**(家内)の非難のまなざしをはね返して、ウォーキングに出る。おとといが**(下の息子)のみやげの飛騨牛のしゃぶしゃぶ、きのうが**さんから送ってもらった七面鳥、そしてきょうは蟻月のもつ鍋の予定だ。これで歩かなかったら、あっという間にリバウンドしてしまう。

 さすがに大晦日の真っ昼間となると、ウォーキングコースも人通りが少ない。

 歩きながら気付いたのは正月飾りをしているうちが存外少ないこと。経験的にいって、新居で正月を迎える時はこだわるものだが、薬科大の近くの新築の家4軒のうちは2軒のみ。帰省したわけではない、一方はまさに大掃除の真っ最中、もう一方は洗車に余念がないといった風情だったのだから。

 よく考えると、神社嫌いなのだから注連飾りなんぞとっくの昔にやめていて当然なのだが、子どものころに染みついた風習というのはもはや空気のようなもので疑うことさえせずに飾るものと決めていた。まさに「文部省唱歌」の世界。

ともしび近く衣縫う母は/春の遊びの楽しさ語る
居並ぶ子どもは指を折りつつ/日数数えて喜び勇む
囲炉裏火はとろとろ/外は吹雪

 閉ざされた冬の夜の情景を美しく歌っていて、そのままの体験はなくとも、一つの世界に体ごと絡め取られる心地が快い。歌詞は続く。

囲炉裏の端に縄なう父は/過ぎし戦の手柄を語る
居並ぶ子どもは眠さを忘れて/耳をかたむけ拳を握る
囲炉裏火はとろとろ/外は吹雪

 油断も隙もあったものではない。もちろん、「過ぎし戦」手柄を語れた父はこの国の長い歴史でも明治以降の話に限定されるわけで、注連縄のもつ歴史に比べればはるかに短く、どちらかといえば人工的な父親像でしかないわけだが。

 そろそろ紅白だ。ことしは第60回。還暦とすれば、同期生ということか。(wikipediaによると、第ゼロ回が1945年、第一回は1951年1月とのこと)(12/31/2009)

 朝刊に「中国、英国人に死刑執行」の見出し。

 【北京=古谷浩一】中国で麻薬密輸罪に問われて死刑判決が確定していた英国人アクマル・シャイフ死刑囚(53)に対する死刑が29日、執行された。英政府は精神疾患があるとして刑の執行停止を求めていたが、中国国営新華社通信によると、最高人民法院(最高裁)は「精神状態を疑う理由はない」とし、執行を承認した。
 ロイター通信などは、欧州市民の中国での死刑執行は、新中国成立直後の1951年のイタリア人以来だと伝えている。
 シャイフ死刑囚は2007年、タジキスタンから空路で新疆ウイグル自治区のウルムチ空港に到着した際、ヘロイン4キロを所持していたとして拘束され、昨年10月に死刑判決を受けた。今年10月に控訴が棄却され、死刑が確定した。新華社電によると、29日、同自治区ウルムチ市内で注射を使った死刑が執行されたという。英当局者らが申請した精神鑑定は認められなかった。
 米紙の報道によると、シャイフ死刑囚はパキスタン出身のイスラム教徒で、10代の時に英国に移住。長く精神疾患を患っており、麻薬密輸もだまされて行ったものだ、と親族は話していたという。
 同法院は承認理由について「異なる国籍の犯罪者もすべて法律に基づき処理すべきだ」とした。中国の刑法はヘロイン50グラム以上の密輸が死刑になる可能性を定めている。
 中国当局は急速な経済発展を背景に、国際的な人権批判に妥協しない姿勢を強めている。今月25日には、欧米諸国からの批判にもかかわらず、共産党を批判した「08憲章」の起草者、劉暁波氏に懲役11年の厳しい判決を下したばかりだった。
 英政府の反発に対しても、中国外務省の姜瑜副報道局長は29日の定例会見で「いわれのない指摘に強い不満を表明し、断固反対する。英側が誤りを正し、両国関係を損なわないように促す」と語り、逆に非難した。
 中国では麻薬密輸罪などに問われた日本人計4人の死刑が07年8月から今年4月にかけて確定しているが、同法院が承認せず、執行はされていない。今回の執行が邦人死刑囚への対応に影響を与える可能性も指摘される。中国での外国人に対する死刑の執行はほかに01年に麻薬密輸罪に問われた韓国人に対するものが確認されている。

 サンケイ新聞は同じニュースをこんな風に伝えた。

見出し:中国の英国人死刑執行、27回にのぼる英政府の嘆願を黙殺

 【ロンドン=木村正人】アクマル・シャイフ死刑囚の死刑執行を受け、英国のブラウン首相とミリバンド外相は中国政府を激しく非難した。先の国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP15)でも英政府は、数値目標の設定を妨害したとして中国を名指しで批判しており、今回の死刑執行は英中の「対立」に拍車をかけた。
 英外務省は29日、中国側の発表より早く、「現地時間午前10時半(英国時間同2時半)に死刑が執行された」と発表した。英側は27回にわたり「寛大な措置」を求めてきた。COP15の場でも、ブラウン首相は温家宝首相に直訴した。だが、完全に"黙殺"されただけに、中国への怒りは大きい。
 ブラウン首相は「英政府の嘆願が考慮されなかったことに驚きと失望を覚える。死刑囚の精神鑑定が行われなかったことを特に憂慮する」と述べた。ミリバンド外相も「英国はどんな状況であっても死刑には反対する」と強く抗議した。英紙ガーディアン(電子版)によると、中国駐在の英領事が28日、シャイフ死刑囚に彼の親類2人を伴い面会。同死刑囚はこのとき初めて、死刑になることを知らされたという。領事は「彼は非常に動転していて、理性的には見えなかった」と語っている。
 28日夜にはルイス外務担当閣外相が、駐英中国大使に電話で死刑執行の停止を求めた。大使は「中国の司法制度は政府から独立している。中国では麻薬所持は50グラムでも死刑だ」と、死刑判決は妥当との見解を繰り返した。
 英側は今回の死刑執行について、中国は「内政干渉」を排斥することで、国際社会に中国の「主権」を示す狙いもあったとみている。
 米人権団体デュイ・フア財団によると、中国最高人民法院(最高裁)は2007年1月、死刑執行が適切かどうかを判断する制度を導入し、死刑を取り消したケースは全体の15%にのぼると説明している。しかし、(1)公訴事実が不明確(2)証拠が不十分(3)量刑が不当(4)通訳が適切ではない-など、司法手続きの公正さを疑問視する声は強い。

 朝日、サンケイ、両紙の記事を読み比べてみると、記事の発信地が違うことを含めて、なかなか面白い。とくに、平生、内政干渉について非常に神経質、かつ、厳罰主義の立場から死刑制度を強く支持しているサンケイ新聞がこれほどの「国際感覚」と「人権感覚」をもっているとは思わなかった。(「毅然たる姿勢が大好き、死刑も大好き、人権なんかクソ食らえ」がサンケイの社是だと思っていた。それにしても「米人権団体デュイ・フア財団」というのは耳慣れない「人権」団体だ。この関係では通常「アムネスティ」だと思うが、サンケイはアムネスティが大嫌いなのかもしれない)

 たしかに麻薬の密輸で死刑というのは「すごいな」と思うし、死刑確定から2か月たらずでの執行というのもまた「相当に政治的だな」と思わせる。ただ、麻薬(ヘロイン・・・阿片)、イギリスとくれば、いやでも中国のトラウマに気付く。イギリス人の麻薬持ち込みに中国がことさら神経をとがらせるのも分からないではない。それから考えると、同じ罪に問われた日本人に対する死刑執行が承認されていないのも、なんとなく分かるような気がする。(こういう感覚こそ「歴史物語、大好き」のサンケイらしさが出ていいはずだが、捏造された「物語」以外には興味がないのかもしれない、呵々)(12/30/2009)

 先週あたりから東証、ニューヨーク市場ともに株価が持ち直した関係で、リーマンショック以前に資金を入れた海外株インデックス投信のマイナス分を含めても、この4月からのゲインが1.76%、年率換算で2.37%になった。適当なところでこの世をおさらばできればいいが、間違って米寿、白寿を迎える可能性もゼロではない。70歳代以降もdecade単位の年金補填分を持続的に無理なく可能にするためには、税引き後3.36%以上で回さなければならないにも関わらず、これにははるかに及ばない。しかし、去年からことしにかけての経済情勢を考慮すれば、それほど悪いとも言えない。

 ただ正常な判断力を維持しながら、この綱渡りをやってゆけるのはせいぜいあと10年だろう。その後の能力については期しがたい。とすれば、この最初のdecadeで永続的な「スタイル」を決め、困難な判断を要しない「自動化プログラム」を作っておかねばならない。

 現在の分散配分は期待するリターンが12%強、リスクは9%弱ということだが、これは現在までのデータを基礎に算出されているものと思われる。リスクの質も振れ幅も大きく変化しているとすれば、株価の改善が見られた段階のどこかで配分費を比較的安定なものに変える必要が出てくる。REITの比率はそのままだが新興国株と国内株の比率はかなり落とさなくてはならない。問題はこれをいつ頃やるかだ。70歳に近いほど判断は難しくなるだろうが・・・うーん、難しい。(12/29/2009)

 風が強いせいだろうか、かなり寒く感ずる。

 ウォーキング中に、とつぜん、**(母)さんの言葉を思い出した。「いまぐらいの季節が嫌いだったのよ、12月が近づくと気分が重くなってね」。寒くなると、いろいろ物入りになり、家計がもつかどうか、また**(父)さんが借金をしていて、予算外のカネがかかることになるのではないか、子どもたちが学校で恥ずかしい思いをしないていどにはクリスマスも正月もしてやりたい、ああ、おカネがかかる・・・そういうことがわっと頭に浮かぶだけで、気が滅入ったと言っていた。

 そういう母親の思いとは無関係に冬はあまり好きではなかった。寒さが苦手だった。基本は炬燵で、部屋の暖房は練炭火鉢のみ。全身が温まるのは風呂と布団の中しかなかったような気がする。だからいま以上に冬の朝の布団は離れがたいものだった。

 炬燵の炭、火鉢の練炭、一定時間ごとに換気をしないと、きまって頭が痛くなった。二酸化炭素中毒。頭ががんがんして、耳の底からどくんどくんという音が聞こえる。匂い消しに「エアーウィック」を使っていたが、この「無臭の臭気」はかえって頭痛をひどくしたような気がする。

 しもやけで足の指が痒くなり、手の甲にはひび割れ。遊びから帰ると「うがいして、手洗いなさい」といわれる。うがいは面倒、手洗いはひび割れが痛いので適当にごまかしていた。よく**(祖母)さんにベルツ水をつけてもらった。体質的に青洟は出なかったが、鼻の下に2本のすじのある子はけっこういた。

 それでもそんな状態はうちのまわりでは、どこの子も同じだったから、**(母)さんが感じていたような「窮迫感」のようなものはほとんど感じなかった。学校の暖房でさえ、ダルマストーブひとつですませていた時代だった。ストーブに近い席の子は暑さで眠くなり、遠い席の子は貧乏揺すりをしているのが平均的な授業風景だった。

 そういう「風景」とはずいぶん前におさらばしたと思っていたが、最近のこの国にはまたその「風景」が復活しつつある。なにもかも誰かのせいと思うのは大間違いとは知っているけれど、そういう時に浮かぶのはコイズミさんの薄ら笑いとタケナカさんのしたり顔。事の当否は別にして、お二人のお顔は「貧乏物語」が復活したいまの現実にお似合いだ。

 **(下の息子)は早々と夕方着いた。**(上の息子)もさすがにきょうは早かった。さあいよいよ正月。(12/28/2009)

 **(家内)と「加藤登紀子ほろ酔いコンサート」へ。新宿コマの閉館に伴い、シアターアプルがなくなったため、ことしから「よみうりホール」。例年のように大関提供のカップ酒が配られた。しかし、よみうりホールは場内飲食禁止とかで、客席への持ち込みは一切禁止。開演前にホールで呑めというお達し。おかげで開演前のホールは芋の子を洗うような混雑。これではせっかくの企画もこれでは台無しで、できれば来年はもうちょっと粋な計らいをしてくれるところでやってもらいたいものだ。

 読売グループといえば、読売旅行が他社のパンフレット写真を無断流用していたとかの不祥事が露見したばかり。直接の関係はないとは分かっていても、「なんだよ、テメエはルール(この場合は法律)破りしておいて、他人にはルール(劇場のローカル規定)を押しつけるのかよ」と言いたくもなる。

 きょうはお登紀さんの誕生日とかで、登紀子クラブ会員向けのくじ引きがあった。**(家内)、特等を引き当てた。**(下の息子)、**(家内)はクジに絶対の自信を持っている。そして実際に引き当てるのだから恐ろしい。特等は2本。あいだみつをのような感じのお登紀さんの「書」を額に入れたもの。

 せっかくの「書」だが飾る場所がない。どうしてもとなれば、玄関の棟方志功を外すしかない。**(家内)はけっこう乗り気。(12/27/2009)

 日本時間きょう未明、アムステルダム発デトロイト行きのノースウェスト253便で爆破テロ未遂事件があった由。

 拘束された容疑者はナイジェリア国籍23歳の男性。着陸予定時刻の20分ほど前、デトロイト上空で着陸態勢に入ったところで爆発物に着火したところで、炎と煙に気付いた周囲の乗客が取り押さえたという。男はやけどを負ったため、着陸後空港近くの病院に搬送。当局の取り調べに対し、イエメンでアルカイダメンバーから爆発装置と犯行指示書を受け取った」と自供したとのこと。

 炎と煙の出るようなこれ見よがしの爆発物と、捕まるやいなやの自白とはいまどきのテロリストにしてはずいぶん間抜けで素直な奴だ。「アルカイダ」さんもいよいよ人材が払底してきたのか、それとも単に存在感をアピールすることが目的、つまり「忘れてもらっちゃ困るぜ、アルカイダ」ないしは「アルカイダ、アルカイダをお忘れなく」というところか。

 戦争フロンティアなしでは一日も生きてゆくことができないアメリカにとって、ソ連亡きいま、貴重な「敵」である「アルカイダ」さんが元気でいてくれるのはじつに心強いことだろうし、なにより、きわどいところで大惨事を免れましたなどというのもじつにありがたくて涙が出るに違いない。できるなら「事件」はこんなシナリオで起きてくれるのがいちばんなのだから、呵々。

 是非とも知りたい舞台裏が三つある。そのうちの一つがこの「アルカイダ」さんとアメリカ合衆国(所属の謀略機関)の関係。彼らはほんとうに敵同士なのかということだ。「サイモンとジャクリーヌ」、「光一とあやか」ではないかというのがこちらの見立て。これが正しいとすると、なぜ、何年たってもビンラディンもザワヒリも、アメリカは拘束できないのかという不思議物語のナゾが一気に解消してしまう。(12/26/2009)

 「毎日が日曜日」にもかかわらず、ことしもまた年賀状はギリギリになってしまった。正確に書くと、先週末、「やろう」と思いたった。ことしはぐんと少ない。もともと誰とでもこだわりなくつきあえるような性格ではないから、退職してしまえば出したいと思うほどの人は多くはない。親戚や仲人などを除けばことしは30枚ほど。

 これなら学生時代のように、その年に読んだ本から相手に似合いの一節を選んで・・・と思ったのが間違いだった。読むごとに、こういうことで語り合うならあいつ、こういうことをふっかけるならこいつ、そういう備えがまるでなかった。どのみち30人のすべてがそんなつきあいではない。むしろ、いまはやり取りが途切れてしまった人の顔が浮かんできたりする。

 それだけではない、取り出してきた本をまたまた再読してしまったりするから、なにもしないうちにタイムリミットが来てしまった。結局、そんな洒落たこと(こちらがそう思っているだけのことで、先様がいいねと思ってくれるかどうかは分からない)はムリと悟った。

 それでも、宛名や図柄はプリンタで打ち出すが、文面は全部手書きする。枚数によらず手書き部分がない年賀状を出す気にはなれない。去年まではこの「ひとこと」を考えるのがストレスだったけれど、ことしはさほどのことはない。それでも一人一人と会話をするようなつもりで書いてゆくのは時間がかかる。比較的「縁遠い」人から書き始める。ラスト・スリーにかかるころには、軽い疲労感、そしてだんだんネタも尽きてきた。

 最後の**宛になったところで行き詰まった。その文面、「書くことが・・・ない。最近読んでいるのは内田樹の『街場の**』シリーズ。なかなか面白いよ。近々、また、飲みましょう」。

 やっと終わった、ことしも。来年こそは11月から準備を始めよう。毎年、そう思っているのだが、一度もできない。(12/25/2009)

 豪雪のため国務省が開店休業状態だった日にクリントン長官がある国の駐米大使を呼んでなにやら重要なことを伝えたというおとといのニュース、ずいぶん不自然な話だと思っていたら、納得のゆくニュースが入ってきた。毎日のサイトにこんな記事が載っている。

見出し:米国務次官補:大使「呼び出し」報道を否定
 クローリー米国務次官補(広報担当)は22日の記者会見で、クリントン米国務長官が21日に藤崎一郎駐米大使を米軍普天間飛行場移設問題で呼び出したという日本メディアの報道について「藤崎大使の方から訪れた」と否定した。その上で、大使の「日本は方針決定に時間を要する」という説明に理解を示し、日本との協議を継続する考えを示した。
 記者の「クリントン国務長官が藤崎大使を呼び出したそうだが、会議内容についての資料はあるか」との質問に対し、クローリー氏は、呼び出したのではなく藤崎大使の方からクリントン長官とキャンベル国務次官補(東アジア・太平洋担当)を訪れたと説明した。
 クリントン氏がコペンハーゲンでの鳩山由紀夫首相との会談内容に触れ、普天間問題についての見解を藤崎大使に示したという日本メディアの報道には「(コペンハーゲンで)クリントン長官が鳩山首相と会ったのは会合へ向かう途中と晩さん会の2度。何を話したかは定かではない」と述べた。
 米政府の見解として「(普天間移設問題は)日米間において重要な問題であり、日本政府との協議は継続していく。現行計画は、沖縄の負担軽減と日本防衛、地域の安全維持という点において最善なものだと信じている」と強調した。
 記者会見の内容は米国務省のホームページで確認できる。
(平安名純代ロサンゼルス通信員)

 署名入りのこの記事には、国務省ホームページに公開されているクローリーの記者会見での一問一答の件の部分の和訳がつけられている。

【国務次官補】 一問一答
--クリントン長官が日本の(藤崎一郎駐米)大使を呼び出したそうだが。
大使がキャンベル次官補とクリントン長官に会いに来た。会談で、大使は米軍再編問題はもう少し時間がかかると話した。われわれは現行計画が最善だとは思うが、日本との協議は続けていく」
--大使が「会いに来た」というのはどういう意味か。(米側に)呼ばれたのではないのか。
彼は呼ばれたのではない。実際には、彼の方からわれわれに会いに来た
--コペンハーゲンで(鳩山由紀夫)首相が「長官から普天間問題で理解を得られた」と述べたことを、長官が問題視したと日本メディアは報じている。確かか。
「私はコペンハーゲンで長官と一緒だった。長官は会合に向かう途中で首相と会った。デンマーク女王主催の晩さん会でも話をしていた。詳しい内容は分からない。だがこれらの問題はわれわれにとって重要で、日本政府と協議し続けることははっきりしている。米軍再編の現行計画が沖縄の負担軽減と日本防衛、地域の安全を維持する最善のものだ。昨日、日本からもらったメッセージは、単に(この問題は)もう少し時間がかかるということだった」
(米国務省ホームページを和訳)

 この記事の末尾には「琉球新報」とある。月曜日の夕刊に池上彰が「経営難に苦しむ毎日新聞が、共同通信や共同通信加盟の地方紙とも提携して、地方紙の記事も紙面に掲載し、経費節減を図ろうとしているという解説記事を」朝日が書いていると指摘した流れによる記事なのだろう。

 地元紙である「琉球新報」が注意深く取材しているというのに、主要紙もテレビもこれを伝えない。いったいこの国のマスコミはどうなってしまったのだろう。

 この件について、天木直人がこんな指摘をしている。

 まず藤崎・クリントン会談についてである。
 なぜこの様な話がメディアの知るところとなったかがポイントである。通例は大使が呼び出されたなどということはメディアの知るところではない。メディアがそれを見つけたらスクープとして流す。
 しかし今回は一斉に報道した。誰かがメディアに流したのだ。
 このような事実がメディアに流される事は鳩山外交にプラスにはならない。そんなことは馬鹿でもわかる。それでは藤崎大使や外務官僚が鳩山政権に反旗を翻したのだろうか。米国の手先になって動いたのだろうか。米国の脅しを誇張し、鳩山政権や国民に圧力を加えるため動いたのか。それをメディアと結託して行ったのか。自民党に鳩山政権攻撃の材料を与えるために。そう思わせるフシがないではない。たとえば、岡田外相や鳩山首相(平野官房長)が東京で発表する前に藤崎大使が現地で発表していることだ。しかも藤崎大使みずから、クリントン国務長官に呼び出されるのは異例なことだ、と話している。こういう発想をするのは外務省しかない。

 しかし、では、なぜ、岡田も鳩山も何も言わないのか・・・と、天木は続ける。

 それにしても、権力に臆病な藤崎大使や外務官僚が、鳩山民主党政権に打撃を与えるような事を独断でするだろうか。元同僚である私には、とてもそうは思えない。この藤崎大使の言動に対し、岡田外相も鳩山首相も特段に怒っている風ではない。織り込み済みのような反応である。
 もし藤崎大使が自分たちに知らせずにこのような発表を現地でしたのなら、私が外相や首相であれば即座に更迭である。その一方で、もし鳩山政権がこの藤崎大使の言動を事前に報告を受けていて、それで問題意識もなくメディアに流すことを命じていたり、許していたりしていたとすれば、鳩山首相、岡田外相の政治的センスのなさは絶望的だ。
 外務官僚の言いなりになっているという情けない状態だということだ。
 そう思っていたら、テレビで仰天のニュースが飛び込んできた。
 米国政府の報道官が、クリントン国務長官が呼びつけたのではない、日本の大使が説明に立ち寄ったのだ、とわざわざ説明している。誤解されてはたまらない、といわんばかりだ。
 一体どうなっているのか。もし藤崎大使が嘘を言って日本の国内世論を誤誘導したとすれば、それこそ直ちに更迭ものである。

 天木のこの日の記事の末尾はもっと衝撃的だ。

 そして12月23日の産経新聞を読んで驚いた。
 自らの外交ブレーンとメディアで書きたてられている寺島実郎日本総合研究所長が反米過ぎると米国に敬遠されたからといって、鳩山首相は今度は知米派の岡本行夫氏へ乗り換えを模索しているというのだ(12月23日産経)

 いよいよ「薄汚い利権屋・岡本行夫」の登場か。ただこの記事は「サンケイ辞令」ないしは「サンケイ新聞の願望」ととれなくもない。キャンベル国務次官補が来日した際だったと思うが、サンケイは他紙が伝えない「変な話」を彼の言葉として報じていた。「・・・鳩山政権の中には軍事面に疎い素人のようなブレーンが加わっていることが懸念される」。そしてサンケイはこの「ブレーン」とは寺島のことだと思われると書き添えた。キャンベルの来日当時、鳩山政権が寺島をブレーンとして召し抱えるのではないかという観測があったことは事実だが、結局、それは実現しなかった。サンケイはオレが牽制したからだと手柄顔でふれ回っていたと「メディアで書きたてられてい」(サンケイ筆法を真似てみよう)た由。サンケイはよほど自民党時代の薄汚い利権屋による政治がお好きなのだろう。

 しかし、もし、この「サンケイ辞令」が実現するようなことがあったなら、それは、鳩山政権が沖縄、ひいては安全保障について真剣に考えることを放棄したときということだ。さあ、鳩山がどこまでホンモノか、楽しみに見てゆこう。(12/24/2009)

 昔で言う「旗日」。かなりファナティックな言動があたりまえのように流通するようになったにもかかわらず、日の丸を門前に掲揚する家はあまり見かけないのはどうしてだろう。マンションなら分かるが戸建ての家でもほとんどない。

 散歩コースには日の丸を出すうちが二軒ある。一軒は堂々たる門構えの家で、旗竿も黒白のだんだら、旗頭には金玉をつけた堂々たるものを立てる。ただ、似合いそうな門柱があるのに玄関脇、それも決まって向かって右側というのが、いかにも不思議。旗日に通りかかるたびに、あえて左側に立てない理由を聞きたいものだと思う。「左翼」に旗を立てるわけにはゆかないとでも思い込んでいるのか。最近の「保守主義者」はにわか仕立てで「教養」がないのが相場になっているからこんなものかもしれぬ。

 もう一軒は門も塀もないギリギリの敷地の家、玄関脇に金具がつけてあって、そこに小ぶりの日の丸を立てる。そういう条件だから仕方がないといえばそうなのだが、いかにもお子様ランチの小旗のような感じ。まあ、「どうしても日の丸を立てるんだ」という主の気概を買ってあげなければと思うが、寸足らずの小旗ですませられるお手軽な「気概」は微笑ましいといえば微笑ましい。

 きょう、お子様ランチの方は日の丸があったが、堂々たる門構えの方には日の丸はなかった。失念しているということはあるまい。天皇誕生日、旗日の中の旗日だ。家人がそろって旅行にでも出ているのかと思ったが、庭に洗濯物が出ているところを見るとそういうわけでもなさそうだ。今上の民主主義尊重を嫌ってのこととすれば、これぞ「旗幟鮮明」ということかと勝手な推理で独り嗤い。

 来年もこの日が旗日であることを心から祈りつつ、忘れなければ、あのうちが日の丸を立てるかどうかを確認することにしよう。(12/23/2009)

 揺れる普天間基地移設問題。ついにアメリカが牙をむいたようだ。アメリカ時間できのうの午後(日本時間の深夜)、クリントン国務長官が駐米大使・藤崎一郎を呼びつけ、移設先の決定を先送りした鳩山政権に対して現行計画の履行を求めたというニュース。会談後の記者会見で藤崎は「長官が大使を呼ぶということはめったにない。日米関係を重視しているという考えをあらためて伝えたいということで、先方から話があった。内容は大臣と総理に報告する」と述べて詳細については語らなかったという。

 マスコミは一斉にこれを報じて、長官が藤崎に伝えたのはコペンハーゲンCOP15晩餐会で鳩山首相が移設問題の決着先送りについて説明し、クリントンの理解を得たと言っていることを否定したのだと推測している。さらにこの日、ワシントンは記録的豪雪のため、国務省が休業状態にあったにもかかわらず国務長官が会見を求めたのは「異例中の異例」と補足している。

 大使が大臣に会見を求めることはあっても、大臣が「呼びつける」というのはたしかに異例中の異例だろう。常に自分の側からしか見ることしかできない人には見えないのだろうが、第三者の眼で見れば「アメリカは感情的になっていることを隠すことすらしないほど怒っているのか?」という疑問が浮かぶ。それと同時に「アメリカと日本はそれほどにぎくしゃくしているのだ」という観測も呼ぶ。

 ますます重要性を増しつつある東アジアにおける中国との角逐を考慮するなら、それはアメリカにとっては下策中の下策、オバマ政権の外交能力を疑わせる材料にすらなりかねない。その危険をあえて冒しても駐米大使を呼びつけた事情はなんだったのか?

 去年の大統領選にしゃしゃり出たペイリンおばさんレベルの小物なら「わたし、そんなこと了承してませんから」という言い訳のためだけにこういう不用意なスタンドプレイを演ずることはあるだろうが、クリントンがそれほど単純なおバカさんとは思えない。マスコミが報じていることだけでは、どうも今回の事態の背景を推測することはできない。

 ところで、最近のマスコミは、こういう「当然の疑問」を抱かないのだろうか?

 さて、最新のニュース。

 沖縄核持ち込み密約文書。当時の日米の最高責任者、佐藤栄作とリチャード・ニクソン、両名の署名入りの文書が、なんとまあ、佐藤栄作の自宅の文机から出てきた由。絶句するような椿事。契約するに際して、先方から格別の要望があった。契約締結の功を焦って、その要望を個人的判断で呑んでしまった。誰にも報告できずに、その契約書を自宅に持って帰り、隠しておりました・・・。おおよそこんな話に相当する。こんな宰相が戦後最長不倒政権として君臨できたのだから、ほんとうにいい国だ。(12/22/2009)

 元NHK記者で分かりやすくニュースの背景を説明してくれることで定評のある池上彰が、夕刊の「新聞ななめ読み」コーナーで毎日新聞の共同通信加盟を報じた朝日、読売について面白いことを書いている。

 この毎日新聞の方針を、ライバルの朝日新聞は大きく取り上げました。毎日の発表を紹介するだけでなく、経営難に苦しむ毎日新聞が、共同通信や共同通信加盟の地方紙とも提携して、地方紙の記事も紙面に掲載し、経費節減を図ろうとしているという解説記事を書いています。
 ところが、もう一方のライバルである読売新聞は、毎日新聞の発表を記事にしませんでした。どうしたのだろうと思っていたら、今月5日の朝刊で初めて取り上げました。
 毎日新聞が共同通信に加盟したことに対して、毎日新聞と競合する地方紙の中から反発の声が強く出ているという内容でした。
 毎日新聞と共同通信の当初の発表は「包括提携」でしたが、地方紙の反発を受け、共同通信が今月4日、記者会見を開き、「全加盟社が提携合意したとの印象を与えたのは説明不足だった」と釈明したというものです。
 ライバルが新しいことを始めても無視するけれど、ライバルがつまずくと大きく取り上げる。こういう態度をとる人は、性格が悪いとして嫌われます。新聞社だって同じだと思うのですが。

 かつて読売新聞の主要読者層といわれた「車夫」は貧しい者は貧しい者同士、助け合い、力を合わせる気概があったが、最近の読売新聞の読者層は小泉改革への熱烈な賛辞を送りつつ、増税は消費税で実現すべきだと主張する「世の中すべて自己責任」派になり、その結果、「貧乏人のいがみ合い」に格別の興味を示すようになったということか。

 もっとも朝日新聞にしても「反日」攻撃に身をすくませ、反知性的エセ保守に気兼ねするあまり、日米安保は不可欠、増税は消費税、・・・ウケウリ新聞とさして変わらぬ新聞に成り下がってしまい、紙面の片隅にかろうじて「かつての面影」が見えるていど、真の意味での「報道」などこれっぽっちもできない片端になりはてた。

 まあそれでも、朝日は自分の悪口を見出しにする週刊誌の広告をそのまま掲載するが、読売は社主批判の週刊誌の広告からその写真を削除して(そんなことをするくらいなら広告掲載をお断りすればいいのにと思うが、おゼゼはいただきたいというところなのだろう)掲載する。両紙の違いは性格の悪さに陰湿さを上塗りするかどうか、そのていどのことだが。(12/21/2009)

 iPodをウォーキングの友にしている。歩きながら聴くのはクラシックよりはポピュラー、それも懐かしのポップスやカレッジ・フォーク。その中に、時にハッとする歌詞が出てくる。「野に咲く花の名前は知らない・・・戦争の日々を何も知らない だけど私に父はいない」、あるいは「もう泣かないで坊や あなたは強い子でしょう・・・戦いに行くその日まで きっと無事で帰ると」。

 「戦争を知らない」世代ではあるけれど、子どものころ、戦争の影はちらちらしていた。

 日曜日、連れられて栄町(いまは「栄」というようだが、うちが最初に名古屋にいたころは「栄町」だった)に行くと道路端には必ず傷痍軍人がアコーディオンを弾いていたし、制服を着た「進駐軍」の軍人もずいぶん見かけた。南明町のうちの近くにはその「進駐軍」の家が数戸あった。洒落た板塀の中には広い前庭のグリーンを基調にした平屋があり、窓のみならず勝手口の扉にも網戸があった。

 ラジオには「尋ね人の時間」という番組があり、ハイケンスのセレナーデをテーマ曲にする番組は「引き揚げ者」を読み上げるものだった。学校の先生は空襲の経験を語り、遊びに行った**さんの家のばあさんは「焼け出されなければねぇ」を口癖にしていた。実際、通学路の「ドングリが原」には焼夷弾だという砲弾型の薬莢のようなものが何本も突き刺さっていた

 その「ドングリが原」には真っ赤な口紅のちょっと頭のおかしなおばさんがときおり出没した。おませな**は「戦争ミボージンなんだって」と教えてくれた。まだ「ミボージン」という言葉から字が浮かばなかったから、「ビンボー」の親戚くらいの理解だった。

 立たされたかなにかでひとりで下校した日、おばさんが「ドングリが原」の端っこの木に寄りかかって歌っているところを通り過ぎた。イメージからはほど遠い透き通るような声。「里の秋」だった。「・・・ああ父さんのあの笑顔、栗の実食べては思い出す」。

 未亡人という言葉の意味をきちんと知るようになって、彼女がほんとうに未亡人だったのか、それとも老けて見えただけのことで、じつはもっと若かったのかもしれないという疑問がわくようになった。いまとなってはどちらとも判じかねる話。

 時代はそういう戦争の影がちらつくことさえ記憶にない世代が担うようになった。ほんとうに「戦争を知らない子どもたち」そのもの。彼らが戦争を図上演習のように語り、安全保障がどうこうと上っ面の浅知恵を競い合うさまはどこか危なっかしいところがある。(12/20/2009)

 朝刊にはきのう行われた小沢秘書の初公判の記事。3月に逮捕、5月末の保釈から半年以上も経っての公判、無理筋をいかにもらしく仕立てるためには相応の時間を要したということかもしれないが、きょうの冒頭陳述ていどの内容にこれほど手間取るのは「醜態」といってもいいのではないか。

 検察の「醜態」はこれだけではない。7月ごろ(つまり総選挙前ということだ)検察は二階俊博の秘書の不起訴処分に対し検察審査会が「不起訴不当」と議決したものを再度はねつけて不起訴にした。ところが今月になってから一転、二階の政策秘書・長田武敏を略式起訴した。二階側は、先月、検察から「略式にするから」と持ちかけられて、にわかにそれまでの否認を翻し、事情聴取に積極的に協力して政策秘書の罰金百万円の略式命令で手を打った。

 まず、片方は抜き打ちの逮捕でめいっぱいの拘置延長を行い、もう一方は在宅での取り調べで否認されると、あっさり追求をあきらめ、検察審査会の議決を無視した、これは「公正」な捜査か?

 そして、西松建設の元社長・国沢幹雄、元幹部・高原某などが有罪になるや、小沢秘書公判で「恣意的な捜査・起訴」と主張されることを恐れて、二階側と裏交渉し、略式起訴で処理をする。検察審査会の議決に対し「嫌疑不十分」としたのは錯誤だったのか。これは「公正」な立件か?

 これが「公正」だというなら、検察は「公正」という言葉をいまの正反対の意味に変えることになる。

 小沢事務所は西松からのカネだということを知っていたに決まっている。そのカネが直接の発注案件に一対一でヒモ付けされていたかどうかは分からない(公共工事の決定プロセスは「場」によってルールが異なる)が、公共工事の受注を狙う企業は政治家への資金提供はニュアンスの違いはあっても賄賂であると思いながらやっている。それが真実には違いない。しかし検察は「真実」を追ってきたか?、「事実」だけを追ってきたのではなかったか?

 これからは、日本の検察はこれらに対して厳格に捜査し、そして立件が危うければ(他の冤罪事件のように)多少の捏造や証拠隠しをしても政治家なり、その秘書を片っ端から逮捕、立件してゆくんだというなら、ビシビシやってもらいたい。少なくとも自民党が権力を握ってきたこれまではそうではなかった。だから小沢も二階も形式さえ整えれば大丈夫とタカをくくっていたのだ。しかしこれからは違うのだというなら、まず二階俊博に対する捜査・立件も小沢一郎に対するように峻烈にやれ。

 これからは公平、公正に立件するというなら、怪しい政治資金は徹底的に調べろ。あるときは厳格に、あるときはルーズにやるという今回のような恣意的なやり方は絶対に認められない。それこそがりっぱな権力犯罪になってしまう。

 そうだ、政治家による涜職行為については時効制度を廃止するのがいい。時効の廃止については遡及させるべきだ。少なくとも十年前ぐらいから今回の「小沢立件」と同じ基準で摘発しろ。となると震え上がる政治屋もたんといるだろう。自民・民主の双方からいくら縄付きが出てもいい。両党から政治資金に汚い政治屋が粛正されれば万々歳というものだ。

 さて、この公判の担当は東京地裁の登石郁朗が裁判長を務める由。裁判傍聴ブログにおける、登石判事の印象記は「この裁判官には裁かれたくない。公正な裁判をするかどうか、わからないからだ」、「この裁判官のイメージカラーはグレイ。最高裁はこの裁判官を評価しているが、私はそのポイントがつかめない」とある。司法官僚は検察のメンツを守ってあげるための人選をしたということだろうか。(12/19/2009)

 ベッドについてすぐ揺れた。地震の揺れにしては長周期で「なんだろう」と思いつつ、いつの間にか寝てしまった。明け方、強い揺れで目が覚めた。夢の中からずっと揺れているようでひどく長く感じた。寝付きの時が前兆でこれが本番なのかと思った。目覚ましを見ると5時40分、阪神淡路の地震もこんな時間帯だったなとか、もっと揺れが大きくなったらどうしたらいいだろうとか、揺れが収まったら書斎の書棚の天板のネジを締め直しておかなくちゃとか、地震保険の保障額はいくらだっけとか、建て直すことになれば100歳まで大丈夫計画も狂ってしまうなとか、あれこれ、支離滅裂なことを考えた。起き抜けのニュースでふたつの地震は別物、寝付きの地震は伊東沖、早朝の地震は栃木南部と知った。

 人間に見えるのは「過去」と「現在」しかない。どんなことに足を取られることになるか、幸せ感いっぱいで始まったリタイア生活が突然暗転することだって十分にあり得る。「闇」かどうかは別にして、一寸先のことは誰にも分からないのだ。「60」の坂を過ぎれば復元力はどんどんと失われてゆくと考えなくてはならない。では何でカバーするか。カネ、カネとは言いたくないが、やはりどれくらいの資金的余裕を常に確保できるか、恒産恒心。格別の才能を持たぬ身にはこれが平凡な結論だ。

 そんなことを思いながら、ウォーキングに出る直前、PCチェック。豪ドルの買い玉が79円ちょうどでメイクしていた。83円の買い玉とバランスするための買いだったが、悪心を起こして、小遣い口の分だけ試しに79円80銭の指し値で決裁売りにしてみた。売れなければそれはそれでもいいと思ってウォーキングに出た。戻ってきたら売れていた。1単位だから8千円のゲインに過ぎないが、今月の本代にちょうどいい。

 8時31分から11時13分の3時間弱の不労所得。なにが原因かは分からないが、けさはずいぶんと暴れてくれた。もし午後まで意地を張れば1万4千円ぐらいのゲインになったはずで、そうなると第五世代のiPod-nanoが買えたわけだが、それは結果論。喜びは中ぐらいという節度が必要。

 FXはレバレッジを1にするか、建玉満額を預託すれば「ほぼ投資」になり得るが、通常は「投機」だ。数万円もあれば誰にでもできるばくちだが、持久戦も覚悟でゆったりと構えて遊ぶためには小心なプレイヤーは30~40万用意することになる。あるていどの確実性を追うためにはやはりカネが必要なのだ。カネがカネを生むというのが現実の世界。(12/18/2009)

 昨夜、水技同窓会。前回、風邪で欠席だった「**さん」も出席。ホールディングスの社長だが、こうして昔を思い出しながら騒ぐ時はやはり「**さん」。

 歴代の庶務担当の話になり、**さん宅に電話。相も変わらない伝統のおふざけ、**夫人(その昔の**さん)も慣れたものでずいぶん長いこと**さんや**さんのお相手をしていた。昔は飲み屋を出て公衆電話を使ったものだったが、いまは携帯。**たちは「どうしてすぐに電話するかな?」。「この年代はさ、携帯が珍しいんだよ」など言っていた。なるほど思わぬ世代論に半分納得。

 職場結婚も多かったし、社宅のつきあいもあり、運動会やら野球大会など家族ぐるみの催しもまだあった。仕事がそのまま濃密なつきあいになった時代。ビジネスライクでクールな「いま」に引き比べると、何かすごくいい時代だったような気さえしてくる。

 二次会のカラオケまでつきあった。**さんは不参加。**さんの話によると社長さんはカラオケボックス不可ということになっている由。秘書課のコントロールらしい。ふと**さんの退任パーティでの**さんの挨拶を思い出した。カミソリといわれた後の会長・**さんがうっかりしゃべった恐い話。

 現役世代はあしたも仕事。11時で切り上げて、茗荷谷まで帰る**さんを送る。タクシーの中で会社の現況についてちょっとばかり聞く。苦しい状況は変わらないらしい。ことしの株主総会、質問に立った**さんから相当に厳しい質問をぶつけられて、さすがの**さんもしばらくの間はへこんでいたとか。

 給与のみならず、ボーナスのカットも続いている。思えば我々もこれに類したことは何回か経験した。ただ、いっとき歯を食いしばればまた元に戻ると信じることができたし、実際、その通りになった。いまの若い人たちが可哀想なのはそういう確信が持てないこと。不安感がなかなかぬぐえないところが我々の時代とは大きく違う。

 リタイアしたメンバーも、まだ現役のメンバーも、有楽町で机を並べたころの思い出で盛り上がるだけ盛り上がった。残業から残業、出張から出張、夜行寝台に土曜出勤、それでも足りない時は日曜出勤。過ぎ去った日々は懐かしく、美しい。この懐かしさが誰にも訪れる「晩年」の懐かしさなのか、それとも「逝きし日」、もう逝き過ぎて二度と還らぬ時代の懐かしさなのか。現役の彼らにも同じような境遇が訪れることを心から祈りたい。

 **さんをおろしてから池袋でタクシーを降りた。**からタクシー券をもらったのだが、年金を支えてもらっている身でのうのうと家まで乗るようなことはしたくなかった。(12/17/2009)

 来日した中国の副主席・習近平の天皇との会見についてマスコミが異常に興奮している。天皇との会見は1カ月前に申し込みをするのがルールとなっているのに、政府が宮内庁に圧力をかけ、きのうの会見を実現させた、これは天皇の政治利用だというわけだ。

 天皇が元首であるか否かは微妙だ。天皇が元首であるという明文規定はないが、天皇は国事行為を行うことになっていることを考えると、元首ではないと言い切ることはできない。当たらず障らずの表現をすれば、「我が国には元首は定められていないが、天皇が国際慣例上の元首に相当する存在となっている」とでもいうことになる。

 これを象徴する場面をひとつだけあげておく。各国から日本に派遣された大使は着任時に自国の元首またはこれに相当する人物の名前で作成した信任状を天皇に提出する。かつては着任した大使は東京駅から宮内庁が差し向けた馬車に乗って皇居まで行き、信任状を天皇に提出する儀式を行っていた。この馬車による「参内」は母国の政体を問わず(つまりモナーキーを否定する政体の国も)好評で現行憲法下になっても行われてきた。交通事情その他により、これが廃止された時には復活を望む要望が在日の各国大使から寄せられ、復活されたように聞いているがきょう現在どうなっているかは分からない。

 つまり天皇が元首に相当する政治的存在であることは誰も否定はできない。元首の主要な任務のひとつは国家儀礼における代表者としての役割がある。とすれば、以下は書くまでもない。あえて特段の事情があるとすれば、「退位」の規定のない天皇の高齢化問題だろう。マスコミがまるで金科玉条の如くに書き立てている「1カ月ルール」は今上の体調を考慮して決められた内規だという。

 可笑しかったのは、先週、羽毛田宮内庁長官が記者を集めて「まことに遺憾」と述べたことを伝えるニュースサイトの記事の隣に、皇太子が楽員として演奏する学習院オーケストラのコンサートに今上が出席されている写真が載っていたこと。我が息子がビオラパートを受け持つ演奏に眼を細めて聴き入る姿を見る限り、数十分の国家儀礼的会見を断らねばならない体調であると見た人は居るまい。

 今回の件を政治的利用というなら、むしろ、先週末、小沢が北京詣でをするさまを伝えるニュースが流れた絶妙のタイミングを見計らうように記者を招集し、内規違反と中国副主席会談設定の舞台裏を明かして自らの忠勤ぶりのアピール材料に使った羽毛田の行為の方がはるかに下世話な意味における「政治的利用」であるように思える。

 もし、ほんとうに今上の体調を心配しての忠勤であるならば、羽毛田は長官職を賭して政府の要請を断るべきであったろう。「どうしてもとおっしゃるならば、わたしの首を切って、イエスマンを長官にした上で、おやりください」と主張して無粋な政府の要求をはねつける。それが、いささかアナクロニックではあっても、「忠臣」のすることではないのか。余禄の長官職での勤続年数と退職金額を考えて、唯々諾々としたがったのちの遠吠えは「ずいぶんみっともない」の一語だろう。

 ついでに書いておけば、今回の件、相手が中国でなければ、羽毛田は従うのみで暴露会見などは行わなかったろうし、仮に彼がそういう行為に出てもマスコミは黙殺しただろう。もちろん、端から政府がゴリ押しをしなかった可能性の方が高いのは間違いない。だが、いまや最大の貿易相手国、近未来的には最大の上顧客を相手に種を蒔かないのはどんなものか。(ただ習近平が主席に近いのか、それともおおかたの眼には入っていない李克強が逆転するのか、その判断はいささか速すぎる気がしないでもないが)

 もちろん、胡錦濤の希望を断る、そういう決断もあっただろう。ただそれには「清貧」を引き受けるだけの覚悟が必要で、そんな心は自民党が政権についているころにこの国はきれいさっぱり棄てており、マスコミもこんなことを天下の大事の如く大騒ぎした記憶もない。アメリカに「思いやり予算」と称するカネを上納する奴隷根性そのままで、何をいまさらの大嗤いだ。アメリカにはコンプレックスを抱きっぱなしで、のし上がる中国に嫉妬してのことだとすれば、なおさら情けないこと、この上もない。(12/16/2009)

 きょう午前、連立三党の党首による基本政策閣僚委員会なるものが開かれ、普天間飛行場移設に関し、辺野古沖移設という現行案も含めて、再検討してゆくということを「決定」した由。朝刊には予定事項として「来年5月を目途として」とあったが、社民党が強く反対したことから時期は明確にしないことになったと報じられている。

 たったこれだけのことなら何もここまで気を持たせる必要はない。そういう気がする。しかし、きのうの記者会見で、鳩山は「原案通りということならば、最初から苦労などしない」と言っていた。鳩山にどこまでの考えがあるのか、それが分からない。マスコミは焦れている。それは「なんのかんの言ったところで、日本国内のどこかに移転するに決まっている。迷惑施設を受け入れる奴はいない(大阪の橋下府知事が関空がらみで空鉄砲を撃っているとしても、あれはただのパフォーマンス)のだから、落ち着くところは沖縄以外にはない」という固定観念があるからだ。

 たしかにその通り。政界入りするにあたって、鳩山は、まず自民党を選び、田中派を選んだ。伝統的に「日米安保体制は『空気』そのものであり、これがなくては日本人はただの一時も生きていることができない」という固定観念を持つのが自民党員だとすれば、鳩山だってそう思い込んでいるに違いないと、同様の固定観念に縛られているマスコミが判断するのもムリはない。

 しかし・・・、ここから先はあまり根拠のない「希望」に過ぎないが、もしも、鳩山が日米安保の賞味期限は過ぎた、一気に改正は難しいだろうが、自民党が解釈改憲をしてきたような手法で、日米安保の解釈変更の積み上げによって空洞化を図り、我が国をアメリカの服属国の地位から解放しようと考えているとしたら、イライラさせるようなこの「亀の歩み」には深い意味というか戦略があることになる。

 アメリカ国内には「軍事最優先」路線で食い扶持を稼いでいる一派と「財政破綻」の現実を目の前にして「平和の配当」路線やむなしと考えている一派がいる。前者は「日本への不信」を声高にしゃべってなんとか利権の中で食ってゆこうとしているが、後者は「日本の政権交代がもたらすもの」を見極めようとしている。お猿のブッシュを取り巻いていた戦争屋さんたちはいろいろ騒ぎ立てているにもかかわらず、オバマ政権はフロント部隊にジャブは打たせるものの、その中枢は鳩山政権に対する表立った批判はしていない。二大政党による「政権交代」の意味と混乱について洞察を欠いている愚かな我がマスコミよりはアメリカのリアリストたちの方がよほど冷静に鳩山の「リーダーシップの欠如」の意味を見極めようとしているようだ。

 鳩山にどれだけの思慮があるのか。仮に期待するような思慮があったとしても、そもそもが自民党をスピンアウトしたメンバーが大勢を占める民主党だ。党内の無知蒙昧奴隷派を背景に明確な線を打ち出すことは難しかろう。どれほど民主党の根性が座っていないかの一例を書いておく。先日の「思いやり予算」に対する事業仕分けだ。民主党はアメリカ軍で働く日本人労働者の給与レベルを云々するだけで、アメリカ兵の光熱費や遊興施設への支出については取り上げなかった。なんという及び腰か、あれにはがっかりさせられた。民主党の大半の議員は自民党なみのセンスのままで、「アメリカさまのご機嫌を損じないことが日本人の基本的な心得である」と信じているらしい。民主党も自民党同様に対米奴隷根性を棄てきれない政党なのだ。

 政権が交代しても「『ノー』と言える日本」になれないとしたら、いつか養老孟司が書いていたように「アメリカの51番目の州」にでもしてもらった方が、よほど気が利いているということになる。(12/15/2009)

 いつも滞りがちになるホームページの更新をしようとして思わぬところで躓いた。引用した「きっこの日記」から張られたリンクが切れている。「きっこの日記」に書かれている岡田の言葉はサンケイ新聞が話をでっち上げたかどうかに関わること故、出所を確かめてみた。

 なんのことはない、トップページ>報道・広報>記者会見・外務大臣>平成21年12月へ行き、「ルース」で検索をかけるとすぐに、外務大臣会見記録(平成21年12月8日)に以下のやりとりが記載されている。

【フリーランス 岩上氏】実際に米側の当局者と最前線で触れ合って、米側の圧力というか、米側の要望の強さというものを肌で感じて、仄聞ではなく、大臣のお言葉として、「合意どおりに履行してほしい」という米側の要望の強さというものは、如何なるものなのか、ご説明いただけないでしょうか。4日にルース大使は、顔を真っ赤にして怒鳴り上げたとか、マイケル・グリーン(米戦略国際研究所日本部長)、リチャード・アミテージ(元米国務副長官)が来日して、「辺野古という元々の合意案にならなければ、日米同盟は亀裂が入って元に戻らないだろう」とまで言っているシーンが繰り返しテレビに流されたり、或いは、新聞等の日本のマスメディアが、「もし、民主党政権により、元々の日米合意である辺野古案にならなかったら大変なことになる」ということが連日書かれている訳です。それを見ていると、国民は大変不安に思っています。実際のところ、どれほど「年内、辺野古」という米側の要求を丸飲みしなかったら、日米同盟は危機的なものになるのか、直接、国民にご説明願えないでしょうか。

【大臣】議論の前提として、米側が圧力をかけているとか、そういうことは全くありません。ただ、私(大臣)の政治家としての経験の中で、この問題はしっかりと対応しないと、日米関係で双方に深刻な信頼関係の喪失といいますか、そういうことになりかねないという危機感を持っている訳です。ルース大使との議論も、誰かが見ていたようなことを書いていますが、全くの創作です。もちろん、ルース大使もしっかりと自らの主張を言われましたが、別に顔を真っ赤にするとか、怒鳴り上げるとか、冗談じゃないと思っております。私(大臣)、北沢防衛相、ルース大使と通訳しかいませんから、何を根拠にそのようなことを言っているのかと思います。アーミテージさんは知りませんが、マイケル・グリーンさんは、従来からかなり厳しいことを言っておられることは承知しております。共和党の人間ですから、ある意味当然だと思います。グリーンさんが言っていたのではありませんが、昨日も民主党系の人と議論したときに、やはり米国にもいろいろな人がおり、今の日本の民主党や米国の民主党をいろいろと攻撃し、その関係を悪くすることが望ましいと思っている人もいて、様々な意見が出てくるという話を聞いたところです。日本の政界もそうですが、いろいろな意見があることは当然だと思います。それをどれくらい真に受けるのかという問題だと思います。

【フリーランス 岩上氏】ルース大使が怒鳴り上げたというのは、誤報だということですか。

【大臣】(怒鳴り上げたという)そんなことはありません。

 いくらサンケイの記者が粗雑でも火のないところに煙を立てることはできないだろう。とすると「私(大臣)、北沢防衛相、ルース大使と通訳しか」いないということは、否定しているご当人を除けば、サンケイの記者の想像力を刺激するようなことをリークしたのは、北澤か、日米双方の通訳、いずれかだったということになる。真相は「藪の中」といわざるを得ないが、「きっこの日記」に引用を知ってリンクを切る(もともとそのリンクはhttp://www.mofa.go.jp/mofaj/kinkyu/2/20091209_092039.htmlとなっていたから「緊急」の速報版だったのかもしれないが)ような小細工をする面従腹背のメンバーが外務省にいることは確かなのかもしれない。(12/14/2009)

 ウォーキングから戻ってお茶を入れてもらいながら、折り込みに入っていた不動産広告を見ていると、**(家内)が「ずいぶん値が下がっているみたいよ」と言う。たしかに3000万を越すものがめっきり少なくなったような気がする。「そうだなぁ、ギリギリのタイミングだったんだね」。「ほんと、**さんに感謝しなくちゃ。あのお花、あげてよかった」。**(家内)は「新居」祝いのつもりで鉢物を贈ったのだった。

 退職してから転居するよりは退職前の方がその後の住所変更手続きがなくていいと思ったのは去年夏、7月末くらいのことだった。住林、住友不動産、三井リハウスなどに、どれくらいで売りに出せるかを見てもらい、結局リハウスと専任媒介契約を結んだのは8月26日のことだった。

 いまから思うと既に7月のはじめには東証として43年ぶりという10営業日連続の下げがあり、景気後退は明らかになりつつあったわけだから少しばかり間の悪い決断だったことは確か。最初のうちこそポツポツと見に来る人がいたが9月にリーマンショック。10月に株価の暴落。ぴたりと見学者はなくなった。インターネットの閲覧回数も日を追って減少した。それでも予定どおり引っ越しは済ませ、ハウスクリーニングをかけたが、暗澹たる思いだった。

 もうこれはダメだなと覚悟を決めながらも、一回は契約更新をしようと思った時、買い手が現れた。地獄に仏と言えば大げさだが、ほとんどそんな気分だった。こうしてほぼ一年たってふり返ってみても、じつにきわどいタイミング、ラッキーだった。その「恩義」があるから引き渡してすぐに起きたガス給湯器の修理費はあれこれいわずにこちらで負担した。

 「不況」といわれる時も、あたりまえの話だが、取引がゼロになるわけではない。現に、いまも、ウォーキングコースにはまとめて数戸の建て売りがでているところや、宅地として販売し、既にいくつかの住宅メーカーが建築中というところがある。中規模マンションも2箇所ほど工事に入っているし、先週、取り壊しされ更地に戻されたところはどうやら建て替えの予定らしい。不景気は不景気なりに取引は動いている。むしろ着実に準備を進めた人にとっては、こういう時期の方がきっちりとした丁寧な仕事が期待できる分、チャンスなのだ。投資と同じでマインドが冷え込んでいる時こそ、いい仕入れができるというものだ。

 しかしこういう話は「他人事」だからできるわけで自らその当事者になると「頭で分かっていること」はけっして「心の慰め」にはならない。そこで自分を信じることができるかどうかはもっぱら経験と知恵にかかっている。逆に「心に振り回されている人」がいれば、それは絶好のカモ。「値打ち通りお金を出す積りならば、何も専門家になる必要はありません。知識を身につけるのは、他の人たちの無知をうまく利用するためです」というのは悪党の言葉ながら本質をついている。そういう意味では鉢物をプレゼントしたり、修理代を持ってあげた我々は少し修練が足りなかったのかもしれない、呵々。(12/13/2009)

 けさの「赤be」の「うたの旅人」は「サボテンの花」。

 テレメータのトラブル対策会議があってずっとりとした疲労感をもって帰宅すると子どもたちが見ていたテレビドラマからこのメロディーが流れてきた。ほとんど無意識に「オッ、サボテンの花じゃん」というと、「この歌、知ってるの?」。「ああ、昔、流行ったからね」と言いつつ、それほど流行ったわけでもなかったなと思い直したことがあった。

 ドラマは「一つ屋根の下」、当時売れっ子の江口洋介と、そう、酒井法子が出ていた。

 あの頃は相当に忙しくて切れ切れにしか見ていないのでドラマについてのそれ以上の記憶はない。しかし曲の方は、以来、けっこうメジャーになった。

 発売当時あまり注目を集めなかったこの曲をどうして知っていたか。それは「エアチェック」で採ったものを編集した「マイ・カセット」に入っていたからだ。ソースはNHK-FM、昼12時15分からの「昼の歌謡曲」か、FM東京、朝9時05分からのヤングマダム向け番組(タイトルがどうしても出てこない)だろう。いずれにしても、「チューリップのヒット曲」として意識して採ったわけではなく、オープンリールに採られていた曲で「いいな」と思ってカセットに落としていた曲だった。

 そのマイ・カセットを聴いていて、「気に入ったから、ダビングさせて」と頼まれた記憶から、この曲はいつしかホルモンのバランスを狂わせる曲になった。歌詞からいえば「サボテンの花」でなくとも「積み木の部屋」でもその資格はありそうなものだが、前奏から歌い出しが自然にできているこの曲の方がかえって感情を掻きたてる。たぶん歌詞のままの生々しい経験はまったくなくて、「シャボンの泡とともに香りだけがゆれている」ような記憶に近いからだろう。(12/12/2009)

 きのう、PCの電源を落とす直前になって、田中宇のメルマガが届いた。先月18日に書いた「日本の官僚支配と沖縄米軍」の流れの中のレポート。宜野湾市の伊波洋一市長と市役所メンバーが収集した情報の紹介から始まる。(田中宇メルマガがいいのは必ず根拠になる資料を示していること。まさにインターネットの長所を最大限に活かしている)

 「米国は、沖縄海兵隊の大半をグアムに移そうとしている」と伊波市長が主張する根拠の一つは、米当局が11月20日に発表した、沖縄海兵隊グアム移転(グアム島とテニアン島への移転)に関する環境影響評価の報告書草案の中に、沖縄海兵隊のほとんどの部門がグアムに移転すると書いてあることだ。環境影響評価は、軍のどの部門が移転するかをふまえないと、移転が環境にどんな影響を与えるか評価できないので、米軍が出したがらない移転の詳細を報告書に載せている。(Guam and CNMI Military Relocation Draft EIS/OEIS)
 8100ページ、9巻から成る環境影響評価の報告書草案の2巻や3巻に、沖縄からの海兵隊移転の詳細が書かれている。そこには、海兵隊のヘリ部隊だけでなく、地上戦闘部隊や迫撃砲部隊、補給部隊までグアムに行くことが書いてある。第3海兵遠征軍(MEF)の司令部要素(3046人)だけでなく、第3海兵師団部隊の地上戦闘要素(GCE、1100人)、第1海兵航空団と付随部隊の航空戦闘要素(ACE、1856人)、第3海兵兵站グループ(MLG)の兵站戦闘要素(LCE、2550人)が、沖縄からグアムに移転する。4組織合計の移転人数は8552人であり「沖縄からグアムに8000人が移転する」という公式発表と大体同じ人数である。「グアムに移転する8000人は司令部中心」という外務省などの説明は明らかに間違いで、司令部は3046人で、残りは実戦部隊と兵站部隊である。(VOLUME 2: MARINE CORPS - GUAM)(宜野湾市「普天間基地のグァム移転の可能性について」)

 移駐する人員は8000名、しかし外務省はそれが司令部要員数だと言っているのに対し、当のアメリカは公式文書(まだドラフトではあるが)で司令部、実戦部隊、兵站部隊の総員数であると言っている。不思議な話だ。自軍の総員数を間違う軍隊などあり得ないから、日本の外務省が間違っていることは明らかだ。これは単なる勘違いなのか。それとも意図的なゴマカシなのか。

 発売されたばかりの中央公論に、防衛装備品汚職で刑事被告人となっている守谷武昌元防衛事務次官が「(鳩山内閣は)国と交渉する沖縄の一部の人が『手ごわい交渉相手』であること分かっていない」と書いているそうだ。つまり基地をネタに補助金をせしめるなどというのは序の口、あわよくば大型公共工事にしてたんまり儲けようという土建屋がゴロゴロいるということなのだろう。自民党時代はこういう連中に岡本行夫のようなブローカーが噛んで、いいように「大型公共工事」に仕立てることができた。政権交代による端境期、彼らはいま必死に「アメリカは怒っている」キャンペーンを繰り広げて、なんとか自民党時代に合意した辺野古移転という必要のない大型公共工事をそのまま実現に持ち込もうとしているというわけだ。

 民主党にも同じ体質と感覚を持った手合いがゴロゴロいる。彼らは「今度は俺たちが仕切る」と張り切っているのだろう。二、三日前にグアムまで行き、たった数時間の視察で「海兵隊の全面グアム移駐は困難」などと語った北澤防衛相の出身はもともと自民党、黒い腹のなかはもう利権でいっぱいなのかもしれぬ。(12/11/2009)

 アメリカの駐日大使ルースが、先週金曜午後の会議後に、普天間基地の移転先に関する年内決着の見送りという状勢に対して、岡田外相、北澤防衛相に怒りを露わにし、怒鳴りつけたという話が報ぜられた。このニュース、今週になってから、にわかにテレビ・ラジオのニュースで「アメリカ側の苛立ち」を表すものとして、各局のキャスターやコメンテーターが伝えている。

 大使が接受国の大臣をつかまえて怒鳴りつけるなどということが、ほんとうにあるのかしらと疑う方が自然というものだが、マスコミ関係者にはそういう疑問は浮かばないらしく、ことの真偽とマスコミの感覚を不思議に思ったものだった。

 その疑問はさきほど「きっこの日記」を読んで半分ほど氷解した。どうやらこのニュース、震源地はサンケイ新聞の捏造記事だったらしい。

【サンケイの当該記事】
4日午後、日米合意に基づくキャンプ・シュワブ沿岸部(名護市辺野古)移設を念頭にした、日米閣僚級作業グループ(WG)の検証作業が開かれた外務省4階大臣室隣りの接見室。関係者によると、少人数会合に移った後、米国のルース駐日大使がそれまでの穏やかな語り口を一変させた。「いつも温厚」(防衛省筋)で知られるルース氏は、岡田克也外相と北沢俊美防衛相を前に顔を真っ赤にして大声を張り上げ、年内決着を先送りにする方針を伝えた日本側に怒りをあらわにした、という。

【きっこの日記】
4日にフランケン岡田が行なったルース大使との会談で、「いつも温厚で知られるルース氏は、岡田克也外相と北沢俊美防衛相を前に顔を真っ赤にして大声を張り上げ、年内決着を先送りにする方針を伝えた日本側に怒りをあらわにした」っていう「三流軽薄新聞」、略して「サンケイ新聞」のアホ記事くらいだけど、これにしたって、昨日の「世田谷通信」に書いたように、フランケン岡田は、8日の記者会見でハッキリと否定してる。外務省のホームページの記者会見を読んでもらえれば分かるけど、フランケン岡田は、記者の質問に対して、次のように明言してる。
「(前略)ルース大使との議論も、誰かが見ていたようなことを書いていますが、全くの創作です。もちろん、ルース大使もしっかりと自らの主張を言われましたが、別に顔を真っ赤にするとか、怒鳴り上げるとか、冗談じゃないと思っております。私(大臣)、北沢防衛相、ルース大使と通訳しかいませんから、何を根拠にそのようなことを言っているのかと思います。(後略)」

 「下野」したサンケイがなりふり構わず憶測でも何でも民主党をけなせることなら何でも記事にしていることは想像に難くない。しかしサンケイよ、いくらなんでもこれはひどすぎないか。捏造のいかがわしさはもともとサンケイに染みついた品性だからいまさら問わない。「ひどすぎないか」と書くのは、サンケイの社是(日本を批判しない)と編集方針(徹底した自国崇拝を貫く)に違背しているではないかと思うからだ。

 仮に中国の駐日大使が我が政府の大臣と会談し、怒りを露わにして怒鳴りつけたという事実があれば、サンケイはこれを見逃すだろうか。記事には「外交官としてはきわめて異例で非礼な行為である」くらいのコメントをつけ、その記事に並べて激烈な中国批判の論評を載せるのではないか。

 サンケイは我が政府の大臣はアメリカさまに怒鳴りつけられてもそれはあたりまえのことと考えているのか。だとすれば、これはサンケイがよく批判者に投げつける「自虐的」な姿勢そのものではないか。同じ黄色人種に服属国扱いされれば怒り狂うが、白色人種にそうされれば尻尾を振らんばかりに悦ぶとはまるで「家畜人ヤプー」の世界だ。その奴隷根性、いささか、ひどすぎないか、サンケイ新聞よ。

 氷解したのは半分だ。なお、氷解していないのは、このサンケイの記事をそのままコメントに使った各局のキャスター、コメンテーターがなぜニュースソースが捏造も辞さないサンケイ新聞であることも告げずに鵜呑みにし、まるで事実のようにして語ったのかということ。

 いや、サンケイの記事は真実だ、ルース駐日大使は岡田と北澤に怒声を浴びせ、叱責した、岡田と外務省はあまりに外聞が悪いので「そんなことはなかった」としているだけだ・・・そうしようか。

 だが、そうするとジョン・ルースという人は企業弁護士としては優秀だったが、時に感情を抑えることができず赴任した国の政府要人をまるで自分の使用人でも相手にするように怒鳴りつけて平然としているおよそ外交官として欠陥のある人物だということになる。そしてオバマ政権はそのような人物を大使にして派遣してもいっこうに差し支えのない国として我が国を「格付け」している(たしかに、ルースが選任された時のこの国のプライムミニスターはアソウタローというサブプライム級の人物であり、その意味ではまさにサブプライムレベルの国ではあったことは間違いのない事実だが)ということになる。

 さあ、どちらがほんとうなのかな、呵々。(12/10/2009)

 **(家内)と白金台の松岡美術館へ。出し物(というのは変か)は「大観・観山と日本美術院の画家たち展」。企画展として他館のものを借りたりしたものではなく収蔵品をテーマ展示したもののようでこれというものではなかった。しかし併設展示の「中国・明清の美術:宮廷工芸の粋」の方にいいものがいくつか。玉器と堆朱、そして磁器。総天然色といいたいくらいに鮮やかな「粉彩八桃文盤」という大皿が特に気に入った。堆朱の香合と白玉の香炉、大きくなくてもいいから、小ぶりでちょっといいものをひとつずつ手もとに置きたいものだと思ったが、そんな贅沢はむり・・・かな。

 目黒駅前で食事をして、**(家内)は医科歯科大、こちらは代々木で途中下車して紀伊国屋へ。ハルバースタムの「朝鮮戦争」(井上さんが誉めていたのを思い出したからだ)、岩波の「書物誕生シリーズ」から「孫子」、可児滋の「レオ・メラメドから学ぶ金融先物の世界」などを購入。あいかわらずの手当たり次第、統合失調症的な本選び。エコポイントでゲットしたEdyポイントでの購入。マイレージからの返還分を利用でき、かつポイントがつくならば、しばらくは新宿まで足を伸ばすことになるかも。(12/9/2009)

 ことしの流行語大賞は、先日、「政権交代」と発表された。「これが流行語か?」という気はするが、マスコミ各社は格別違和感も抱かなかったようで、そのまま「ニュース」として流れた。

 交代した政権の主、民主党はともに与党となった社民党と国民新党ともども慣れぬ権力の座に落ち着かない様子でハラハラさせる。可笑しいのは、それを報ずるマスコミもルーキー政権に負けず劣らずウロウロ、キョロキョロしているということ。どうしても長く続いた自民党政権時代の「常識」で現実を見て、それを物差しにして報じてしまうのだろう。もう少しどっしりと落ち着いて観察できてもいいだろうと思うことさえできていないのだから情けない。

 森嶋通夫は「イギリスと日本」の中で「いわゆる英国病の原因は二大政党制にある」と書いていた。森嶋はイギリス人というのはけっして保守的ではなく、進取の気性のある初物食いのオッチョコチョイの国民だと断じてから、こんなことを書いていた。

 英国は二大政党の国でありますが、このように初物食いの国民に政党をえらぶ権利を与えたら一体どうなるでしょう。ある時は保守党、それが駄目だとなると労働党、また保守党というように不安定なはげしい政権交替が行なわれます。今世紀になってからの歴代内閣は第6表のとおりでありますが、連立内閣の期間を除外して、残りの期間で各党が連続して政権をとっている平均年数は約五年です。このことは一見すれば、国民が厳正な審判を政党の業績に対して下しているようであり、政権の交替は民主的に行なわれたのであり、政治学の教科書の模範例とも言えましょう。
 しかし、そのことはどういう経済的帰結をもたらすでしょう。労働党がある産業の国有化をやります。次に政権を握った保守党はそれを非国有化します。さらに労働党は再国有化し、ついで保守党が再非国有化、さらに再々国有化、再々非国有化ということになります。つねに激しい動きがありますが、一つの動きは次の動きで相殺されて、結局長期には不動、いたずらに「国有化」の前に再々の字が果てしなく累積するだけで、現状からの決定的訣別の日は永久にやってきません。
 このように二大政党体制は、長期的には保守党の勝利を保証しています。現状から脱却して進歩した新段階を確保するには、労働党は勝ちつづけねばならず、そのことは保守党がすっかりすたれてしまい、実質的に一大政党体制になってしまっていることを意味します。経済的な観点からは--他の事情にして変りない限り--二大政党体制よりも一党独裁制の方が長期的に効率がよいことは、共産圏諸国、ヒットラー政権、日本の戦後の自民党独走体制の例からみても明白であります。対立する二大政党は、長期経済計画の障害であり、一党独裁はデモクラシーの否定であります。
 そこでわれわれは、デモクラシーか経済成長かの二者択一をせまられます。国民が非常に貧困な問は、おそらく経済成長が優先するでしょうが、ある水準の衣食住がまかなえるようになれば、デモクラシーが大切になるでしょう。二大政党制を擁護してゆくことによって、経済成長の可能性を失えば、それは、デモクラシーを維持するために支払ったコストと見るべきでしょう。イギリス人は寛容で初物食いで、「ネバー・マインド」の国民であるがゆえに、英国に二大政党制が定着したのでしょうが、その結果、英国民は高い経済費用を支払う羽目になったのだと思います。

 さて我が国民は民主的だけれども経済的には非効率だという二大政党制に耐えられるだろうか?

 悪意で民主党政権を誹謗中傷しているサンケイ新聞(何しろ自民党とともどもに「下野した」と思っているのだからスゴイ)は別としても、最近の新聞やテレビの報道を見聞きするたびにほんとうにこの国の報道機関はどうなっちゃっているんだろうと思う。

 危ういなと思うのは、けっこうな人たちがこういう落ち着きを失ったマスコミの報道に煽られて右往左往しているということだ。ノーベル賞を受賞したほどの人たちまでが事業仕分けでのやり取りに危機感を覚えたと言って、徒党を組んで記者会見の形式であまり反論にはなっていないことを吠えまくるありさまは、ご本人たちが真剣そのものの表情だけに底冷えのする風景だった。

 製造会社で働いた経験でいえば、少なくとも「公のこと」に関しては、日本人は非効率的なことには耐えられない。ムダの効用に対する知恵は大昔の日本人には備わっていたはずだが、明治以降の日本人からは失われてしまったと思う。

 森嶋は「英国病私見」の最後をこんな風に結んでいた。

 アングロ・サクソンはドイツ人や日本人とちがった権利義務の感覚をもっておりますし、イギリス人はアメリカ人とちがった親切心をもっています。その結果イギリスでは他の国よりもインディビデュアリズムが篤く保護されています。・・・(中略)・・・イギリス人は、ある企画が団体精神を高揚させ、そうすれば生産性があがり、結局自分たちが得をするということがわかっていても、もしそれが同時に他方で、インディビデュアリズムを抑圧するようなものなら、彼らはなかなかそのような企画を承認いたしません。すなわちイギリス人は、デモクラシーのみならず、インディビデュアリズムを守るためにも、高いコストを支払っているのです。

 民主党のドタバタぶりに対する国民の許容度はけっして高くないだろう。二大政党制による政権交代の経験値が低く、民主主義だとか個人(尊重)主義などという「食えないもの」に価値を認めないのがいまのこの国のおおかたの人々の特性だ。

 とすると問題は再度の政権交代のために、自民党が自分をどう変えるかということになる。

 その自民党はどうしているかというと、党名を「和魂党」に変えようかなどという論議に余念がない由。嗤える話だが自民党の「再生」にいちばん手っ取り早いのは、神がかりファシズム政党への変身かもしれぬ。

 ワイマール共和国が幻想に終わったのちに登場したのはナチスだった。大日本帝国は「天皇制ファシズム」として「説明」された。しかしこの国にほんとうの意味のファシズム、未成長の「おどな」、いわゆる「大衆」に支えられたファシズムらしいファシズムがようやく花開くのはこれからではないのか。

 コイズミ時代に始まり、アベ・フクダ・アソウの三代から民主党へ受け継がれ、熟成しつつある。自民党が転んでもいっこうに元気を失わないネット右翼のバカブログを眺めていると、その可能性はけっして低くはないような気がしてくる。(12/8/2009)

 日経ビジネス最新号のメイン特集は「団塊モンスター」。トップの「団塊クレーマー現る」を笑いながら読んだ。団塊世代のクレーマーは手強いのだそうだ。「時間が余っているのに趣味がない」、「お客様センターはフリーダイヤルなので気軽に電話して、窓口担当者にからむ」という図式。高度成長を支えてきたというプライドが高く、自分をただの消費者ではないという意識でクレームをつけるから、企業にとってはこれまで相手にしたことのない「モンスター・クレーマー」になるというのだ。

 記事は「団塊モンスター」の特徴をあげている。①"自分は自分を客観視できている"と思っている、②自分の知識と経験を生かした「改善提案」を好む、③同世代が何を考えているのか気になる、という3点。

 胸に手を当てて考えてみれば心当たりはある。まさにおっしゃる通りかもしれない。しかし、①は団塊世代にだけ当てはまるものではないだろう。クレーマーはすべて自分の主張は十分に客観的なものだと考えているもので、それは団塊世代に限った話ではない。②は団塊世代によく見られる傾向かもしれない。バカバカしいQC活動を強いられた後遺症だ。だがたいがいのお客様センター窓口担当用マニュアルには常套化した決まり文句が書いてあるはずだ、「貴重なご意見として承ります」と応ずればよいと。このひとことで話は終わらせることができる。もちろん相手を「モンスター」化させることなく収められるかどうかは、もっぱら窓口担当の経験と技量に依存している。特徴には違いないが難物ではなかろう。

 ③に至ってはそういう人もいるだろうというだけの話。むしろ「他のおとなしいおじさんおばさんはクレームにしないかもね、でも、あたしは違うよ」という方が多いだろう。このあたりはこの記事を書いた記者の洞察力、思考力のレベルを疑わせる。団塊世代としては「もう少し突っ込んで考えて、記事を書いたらどうだ」と「改善提案」したくなる。面白く読ませるが、ただの落とし話。(12/7/2009)

 16回目の忘年旅行、ことしは京都。いまはすっかり都人になった**さんに旅館、食事、芸妓・舞妓の依頼までしてもらって、例年とはひと味違うものになった。

 4日、東京駅9時3分発の「ひかり」で**・**、新横浜で**・**・**が合流。京都着は11時48分。「のぞみ」にしなかったのは「ひかり早得切符」を使うため。どうせおしゃべりをしながらの旅程、片道1,560円安いのはありがたい。平安会館に荷物を預け、食事をして、永観堂、琵琶湖疏水記念館を見たところで5時近くなり、青蓮寺はアウト。**とは記念館、**とは東山の駅で合流。**さんと古今烏丸で合流し、「光悦」で食事。「光悦」は宴会屋ともいうべき店。10時の閉店まで部屋備え付けストッカーのアルコールはすべて飲み放題。食事は鍋・刺身・ふぐ・鮨・・・のフルコース。

 5日、朝は雨。祇園近くの料亭旅館「花楽」に荷物を預け替えて、青蓮院へ。特別公開とやらの青不動を見て、バスで嵯峨野に向けて京都を横断。雨は上がり、天気は回復。朝の天気がよくなかったせいか、トロッコの当日券がとれて保津峡をじっくり。とって返してトロッコ嵐山で降りて竹林を抜け天龍寺へ。嵐電・阪急と乗り継いで河原町から宿へ歩く。舞妓・芸妓などという遊びははじめて。8時半ごろに高台寺のライトアップへ。水面に映る光景に息をのんで宿に戻る。

 きょう、天気は上々、京都駅までバス。コインロッカーに預けてJRで東福寺。すごい人出。お昼ギリギリに駅に戻り、買い物をして、京都13時29分発の「ひかり」16時03分品川着。釧路まで帰る**を見送って、軽く夕食。帰宅は7時過ぎ。なんといっても楽しく過ごせる友人に感謝。これは財産。(12/6/2009)

 沖縄の普天間基地移転に関するニュースを聞かない日はない。「ニュース」といいながら、少しも「ニュース」などではないというのが可笑しい。「アメリカ政府は怒っている」とか、「首相は決断を先延ばしにしている」とか、そのていどのことを米紙の報道や米政府高官の口を借り、あるいは思考停止型文化人がしゃべることの、どこが「ニュース」なのか。朝日からサンケイまでが口をそろえるようにして「普天間経」を詠む姿はいささか異常だ。

 首相がどこまでラジカルに考えているのか、考えようとしているのかは分からないが、アメリカが怒ろうが、売国的媚米派(右翼屋さんの命名法を真似てみた)文化人がハラハラしようが、じっくりとかまえてみる方がよかろう。いまや時代遅れの日米安保など我が国の安全保障には役立たない。

 それでも心が落ち着かないという手合いのために、こんなことを考えてみた。普天間基地の移転先を尖閣列島とするのだ。普天間だけではなく、なんなら、嘉手納、キャンプ・ハンセン、キャンプ・シュワブ、北部の訓練場などももろともに尖閣列島に移ってもらえばよろしい。すべてはムリだろうが。

 メリットは日米双方にある。まず、無人島だから面倒な基地反対を唱える住民がいない。アメリカとしてはいかようにも制約なしに使えるところがいい。尖閣列島には急峻な断崖があり小さな島もいくつかあるから、アメリカ本土ではなかなかできない貴重な訓練ができる。特色のある唯一の海外キャンプになるだろう。メリットはそれだけではない。不埒な兵隊がひき逃げ事件、タクシー強盗、強姦事件などを引き起こして、司令官の頭痛の種になるということもない。

 日本にとってもほんらい支出したくない派生的な地元対策費が一切要らない。沖縄の利権屋さんは青くなるだろう。もともと沖縄の基地は極東、とくに中国に睨みをきかせることが設置目的であると思われてきたのだから、尖閣列島に米軍基地が置かれるのは地政学的に見て理想的であろう。それだけではない。右翼マインドの人々はとかくに領有権を主張する中国の鼻を明かすとなれば諸手を挙げて賛成するだろうし、沖縄から米軍基地がなくなるとなれば、小うるさい社民党も反対はしないだろう。国内の右から左まで誰も反対しないなどという案はそうそうあるものではない。万々歳のアイデアではないか。

 たしかに尖閣列島は狭い。兵員はともかく軍属は住めないだろう。海兵隊にはピッタリだ。もともと服属国に光熱費まで負担してもらって優雅に住もうなどという根性が最初から間違っているのだ。これはひとえに我が国を奴隷国家に貶めて米軍に貴族的生活を保障した自民党政府がアメリカを甘やかしたことに端を発している。軍施設に限定すれば、辺野古の海を埋め立てて、海上ヘリポートを作るつもりだったのだから、尖閣列島を改造してもらえばよい。もちろんカネがかかる。だがいくらカネがかかろうと、そのカネを我が国が負担しなければならない理由はなにもない。冷戦が終わって20年にもなる現在、アメリカが日本の安全保障に貢献しているのはどんな部分かと問われて、いったい誰が満足のゆく答えを出せるだろう。少なくともブッシュのようなサルが大統領であった時には危険の増大に貢献したことの方がはるかに大きかったというのが実情ではないか。もういい加減に「テロとの戦い」などという催眠術から覚めてもいいころだ。いったいいつまで詐欺師の言うことを信じていればいいのだ、バカバカしい。「テロとの戦い」がテロを産み出しているという単純な事実が分からないのか、それとも分からないふりをしているのか。「裸の王様」のような話だ。

 本論に戻そう。財政状態が厳しいのだから使い勝手のいい軍事基地を建設するカネは100%アメリカに負担してもらうのがスジというものだ。場所が尖閣列島となれば、米軍から委託を受けてうるおう建設会社は国内にはない。したがってもはや「公共事業」にもならない。

 それでもお人好しにアメリカに貢ぐのだという、ほとんど日本国籍にもかかわらずアメリカ人そのもののような「売国屋さん」がこの国にはウジャウジャいる。そういうどうしようもない皆さんの「カオ」を立てる方策として、こんなアイデアはどうだろう。「よござんす、建設費用の半分は負担して差し上げましょう。その費用は米国債を売却して捻出しましょう」と言うのだ。米国債は長期低落する不良債権の最有力候補だ。売り払っても惜しくはない。

 もっともその話を聞いたとたんに、アメリカさん、あわてて、「いや、それだけはご勘弁を」と言ってくるだろう。いまや、米国債を売らずに持っていてあげるだけで、我が国はアメリカ経済の「安全保障」に多大の貢献しているのだということは、彼らが十分に承知していることだ、呵々。(12/3/2009)

 きのう、沖縄返還をめぐる情報公開訴訟の法廷で証言した後の記者会見で、「歴史を歪曲しようとすると国民のためにはマイナスになることが大きい」、外務省アメリカ局元局長吉野文六はそう述べた。

 吉野が明らかにした密約は「沖縄返還時の原状回復費の肩代わり」に関するものだ。その「肩代わり」たるや、返還に伴う土地の原状回復費400万ドル、VOA中継局の移転費1600万ドル、・・・、その総額は3億2000万ドルというのだから、すごい。まるで好き勝手にリフォームした貸家の敷金はそのまま返金した上で、リフォーム前への改築費は大家さんが全額負担というのに等しい、そんな気前のいい大家さんがいたら借家人は是非ともお目にかかりたいというだろう。

 現在、岡田外相の指示で調査されている密約はこのほかに三つあるという。朝刊から引くと、①60年安保改定時の核持ち込み、②朝鮮半島有事の戦闘作戦行動、③72年の沖縄返還時の核持ち込み。

 安保条約にも、沖縄返還にも、密約は着いてまわっている。嗤えるのは、密約の存在もその密約文書もとっくの昔にアメリカ側では公開されているというのに、自民党とその政府は一貫してその存在を否定し続けたということ。収賄犯が「賄賂?、もらったよ」と言っているのに、贈賄犯は「賄賂?、そんなもの渡してません」としらばくれているという図。これほど嗤える喜劇もなかろう。

 では、自民党とその政府はなぜそんな白々しいウソをつき続けたのか、歴史の前に大恥をかきながら。それはそもそもがアメリカによる占領状態、服属国状態を国民の眼から隠しながら継続し続けたことによる。日米安保体制というのはそういう目眩ましだった。しかし冷戦なるものが継続しているあいだは「アメリカの奴隷としての日本」というスキームにも、沖縄を人身御供として差し出すというある種の領土割譲を積極的に申し出たこと(提案者は昭和天皇・裕仁)にも、それなりの意味はあったかもしれない。

 しかし冷戦が終結し、アメリカがアジアにおける第一のパートナーを中国に定めつつある(先日のオバマ訪中の顛末を見れば、素人でも分かる)現在、日本は外交政策も安全保障も意識的に問い直してゆかなければならない。その問い直し作業を誤りなく行うためには、まず過去の外交政策、安全保障のほんとうの姿をすべてテーブルの上に並べて見る必要がある。老外交官が「いつまでも秘匿できないという心境にな」り、あえて相当の覚悟を持って法廷で証言したのはそういう意味があったと考えるべきだ。(12/2/2009)

 あっという間に師走。リタイア生活の第3クォーターもラストフェーズ。「秋の日の午後」はあっという間に過ぎて、終末もまたあっという間に来るのかもしれない。

 ここしばらくなぜか「終わり」のことが頭について離れない。PET診断の結果も、定期的な血液検査の結果も、悪い徴候は毛の先ほどもないのに。これほどいつも「死」が念頭を離れないのは大学紛争のころ以来だ。理由は紛争のころのような切迫したものではない。まるで逆。ノープレッシャー・ノーストレスでハッピーというのが理由。60年生きてきての実感は「いい日は長くは続かない」。それは抜き難く、ほぼ信念に近い。

 それはそれとして、「その日」が早かろうが、遅かろうが、できればそれまでにもう一度会いたい人が幾人かいる。別に「思い人」というわけではない(そういう人もいるにはいるけれど)。おおかたの人はどこにいるかは分かっているから、会うのかどうかは単に強くそう思うかどうかというだけのことだけれど、適いそうもない人がほんの少しいる。できれば死ぬまでのあいだにもう一度。(12/1/2009)

 **(友人)さん、**(家内)と三渓園までドライブ。夜が遅かったせいで出発は11時。隣花苑の予約に間に合うかどうか心配だったが、首都高を使って1時間半、ナビの予測通り。電車・バス乗り継ぎよりはるかに速い。曇り空、時間も時間だから、食事だけで終わりでも仕方ないかと思っていたが、食事が終わって勘定を済ませると女将が「きょうが特別展の最終日ですよ。わたしたちも見たことのないものが出ていますから、ご覧になったらいかがですか。車はここに駐めたままでけっこうですから」と言う。

 着いた時に三渓園の駐車場が満車で、車がずらりと並んでいたのはそういう事情だったらしい。それほど言うならと見に行った。入園券とセットで大人千円。

 原三渓(原富太郎)は横浜の生糸商。跡見女学校の教師をしている時に教え子と結婚、彼女の祖父が生糸貿易で財をなした原善三郎でその後を継いだ。富岡の製糸工場などを経営するなど生糸関係の業務を伸ばす一方で、美術品のコレクター、幾人かの画家のパトロンでもあった。会場の説明書きにはなかったが、彼は関東大震災後の横浜復興に私財を投入、ために原家は勢いを失うに至った。稼ぐだけ稼いでも、それはみんな汗をかいた自分のもの(自分の汗だけではあるまいに)で、所得税の累進制は不公平、消費税率アップこそ公平な税制とうそぶき、金持ち優遇を促進してくれる政治屋への献金には熱心だが、もとより社会貢献などは大嫌い(脱税、節税は大好き)という最近の高額所得者とはずいぶんセンスが違う。

 「特別展」と銘打ったのはかつて三渓が所蔵し、没後に人手に渡ったものを集めたため。「地獄草紙」の奈良国立博物館本が出ていた。国宝の由。存外、素朴な素朴な絵という印象。素朴なものの方がかえって人々には訴えるものがあったのかもしれない。これだけでも千円は高くなかったかもしれない。

 **(友人)さんを羽田に送り、ビッグバード5階のコーヒーショップで2時間近くねばり、おしゃべり。帰宅は9時過ぎ。(11/30/2009)

 ウォーキングをはじめてきのうで120日になった。けさは65.10キロ、やっと64キロ台寸前まで来た。プラスマイナス5%、誤差範囲圏に到達だ。あしたの夜は**さんが泊まるし、来週末は例のメンバーでの忘年旅行で金・土・日と「ルール外」の日が続く。大台目前でまた小さくリバウンドしそうなのが残念だが、それがふつうの人生、カントさんのようにはできない。

 入間市民会館で岩崎宏美のコンサートを**(家内)と聴いてきた。5時半開始で7時過ぎまでというちょっと半端な時間は入間という立地故か。観客は圧倒的にいわゆる「中高年」。その人たちが「自分たちが世の中の中心(世代)」という意識と「恋」という言葉に親近感を抱いていたころの歌から、人生の夕暮れに向かって小さな後悔の混じた「充足感」に浸りつつある最近の歌まで。楽しんで聴いた。

 おととし亡くなった阿久悠は岩波新書にも一冊残している。岩崎宏美の「思秋期」については、こんな書き出しで書いている。

   足音もなく行き過ぎた 季節をひとり見送って
   はらはら涙あふれる わたし十八

 この歌は今でも名曲だと思っている。曲もいいし、自分のことながら詞もいいと自慢できる。また岩崎宏美が少女から女への移ろう時の中で揺れる心を見事に歌った。かつてはこのように静かに聴き、じっくりと噛みしめ、自身の思いと重ねてみるという歌も、よく売れたのである。今はどうか。歌う歌、踊る歌はあっても、聴く歌は求められなくなった。だから、少々歌文化は痩せている。

 うちにある岩崎宏美のCDはいわゆる「ベストもの」で、こんな曲の並びになっている。「マドンナたちのララバイ」、「万華鏡」、「想い出の樹の下で」、「センチメンタル」、「ロマンス」、「思秋期」、・・・。トップの目玉曲の後は、元気のいい曲が並び、iPodなどで聴いていると「まるで恋狂い、色気違いか」と思うほど。それがこの「思秋期」になると、阿久の書く通り「少女から女への移ろう」感じがひたひたと沁みてくる。キャピキャピの女の子からオッと思わせる女性へ変わってゆくメタモルフォーゼの途中を見る感じがする。じつにうまい。

 阿久はこの書き出しに続けてレコーディング時のエピソードを紹介している。岩崎宏美も同じ話をコンサートで披露していた。歌がうまいというだけではないものが彼女にはその当時からそなわっていたということだろう。(11/28/2009)

 きょうの為替の動きはすごかった。ドルは朝方86円50銭をウロウロする水準だったのが、東京の市場が開くや滝落としのように84円80銭あたりまで落ちた。それはまさに売りに次ぐ売りという感じ。豪ドルもあっという間の下落。77円43銭という数字をインプットして現在高を確認しているうちに76円56銭。瞬時先ほど見た数字は76円の見誤りであったかと思った。パニック売りが出ているのだなと自分に言い聞かせた。ドルは夕方には早朝のレベル86円50銭前後まで戻したが、豪ドルの戻りは悪く78円をちょっと切った水準をチョロチョロ。夏から最近までは円高というよりはドルの独歩安だったのが、きょうの印象は円の独歩高。ドバイワールドの返済延期要請で貸し込んだポンドやユーロが下がるのは分かるが、豪ドルまでが円高になるメカニズムは分からない。

 株も全面安。後場の半ばまでは9200円をかろうじて保っていたのが2時近くになってから一気に100円以上下げて、終値は9081円52銭、前日比301円72銭安だった。これで3勝9敗。完全に負け越している。マスコミは一斉に民主党政権に確たる戦略がないから、円高は進むだけ進み、株安はとどまるところを知らないといっている。たしかにリーマンショック以降、世界各国の株式市場はそれなりに持ち直しているのに対し、東証はそれに比べて反発力がなく10月半ば過ぎからは一貫して下降トレンドに入っている。

 ここで素人の素朴な疑問。株式市場が不振であるということは日本企業の業績先行きに期待が持てないことの現れだといわれれば、そうだろうなと思う。しかしドルから逃げたカネ、ポンド、ユーロから逃げたカネが、わざわざ先行きに期待が持てない国の通貨に向かうのはなぜだろう。分からない。

 日本の通貨にも不安があれば、ドル、ポンド、ユーロを売って手に入れる通貨は円ではなくその他の国の通貨でなければ不自然というものではないのか。素直に考えれば、日本企業の経営に対しての信頼感はないが、日本の通貨に対する信頼感はあるということなってしまわないか。円をいくら持っていても日本国外にいるものにとっては「デフレの恩恵」は受けられない。

 よく「政治は三流、経済は一流」と言ってきた。だが株は安いが通貨は高い。ということは、日本企業は評価されていないが日本の財政当局は評価されているということか。民主党を持ち上げる気はない。株安・円高は自民党時代にもあったことだ。ただ、なぜ株安と円高がセットでやってくるのか、いつもはんこで押したように(いつでも円高が原因で株安になるわけではあるまい)そうなるのか、そして、この円の独歩高はなぜなのか、きちんと説明してくれるエコノミストはいないものか。(11/27/2009)

 整体に行った足で**(家内)と池袋でお歳暮の手配と買い物。こういう日に限っていろいろあるものだが、本屋によってから帰ってくると1ドル86円前半に突っ込むところだった。きょう、いままでのところのレコードは86円29銭。これは1995年7月以来の水準とか。

 あわててFXの口座を見る。豪ドルの建玉が1単位増え(80円ちょうどで買い注文していた。なにしろきのうまでは81円台をウロウロしていたのだ)、79円半ばをつけ、スワップはすべて吐き出し、トータルはマイナスになっていた。60円まで進んでも大丈夫というくらいの裕度はみてあるのだが、こういう急変時には想定外のオーバーシュートの可能性は常にある。安心して京都旅行にゆくためにはテンポラリーで200万ほど積んでおいた方がいいかもしれない。

 この時期に200万を張り付けにしなければならないのはちょっと痛い。どうも東証REIT-ETFに手を出したあたりから、ツキがまわってしまったような気がする。気をつけなくては。(11/26/2009)

 科学技術分野に関する事業仕分けに「廃止」、「縮減」が続出し、危機感を持ったノーベル賞受賞者4名(野依良治、利根川進、小林誠、江崎玲於奈)とフィールズ賞受賞者(森重文)が記者会見の形で仕分け結果を批判した。当然の批判だろう。

 一企業の研究開発管理のようなものでも、テーマの評価、採択、そして費用割当はなかなか難しい問題を含んでいる。対象分野に詳しくない者でも分かり、かつ、短期間に成果が上がるだろうと予想できるようなテーマは仕上がっても、それで何年ものあいだ食ってゆけるほどの利益はもたらさない。チマチマした成果はせいぜいチマチマしたコスト改善にしかつながらない。独創的なテーマはあるていどの目利きでもほんとうにはよく分からない。

 しかし問題は簡単ではない。経験でいえば技術者は遊ぶものだ。研究者、開発者もおそらくそうだろうと思う。だから一定の周期で報告させ、第三者に対してアピールさせることは必要だ。一般的に自分のテーマを素人にも面白く聞かせるくらいのプレゼン能力がない研究者の仕事は大したものでない。

 厄介なのはテーマについても、人についても、例外があることだ。なにより研究開発における「例外」は世間が「例外」という言葉で想像するよりははるかに高い確率で発生する。それだけではない。もっと厄介なことに「セレンディピティ」などというものもある。本来めざしていた成果ではないところに予期しない成果が上がるということ。ノーベル賞を受けた田中耕一の成果はその一例だ。

 あえて書けば、そういう成果はいくつもの「失敗」や「ムダ」をしていて、はじめて行き着くものだ。誤解をしてはいけないのは、漫然と研究をしている者は同じ通り道を通ってもその横を通り過ぎるだけであり、真剣に「研究・開発を遊び」、かつ、感覚を研ぎ澄ましている者だけが得られるそこに行き着ける。成果を上げることだけに血眼になっている者も、たぶん、その横を通り過ぎて行くだろう。

 話はウロウロするばかりだが、それが研究・開発というものだ。

 では、こういうものに対する国の予算はどのようにしたらよいのか。ひとつの考え方は科学技術分野に回すカネの総額はざっくり「GDPの何%」としたうえで、テーマごとの費用配分に西も東も分からない事務屋さんがくちばしを入れない原則を確立するということ。

 この「GDP比**%」という言い方は防衛費論議の際に使われてきた。防衛費のコストパフォーマンスなどは誰にも確かなことは語れないからこそ、こういう言い方が使われる他なかったのだろう。むしろ防衛・安全保障などこそ、「なに」から「なに」を「いくらぐらいのコスト」で守るのかしっかりと議論した上で決めるべきもので、そういう議論を広範に行うという意味からも、しっかり「仕分け」をした方がいいだろう。カギばかりりっぱでも中を見れば、守るほどのものはないなどというのは喜劇だし、そもそも兵器などというものはしっかりした意識なしには「矛盾」の種にしかならない。

 まず科学技術分野にかけるカネはまずアバウトに総額を決めて、その分野の専門家にテーマ別のカネの割当を喧嘩しながら決めてもらうくらいの方がよいと思う。もちろん研究者の世界も声の大きい者、腕力の強い者がカネをぶんどりがちだという事情は変わらないからボス支配の弊害は大きくなるかもしれないが、時折今回のような仕分け論議の洗礼を受けて、研究者ムラの中で改善してもらうくらいがいい。

 夜のニュースで見た映像では、野依が「仕分けする人たちには歴史という法廷に立つ覚悟があるか」と言い、利根川が「世界一位をめざしたってなれるかどうか分からない。でもそれがなければ二位にも三位にもなれないし、そういう開発者も育たない」と言っていた。野依の大上段な言い方は研究開発の現場から遠い人にアピールするだろうが、現場に近い人ほど利根川の言葉の方がピンと来るだろう。感覚的に言えば、野依はカネをぶんどるのに適していそうだが、利根川は不向きだ。しかし「歴史という法廷」で評価すれば、利根川スタンスの研究者の方が高い評価を受けられそうだなという気がする。

 研究開発とはそういうものだ、・・・と思っている。(11/25/2009)

 きのう日記を書き終えてから、NHKスペシャル「立花隆:がんの謎に挑む」を見た。

 自身も膀胱ガンと闘う立花隆が、「ガンという病気はどういうものか」、「ガン治療はどこまで進んだのか」について、最先端の状況を研究者の言葉を交えて報告したもので非常に見ごたえのある番組だった。

 ガンを「敵」と見るとすれば、その手強さは尋常ではない。なぜなら、ガン細胞の増殖・転移は人間(というよりは生物全体)に備わった発生から成長の仕組みを利用して行われるからだ。ひとことでまとめるとすれば、そんな内容だった。

 ガンの制圧までにどれくらいかかるかとの質問にインタビューを受けたガン研究者は50年とも100年とも答えていた。立花隆は「少なくとも自分が生きている間にはガンは制圧されないだろう」といっていた。ロバート・ワインバーグの言葉が記憶に残った。「(何年もの研究で)分かったのはガンになるなり方であって、ガンの治療法はそれほど進歩していない」。

 おそらくガンが制圧されることはないだろう。それはガンという病気が「生命の謎」そのものではないかと考えられているからだ。自然は限りなく深い。生命の成り立ちもまた限りなく深いだろう。ガンが細胞レベルで展開される「裏切り」だとすれば、ガンが繰り出す「裏切り」の方法も限りなく深いに違いない。「死」が「敵」ではないようにガンも「敵」ではないのかもしれない。

 最終章で立花隆は問いを変えた。「ガンとどのように向き合うのか」。その設定姿勢を「逃げ」と受け取るか、「知恵」と受け取るか、それはガンに遭遇した人の年齢によって違うような気がする。

 立花隆は講演で「転移があっても抗がん剤は使わないだろう。69歳という年齢を考えればQOL(Quality Of Life)を下げてまで抗がん剤治療をする意味はない」といっていた。それはその通りだろうが、20代、30代ならば、そして40代ならば、・・・、それぞれの年代ごとに、いや、その人を取り巻く環境によっても事情は異なる。QOLもまた異なる。もっともそれはガンだけが突きつける問題ではないのだが、平凡な人間がまじめになる機会はそうそうはないということ。(11/24/2009)

 日高敏隆、先生(やはり敬称をつけたい)が亡くなられた。14日、肺がん、79歳とのこと。教員免許を取っておこうと受講した生物学。当時、先生はフランスから帰国されて(パリ大学、ストラスブール大学などで研究されていた由)まもないころで、時間講師として農工大から来られていた。

 先生の講義は無類に面白く、知的興味を刺激するものだった。一コマの講義であれくらいいろいろの本を読み、考えることに目を開かされた講義は大学の4年間であれだけだった。それはもちろん専門を含めてロクに勉強などしない怠惰な学生だったからの話だが、そういう志の低い学生でも先生の講義のインパクトは強烈だった。90分の講義を聴いて、その日、図書館からテイヤール・ド・シャルダンを借りてきて(みすずの本は当時も高くて買えなかった)、読んでしまうなどということもあった。

 書斎の本棚ではなくリスニングルームの本棚に入っていた「動物にとって社会とはなにか」を取り出してきた。講義で自著を紹介した時、「この本を出してから『**にとって**とはなにか』というタイトルの本が続々と出されるようになった」と自慢されていたことを思い出した。でも吉本の「言語美」も同じころだったような?!。(11/23/2009)

 すっきり晴れ上がる日と陰鬱な日とが三拍子で交代する。きょうは午後から雨の予報。朝のうちに歩いておこうと思いつつもテレビを見るうちに小雨が降り出した。それならそれで本を読んでもいいと腹をくくったら少し明るくなって来る。「・・・この子よう泣く、守をばいぢる・・・」などつぶやきながら、いつものコースを歩いてきた。お天気のせいか黒目川遊歩道は閑散としていた。

§

 朝刊の本の広告。組んだ足に肘をついていかにもの笑い顔の女性の写真、書名は「『また会いたい』と思われる人の38のルール」。副題なのだろうか「印象はたった1秒の反応で決まる!」とあり、「すぐにできる38の"ちょっとしたこと"で人生は劇的に変わる!」とか、「仕事も恋愛も相手から『また会いたい』と思われてこそ、目標を達成できるのです」という「魅力的な」言葉が並んでいる。出版社は幻冬舎、価格は税込み1,365円。たちまち7刷、8万部突破とある。売れているということ。

 「すぐにできるちょっとしたこと」、これを「誰にでもできる」と早とちりしてはいけないし、ちょっとしたことであっても「1秒の反応」に織り込むのは難しい。だいたいが「また会いたい」と思われたところで、それは数ある「目標達成」の入り口のひとつに過ぎない。なにより「たった1秒の反応」で形成された「印象」を支え続けるものがなければ、いずれは「都の人は言請けのみよくて実(まこと)なし」と言われるだけの話。

 さらに38項目も並べば、そのうちのいくつかは相互に矛盾することもあろう。そうは思いつつも、そのルールの一部なのだろう15項目ほど(じつに半分近く、太っ腹だね)が箇条書きされていると、この歳になっても「ナニナニ」と読んでしまうところが我ながら可笑しい。

好かれようとするのはやめよう!/恐いくらい本性が出る手癖、足癖/いつも笑顔でいるのはやめよう!/人と縁を切ることを恐れるな/品格がある人たちに共通する10の習慣/人間関係もビジネスも「損して得取れ」/表情の印象は5ミリで変わる!/人には笑いよりも感動を与えよう/なぜあの人の足元は20歳も老けて見えるのか/「話をぜひ聞かせて欲しい」といわれる秘訣/相手の心に届く「巻き込みアクション」をする/愚痴には「特殊スキルほめ作戦」で逃げよう/第三者のことばかり話すのはNG!/1秒で「知性」に差がつく時間活用法/アイコンタクトは「目を見る」だけではない

 書き写しているうちに思った、これは詐欺師のノウハウそのものではないか。あたりまえの話だが詐欺師は犯罪者然とはしていない。人間観察に支えられた高度な知的「職業人」、それが詐欺師だ。

 詐欺の中でも絶対に後ろに手が回ることがない最上級の詐欺とはどんなものか。それは「コンサルタント業」と呼ばれている。

 広告にある笑顔でこちらを見つめる魅力的な女性、どうやら著者らしい。吉原珠央さん。肩書は「イメージコンサルタント」となっている。なるほど。恐れ入りました。(11/22/2009)

 政権交代があって権力が自民党にないというただそれだけの理由で民主党政権を「批判」していた人々は一安心したのではないか。なにしろ政権としてはじめて成立させる「中小企業等金融円滑化法案」を「強行採決」したのだから。日本郵政の社長も結局は官僚、それも官僚中の官僚、旧大蔵事務次官をあてたわけだし、朝刊によれば、最初「そんなのあるんですか」などととぼけてみせた官房機密費も「順当」にポケットに入れている。これでは自民党政権となんら変わるところはない。

 自民党とは違うということを期待した向きは「民主党よ、おまえもか」と憤り、成熟した腐敗政党の「うまみ」がなくなってしまったことに落胆していた向きは「やはり自民党から流れたメンバーだけのことはある。国民を食い物にする政治屋体質が残っていれば大丈夫、いずれおこぼれが来るだろう」と胸をなで下ろしたに違いない。

 それにしてもすごいと思ったのは、総選挙に惨敗した翌々日の9月1日に前官房長官の川村建夫が2億5千万を機密費として引き出していたという事実。数週間後には消えてなくなることが決まった内閣がそれまでの月額実績の2.5倍のカネを一気にポケットにねじ込んでいたというのは「意地汚さ」もここまで徹底すれば大したものだとあきれるばかりだ。もうしばらくの間は、そういう「役得」にありつけないと思うと、もはや見栄も恥も外聞も気にしているわけにはゆかなかったのだろう。もしかすると、後任の平野だって手をつけるのだから大丈夫、火事場泥棒をやっても「犯行」が露見するとは思わなかったのかもしれないが・・・、いや、ほんとうにすごいものだ。川村、あのトッポイ顔で、ね。

 ところで民主党を中心とする与党の強行採決に際して自民党と公明党は退席して抵抗の姿勢をみせた。かつてあれほど「審議拒否」や「不信任案の濫発」などの野党戦術を「無責任」と非難して「大人の与党」をアピールしていたことを考えると、これまた「民主主義の破壊」などと口を極めて批判していた民主党の「変心」同様、釈然としないものがあるが、おそらくかつての野党のように振る舞えば、与党が官房機密費を使って「国会対策」してくれる、そうすれば、それなりのカネがもらえると期待してのことに違いない。いまや借金で首が回らなくなりつつある自民党にしてみれば、はした金でもなんでも喉から手の出るほど欲しい、かつて以上にカネに汚くなるのは当然の話。

 権力、カネ、政治風土、・・・、たかが政権交代ぐらいのことでは何が変わるはずもない、と、そういうことか、呵々。(11/21/2009)

 きょうの「天声人語」のテーマは就職氷河期。コラムのすぐ上の記事には「大学4年生 終わりなき就活」の見出し。就職内定率が10月1日現在で大学62.5%(男子63.3%:昨年比6.5%減、女子61.6%:昨年比8.5%減)、短大29.0%(過去最低の数字とか)とのこと。

 冷夏で始まりながら9月になるや残暑の続いた2003年、「昭和ブルース」の歌詞を思い出しながら「8月に羽化した蝉は可哀想だった。地中に7年、やっと地上に出てきたら、ゴメン、ことしは冷夏なの、エッ、そんなぁ・・・、身の不幸を恨むうち、7日ばかりで命を終えた」と書いたことがあったが、就職氷河期はそれに似た話だ。

 記事は私大4年の女子学生の言葉から始まる。去年の11月から50社を受けた。「(不採用のたびに)自分は社会的に認められない存在なのか」と落ち込んだ。天声人語の冒頭にはバブル直後の就職氷河期世代の平野啓一郎の言葉が紹介されている。「どこで働きたいか、せっぱ詰まっていたわりに全然思いつきませんでした。あんまり歓迎されないまま社会に出ることになった辛さは、同世代間にも歪みを残したと思います」は記事の女子学生の言葉にそのまま重なる。

 天声人語はこう結んだ。「前倒し、新卒での一発勝負という就職戦線は、学生にも採用側にも当たり外れが大きい。適齢をどんな経済状況で迎えるかは運頼みだし、適材は既卒にもいよう。互いに歪みを残さないよう、出会いの風景はもっとおおらかでありたい」と。「希望」などではなく、真剣にそういう制度の実現について検討する時だと思う。いくつかの通り魔事件の経験に照らせば、絶望的な不公平感が思いもかけない悲劇につながりかねないことは誰にでも予想できよう。(11/20/2009)

 早起きは最近ご無沙汰。ウォーキングは、左膝の痛みが恐いので、1日1回、1万歩を最低条件にして8キロから10キロを目安にするようにした。おおむね10日で1キロ減量してきたのが、そのせいか、今月に入ってからはずっと66キロ台で上下するままで、なかなか65キロ台突入とはゆかない。飲み会やちょっとしたつきあいなどがだいたい週一サイクルであるし、雨にたたられる日もある。そうすると、てきめんに67キロ台に戻る。

 どんな「プロジェクト」にも停滞期はつきもの。その期間を心の余裕をもって過ごせるかどうか、成否はそんなことにかかっている。ありがちなこととやり過ごすこともまたひとつのポイント・・・と思うことにしているが、グラフが右肩上がりになると面白くないこともまた事実。

 薬科大の銀杏の落葉がみごと。向かいの雑木林も木々が葉を落とすため見通しがよくなった。きのうはいい天気だったから傾いた陽の光が歩くごとにチラチラ目をなぶるようで心地よかった。きょうは複十字病院脇を過ぎるあたりで香ばしいカレー粉の匂い。たぶんテーオー食品の工場だろう。所沢の家では、時折、漂ってきた匂い。風向きによってはここまで届くのかと驚く。

 コースの風景は確実に秋のピークから冬に向かっている。我が人生はもうひと月、ふた月、前にあたるのか、この季節にピッタリ同期しているのか、それとも冬を迎える前にクローズするのか。

 聖書には「何を食らい、何を飲み、何を著んとて思い煩うな」、「空の鳥は蒔かず、刈らず、収めずとも、天の父これを養い給う」とある。それは良寛の「焚くほどは風がもてくる落葉かな」という句にどこか通じている。歩いているとそんな心境になる。(11/19/2009)

 日曜日に配信されていた田中宇のメルマガ(「日本の官僚支配と沖縄米軍」)を読んだ。例によって論拠になる事実のソースを明示して書いてあるのが非常にいい。思い込んでいた事実の誤りも教えられる。思いやり予算が日本に固有と思っていたのは間違い。アメリカ軍の駐留経費は他国も負担している由。

 05年の米国防総省の発表によると、日本政府は、在日米軍の駐留経費の75%(44億ドル)を負担している。世界規模で見ると、米軍が米国外での駐留で必要とする総額は年に約160億ドルといわれるが、そのうち米国自身が出すのは半分以下で、駐留先の地元国が85億ドルを負担している。44億ドルを出している日本は、全世界の地元国の負担の半分を一国だけで出している。日本は、米軍の米国外での駐留費総額の4分の1を出している。日本だけが突出して米軍に金を出しているのだから、日本政府がその気になれば激減できるはずだ。日本政府が米軍を買収している構図は、ここからもうかがえる。

 アメリカは必要不可欠と考える場合にはそれなりのカネを払っているわけで、田中はこんなふうに書いている。「世界各国の政府の中には、米軍の駐留費を負担するどころか、逆に米軍から空港使用料を徴集している国もある。・・・(中略)・・・中央アジアのキルギスタン政府が同国駐留米軍基地の『空港使用料』を引き上げた話が象徴的だ。対照的に日本は、米軍に対して巨額の金を払って、わざわざ日本に駐留してもらっている。キルギス政府は『米軍を駐留させてやっている』という態度だが、日本は『米軍に駐留していただいている』という態度である」。

 田中によればアメリカ自体は必ずしも「沖縄駐留」にこだわっているわけではなく、他でもない日本政府(田中は「外務省を中心とする官僚勢力」と指摘している)が「どうか駐留してください」とカネやタイコで「画策」しているのだそうだ。

 米軍再編は軍のハイテク化をともなうので、米国の防衛産業には利益になる。防衛産業の代理人だった米国のラムズフェルド前国防長官は米軍再編の推進に熱心だった。彼は普天間基地も、代わりの辺野古基地も要らないと思っていたようで、2003年の沖縄訪問時に「辺野古(移設案)はもう死んでいる」と述べた。彼は「辺野古の海は美しい」とも言い、反対派の理論に依拠して辺野古移設案を潰し、引き留める日本政府を振り切ろうとした。しかしその後、日本政府による米軍再編への資金提供の追加買収作戦が効いたのか、ラムズフェルドは黙り、辺野古移設案は復活した。

 こんな指摘もある。

 日本において「米国をどう見るか」という分析権限は外務省が握っている。日本の大学の国際政治の学者には、外務省の息がかかった人物が配置される傾向だ。外務省の解説どおりに記事を書かない記者は外されていく。外務省傘下の人々は「米国は怖い。米国に逆らったら日本はまた破滅だ」「対米従属を続ける限り、日本は安泰だ」「日本独力では、中国や北朝鮮の脅威に対応できない」などという歪曲分析を日本人に信じさせた。米国が日本に対して何を望んでいるかは、すべて外務省を通じて日本側に伝えられ「通訳」をつとめる外務省は、自分たちに都合のいい米国像を日本人に見せることで、日本の国家戦略を操作した。「虎の威を借る狐」の戦略である。
・・・(中略)・・・
 官僚機構は、ブリーフィングや情報リークによってマスコミ報道を動かし、国民の善悪観を操作するプロパガンダ機能を握っている。冷戦が終わり、米国のテロ戦争も破綻して、明らかに日本の対米従属が日本の国益に合っていない状態になっているにもかかわらず、日本のマスコミは対米従属をやめたら日本が破滅するかのような価値観で貫かれ、日本人の多くがその非現実的な価値観に染まってしまっている。

 記者クラブでの「当局」の「発表」に依拠して自分の頭で考えない「記者」や、そのなれの果ての「論説員」が、先日の読売新聞社説のように「事業仕分けの対象である447事業に在日米軍基地に関する防衛省の『思いやり予算』などが含まれたのは解せない」などと、いったいどこの国の人間が書いたのだろうと思わせるような「論説」を書いたり、客観性をよそおった報道の中で「米国は苛立っている」などと見てきたような「ウソ」を垂れ流すメカニズムがよく分かる。(アメリカにとって日本は数ある「服属国」のひとつでしかない。アメリカ社会が日本の新政権に最大の関心を持っていると考えるのは「自意識過剰」もいいところ)

 ところでなにかというと自分と考えの違う相手にせっせと「反日」スタンプを押しているネット右翼の皆さんはこういうマスコミの姿勢の方がよっぽど「反日」だとは思わないのだろうか。それとも彼らはどこかで「お小遣い」でももらっていて、その「クライアント」の指示にしたがって「反日」レッテルをペタペタと貼る作業にいそしんでいるのだろうか。(11/18/2009)

 田英夫が13日に亡くなった由。田の家は**の家の近く、何回かその前を通ったことがある。記憶によれば、はじめてその家の前を通ったのは彼が「ニュースコープ」のキャスターを降板した直後だった。

 TBSの幹部は度重なる自民党からの嫌がらせに耐えかねて田のキャスター降板を決めた。田が降板した後、他局(NET-日本教育テレビ-、いまのテレビ朝日)ながら、その報道姿勢を受け継いだ感のあった秦豊も自民党からの集中砲火を浴びて降板した。自民党はじつに露骨に放送内容に介入した。たぶんまだ高校生のころだったが、日本テレビの「南ベトナム海兵大隊」というドキュメンタリーの放送もシリーズ企画の第一回の放送のみでつぶした。それだけの腕力がその当時の自民党にはあった。

 ベトナム戦争は自民党が宗主国とあがめる「アメリカさま」が戦う「聖戦」であったから、その戦いの内実が報道されることに自民党は神経をとがらせていた。というよりはアメリカの行う「大本営発表」こそ真実と思っていたのだろう。いまとなってみれば、少なくともベトナム戦争に限っていえば、当時の自民党首脳の「偏向報道批判」こそ「偏向」したものであったことは誰の目にも明らかになっているわけだから、佐藤栄作、福田赳夫、保利茂などはそろって歴史の前で赤恥をかき続けている。

 田の政治活動の基本原則は「反戦」にあったのだろう。彼はその時々の政治状況の中で自らの基本原則に忠実にであり、それをいちばん効果的に主張できる舞台を常に作り出そうとしていた。彼の政党への出入り、政治的共闘相手のめまぐるしい変化は「ブレ」といえば「ブレ」に見えたが、特攻隊生き残り経験に根ざした「反戦という信念」が変節しなければそれでよいと考えていたのではないか。

 あえていえば、「反戦」は「アンチ・戦争」に過ぎない。つまり太陽の光を浴びてはじめて見える月のようなものだ。「月光」は「月」の発する光ではない。「太陽」の発する光があって「月光」は「あるように見える」のだ。このあたりの事情は「保守主義」(「反日」だけに敏感な「えせ保守主義」のことではない)にも通ずる話。

 田英夫の存在感が失われたのは「『戦争』という太陽」の光が変質したことによるものだ。それは悪いことではないのだが、目下の社会状況に向き合う政治家としては不足するものが多すぎた。(11/17/2009)

 まどみちおが、きょう、百歳の誕生日を迎えたそうだ。夕刊は「あかちゃん」という詩の一部と、まどの「私がいうかみさまは、宇宙の意思みたいなもの」という言葉を紹介している。

 思い出した詩がある。「頭と足」。

生きものが 立っているとき
その頭は きっと
宇宙のはてを ゆびさしています
なんおくまんの 生きものが
なんおくまんの 所に
立っていたと しても・・・
針山に さされた
まち針たちの つまみのように
めいめいに はなればなれに
宇宙のはての ぼうぼうを・・・

けれども そのときにも
足だけは
みんな 地球の おなじ中心を
ゆびさしています
おかあさん・・・
と 声かぎり よんで

まるで
とりかえしの つかない所へ
とんで行こうとする 頭を
ひきとめて もらいたいかのように

 最後の「連」について「なんだか気持ちが悪い」と言ったっけ。まだ「とりかえしのつかない所へ」あいつの心が飛んでいってしまう前のことだった。(11/16/2009)

 町会の親睦旅行。毎週金曜日に回収している資源ゴミの売却益金に、ひとり2,000円の参加費でまかなうのだそうだ。

 7時半に幼稚園脇を出発。関越道-圏央道経由で中央道勝沼へ。きのうまでとはうって変わった好天で、随所で富士がよく見える。

 恵林寺へ寄ってからワイン工場を見学、12時過ぎに石和温泉着で昼から宴会。2時半に出発して勝沼でブドウ狩り。4時前には勝沼インターに入ったのだが、予想通りの渋滞で帰宅は8時。

 缶ビールにお菓子の詰め合わせがバスで配られ、昼は、参加費を考えると、なかなかの料理にビール大瓶が一本。のべつ幕なしにやるカラオケ大会(なにしろ往きのバスの中から2時間ほどの宴会まで、ずーっとこれをやる)がなければ、少なくとも「不可」ではない催しだった。

 しかし、あれだけ演歌に片寄った「選曲」が続くと、耳だけではなく脳みそまで腐ってしまう。

 もともと人間嫌い。けっこう疲れた。(11/15/2009)

 昨夕、風のように来たオバマ大統領は、きょう午後、風のようにAPEC会場に向けて去った。「アジアで最初の訪問国」というのは滞在24時間以下という日程に対するエクスキューズではないのか。ちなみに来週中国に割く予定の時間はほぼまる3日、サンケイ新聞などは狂わんばかりの嫉妬に身をよじらせるのではないか。醜女そのままのサンケイにはアドバイスしてやりたい。アメリカに嫉妬をぶつけるな、と。鳩山民主党政権がアメリカさまのご機嫌を損じたからだと書けば、現実が見えないメクラ同然の読者相手なら体裁は取り繕えるよ、と。勘違いぶりが「バカだけど、キャワイイ」ってくらいが読者と共にバカになるサンケイにはお似合いで「ウケがいい」だろう、呵々。

§

 やっと八ッ場ダムの隠された問題、「水質」の話が出て来た。朝刊の社会面に「ダム守るダム年10億円」という見出しで、ふたりの記者(菅野雄介、歌野清一郎)の署名入り記事が載っている。

 「群馬県として確認の必要はないのか」。13日の群馬県議会決算特別委員会。八ツ場ダムの予定地の上流で、国土交通省が環境基準を超えるヒ素を毎年検出しながら公表を避けていた問題が議題に上った。大沢正明知事は「いずれ(国交)大臣がすべて責任を持って再検証すると言っている」とかわした。
 ダムが計画されていた吾妻川流域の水質問題は、計画浮上から半世紀を過ぎても完成しない八ツ場ダムよりも、古い歴史がある。
 ヒ素だけではない。水が強い酸性なのだ。
 火山の草津白根山を水源とするため、硫黄鉱山や温泉地が多いからだ。戦前の1937年には下流の作物に被害が出て、県に「毒水」調査委員会が設置されたほどだ。
 吾妻川はかつて、「魚もすまぬ死の川」と呼ばれた。八ツ場ダム計画が地元に伝えられた52年から55年に、国はダム予定地で鋼板やコンクリートを川水に400日さらす実験をした。すると鋼板は8割、コンクリートは1割前後が溶けた。酸性ほど数値が低くなる水素イオン濃度(pH)は当時pH2~3。レモン果汁並みの「強酸性」。ダム計画は一度は消えた。

 冒頭の県議会での質問は「93年以降毎年実施した吾妻川とその支流での水質検査で、環境基準を超えるヒ素が検出され続けていたにも関わらず国交省が調査結果をひた隠しにしていた」というニュースを受けてのものだと思われる。以前書いた通り、八ッ場ダムの建設が素人目には異常なほど棚晒しにされた理由はその水質が極度に悪いことにあった。それを知らずに議論をする愚かさよ。

 それにしても土建屋知事大沢の答弁は嗤わせる。前原が約束した項目のどこに水質の「再検証」があったというのだ。言い逃れ以外のなにものでもない。この利権屋さんにはダムがらみの仕事で税金を自分のフトコロに流し込むこと(作って儲け、お守りして儲け)にしか興味がないのだろう。

 その後、「世界初」の触れ込みで63~65年に造られたのが、酸性水をせき止める品木ダムと中和工場だ。八ツ場ダムの予定地から北西へ約10キロの山中に、緑と白の絵の具を溶かし込んだような湖面が広がる。温泉水が流れこむダム湖は「上州湯の湖」と呼ばれ、近づくと卵の腐ったような硫黄のにおいが鼻につく。
 ダム湖に注ぐ三つの河川の上流は、いずれもpH2~3。中流に設けた中和工場で石灰液を常に投入し、人工的に化学反応を起こしている。pH値を上げる代わりに鉄やアルミニウムの水酸化物ができるので、品木ダムに水をため、水酸化物を沈殿させて水と分離させている。
 品木ダムの目的を、国交省は「利根川水系の水質改善」と説明する。pH値は引き上げられ、多くの支流が合流するため、首都圏の飲料水を取水する下流部では水質に問題はないと国交省は強調する。
 だが、品木ダム完成とともに八ツ場ダム計画も息を吹き返した。品木ダムはいわば「ダムのためのダム」なのだ。
 一方で、沈殿物が想定を大きく上回るペースで増え続けた品木ダムは、その寿命が危ぶまれている。当初、国はダムに50年間は沈殿物をためておけると想定していたが、88年からは沈殿物や土砂をすくい出して近くの山中の処理場に廃棄している。
 年に2万6千トンを捨てても、ダム湖にはその倍のペースで沈殿物がたまり、貯水容量の8割以上を占めるほどだ。沈殿物には川の水に含まれる高濃度のヒ素などの有害物質も含まれる。沈殿物がたまり続ける以上、新たな廃棄場所を確保し続けなければならず、年約10億円の維持管理費がかかっている。
 これだけの手間にもかかわらず、品木ダムで中和化できているのは吾妻川の流量の4割。国は総事業費850億円を見込んで処理範囲を広げようとしているが、着手のめどは立たない。
 八ツ場ダムは計画浮上から半世紀以上たっても完成しなかった。そして、首都圏の水がめである利根川に流れ込む吾妻川の水質問題も、やはり未解決のままだ。

 「八ッ場ダム建設推進」の大合唱をしている6都県知事、「いまさら中止なんて可哀想」などという感傷論を煽るマスコミ、それに乗せられているパープリンども、おバカの多重奏が財政を傾ける状景はまさに自民党時代から続くこの国の縮図そのものだ。この人たち、これでも、水余りのご時世にわざわざ選んで水質処理コストがかかり、それでもまだ微量とはいえヒ素が混じる水を飲み水として飲みたいと思うのだろうか。(11/14/2009)

 雨の予報が出ているので、**(家内)・**(上の息子)が出てすぐにウォーキングに出発。膝の痛みもなく、体全体が軽い感じ。快調。久しぶりに2時間ほど歩いた。

 読売の社説がおとといから始まった事業仕分けについて書いている。いちおう「長年にわたって硬直化した予算配分にメリハリをつけようとする意図は理解できる」として評価してみせてから、「だが、事業仕分けの対象である447事業に在日米軍基地に関する防衛省の『思いやり予算』などが含まれたのは解せない」と書いている。なぜ「解せない」と書くのかと思えば、まず「(思いやり予算は)日米安保体制にも影響する政治的な予算」だということ、そして「簡単な議論で結論を出すような問題ではあるまい」というのが理由らしい。読売の社説氏はこれが理由になると思って書いているのだろうか。「政治的予算」であるからこそ、「簡単な議論でない」けれども、ほんとうに必要なものかどうか見直す意味があると書いたら、その方がよほど筋が通ってしまうのではないか。もう少し論理的に書く能力のある人間に社説を書かせなくてはいくら「ウケウリ」を得意とする新聞でもこれは相当に恥ずかしかろう。

 思いやり予算は、wikipediaには「英語表記でも"Omoiyari yosan"で通用する」とある。それくらいに日本ローカルで特殊なものだということだ。同じ項には「旧西ドイツ、東ドイツにおいても在独米軍、在独ソ連軍に対する『思いやり予算』が存在していた」ともあるから、本来は冷戦下における服属国に特有の屈辱的な負担だったと見るべきだろう。

 だが日本が思いやり予算をつけはじめたのは東西両ドイツがそれぞれの庇護国に「みかじめ料」を支払っていた時期には重ならない。それよりもさらに後、いまや「金権政治屋」の代名詞になった金丸信が防衛庁長官だった時代になってからだ。最初は基地ではたらく日本人従業員の給料を肩代わりすることにより、貿易不均衡によるアメリカ側の円高負担を軽減することを図ったことから始まった。当然の話だが不平等条約として悪名の高い「地位協定」にもこういう費用を負担するとは規定されていない。またアメリカが基地を置くために各国と締結した条約及びその付帯協定にも類似の規定はないし、支払い例もない。だからこそ日本語そのまま、"Omoiyari yosan"で通用してしまうのだ。

 この話を書くと、必ず、日本の安全保障の一部をアメリカが補完しているのだとか、思いやり予算をつけてやらないとアメリカ軍は出て行ってしまうだろうとかいう話をする「アメリカの手先」がいる。そういう人は「駐留費の全額を負担するから駐留してください」と申し出たにも関わらず袖にされたアイスランドをどう説明するのだろう。思いやり予算以上の条件を提示されてもアメリカはアイスランドから全面撤退した。大昔の話ではない、三年ほど前の話。

 つまり駐留費の負担と基地の存続との間には直接の関係はない。冷静に考えればそんなことは誰にでも分かる話だ。アメリカは日本の安全保障のために基地を置いているわけではない。アメリカ自身の利益のためにそうしているのであり、日本の安全保障というのは単なる名目以上のものではあり得ない。やたらに「日本の安全保障」を言いつのる人々のほとんどは非武装中立論をリアルな現実を直視しない机上の空論と笑い飛ばすが、日米安保体制を絶対視する考え方もリアルな現実を直視しないアマちゃんの戯れ言と五十歩百歩だということぐらいは認識しておくべきだろう。こと軍事において無条件に他国のために血を流すことなどあり得るはずがないのだ。常識で考えれば、バカでもチョンでも分かりそうなものだ。

 話を「思いやり予算」に戻すと、その後、増長したアメリカは人件費のみならず、アメリカ兵、士官の住宅の建設費、光熱費、遊興施設の建造費など負担範囲の拡大を求め、アメリカに睨まれるとキンタマがすくみ上がる自民党政府は唯々諾々と「思いやりの強要」を認めた。

 おととしの春、品質管理学会の事業所見学会で横須賀基地を見学した際、この目でそのさまを実際に見た。兵士用アパート、士官用一戸住宅、レク用の映画館など、基地の塀の内外の違いに目を見張ったものだ。基地の日本人従業員も「品質改善グループ活動」(「リーン」という)の成果をアメリカ品質協会の大会で発表するためミルウォーキーまで行かせてもらっていた。もちろん経費はすべて思いやり予算から出ている。よほどのメーカーでも、当節、品質改善発表会くらいのことで「洋行」させることはない。

 これほどの「思いやり」が必要かどうかを「仕分け」に際して取り上げることは当然のことで、それを「聖域」のように書くとは、この社説子は世の中を知らない「ど阿呆」か、頭が前世紀のままの「恐竜」に違いない。

 さらに、この社説子は「国の個別予算の当否に民間人や外国人が直接かかわることを疑問視する声もある」と書いている。これは外国人が仕分けに関わると諸外国にはない"Omoiyari yosan"の不自然さが露わになると懸念しているのかしら。また国の予算の当否について「民間人」が関わるのはそれほど問題があるのかしら。つまり読売新聞はいまだに「官尊民卑」を当然と思っているのかしら。(いやいや、この社説子、じつは「アメリカの手先」、というよりは「アメリカ人」なのかもしれぬ。これは大嗤いだ)

 **(祖父)さんは、**(祖父)さんが亡くなってからは**(祖母)さんは、読売新聞の勧誘が来ると「車夫新聞に用はない」と「官尊民卑」丸出しで追い返していた。「民間人が国の予算に口を出すな」といわんばかりのこの社説を読んだなら、目を細めて「時代は変わったものだ。道理のよく分かった読売新聞をとってやったらよかろう」と言ったかもしれない、呵々。

 ひとしきり、読売社説子のバカぶりを嗤ってから、朝刊を見るとその一面左に沖縄返還時の核撤去費用がまったく根拠のないどんぶり勘定であったという記事が載っていた。読売新聞が揺るがしてはならない「神聖不可侵」のものであるかのように持ち上げる「日米安保体制」なるものが「簡単な議論」の対象にもなり得ぬ杜撰な一面を持っていた(いまも持っている)という一つの例証。

 賞味期限の来た「軍事同盟」(もともと単なる「占領体制」の延長ないしは恒久化でしかなかったのだが)をバカバカしいほど持ち上げるのは正しい「保守主義」でも、正しい「現実主義」でもない。どんぶり勘定で大枚の「核撤去費用」を支払ったという話、きりがないから別の日に書くことにする。(11/13/2009)

 今上の即位から20年になるとかで「式典」。いくつかの市町村の教育委員会は日の丸を掲揚するよう通達を出した由。それほどに祝うのならば、紅白の餅でも配ればよかろうが公費のバラマキは死んでもやりたくないというのが当節の習い、それではなんのための掲揚だか子どもには分かるまい。まさに木っ端役人の自己満足。

 今週月曜はベルリンの壁崩壊から20年だった。こうしてみると昭和天皇はよく使われる言い回し「終わりの始まり」、つまり冷戦という第二次大戦後の体制が意味を失うに至る年に逝ったわけで、なるほど「戦乱と対立を『象徴する』天皇」だったのだなと思う。

 今上はその父の遺したものを鎮めるため、この20年、じつによくはたらかれたと思う。昭和天皇が行こうとしなかった沖縄、中国を訪問し、サイパン島慰霊の旅の折などは公式スケジュールを繰り合わせて沖縄県出身者の慰霊塔「おきなわの塔」と韓国人の慰霊塔「太平洋韓国人追念平和塔」にも黙祷を捧げられた。もちろん「外遊」などは閣議決定の上で実行されるもので、今上自身で決められるものではない。だが国事行為ではない以上、法的にはそれなりの意思(ポジティブな意思も、ネガティブな意思も)を示すことは可能であり、サイパンでのイリーガルな「慰霊」などはまだ果たされていない訪韓についてのギリギリの代償措置と考えられなくもない。

 今上はけっしてパッシブな天皇ではない。むしろ、おおかたの右翼マインドの人々がショックを受けたといわれる即位後朝見の儀における「みなさんと共に日本国憲法を守り・・・」という語りかけなどはアクティブですらある。得意満面「日本中の学校に国旗を上げて国歌を斉唱させるというのが私の仕事でございます」と語った米長邦雄を「やはり、強制になるというものではないのが望ましいと」とたしなめたエピソードなどには今上の考えが強く現れている。(右翼屋さんの大半は「腸捻転」を起こしている。憲法の悪口はいくらでも言えるが天皇の悪口は言えないからだ・・・可哀想に)

 もっともこれは少し恐いことでもある。今上は十分に抑制がきいた中で、なお非常に注意深く語られているけれども、誰でもがこのような資質を持っているわけではない。また、今上は得難いパートナーを迎えられたが、誰でもがそのような幸運に恵まれるわけでもない。世襲にも不安定さはつきものなのだ。とすれば、我々は今上に感謝しなくてはならない。その一点で在位の永からんことを祈る。

 いつぞや「天皇の活動のあり方は急激に変わるものではありませんが、時代とともに変わっていく部分もあることは事実です」と語られたように天皇のはたらきも変わってゆくだろう。そのとき今上がいちばん大切にされた核心だけは受け継がれてゆくことを心から願っている。(11/12/2009)

 定年を迎えてはじめての秋だ。買い求めてから三十年とちょっと、かねてから「定年生活に入って、まとまった時間がとれるようになった、その秋に読もう」と思っていたホイジンガの「中世の秋」、まだ手に取っていない。

 忘年旅行の切符を買いに出た折、西部邁vs佐高信の「思想放談」などを仕入れたのがよくなかった。一般的には「敵対的」と思われているであろう西部と佐高がじつに楽しそうにかつテンポよく語り合っている。西部が本物の保守主義者で、佐高が背筋の通った日本人だからだろう。

 取り上げている「思想家」ごとに道草を食ってしまうから、よけいいけない。福沢諭吉、マルクス、夏目漱石と読み進んで、いまはトクヴィルにさしかかった。次の章は美空ひばりが待っている。上前淳一郎がひばりについて書いていた文庫本があったはずと探したが見つからない。見つけるまでは・・・と、ここで一区切りつけられるかなと思っている。だがパラパラとめくると、すぐあとにニーチェ、吉田茂、雑食系にとっては魅力的な人物が続く。当分この本からは離れられないかもしれない。

 碩学の講義よりはジャーナリスチックな「色物」の方に食欲がわくのは向学心などとは無縁の道楽者には理の当然。(11/11/2009)

 1カ月点検のために朝霞へ。車を出すのはきょうで三回目。**(上の息子)が乗らないので走行距離はまだ500キロに届かない。きょうなどは**(家内)がヒマならば袋田の滝から竜神峡あたりをまわってくるのに絶好の日和なのだが。

 夜7時のニュースが終わる間際、英会話教師殺害事件の市橋達也容疑者らしき男が「確保」されたというニュースが入った。ほどなく「本人であることを確認・逮捕」に変わった。2年半ほどの逃走劇だったが、一週間ほど前、名古屋で整形手術というニュースのあとは一気に盛り上がってロングラン・ドラマの終末に似た終わり方。逮捕容疑は「死体遺棄」。「殺人」容疑での手配にしなかったのはなぜか。素人目には「殺したに決まっているだろう」という状況でも、本人の供述がなくては立証が簡単ではないということかもしれない。

 それから十数分して森繁久彌の訃報。子どものころは、モリシゲを「森」という姓、名前が「茂雄」か「重信」で、略してモリシゲというのだと思っていた。多芸多才、活躍がそのまま「昭和」に重なる象徴的人物だった。けさ、都内の病院で。96歳。老衰の由。(11/10/2009)

 ベルリンの壁崩壊からきょうで20年になるのだそうだ。やぶにらみだが、ベルリンの壁崩壊に寄与したのは同じ年に起きた天安門事件(6月4日)、そしてゴルバチョフの訪問だった。天安門事件に対する中国共産党政権の強圧的姿勢を東ドイツ共産党(正式には社会主義統一党)政権もとることができるか。これは当時の東ドイツ共産党政権には難題だったに違いない。そしてゴルバチョフはそれぞれの事件の約ひと月ほど前に訪中、訪独して、それぞれの共産党と民主化勢力に有形・無形の影響を与えた。

 やぶにらみついでに昔からあたためてきた書き物ネタを書いておく。「ゴルバチョフはスリーパーだった」。ロシア革命は1917年。ゴルバチョフの生まれたのは1931年。共産革命の脅威に対処するためイギリスが潜入させた「草一族」とするか、彼の生地は独ソ戦の過程で一時ドイツ軍の占領地域になっている時期に公的書類を細工したとするか。ラドラムくらいの「筆力」があれば、かなり面白い話に仕立てられるのではないかと思うのだが。

 閑話休題。壁の崩壊以来、社会主義の破綻が広言されてきた。「東側」を行き詰まらせ破滅させたものは「官僚制」、就中、「計画経済」だったといわれている。しかし「官僚制」は別に社会主義体制のみに存在するものではない。そして「計画経済」も同じだ。ソ連という国があった時、「ソ連人は日本が好き」と袴田茂樹は書いていた。その理由の一つが「日本はもっとも成功した計画経済の国」だったからだ。

 人間の社会(主に経済社会)を人知で統御しうると考える考え方は、社会主義経済の対極にあるかのように思われている資本主義の寵児である「金融工学」にも通じている。LTCMの破綻を思い出してみればいい。アジア通貨危機をトリガーとしたロシア財政危機への対処の仕方を金融工学の成果に絶対の自信を持っていたLTCMは誤った。昨年来のアメリカを震源地とする経済危機も根は同じだ。

 社会主義を破綻させたものの本質は資本主義(自由主義と呼んでもいい、強欲自由主義と呼んだ方がより的確だろう)の中にもある。傲慢な知性がしっぺ返しを食らうという喜劇的な末路は社会主義の足元にだけある落とし穴ではないのだ。

 壁崩壊の日に欣喜雀躍したドイツ市民の中には20年を経て、貧しいなり、かつ不自由なりにコミュニティによる安定かつ安心な生活があった昔を懐かしむ人々も少なからずいるだろう。秘密警察の目とドル紙幣の目(プロビデンスの目)のいずれが性にあうかと尋ねられた時、秘密警察の目があってもパンが確保される社会がいいと答える人の方が多いのではないか。鈍感な人は秘密警察の目など気がつきもしないし、街の至る所に設置されつつある監視カメラを「わたしは見られて困るようなことはなにひとつしていないし、第一安全のためのものだから大歓迎、どんどん監視して頂戴」と評価するサンケイ新聞購読者などは、むしろそういう監視社会の方が大好きに違いない、呵々。(11/9/2009)

 けさの「サンデー・モーニング」はいつもの「政治面」からではなく、のっけから「社会面」で始まった。それほどにここ数週間、「どうしちゃったんだろう」という犯罪が次から次と報道されている。

 婚活(結婚も就職同様、それなりの「活動」が必要というのが最近の認識。したがって「結婚活動」略して「婚活」)サイトを通じて知り合った男たちからカネをだまし取ったとして埼玉県警に逮捕された女の周辺で6人の男が不審死を遂げ、女が手にしたカネは1億円ほどにもなるとか、鳥取のスナックホステス(スナックで「ホステス」かい)のまわりでことし春から先月にかけて4人の男が不審死していたとか、千葉大園芸学部の女子学生が殺害され、住んでいた部屋が放火されたとか、島根県立大の女子学生が行方不明、金曜日になり広島県内の山中から頭部、きょうになって胴体部が見つかったとか、げっぷが出そうになっているところに、おととし3月、英会話教師をしていたイギリス人女性の遺体発見現場から逃走した容疑者(市橋達也という)が名古屋で整形手術を受けていたというニュースが報ぜられた。(ついさっき、朝日のサイトに熊本の民家で男女3人の遺体というニュース。件の農家には最近中国人実習生が同居していた由。こういう話が大好きなマスコミ筋は色めき立ってあれやこれや、あることないことを報じてくれることだろう、楽しみなことだ)

 結婚詐欺の女の場合は「もっさりした感じで、とても美人とは言えないのに、なぜ」という話になり、千葉大の女子学生は「アイドル顔負けの美人、キャパグラでアルバイト」という話になる。加害者が女性でも、被害者が女性でも、女となると顔の美醜が話の中心になるところが可笑しい。ネット雀にかかるとこれに噴飯ものの「道徳論」が絡む(キャパグラでアルバイトなど、親は何をしていたんだとか、親がアホだとか、もう天醜爛漫、いずれ自分がその身にならぬとも限らないことなど眼中に入らなくなるらしい)から可笑しさは倍加し、まさに「ヴィクトリア朝的」という言葉はこういうことを指すのかと嗤いがこぼれてくる。

 「どうしちゃった」わけでもない。池の表面に現れる泡は水の中に溶け込んでいた空気がなにかの拍子に泡として浮かんだものだ。こういう「事件たち」も人間社会という水から浮かんだ泡のようなものなのだ。水温が少し高くなれば溶けていられないものは泡となり、水温が低くなればまた溶ける。(11/8/2009)

 昼のニュースでブロードウェイをパレードする松井の映像を見た。なんといってもワールドシリーズのMVP。契約年限のラスト・イヤーに念願の優勝を果たし、6戦で13打数8安打、うち3ホーマー、8打点というケチのつけようのない大活躍をしたのだから、まさに9回裏に直球ど真ん中を場外ホームランしたようなもの。紙吹雪のパレードは記録映画などで見るすごさはなかったものの、やはりファンの歓呼というものは勝負に勝ってこそのものだと納得させる。単なる数字上の記録をどれだけ積み上げたところで抽象的なデータに熱狂を伴った歓呼を送ることはできない。いろいろの記録的数字を頭に置かないと分からない「すごさ」は、少なくとも、野球観戦の醍醐味にはなり得ない。

 ことしの野球は面白くなかった。まずライオンズのふがいない戦いぶり。「ならば」と期待をかけたイーグルスは野村の花道を作ってやることができなかったし、ファイターズもきょう腰砕けのような(稲葉のあの守備はなんだ)試合をして、ジャイアンツに日本チャンピオンの座を持っていかれてしまった。なぐさめは花巻東の菊池雄星投手の交渉権を渡辺久信が引き当てたことくらい。

 そういう中で一番苦々しく見たのが「作られたイチロー騒ぎ」だった。9年連続200本安打というのがどんな意味で「大記録」なのか、選手ならぬ身にははっきりいってよく分からないが、マスコミはお祭り騒ぎをやり、すっかり角が取れてマスコミ対応がうまくなった(「よくなった」わけではない)イチローはいろいろしゃべりまくった。それは春のWBCの焼き直しのようで、「なるほどね」とか、「ああそうなのか」という発見に乏しい、まあひとことでいえばつまらないものだった。

 ノーヒットで終わった日のイチローのインタビューを見たことがない。インタビューそのものがないのか、それともテレビがオンエアしないだけなのかは未確認だが、おそらく前者だろう。

 イチローに比べると松井は対照的だ。ノーヒットでも、ノーヒットが何ゲームか続いても、彼はインタビューに応じる。タコの日はけっして気分がいいはずはないのに、松井は律義にインタビューに応じ、質問に答える。答える内容はたいしたことではないし、その表情も会心のゲームだったときでも大きく振れることはない。妙にハイになって甲高い声で応答することもない。ただ、その変哲のないインタビューを数多く見ているうちに、最近は、あしたは期待できそうなのか、まだしばらくはダメなのか、そのあたりが読み取れるようになった。

 一方、イチローのインタビューは、ああよかったねというだけのもので、それ以上のものはない。母集団に偏りがあるのだ。調子が悪い時には、どんな状態にあるのかは見えないし、匂いすらしない。よい結果が出た時には「語ろうとする細工」が目立ってしまって、見るのが辛くなることさえある。

 松井の契約は今シーズンで終了し、数々の怪我によりDH専業になってしまった現況では、MVPになっても更新は難しいのではないかという話。どうだろう、松井くん、ヤンキースにこだわることなく、守備機会が得られるていどの球団に移籍しては。ワールドチャンピオンの証であるリングを手にいれたのだけではなく、MVPにもなった君だ。これまでとはひと味違った働きをするのも悪いことではないと思うのだが。(11/7/2009)

 テキサス州にあるフォートフッド陸軍基地で銃の乱射事件があり12人が死亡した由。犯人は帰還兵のメンタルヘルスを行っていたニダル・マリク・ハサン少佐(なんと佐官級)。

 「冬の兵士」という本がある。「イラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実」という副題通り、帰還兵本人、あるいは帰還後に自殺した兵士の家族、そしてほんのわすがイラクの民間人の証言を集めた本だが、買ったことを後悔する本でもある。読書する楽しみがまるでない本なのだ。証言を続けて二つか、三つ読むと、はらわたが煮えくりかえるか、感情移入のために胸がふたがる思いがして、平静を取り戻すのに時間を要することになる。

 不正な「戦争」はその戦場に悲劇を繰り広げるだけではすまない。その「戦争」を支える社会にも、本来は必要としない悲劇をもたらすということがよく分かる。「悲劇」などという書き方は美しすぎる。アメリカ合衆国という国、その軍隊がどれほど悪辣であるかということもいやというほど証言されている。イラクやアフガニスタンの人々に悪辣であるのは知らぬ者のいない事実としても、自軍の兵士や下士官に対しても悪辣であるのは信じ難いほどだ。

 この本の第5章は帰還兵医療の実態についての証言にあてられている。不正な「戦争」をはじめたブッシュ政権のもとでアメリカ軍がどれほど自軍の兵士の人権までも軽視するようになったかという証言もある。(エイドリアン・キニーの証言など多数)

 さて、夕刊には乱射事件を引き起こしたハサン少佐について、こんな記事がある。

 米メディアによると、米陸軍基地乱射事件のハサン容疑者は、自身のイラク派遣が決まって苦悩していたという。陸軍病院の精神科医として、兵士の精神面のケアをしてきた専門家ゆえ、戦地の厳しさは知り尽くしていたはずだ。
 イラクとアフガンに約18万人を派遣している米国では、戦闘行為がもとで精神的な疾患に苦しむ兵士の増加が深刻な問題になっている。
 心的外傷後ストレス障害(PTSD)など精神的な疾患の増加は、陸軍で特に目立っており、陸軍幹部は9月、今年だけで165人の自殺者が確認されたことを明らかにし「兵士はかつてないストレスを受けているようだ」と危機感を表明した。事件が起きたフォートフッド基地は精神面でのケアに特別に力を入れていた基地の一つだという。
 二つの戦線での約1年の任務から帰還した兵士が、再派遣されるまでの期間を延長し、精神的ストレスの緩和を図る計画もある。だが、イラクからの米軍撤退計画が進む一方で、アフガンへの増派を進めていることもあり、予定通りには進んでいない。

 茶の間に降りた時、テレビに映ったしたり顔のおじさんが「精神科の軍医がこのような事件を引き起こしたとは・・・」というようなことを言っていた。ご本人は気の利いたコメントのつもりでしゃべっているのだろう。だが狂っているのはアメリカ合衆国とその軍隊であり、その狂気がストレスの集中する「点」に現れたということだ。アメリカ社会は長い長い低落の道をたどっているのだ。(11/6/2009)

 九州電力はきょうから玄海原発でプルサーマルによる試運転を開始し、夜には臨界に到達した。九州電力の「蛮勇」に拍手を送りたい。玄海原発のサイトによると、原子炉は4基、すべて加圧水型軽水炉で運転開始は1号機から順に75年、81年、94年、97年となっている。試運転を行う対象機は3号機。定格出力などは4号機とまったく同じにもかかわらず建設費は25%(750億)ほど高いのが少し不思議。

 プルサーマルというのは、ひとことでいえば、リスクの増大に引き合うメリットは皆無、余剰プルトニウムの処理のための窮余の一策としてのみ合理性があるというていどのものだ。リスクというのは燃料棒の中心温度が上昇する(プルトニウムを混ぜるため融点と熱伝導度が低下する)ことと、遅発中性子(核分裂の制御に対し有効)の発生割合が低くなることにある。つまり、

① 通常のウラン燃料によるものよりも原子炉全体の定常温度が高めになり
② 制御棒やホウ酸水による核分裂コントロールの効き具合が悪くなる

ということ。これは通常のウラン燃料を想定して考えられた設計的「裕度」を「先食いしている」ということを意味している。

 「蛮勇」と書いたのは、このリスクに対する原子炉なり付帯施設の対策をなにもせずに「実用」に供したからだ。(フランスではプルサーマルを実施するにあたり制御棒の数を増やしている由、もしかすると、割高な3号機にはあるていどの+α装備がなされているのか?)

 まあ、九州電力に勇気ある貴重な実験をやっていただけるのは非常にありがたい。プルサーマルのランニング・コストは確実に高くなるといわれている。できるならコスト低減のために安全を犠牲にしたギリギリのコストダウン運転にチャレンジして欲しい。もし思惑が外れて事故が起きても関東に住む者には致命的な影響が及ぶことはあるまい。最悪のことがあっても佐賀の片田舎で何人かが死ぬくらいのことだ。そのときには「やっぱり、危険だったんだね」と笑いながら以後の対策を考えればよい。そのために原発を引き受けた地元にはたんまり「対策費」を払っているのだ。

 そうそう、プルサーマル運転による「燃えゴミ」は、通常のウラン燃料による「燃えゴミ」よりも体積が増大し、「トイレのないマンション」状態をより深刻、かつ、解決不可能の度合いを深めることも予想されている。どれほど「場当たり的な政策」か、これひとつをとっても分かるというものだが、そういうことを平然と行うのがこの国のやり口だ。愚か者による、愚か者のための、愚か者の政策、万歳。(11/5/2009)

 朝刊のトップは恐ろしい記事。

見出し:崩落寸前の橋121基
 コンクリートの劣化や鋼材の腐食が想定外に進み、崩落寸前の状態に陥った道路橋が全国で121基あることが、国土交通省の調査でわかった。大型車の通行を禁止した重量制限付きの橋も680基確認された。大半は、橋の寿命の目安とされる50年に達していない。橋の管理者である地方自治体は財政難や技術者不足が深刻で、6割以上が補修計画も立てられない状況という。各地で緊急点検が進めば、「危険な橋」はさらに増える恐れがある。

 記事は「大型車多く深刻」という中見出しに続いて、「道路橋は、寿命を50~100年と見込んで設計されている。国内では、60年代の高度成長期以降に大量に建設されたことから、『高齢期』に入る橋は今後、飛躍的に増える。国交省道路局の試算では、50年超の橋は06年時点では6%に過ぎなかったが、16年に20%、26年には47%を占めるとされる」とあり、07年のミネアポリスの鋼トラス橋の崩落例を引いてアメリカの状況を紹介した上で、諸外国に比べても格段に大型車の通行量の多い我が国の問題の深刻さを報じている。さらに第二社会面には続き記事としてもっと深刻な指摘がなされている。

見出し:ダムや空港・港湾も
 国内の公共施設は道路橋に限らず、高度成長期以降に立て続けに建設された。ダムも空港も港湾施設も、例外ではない。
 ダムは現在、国内に約2890基あるが、この7割近くが50年代後半以降に造られた。専門家は「周辺で地滑りが進んでいた例もある。付帯施設の更新も怠れば重大な事故につながる」と指摘している。国交省は今年度、直轄ダム(87基)や河口堰などの点検・補修費として約560億円を計上している。数は増え続けているにもかかわらず、この額はここ数年、横ばいだ。
   ・・・(中略)・・・
 公共事業の抑制が進み、「維持費」が削減されても、維持補修のための「更新費」は今後、右肩上がりになると予測されている。いまの状況が続けば、「あと十数年で新設費をゼロにしても追いつかなくなる」(国交省幹部)という試算もある。

 八ッ場ダムでは土建屋知事(大沢正明)をはじめとする利権亡者どもが「ダム建設推進」を主張し、一部マスコミが「振り回された地元民が可哀想」というお涙頂戴大合唱を繰り広げている。(最終的には造らないことの方がよほど地元民のためだろう)

 「ダム建設推進派」は完成後に発生する費用のことを意識しているのだろうか。現在この国に存在する本当に必要なコンクリート建設物の維持・管理だけでも先行きの手当をきちんとできるかどうか大変なことだという時に、「戦艦大和」のような無用の長物を新たに造り、その点検補修費をアドオンすることは狂気の沙汰だ。

 私腹を肥やしたい土建政治屋、どこから頼まれたか「住民可哀想キャンペーン」を繰り広げているバカマスコミ、そして「可哀想だよ、せっかくその気になったのに。ダム、造ってあげたらいいじゃない」というパープリンちゃんよ、あんたたちが「八ッ場ダムがはれて完成したなら、そのときから発生する維持管理費のみならず点検補修費のために必要とするカネは、私たちが責任を持って百%負担します」という覚悟があるというのならダムを建設するがよかろう。どうだ、それだけの「腹」があるか。自分の財布ではないと思うから無用の長物を「造れ」などとお気楽極まりない主張するのだ。(八ッ場ダムは治水には役立たない、新たな利水が必要となる事情はない。したがってできても「無用の長物」。埼玉県の水利権の調整のためにガラガラポンするというのは「政治不在」の証)

§

 夕刊にレヴィ=ストロースの訃報が載っている。先月30日に自宅でなくなった由。

 ダイジェスト読者レベルにはサルトルを撃破した「構造主義」というのがしっくりこなかったという記憶がある。まず「人間は生まれた時から人間であるのではなく社会の中で人間になる」というのは「ジンカン」という読み方を知っている身には特に新鮮ということはなかったし、「人は女に生まれるのではなく女になるのだ」という「サルトル夫人」の有名な言葉にも通じているように思え、ただ一点マルキシズムをどう見るかという違いにしか思えなかったから。(11/4/2009)

 膝の痛みやら飲み会やらがあってしばらく見送っていた早朝ウォーキングに出た。ちょうど6時ころに東部図書館近くの橋で折り返すように黒目川左岸遊歩道を歩く。家を出るときにはかかっていた雲が消えてまぶしいばかりの朝日。折り返して右岸を歩いてくると西武線のガードが見えるのと同時に雪をかぶった富士がくっきりと姿を現した。それで十分、早起きは報われた。

 さすがに特異日、雲ひとつない快晴。少し風が強く、かなり寒い。「文化の日」というと何人かで模擬試験に行った日のことを思い出す。転勤族だったし、中学から私立にやれるような家でないことは承知していたから、中学受験などということは眼中になかった。クラスの成績のよい子の多くは「受験」の二文字を頭に置いていた。だから「**くん、こんどのお休みの日、模擬試験、受けにゆかない」と誘われた時、それに焦点を絞っている連中に、傲慢不遜にも、「ボク、受験なんかしないけど、模試の成績だと**くらいは行けそうなんだよね」と言ってやりたくなってしまったのだった。(もうひとつ、「行こう」と「強く」思った理由があったのだが書くまでもなかろう)

 しかし代々木での結果は惨憺たるものだった。塾で「専門教育」を受けている奴にはかなわなかった。まさに「井の中の蛙」そのものだった。それからは意地になって、毎週、大塚まで公開模試を受けに行った。年が明ける頃には一応名前が載るくらいのところまでは上がり、本人より「その気」になってしまった**(父)さんと**(母)さんは、「転勤になったら久我山のおじさんのところに下宿させればいい」などと言いだし、駒場と麻布を受けることになった。子どもも子どもなら、親も親。夫婦ともそういうことになると子どもなみのところがあった。思い出すのは下見を兼ねて麻布に出願書類を出しにいった時のこと、**(父)さんは「この受験料が無駄になるといいなと思ってるよ」と言った。「麻布なら」と思っていたのか、それともやはり「授業料」のことが頭にあったのか、どちらだったのだろう。

 当然のように両方とも落ちた。客観的にはどうあれ主観的には麻布に落ちたことはショックだった。**が受かったからだ。慰めは**が落ちたことだったが、いまから思うと「ゆとり」をもっている子と「いっぱいいっぱい」の子、そんな感じがする。卒業を前にした最後の面談のとき、**先生は**(母)さんにこう言ったそうだ、「受験をするのならば、少なくとも6年生になった時にそう決めて、最低1年くらいはそのつもりでやらなければダメです。これで本人が自信をなくすことになったらどうしますか?」と。その予言はあたり、以来、入試は「不得意科目」になってしまった。

 閑話休題。小6の秋、1960年の文化の日のことだった。朝、下高井戸の駅に集まった時、「**年後、この時間にここに集まろうか」と誰かが言った。それが中学に入った年のことだったのか、一貫校で高校に入った年のことだったのか、それとも十年後、すんなりと大学へ進学し、翌年には社会人になるはずの年のことだったのか、はたまた、「数十年後の文化の日」と言ったのだったかは忘れてしまった。来年で50年。「半世紀後」と言ったような気もしないでもない。来年のこの日、あの時刻に改札口に行ってみようか。誰か、来ているだろうか。(11/3/2009)

 Edyギフト事務局からメール。案内に従い入力してパソリで受け取り終了。

 一件書類をエコポイント事務局に送ったのが7月23日申請書類に不備があると返送してきたのが9月29日だった。舌足らずな「インターネット手続き」についてクレームをつけて、「エコポイント事務局からEdyにバトンが渡った時に連絡をください。どちらに問合せをすべきか判断したいから」とお願いをし、翌日、「許諾署名」(申請したエコポイントを受け取ることを申請者として「許諾」するという意味、変な日本語)と「捺印」をして返送した。

 それから2週間以上してから電話があり「返送されたでしょうか」という。「9月30日に返送しましたがついてませんか」というと、「それは調べてませんが、返送いただいたかと思いまして」などととぼけた話。それから1週間ほどして、「受け取りのための画面入力をしていただくためのeメールがいきましたら・・・」という電話。「いつ発信されたのですか」と尋ねると、「発信されたかどうかは確認しておりませんが、どういう手順になるかをお知らせしようと思いまして・・・」という。すべてがこの調子。ひとの神経を逆なでするような「あしらい」。

 やっと申請確認ができて、「エコポイントマイページのアカウントが開設されました」というメールが来たのは10月26日だった。お役所仕事は優に3か月かかっている。それに対し、Edyにバトンが渡ってからはたったの1週間。これが官民格差か。

 たしかに「許諾署名・捺印」をしなかったのはこちらのミスだ。だが、もし自動生成される申請文書の署名・捺印欄を強調するフォーマットになっていたら、文書作成の注意項目に「署名・捺印を忘れないように」という一項を付け加えておいてくれたら、たぶん2か月の空費はなかったことだろう。

 9月29日、クレーム電話で、たっぷり30分以上かけて、そのあたりの改善をしたらいかがかと提案した。とぼけた問合せが来た際にも、その都度、「わたしのようにそそっかしい人は一定の確率でいると思いますよ。申請文書のフォーマット修正はすぐというわけにはゆかないとしても、注意項目を追記するくらいのことはすぐにでもできるでしょう。やりなさいよ、それくらいのことは。こんな子どもの使いみたいなとぼけた電話をかけてくる時間があるなら」と繰り返した。

 にも関わらず、きょう現在、まだ件のホームページは改善されていない・・・と、書いて、念のため、ホームページを確認してみたら、やっと10月30日付で、トップページに「これからエコポイント申請を行われる方へ」という部分が書き加えられ、「申請時のよくある間違い・注意事項はこちら」というページが、以前の注意書きを拡充する形で設けられていた。末端が指摘を聞き取ってから、それが活かされるまで約1カ月がかかるようだ。

 全部で4回、さんざん、イヤミを言った甲斐はあったようだ。仏の顔も三度という。あれは一般人の我慢の制限回数をいったものだが、役人の顔は四度ほど横っ面を張らないといけないらしい。面の皮が一般人より厚いのかもしれない。(11/2/2009)

 すっかり閲覧者の少なくなった我がホームページだが、それでもなお自分で作ったしきたりに従いつつ更新を続けている。奇数月の初旬には掛け替える「玄関飾り」を用意しなければならない。「こんどはこれだね」という「詩」(「句」でも、「歌」でもいいのだが)が早々と浮かぶ時もあるが、最近は少し苦労している。理由は簡単、もともと「教養」と名のつくものは「教科書」とその周辺にとどまっているため「在庫」がそろそろ尽きてきたから。

 その「在庫」の中で、ずっと以前から使いたいと思ってきたにも関わらず、出典が確かめられずに見送ってきた詩句がある。

おお、堪えがたき人間の条件よ。
一つの法則の下に生れながら、他の法則に縛られて、
病むべく創られながら、健やかにと命ぜられて、
かくも相反する法則によるとせば、自然の意味とは、そも何か。

 記憶によればウィリアム・ブレイクなのだが、岩波文庫、平凡社ライブラリーの「ブレイク詩集」にはそれとおぼしき詩句が見つからない。ペンギンブックス版まであたってみたが載っていない。そもそも、その詩句をどこで目にしたものかの記憶がないのだからお手上げだった。

 さっき、辺見庸の本を読んでいて、これの詩句にぶち当たった。ついに見つけたということと、どこで読んだかまでが一気に分かった。興奮した。もう十数年越しの「懸案」だったから。

 この詩を、私は埴谷雄高著『罠と拍車』のなかの「自由とは何か」で知った。文中、埴谷はこれを「私が古くから愛好しているブレークの詩」として紹介している。学生時代に読んで以来、埴谷がそう記しているし、私は不勉強だから、当然、ウィリアム・ブレークの詩だとばかり思いこんできた。ところが、今回、ブレークを調べてみたら、まだ調べたりないのか、この詩がなかなかでてこない。意地になって追いかけていたら、ブレークよりはずいぶんマイナーな作家、グレヴィル(一五五四~一六二八年)の作品であることがわかった。ブレークがこの詩を引用したのか、単純に埴谷雄高の勘ちがいなのかは、依然、不分明である。

 学生のころ埴谷は未来社から「**と**」という題名の本を何冊か出していた。すべて580円のシリーズ本だったがそのすべてを買い求めることはできなかった。たまたま「罠と拍車」は本棚にあった。そして、たしかにその冒頭のエッセイの中に「私の古くから愛好しているブレークの詩」はあった。詩の前後には鉛筆で傍線まで施してあるというのに、記憶には残っていなかった。

 辺見はこの文章を

 そんなことは、しかし、どうでもいい。記憶力のあまりよくない私が、この詩にかぎっては、おぼろではあるものの、ほぼ三十四年間も胸の底の薄暗がりに、なんとなく言葉を残してきた、そのことにわれながら驚く。正確にいえば、「おお、堪えがたき人間の条件よ」と「病むべく創られながら、健やかにと命ぜられて」 の二つのフレーズだけを忘れずに生きてきた。たぶん、私は、大いなる矛盾を露皇する時代のときどきに、「おお、堪えがたき人間の条件よ」と嘆息し、「病むべく創られながら、健やかにと命ぜられて」と、心のうちで、この世の成り立ちを呪ってきたのだ。だが、いま振り返れば、それまでの嘆息にも呪誼にも、まだなにがしか余裕があった。そうなのだ。世界は、かつても、人間が病まずにはいられないようにしつらえられていたけれども、いまほどひどく悪辣ではなかった。

「永遠の不服従のために」所収 「善魔」より

と続け、「ブッシュを頭目とするアメリカ」という国の「悪魔」ならぬ「善魔」のロジックについて書いている。

 なお、辺見が探しあてた「原典」フルク・グレヴィルの言葉には、埴谷がブレイクの詩として書いたものよりワンフレーズ多い。「病むべく創られながら」の前に、対句として「虚しく生まれながら、虚しさを禁じられ」という言葉が入っている。「病むべく・・・」と並べるにしては少しインパクトがたりないように思えるのが、埴谷が書かなかったあるいは脱落した理由かもしれない。(11/1/2009)

 昨夜は楽しい夜だった。**さんは風邪をひいた(午前中の取締役会を終わってすぐに帰宅した由)とかで欠席だったが、リタイヤ組は**さん、**さん、**さん、**くん、そして**(**)さん(**くんは現在上海勤務とか)、現役組は、思いつく順に、**くん、**さん、**くん、**くん、**くん、**くん、**さん、**くんが集まった。まさにオールスター。

 案内状には「古き良きバブル全盛期に一緒に仕事をしてきた仲間」とあったが、正確にはバブル期直前の顔ぶれのような気がする。だが「古き良き時代」であったことは事実かもしれない。上下水道施設に対する公共投資は安定してなされており官庁商売につきものの受発注慣行はまだ牢固としてあった。いい時代だった。

 誰かが当時の写真を何枚か持ってきた。花見、野球大会、親睦旅行、・・・、そういう行事があった時代でもあった。映っている善男・善女たちの若くて、スリムなこと。途中で会社を去った人もいる。この世を去ってしまった人だっている。

ヒゲ面の男は君だね
どこにいるのか
いまでは分からない
友だちも幾人かいるけど
あの日のすべてが空しいものだと
それは誰にも言えない

 「きょうの集まりは準備会です。きょう、都合がつかなかった人にも声をかけて、また、富士急ハイランド、行きましょう、できれば一泊くらいの予定で・・・」、誰かがそう言って拍手がわき上がった。あのジェットコースターにはもう乗れないな、と思いつつ、拍手をしていた。頭の芯がジンジンしていた。それはアルコールのせいではなく、いちばん濃密に仕事をしたときの記憶のせいだった。

 6時半のスタートで10時前まで。帰宅したのは11時をまわっていた。(10/31/2009)

 日経のサイトにこんな記事。

見出し:首相「日米対等」にこだわり 同盟再検証の意向、米は反発必至
 鳩山由紀夫首相は29日、在日米軍駐留経費の日本側負担(思いやり予算)を含め、日米同盟を包括的に再検証する考えを打ち出した。沖縄県の米軍普天間基地の移設問題や日米地位協定の改定など民主党が掲げてきた主張が念頭にあり、政権交代を機とした「対等な日米関係」との理念へのこだわりだ。だがこれまでの日米合意を根底から覆しかねない発言だけに米国の反発は必至。政府内にも当惑が広がっている。

 日経を購読していた当時おなじみだった伊奈久喜が書きそうな記事だなぁと思いつつ嗤いながら読んだ。まあこのていどの「時事感覚」がいまの大新聞の記者の平均値なのだろう。

 たしかに平均的な日本人は日米安保条約をこの国を守るために欠くべからざるものと思っているが、締結からほぼ半世紀(現在のものを「改定版」とするなら「還暦」に近い)になる「軍事同盟」が、その背景となった「冷戦体制」の終結から20年近く経とうとするのに、見直しの意識もなく当然視されているのはいささか異常といっていい。明治の日本のプレゼンスを高めるのに貢献した日英同盟は1902年に始まり1923年に失効している。それは第一次大戦からその後にかけての極東の軍事情勢、就中、日本の変化がもたらした結果だったわけだが、軍事同盟などというものはそれくらいに絶えず効果を計りつつ維持すべきものなのだ。

 50年近くにもわたってまるで「不磨の大典」のごとく維持される「軍事同盟」が、パフォーマンスにシビアなはずのアメリカの方から見直しの「み」の字も出てこないという事実は、そのまま、現在の安保条約が彼の国には有利、つまり我が国には不利なものであることを意味していると考えてよかろう。それはひとえに自民党政権の怠惰に帰すといってよい。ちなみにフィリピンはクラーク空軍基地、スービック海軍基地をアメリカから返還してもらっている。

 「思いやり予算」などという体裁のいい言葉で体面を取り繕いながら、「みかじめ料」を払っているというわけだ。アメリカさんは「せっせと貢いでくれるヒモ生活、グッドよ。堪えられないね」と思っているに違いない。

 一般人がこれを当然のように思い、地回りのご機嫌を損ねては大変とばかり、その顔色をうかがうのは分からないでもない。しかし大手マスコミの記者までが、ヤクザ同然の構造を無批判に受け入れるばかりか、「(つまらない)理念へのこだわり」のために「これまでの日米合意を根底から覆しかねない」などとアメリカの代弁をして「米国の反発は必至」であるなどと、いったい日本人なのかアメリカ人なのか分からないような記事を書くのだからあきれてものも言えない。政権が交代したいまは「軍事同盟」を再考するには絶好の機会だというパースペクティブくらいは持て。少しは勉強しろ。それとも、イナカッペイのような売国奴的言動を繰り返せば、日経では出世できるとふんでいるのか。恥を知れ。

§

 きょうはこれから水技2課の同窓会。そろそろ支度しなくては。(10/30/2009)

 きのうの夕刊に佐藤仁東大准教授がことしのノーベル経済学賞を受賞したオストロムの研究を分かりやすく紹介しているので書き写しておく。

 「みんなの資源」は「誰の資源でもない」と見なされがちなため、過剰に搾取されてしまうことが多い。これは「コモンズの悲劇」と呼ばれ、不法投棄がやまない空き地から温暖化の進む大気に至るまで、環境問題の場で頻繁に想起されてきた。「悲劇」を避けるには、政府が課税や補助金などの手段で規制をかけるか、共有資源を個人に分割して私有化し、市場に任せるのが定説であった。技け落ちていたのは地域のコミュニティーによる自発的管理という選択肢である。
 1990年に出されたオストロムの主著『コモンズの統治』は、スリランカやフィリピンの潅漑、カナダの漁場、米国の地下水源などを事例に、世界各地で長い間「悲劇」を経験せずに生きながらえてきたコモンズの存在を明らかにする。多くの地域社会は、政府の力に頼ることなく独自の工夫で資源を守ってきた。
 日本の例も紹介されている。山中湖周辺の入会では入山してよい期間、使ってよい道具、採取してよい産物に集落単位で自己規制をかけ、反則者には厳しい罰則を課すことで森林を持続させてきた。オストロムは、画一的なモデルを現場に当てはめるのではなく、現場の試行錯誤から生まれた成功の事例を拾い集め、そこに共通する原理原則を見いだそうと努めた。
 従来の経済学は市場と価格メカニズムの分析に偏りがちで、経済学者の多くは「市場の失敗」を後付け的に説明してきた。だが、現場の実践から学ぶことに熱心であったわけではない。オストロムが着目したのは、この「現場」、だ。資源のそばに暮らす人々の工夫に成功の秘密を見いだそうとしたのである。
 どのような条件が整うと人々は資源の保全に向けて協力するのか。彼女が、公共選択論の権威で夫のヴィンセント・オストロム氏と共に、この間題を考えはじめたのは60年代だ。やがて森林や牧草地などを、市場に支配される経済財として切り離すよりも、資源として観察する方が人々の行動を理解する近道になると気づく。ある資源を管理しようとするとき、人々がやる気を出すかどうかは、価格だけでなく、他の資源の入手可能性や資源の分配をめぐるコミュニティーの歴史に規定されるからである。

 私有財産法制度によって、見えなくなり、踏みつぶされてしまったものにスポットライトをあて、社会の中の人間の営みを復活させる考え方と理解したらいいようだ。

 日本人が明治の「近代化」により、やみくもに捨て去った制度には惜しむべき豊かな知恵が内包されていたのだ。本来、保守主義はこういうものを「評価」するのでなくては意味がないのだが、この国の「保守主義」はそういうものをすくい取ることができない片端者だ。

 研究の示唆は、天然資源以外の領域にも及ぶ。家庭、地域社会、学校、企業、病院などの組織は、市場価格や政府の方針からは半ば独立して、教育や就業機会、医療サービスを配分し、人々の生活を支えている。制度を円滑に機能させるためには、人々に裁量権を与え、彼らの主体的な参加を促す必要がある。諸資源を統治する力は、市場や政府といった外部にあるのではなく、もっと身近なところにある。

 市場原理による分析が奏功したからといって人間の活動のすべてがこれで説明でき、社会的課題のすべても解決できると考えるのは誤りだ。にも関わらず、フリードマンなどは何から何まですべて「市場原理主義」を導入すれば、「神の見えざる手」が塩梅よくやってくれるという「信仰」に近い思い込みをしていたらしい。

 市場原理主義は「価格」による支配力ですべてを解決できると考えている。つまり札束で横っ面を張れば、なびかない人間はいないという「哲学」に支えられている。そんな「哲学」で教育や医療の制度構築をすれば、世の中は確実に悪くなる。そのことはコイズミ・タケナカのコーゾーカイカクでかなりの人が実感したことだろう。

 市場原理主義に乗っ取られた感のあった経済学の片隅に、長い年月をかけて獲得した制度や知恵に対する敬意を持つ経済学があり、それにノーベル賞選考委員会がスポットライトをあててくれたことを評価したい。(10/29/2009)

 いつもの顔ぶれで奥多摩ハイキングの予定だったが左膝の痛みが残っている。フラットな道では痛まないのだが、坂の上り・下りになると痛む。無意識にかばっているため左足の付け根の方にも影響が出ている感じ。パスすることにした。

 ハイキングをパスしたと知るや、**(家内)、「メルシャン美術館の券があるんだけど行かない?」ときた。下期株主優待の入場券の有効期限が来月いっぱいなのだそうだ。天気は上々、運転に差し支える痛みではない。8時半前に出発した。所沢インターから関越にのって、上信越道・佐久インターでおりる。片道150キロ、11時前に着いた。

 「メルシャン軽井沢美術館」とはいうものの軽井沢と佐久の間、御代田(「みよた」と読む由。帰ってからインターネットでわかったこと:カーリングホール「みよた」があり、北海道常呂町と並ぶカーリングのメッカ)町にある。本当によい天気で群馬に入ってから碓氷峠までのあいだも、長野に入ってからの白く煙を上げる浅間山の眺めも青空を背景にしてなかなか良かった。開催中の「ヨーロッパ美術史の変遷-宮廷絵画からバルビゾン、そしてアール・ヌーヴォーへ-」は立石寺で有名な山形の山寺にある後藤美術館の所蔵品をセレクトしたものとか。

 題名通りの内容だが素人には十分楽しめた。きょうの収穫はアントワーヌ・シャントルイユという画家の「黄昏」。日没直後の残光に照らされた風景。ゆったりと流れる川を牧舎に帰るとおぼしき牛の群れが渡っている。遠い山稜と光る雲の境界が溶けあっているところが美しい。あまり評価の高い絵ではないようで解説はなかったが、黄昏時と空の表情への我が偏愛故にこれがきょうのベストワン。

 敷地内のカフェでゆっくりとビーフシチューセットを食べて、1時過ぎには出発。滞在2時間強。関越につきものの渋滞が始まる前の3時前には帰着。車庫入れも慣れて、きょうは一回切り返すのみでジャスト完了。すべてご機嫌の一日。(10/28/2009)

 列島東側の太平洋上を通った台風20号、朝から台風一過の好天をおいていった。朝方、もう直ったのではと恐る恐るウォーキングに出てみた。ダメ。いつものピッチウォークは当然のこととして、早足もダメ。並足でも違和感がある。ダイエットにならないことは承知でかなりスローに歩いてみた。

 このペースも悪いものではない。思った以上に川の水がきれいでたくさん水鳥が来ていることが分かったし、ふだん見落としていた500メートルごとの距離標識のほとんども確認できたし、少し離れて歩いている老人がおそろいのウェアを着ているのに他人のような顔をして歩いていることも発見した、・・・、いつも「この時間帯から体脂肪が燃えはじめる」とか、「もうあと100キロカロリー分」などと考えていると目に入らないものが見えてくる。いつの間にかウォーキングはお仕事化していたようだ。そうそう、いつか颯爽と追い越していったジョギングレディーがけっこうお歳だということも知った。それでいてあのスタイルはすばらしい。

 黒目川遊歩道の右岸、西武線ガードから250mの区間は富士が見える。気温が上がってくる時間帯になると低いところに雲が出始めるので完全には見えなくなる。やはりいつもの早朝ウォーキングにすればよかったと悔やむ。でも季節は秋から冬に向かっている。これからはもっと見える頻度も増すことだろう。(10/27/2009)

 本当によく降る。これだけ降ると、最初からウォーキングは無理とあきらめがついていい。時間がどんとまとまって空くのはいいことだ。久しぶりにホームページを更新。二週間分をまとめてアップするか、もう少し刻もうか迷ったが10日分で刻むことにした。ただトップページのネタが古い感じになるのがちょっと残念。水曜日の日本郵政の社長に旧大蔵事務次官というあたりは、この更新でのっけないと鮮度が落ちる。それでも20日で区切ってアップを終えたら、その日本郵政の社外取締役に曽野綾子を起用することが決まりつつあるというニュース。

 曽野綾子、三浦朱門という夫婦はヌエのような不思議な人たちだ。ご両人とも作家だということになっているがこれという作品はない。たしかにひと山いくらみたいな読み物・雑文はたくさん書いているようだが、あのていどのものを書き散らした功績で芸術院恩賜賞を受賞できたり、文化功労者になれたとあっては、恩賜賞も文化功労者もずいぶん安っぽいものになってしまうだろう。

 とにかく、どれほどの見識・学識があるかとなれば、はた目にはよく分からないご夫婦が、お役所まわりの役職にはちょくちょく顔を出す。まさに御所にとりついたヌエというにふさわしい。これまでは、ご宗旨のためには平然と嘘もついてみせ、暴論も展開してみせるという鉄面皮なところが自民党筋から評価されてのことだと理解していた。だから自民党が権力の座から転がり落ちたいまの状況では、このいかがわしいご夫婦もサンケイ新聞同様「下野」したものと思ったが、どうやらヌエの本領を発揮して早くも民主党政権に取り入ったとは、あな恐ろしや。それとも亀井はヌエに弱みでも握られているのだろうか。(10/26/2009)

 少し止み間はあったもののほぼ終日雨。階段を下りようとすると膝蓋骨あたりが痛む。この天気はかえってありがたい、ウォーキングは取りやめ。

 鳩山内閣発足後初めての国政選挙、参議院の神奈川と静岡補欠選挙の投開票があった。いずれも民主党候補が自民党候補にかなりの差をつけて勝った。投票率は神奈川が28.67%、静岡は35.64%と、補欠選挙ということもあったのだろうが低投票率。

 かつて森喜朗が「(選挙民は)家で寝ててくれればよい」といったように低投票率での選挙には絶対的自信を持っていた自民党だが、頼りの公明組織票が動かないと現在の彼らの足腰の弱さでは勝利は期し難かったようで「敗北確認の戦い」だったとのこと。

 麻生政権末期に行った数々の「妨害工作」(あの無茶苦茶な「補正予算」はそのひとつ)が奏功して、しばらくの間、民主党はいろいろの失敗をやらかすはずだが、利権取引と利益誘導だけが自民党のモチベーションであり続けるうちは自民党の政権奪還は難しいだろう。

 彼らにはふたつの道しかない。妥当な政治理念と政策を掲げて真っ当な民主的勢力として立ち直る、これが理想だが自民党は結党以来「理想」などというものは徹底的にバカにしてきた政党だから、うっかりすると自民党が自民党ではなくなってしまいかねない。もうひとつの道は極右的な感情論で国民を煽ってナチスがワイマール共和国を打ち倒したあのやり方に走るか、こちらはいわば「純血」路線だが自民党を半世紀のあいだ政党として成り立たせてきたのは心の片隅にはこれを置きながらイデオロギーに走ることがないという「現実感覚」だったから、昔の自民党では可能性は低かった。

 選んだばかりの谷垣禎一がなんとか踏みとどまらない限り、自民党は後者のやり方に傾いてゆかざるをえない。なぜか。長期低落の道をたどった自民党がそのろうそくの最後のまたたきの時に安倍晋三や麻生太郎という最悪の「タマ」が並び自民党の死期を早めたという事実はもはや谷垣禎一ていどの常識人ではいかんともし難いところに来ていることを意味している。腹痛シンちゃんこと安倍晋三に出番が回る、そのとき、悪霊に取り憑かれたブタだけが池に飛び込んで溺死するのか、それともこの国全体がヒステリーに取り憑かれてブタともども破滅に向けて飛び込んでゆくのか、さあ、いったいどちらだろう。(10/25/2009)

 **(家内)とプラザノースホールでイッセー尾形の一人芝居「これからの生活inさいたま」を観る。「満員の地下鉄のサラリーマン」で始まった。次の「定年退職した男」が一番面白かった。

 リュックをしょったいでたちで現れた男はこの春に定年退職したばかり。奥さんと町歩きの約束をしたとかでかつての会社の近くの街角に立っていると、かつての部下に声をかけられる。ここから先の会話が身につまされて、なんともいいがたい笑いを誘う。

「なんで八重洲っていうか、知ってるかい?」
「家康の顧問をしていたヤン・ヨーステンの屋敷があったんだ。・・・(ここで、ヤン・ヨーステンについてひとくさり)・・・、ヤンヨーステン、ヤンヨース、ヤヨース、ヤヨース、・・・、なかなか八重洲にならんねぇ。えっ?、家康?、イエヤス、イェヤス、イェース、ヤェース、・・・、そうだねぇ、ハハハ」

「ところで、会社の方はどうだい?、・・・そうかい。で、いまは誰が部長してるの?」
「えっ?、ツジサキ?。あのツジサキが部長?、おお、おお、おお、・・・(一呼吸おいて、ボソッと)辞めておいてよかったよ」

 退職してもなお会社のことが気になり「人事の話」と「ここだけの人事評価」がポロッと出てきてしまうというのが哀しくも可笑しい。

 来週、水技2課時代の同窓会を有楽町でやることになっている。案内状は当時の職制で出ている。「**課長、**課補、**課補、**主任、・・・、**主任、・・・」とあった。それを見て「おいおい、**が主任の時にはオレは課補になっていたよ」と思った。オオムカシのことでもサラリーマン経験者とはこんなものなのだ。

 イッセー尾形はサラリーマン生活を経験しているのだろうか。別に経験はいらないか。ガード下の赤提灯で聴き耳をたてていれば、労せずして観察できるわな。

 終わったのは3時前。**(家内)は**さんの「絵手紙展」にゆくとかで大宮で別れて、久しぶりに秋葉原に出た。着くとすぐに雨が降り出した。Windows7のDSP版がどのくらいするのかと、CDを一、二枚と思っていたのだが、何件か歩くうちに左の膝蓋骨あたりが痛み始め、気力を失って帰ってきた。(10/24/2009)

 二年に一度の東京(幕張で開催しても「東京」かい)モーターショーが始まった(一般公開はあしたから来月4日までとか)ようだ。きのうの朝刊によれば、07年246社だった出展数は113社に激減、うち海外メーカーは26社からたった3社(あわてた自動車工業会がイギリスのメーカーに「出展料を割り引きますから」と泣きついて参加を取り付けた由)になってしまった。

 たしかに「百年に一度の不況」の折、カネのかかるお祭りに手を挙げるのが厳しいという事情があるのだとしても、春に開催された上海モーターショーの出展社数は1,500社、先月開催されたフランクフルトモーターショーは781社と聞くと、経済情勢が悪化しても十分な自社アピール効果があれば、さほど影響がないことはよく分かる。ちなみに1月に開催されたデトロイトモーターショーのそれは131社だったというから、東京の落ち込みがいかに「劇的」で、世界の中心がどのように変化したのかがよく分かる。

 車と家は経済発展のバロメーターだ。上海に1,500社というのは各国の自動車メーカー及び電装品などの関係会社が日本市場と中国市場の比較較量をやった結果だ。少なくとも市場の重心は既に中国にシフトしていることを知らねばならない。少なくともあるていどのボリュームを意識する企業ならば、「嫌中」だの「媚中」だのというアホなことにとらわれている場合ではない。巨大市場を失ってもよいなら話は別だが。「赤い市場でも、白い市場でも、儲かる市場がよい市場だ」というところだ。

 多くの日本人、特に明治以降の日本人は中国を下に見てきた。というよりはアジア人を下に見てきた。「日本人はhonorable whiteなんです」などとやに下がっている岡崎久彦などはその典型例だろう。そういう下賤な連中について、漱石はその日記に「西洋人はややともすると御世辞に志那人は嫌いだが日本人は好だといふ。これを聞き嬉しがるは世話になつた隣の悪口を面白いと思つて自分方が景気がよいといふ御世辞を有難がる軽薄な根性なり」と書いた。そういう連中は中国なりアジア諸国の羽振りがよくなると、かつて見下したのと同じ論理でこんどは僻みはじめそうな気がする。既にここ数年の一部のマスコミと出版物の中国の取り上げ方にはそういう捻れた優越感と押し隠した劣等感が現れている。

 もともとの日本人の矜恃はそんなところにはなかった。もっとも「嫌中派」の人々にはそのあたりの「歴史」は死んでも分かるまい。彼らが「思い込んだ優越感」と「思い知らされる劣等感」にねじ切られるのを見物するのも一興かもしれぬと、いまから楽しみにしている。(10/23/2009)

 自民党嫌いゆえ、逆に、最近のマスコミの民主党「批判」がやけに気になる。

 きのうの日本郵政の社長人事について新聞各紙はいっせいにこれを「批判」している。たしかに、日銀総裁人事の折、民主党は執拗に「大蔵事務次官経験者は不同意」と主張して、武藤敏郎、伊藤隆敏(これは副総裁だったが)、田波耕治らの候補にノーをつきつけた。それを手のひらを返したように容認するというのはご都合主義もいいところだ。

 ただ、これに対する新聞各紙の社説は、「民主党を批判する論理」が逆に「自らに対する批判」になっているところが嗤えるのだ。

 例をあげておく。サンケイの「主張」は日銀総裁人事の例をあげて得意げに「脱官僚を掲げながら、『結局官僚依存を強めている』と批判されても反論できないだろう」と書いた。一方、読売の社説は「今回、一転して大蔵OBの起用に踏み切ったことで、一貫性を欠くとの見方もある。だが、適材適所であれば元官僚といえども、起用をためらう理由はない。民主党が人材活用の手法を転換したのなら歓迎である」と書いた上で、斎藤社長が直面することになる課題を挙げている。

 サンケイも読売も昨年の日銀総裁人事の際は自民党を擁護して「官僚出身というだけの反対」を批判していたはずだ。それを「官僚じゃないか、(民主党は)けしからん」と批判するのでは、そのまんま、批判する相手と同じことになるだろう。マスコミだけが「昔の話はナシ」という「リセット特権」を持っているということはあるまい。自家撞着に陥らない「批判」は読売のように書くのが正しい。(10/22/2009)

 きのう、日本郵政株式会社社長の西川善文が辞任を発表し、きょう、亀井郵政改革担当相は後任を斎藤次郎にすると発表した。斎藤次郎、伝えられるところによれば、細川内閣末期にそのつまづきのもととなった「国民福祉税」構想をまとめた大蔵事務次官で、剛腕とのこと。ことあるごとに「政治主導」を看板にあげる民主党政権がこれかいと大嗤い。

 もちろん高級官僚といったところで、防衛省の守屋武昌、厚生省の岡光序治もいれば、いささか古いが通産相の佐橋滋(つい先日までオンエアされていた「官僚たちの夏」のモデル)もいる。つまり賄賂をとる高級官僚もいれば、有能との評価を得ながら事務次官退任後は天下りをせず身を引いた高級官僚もいる。十把一絡げにして官僚出身は狐狸妖怪のたぐいと決めつけるのは乱暴な話ということも分かる。それは重々承知でも、なお、旧大蔵事務次官経験者となると心理的な抵抗感はぬぐいがたい。

 だが「民営化」なるものだって、骨がらみ官僚体制に乗っかっていた自民党がかすかに「政治主導」を夢見る時の「憧れ」に過ぎなかった。つまり官僚のお膳立てによる料理に食傷する時、「民間」だの「民営」だのがおいしそうに見えただけの話。だから小泉だけではなく中曽根も「民活」といい、やたらに「民間」の持つ「活力」を持ち上げてみせたあげくに「リゾート施設」という無惨な廃墟を全国各地に残した。

 たぶんマスコミはこぞって「郵政民営化はどうなる」と騒ぎ立てるだろうが、そもそも小泉内閣の「郵政民営化」は郵政のカネと資産を「自由化」の美名のもとに取り崩すことを目的とした動機不純の「改革」であったから、これが頓挫したところでそんなことは「逆行」でも「後戻り」でもない。

 まず、カネについていえば、竹中の狙いは資金運用のノウハウのないゆうちょ銀行やかんぽ生命保険がハゲタカファンドに運用をまかせ、うまみを有象無象の詐欺師たちに吸わせることでコミッションをガメることだった。そして、資産についていえば、オリックスの宮内のような輩が「かんぽの宿一括売却」に見るように「平成の官営施設払い下げ」であぶく銭を稼ぐ予定だったのだ。竹中や宮内がじつに悔しそうな顔をしているのは今一歩で手中にしたはずの儲けを逃したからに相違ない。

 「民にできることは民に」という口当たりのよいコイズミアジテーションの中身は、煎じ詰めればこのていどのことで、権力の利益構造の一角を支えているマスコミは「バラ色の民営化論」をぶちまくり、どちらかと言えば乗せられやすい人々がそれに「カイカク」の幻想を見ただけのことだった。

 もともと郵貯と簡保のカネは財政投融資の資金だった。民営化された両社にあるカネのほとんど(三分の二以上)はいまだに国債の購入に充てられているのだから、そのカネの流れに精通した旧大蔵官僚がトップに座ることが「よい話」かどうかは、彼がその知識と経験を悪用するか、役立てるかにかかっている。つまり、亀井なり民主党政権が盛んに言っている「政治主導」をどのように発揮できるかということに帰する。心理的な抵抗感がぬぐえないことは事実としても、にわかに否定できる話ともいえない。

 もう少し想像をたくましくすれば、亀井も最初から官僚の中の官僚を立てる気ではなかったのかもしれない。「できれば民間で」と思ってあたっては見たが、めぼしいところで引き受け手が見つからなかった。そういうこともあろう。

 西川がたった一人で日本郵政に乗り込んでいたわけではない。それなりのメンバーをあちらこちらから出させていたはずだ。西川が辞めれば、出向していたメンバーは出身元に帰る。亀井が選任した民間人がよほどの大物でも、西川時代の派遣元の会社は西川の睨みが利いているうちはメンバーを出すわけには行かないだろう。経団連スジから「しばらくは日本郵政に人は出さないように」などという回状でも出ているとしたら、なおのこと。もちろん想像だが、最近のこの国の「財界人」はずんと小粒になっているらしいから、そのくらいの回状を出すこともあり得ないことではない。亀井の斎藤起用はほとほと困りはてた結果なのかもしれない。「民間人」といったところでそのていどの「財界人」ならこだわることはない。

 鄧小平は言った、「黒い猫でも、白い猫でも、ネズミを捕るのがよい猫だ」と。「官僚出身でも、民間出身でも、郵便事業を真に国民に役立てる事業にするならそれでよい」、そういう見方だって、いまなら(いまだけかもしれないが、呵々)できる。さあ、亀井、おまえの手綱捌きをみせてくれ。(10/21/2009)

 3時半に目が覚めた。寝付きがあまりよくなかったせいですっきりしない。先週、水曜日(こちらでは15日の早朝)、終値で1万ドル台を取り戻したニューヨーク市場、金曜日には9,995.91ドルと再び1万ドルを切っていた。10月のアメリカ市況には「定評」がある。週明けがどうなったが気になって、そのまま起き出した。クローズまでにまだ1時間を残しているものの大台を切らずに推移して1,0100ドル台をキープしそうだった。

 ちょっと前までは5時になると白みはじめたのだが、このところは暗い。その中を出発。ラジオでは赤坂界隈は既に20度を超え、湿度も高く、モンヤリしているといっていたが、こちらはヒンヤリ。十数キロを隔てているだけでもずいぶん違うことがあるらしい。

 下里第二団地の南、新小金井街道の橋あたりから黒目川左岸の遊歩道を歩きはじめる。5時半くらいになると、やっと空が明るくなってくる。日の出は45分過ぎらしい。小金井街道の西側は最近コースに取り入れたところ。なれない風景の街角は、明けかかる時なのか、暮れかかる時なのか見分けがつかない。そういう錯覚を楽しみながら東部図書館の北側の橋で折り返し、右岸を戻ってくる。

 ヒンヤリしていたせいもあって、西武線のガードをくぐるところから見えるはずの富士を期待したのだが、きょうのお目見えせず。

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 夕刊に「貧困率07年は15.7%」の見出し。記事によれば政府として貧困率を公表するのは初めての由。

 公表されたのは国民生活基礎調査をもとに算出した「相対的貧困率」。所得を世帯人数に振り分けて高い順に並べたときに真ん中の所得(228万円)を基準に、その半分に満たない人が占める割合を示す。
 今回は、98年以降の3年ごとの数値も公表された。98年時点では14.6%、01年は15.3%、04年は14.9%だった。
 経済協力開発機構(OECD)の08年報告書では、04年の日本の貧困率は14.9%で、加盟30カ国のうちメキシコ、トルコ、米国に次いで4番目に高かった。30カ国の平均値は10.6%。日本は働いている1人親家庭の子ども(18歳未満)が58%と、圧倒的に高かった。厚労省は今回、1人親家庭を含む18歳未満の子どもの貧困率は14.2%(07年)と公表した。

 一時は「一億総中流」とまでいわれた国がいつのまにか30カ国の中で貧乏人の多い国の第4位のなっていたとはね。公表された98年からあとの数字を見れば、バブル後の日本はそのていどの国になっていたということだが、その「貧乏人の国」としての地位を確固たるものにしてくれたのは、なんといっても小泉さんのおかげ、いや、小泉さんが総理になる前、小渕政権の時から経済戦略会議に加わって、我が国の経済の再生にひとかたならぬ尽力をしていただいた竹中さんのおかげだろう。日本に住む低所得者の皆さんは竹中平蔵さんに心からの感謝をしなくてはなるまい。「わたしたちが、こんなに『すばらしい貧しい生活』を『享受』できるのは、コイズミさん、タケナカさん、あなたたちのおかげです」と。

 コイズミさんとタケナカさんはきっと言うでしょう、「アメリカに貧乏人の国第三位の地位を譲って、メダルを逃したのはきわめて残念なこと、日本はもっともっと『構造改革』して、頑張らなくてはダメです」と。呵々。(10/20/2009)

 **(弟)がはじめてドーナツ盤を買ってきたのはヤツが中1、こちらが浪人の時だった。ヤツの部屋からヘンテコな歌がかすかに流れてきた。勉強中と見せかけてラジオを聴いているなと思い、同じように受験勉強中と見せかけながら読んでいた文庫本(たぶん吉行淳之介の「砂の上の植物群」だった・・・あまりまじめな浪人生ではなかった)をおいて行くとラジオではなくドーナツ盤だったというわけだ。それが「帰ってきたヨッパライ」だった。

 ドーナツ盤といえばリンガフォンを連想していた常識を覆すインパクトのある「曲」(?)だった。「小遣いでよく買えるね」と皮肉のつもりでいうと、「面白いでしょ」と応ずる。「小遣い帳にはなんて書くんだ」(前月の小遣い帳を母にみせることがその月の小遣いをもらう条件だった)と訊くと、「・・・天国よいとこ一度はおいで・・・」とうそぶく、・・・エピキュリアンの**(弟)とは会話が成り立たなかった。年の暮れだったと思うから、ヤツはお年玉の先食いでつなぐつもりだったのだろう。

 たしかに「帰ってきたヨッパライ」はガツンと来る一発だった。翌年、なんとか大学と名のつくところにはいって、全購連(まだその当時、全農は全購連と全販連に別れていた)の中野の学生寮に入った頃にフォークルは「悲しくてやりきれない」を出した。隣の部屋にいた**はこの曲が大好きでよく大声で歌っていた。発売禁止になった「イムジン河」を逆に演奏するとこの曲になるのだという話を聞いたのはずいぶん後のことだったような気がするが、サトウ・ハチローの詩にマッチした、一聴、心に沁みてくるメロディーで、この後に出る「青年は荒野をめざす」とともに「あの1968年という年」を心に刻みつけるような曲だった。

 朝刊に北山修が「加藤和彦さんを悼む」を書いている。書き出しはこうだ。「もはや、あの人懐っこい笑顔が見られないかと思うと本当に心が痛む。それにしても、やられた。すべて計算ずくだったと思う。ワイドショー的なマスコミ報道の減る週末を選んだのも、あいつ一流の作戦だったのだろう」。加藤和彦の自殺のニュースが流れたのはおとといの午後のことだった。結びはこうだ。「戦友としては、その前だけを見る戦いぶりに拍手を贈りたい。しかし、昔話に花を咲かせ共に老後を過ごすことを楽しみにしていた仲間として、そしてこれを食い止めねばならなかった医師として、友人としては、実に無念である」。

 中島みゆきの歌に「恋の終わりはいつもいつも/立ち去る者だけが美しい/残されて戸惑う者たちは/追いかけて焦がれて泣き狂う」というフレーズがあったが、この感じは親しい人との別れにも通ずるところがある。長生きをして送るより先にあっさり立ち去る方がいいかもしれない。

 再び「帰ってきたヨッパライ」、それにしてもおおらかな歌詞だ。あっけらかんと、「・・・おらが死んだのは、ヨッパライ運転で・・・」と歌っている。最近なら「ヨッパライ運転で死んだ男が天国に行けるはずはない」などと、愚にもつかない抗議が殺到しかねない。加藤ほどの才を持ち合わせていなくとも、「鬱」になっても不思議はない時代だよ。(10/19/2009)

 **(息子の勤める会社)のファミリーサービスデー。ワンデーパスポート引換券を**(上の息子)からもらい、7時25分の電車に乗り新木場乗り換えで**(家内)とディズニーランドへ。舞浜着は8時40分。

 開園は8時のはずだが、いったいどこから来るんだというくらいの人出。人気アトラクションの列はもう一時間から一時間半待ち。列に並んでいるだけであっという間に時間は過ぎるだろう。パレードコースに沿ってスタートの二時間以上前からペタペタと座っている。なにがよくてと思わぬでもないが、これでお孫ちゃんといっしょなら話は違うのかもしれない。

 それでも偏光眼鏡をかけての3Dアトラクション――登場人物がヘビを首に巻いて登場する、ヘビはやめて欲しい、ネズミが座席の下をくぐり抜けてビックさせられたあとだけに「もしや」と思うともう生きた心地がしなかった――一度に大量に乗れるマークトウェイン号、行列の消化が早いウエスタン鉄道などをこなして、昼食。さすがにコーヒーカップや空飛ぶダンボには乗る気にならず――ほんとうは一番乗りたかったのだが――**(家内)のショッピングにつきあってから帰ってきた。

 ウィークデーに自腹で行くのがいいかもしれない。60歳以上は6千円割引の由。(10/18/2009)

 秋季公開講座、第三講は「中村輝夫」で始まった。どれくらいの人が「彼」と「彼の業績」を知っているだろう。もし横井庄一とか小野田寛郎と聞けば、少なくとも我々の世代ならば、「ああ、残留日本兵ね」と分かる。しかし「中村輝夫」は知らなかった。

 横井庄一が「恥ずかしながら」と帰国したのは1972年、ちょうど卒論のまとめに忙殺されていた時だったが、帰国時の騒ぎはよく憶えている。小野田寛郎は就職し2年、仮配属期間あけの論文研修の頃だったので、これもよく憶えている。庶民の権化のような順応性を発揮した横井と違って、小野田は情報将校であり、帰国するために「任務変更命令」だか「帰国命令」だかの発令を「要求」した。当時、ニュースを見ながら「神聖喜劇」とはこういうものかと嗤った記憶がある。「命令」を「要求」することが可笑しかったのだが、そういうことを奇異に思わない人々の方が多かったのが意外だった。

 彼、中村輝夫が帰国したのは小野田が帰順命令(投降命令と書いた方が正確かもしれない)に従ったのと同じ年の暮れのことだったらしい。「帰国」といっても帰った先は台湾だった。台湾原住民の出身、いわゆる「高砂義勇隊」の兵員だったためだ。(「グルカ兵」というが「グルカ族」が存在しないのと同様、「高砂族」という部族も存在しない)

 講義は、「中村輝夫」から始まり、詩人の陳千武まで。もっとも植民地らしい日本の植民地であった台湾の原住民と本省人の「日本」、「戦争」との関わりをかなり丁寧に紹介してくれるものだった。レジュメに掲載された陳千武の「伝書鳩」という詩を書き写しておく。

南洋に埋めてきた
おれの死 死を おれは忘れてきた
榔子の樹が繁茂する島嶼
蜿蜒とつづく浜辺 そして
海上に 土人が漕ぐ丸木船・・・
おれは土人の疑惑をくぐって
榔子の並木を超え
鬱蒼たる密林にわけ入り
辛うじて己が死を密林の一角に蔵した
それ故に
激烈な第二次世界大戦中
おれは悠然と生き延びて
重機関銃手をつとめ
この島嶼からあの島嶼へと転戦し
敵機一五糎の散弾を浴び
敵軍射撃の的となって
強敵の動静に怯えたけれども
おれは遂に死を免れ得た
あらかじめ己が死を密林の中に蔵しておいたから
一途に不義の軍閥が降伏するまで生き伸びて
祖国に帰り はじめて思いだしたのは
己が死を持ち帰るのを忘れてきたことだ
南の島に埋めてきたあのおれの唯一の死よ
おれは信じている いつか必ず伝書鳩のように
南方の消息を携えて飛び帰ってくることを・・・

 陳は台湾本省の人だが、この詩は翻訳したものではない。戦争が終わり台湾に戻って十数年経つまで彼は中国語で詩を書くことをしなかった(できなかった?)という。つまり自分にぴったり重なる詩を書くためには日本語でなければならなかったということらしい。(10/17/2009)

 きのう、日記を書き終わって、風呂に入りながらガイド用iPodのことを考えながら、思い出したことをひとつ。

 ハノーバーのCeBITの調査出張した帰り、パリで二日ほど観光をさせてもらい、生まれて初めてルーブルを観た。――入り口が分からずに小一時間ムダにしたっけ。

 「他日、また、ゆっくりと、自分のカネで」とは思うものの、「あした、なにが待ちうけているか、分からないのが人間」という気持ちもあり、入館するや手もとのパンフレットで重点ポイントをマークし、イヤホンガイド(クレジットカードを人質に預ける)を借りた。

 それでも秘かに「時計の間」と名付けた部屋のすごさ――アンティーク時計のすごさだけではなく、その何百とある時計たちがちゃんと動いているというすごさ(昔の時計だから、当然、誰かがゼンマイを一定の周期で巻いているはずだ)――にビックリさせられ思わぬ時間を取られて、オランジュリーに割り当てた時間が厳しくなってしまったのだったが・・・。

 なんとかいちおうの予定にしたがってルーブルを駆け抜け、「絶対にまた来るぞ、来ずに死ねるか!」などと内藤陳のような「決心」をしつつ、イヤホンガイドの返却をしようとスツールに腰をおろしたとき、声をかけられた。

 「あのう・・・それ、ある方がいいですか?」、(オッ、日本語だ、しかも女性)と「感動」し、顔を上げると岡田有希子が立っていた。岡田有希子の可愛さにすっきりした美しさを加えたような感じ。まわりには誰もいなくて一人のようだった。オーバルルームの「睡蓮」などはまたにして、もう一度、ルーブルを観覧しようかと思った。

 ただ生まれつき「アタマがカタい」のが身上。内心とは逆に口からは予定調和のように平凡な言葉が出てくるようにこの体はできている。「・・・お薦めです、・・・絶対」、声がかすれていた。それはそうだ、朝からサンドイッチの注文のとき以外、ずっと無言だったのだから。

 岡田有希子の表情にちょうど流れる雲が日の光を遮ったような瞬間の変化があって、「アッ、そうですか、・・・ありがとうございました」と頭を下げると貸し出しカウンターの方へ歩いて行った。うしろ姿もきれいな子だった。

 あの瞬間の表情の変化はなんだったんだろう、・・・と、以来、十数年、展覧会などでイヤホンガイドを見たり、使ったりするたびに思い出す。もちろん、世の中は甘いものではないから、「岡田有希子」は詐欺の常習犯かなにかで、「あら、残念、ノリが悪い人ね」と表情が曇っただけのことだったのかもしれないのだが。(10/16/2009)

 土曜日の納車以来はじめての運転。

 まず**(弟)の墓へ。真新しいお塔婆が立っていた。日付は10月4日。七回忌をやってくれたようだ。「連絡くらいは欲しかった」と**(家内)。それはそうなのだが、これでいいような気がすることも事実。

 今月いっぱいのタダ券があるとかで、そのまま八王子の富士美術館にまわる。五・十日だが道はそれほど混んでいなかった。美術館は創価大学の向かい。「学会」系の施設らしい。

 着いた時はお昼をまわっていた。まず、一階のレストランで昼食。デザート・コーヒーがついて1,400円。カボチャスープがおいしくて満足。

 はじめてでなんの予備知識もないままに訪れたのだが、最初の展示室にラ・トゥールがあってびっくりした。「煙草を吸う男」というタイトル。左手にキセルのようなものを持っているが、右手に持っているものがよく分からない。まるでトウモロコシのような、その先端に点いた火の灯りが暗闇に立つ男の顔と上半身を照らしている。ラ・トゥールらしい絵。

 続く展示室に入るとブリューゲルの「雪中の狩人」。思わず「ホンモノ?」とつぶやいてしまった。控えている学芸員とおぼしき人に聞こえてしまったかもしれない。「雪中の狩人」として記憶にあるものとちょっと違うように見えたのだ。どこがどうとは分からないが、ちんまりとまとまった感じ(けっして小さい絵だったからではない)がしたからかもしれない。

 帰って調べてみて分かった。あそこにあったのは有名な方の作者、ピーテル・ブリューゲルの息子(この人もピーテルというのだが)の作品だった。美術館のホームページにはこう紹介されている。「いうまでもなくこの絵は、16世紀フランドルの大画家である作者の父の有名な作品(ウィーン美術史美術館蔵)の模作である。作者は同時代の愛好家の求めに応じて、父の作品のコピーや、ヴァリエーションの制作を行い、希少な父の絵画様式を広めることに貢献した」と。やはり受付で奨められたiPodのガイドを借りればよかったようだ。つまらないことをケチってはいけないということか。

 数点キラリ光って見えるものがあって、行ったかいはあった。観覧者が少なく、静かにゆっくりと観られたのがなにより。折々、足を運ぶのも悪くはないかもしれない。(10/15/2009)

 ことしのノーベル経済学賞を受賞したエリノア・オストロムについての記事が朝刊「経済欄」にある。見出しは「ノーベル経済学賞に政治学者オストロム氏」、並ぶ見出しは「土俵広げる?選考苦心?」。

 【ロンドン=有田哲文】09年のノーベル経済学賞に、経済学者でなく政治学者のエリノア・オストロム米インディアナ大教授(76)が選ばれた。世界的な金融危機を予知も防止もできなかった経済学には「どう役に立つのか」という疑問符がつきまとう。受賞対象の土俵を広げたかに見える今回の判断には、選考者の苦闘もうかがえる。
 「オストロム氏の仕事については詳しくない。しかし、ざっと見たところでは受賞にふさわしい」。08年の受賞者であるクルーグマン氏はブログでこう述べた。
 通信社トムソン・ロイターの事前予測には、もう1人の受賞者である米カリフォルニア大バークリー校のオリバー・ウィリアムソン教授(77)の名はあったが、オストロム氏はなし。経済学ムラとは別のところから選ばれたことがにじむ。
 オストロム氏はカリフォルニア大ロサンゼルス校で政治学博士号を取得。評価された業績は、森や湖などの共有資源が人々によって適切に管理されていることを示した研究だ。
 賞を贈ったスウェーデン王立科学アカデミーは「共有資源は規制や民営化に委ねられるべきだとの従来の考え方に挑戦した」と評価した。法律による規制でも利潤を目指した市場競争でもない第3の道があることを、明らかにしたというわけだ。
 かつて証券市場の過熱に警鐘を鳴らした経験があるシラー米エール大教授は米紙の取材に「今回の受賞には教えられた。経済学は孤立しすぎた。我々は市場の効率性にこだわりすぎた」と語った。邦訳「ヤバい経済学」の共著がある経済学者のレビット氏はウェブ上で「経済学者たちは嫌だろう。この賞が経済学賞ではなく社会科学賞に向かっていることを今回の受賞は示している」とのコメントを載せた。

 どうやら今回の受賞のほんとうの意味は「経済学賞としてはじめて女性が受賞」ということではなく、ともすれば社会科学としての品位を忘れがちな最近の経済学者に、学問本来の価値を再認識させたというところにあったようなそんな「匂い」がするので書き写しておく。

 アマゾンで検索をかけたが邦訳はないようだった。国会図書館の書誌検索も試みてみた。すると「公共選択の展望:第一巻」(多賀出版2001年)に「市場でもなく国家でもなく」というタイトルの論文が載っていることが分かった。

 民主党政権がどこまでの展望を持っているか、どこまでこの国の政治改革を行うつもりでいるのか、期待と懸念が交錯する状況下でほんとうに真剣に政治を見直すためには、こんなアプローチについても知っておいた方がいいのかもしれない。改革に戸惑う民主党を従来式の自民党政治の物差しで測って、浮薄な冷笑と頓珍漢なレポートでお茶を濁し続ける我がマスコミのおバカさんたちの目の中の梁を取っ払うためには参考になりそうな研究だが、そんなまともなジャーナリストなど、いない・・・ねぇ。(10/14/2009)

 きのう、前原国交相と橋下大阪府知事が会談した際、橋下の関西国際空港ハブ空港化提案に対して、前原は「まず、羽田のハブ化に道筋をつけることが先決」と応じた。

 橋下の提案は伊丹空港を廃止し、その跡地の売却費用により、大阪都心から関空までのリニア新幹線を建設するというもの。これにより関空の国内線就航数を増やしハブ空港化に道をつけるというもくろみ。もともと関空は24時間運用のためにわざわざ海上に埋立空港を作ったのだから悪い発想ではない。しかし、つぶすのが伊丹空港だけではダメだ。神戸空港(よくもまあこんなバカバカしい空港を作ったものだ)もつぶさなくては十分に国内線を集めるハブ効果は発揮できないだろう。橋下としては、他県、しかも市営空港とあって見えないふりをしたのだろうが、このあたりがこの提案の弱点だ。

 「羽田のハブ化」は成田の国際空港としての地位の低下につながる。なにかとマスコミに取り上げてもらうことが好きな森田健作(こんな奴を知事にする千葉県民の趣味の悪さよ)は大喜びの体で「冗談じゃない、千葉県民は怒りますよ」と息巻いてみせた。元大根役者だけではない、ニュースには成田市長も登場して「成田をどうしてくれるんだ」と言っていた。単細胞の彼らに入れ知恵をしてやりたくなった。「そもそも、なぜ成田に国際空港を作ることにした経緯をお忘れではないですか、前原さん」と、そうひとこと言えば「羽田のハブ化」に対する手痛い批判になったはず。

 成田は羽田の限界を打開するために作られた空港だ。多くの人は羽田が手狭になっていたからだと思っているし、公にはそういうことばかりが伝えられているが、最大の問題は航空管制上の制限にあった。なにによる制限か。アメリカ軍による制限だ。日本の空は「羽田が手狭になった」1960年代も、いまも、100%が日本の空ではない。関東には横田空域(たぶん当時は横田のみならず厚木も含まれていたはず)というアメリカ軍が航空管制権を持つ巨大な空域があり、これが羽田空港の運用を制限し続けてきた。この制約が「単なる拡張ではなく羽田以外に空港を作らない限り解決できない」現実を生んだのだ。

 あまり都心から離れず、羽田よりも東でなるべく横田空域の制限が緩和できるくらい離れたところにあるという矛盾した条件で、最初に上がった候補地が富里だった。だが反対の声が大きい。そこで宮内庁所有の牧場があった三里塚がターゲットになった。買収用地を少なくできるということと「陛下も協力されたのだから」という「印籠」が使えると考えたからだ。民草なんぞは「上意」があれば、簡単に平伏させられると安く踏んだのが「ボタンの掛け違い」になった。おかげで成田空港は開港から30年経っても、いまだに半人前の片端者のままだ。

 話を元に戻すと、「羽田のハブ化」をめざしてアジアのコンペチターと競争するつもりなら、民主党政権は、あわせて「首都圏の空を日本に取り戻す」ことにも着手しなければならない。つまり半世紀以上もの間、自国の空を外国に委ね平然としていた売国奴のような自民党政権とは根本的に違うのだという姿勢もあわせて示さなければならない。それがなければ羽田はハブ空港としての競争のスタートラインにも立てないだろう。「日本の空は日本のものだ」という気概ひとつ持てないくらいならハブ空港の夢など見るべきではない。

 千葉県の大根知事よ、前原に本気で噛みつくつもりなら、まずこのあたりをしっかりと押さえた上でぶつかるべきなのだよ。単に「羽田のハブ化の話は公にする前に、地元の顔役に挨拶しろよ、オレの顔をつぶしやがって」というていどの根性では最初から勝負は決まってしまうぞ。(10/13/2009)

 しばらく前に新聞各紙が伝えた小さな記事。訪米したダライ・ラマとアメリカ大統領との会談がセットされていないとのこと。ダライ・ラマは91年以来、10回訪米しているが、大統領との会談がないのは今回初めての由(ロイターの書き方によれば「ダライ・ラマがワシントンを訪れた際に米大統領が面会しないのは、18年ぶりのこととなる」)。CNNのサイトにはこんな記事が載っている。

 チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が5日、ワシントンに到着した。米国務省のケリー報道官は、ダライ・ラマとオバマ米大統領との会談予定はないと述べた。
 同報道官によると、ダライ・ラマは今回、先日チベット問題担当の特別調整官に任命されたオテロ米国務次官と会談する。オバマ大統領との会談は、来月の訪中後になるという。
 ダライ・ラマは2007年の訪米時、当時のブッシュ米大統領から米議会名誉黄金勲章を授与され、米中関係を傷つけるものだとする中国の批判を招いた。今回ダライ・ラマとオバマ米大統領が会う機会がないのは政策転換を示すのかとの質問に対し、同報道官は「決定以上のことを読み取る必要はない」と述べ、国務省が精神的指導者であるダライ・ラマの立場を尊重し、オテロ次官との会談を決定したと説明した。
 同報道官はまた、人権や信教および言論の自由といった懸念事項で米国が中国と意見を異にするものの、ダライ・ラマとオバマ大統領の会談とは別問題だと述べた。
 ダライ・ラマは10日まで米国に滞在する。

 毎日にはダライ・ラマのロディ・ギャリ特使の「ダライ・ラマは11月の米中首脳会談後の面会に合意した」との言葉が伝えられている。実際、オバマ大統領の訪中後にダライ・ラマとの会談がもたれるのかどうか、そのあたりを見てからの判断ということになる。(10/12/2009)

 けさは少し冷え込んだ。黒目川の遊歩道をルネの先で折り返し、再度、西武線のガードをくぐると真っ正面に富士が見えた。まだ「真白き富士の嶺」というわけではなく雪はまだら模様。もう初雪が降ったのかと思いつつ、秋が深まってゆくのが楽しみ。徐々に家を出る時刻を調整したり、ルートを調整したりしなければ。日の出、最近は5時45分頃。

 いつものメンバーにまだ現役のメンバーを加えて屋形船で飲み会。浅草橋に4時半集合。隅田川を両国橋からレインボーブリッジまでくだり、お台場海浜公園沖に停泊して戻るコース。夕陽が染める頃から川面に映る夜景が揺れるまでの時間帯をたっぷり2時間ほど。風が心地よい。ほどよい間隔で運ばれる天ぷらを食べながら、気持ちよくおしゃべりをして帰宅。

 8時前には飲食を終えられてよかったと思いつつ体重計に乗る。けさ、67.05で66キロ台は目前と思ったのに68.35。68キロ台とは完全におさらばしたと思っていただけにショック。慰めは体脂肪率から換算した体脂肪量がほぼ横ばいであること。(10/11/2009)

 先週の土曜から一橋の秋季公開講座が始まった。朝・夕のウォーキングをこなしつつ、受講するとなるとけっこう忙しい。しばらく感じたことのなかった「せわしなさ」を味わうことになった。

 今回のテーマは「植民地主義と文化」。きょうはその第二講。先週は残念ながらあまり面白くなかった。今週はフランスとその植民地との関わりについて。かなり盛りだくさんの内容をすべて一覧したため、15分ほどオーバー。もうひとつの講座の開始時刻を15分繰り下げることになった。

 図式的にまとめると、イギリスは植民地の自治を容認し、文化についても過度な同化を求めることはなかったのに対し、フランスは植民地の統治のみならず、文化まで同化する方針をとった。それが植民地の独立要求に対して「戦争」によって応ずることになり、インドシナ戦争からアルジェリア戦争へ長期かつ痛ましい独立戦争という結果を生んだ。

 日本はどうだったか。日本の植民地統治はフランススタイルだった、宗教のみならず言語までも同一化することをめざしたという点では。ただ、敗戦によって植民地を強制開放することになった結果、「独立戦争」を経験することなく主国の地位を失ったという点がフランスとは決定的に違った。そういう点で「敗戦」は日本にとっては「幸運」であったのかもしれない。逆に植民地を喪失する過程を踏まなかったことが幼稚な歴史認識が跳梁跋扈する原因となったという側面もあるのかもしれないが。

 いろいろ考えさせる講義で久々に知的興奮。

 オバマにノーベル平和賞というニュースが流れたのは、きのうの夕方のことだった。いくらノーベル平和賞が時に政治的な判断を優先して授けられるとしても、これは凄い、凄すぎる。

 この発表にいちばん驚き、かつ当惑したのはオバマ本人だったろう。「・・・これは私が成し遂げたことに対してではなく、すべての国の人々の希望を代表してアメリカの指導力に与えられたものと考えている。歴史を見ると、平和賞は目標達成への機運を高めるために贈られることもある。私は、この賞を行動への呼びかけとして受け入れる」というスピーチが、そのあたりの事情をなにより雄弁に語っている。

 ノーベル賞選考委員会は第43代大統領が世界に及ぼした最悪にして愚劣極まる影響力の故に正常な判断力を失い、ABB(Anything But Bush)的な意識でこの受賞を決めたような気がする。(10/10/2009)

 2016年夏のオリンピック開催地がリオデジャネイロに決まって一週間になる。

 しかし関連のニュースがまだ報ぜられている。きのう、日刊スポーツのサイトに「石原発言で猪谷氏がIOC会長らに謝罪」という見出しの記事を見た。記事の本文は次のようなもの。

 国際オリンピック委員会(IOC)の猪谷千春副会長は7日、2016年夏季五輪招致に成功したリオデジャネイロから反発を受けた東京都の石原慎太郎知事の発言について、ロゲIOC会長ら関係者に謝罪したことを明らかにした。
 猪谷氏は、リオの招致委員会会長を務めたIOCのヌズマン委員やブラジル人委員のアベランジェ前国際サッカー連盟会長にも謝った。「みんな心配はないと言ってくれた」と話した。
 石原知事は、招致に失敗して帰国した4日の記者会見で「目に見えない政治的な動きがある」などと発言した。裏取引があったことを示唆したとみたブラジル側が「IOCに正式に提訴する。発言は非常に不適切で、謝罪を求める」と強く反発した。

 問題の記者会見における石原都知事の発言はこんなものだ。「例えば、ブラジル大統領が来てですね、聞くところ、かなり思い切った約束をアフリカの諸君としたようです。それからサルコジがブラジルに行って『フランスの戦闘機を買ってくれるならブラジルを支持する』とか」。

 中川昭一が頓死すると「国士・中川先生は民主党に謀殺された」とか、アメリカで従軍慰安婦非難決議がなされると「提案者は中国共産党から闇の政治献金を受けている」とか、・・・、ライトマインドの皆さんは「不都合な現実」を目の前にすると、「我々は謀略の被害者になった」という「お話」を作り上げるという悪癖をお持ちだ。そのお話の根拠となりそうなデータをつけるならばまだしも、根拠は手ぶらでお話を作るのだから始末におえない。

 大方の国民は、オリンピックの精神を理解しているから、「南米大陸での開催、初めてなんだって、よかったじゃないか。おめでとうリオ」という気分だったはずだが、大枚のカネ(100億円にもなるのだそうだ)をつぎ込んで自分の治世の数少ない成果にしたかった都知事さんは気持ちの整理がつかなかったのだろう。これではまるでだだっ子だ。猪谷千春も80に近いお歳になって、こんな「不肖の都知事」の尻ぬぐいのために頭を下げてまわらなければならないとは、まことにもってお気の毒なことだった。(10/9/2009)

 明け方5時、台風18号が知多半島に上陸。東北に進路を取る中、大泉の整体へ。9時の予約、8時半前に家を出る。ズボンがずぶ濡れになるのを覚悟していたが、起きた時は降っていた雨がやんで強風のみ。10時前に治療を終わって外に出るともう青空。台風一過のイメージ。風はあいかわらずで山手線などは止まっていると聞き、そのまま帰宅。

 Winny開発者の金子勇に対して大阪高裁は一審の京都地裁の罰金百万とした有罪判決を取り消して、無罪を言い渡した。京都地裁の判決が出た2006年12月13日、「包丁を作る職人は殺人幇助の罪を犯しているのか。バカバカしい」と書いた。なにを書き加えるまでもない。京都地裁の氷室真裁判官は「技術」というものにまったく無知であり、大阪高裁の小倉正三裁判官はまともな判断力を有していたというだけのこと。

 夕刊記事には至極まともな判決理由が書かれている。そもそも「技術は価値中立的だ」。たしかにABC兵器などの技術は最初から「反人道的」であることが明らかであるが、IT技術をそれらといっしょにすることはできないだろう。さらに「ソフトが存在する限り、それを悪用する者が現れる可能性はある」、しかしもし「悪用されることへの認識の有無だけで開発者を処罰すれば、無限に刑事責任を問われ続けることになる」として、「刑事責任を問うことには慎重でなければならない」とある。当然すぎるほど当然の話で、一審判決を書いた裁判官の皆さんにはこのていどの検討をしてもらいたかったと思う。

 夕方のウォーキング、黒目川遊歩道をルネの手前で折り返し、ふたたび西武線のガードをくぐろうとする時、前方に富士山が見えた。夕陽をバックに黒い台形の陰。街の辻ごとに金木犀の香りが漂っている。ああ、ことしも秋が来た。(10/8/2009)

 ホームページの更新をしばらく放り出している。そのため、トップページには「『記者クラブ』という既得権益」という見出しの9月18日の滴水録が、2週間ほど、棚晒しになっている。

 朝刊の最終ページから数えて4ページ目(けさの場合は33面)は報道の裏側を伝える興味深いページに割り当てられているが、けさは「記者会見オープン化について」。以下、その一部。

【リード】
 鳩山内閣の「大臣会見のオープン化」が波紋を広げている。金融庁では6日、従来どおりの会見に加えて、フリーランスや雑誌記者向けに改めて別の会見が開かれる事態になった。記者会見のあり方をめぐって、メディア各社の見解が割れていることが背景にある。

【記事】
 鳩山内閣の「大臣会見のオープン化」が波紋を広げている。金融庁では6日、従来どおりの会見に加えて、フリーランスや雑誌記者向けに改めて別の会見が開かれる事態になった。記者会見のあり方をめぐって、メディア各社の見解が割れていることが背景にある。
 午前11時10分。金融庁。記者クラブ主催の定例会見には、約60人の記者が集まった。質問は指名を受けてではなく自由。亀井静香金融相が提唱する「返済猶予措置」について、記者がたずねている時、亀井大臣は腕時計に目をやりながら言葉を挟んだ。「あなた方が(フリーランスの記者たちと)一緒の記者会見を拒否したからさ。大臣室に待たせてる。早く終わらせにゃいかん」
 スタートから約35分。9人目の質問に答えると「はい、いいですか」と足早に階上の大臣室に向かった。
 記者クラブでは従来、クラブ員以外の出席希望者について幹事社が個別に適否を判断しており、専門紙などの出席も認めてきた。ただし、質問権は認めなかった。
 そこへ、亀井大臣が先月29日の会見で「フリーに取材活動をしている方々がどんどん入ってきて、話を聞いてもらいたい」と、フリー記者らの例外扱いをやめるように提案。これを受けて金融庁は「外務省方式」の導入を記者クラブに要請した。事前に希望者を募り、当局が登録、参加者はだれでも質問ができる仕組みだ。
 打診を受けた記者クラブは総会を開催。「やむを得ない」という社から「現行どおりで良い」という社まで意見が分かれた。

 朝日は「オープン化を断る理由はない、質問権も認めていい」と、いささか「いい子チャン」の姿勢を取っているから、こういう記事が載せられるという事情があるのだろう。

 記事は「記者クラブ会見」から続けて行われた「海外メディア、フリーランス向け会見」の様子を紹介したあと、記者クラブ各社に尋ねた結果について書いている。

 記者クラブに加盟していないフリー記者などが大臣会見に出席し質問することを、どう考えるのか。主なマスコミ各社に尋ねた=別表。
 明確な「賛成」は、朝日新聞社以外では東京新聞とテレビ朝日。日経と共同通信、テレビ東京も「参加を制限する必要はない」「原則的にはオープンにすべきだ」「基本的に認めていい」とした。
 一方、時事通信は「大臣会見でも企業のインサイダー情報やプライバシーに触れる場合がある」とし、「理想論だけで結論を出せる問題ではない」と慎重な姿勢を示す。その他は、記者クラブの判断に委ねるとする社が多い。

 時事通信の指摘は一見もっとも。インサイダー情報の先行取得による社員の不祥事があった日経とNHKにとっては耳の痛い指摘だったかもしれない。しかし、たぶんこの指摘は的を射ていない。フリーランスの記者にとっては不祥事は即時に彼または彼女のこの業界での地位と必然的に生活も奪うことにつながるが、記者クラブに加盟の各報道機関記者にとっては組織内不祥事でしかない。もちろん一攫千金情報、つまりその情報を不正利用すれば一生遊んで暮らせる利益が得られるとすればなにが起きてもおかしくないわけだが、それは記者クラブ加盟諸氏とその所属会社社員にとっても同じことだ。つまり、時事通信の指摘は単にとってつけた理屈という以外のなにものでもない。

 別表の中で異彩を放っているのはフジテレビだ。「回答なし」。朝日が嫌いというのはサンケイ新聞も同じはずだが、サンケイは「記者クラブの判断に委ねる」と一応答えている。フジにはよほど答えたくない特段の事情でもあるのかしら。

 人間もそうだが、企業もつまらぬ場面ではやり言葉でいう「品格」が露呈するものだ。別にフジテレビを揶揄しているのではない。この記事の伝える通りだとすると、「フリー参加」に明確にノーと言っているのは読売新聞と時事通信の2社だけだ。イエスは6社、どちらでもいいが「回答なし」のフジを含めれば5社(日本テレビは「記者会側と大臣側が協議をすることが大切」などと寝惚けた意見)。ならば、即時に合同記者会見にしてもいいはずだ。それを「いやだ」といってきかないたった2社に同調するのは口ではどう言っていてもホンネとしては「既得権益」を手放したくないという腹に相違あるまい。これが記者クラブ加盟各社の「品格」なのだ。

 腹が立つからもう少し書いておこう。別開催が続くうちに「フリー記者会見」側、とくに海外メディアが大臣会見の質疑からいいネタを拾い出してすっぱ抜くことが起きるかもしれない。そういうことでもあれば、ウケウリに馴れた記者クラブ各社も「合同でやりませんか」と言い出すだろう。その時は、品性が下劣な連中のやりそうなことだと嗤ってやろう。(10/7/2009)

 きのうの朝、お誘いのメールが入った「ウア・シュティメン」という演劇グループのアカペラ劇を白寿ホールで観る。NHK放送センターの近く。イッセー尾形が講師に招かれたチューリッヒにある演劇学校の学生4人組。彼らの卒論制作演技らしい。

 「ウア・シュティメン」というのは「声の起源」という意味なのだそうだ。イッセーは「楽器いらず」と紹介したが、まさにその通り。配られたパンフレットによると、フィンランド語やらドイツ語、そして英語。何を言っているのかはさっぱり分からない。

 しかし、表情、所作はもちろん、正体不明の楽器音(中に尺八らしきものもあった、あまりうまくなかったけれど)、表情豊かな歌、縦横無尽に出てくるさまざまのオノマトペの機関銃・・・、十分におかしく、十分に笑えて、十分に楽しめた。必ずしも言葉は要らないのかなとも思った。もちろん写楽の描いた似顔絵の「緑青を生じた金色」の「緑色」に美しさを感じた可能性がないとはいえないとしても。(10/6/2009)

 アル中大臣中川昭一が死んだ。第一報を聞いた時、「自殺だろう」と思った。しかしその後の報道は、睡眠薬を常用する生活だった(ことさら「酒」に焦点が当たらないようにしているところが不自然で可笑しい)ことを報じていて「自殺」ではないことを強調している。

 彼がどのていどの「政治屋」であったかは、彼のホームページに掲載されている「中川昭一が語る」の9月14日の記事を読めばそれだけで分かる。たとえばこんなくだりがある。

 予想通り「危ない政権の危ない日本作り」が着々と進んでいる。そんな中JALの経営危機問題。この問題は永年の労組中心の高コスト構造と甘い経営に尽きる。アメリカのGMと同じだ。労組は「自分達の労働条件が悪化すると乗客の安全性が保証できない」と客の生命を人質に脅かしている。新政権になれば、ますます労組の主張が通るだろう。だからこそ、日本と日本人を守るために自民党がしっかりしなければならない。

 JALとGMの躓きの原因は組合員の高い賃金にあるという主張だが、払えない賃金を払う企業はないものだ。企業環境がよい状態にあったときに支払い可能であった賃金で高止まりして、環境変化に適応していなかったとすれば、それが問題ということ。

 高コスト構造であるとしたら、どのコストを見直すのか、それを決めるのは経営者の仕事だ。組合がコスト構造を決めているわけではない。もちろん賃金を払うわけでもない。ちょっと想像すれば誰でも分かることだが、組合員の賃金だけが高いということはあり得ない。そういう会社は、管理職の賃金も、役員の報酬も、高いのだ。企業の賃金体系について責任を持つのは組合ではない。経営者だ。

 見えている課題を解決するのが管理職だとすれば、見えていない時点でリスクを把握し、課題を下達するのが経営職の仕事だ。賃下げが必要だとすれば、それを見える形で組合に提示できないのは経営者がプアーだということ。賃下げに組合がいい顔をしないことはあたりまえの話。それをどのように説得し、解決するか、それこそが経営者の仕事そのものだ。

 組合が労働条件の悪化に運行の安全性を絡める主張をすることもあるだろうが、労働条件というものは賃金だけがファクターではない。とくに「安全性」なり「信頼性」というものが賃金にのみ左右されるなどという主張をする組合関係者がいたら、組合員が「客の生命を人質に」高賃金を脅し取っていると主張する中川と同じと断じてよい。つまりアルコールのために思考能力が極端に減退したアル中野郎に違いないということ。

 JALの不振は財務体質だといわれている。その中で特に問題とされているのは巨額の「簿外債務」。素人には不明なことが多いが、航空機そのものの購入契約、リース契約にカラクリがあって、長年、ここをいじることで決算のお化粧をしてきたからだというのだ。もちろん、これも労組の責任ではなく、経営者の責任に帰することはいうまでもない。

 アル中患者のトロトロの頭脳には、なにからなにまで、「甘い経営」の責任までもが労組にあるように見えたのだろうが、それは責任のすり替えであり真の問題の隠蔽でしかない。・・・と考えてくると、こんなていどの政治屋さん、ちょうどいまが死に時だったという気がしないでもない。

 ショーチュー・ナカガワでさえ、きのうからの報道を見聞きしていると、これほど惜しんでもらえるのだから、人間、死んでみるのも悪くない。そういえば、弔問に駆けつけた腹痛宰相の映像がニュースで流れていたが、安倍晋三もこのあたりでどうだろう。

 バカは死ななきゃ直らないのに、頭の悪い奴はかえって長生きするとは因果なことだ。なに、ほんとうに死ぬことはない、「政治屋として死ぬ」、ただそれだけのことだ。ダラダラと政治屋家業を続けて老醜を晒し続けるとしたら、可哀想なことだ。(10/5/2009)

 きのう書いた石原慎太郎の憲法9条肯定の書簡の存在は、蓮池透の「拉致-左右の垣根を超えた闘いへ-」に教えられた。非常にコンパクトな小冊ではあるが、完全に行き詰まってしまった拉致問題を一歩でも半歩でも進めることを真剣に考えた論考。

 お気の毒な身の上ゆえ、誰も正面切って指摘しないが、「家族会」の愚かさにはほとほと愛想が尽きたよという印象を持っている人は多かろう。蓮池のこの本を読んで、「家族会」も、やっと、まともに物事を考えることができるようになったかと思った。

 ところがかつて「家族会」の事務局長を務めた蓮池だが、いまは事務局長を馘首になり、現在では「あいつは変節した」とか「裏切り者」だとかバッシングされる身の上だという。もともと「救う会」のほとんど、右翼メンバー、就中ネット右翼は、被害者の帰国の実現が目的ではなく、北朝鮮と金正日体制を罵倒することが楽しいというだけの「変質者」のようなところがあるから、最大にして最終の目的をどのように実現するのかという現実的なプログラムはない。いや、身も蓋もない書き方をすれば、「被害者が帰国してしまっては面白くない」というのが彼らの正直な気持ちだろう。

 拉致問題の解決を主張している政治家の中にもそれは見られる。さきほど、ショーチュー・ナカガワこと中川昭一が亡くなったというニュースが報ぜられたが、腹痛シンゾウやアル中ショーイチは好きなだけ拉致問題を利用した。特に腹痛シンゾウは、拉致問題で名をあげて総理になったと言っても過言ではないほど、拉致問題にお世話になりながら、彼が総理になって以降、拉致問題はただの一ミリも前進しなかった。もし安倍が何らかの積極的な手を打ったというなら、教えてもらいたいものだ。小泉首相の二回目の訪朝(その帰国直後の「家族会」と「救う会」による小泉罵倒に彼らの愚かさが集中して現れた)以後、三代の首相は何をしたかとふり返ってみても、思い出せることは何もない。

 あたりまえだ。な~んにも、しなかったのだから。(わずかに福田の時に斎木昭隆アジア大洋州局長が北朝鮮との間で「調査委員会」の設置に合意した動きがあったらしいが、福田の政権投げだしによって頓挫した。これが、拉致の安倍の時でも、やたらに外交通をアピールした麻生の時でもないというのが、じつに印象的)(10/4/2009)

 目が覚めると3時22分。予報では午前中いっぱい雨のはず。寝る時、朝のウォーキングはないものと決めている。オリンピック開催地はどうなったろう、きのう投信(海外株インデックス・海外リート)の発注をした関係でニューヨークの市況も気になる。確認だけして、また寝ようと思って起きた。

 2016年オリンピックはリオデジャネイロ。南米初の大会は順当なところで、多くの日本人はこれでよかったと思っているに違いない。日本の候補都市が福岡であれば、もう少し違ったと思うけれど。

 まずは、リオデジャネイロよ、2016年夏のオリンピック開催都市、おめでとう。

 ニューヨークの市況は続落模様。快哉を叫びながら雨戸を開けると雨は降っていない。雨雲レーダーの画像を見てもしばらくは降りそうもない。歩こう。

§

 無理筋を追いかけた東京は2回目の投票でリジェクトされた。きのう、おとといあたりの報道で、なぜか急に有力視されはじめたシカゴは第一回目の投票で落ち、二回目の投票で東京、決選投票はダブルスコアでリオがマドリードを退けた由。

 凡庸な首長ほど、箱物を作るか、イベントを開催したがるものだが、石原慎太郎もその例に漏れなかったということか。いや、銀行のみを対象にした外形標準課税や新銀行東京などの失政、怪しげな利権がほの見える強引な築地市場の移転など、オリンピック招致の陰に隠そうとしたものがいろいろあったと考える方が自然だろう。

 だからこそ石原はロゲIOC会長に宛てた書簡の中で、彼の大昔からの持論をひるがえし、「私の祖国日本は、第二次大戦の後、自ら招いた戦争への反省のもと、戦争放棄をうたった憲法を採択し、世界の中で唯一、今日までいかなる大きな惨禍にもまきこまれることなく過ごしてきました」と憲法9条を評価して見せたのだろう。

 最近の右翼はプライドというものがないから石原のこの文言を「単に客観的事実を述べただけだ」と主張していたとか。だが、彼は記者会見の場でも「憲法の効果もあって平和で来られたのは歴史の事実としてたいしたものだ」と語ったというから、少なくとも「戦争放棄の憲法はたいしたものである」という評価を自分の所信として申し述べたことは間違いない。まさか天下の東京都知事が自らの本心を偽ったのだと主張することはあのサンケイ新聞でもやるまい。それとも、サンケイなら朝飯前か、呵々。

 さて、そこまでしてみせたにもかかわらず、この現実。

 落選を受けて、石原が「憲法9条否定派」に「再転向」するかどうか、興味をもって観察することにしよう。それにより石原慎太郎という男の人物の真贋が明らかになるはずだから。(10/3/2009)

 いつものように3時50分起床。ニューヨークの市況、国内債券・海外株・海外債券・海外リート・新興国株など、各セグメントの投信基準価格を順にチェックしながら、腹具合の安定を待って玄関に降りると、バイクの音。新聞屋さんらしい、ちょっときょうは遅いんだなと思いながら出ると下が濡れている。雨。雨戸を開けた時には気付かなかったが、かなりの降り。ウォーキングはとりやめ。

 予定外の時間がポンと2時間空くのは、もうすっかり毎日が日曜日モードになっていても、なんとなくいい気分というのは不思議。出さなくてはと思っていた、ちょっと長めのメールを一通、それでも時間があって「新漢詩紀行」のテキストを眺める。

 月曜から半年分の再放送モードに入っていて、きょうは「送別」の部の「余話」を取り上げるはず。唐宋八大家の一人、韓愈の「桂州の厳大夫を送る」。

 未開の地に左遷されることになった友人を送る詩なのだが、別れを惜しむ内容ではない。新たな任地、桂林の風光明媚を詠っているところが新趣向。名文ではあるが、どこか旅行パンフレットのような感じがしないでもない。しかしともすれば沈む心をこうして励ましてこそ名文家。この名文と平生の心の平仄が合うような人物、交わりであったかどうか・・・。想像のし過ぎかもしれない。

蒼蒼森八桂  茲地在湘南
江作青羅帯  山如碧玉簪
戸多輸翠羽  家自種黄柑
遠勝登仙去  飛鸞不暇驂

(10/2/2009)

 裁判のニュース2題。

 きのう、最高裁は2007年の参議院議員選挙に際しての「一票の格差」に対して、「定数配分規定が憲法違反に至っていたとはいえない」としながらも、「投票価値の平等の観点から大きな不平等が存する状態であり、格差の縮小を図ることが求められる状況にある」と指摘し、選挙区定数の振り替えレベルではなく、参議院のあり方を踏まえた高度の政治的判断を望むと従来以上に踏み込んだ判決を下した。

 違憲とはしない多数意見は10人(竹崎博允、今井功、堀籠幸男、涌井紀夫、甲斐中辰夫、桜井龍子、藤田宙靖、竹内行夫、古田佑紀、金築誠志)、違憲とする少数意見は5人(中川了滋、那須弘平、田原睦夫、近藤崇晴、宮川光治)だった。

 そしてきょう、広島地裁・能勢顕男裁判長は鞆の浦に広島県と福山市が計画する「埋立・架橋計画」について県知事に埋立免許の交付をしないことを命ずる判決を下した。争点は歴史的景観の保護のために大型の公共工事の許認可権を差し止めることが可能かどうかであったが、判決は①鞆の浦のような歴史的な背景を有する景観は住民利益にとどまらず「国民の財産ともいうべき景観」であること、②現在の計画が景観保全を犠牲にしても必要不可欠なものかどうかには疑問があり、事業の調査・検討が不十分なため完成後には復元することが不可能になってしまうこと、この2点から差し止め請求を認めた。

 地元には当然「埋立・架橋計画推進派」がいる。彼らは「我々には世間並みの利便を求める権利がないのか」と息巻いているようだ。しかし差し止め請求を行った原告グループは、背後の山蔭までの道路整備と駐車場の造成を行い、観光客はそこから徒歩で鞆の浦に入ってもらうプランを代替案として出している由。観光目的の地域外住民の車の進入を止めれば、地域住民の交通の不便はかなりのところ緩和されるであろう。

 もっとも、いわゆる「推進派」の中にはいわば「コンクリート族」とでも命名したらよいような連中がいることは想像に難くない。彼らは日本列島の隅から隅までを鉄筋コンクリートで埋め尽くすことを夢見ているような輩だ。山にはコンクリートダムを造り、河川はコンクリート水路にし、海岸はコンクリート護岸し、テトラポッドをまき散らす。おかげでちょっとした都市で夕立があれば、水路はあっという間に水位を上げ、毎年数人から数十人の犠牲者を「生産」するようになってしまったし、砂浜・松林などというものは極端に少なくなり、沿岸漁業などはやせ細ってしまった。

 彼ら、「コンクリート族」はいままではタカを括っていればよかった。地裁で真っ当な判決が出ても、慌てず騒がず、「なーに、高裁に行けば逆転するさ」、「高裁がダメでも最高裁があるさ」とあざ笑っていられたのだ。しかしもうそろそろこの国の人々もコンクリートで固めた城砦が、まず国民の血税を蕩尽し、住みよかった国土を危険で心の安らげない荒廃した風景に変え、ときに人々の生活に牙をむく、とんでもない代物であることに気付きはじめる頃だ。「コンクリート族」よ、そろそろ、おまえたちも「宗旨変え」を迫られていると知れ。(10/1/2009)

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