう方と、どこでどういうふうにお知り合いになったんですか?
それは、彼も、彼、一級建築士なんですよ。大阪のIMPビルとか設計してる方なんですね。あの、大阪城ホールの横の。で、結構有名な建築をしてきた人なんですけど、写真、メキシコの教会の建築を撮ったりして。メキシ コがほどんどフィールドで。メキシコ行くと、国賓じゃないけど、すごくたたえられちゃうくらい有名な方らしいんですけど。ニューヨークとか、日本でも写真集を出したりとかして。その中でもっと2次元的でなく、3次元的なもので、スライドとか、そういうものとかを融合したものでなんか面白いものやりたいねー、なんて話をして。あと、奈良部さん、も意気投合して、3人で盛り上がったんですよ。で 、じゃあ、メンバーちょっと集めてみて、セッションしながらいれていこうよって。そうしたら、オノさんが、そういえば10月の中で 写真展やってランドマーク1日空いてるから、そこでなんかやらない?って。いきなり。
そんな軽いノリで?
軽いノリで。それが、言い出したのが8月位なんですよ、夏くらいかな。じゃ、面白そうだからやってみようかって。で、やったら、あれなんですけど。
観に行かれたんですか?
私、最前列の真ん中で観てました。
アハハ、ありがとうございます。
汗のツブツブまで見えました。
ちょっと、試験的に、どんな感じかと。あれもちょっとね、難しいテーマですけど。
面白かったですけどね。その後、オノさんの写真展も見に行ったんですけど、すごい、なんなんだろうって。
すごいでしょ、インパクトあるでしょ。ちょっと、とりつかれるような感じもあるのね。ちょっと恐いところ、まあ、宗教じゃない けど、ああいう教会とかだからね、ああいう宗教チッックな感じに写りますよね。
なんか、人間が撮ってるんだけど、人間が撮ったんじゃないみたいな、なんか変な言い方だけど。すごい荘厳な感じですよね。あれ 、すごく、きっと万人受けはしないと思うんですけど、面白かったんで、個人的に。また、そういうのやらないかなって。
企画がですね、三菱地所だったんですよ。そこの部長さんがすごく気に入ってくれて。これはすごいって。自分たちは、 結構、必死でやってたんですけどね。なかなか人数多かったじゃないですか。で、結局、本番まで全員集まらなくて。本番、でやっと全員そろったっていう感じで。全部で29(?)人ですよ。


映画のこと

あいかわらず、小野田さん、映画とかはやっぱりよくご覧になっているんですか?会報だと、ホラーの・・・。
ホラーはね、最近SFXとか多いじゃないですか。だからあんまりホラー見ても驚かないっていうでしょ、皆さん。ホラー系は最近 観てないですね。
私、前に、行ったんですよね。「ホラー映画の夕べ」。
そうですか、ありがとうございます。伊藤さんがやっていたやつ。『四谷怪談』みた時?違ったっけ?
そう、『四谷怪談』みた時。あの時参加させていただいて。
暑い日だったよね。暗幕してさ。
蒸し風呂みたいな。
ホラーとは、みたいな話でさ。そんな話したっけ。
でも、あれで、私、米米にのめり込む、第2期が始まった。小野田さんにお会いして、お話ができて、ガァーと、さらにエンジンが、 回転数が上がって。そうなんですよ。
でも、あの時、10人ぐらいファンの皆さん、女の子がほとんどだったと思いますけど、皆どっちかっていうと、ホラーがどうこうじゃ なくて、小野田さんに会いたいっていう、そういうことでいらしゃってるから、ホラーあんまり観てないのね。

一応、企画したんですよ、私が。皆で、こういう場を設けた方がいいよって。食べ歩きのコーナーとかもやったじゃないですか。そ ういうふれあいの場を、やろうかと思って。
いやいや、少なくともあそこにいた10人はエンジン加速させていますよ。絶対に。
大体、変な企画ばっかりやってた、ダイエットとかさ。ダイエットに食べ歩きでしょ、で、ホラーでしょ。結局、映画が多かったで すけどね、映画のなんかね。今は、あんまりホラーとかにこだわらずに、結構(いろいろ)。
やっぱり、LDとか買ったりとかされるんですか?
買って見ますね、いい映画はね。


メイクのこと

てっぺいちゃんから、顔、いろいろ顔で遊んだり、化粧、KAO’Sですね。ああいうのって、変な話、快感みたい なの、あるんですか?ああいう、顔で遊ばれるって。化けていくっていうのか。
てっぺいちゃん、すごいよね、曲面に描くってすごく難しいんですって。紙に描くより難しいって。で、まあ、15年位、デビューして からずっと描いているんですよね。
描かれる快感みたいなの、あるかなあって思って。
なんか、日常的になっちゃって。ご飯食べるみたいな感じになってるから、ご飯食べる時に「ああ快感だなぁ」なんて考えないでしょ。
それと同じで、あんまり考えて、快感だなあって思って、描かれているっていうのはないですけど。
最初の頃は、それでも、やっぱり自分の顔がそういうふうに変わっていくっていうのは不思議な感じじゃなかったで すか?
鏡見て、びっくりしました、最初の頃は。でも、だんだん慣れてくると、ああ、こういう感じだあって。
でも、どんどん人間ばなれしていくような、あれじゃないですか。
そうね。でも、嫌いじゃなかったからね。
やっぱり、根は嫌いじゃないっていう。
やっぱり、化ける、やっぱりなんか変身願望みたいなのがあるんじゃないかな。それが、そのままステージに。やっぱり、変身願望 とかそういうメイクをしてなりきっていくって言うか、メイクしているうちに、そういう体とかそういう声になっちゃう、なっていっち ゃったっていう部分があるしね、今までのなかで。最初はそんなにね、太ってもなかったし、普通だったんだよね、てっぺいちゃんと同 じ位の背だったりして。やっぱりだんだん、メイクして衣装着て、大きくなんなきゃいけない、みたいな部分で、靴も高いのはいたり、 こんなの付けてっているうちに、だんだんとそういうふうに、変身していった。メイクをされることによって、10何年間で作ってった っていう部分でしょうね。だから、初期と後期、全然違うもんね。
そうですね。舞台はすごい。もともとすごい汗っかきですよね。
汗っかきです。
この間の『江分利満』もすごい汗で。でも、とまらないですよね。かえられないですもんね。
なるべく、だから、どうなんでしょうね、やっぱり、役者は顔汗かかないみたいなの、あるんじゃないですか。
背中で汗をかけ、とかいって。水を制限するとか、そういうのあるんですか?そういうことまでは。
そういうことまでは。
それってやっぱり、今までの体がやっぱりああいうステージの、米米なんかだとあんなの着てて、やってるじゃない ですか。やっぱり、条件反射ででちゃうんじゃないですか。だって、発汗しないと死んじゃうでしょ。あんなの着てたら。
サウナスーツ着て、踊っているような感じがあるじゃないですか。メイクして、全身全部でてるとこないですもんね。手くらいですよね。
手はあんまり汗かかないからね。顔もパックしているみたいでしょ。
顔、汗かけないですよね、あれだけ塗ってたら。
いや、汗かくんですよ。
皮膚呼吸できます?
できます。だから、メイクがパックみたいなんですよ。だから、終わって落とすとなんか、ツルッてしているんですよ。
(笑)ツルッと。
だから、よく、「荒れませんか」っとかて言われるじゃないですか。「全然、よけいパックされたみたいに、ツルツルしちゃうんで すよ」って。
アハハ、湯上がり、卵肌。
そうそうそう。終ったあと、メイク落として、シャワーあびて、あーさっぱりしたーって、こう、サウナに入った後みたいなね、 感覚でしょうね。メイクは好きですね。
基本的にね。されるの。
舞台とかそういうの、やられたいっていうのは、そういう部分、ありますよね。
「ウルトラ・バロック」では、自分でメイクしたんですよ。
あ、あの眉。
ここにこう、仏様みたいな。
誰がしたのかなとは思いましたけど。
あれ、自分でやったんです。あれが限界でした。あれはね、いつかこんなようなのやってたなあ、って思い出してやったんですけど。
自分でやるのはあれが限界だったかな。難しいですよ、自分でこう、目をあけながらこう、やるのは。女性の方だと、こう、よくやられ ますけど。大変ですね、自分でやるのは。描かれる方がすごく楽。
確かに、お化粧っていうのは、顔に絵を描くつもりで描け、なんていいますからね。やっぱり、ある意味、絵画と共通するっていうか。 で、立体だから、難しいですよね。
私の場合、ほら、自分の素材をモチーフにとかじゃなくて、全然変えてやろうっていうことで描くから、変えてやろうって、描こう とするんだけど、なかなかできないんですよね。難しいな。
「ウルトラ・バロック」は1日だけ挑戦しました。ドーランは塗らなかったんですけど。


今後の活動について

ちゃっかり頂いたサイン

今後の活動のご予定とかは、やっぱり『ハムレット』がメインで、っていう感じですか?
そうですね。夏にも1個あるんですけど、まだ言えないんですよ。
秘密なんですか。それは何かある、ということで。
何かあるぞとしか、言えないんで。
基本的には、ずっと、いわゆるミュージカル、その辺のでここまでずっとやられるつもりなんですか?
今年はね。「ウルトラ・バロック」もやりたいんですけど、なかなか忙しくてね。
やってほしいです。
いろいろとね、打診はしてるんですけど、なかなか。皆、忙しくてね、メンバーが集まんなかったりして。
プロデュースするとか、そういうことは、先には考えてないんですか?
プロデュースまでは、まだいってないでしょう。一通り、まだ一人でやってみないとわかんないでしょう。アドバイスくらいはやっ ても、プロデュースは、まだ段階じゃないでしょうね。
先は、そういう形にしていきたいんですか?それとも?
いや、それ、全然考えてないです。体が動く限り、舞台はやっていきたいなって思ってるんですよね。やっぱり、好きなんでしょうね。
コーディングするよりは、やっぱり舞台で暴れていた方が好きっていう
元々、そうなんですか?元々、舞台が好きっていうか。
舞台っていうか、芝居系。
でも、シャイな感じっていうのと、なんとなくこう・・
映画も好きなんですよね。最初、発足は映画研究会ですから。映画研究会で、自分たちでなんか、ストーリーのない、わけの分から ない映像撮ってたのが、そのまま立体的になったっていうのが、米米ですから。
最近、小野田さんは一人で仕事されることが多いみたいですけど、それはたまたまそういう仕事がくるからなんですか?それとも・・・ 一人でって?
バンドを組んだりとか、バンドにしても今度の『ハムレット』でもそうですけど、単独でって感じですよね。他のメンバーの方は、 バンド組んだりとかありますけど。割と一人で、お芝居ならお芝居入っていってると か、テレビに出られたりとか。それは、たまたまですか、それとも意図的にっていうか?
今まで12年いっぱいやってきたから、またバンドを組んだりとかしちゃうと同じだと、またちょっとね。
お芝居をやるにしても、自分で例えば、劇団持ちたいとかいう人いますよね。
いや、まだ、そんな段階じゃないと思うんですよ。まず、いろんなところにいって、見たり聞いたりする段階だと思うんですよね。
また、バンド組んだりすると、人を頼っちゃうわけじゃないですけど、なんかね。いろんな畑に飛び込んで、今まで 米米の畑しか知らないわけですから。
米米ではこうだった、みたいなのはあるじゃないですか。そういうやり方は分かった。もう分かったから、でも、外のやり方はどうかっ ていうことろで。ね、そうした方が、もっと幅が広がるじゃないですか。12年間やったクセとかさ、注意されちゃうこともあるわけだ からさ。それはそれで、やってきたそれは自信にはなるけど。違う見方もある、違うやり方もある。まあ、私はいろんな場所に飛び込 んでいって、そういう幅を広げたいなって思ってます。

という事で楽しいお話をいっぱい聞かせて頂き有り難うございました。
これからも頑張って下さい。



長時間のインタビューにもかかわらず、どんな質問に一つ一つ答えて頂き有り難うございました。誠実なお人柄がひしひしと 伝わってきました。
まだまだ、いっぱいいろんな事を吸収して、大きくなろうという、勉強熱心な小野田さんの意欲がビンビン感じられました。
これからも舞台で暴れまわって下さい。楽しみにしています。



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