先日来、「自民再生」をどのように考え実現してゆくかについて、自民党有力議員に聞くという記事が朝刊に連載されている。けさは安倍晋三だった。嗤いながら読んでつくづく安倍が自民党の再建のために目立った活動をしていないことを惜しんだ。自民党のためにではない、自民党と敵対してきた政党・勢力のためにだ。このていどの現実認識をもって安倍が自民党総裁に返り咲いていてくれたなら、どれほどよかったことか。そうすれば自民党の「完全な崩壊」に向けて力強く歩みを進めてくれたことだろうから。残念だ、ほんとうに残念だ。

 半月ほど前、ウォーキング中、襟首に巻いたタオルがガサガサした。ハチだった。あわてて払い落とした。刺された感覚はなかった。タオルのために皮膚まで針が届かなかったのだと思った。帰って、シャワーを浴びた時も格別の痛みはなかったが、入浴時に石けんを使うと肩甲骨まわりから左の脇の下がズキズキと痛んだ。痛む箇所を見ると、脇の下に丸く赤い斑点のような傷があった。

 ハチと傷を結びつけては考えていなかったが、さっき、NHKの「ためしてガッテン」を見てびっくりした。あの赤い斑点の集積はスズメバチに刺された時にできるものとそっくりだった。

 疑問。刺されなくとも毒液が降りかかるだけであの傷はできるものなのか。それとも払い落としたハチに気を取られて、刺された痛みに気付かなかったのだろうか。・・・謎、だ。(9/30/2009)

 やっとエコポイント事務局から封書が来た。「手続き完了のお知らせ」と思いきや、提出書類に不備があるので出し直せというもの。7月23日に発送して2カ月経ってからの不備の指摘だ。

 1か月経った先月末ごろにどうなっているのかの問合せをしようとした。しかし事務局のホームページに「お選びいただいた商品の発送は、その商品を提供する各事業者の発送スケジュールにもよりますが、現在、申請時から1か月~2か月程度の時間をいただいております。申請に不備があった場合には、不備理由を添えて通知を行っております。通知がない場合は正しく受け付けられております。おそれ入りますが、商品到着までいましばらくお待ちください」と書いてある。

 仕方がない、そんなものかもしれない。いずれにしても、申請の不備があれば受付時に通知があるのだから、商品提供業者との間の問題なのだろうと早飲み込みをしてしまった。しかし、なんのことはない、「受付、もしくは不備の確認までに1か月~2か月程度の時間をいただいております」ということだったのだ。見上げたものだ、屋根屋のふんどし・・・。

 それにしても、いったいどんな不備があったのだろう。ホームページの「インターネット申請フォーム入力にあたっての注意事項」はすべてきちんと読んでチェックをしたはずだがと思って、送られてきた「不備通知」を開封した。不備というのは「許諾署名」がないというものだった。

 「許諾署名」ってなんだというのが最初の疑問だった。インターネット申請を選択すると、入力フォームに、氏名から始まって、購入製品の型式・製造番号までを入力することになる。すべてを入力してステップ毎の「登録」をクリックすると獲得ポイントから交換ポイントまでを自動計算してくれて、PDF文書ができる。これに領収書、保証書などの「証拠書類」をつけて送る、これが一連の流れ。

 ところが申請書類が自動生成されるからと油断してはいけない。その申請書の自動計算結果欄の左側にある「許諾署名」欄に申請者の氏名を手書きし、捺印しなければいけなかったのだ。確かに欄のすべてが埋められているかどうかをチェックしなかったこっちに落ち度はある。しかし、ホームページの「注意事項」のどこにも申請書の「許諾署名」欄に氏名を手書きして捺印することを忘れないようにという記述はない。「入力した内容の修正は必ず申請フォーム上で行ってください。印刷された申請書については、手書きで修正できません」という誤解を誘導するような注意書きはあるけれど。

 自動生成される文書はA4で打ち出すようになっているが、下部四分の一は空白になっている。「許諾署名」欄を一連の枠の中に小さく取るのではなく、この現在空白の欄に「申請者氏名(手書き自署)」として大きく強調してくれれば、粗忽者でも忘れることは十分に防げるだろうに。さらに、また、注意事項欄にも「印刷後、申請者のお名前を手書きし、捺印を忘れぬようにお願い致します」という一項を加えてもらえば、書き忘れは少なくなるだろう。「許諾署名」というのも「申請者」にとっては変な言葉ではないか。わざわざ署名漏れ不備を生むようにしてあるのは、事務の遅れが起きた場合、その責任を利用者に転化するもくろみでもあってのことか。

 エコポイント事務局はいつか書いたように、両面印刷は認めない、事務局処理の便宜のために一品一葉処理にこだわって、複数の購入品に対する一括領収書のコピーをとらせるなどの点で、いっこうにエコではない。のみならず、防げるはずの不備に対する事前の配慮をこれっぽっちもしないという怠慢により、無用の郵便の往復と事務作業の増大を招いている。お役人は自分の利便には聡いが、社会全般と国民の利便には疎いようだ。いやはや、たいしたものだ。(9/29/2009)

 いつもの顔ぶれで谷根千ウォーク。千駄木の駅に10時集合。適度の会話(これがいい)を楽しみながら、よみせ通りを通り、谷中銀座から「夕焼けだんだん」を上り、観音寺の築地塀を見ながらいくつかの寺のある小路を歩く。ちょっと暑いかなと思ったところで昔懐かしいというか、一人で歩いていてはたぶん入らないようなお店で「愛玉子(オーギョーチーと読むらしい)」を食べる。ひんやりとして、ほんのり甘くて、「なるほど」と納得。

 すぐ近くの角にある「旧吉田屋酒店」は下町風俗資料館なのだが、月曜は休館。また谷中の寺町の小路を抜けて、ヒマラヤスギを見、大名時計博物館へ。ここは月曜日だからではなく、7月から9月は夏休み、ダイナミックな夏休みだ。不定時法の話などをするが、やはりカラクリといっしょに見るのでなくては驚きは半分にもならない。

 フラフラ歩きながら、不忍通りへ戻りこれを渡って根津神社。**(家内)の手術の日のことなどを思い出しつつ境内を歩く。気持ちのいいことに、このメンバーは不信心ものばかりなので賽銭もあげなければ拝みもしない。境内を抜けて地震研の下の坂を登る。お化け階段というのだそうだ。この階段は下から上るとあまり面白くはない。右側の建物の建て替えによりセットバックさせられたのだろう、その分、拡幅されてよけいに「お化け」のイメージが損なわれたもののようだ。

 **さんは昼食を「はん亭」でと思っていたらしいのだが、ここも月曜はお休み。月曜日は街歩きには不向きなようだ。仕方なしに昼食を先送りして、「岩崎邸庭園」。さいわいここは休園ではなく、観覧できた。東天紅の地下にある和食処で、ゆっくり平日限定の「ナントカ重ね」を食べる。ご飯のおかわりなどしてしまった。きょうはそれぞれに次の約束などがあるらしく、御徒町で解散。2時半。

 先週の「地球伝説」を観て以来、なんとなくハイドンの「十字架上の七つの言葉」が聴きたくなっていて秋葉原でCDを物色するつもりだった。だが解散したとたんになんだか腰のあたりがずしんと重くなった。結局、そのまま帰宅。とはいいつつ、池袋ではまた加藤陽子の本と天木直人が推薦していた「冬の兵士」などを買い込んでしまったけれど。(9/28/2009)

 すさまじい二番だった。千秋楽、幕内最高優勝は14戦全勝の朝青龍と13勝1敗の白鵬の直接対決にかかった。まず本割り対決。ガシンという音がした。白鵬はあっという間に朝青龍を寄り切った。「完勝」に対するに「完敗」。「力の差」といいたくなるような一番だった。

 ウォーキングから戻ってすぐ、汗も拭かずに、その一番を見て、決定戦を待つ間、シャワーを浴びながら考えた。白鵬は迷いなくいまの取り口をリプレイするつもりだろうか。あまりの「完勝」は白鵬の中に「迷い」を生まないだろうか。朝青龍は素人目に「力の差」に見えたものに動揺しているだろうか。それともグーで勝った白鵬がまたグーを出すことはないと踏んで、自分がグーを出せばよいと考えるほどの余裕をもっているのだろうかなどと考えた。

 決定戦、朝青龍はためらいなく突っ込み、白鵬はいくぶんか思い切りが悪かった。その立ち会いの劣勢を挽回しうるほどの力の差は両者にはまだなかったようだ。こんどは朝青龍がすくい投げで白鵬を土俵上に転がした。勝利をもぎ取った朝青龍は気持ちが爆発したのだろう、勝ち名乗りを受けた直後の土俵上で両手を挙げた。また「ガッツポーズ談義」があしたのマスコミネタになるだろう。

 この二番を堪能できたのだから、きょうの木戸銭は高くはなかった。そうだ、所詮、木戸銭を取って見せる興行なのだ。あれくらいのジェスチャーのどこが下品なものか。(9/27/2009)

 きのう朝のラジオで森本毅郎がやけに誉めていたことを思い出して「産経抄」を読んでみた。

 戦国時代から安土桃山時代にかけて、蒲生氏郷という文武二道に優れた武将がいた。織田信長の人質の身から、会津92万石の大大名にまで上り詰めた。逸話の多い人物でもある。▼幸田露伴の『蒲生氏郷』によれば、蒲生家に仕官を望む侍には、こう言って聞かせるのが常だった。「当家の奉公はさして面倒な事は無い。銀の鯰の兜を被って油断なく働く武士があるが、その武士に愧じぬように心掛けて働きさえすればそれでよい」。▼「武士」が、氏郷を指すのはいうまでもない。どんな戦いでも身を危険にさらして、采配を振った。露伴のいう「たぎり切った」人であって、けっして「ナマヌルな奴」ではなかった。今や野に下った自民党の先頭に立って、与党民主党に挑む総裁こそ、「たぎり切った人」が、ふさわしい。▼だとすれば、「メディアの扱いが小さい」とぼやきながら総裁選を戦っている3人の候補者は、いささか物足りない。氏郷だったらとっくに、馬を走らせているだろう。行き先は、群馬県長野原町の八ツ場ダムの建設予定地に決まっている。▼23日には、視察に訪れた前原誠司国土交通相に対して、建設継続を求める地元住民は対話をボイコットした。メディアの関心が集中しているというのに、現地で自民党の有力議員の姿を見かけることがない。地元選出の衆院議員は出産間近だ。▼確かに、ムダな大型事業を見直すのは正論だ。それでも、最初から中止ありきは横暴、と与党に立ち向かう戦場は、野党党首にとって腕の見せどころではないのか。「事件は会議室で起きているんじゃない。現場で起きてんだ」と刑事ドラマの主人公は叫ぶ。政治にも現場がある。国会で論戦を、なんて悠長なことを言っている場合ではない。

 なるほど「正論」だ。しかし自民党のために弁ずれば、自民党の国会議員を見かけぬだけで、住民の参加を思いとどまらせるよう画策した上で国交相を迎えた県知事の大沢某は自民党だし、一般住民のふりをして「朝ズバ」などのテレビに露出しているおばさんが長野原町議会の自民党系議員・星河由起子(このおばさん、長野原町議会ダム特別委員会副委員長である由)ということもネットではすっぱ抜かれている。このほかにも自民党の県連幹事長(南波和憲)など現地自民党は力を入れて取り組んでいる。もちろん彼らは「ダム利権」の甘い汁がお目当ての土建ゴロなのだから、一生懸命なのはあたりまえなのだが。

 今回の総選挙は現在の自民党中央組織がどれほど「殿様気分」のパープリンちゃんたちで占められているのかを満天下に示した。「産経抄」子がどれほど切歯扼腕しようと、彼らはかつての権力者としての経験から、「建設中止」が白紙撤回されるようなことはないことを熟知しているのだ。「殿様」は見込みのないことに「無駄骨を折る」ことはしないものだ。

 現にこのように偉そうに自民党に指図しているサンケイ新聞自身、「やり手ババア」ならぬ「ヤラセおばさん」の素性について、きちんとした「現場取材」をしていたかどうか怪しいものではないか、呵々。(9/26/2009)

 整体治療を受けてから国会図書館へ。しばらく行かないうちに登録利用者カードが失効していた。2年間利用がないと失効するのだとか。どこかのポイントカードみたいだなと嗤いつつ、規格資料を確認したくて来たはずだが、たぶん利用者カードを家においていて当日利用登録で入館したのだろう。

 「仙台藩士事典」と「仙台伊達氏家臣団事典」を閲覧。後者は家禄の高い大身を集めたもののようで残念ながら当家は載っていない本だった。前者に記載があった。分立を含めて5つの家と賞罰(「孝養により賞せらる」、「実子無きを偽り進退没収」、「直訴を見ながら止めもせず役目召放閉門」など、いろいろ)の記録に表れた断片により顕れた情報が「他氏の動向」にまとめられている。

 記述内容は「出自」、「禄・扶持高」、仙台藩は石高制ではなく貫高制だったらしい、「召抱領主」、「格式」、ここまでは共通でこの後に記載文書と内容、系図などとなっている。

 「藩士事典」のあとがきによれば、現在につながる部分を追う手がかりになるのは仙台市博物館所蔵の「仙台藩士族籍」(宮城県図書館に管理委託の由)だと書いてある。事典を編んだ坂田啓氏は閲覧を願い出たが断られた由。「藩士の子孫にあたる方ならば許されるかもしれない」とあるところを見ると、個人情報保護の関係で拒絶されたのかもしれない。これだけのものをまとめた実績のある人の閲覧を不許可にするとは杓子定規な話。

 **(父)さんの遺した系図を探しだそう。それにしても、どうしていまごろになって・・・と、思う。**(父)さんが粒々辛苦して作ったものを持ってきた時に、その充実のためにもう少し知恵を出すなりしてあげれば、どんなによかったかと思うと、涙が出てくる。(9/25/2009)

 ウォーキング、100万歩を超えた。58日目。体重は最初の週間移動平均値から5.48キロ減少、体脂肪率も移動平均で1.5%の改善。

 歩いた方がいいかと思い、体重計に乗った日、思わず吹き出した。以前、ウォーキングを開始した時とまったく同じ76キロだった。この体重になると「自覚症状」が現れるらしい。

 減量ペースは前回より悪い。前回は100万歩を要せずに70キロを切っている。足のむくみなどのトラブルもなかった。体脂肪率の減少効果も落ちている。坂の上り下りなどが少ないことが理由かと、先週からは野塩団地付近の坂をコースに取り入れた。上り坂という負荷をかけないといけないようだ。

 年齢のせいで痩せにくくなっているとすると、「一日、一万歩」と「夜8時以降の飲食制限」という二つのルールだけで効果を期待するのは、限界に来ているのかもしれない。今度リバウンドしたら二度と戻すことはできないかもしれない。まさに「歳月は人を待たず」なのだ。(9/24/2009)

 先週来、マスコミは八ッ場ダムに関するニュースにかかり切り。その建設予定地を前原国交相が視察した。水没地域の住民との意見交換会も予定されていたが「中止ありきでは話はできない」ということで、結局は群馬県知事(大沢正明)、長野原町長(高山欣也)、東吾妻町長(茂木伸一)など8名(残り5名の内訳は不明)との意見交換のみになった。

 建設絶対反対の立場を、半世紀をかけ、外堀を埋められ、内堀を埋められ、条件付賛成に鞍替えさせられた地元民の心情はいかばかりかと思う。やっと「仕方がない」とあきらめて心を決めたのが十年ほど前。それをこんどは「建設しない」というのだから人の心を弄ぶような話には違いない。

 一方、このダムの必要性はいまや利水においてはゼロに等しくなった。水需要が減少に転じているからだ。他方の治水はどうか。そもそもダムの治水に果たせる役割は小さい。よほど平常時のダム水位を低く設定しておくのでない限り、上流側に大雨が降ればダムは放流するほかはない、ダムの決壊を防ぐためだ。治水のためにダム水位を低く設定しなければならないようでは利水の役には立たない。この理屈、よほど頭の悪い人でも分かるだろう。治水のためには植林などにより水源の保水力を高めることと、適所に調整池を設ける方がはるかに安上がりで効率がよいことは自明。ダムは「大艦巨砲時代」に計画され、「航空兵力時代」に建造された「戦艦大和」と同じなのだ。

 マスコミはテレビも新聞もアホのように「既に工事は7割まで進んでいる」という「大合唱」をしている。だが「7割」というのは支出額の話で工事の進捗度ではない、総事業費4,600億の約7割のカネを使ってしまったというだけのこと、堤体そのものは未着工、ダム関連の取付施設はあるていどできているものの、付け替え道路も付け替え線路(いつ廃線になるか分からないJR吾妻線のこと)も全通しているわけではない。

 もともと計画が持ち上がってから実現に向けて話が進むまでに時間を要したのは、wikipediaによれば、水質に問題があったからとのこと。また、堤体建設予定地の地盤が悪いことについても指摘がある由。現在の総事業費4,600億は当初の総事業費2,100億を2004年に見直したもので、7割3,200億のカネを費やして付け替え道路・鉄道の一本も完成していない状況では最終的な事業費が現在の計画で終わると考えるのは相当の無理がある。

 追加建設費用の発生が予想される中で「仕方がない」とあきらめた住民の心のケアのためにダムを作るほど国にカネが余っているとは誰も思うまい。ことし開港したばかりの静岡空港は行き詰まったJALの再建計画によれば早くも「使われない空港」になりそうな雲行きだ。大枚の税金をかけて「無用の長物」を次々と作るのか。「公共の役に立たない公共工事」をいくつやれば気が済むのか、建設推進を訴える人々や情緒的報道に終始するバカマスコミにはきちんと説明してもらいたいものだ。

 以下は単なる想像だが、地元住民は半世紀にわたる反対運動の経験から「権力というものがどれほど恐ろしいものか」についてよく知っていると思う。結局のところ従わされてしまうのではないかというのが彼らの実感ではないか。もともとは「ダム建設絶対反対」だったのだ。いったん建設を認めてしまった行きがかり上、釈然としないものや心の置き所に戸惑いがあるものの、「敗北者の知恵」として「いいよ、とにかく生活が立ちゆくようにしてくれれば」というのがホンネではないのか。

 そんな想像をすると、「中止ありきでは話ができない」などと面談すら拒否をするというのはどうも不自然。県知事の大沢は自民党だろう、意見交換に臨んだ8名は自民王国・群馬のボスたちなのではないか。「悪いようにはしないから」と住民を説得して間に立ち、なにがしかの利権の中抜きをしたいというのが連中の「黒い腹」であるような気がしてならない。大沢の家業は建設業だそうだ。要は古い自民党の土建ゴロと考えれば、舞台裏が透けて見えるようだ。

 朝刊に、庄野潤三の死亡記事、その下にそれより小さく大江志乃夫の死が報ぜられている。合掌。(9/23/2009)

 ずっと家にいると、いろいろの電話がかかってくる。つい最近、非通知の無言電話が幾たびかあったので、非通知については受けないように電話セットをした。自動的に怪しげな投資話は来なくなったが、あいかわらず「互助会」と「墓地」の案内は来る。

 「・・・もし、もし・・・」、「ハイ」、「・・・アッ、お父様か、お母様か、いらっしゃいますか?」、(オッ、早とちりしてるな)と思うととぼけて、「えーと、出かけてます」、「アッ、そうですか、息子さんですかぁ」、(内心笑いながら・・・)「えーと、えーと、お父さんとお母さんは・・・」、知恵遅れ風をよそおうと、「アア、ソー」・・・ガチャン、にわかにぞんざいになるのが可笑しい。営業が先に切るのはそれだけで失格だろうが、相手が「見下しても安心なヤツ」と分かれば地金がでるようだ。

 さっきかけてきたヤツは不快だった。「アッ、ご主人さんですか?」(妙に狎々しい)、「まず名乗れ」と言いたいところを堪えてあえて無言でいると、「もしもし、もしもし」、「ハイ」(まず名乗れよ)、「ご主人さんですよね、こんどお近くに公園墓地ができるんですよ・・・」、(できる?、作るんじゃないのかい?)などと思いつつ、「アー、うち、お墓はありますから」と言う。

 ふつうはこれで(ガチャン)か、「失礼致しました」となるのだが、さっきのヤツは違った。狎々しさをいや増して「あらー、どちらに?」ときた。濡れ雑巾のようにベタッとした感じ。これで「仙台です」とでも言おうものなら、「地方にあるとご不便じゃありませんか?」とでも言いそうな感じだ。そのまま切ってやった。

 懐に入るのがセールスの極意とはいえ、はなから懐に入った如くにされるのを心地よく思う者は少なかろう。(9/22/2009)

 きょうは「敬老の日」(例の「ハッピー・マンデー」)、あさってがお彼岸の中日(ちゅうにち)。挟まれたあしたは「国民の休日」。したがってきょうは5連休の中日(なかび)。ゴールデンウィークに対し、シルバーウィークというのだそうだ。

 毎日が日曜状態の身には変わりはないはずが、そうでもない。株式市場は休み、為替相場しか見るものがない日はけっこう退屈だ。投資信託の取引もないから、分配日も連休明けまでずれ込む。乗り換える予定の国内公社債投信、決算期でもあるので分配金を受け取ってからと思っているのだが、これも連休明けまで待たされる。きっと忘れてしまうだろう。(9/21/2009)

 けさの天声人語は「空巣老人」。「空き巣ねらいの怪老人、ではない。独り暮らしのお年寄りのこと」とか。「一人っ子政策の影響などで高齢者だけ残される世帯が増え、かの大家族の国でも社会問題になっているのだという。お年寄りをさいなむ孤独感は、国を問わず影が濃いようだ」と続く。

 自由であるということは基本的に孤独であるということにつながっている。職業選択の自由は若者には不安と憂鬱をもたらし、老いた男親から生涯をかけた仕事上の工夫を息子に語る機会を奪った。「家業」がというものがあれば、親は子に伝えるものがたんとあるだろうに。

 ああそうか、自分の仕事ではなく道楽を子どもに仕込んでおけばよかったのだ、なるべく小さいうちに・・・と思いついたが、もう遅い、後の祭りとはこのことだ。それにだいたい「読書」などという道楽は一人のものだ。同じ一人でも「釣り」や「ゴルフ」ならいろいろに教えるものはあるだろうが。

 仕方がない、残された道は「見ぬ世の人」を友とすることしかない。リアルに見える生身の人間にはとうていかなわないが、それしか備えがないとしたらやむを得ない。

 あとは、数少ない知り合いを大切に。「天声人語」は「老いてからの『友情の芽』は若い頃ほど丈夫ではないそうだ。育つのは遅く、萎れやすいという」と注意してくれている。同期会の幹事なども引き受けたことだし、順にノックをしてまわろう、多少の疵には目をつむって、それはおあいこなのだから。(9/20/2009)

 星新一のショートショートに「愛用の時計」というのがあった。信頼していた愛用の時計が狂ったおかげで乗るはずのバスに乗り遅れた主人公、ちょっとその時計に恨み言を言っているとその背後のラジオから彼が乗るはずだったバスの事故のニュースが流れる・・・という他愛のないプロット。星は絶妙の語り口でこれを読ませる作品に仕立てていた。

 けさの「赤be」の「歌の旅人」は「大きな古時計」。「・・・大きなのっぽの古時計、おじいさんの時計、百年いつも動いてた・・・」。この時計には実在(!)のモデルがいたという話。

 それはホテルのオーナーだった「ジェンキンス兄弟」の物語だった。時計は兄が生まれた日に購入された。実直な人柄で土地の人に愛されたという兄弟同様、時計は正確に時を刻み、何十年も宿泊客に馬車の出発時間を知らせた。
 だが、ある日、弟が病に倒れて亡くなると、時計は狂い始めた。いくら修理しても直らない。しばらくして兄も後を追うように亡くなった。兄の死を知って駆けつけた人々は時計を見て驚いた。兄が亡くなったという11時5分を指したまま、時計の振り子もぴたりと止まっていたのだという。

 ヘンリー・クレイ・ワークというアメリカ人が旅先のホテルでこの話を聴いて作詞・作曲したのがこの曲だという話。

 ふつうなら「ふーん、そうなの」というこのていどの話を書き留めておきたくなったのは、**(父)さんが倒れて、一家そろって見舞いに行った時のことを思いだしたから。

 **(父)さんを元気づけようと、**(上の息子)と**(下の息子)が歌ったのがこの歌だった。「・・・百年休まず、チク、タク、チク、タク、おじいさんといっしょに、チク、タク、チク、タク、いまはもう動かない・・・」。

 病院を出てから、誰が言ったかは憶えていないが、「ちょっとまずかったかな」、「なにが?」、「うん、『いまはもう動かない、おじいさんの時計・・・』ってのは、」。・・・・・・。「うーん、そうかもな」。

 大丈夫だった、**(父)さんは、それから約数カ月は頑張ってくれたから。(9/19/2009)

 各省事務次官の記者会見の禁止、この措置、えらく新聞各紙には評判が悪い。先日は日経に批判記事が載っていた。けさは読売の「編集手帖」がこんな風に書いている。

 のちに首相も務める大物代議士の佐藤栄作氏が、ある案件をめぐり、満座のなかで当時自治省の財政局長、奥野誠亮氏を叱りつけたという。「バッジをつけてから物を言え」◆当時、自治省の官房長だった後藤田正晴さんが回想録に書いている。いまで言う脱・官僚主導のひと幕だが、後藤田さんの判定では叱った佐藤氏の負けだという。〈バッジをつけてから物を言え、なんていうのは、理屈で負けたということですよ〉◆首相官邸が官僚の記者会見を禁止し、各省庁に通知した。議員バッジなき身は語るべからず、ということだろう◆世の人々が官僚の発言に、「大臣の話よりも筋が通って説得力があるわね」と感心すれば、鳩山政権は立つ瀬がない。官僚の口を封じ、国民の耳をふさいでおけば、理屈の負けは知られず済む…ということなのか、意義のよく分からない改革である◆官僚を拡声機の代わりに使いこなしてこその政治主導だろう。「バッジをつけてから物を言え」ではなく、「バッジをつけたつもりで物を言え」と、背中の一つも叩いて記者会見場に送り出す。そのくらいの器量がなくてどうする。

 後藤田正晴の「回想録」というのが彼のどの著書を指しているのか分からない(国会図書館蔵書の検索をしてみたが、著者:後藤田正晴で、「回想」の語が含まれている本はなかった)ので、奥野誠亮が何を言って佐藤栄作の勘気をかったのか、それが「事務次官記者会見」とどうつながるのかいまひとつ明らかではないのが残念だが、編集手帖子が「そもそも官僚の方が賢いのだ」と言いたげな感じはよく分かる。それが世の中のイメージかもしれない。続く後段。手帖子が書いていることはなんのことはない、政治家が官僚にジェラシーを感じているのではないかという、いかにもジャーナリスト気取りのクズ野郎が書きそうな話。

 読売新聞といえば、イラク人質事件の折、いの一番にバグダッドから特派員を引き上げさせた「現場主義の放棄」が思い出される。あの当時、ニュースは日米両政府の発表する官製情報で十分と考えたのだろうと推測して「ウケウリ新聞」と皮肉ってやったからよく憶えている。つまり「記者会見の廃止」が問題なのではなく「ウケウリ・ソースの喪失」こそがホンネの理由と考えると、嫌みたっぷりに批判した気持ちが手に取るように分かる。

 もっとも、この批判、読売新聞に限った話ではない。新聞各紙のみならずテレビ局まで同様の批判、そしてその対象をひたすら「記者会見」に向けている。

 ところが別の民主党批判がいまネットには流れている。こちらの方が批判としては的確で、建設的だ。「鳩山は政権を取ったら、記者会見をオープンにすると約束していたにもかかわらず、総理就任の最初の記者会見でこの約束を反故にした」という批判。(あえて書けば、これは民主党が従来どおり役人に会見の場を取り仕切らせた結果らしい、もちろん政治主導といいながら細部に神経が行き届かないのは嗤えるけれども)

 この国の「記者会見」は参加資格が「記者クラブ所属の者」に限定され、ひどく閉鎖的であることは有名。したがって、この批判、手帖子にならって下品に考えると、お仕着せの会見を仲間内で開き、労せずしてネタを仕入れる(「取材」といっているらしい)ことができた「記者会見」という便利な場がなくなることに、感情的な反発をしているのではないか。

 けさのコラムの結びは、「官僚を直接取材してこその報道だろう。『記者会見の禁止』をとやかく言うのではなく、『取材という手間・ヒマをかけて記事を書け』と、すっかりものぐさになった若い記者の尻の一つも叩いて記者クラブから送り出す。それくらいの器量がなくてどうする」とでも書いた方が、よほど真っ当になったと思うが、クズ・コラムニストには無理な注文だったかもしれない。

 民主党よ、一刻も早く「公約」通り、記者クラブ限定の記者会見を廃止しろ。ウケウリ新聞手帖子を代表とする堕落した既存マスコミの「やぶにらみ的批判」に正面から「ノー」を突きつけろ。(9/18/2009)

 新聞広告の見出しにつられて「文藝春秋」、**さんのブログ記事推薦の「世界」を買おうと飯田書店へ。「文春」はあったが「世界」は、売れないからだろう、ない。平積みに「正論」と「WILL」があった。学生時代、本屋でバイトをしたころのことを思い出した。「自由」という雑誌が毎月必ず5部ほど配本されてくるのだが、いつも1部も売れずに裏の休憩室の棚に戻されていた。取次店に返本されるわけでもなく、いつの間にか消えているのがとても不思議だった。さほど売れているとは思えないこの2誌も同じような扱いをされているのかもしれない。

 「正論」の見出しは「民主党政権が我が国に刻む禍根」、「やがて日本は日本でなくなる」、「WILL」の方は「民主政権で日本沈没」、「民主政権を内部告発する」(これは見出しのみは面白そう)、「政治腐敗は有権者腐敗」だというもの。両誌が印刷中はまだ影も形もなかった政権を批判する勇気には頭が下がらないでもないが、これは少しヒステリックに過ぎないかと嗤った。

 さきほど、MIXIの「日記」に、平野官房長官が「機密費、そんなのあるんですか」と言ったとかいうニュース記事にコメントをつけた。官房機密費、外交機密費、これらはいわば「公然の秘密」。平野がカマトト発言をしたということは、民主党もこれらの便利なカネをフルに使おうと思っているからに相違あるまい・・・と。ついでにこんなことも付け加えた。

 自民党の敗北に、ヒステリックになっている向きの中には、こういうカネがまわらないことにショックを受けている者もいるかもしれない。(押し紙率第一位の新聞が、「**新聞が初めて下野なう」と書いたのはそういう理由だったのかな、呵々)

 「押し紙率第一位の新聞」とはサンケイ新聞のことだが、「正論」や「WILL」なども、ひょっとしてこういう裏事情でもあるのかもしれない。もちろんただの当て推量だが、こう仮定すると、ヒステリーのトーンが妙に高いのも納得できる。

 いや、雑誌よりは筆者なのかもしれない。かつて「竹村健一:200万、田原総一朗:100万、三宅久:100万、・・・」などというメモが流出した「事件」もあったくらいだから。(9/17/2009)

 鳩山内閣が発足した。先週以来、いろいろに報道されていた閣僚の顔ぶれも決まった。藤井裕久が財務相になったことだけを書いておけばあとはいいだろう。

 リーマン・ブラザーズが破綻したのは、ちょうど一年前、去年9月15日のことだった。オバマ大統領は14日昼、ウォール街まで出向いて行った演説で「持ち直した金融各社はアメリカ国民に借りがある」、「我々は無謀な行為には二度と戻らない決意だ。報酬の肥大化などウォール街の慣行が復活することを国民は許さないだろう」などとのべて、金融規制の強化を匂わせた。

 先週土曜にオンエアされたNHKスペシャル「金融危機1年 世界はどう変わったか」は、「マネーの現状」、「アメリカの消費動向」、「日本のもの作り」の三つのポイントから「いま」をレポートしたものだった。あれほどの経済危機を引き起こした震源地のウォール街、それにしては、元気というか、懲りていないというか。公的資金の注入を受けた金融会社は9社、その会社で危機以後に100万ドルのボーナスを受け取った社員は5000人近くになるという。さらにはこのオバマの金融活規制について、圧力団体を通じて議員に反対するよう働きかけるなどしている。その理屈付けはこうだ。曰く、「金融規制を強化すると優秀な人材が流出してしまう」。曰く、「アメリカだけが金融規制を行って、規制の緩い香港やドバイなどに金融センターの役割を取られることになれば、国益を損なう」。

 例によって例の如くの「空洞化論」。規制を強化すると、人材も、企業も、海外に逃げてゆき、この国は残り滓になるという主張だ。まるで残り滓はヘドロだから社会が腐ってしまうようにいうが、健全な残り滓で真っ当な社会になった方がはるかにましになるという理屈もあるはずだ。常に危なっかしいカダツキのある「経済成長」などなくても、大多数の実業にたずさわる人間は幸福に暮らすことができるのだ。優秀を自称する強欲なトラブルメーカーは、そういう連中だけの集まった空騒ぎの国で遊んでいてくれ、もうそろそろそういう声が大きくなってもいいはずだ。

 現にインタビューを受けたヘッジファンド・レミアスの会長、ピーター・コーエンなどはこう言っている。「金融危機が起きても、何も変わりませんでした。生き残った少数のヘッジファンドがより大きな富と権力を握るようになっただけです。9.11のことだって、人々の記憶は薄れています。たった8年前の出来事なのに、金融危機も同じように、あったことすら忘れ去られるのです。今、株価は上がっていますが、経済の実態を全く反映していません。今後の行方は不透明です」。

 バブルの膨張と収縮に呼吸を合わせれば、カネが稼げる(失うことと同義)ことぐらい、「優秀」を自称しない者でも知っているのだ。そんな実態のない投機に人生を重ねるのは愚か者のすることだと思うから手を出さないだけのこと。たとえば、番組冒頭に紹介された「不況の中でも利益を上げられる金融商品」のセミナーの一押し商品、「death bond」(「死亡債」と訳していたが「生命保険債」とする方が実態を表しているだろう)など、あのサブプライムローンの証券化と何ら変わるところはない。売り手は「人の死亡は景気動向に左右されませんから、安定したリターンが期待できます」というが、証券化のためにリスクが隠蔽されているというだけのこと。リスクはいくらでもある。売血者同様、常習的生命保険の売り手は自分に二重三重に生命保険をかけるに違いないし、景気が悪くなれば自殺者も増えよう、自殺前には最後のあがきとして生命保険に加入し、すぐにこれを売ろうとするかもしれない・・・。数学的死亡確率・散布度は死亡債の存在故に歪められる。もういい加減に「神の見えざる手」は常にこの手の猿知恵の裏をかくということを知るべきなのだ。(9/16/2009)

 夕刊の「人脈記」、きょうからは「お殿様はいま」。その末尾。会津の殿様、13代当主の松平保定についてのエピソードが紹介されている。

 あまり知られていない話がある。
 保定は定年退職後、人柄を見込まれ、「靖国神社の宮司に」と打診があった。辞退したが、「どうしても」と要請された。
 靖国神社は、戊辰戦争での新政府軍側の戦没者を慰霊したのが、その始まりである。
 3カ月、悩んだ。他の神社ならともかく、最終的に断った。
 「薩長がまつられ、賊軍とされた会津の戦死者がまつられていないのに、会津人としてお受けするわけにはまいりません」
 ならぬことは、ならぬ。会津は戊辰の残照の中にある。

 靖国神社が国難に殉じた人を祀るところだというのなら、戊辰戦争における幕府側や西南戦争など明治初期騒乱における反乱軍の戦死者を祀らないままでよいのかという問題がある。彼らが祀られていないのは「賊軍」とされたからである。しかし、それらの戦いは近代日本が統一国家として成立するために経なければならなかったプロセスであったと考えるならば、彼らを祀ることは当然のこととして考えなくてはならない。

 松平保定が宮司を引き受け、会津戦争の戦没者のみならず、同様の内戦の犠牲者を合祀してくれたならよかったのにと思う。少なくともA級戦犯を合祀して昭和天皇の不興を買ったのみならず、靖国神社にローカルな反動右翼の色をつけてしまった愚かしい松平永芳などよりはよほどよい仕事になったのではないかと思う。

 もっとも保定は記事によるとことし83歳、永芳が宮司になったのは1978年のことで、この時、保定はまだ52歳だから、永芳の「愚挙」がなされた後の話なのだろうが。(9/15/2009)

 イチローがメジャーリーグで9年連続200本安打を打った。NHKの夜7時のニュースはこれだけに十数分を費やした。たった30分の時間枠の半分近く。各局の夜のニュースもイチローラッシュだ。さすがに時間枠の50%をあてた局はなかったようだが・・・。イチローが嫌い(正確にいうとイチローを嫌いにさせたのはマスコミの取り上げ方の異常さなのだが)だから、ニュースの中身ではなくアナウンサーの妙な興奮ぶりをじっくりと観察させてもらった。

 良くも悪くもこれがいまのこの国なのだ。エクスキューズをつけずに、多くの人がマル、できれば花マルをつけるであろうものに飛びついて「メチャ×2・ホメ」できるものがあると、世の中に別の見方というものなどあり得ないという勢いで褒めそやし、くどいくらいに「ねっ、すごいね、ねっ、すばらしいね、ねっ、いいでしょ」を連呼する。だから、きょうのイチローのニュースなどは「日本国民たる者、こぞって歓呼して迎えるべきニュース」であり、「日本国民は例外なくこの偉業を賞賛すべきニュース」らしく、それに素直にのれない者は「オレは非国民なのかな」と感じてしまう。

 しかし、どう考えてもこのバカ騒ぎは可笑しいだろう。このニュースに「感動する」ためには、エクスキューズは要らない代わりにエクスプラネーションが必要だ。

 たとえば、ウサイン・ボルトの100メートル走は、説明なぞ要らない、見るだけで感動する。たしかに「いままでの世界記録」を知っている方が、感動に驚きが上乗せされるかもしれないが、それはあの筋肉の躍動に対する感動のスパイスていどのものだ。

 きょうのイチローのヒットは見ているだけでは感動できない。前段にいろいろの事前説明をうけ予備知識がなければ、ただの当たり損ないのラッキーヒットに過ぎない。それが今シーズンの200本目のヒットであり(これだけで感動できるか?)、このヒットで9年連続200本のヒットを打ったことになり(ここで感動できるか?)、長い大リーグの歴史でもシーズン200本を9年連続した選手はいなかったのだと解説されて、はじめて感動できるというわけだ。

 つまり、はじけるような感動をするためには、これらのことを頭に入れて「あと何本」とカウントダウンしながら待ち望むことが必要だ。単純にフラッと球場に入ったとして、どでかいホームランや、信じられないように曲がるカーブにバットが空を切るというシーンには、すぐに賛嘆の声を上げることができるだろうが、あの渋い内野安打を見て即座に「すげぇ~」と叫ぶ人は皆無だろう。

 もちろん、イチローのこの記録は大変な記録だと思う。しかしシーズン200本安打を9年連続という地味な記録のほんとうの意味の「すごさ」が分かるのはイチローの同業業者くらいではないのか。ただ、彼らも、ホンネを語るとすれば、「勝利に貢献したヒットの割合はどのくらいだい?」とか、「シアトルというローカルチームでマイペースでやれたのはラッキーだったんじゃないか」とか、「メモリアルヒットくらいはクリーンヒットしろよ」とか言いそうな気がしないでもない。

 野球というスポーツの原点は「打ちも打ったり、捕るも捕ったり」だ。個人の「連続記録」のような知識を必要とする楽しみ方は好事家のもので、それはそれでいいものだが、煽りに煽って感動を強制されたりなぞすると、オレのような生来のへそ曲がりはしらけてしまう。なによりも夜のニュースの過半近くを費やすのはいささか異常な現象で不健康だと書いておく。(9/14/2009)

 週末の週間ニュースに麻生が「総理公邸を引き払い、私邸に引っ越した」というのがあった。映像は夜陰に黒塗りの車が公邸から出てくるものだった。口の悪い**(家内)はそれを見て、「夜逃げ、ね」と評した。

 1月19日のMIXI日記欄に、「ようやく公邸に引っ越し、首相『準備が整ったから』」という読売のニュースにコメントする形でこんなことを書いた。

タイトル:「無駄なことをするねぇ」

 ほほほ。なんとも言いようがない可笑しさ。

 官邸のセキュリティについては関係先から頻繁(ハンザツ)に報告を受けているところでありますが~、焦眉(シュウビ)の急は低迷(テイマイ)する支持率であり~、これをなんとかする、これが一番。
 といっても~、政局は我が方に利あらず、政策では知恵が浮かばず、従来の人気取りを踏襲(フシュウ)することにして、引っ越ししてみたよ~。気分転換にはいいねぇ~。
 引っ越し代金は定額給付金で払うのかって? バカだなぁ、税金だよ、ゼイキン。
 あの金は受け取るよ、受け取って、せいぜいホテルのバーなどでパーッと使う。
 早く景気を回復させ、愁眉(ショウビ)を開きたいんだよ。

 注)括弧内の読み方は「麻生家」の方言。唯一、「愁眉」については確認がとれませんでしたが、「焦眉」を「シュウビ」と発音する以上、「愁眉」は「ショウビ」だろうと推測しました。

 これを書いた頃は春までには総選挙があるものと思っていたので、「無駄なことをする」と題したのだが、マンガ宰相、よほど公邸の居心地がよかったのか、それから半年以上も居座った。居住した期間だけからすれば、あながちムダということもなかったのかもしれない。しかし彼の見識、器については、とうてい公邸の主としてふさわしいものではなかった。このことについては、誰も異論はないだろう。(9/13/2009)

 録画しておいた「いつか読書する日」を観る。**(父)さんの葬儀やらなんやらで見損ねた映画。

 シナリオがよくできている。なるほど**(友人)の好きそうな筋立てだと思いながら観た。

 映画は15歳のヒロイン(田中裕子が演じている)が書いた作文の朗読から始まる。それは未来の自分に宛てた手紙。「わたしはこの街が大好き。だから一生この街で生きてゆく。未来のあなたは何をしているか、どんな仕事をしているか、どんな結婚をしているか、でもあなたはこの街で暮らしている。それは15歳のいま決めたことだから・・・」。そのナレーションをバックに田中裕子が夜明けの街を自転車で走る光景が映る。アルバイト先に向かうのだ。山坂に住宅が密集して建っている街。尾道と長崎を連想したが、登場人物に訛りがなく、詮索をあきらめた。舞台は架空の街、見終わってからネット検索でロケ地は長崎と知った。

 アルバイトは牛乳配達。店主(左右田一平)の運転する軽トラに同乗し、そこここに駐車するごとに彼女が小分けした牛乳を持って住宅街の階段を駆け上る。その姿にナレーションがかぶる。狂言回し役のこのナレーターはヒロインの母の女学校時代の友人(渡辺美佐子)。親代わりであり、作家を生業としているらしい。その語りによりヒロインは既に50歳で、独身であることが説明される。

 登場する人々はそれぞれ人生のある時期に思い定めたことに忠実に淡々と生きている人たちだ。ヒロインは「15歳の時にこの街で生きてゆく」と決め、そして「二十歳の頃には一人で生きてゆこう」と決めた。彼女の思い人である男(岸部一徳)は「おれさ、若い頃にさ、決めたんだよ、絶対に平凡に生きてやるって、必死になってそうしてきたんだ」と病妻(仁科亜希子)に語るし、語り部役の「作家のおばさん」もポロリと「あの人、奥さんいたの、子どもも一人。奪ったのよ、わたし。その時、決めたの、ぜったい、看取ってやるって」ともらす。

 「いついつに、こう、心に決めた」と他人に語る時、どうしてもあるていどのウソは混じるだろう。真っ赤なウソということではない。生きてきた過去をふり返ってみると「だいたいあの頃からこうしようと思ったのかもしれないな」ということはあるものだ。それを他人に語ろうとすると「いついつ、こうして生きてゆこうと心に決めた」といいたくなるのだ。しかしそれはたいてい柔らかい決心に過ぎない。その柔らかい決心を固くするものがふつうの日々、つまり日常なのだ。立ち止まって考えるはするが、「もう一度やり直せるとしても、やっぱり同じだよな」と自分に言い聞かせる。そんなところかな、感想は。

 でも面白かった、映画だけあって。親同士の不倫・事故死によって互いの思いを断たれた女(田中)と男(岸部)が、男の妻(仁科)の「願い」によっていま一度の機会をもつことができるというのは、人生の黄昏時にさしかかる世代にとっては「メルヘン」だから。

 見終わっていちばん心に沁みた場面は、市役所に勤める彼が窓口の名称(「みらいのおとな課」というのだ)に立腹した老人とロビーで交わす会話だった。こんなやりとりだ。

 「おいつくですか?」、「85だ」、「あの、50から85までって長いですか?」、「なんだい」、「いま50なんで」、・・・ややあって、「なげーぞ」。

 60からでも長いんだろうな。(9/12/2009)

 自民党のあまりの惨敗ぶりに二大政党体制を心配する声が上がっている。もっともな心配で、かつての社会党が一気に凋落したような道を自民党が辿る可能性は否定できない。では二大政党体制の実現のため、自民党をほんとうに再建するためにはどうしたらよいか。

 これはかなり難しい。難しい問題は正面から解こうとしてはいけない。自民党の再建に何が条件になるかを考えるよりは、何をやったら自民党は完全に崩壊するかを考えたほうが早いかもしれない。

 現在の自民党は三つのグループに分けられるのだという。ひとつが安倍晋三に代表される「右翼イデオロギー命」というグループ。もうひとつが中川秀直に代表される「小泉構造改革の後継者」を自認するグループ。そして三つ目が谷垣禎一に代表されるかつては「保守本流」とも呼ばれた宏池会グループ。

 まず、第一案。安倍晋三に委ねる。つまり自民党凋落の流れを作った張本人に責任をとらせるという案だ。「しっかりと」(彼はこの言葉が好きだったっけ)再建をしてもらうために、いまは党外に出ている平沼赳夫を復党させ、町村信孝やら落選浪人・中川昭一やらと力を合わせて再建する。今回の総選挙の際、麻生が打ち出した唯一のポジティブキャンペーンは「自民党は日の丸と君が代をしっかりと守る保守政党だ」というものだった。この言葉はじつに力強かった。他の言葉に見るべき力強さがなかったせいでもあるが。

 この案の最大の問題点は再建がなったその時から日をおかずして自民党が崩壊するだろうということだ。自民党の失敗はネット右翼というノイジー・マイノリティの声の大きさに幻惑されて、安倍や麻生に人気があると誤解してしまったことにある。それは仕方のないことだったかもしれない。ネット右翼自身がメダカのように群れるうちに、自分たちが多数派だと誤解していたくらいだったのだから。自分の実力を恃みにできないが故に権威に自分を重ねる精神病、それがネットに蝟集するネット右翼だ。寂しく、心細いから、権威にすがりながら強がりのキャッチボールをせざるを得ないのだ。いずれにしても支持基盤をノイジー・マイノリティに頼るようでは、自民党は完全に終わってしまうだろう。

 次に、第二案。谷垣禎一あるいは加藤紘一に委ねる。そもそもの自民党凋落はこのグループに代表格・宮沢喜一に始まったのだからグループとして責任をとらせるという案。自民党の輝かしい歴史はこのグループの働きにより作られたわけだから、この案はいちばん真っ当ではある。しかしこのグループの最大の欠点は理性的であるが故に線が細く、自民党が伝統的にもっているカネや権力に対する意地汚さに欠けることだ。「理性が教えるものは、畢竟、理性の無力」なのだ。天声人語は宮沢を「グッドルーザー」と称えたが、そういうものをホンネで「バカじゃないか」と笑い飛ばしながら、彼らの知性を利用してきたのが自民党という政党であり、それが自民党の強さだった。谷垣や加藤が率いるグループが権力の奪還を達成するには、彼らを内心嗤いながらサポートするような人物が不可欠だが、そういう人物はカネも力もなくなってしまった自民党には近寄らないだろう。

 残るは、第三案。中川秀直に委ねる。自民党の再建は、おそらく、これしかない。中川個人には「覚醒剤をやる愛人問題」というちょっとやそっとではぬぐえないスキャンダルがべったりと貼り付いているから総裁になり得るかという問題が残るが、財界から裏社会まで「善良な庶民を食い物にして甘い汁を吸おう」という輩の期待の星としての自民党をアピールすれば、必ずや自民党は再生できる。この世の中で一番強いのは欲得尽の原理だ。したがってこれがもっとも実現可能性の高い案だといえる。

 もしこの案に欠点があるとすれば、この一派は利権のためなら自民党に見切りをつけることをなんとも思っていない節があるということだ。その代表的な人物をあげれば、誰でもすぐに理解できるだろう。小池百合子、彼女こそ、このグループの特性をよく表している人物だ。

 こうして考えると、自民党の再建は自民党の看板のままではなかなか難しそうだ。(9/11/2009)

 起きるのは4時前後。顔を洗い、用を足し、パソコンに火を入れ、ニューヨークの後場(ニューヨークは東京のように昼休みがないらしいので正確には後場はない)の市況、手持ちの投信の前日の基準価格をチェックするなどして、腹具合が安定するのを待つ。5時前後に家を出る。

 この生活サイクルに入った頃、この時間は既に日は昇り明るかった。最近はまだ日の出前。先週末はきれいな月が西の空に見えたが、けさは雲が出ていたせいか見えなかった。(いや、「臥し待ち」などはとっくに過ぎて「更け待ち」になっているとすると、天頂あたりを探せば見られたのかもしれない・・・と、いまごろ気付く)

 歩き始めるとすぐに一気に街は明るくなってくる。さすがにアマテラス様はたいしたものだ。きょうの日の出は5時20分ぐらいか。バスはまだ動いていないが、もう駅に向かう人。お勤め、学生、・・・いろいろ。夜間工事が終わったばかりらしく照明器具や標識を片付けている人もいる。道路面からはほのかに熱気が伝わってくる。この勤勉な人たちがこの国を支えているのだ。

 これと決めたコースを速歩で歩き終えて、家に戻るのはおおむね6時半。シャワーを浴びて、もう一度パソコンに火を入れてニューヨークの終値を記録。ドル-円、ユーロ-円、豪ドル-円、南アランド-円、トルコリラ-円をざっと眺める。ドルが91円台になった。けさのラジオで生島ヒロシが「円高がとまらない、民主党、どうする」などと騒いでいた。バカバカしい。少なくともきょう現在はドルの独歩安。その証拠に豪ドルは78円50銭まではなかなか行かないし、トルコリラですらやっと61円台まで下がったていど。7月初旬、豪ドルが70円に迫り、トルコリラが60円を割った時、ドルは92円50銭界隈だった。このあたりの感覚をつかむころ、**(家内)から「ご飯」の声、下に降りて朝食。

 食前に安中散を飲むこと以外、ほぼナチュラル・ハイジーン。ここ数日は食後もそのままリビングに居着いて、採りためたビデオを見ている。けさはNHKスペシャル「JAPANデビュー」の第4回、6月末にオンエアされた「軍事同盟」を観た。

 大日本帝国が結んだふたつの軍事同盟の背景と内実、そしてその経過をまとめたもの。ひとつは「日英同盟」、そしてもうひとつは「日独伊三国同盟」。日露戦争の勝利に貢献した日英同盟は1902年に始まり、第一次大戦後の新たな体制の中で1923年に失効した。約20年の命。そして三国同盟は1940年に締結されるが三国それぞれが破綻することにより1945年には「蒸発」した。わずか5年の命だった。番組はいくつかのエピソードを交え、それぞれの軍事同盟の実態について分かりやすく見せていた。大日本帝国を躓かせたものは軍事国家への定向進化だったわけだが、その過程で軍事同盟に対する現実的な理解と問い直しに失敗したことも一因となったことは明らかだ。

 番組を見ながら日米安保のことを考えていた。安保条約は締結から既に半世紀が経とうとしている。占領状態の自動継続を認めた旧安保条約を含めるならばもう少しで還暦を迎える。安保条約が前提とした冷戦がとっくの昔に終わっているのに、怠惰な自民党政権はこの「軍事同盟」の中身を問い直すこともせずに過ごしてきたわけだ。今回の「政権交代」をほんとうのものにするためには安保条約を疑うことから始めなくてはならない。

 この冬、小沢が第七艦隊のプレゼンスについて語った時のこの国の騒ぎを見る限り、未だ日本人はアメリカによる催眠術にかかったままだ。当分の間、現在の「軍事同盟」についてまともな「問い直し」はされないだろう。その状況を「愚かなこの国のありよう」と考えるか、「地理的に恵まれたこの国の必然的状態」と考えるか、にわかには判断できないのもまた事実ではあるけれど。(9/10/2009)

 たまたまつけたテレビに有森也実が映っていた。「はぐれ刑事純情派」、再放送なのか再々放送なのか。ずいぶん前の同じようなミステリー番組でもそうだったが、有森がしばしば演ずるのは絵に描いたような薄幸の女。ふつうなら「はいはい」というだけなのだが、なぜかこの人に限っては観てしまう。きょうもこんな女といっしょになりたかったなどと思いながら、続きを観てしまった。

 特に好きな顔というわけではない。誰かに似ているというわけでもない。強いていえば、有森也実という女優にとって良いことか悪いことかは分からないが、ある特定のパーソナリティをもった役柄を演ずることが多く、彼女が演ずる「そのタイプ」が「好き」なのだ。

 そんなことを考えながら夕方のウォーキングに出た。黒目川の左岸、ジョギング中の人が何人も追い抜いて行く。「・・・マラソンびとがゆきすぎる・・・」だ。五輪真弓の歌が頭の中に鳴った。何人目かが、女性だった。ここを走っている中では少し若い方に属する。細身の体の線がすごくきれい。「おいしそうなお尻だなぁ・・・」、そう思った。

 「色情を懐きて女を見るものは既に心のうち姦淫したるなり」。そんな気持ちはない。第一、彼女、ミスかもしれぬではないか。「もし右の目なんぢを躓かせば抉り出して棄てよ」。だから、つまずいてないって。見たのは両目だし・・・、もっと悪いか。ともかく、勘弁してください、悪うございました。

 ちょっと危ないモードの日というのは確かにある。(9/9/2009)

 鳩山が朝日地球環境フォーラムのスピーチで、温室効果ガス削減の2020年中期目標を「1990年比25%減」としたことが話題になっている。案の定、財界方面からは大ブーイング。「荒唐無稽」と断ずる者(商工会議所副会頭:水越浩士)まで現れた。

 さきほどまでMIXIのこのニュースに対するコメント集を一覧していた。こちらの方は産業界のブーイングどころではない、すさまじい「非難」と「誹謗」の嵐。すぐに気がつくのはこれらのコメントを寄せている連中はじつは温暖化のことについて一家言があって書いているのではないということ。つまり、「どこかで民主党が足を揚げてくれないか」と期待していた連中らしい。タイトルを見るとそのあたりがよく分かる。

 一例だけあげておこう。「民主党支持者と投票した奴は死んでください」。ひどいものだ。(もっとも、オレも「年収一千万にも満たないくせに自民党に投票する奴はアホだ」と日記には書いてきたから、この気持ち、分からないでもない。ただ「世界はオレのものだ。オレの考えと会わない奴はこの世界に生きている価値はない」というのはすごい。まさにテロリストの発想に近い)

 彼らがこのテーマに飛びついた理由は手に取るように分かる。経済・財政のことについてはあるていど知識がないと「とったつもりの揚げ足」で自分がこけるかもしれない。CO2のことも同様に知識がないと書けないのだが「25%削減」と言ってくれたおかげで、これならオレにも書けそうだという気分になったらしい。だからバカ丸出しで書いている、まさに「天醜爛漫」状態。

 思い出すのはマスキー法のこと。自動車の排気ガスによる大気汚染が問題となっていた70年当時、マスキー法の「5年後に一酸化炭素、炭化水素、窒素酸化物を90%削減する」という規定は「荒唐無稽」に思われた。英語で「荒唐無稽」をなんというか知らないが、当時ビッグスリーと言われたGM・フォード・クライスラーはおそらくその言葉を使ってマスキー法を葬り去った。

 アメリカほど広い国土をもたない我が国における排気ガス問題は深刻(光化学スモッグが実際に発生していた)であったから、当時の自民党政府はビッグスリー同様に批判的姿勢をとっていたトヨタ・日産を説得して日本版マスキー法を制定した。

 「荒唐無稽」と言われた規制をクリアする車はできてしまった。いまではマスキー法の悪口を言う者はいない。むしろ技術的努力を回避し、政治的圧力に腐心したビッグスリーの姿勢がその後どのような結果をもたらしたか、そちらの方がよく知られている。

 もうひとつ思い出した。サイモン・ニューカムのこと。彼は立派な天文学者であったらしいが、いまではもっぱら「人間を乗せた飛行機など荒唐無稽だ」と断じた論文を大まじめに書いた頓珍漢な学者バカという評判のほうが確立している。ニューカムさんの大論文もライト兄弟が「荒唐無稽」なはずの「飛行機」を飛ばしてしまったという事実の前にかすんでしまったからだ。つまり現状の技術の延長線を単純に未来に引いても必ずしも未来は見えないということだ。

 卓抜した技術者は「荒唐無稽な課題」を待っているものだ。そのひとつの例を書いておこう。ベル研にいたマービン・ケリーはMITから着任したばかりウィリアム・ショックレーにこう語りかけた。

 「今から十年、二十年後のアメリカの社会を考えてみたことがあるだろうか?
 そして、そのために、ベル研究所は何をしておかなければならないか、君はまだそこまで考えたことはないだろう。
 私は、一つ明らかなことがあると思っている。それは、この広い国土に散って住んでいるたくさんのアメリカ人が、いつでも、どこでも、話を交わすことができる、というシステムは、何よりも重要な存在価値を持つ。そして、その話し合いは、まるで『面と向かって(face to face)』のように明瞭でなければいけない。
 これは、要するに電話のネットワークだ。ところが、この広い国土で、これを達成するには、回路を切り換えるスイッチと、信号の減衰を防ぐ増幅装置が高度の機能を持たなければいけない。
 今私たちが持っているのは真空管だ。しかし、真空管の機能の限界はもう見えている、と私は思う。真空管に頼っていては、いくら技術者が頑張ったところで、とうてい将来の米国に必要な要求は満たされるはずがない。
 そこで、君をベル研究所に引き入れたんだ。
 君にやってほしいのは、真空管をはるかに超える能力を持つ増幅装置を考え出すことだ。
 真空管とまったく異なったものでも良い。いや、異なったものであるほうが良い。新しい原理のデバイスで、革新の芽になるような物を考え出してほしいんだ」

菊池誠「若きエンジニアへの手紙」から

 ショックレーが開発したのがトランジスターだった。いま我々の社会を支えているIC技術はトランジスターというパスを通って開発されたものだ。社会的洞察から設定された「茫漠たる荒唐無稽な課題」こそが、その最初のトリガーとなったわけだ。(ケリーの「意見」はいまから見ると「幼いもの」だが、核心部分は正鵠を得ている)

 こうしてみると漠としてものであっても、的確な社会的洞察に支えられている「目標」の果たす意味は大きいということが分かる。

 それでも「日本だけが達成しても、正直者が馬鹿を見るだけ」という根っからの商売人のみなさまにはこういうアイデアはどうだろう。排出権取引の変形版だ。CO2削減技術をODAの対象とし、受け入れ国で達成された削減量の何%かは援助国の削減量にカウントできるという仕組みの創設だ。この仕組みは技術提供をする国にも技術導入をする国にもメリットをもたらす。「大量にCO2を発生させてのし上がった先進国と同様の規制は不公正だ」という開発途上国にも一定の理解が得られると思う。

 従来の自民党が率いる我が国はこうした国際的な枠組みの構築と提案が苦手であったが、高い目標値を掲げることにより新規の枠組み提案をするニュージャパンは歓迎されると思う。少なくとも成り行き任せで何もせず口先だけで「荒唐無稽」と切って捨てるより、はるかに国益に適うことになるだろう。

 財界を代表したつもりで「荒唐無稽」と断じた水越某は1938年生まれだそうだから今年71歳。2020年には82歳だ。是非ともそれまで生きてもらいたい。そして「荒唐無稽」であったのが鳩山であったか、自分であったかを見極めた上で死んでもらいたい。もし水越の言葉が「荒唐無稽」であったと判明したなら、戒名を「頑迷院荒唐無稽居士」と墓碑に刻んで欲しい。額面通りの目標達成になるか、あるいはこの「荒唐無稽」な目標設定がなければ達成できなかったような予想外の成果が上がっているか、それとも水越の「現実的」予言がそのまま的中するか、楽しみなことだ。

 きょうMIXIにもっぱら民主党攻撃のために揶揄を投げつけた連中・・・。放っておけばいい。彼らは、所詮、宛行扶持に甘んずるほか能のない人々なのだから、いずれコソコソと逃げ出すだろう。(9/8/2009)

 **先生のところで治療を受けてから池袋へ。久しぶりに本屋をぶらぶら。リブロの書店は改装中でイライラさせられるのでジュンク堂へ行く。ジャック・アタリの近刊、蓮池透・太田昌国の「拉致対論」などハードカバー3冊と新書を3冊。この調子で行くと少し余裕のある本棚のやりくりをしなければならない日がすぐ来てしまいそうだ。

 帰りの電車の中で読売新聞政治部による「自民崩壊の300日」を読み始めた。夕方のウォーキングは禁止。一時間半のウォーキングがなくなるとゆっくりできる。すべての日課はストレスに転化してしまうということがよく分かる。一気に読み切った。切れ味の鋭いものではない。どちらかというとこの1年間の日録資料になるかなという感じ。これで税込み1,470円はちょっともったいなかったかもしれない。

 麻生にはいくども解散・総選挙へ舵を切るタイミングがあった。しかし彼はついに最悪のタイミングまでできなかった。つい先ほど読みながら嗤った部分。

 4月23日夜。首相公邸にひそかに麻生の「盟友」たちが集結した。安倍、菅、そして甘利明行政改革相だった。安倍は麻生に「補正予算があがったら、ただちに信を問うべきだ」と進言、補正予算関連法案の成立を待たずして、衆院解散に踏み切るよう求めた。衆院選の公約として、集団的自衛権の見直しを掲げるよう求めたともいう。別の出席者からは、公明党を中心に、与党内では解散を急ぐべきではないという声が強いことも提起された。麻生は解散時期に関して言質を与えず、聞き役に回っていた。
 一部のメディアは中川を加えた4人の名字のアルファベット表記の頭文字から「NASAの会」と名付け、政局を動かす中心集団だと持ち上げたが、結果的には自民党を転落させていく原動力となったのがこの4人、とりわけ、安倍と菅だったという冷ややかな見方は、自民党内に少なくない。
 「5月に解散すべし」「5月は避けるべし」――相反する二つの主張の間で、麻生は主体的な決断ができなかった。結果的に5月解散を見送ったのは、それが得策だと判断したからではない。どちらがいいか迷っているうちに、判断する機会を逸してしまったのだ。安倍や菅たちの声が、その「迷い」を増幅させた。

 「下手の考え休むに似たり」というのが見えるような話で、それぞれの顔を思い浮かべるだに可笑しい。菅義偉はそれなりの人物と思ってきたが、ながく「下手」とばかりつきあうとレベルがそろってしまうのかもしれない。まあ腹痛とアル中と方角音痴がうつらないことを祈っておこう、呵々。(9/7/2009)

 6時からの「時事放談」が見たくて、4時半にウォーキング開始。日の出にはまだ45分ほどあるはずで、さすがにまだ暗い。住宅街はともかく東京病院の敷地内はちょっと具合が悪いかと思ったが、静子さんが入院していた頃は気もしなかったなと思い直して、いつものコース。

 昨夜は十五夜。西の空にかかる満月が東京病院の建屋の真上に見える。ふり返ると、星たちは既に退散して東の空に明けの明星だけがぽつんと輝いている。きのうの朝は辻ごとに立つ交通ミラーが曇り、駐車している車の窓には露が結んでいたが、けさはいくぶん暖かいのか、そんなことない。季節は夏と秋の間を行きつ戻りつしている。

 暗いなかを思った以上にぽつぽつとご同輩が歩いている。年寄りは朝が早い。小児病院の西側にさしかかる頃には明るくなり始め、ふたたび東京病院に戻るともう完璧な夜明け。黒目川遊歩道はもう「朝の賑わい」。15分前には帰宅してシャワーを浴びようとルネまでは行かずに戻ってきた。

 「時事放談」、きょうは藤井裕久と野中広務。なんのかんの言っても野中はやはり自民党員で、今回の総選挙の敗北は悔しいらしく、民主党の選挙公約を繰り返し繰り返し「買収」と批判していたのが印象的だった。知恵者、野中にしてこれでは、知恵のない現自民党首脳がネガティブ・キャンペーンに終始したのは当然だったのかも知れぬ。

 一方、藤井は自民党が言い立てていた「予算の無駄遣いと言っても、会計検査院がいくら頑張っても900億、民主党の言う9兆円の無駄遣いはでたらめ」という話について、「会計検査院はいわば経理屋的な無駄遣いをチェックするだけ、支出項目そのもののムダについてチェックする権限をもっているわけではない」など、日ごろ腹に据えかねていた自民党の「詭弁」についてあれこれと話をしていた。

 民主党つぶしの「謀略」を仕掛けたいとしたら、藤井あたりを「暗殺」するのがいちばん効果的かも知れない。逆に民主党にしてみれば77歳の藤井が元気なうちにあるていどのレールを敷くことが大切。そんな印象を持った。(9/6/2009)

 民主党が勝ったわけではなく自民党が負けたのだというのが多くの人の一致した意見だが、当の自民党にはこのことを理解していない人がまだいるようだ。朝刊から。

見出し:IOC総会への都議団派遣を縮小/「無駄遣い」批判受け

 2016年夏季五輪の開催地を決める国際オリンピック委員会(IOC)総会(10月2日、コペンハーゲン)にあわせ、東京都議が公費で現地に派遣される問題で、都議会は4日、参加者数を15人から10人に減らすことを決めた。1人約100万円の費用に「税金の無駄遣い」との批判が出たためで、民主、公明両党が減らす。一方、自民党は当初予定通りだ。
 現地で東京五輪招致の機運を盛り上げる催しなどに参加するのが目的で、2日に発表された。当初は民主7人、自民5人、公明3人の予定だったが、「費用に都民の理解が得られない」との声が都議からも出たため、民主は4人、公明は1人に減らす。自民は「一度決めた人数を覆すのは都議会の威信にかかわる」などとしている。

 15人がコペンハーゲンに外遊というニュースが流れた時、マスコミは一斉に「民主が勝っても同じ」と批判した。民主党と公明党があっさり減員する中で自民党はテコでも動かないかまえ。

 朝日の書きようはいささかひどいかもしれない。しかし読売の記事でもこうだ。

 公明の中嶋義雄幹事長は「第1会派の民主が減らすなら、3人行く必要はない」としているが、自民の川井重勇幹事長は「派遣は議会運営委員会で決めた議会の総意。議会も招致に取り組んできたのだから最後まで支援するべきだ」と変更する考えはないとしている。

 要するに「一度決めたのだから、それを守ろう」ということ。自民党がいう「責任力のある保守」というのはそのていどのことらしい

 この硬直的な考え方は、16日に招集される特別国会の首班指名で、自民党は誰と書くかという議論にも現れている。次期総裁を選出するまでは麻生太郎が総裁なのだから「麻生」だろうという意見が最初。しかし「戦犯の名前なぞ書けるか」という反発が出るや、こんどは「白紙」投票しようと「政府首脳スジ」が言っていると報ぜられた。もうメチャクチャ。

 そもそも31日未明に「大敗北」が確定したのだから、16日までの半月間に総裁選をセットするくらいのことはやる気さえあればできないことではない。議員数が激減して身軽になったばかりか、総理大臣の椅子もリンクしていない。権力という夾雑物がないのだから、さほど難しいことはあるまい。しかし細田幹事長以下の自民党執行部は18日告示・28日投開票と、まるで「大自民党」意識で日程を決めてしまった。いかにも現実が見えずに相手に勝利を与えた「マンモス政党」らしい話だ。(9/5/2009)

 けさの「天声人語」。政権を失った時の宰相、宮沢喜一を引きつつ、麻生太郎にアドバイスをしている。

 93年の衆院選のあと自民党が下野したとき、宮沢首相を徳川慶喜になぞらえる人がいた。大政を奉還した江戸幕府最後の15代将軍である。宮沢さんも15代の自民党総裁だった▼慶喜はなかなかの人物だったというが、宮沢さんも懐が深かったのだろう。非自民政権が発足した直後に細川首相に会って、親身に助言をした。「バランス感覚を持つ賢人から機会をいただいて本当にうれしかった」と細川氏は当時を振り返っている▼宮沢さんらしいグッドルーザー(良き敗者)ぶりといえる。ひるがえって麻生さんはどうだろう。

 筆者は数日前の麻生の醜態をあげ、せめて・・・と書いている。

 選挙後初めての「ぶらさがり取材」の様子をテレビが伝えていた。露骨な苛立ちを記者団にぶつける日本の首相は、悲しいが「良き敗者」の像からずいぶん遠い▼それは、メディアを通して、国民に悪態をつくことでもある。いささかひどいと思ったのか、「ノーカットで流します」と報じる局もあった。党の負った深い傷に、総裁自ら塩をすり込んでいるようなものだ

 長くサラリーマン生活を送ってきた。さしたる出世もせず凡庸であったので、ありがたいことに冷遇されることもなかったし、左遷されることもなかった。だから身のうちの心のざわめきはあっても外に出るほどのことはなかった。ただ、優秀であったり、野心的である人々のふるまいはいくつも見てきた。

 冷遇、左遷のときに、かなりの人の本性が現れる。処遇に恬淡としていた人もごくごくわずかながら記憶にあるが、現れるはずのものを懸命に堪えている人を何人も見た。そういう人は眼のいい人か、本を読んでいる人だった。他人の振る舞いを見て記憶できるか、小説、史書などで逆風の時に心のままに荒れることのみっともなさを擬似的に見ているか、・・・そんな感じだ。

 「天声人語」は次のように結んでいる。

 徳川慶喜に話を戻せば、明治政府成立の最大の功績者という見方がある。その意味で麻生さんの名も歴史に残る。とはいえまだ現役総理で、引き継ぎの任もある。「自民党最後の首相」と史書に刻まれないために、なすべきこと、なすべきでないことは、ご本人が一番承知のはずである。

 マンガにもいろいろある。それをどれほど深く読み込んでいるか、マンガ宰相のこれから半月のふるまいでそれが知れる。(9/4/2009)

 新政権に対しては「最初の100日はハネムーン」ということがよくいわれるが、ここ数日のマスコミの報じ方を見ていると我が国にはこのハネムーンはないようだ。

 いちばん滑稽だったのはニューヨーク・タイムスに載った鳩山の「論文」に対する我がマスコミの「反応」だ。ほとんどの人が誤解しているようだが、件の「論文」は先月発売の「Voice」9月号に掲載された「私の政治哲学:祖父・一郎に学んだ『友愛』という戦いの旗印」の部分訳なのだそうだ。

 いつもなら立ち読みする価値を認めない雑誌だが、鳩山の「論文」だけはざっと斜め読みをした。鳩山由紀夫の祖父・一郎はフリーメイソンの会員だった。それについての言及があるかなという興味だけのことだった。あまりじっくり読んだわけではないがフリーメイソンへの言及はなかった。「これは、手もとに・・・」と思わせるほどの目新しい内容のものでもなかったし、もともと本棚に置くほどのレベル雑誌ではない。それでも、こんな騒ぎになるのなら「資料」として「次期総理の潜在的可能性」を評価して買っておけばよかったかとちょっぴり後悔した。(鳩山もどうせのことなら、わざわざ「日陰の雑誌」など選ばずにせいぜい「文春」くらいにしておけばよかったのに)

 ところがニューヨーク・タイムスがこれを取り上げたとたんに、鳩山論文は日米両国のマスコミの注目の的になった。ただその注目のされ方がいかにも可笑しい。彼の国のマスコミ論調は鳩山論文の全文を読んでいるとは思えないというのが不思議。部分だけを取り上げ、そこに反応して励起状態に陥る、典型的なヒステリー状態。極端に言えばイラク戦争前の状態に似ている。冷静に材料を集めて総合的に判断する伝統は失われたままで、ついにアメリカ社会には戻っていないらしい。

 我が国のマスコミはもともと「逆輸入」に弱い。自分たちの能力に自信がないから欧米での評判に自分を同調させる。アメリカの興奮状態をそのまま報じて、全マスコミがそろいもそろって同じ興奮に達しているようだ。

 「民主党さんの思うとおりにはさせないぜ」と宣言したサンケイ新聞などはさっそく茶坊主・岡本行夫に「アメリカ様のご機嫌を損ねたら日本はどうなる」という論旨の駄文を書かせた由。「アメリカとうまくやっていれば自動的に世界とうまくやってゆける」というのが戦後の我が外務省の考え方。そこに一度でも籍を置くと、こんな愚かな視野狭窄が身につくのだろう。

 先日、中国がワシントンに大外交団を送り込んだ。オバマ政権はこの外交団を下にも置かぬ扱いで接遇にあたった。その一因は中国がいまや世界一の米国債引き受け国であるからだという。我が国も岡本が外務省にいた頃には世界一の米国債引き受け国であった。しかしあのような接遇を受けるどころか、逆に「日米構造協議」などで国内問題についてあれこれの注文をつけられ、それにヘイヘイ従うという扱いに甘んじ、やっと橋本龍太郎が訪米時のスピーチで「米国債を売りたい誘惑に駆られる」とジョーク・ネタにするのがせいぜいのことだった。岡本に代表される茶坊主どもをのさばらせてきたのは自民党であり、いつも「アメリカ様の顔」をうかがってきた売国右翼(なんという形容矛盾)マスコミだった。(もっとも、最近は朝日も毎日も五十歩百歩になったようだが)

 なお鳩山の論文は彼のホームページに掲載されていると「きっこのブログ」で知った。掲載誌を取り寄せようかと思ったが680円をドブに捨てずにすんだ、まことにありがたい。(9/3/2009)

 けさのウォーキングは**先生にとめられ、きょうは夕方一回のみ。バス停脇にきのうまで見かけた選挙看板が撤去されていた。小選挙区制になってからは一つの看板に貼られたポスターのうち当選者はただ一枚。比例復活当選などというわけの分からない当選者がいれば目障りだが、ここにも隣の選挙区にも死に損ないのゾンビはいない。感情移入をするせいか、ただ一枚の当選者ポスターを除く残りのポスターは寂しそうだった。

 その他に麻生の「日本を守る、責任力」と太田の「生活を守り抜く」とが街角のそこここに貼ってある。鳩山の「政権交代」ポスターはあまり見かけない。鳩山が真っ正面からこちらを正視している(は虫類を連想させる眼、ロンパリなのがわずかに救い)のに対し、麻生は斜め上を見ているし、太田は語りかける風でありながら視線はポスターを見る者に向いていない。視線をそらせている。

 ・・・両手を取り真っ正面から「お母さんをちゃんと見て」と言われて、視線をあわせると「ほんとうのことを言ってごらん」とくる・・・、あれがない。人間、眼と眼をあわせるとなかなかウソはつけないものだ。麻生も、太田も、本能的に視線をそらせてしまったのだろう。

§

 サンケイ新聞の社会部が開設したひとくちブログ「ツイッター」の書き込みが話題になっている。ここに彼の新聞の社会部記者が投票日にこんな書き込みを行った由。

帰宅なう/1:33 PM Aug 30th webで

産経新聞が初めて下野なう/1:34 PM Aug 30th webで

でも、民主党さんの思うとおりにはさせないぜ。これからが、産経新聞の真価を発揮するところ。/1:36 PM Aug 30th webで

乞うご期待、ということで、13日間に渡った本ツイッターはこれにて終了させていただきます。ごフォローありがとうございました。またアレします。/1:41 PM Aug 30th webで

 「こんなことを産経新聞社会部のIDで書いていいのか」という指摘が相次いで、サンケイ新聞はあわてて「下記の発言について、たくさんの厳しいご意見をいただきました。軽率な発言だったと反省しています。ご不快の念を抱かれた方には、お詫び申し上げます」、「産経新聞は、保守系の『正論路線』を基調とする新聞です。発言は、新政権を担う民主党に対し、これまで自民党政権に対してもそうであったように、社会部として是々非々の立場でのぞみたいという意思表示のつもりでした」と書き込んだ。さらには「これまで同様に客観的な事実に基づき、中立的な立場に立った上で、公正な報道をするよう、さらなる努力をしていきます」とも書いた。

 かねてからサンケイ新聞の国語力の低さには定評があったが、「産経新聞が初めて下野」という表現にはその面目躍如たるものがある。「下野」というのは官尊民卑の時代に官職に就いていた「偉いお役人」がその職を辞して民間にくだることをいった。サンケイ新聞は「官製・御用新聞のような新聞」として定評があったあるいはあることは確かだが、国営であったわけではないし、格別「偉い」、「尊敬に値する」新聞と目されていたことはないし、そうみなされているわけでもない。逆に「保守」・「正論」などと自称するがために、本来の保守主義者は迷惑し、正論という言葉が揶揄の意味を持たされるようになったくらいのイエロー・ペーパーだ。

 保守というなら「人には分際というものがある」ことぐらいの理解はあろう。保守的に言えば、新聞社という「法人」にも分際がある。サンケイ新聞さんよ、おまえのような分際の新聞社が「客観的な事実に基づき、中立的な立場に立った上で、公正な報道をする」などという真っ当なことができるとは、サンケイ購読者以外、誰も考えておらぬ。だから、せいぜい「未帰還兵スクープ」のようなインチキ記事で、その「真価を発揮してもらいたい」。

 ただ、それにしても、サンケイ新聞は、この「勇ましい記者」(東京本社社会部所属の池田証志-「笑止」の誤植ではないか-という記者らしい)を含めて、従業員に日本語の再教育をした方がいい。いつぞや間違いを指摘したときの回答メールは「てにをは」がなっていなかったし、電話対応窓口担当者の敬語の使い方も惨憺たるものだった。もっとも呉智英によれば、校閲部長(呉の名指しによれば「塩原経央」という名前)からしてまともな日本語の素養がないということだったから、講師は社外から招いた方がいい。国語も使いこなせぬ新聞社など新聞社ではない。(確かにその通りの「新聞」だが、呵々)(9/2/2009)

呉智英の歯に衣着せぬ「批判」に手を焼いたサンケイ新聞は、呉に雑文の執筆を依頼し、懐柔したとか。
おいらにも、なにか書かせて、原稿料、ちょうだい(大嗤い)

 防災記念日。「浮かぬ顔」というのがどんな顔をいうのか、防災訓練に臨むユニフォーム姿の麻生の表情がそれだった。心ここにあらずというと気の毒だが「権力意思」というか「権力の座にある」ということだけが唯一の「重し」だったような男だから、どこかにふわふわと飛んでいきそうな頼りなさが体中から染み出ているようで可哀想だった。こんな男を総裁に選んだ時点で自民党は終わっていたんだなぁとつくづく思った。

 同じように「浮かぬ顔」でニュースに登場したのが野田聖子。消費者庁がきょうスタートとかで、バタバタと選任した官僚出身の朝刊とふたりで看板の除幕式をやった。当初予定では年末の発足だったのを麻生の督励で今月に繰り上げた由。なにやら思惑があったのだろうが外れたようだ。

 一方、G20が週末にロンドンで開催される予定なのだが与謝野財務・金融担当相は欠席すると言い出した。あさってからニューデリーで開催予定のWTOの非公式閣僚会合、こちらも石破農水相、二階経産相、そろって欠席を宣言した。一部には「IMFへ1,000億ドル拠出することを宣言してあるから、閣僚が行くまでもない」とか、「本会議に向けての非公式会議、事務的作業手順の話に過ぎない」という声がある由。「事務的作業手順」ならば「非公式」とはいえ「閣僚」の名を冠することはあるまい。

 自民党は選挙中しきりに「責任力」と言ったではないか。負けたらとたんに「体調が不良」、「政権交代もあり出席は不適切」などと在任中にもかかわらず、国際会議に穴をあけることが自民党が盛んに宣伝した「責任力」なのか。選挙期間中のあれは、漢字が読めないバカ宰相が「無責任力」を読み誤っていたのか。あり得ないこともないかもしれぬ、バカ総理は都議選の応援演説で「惜敗を期して」とぶち、満座の失笑を買ったこともあったそうだから。

§

 きのう書き忘れたこと。幸福実現党は小選挙区はもちろん比例でもダメだった。得票率はどれほど多いブロックでも1%に及ばなかった。当たり前のことを記録したいのではない。小選挙区で288名比例単独で49名の候補者を立てながら、この得票率ということは供託金は没収になるということ。現在の供託金は小選挙区300万、比例600万(ただし重複立候補は300万)ということだから総額11億5,800万円。その他に公費でまかなわれるはずの選挙資金(葉書代・ポスター作成費・選挙カーのレンタル費・燃料代など)も自己負担になる。「北朝鮮のミサイルをUターン」させるよりは、無謀な全国規模立候補決断をUターンしておけばよかったようだ。

 公安関係者は当分の間、幸福の科学の動向についてウォッチするに違いない。あのオウム真理教は90年の総選挙に全員落選した頃から「気が狂い」はじめたのだから。(オウムの場合、立候補者は25名だったそうだから、没収になった供託金は7,500万円ていどか?)(9/1/2009)

 夜半から雨音。お昼にかけては風も。台風11号が関東に接近しつつある由。自民党と公明党の関係者は「きのう、この台風接近があればよかったのに」と地団駄を踏んでいるのではないか。

 投票率は69.28%、この小選挙区比例代表制が始まってから最高になった。結果は下表の通りで「すさまじい」ものだった。ひとくちに言えば自民党は三分の一になり、民主党は三倍になった。そして、都議選の折は自民党の惨敗の脇でちゃっかり全員当選を果たした公明党は比例で議席を確保したものの、小選挙区は全滅。「大物が幾人か落選したら、どれほど痛快か」と書いたが、それは現実となった。太田代表、北川幹事長、冬柴前幹事長が枕を並べて討ち死に。選挙上手といわれた公明党の面影も自民党同様に消し飛んでしまった。あえて書こう、「公明党、創価学会よ、仏罰にあたったのだ」と。

  解散時 小選挙区 比例区
小計 小計 復活(内数)
民主 115 308 107 43 71 221 6 9 72 87 43
自民  300 119 61 0 3 64 53 0 2 55 46
公明 31 21 0 0 0 0 19 1 1 21 0
共産 9 9 0 0 0 0 8 0 1 9 3
社民 7 7 3 0 0 3 1 0 3 4 3
みんな 4 5 2 0 0 2 1 0 2 3 2
国民新党 4 3 2 1 0 3 0 0 0 0 0
日本新党 0 1 0 0 1 1  0 0 0 0 0
大地 1 1 1 0 0 1 0
改革 1  0  0 0 0 0 0 0 0 0 0
諸派 0  0 0  0 0 0 0 0 0 0 0
無所属 6 6 2 2 2 6
478 480 177 46 77 300 89 10 81 180 97

 自民党の落選議員はさぞや面白くなかろう。「逆風」の原因となった政権投げ出し宰相・安倍、そして福田、政権しがみつき宰相・麻生、さらにはその遠因である「自民党をぶっ壊す」宣言の小泉のジュニアはしっかり当選している(福田が辛勝だった以外はゆうゆうの勝利)のだから。なんでおまえたちの不始末のツケをオレが払うんだと思っているに違いない。もっともそれは「人気がある」とか、「選挙の顔にできそう」とか皮相な判断でトップを選んだ自分たちの「責任力」(なんど聞いても嗤わせる言葉だ)に原因があるわけだが。

 民主党は勝ったわけではない。自民党が負けただけ。民主党にとって辛いところは、来年夏に参院選が待っていることだ。つまり2010年度予算編成の手際がどうか、その一回で最初の評価をされるということ。ほとんどの国民は新米・民主党の技量を疑い不安感をもっている。それでも民主党に投票したのは自民党の4年間で眼前に現れた現実がそれ以上に不安なものだったからだ。

 だから、民主党よ、憶えておけ、彼らは待ってくれないぞ。一つでも二つでも「オッ、やるじゃないか」というものを積み上げなければ、すぐに捨てられる。なぜなら今回の得票は「アナウンスされた政策」を評価してのものではないからだ。

 あえて民主党にとっての好材料をあげるならば、自民党が行った「財源」攻撃が思いのほか浸透しているために、ほとんどの国民が「財源の手当」に対して「できるかな?」という疑いをもっていること。これが逆に民主党のアドバンテージなのだ。来年4月からの「子ども手当50%支給」、これを何が何でも実現する。最初はその程度でいいだろう。「扶養控除」と「配偶者控除」の件が具体的に体感されるのは、来年の年末調整だ。その時には参院選は終わっている。

 だいたい自民党もアホなのだ。「子ども手当」をもらうならば、その子どもに関する「扶養控除」がなくなるのは当たり前のことでとやかくいう話ではない。子どもを理由に補助をもらいながら、子どもを理由に税金をまけてもらう話はない。よほどのバカでもそれくらいは分かる。

 問題は子ども以外の「扶養者」にある。たとえば「老親」とか「障碍者」に関する「控除」だが、幸い自民党が「介護保険」給付と「障害者自立支援」できわめて冷たい政策をやってくれたので、少しばかりこれに配慮すればトレードオフ感は簡単に出せる。

 「配偶者控除」については少子化対策と絡めれば説明は可能だろう。「子ども手当」のおかげで子供を作ってくれる世帯が増えれば、子どもをもたない世帯も将来的には恩恵を受けるのだ。なぜなら年金が賦課方式である限り、将来の「年金」の担い手が多いことは誰にとってもメリットになるからだ。

 要するに「冷たい新自由主義」に「暖かい互助主義」を対置させればよい。「なんでも『自己責任』という冷たい社会をお望みですか」、これだ。自民党とその支持勢力をさりげなく「冷血動物」のイメージをかぶせ、小泉時代のはやり言葉「抵抗勢力」のように使えばよろしい。小泉ぐらいの「あくどさ」がなくては自民党と互角に戦うことはできない。小泉手法は大衆社会における「政治手法」そのものだ。せいぜいガンバレ、民主党。もしも選挙民が「小泉手法の底の浅さ」に気がつけば、それがいちばんいいのだが、所詮、衆愚政治は一朝一夕には変わるまい。(8/31/2009)

 早く寝すぎたせいだろう、2時半に目が覚めた。小用をすませて床に戻ってもなかなか寝付けない。いつでも昼寝をすればいいのだからと起きてPCに火を入れた。

 北朝鮮も検察庁も頼りにできなくなった自民党はついに究極のネガティブキャンペーンに手を染めた。本気も本気、ちょっとした右翼街宣車のイメージだ。美濃部と秦野が都知事の座を争った選挙戦で、雇われ右翼が「都庁に赤旗を立てるな」とヒステリックに叫びまわった・・・、あれに似ている。ダウンロードしておいた「怪文書」を眺めつつ、そう思った。

 新聞各紙や週刊誌の調査で「民主党300議席超の見通し」などという話を聞いても信じる気にはなれなかった。しかしこの「怪文書」を見て、民主300議席という話、まんざら根拠のない話ではないのかもしれないと思い直した。選挙のプロたちの判断では、自民党はかなりの確度で相当の議席を失うという予測が出ているのかもしれない。だから、もうなりふりなどかまっていられなくなったのだろう。

 「逆風」だと言っていた。まだ確定したわけではないが、もし自民党が敗北を喫するとしたら、そのときが「試される時」なのだと自民党幹部は考えていないのだろうか。何が試されるのか?

 大はやりの「品格」が「試される」のだ。個人であれ、組織であれ、「負けっぷり」は大切だ。
こんななりふりかまわないやり方をした時点で、自民党はじつは「もう、負けている」のだ。

 まあ、それでも勝負事は下駄を履くまで分からない。選挙は水物ともいう。なにより選挙民も冷静になればリスクというものに思い当たる。政権を担当したことのない政党が頼りになるかと思えば「待てよ」と思わないでもないだろう。そういう人がどれだけ出るか、自民党の最後の頼みは「それ」だ。この「怪文書」が「それ」に訴えるか、それとも「アーア、こんなことしか思いつかないのでは、こりゃダメだ」と思わせてしまうか。だが「失うものは鉄鎖のみ」という心境の人々がいるとしたら、「リスク、ウェルカムだ、これ以上は悪くなりようがないんだも」というだろう。

 さきほど、出勤日の廣枝と投票に行ってきた。自民・公明の大敗北、ただし、民主党単体は300には届かず、それくらいの結果がいいのだが、そんな思惑がとんでもない結果になってはと思い、予定どおりホンネでは100%の支持というわけではない民主党に入れてきた。

 さて今晩が楽しみだ。(8/30/2009)

 三回忌の仙台行きがあり、帰ってきてからも整体の**先生に「きょうとあしたはやめてください」と言われたため中断していたウォーキングを一週間ぶりに再開。早朝に90分、夕方に90分。まだ以前のような速歩ではない。散歩よりはかなり早く、セカセカ歩きていど。

 連続して5日間、数千歩止まりだと、やはり何となくからだが重い。計ってみると、しっかり73キロ台まで戻っている。一週間の移動平均は前週の値が貢献して少しずつは減っているが、来週は少しイライラさせられそうだ。

 散歩コースは病院街が半分、黒目川沿いの遊歩道が半分なので、がなり立てる選挙カーは、早朝は当然として、夕方もめったに見ない。先週、都営アパートの真ん前で自民党の木原誠二の選挙カーが演説をしているのにでくわした。本人はおらず、清瀬だか東久留米だかの自民党市議が、誰も顔を出さないアパートに向かってかなり音量を上げて(不安とボリュームは比例するものらしい)演説らしきものをやっていた。この選挙における自民党の慣例通り、もっぱら民主党へのネガティブキャンペーン。(もう自民党には昔日の「政権与党」としての面影はない。SMAPの名前でいかにもの「意見広告」を出したり、「怪文書」まで配布し出したというから「貧すれば鈍する」とはこのことか)

 歩きながらちょいと選挙カーに顔を向けると演説を止めて、「アッ、・・・」と声を上げた。「応援、ありがとうございます」と言いたかったのだろうが、その前にこちらが両手を顔の前でクロスさせ×マークを作ってやると絶句してしまった。リズムをとって何度か左の手に右の手をぶつけて×マークを強調すると、完全に言葉を失ってしまった。演説を続けようとするのだが言葉が出て来ないらしい。なんとか頑張って「・・・エー、木原誠二を・・・」というが話の接ぎ穂がとれない。酸素が足りない金魚のように口をパクパクさせるのが可笑しい。もう一度、「・・・エー、自民党の・・・」、かわいそうなくらいの狼狽ぶりをおおいに嗤ってやった。人の好さそうな自民党市議は、おそらく、住民からむき出しの「敵意」だとか「憎悪」だとか「侮蔑」だとかを示されたことなどかつてなかったのだろう。

 憶えておけ、自民党よ、選挙民は4年前、ある種の期待を込めて「改革の痛みに耐えてみよう」と「自虐的な選択」をした。小泉や竹中が「悪平等ではなく、額に汗する人が報われる政治」というその言葉に騙されたのだ。よく考えれば、その当時でも、報われるのは単純に「額に汗する人」などでないことくらいははっきりしていたのだが・・・。

 自民党に投票した人々、いや、「庶民」はどのように報われたか。「いまここにある『危機』」がその答えだ。派遣に身を落とされ不安定な生活を強いられた人々が出たのは去年までの話。いまや正社員までが、いつリストラされ、非正規雇用の身の上になるかわからないとビクビクしている。なにしろ失業率は過去最悪の5.7%だ。正規雇用者にしても一割から二割の給与・ボーナスカットは当たり前。失われた十年が終わって「最長の好景気」ともてはやされても、小泉構造改革以来、給与は一貫して右肩下がりだ。リストラによる人員削減の結果、残業時間は右肩上がりなのに。

 参考までに書けば、「額に汗」と連呼していた竹中平蔵が人材派遣会社大手のパソナの会長になったことがおとといの朝刊に報ぜられていた。これが「自民党政治」なのだ。「敵意」をもたれ、「憎悪」され、かつ「侮蔑」されても文句を言ってはいけない。既にかなりの人々がプライドをズタズタにされ離職を迫られ、休日出勤に精神状態を病む一歩手前。こういう事態の責任のすべてとはいわない、だが、幾ばくかは竹中と「責任力」の政党(嗤わせる)自民党にある。

 たしかにオレは直接の恨みをもっているわけではない。怠け者ゆえ、最初から60歳でリタイアするつもりだった。つまり定年延長の望みを無理やり絶たれたわけではない。むしろ預金の利息は20%課税なのに、株と投信の配当とキャピタル・ゲインは10%課税という「金持ち優遇策」は、けっして豊かとはいえないが投資でなんとか先々の暮らしを立てようという我が家にとってはありがたい限りだ。しかし小泉や竹中のような冷血動物には理解しがたいだろうが、普通の人間には「義憤」というものがある。少なくともオレは「会社は株主のもの」と主張して正当な労働分配を歪め、勤勉に額に汗して働く人々の上前をはねるようなやり方には腹が立つ。居心地が悪い。

 あした、選挙民が総意として自民党と公明党に「恩返し」をすることを期待している。奴らに「痛み」を引き受けさせる、これが「恩返し」だ。こんどは奴らが「痛み」に耐える番だ。(8/29/2009)

 矢野絢也の「黒い手帳」を読んでいる。この本で矢野は公明党がいかに権力を渇望しているかということとともに自民党が公明党と組むことによってどれほど選挙に弱くなったかを書いている。

 選挙協力は年々、緊密になり、自民党候補の選挙事務所に公明党議員や学会員の姿を見ることも珍しくなくなったと聞いた。そこでは、もともとの支援者たちが隅に追いやられ、長年選挙に関わってきた学会の幹部会員が、「そんなやり方で本当に選挙で勝てると思っているのか」などと叱咤激励するシーンも見られたそうだ。
 実際に私が耳にした話を紹介しよう。二〇〇七(平成一九)年七月の参議院議員選挙――。
 私の知人がある自民党候補者の選挙事務所を訪ねて、愕然としたと話していた。自民党の先生を応援しているその人によれば、昔なら地元の名士や農協職員、町内会の会長さんといった伝統的な自民党支持者が活動を仕切っていたのだが、このとき、そういう人たちは片隅で小さくなっていた。
 代わって存在感を示していたのは、公明党の議員や学会のお偉方、学会員さんたちだった。彼らは活発なもので、「比例区の票、公明党に頼むよ!」などと露骨な会話が公然と交わされていた。
 ・・・(中略)・・・
 選挙協力の見返りに、自民党の候補者は、学会から後援会名簿の提出まで求められた。件の知人の話でも、訪れた選挙事務所では、学会関係者がひそひそ声で、「後援会名簿をもらいたい」と相談していたそうだ。選挙事務長は、憮然とした表情でその話を聞き、自民党系の支持者たちは、居心地悪そうに俯いて座っていたらしい。
 候補者も伝統的な支援者も、さすがにいい気分はしないだろうが、学会票をぶらさげられると、拒否できない。おまけに学会員による、まさに痒いところまで手が届く、手厚い支援を受ければ、いやおうなく学会依存は強まっていく。
 自民党単独で選挙戦を闘うのに比べれば、格段に候補者は楽だ。だが、それゆえに、ややもすると、厳しい状況のなかで遭いずり回って一票一票を積み重ねるという足腰を鍛える努力を失っていくことになりかねない。「学会票は麻薬だ」という声もある。実際、学会票頼りで足腰が弱くなり、もともとあった基礎票を減らしている自民党議員が少なからずいるようだ。

 ここで学会というのはいうまでもなく「創価学会」。

 矢野によると去年の福田の突然の辞任は公明党の「福田下ろし」工作の結果だという。単純にいえば、頓挫した「大連立構想」には公明党との連立解消が含まれており、これが公明党の根強い反発につながったということ。福田は民主党の審議引き延ばしや拒否にあったことを理由にして、解散は麻生がやれといって辞任したわけだが、よく考えれば民主党の抵抗はその一年前の参院選の勝利以降、恒常的なものであったし、解散・総選挙などわざわざ自分以外の者に託するのも不自然な話だ。

 公明党の嫌がらせが原因と考えれば、解散・総選挙を「麻生くん、君、やってくれ」というロジックもうなずける。「僕では公明党の全幅の協力が得られそうもないから、誰か別の人間が総理として解散・総選挙をすれば、うまくゆくだろう」というわけだ。

 「黒い手帳」の出版は今年の春のことだった。本屋に行くたびに探すのだが書棚にはない。島田裕巳の「創価学会」もどういうわけかジュンク堂でも見あたらない。AMAZONでやっと入手できた。注文のついでにレビューを読むと何人かが「一般の書店ではなかなか入手できない状況にある」と書いている。学会関係者の暗躍があるのかもしれない。

 どうやら創価学会の陰湿な体質はかつての言論出版妨害事件で改まるどころか、逆によりいっそう悪質化しているようだ。太田昭宏が少し異常なほどに自民党の売り込みを図るのはそのせいか。公明党が権力を失うことを恐れているのは、自民党共々、証人喚問などにより隠しに隠した「組織犯罪」の数々が露見するからなのだろう。

 公明党の大物議員が幾人か落選したら、どんなに痛快だろうと想像する。投票率が高くなれば、学会票の力は低下する。かつて森喜朗は「選挙民が寝ていてくれればいい」と言った。まさに低投票率、民主主義の停滞こそが、自民・公明という「悪のタッグ」の望みなのだ。あさっての天気が気になる。(8/28/2009)

 Googleのバナーによると、きょうは宮沢賢治の誕生日。そして**(祖父)さんと**(母)さんの命日。***の本家の**さんもこの日だとおとといの墓参りで知った。

§

 夕刊に柔道世界選手権女子48キロ級で福見友子が優勝した。

 世渡り上手のキャッチフレーズおばさん(最近では本職よりも自己PRの方がタクミとのウワサ)に、いくたびも行く手を遮られ続けた悲運の選手。

【ロッテルダム(オランダ)=永田篤史】柔道の世界選手権女子48キロ級で、五輪、世界選手権を通じて初出場の福見友子(了徳寺学園職)が新女王の座に就いた。第一人者の谷亮子(トヨタ自動車)が不在の大会で、大きな勝利を挙げた。
 立って良し、寝て良し。足技も器用にこなし、1ポイントも失わずに全5戦に勝利。万能型の24歳が真価を発揮した。北京五輪金のドゥミトル(ルーマニア)と対戦した準決勝は常に組み勝ち、相手が前に出たところを小外刈りで返し、一本勝ちした。
 ブランコ(スペイン)に勝った決勝も危なげなかったが、全日本女子の園田隆二監督はあえて苦言を呈した。「ポイントをリードした終盤で逃げるような試合運びになった。(谷)亮子ならあんな試合はしない」。本人も「最後ちょっと気持ちが逃げる部分があった」と反省しつつ、「次につながるものと思ってがんばる」と前向きに話した。
 来年9月の世界選手権は東京で開催される。今年10月に第2子を出産予定の谷も代表入りを目指し、来春の最終選考会で戦線に復帰してくると予想される。今大会前の世界ランクで3位の山岸絵美(三井住友海上)もいる。谷がいてもいなくても、ハイレベルな女子48キロ級。引き続き日本女子柔道の金看板となりそうだ。

 園田という監督には記憶力がないのだろうか。「ママでも金」というキャッチフレーズで「負けても代表」の座を射止めたナントカリョウコとかいう選手が北京オリンピック準決勝で敗退したときのぶざまな負け方を忘れたのか。それを承知で「亮子ならあんな試合はしない」などとコメントしたのだろうか。それとも「負けても代表」にした柔道連盟の不明を隠蔽するための発言か。

 もともと柔道になんぞ興味はない。だから塩見友子という選手についても「谷亮子を二度まで倒した選手」ということしか知らない。だが谷亮子がマスコミアピールだけの(アテネの時は会社に「応援団」のおねだりまでしたマスコミ巧者)目障りなロートルになりつつあることは知っている。

 だから、塩見には「老害選手」を完膚無きまでに打ちのめしてもらいたい。さもないとこの国の柔道は「実績重視」などという世迷い言でますます弱くなってしまう。ガンバレ、福見。ガンバレ、女子48キロ級の若手。「ガン細胞」を葬り去れ。(8/27/2009)

 ポストに幸福実現党のPRペーパーが入っていた。都会ならばわかる。それなりの人間が集まれば、ある一定の確率でとてつもないお利口さんも、とてつもないおバカさんも存在するものだ。だが、こんな田舎の限られた人口を母集団として、幸福の科学なんぞにイカれるおバカさんが、各戸配布するに必要な人数もいるとは思えない。

 とすれば、このペーパーはアルバイトに配らせたのだろう。過疎地まで含めた全国津々浦々にまで、これを配布するカネはどれほどになるだろう。いったい幸福の科学の資金力はどのていどのものなのか。真っ当な手段を用いて自力で集めて、これに見合うだけのカネが集まるはずはない。オウム真理教のような経済活動をしているとも思えない幸福の科学が、そのカネを誰からもらっているのか。なにかそうとうのバックがなくてはこれはできない。薄気味悪い。

 しかしそれは一瞬のことだった。ペーパーを呼んだとたんに、大嗤いしたからだ。大衆をつるにはこのていどの書き方がいいのかもしれない。書き写しておく。

【表】
貧乏になりたかったら:消費税12%:自民党
核ミサイルで死にたかったら:北朝鮮と「友愛」:民主党
生命を守り、豊かになりたかったら:消費税ゼロ、核ミサイル阻止:幸福実現党

1. 大減税による消費景気で、日本を元気にします。
消費税、相続税、贈与税を全廃します。
3年以内に所得税、法人税を引き下げ、低税率の一律課税とします。
年率3%の経済成長を果たし、日経平均株価を2万円台に乗せます。
2. 北朝鮮のミサイルから、国民の生命を守ります。
北朝鮮が核ミサイルを日本に打ち込む姿勢を明確にした場合、ミサイル基地を攻撃します。
憲法9条を改正し、国民の生命・安全・財産を守ります。
3. 2030年に3億人国家と、GDP世界一を実現します。
少子化の原因の「住宅」「教育」「交通」のボトルネックを解消します。
海外からの移民を積極的に受け入れます。
この過程で、年金問題や財政赤字を解消できます。
【裏】
幸福実現党の未来ビジョン
2010年 消費税・相続税など全廃で、3%以上の経済成長、株価2万円台。
2012年 所得税・法人税も減税。
2014年 憲法改正し、国防権明記。/規制緩和で安く広い住宅を大量供給。
2015年 子供3人以上の家庭が標準的に。出生率急上昇。
2016年 東京~大阪間のリニア鉄道開通。東京が経済・金融・文化の中枢に。
2018年 宇宙航空便が開発され、日本~ニューヨーク間が2時間で結ばれる。
2019年 全国の主要都市を結ぶリニア鉄道が次々と開通。
2030年 日本の人口が3億人に。GDP(国内総生産)世界一。
      (この過程で年金問題、財政赤字を克服)
2030年代 中国・北朝鮮の自由化・民主化後、ユーラシア大陸一周のリニア鉄道の建設開始。
(想定される年数は大まかな目安)

 「未来ビジョン」というのが特に愉快だ。2014年までの文章はなんとなく「幸福実現党はこうします」という風に書いてあるのだが、2015年からあとの記述は未来予測のような書き方になっている。こんなたのしい未来が待っているよとでも言いたいのだろうか。そして極めつけが末尾の括弧書き。「想定される年数は大まかな目安」ときた。大川隆法の誇大妄想狂は病膏肓に入るところへきているようだ。

§

 **(上の息子)がどうしてもというので、ウナギの苦手な**(家内)を留守番にして八郎さんと三人で登米の東海亭へ。予約を入れてあったからだろう、川沿いの二階席へ通された。天気は上々、山の上には白い雲が浮かび、北上川が悠然と流れる。遠くにはポンポン船のような船。いい眺めだ。

 天然物で二段重を注文。素材は悪くないと思うのだが、焼き加減が悪いのだろうか、外側だけがカリカリというよりは中までカリカリでふっくら感がない、がっかり。

 車の返却時間があるので、豊里を12時半に出発。三陸道を経由すると1時間で仙台南のインター。途中、安達太良と佐野のサービスエリアにより6時、朝霞着。(8/26/2009)

 早々と寝たせいで、この時間に起きてしまった。輾転反側、眠られずにこうして、腹ばいになってPCをいじっている。

 寝床が変わると、夢のバリエーションも変わるのだろうか。****くんが夢に出て来た。ふだん思い出すことさえない名古屋の頃の友人。「この歳になると、誰でもそうだろうけど、もう二度と会うことはないだろうと思う人に会うっていうのは最高の思いだね」と、語りかけたところで目が覚めた。

 **くんのうちは他の子のうちとずいぶん違っていた。まず、お屋敷という感じのうちだったし、おやつが洒落ていた。お母さんの手作りのパイだったり、プリンだったり、それを子ども部屋に出してくれるのではなく、食堂まで呼ばれて食べに行くのだった。優しいお母さんで「まま母」という言葉のイメージからはかけ離れていた。もっとも「まま母」のイメージはもっぱら「シンデレラものがたり」などのおとぎ話によっていたわけで、それはまさに子ども感覚そのものだったのだが。

 彼は一浪して名大の経済に入った。うちは大学に入った年の秋に東京に引っ越したため、最初の夏休みに帰った時に会ったのが最後になってしまった。その後、なにかの折に名古屋駅から電話をしたことがあった。お母さんが出られて、ひとしきり懐かしがってくれてから、「**は大学の紛争以来、家を出たままで帰らないんです」と涙声になった。あいつも「心優しき反逆者」だったからなぁと、出張で名古屋を通るたびに思い出したが、積極的に調べようとは思わずにいまに至った。彼はどうしているのだろう。

§

 9時を少しまわったところで宿を出て永昌寺へ。

 **(母)さんの三回忌。住職さんは昨年亡くなって、秋保のお寺からかなり若い方が来られた。滞りなく終わってから、**(家内)-**(上の息子)コンビがANAの機内誌で知った「陸女鮨」で昼食。十畳ほどの部屋に通されて広縁に大将が座り握ってくれる。味、雰囲気とも最高。

 三陸道を使うと豊里は1時間かからない。3時頃には到着。**さん(**義父)を乗せて「天平の湯」へ行く。きょうも早寝。(8/25/2009)

 久しぶりに6時半まで寝た。出発は12時。

 途中、始まった日本文理対中京大中京の試合、ラジオは政見放送とやらで中継がないので、ワンセグ中継の音声で聴く(画像は映らない)。途中、佐野と那須高原のサービスエリアに寄った。那須高原に着いたのは3時少し過ぎ。軽食コーナーのところにテレビがあった。

 回は9回表、日本文理の攻撃、4対10、2アウト、ランナーなし。「やはり、ワンサイドゲームになったな」と思った。マウンドには途中降板していた堂林がいた。ピッチャーで4番。中京の監督は彼の功績に報いる気持ちで最終回のマウンドを託したのだろう。

 最後のバッター。中継カメラは守るナインの面々を次々と映す。いわゆる「歓喜の瞬間」を盛り上げるモードに入っている。少し気負った堂林がフォアボールを出した。よくある話だ。次のバッターの時、キャッチャーがボールをはじき、ランナーは二塁。点差が6点ではどうということはないと思った時、左中間を破るツーベースで、一点入った。次のバッターも粘る。ほんとうによく粘る。そしてなんとライト線にスリーベース。それでも点差は4点。

 次のバッターの時、三塁へのファールフライがあった。ところが何と三塁手は目測を誤り、行き過ぎて捕れない。直後、堂林がデッドボールを与えたところで、中京はたまらず堂林をマウンドから降ろした。リリーフしたピッチャーもフォアボールを与え、なんとフルベース。そして次のバッターが三遊間を破るゴロのヒットで二者生還。点差は2点になった。なおランナー一・二塁。続くバッターも同じようなあたりで二塁ランナーが生還し、点差はついに1点。2アウト・ランナーなしから6点差が1点差になったわけだ。

 なおランナーは一・三塁、打順はついに一巡した。外野に下がった堂林が映った。なんともいいようのない表情をしていた。しかし堂林に花を持たせる気持ちでマウンドに送り出した中京の監督がいちばんドキドキしているだろう。そして二球目、バッターが振り抜いた時、観ていた者はおそらく全員が同点、そして日本文理の大逆転を信じたろう。火の出るような当たりだった。しかしサードライナー。試合は終わった。

 たぶん、この試合はきっと新潟県民だけではなく、この試合を見たすべての人々が長く語り伝える名勝負になるだろう。それにあわせたかのように休憩が取れたことに感謝。

 5時少し過ぎに仙台着。宿は去年も泊まった「いこい荘」。和風旅館がベースで、トイレは共通だから、ビジネス旅館としても中の下クラスだが、ササニシキで豚シャブの夕食、そしてごく普通ながら朝食つきで一人一万円しない。去年はビジネス客が多かったが、今年は外人女性を見かけた。旅慣れている外人さんには悪くない選択なのだろう。ついてすぐに永昌寺前の花屋にあしたの花を注文。(8/24/2009)

 あさって**(母)さんの三回忌を永昌寺で。あしたから水曜日まで仙台。またホームページの更新サイクルがずれるのも・・・と思って、風呂上がりに手をつけた。

 眠い。いつもの通り4時起床で、どういうわけか昼寝もしなかったので、とにかく眠い。

 過去の日記へのリンク先探しに手間取って、やっと仕上げた。零時をまわっている。あしたの朝のウォーキングはパス。(8/23/2009)

 毎日のサイトにこんな記事を見つけた。

見出し:足利事件:最高裁・地裁8裁判官に毎日新聞アンケート 謝罪意思、回答なし
 ・・・(前略)・・・
 菅家さんは無期懲役の確定までに3回、再審開始決定までに2回の計5回裁判を受けた。弁護団がDNA再鑑定の必要性を訴えたのは上告審の段階だったため、再鑑定をしないまま結論を出した最高裁判事5人と、宇都宮地裁で再審請求を棄却した裁判官3人(いずれも当時)をアンケートの対象とした。
 6月下旬、実名での回答を条件に勤務先や自宅に郵送し、最高裁判事5人には17項目、宇都宮地裁裁判官3人には11項目を質問したところ、うち6人は7月末までに「回答できない」と返答し、残る2人は現在も回答がないままだ。
 最高裁の5人はいずれも退官し、弁護士を務める。裁判長だった亀山継夫弁護士は電話取材に怒った口調で「その手紙(アンケート用紙)は捨てた」と話した。回答できない理由を説明したのは2人。うち福田博弁護士は無回答の理由を「(回答すれば)判決理由を後から変更するに等しい」と説明。第三者委員会による検証を提案し「菅家さんがなぜ自白し、かなりの間、維持する心境になったかの解明や、1審で弁護士は無実を前提に弁論をしたのか、裁判所は適切な裁判を行ったのか、を検討すべきだ」とした。
 宇都宮地裁の裁判官3人はいずれも現役。勤務先の各裁判所の総務課を通して「個別事件への取材には応じられない」と返答した。
 ・・・(中略)・・・

足利事件に関するアンケート結果■
<上告棄却当時の最高裁判事>
亀山継夫 弁護士 電話で「手紙は捨てた」
河合伸一 弁護士 回答なし
福田博 弁護士 個別の事件へのコメントは、判決理由を後から変更するのに等しい効果を持ち、裁判官の言い訳に過ぎないと取られても仕方がない。仮にするとしても手元に記録がないため不正確にならざるを得ずコメントすべきではないと考える
北川弘治 弁護士 回答なし
梶谷玄 弁護士 「裁判官は弁明せず」の原則から全設問に対して無回答
<再審請求棄却当時の宇都宮地裁裁判官>
池本寿美子 宇都宮地裁 取材には応じられない
中尾佳久 宇都宮地裁 取材には応じられない
佐藤裕子 松山地裁大洲支部 取材には応じられない

 福田博と梶谷玄の回答は理解できる。綸言汗の如しだ。しかしアンケートの設問には「判決文に弁護団が提出した鑑定について言及がないのはなぜか」というものがある。取り上げなかったとするとそれはどういう理由によるものか、取り上げた上でその内容を否定したとするとその根拠はなにかについては、明確にする義務があるだろう。狡い顔をして逃げた河合伸一と北川弘治や、感情的に応対した亀山継夫の態度に見る限り、彼らは尽くすべき審理を尽くさなかったと疑われても仕方がなかろう。亀山、河合、北川の三名に法曹資格があるのかどうか、誠実さを欠く人間は信頼できない。もちろん、世の中には「悪徳弁護士」というカテゴリーもあるから、それなりの存在価値はあるのだろうが。

 現職の裁判官についてはやむを得ない事情があると思う。幸い、中尾は宇都宮家裁から宇都宮地裁に戻っているとすれば、裁判長を務めた池本とともに、やり直し裁判を担当し、当時いい加減極まる(請求棄却理由は「再鑑定にあたって弁護団が取り寄せたとする毛髪が請求人-菅屋のこと-のものという裏付けがない」という、いかにもやる気のないものだった)処理をしたツケを払ってもらいたい。

 かつて、昭和の巌窟王と呼ばれた吉田石松のやり直し裁判の判決で、名古屋高裁の小林登一裁判長は「吾々の先輩が翁(吉田被告はその時84歳であった)に対して冒した過誤をひたすら陳謝する」と述べ法廷で吉田に頭を下げたという。小林は自ら誤判に関わったわけではなかった。池本寿美子と中尾佳久は自分たちが犯した職務怠慢行為による結果であるから土下座をしても不思議はない。そして佐藤裕子は任地において二度とこのような「手抜き裁判」に荷担しないことを誓ってもらいたい。

 この三裁判官は誤判を犯したのではない。人間である以上、間違いを犯すことは避けられない。しかし「手抜き審理」という「職務怠慢行為」は犯そうという意識がなければ犯せない行為だ。つまり免官されて然るべき破廉恥行為そのものなのだ。(8/22/2009)

 新聞各紙が総選挙の情勢調査結果を報じている。その数字はいささか度肝を抜くようなもの。日経でさえ、「民主、圧勝の勢い」、「300議席超が当選圏」と見出しした。もちろん、マスコミのお約束で、「まだ××%が投票先を決めていない状況」と「公正さ」を出しつつ「保険」をかけているのが嗤えるが。

 選挙情勢報道に「独自の闘い」という表現があるが、報道でこれをやっているのがサンケイ。朝日・読売・日経の調査結果を「見出し」と自民・民主両党の予想獲得議席を表にまとめている(可笑しいのは日経の第二見出し「300議席超が当選圏」が載せられていないこと)。

 ではサンケイはどんな調査をしたのかと探してみると、「2009年のサンケイ・FNN合同世論調査」というのが載っているのだが、最新のデータは8月10日。まさに「独自の報道」。カネがないのか、気力がないのか、もはやファクトを取材し、伝える報道としての使命感も失ってしまったらしい。その証拠に「解説記事・選択の焦点」の見出しは「どうなる日本の教育 教員免許更新制の凍結・廃止を狙う民主 影響力強める日教組」。書き出しは「平成12年3月、東京都国立市の校長が校舎屋上に国旗を・・・」。あの有名なサンケイによるフレームアップ事件をまたまた持ち出している。そうか、たしかにあれも「独自の報道」だった。

 いくらサンケイの読者が、頭が不自由で低所得に甘んじているお気の毒な人々でも、こんな出がらしネタが将来に対する不安感を払拭する「選択」の参考にはならないだろう。いまやサンケイ新聞は読者の知能レベル以下に堕ちてしまったようだ。

 サンケイ新聞とアッソウくんのために、来週あたり、北朝鮮が核実験とミサイルの打ち上げをしてくれて、軍事境界線あたりでドンパチやってくれる、あるいは、我が検察庁が鳩山ないしは民主党有力議員、そうだね、菅直人の秘書あたりをどんな容疑でもいいから逮捕してくれる、はたまた古賀選対委員長が自殺するか過労死してくれる、・・・そんなキョーテンドーチの出来事が起きてくれることを祈ってあげよう。ただ残念なことに、ここ半月の北朝鮮はにわかにソフトムードになっているし、自民党の古参議員の誰が「殉職」しても世間のムードは「ザマーミロ」に限りなく近い。なにしろ「小泉さんと自民党には足腰が立たないほどいじめてもらいましたよ、おかげさまで」と言う人は多い。こうなるとあとは「検察ファッショ」だけが頼り。でも役人は機を見るに敏だからね、もうおいそれと自民党にヨイショすることはないだろう。

 でも大丈夫だよ、いくらなんでも民主党に300議席はやらない。郵政選挙で自民党にバカ勝ちさせたことが、この停滞の原因になったことをほとんどの国民は知っている。だから同じ失敗はしないさ。安心しなよ。(8/21/2009)

 夕方のウォーキング、取りやめ。右足のむくみがひどい。両足とも、しもやけのような感じのかゆみ。足の一本一本の指にサックをつけたような感覚。どうしたんだ、前回はこんなことはなかった。

 一万歩は朝のうちにクリアしているから「×」にはならないのだが、ちょっぴり「敗北感」。せっかく、けさ、71キロ圏に突入したのにと思うと無理にでも歩きたくなる。「3週間ほどで4キロ弱の減量なのになぁ」と思うと、パンパンに膨れた足がうらめしい。

 「それは瞬間値、7日間の移動平均では2キロじゃないか」とか、「データを取り始めるとムキになる性格と生身の体の折り合いが簡単にはつかない歳になっているんだよ」とか、無理にも自分に言い聞かせるが、腹立たしさは変わらない。クソッ。ああ、気分が悪い。(8/20/2009)

 金大中の謀殺を試みたのが朴正煕、冤罪で死刑にしようとしたのが全斗煥だった。国民的人気に劣る軍事政権にとって、彼は常には妬ましい存在だったようだ。とくに1991年の大統領選挙で金大中は現職・朴正煕の繰り広げた不正選挙にも関わらず百万票差まで迫った。朴正煕のショックと根深いコンプレックスは相当のものだったらしく、いわゆる「金大中事件」以前にも、交通事故を装った暗殺を仕掛けて失敗している。(金大中はこのとき後遺症で股関節に障害を持つようになる)

 「金大中事件」については事件発生30周年の日の滴水録に書いた通り。この事件が後の北朝鮮による日本に対する「拉致計画」の呼び水になったのではないかとの推測も書いた通り。

 昨日来の報道の中には、金大中がノーベル平和賞を受賞する理由ともなった太陽政策(対北宥和政策)は北朝鮮の金正日につけいられただけという論調が支配的だが、それは朝鮮半島の外側はから見た場合のことで半島に住む人々から見ればまた違う評価もあるはずだ。ひとつには民族意識というものがあり、もうひとつには半島が統一したときの国家意識というものがある。日本として気をつけなければならないのは、北朝鮮が仮に「核」を保有しているとした時、南の人々が100%、その「核」を忌むべきものと考えているかどうかということだ。単純な日本人には想像できないことかもしれないが。

 たとえば、「核ですか、あれは国家が分断されていた時に、北部地方が開発し、保有するに至ったものです。こうして統一が完成したいま、たしかに無駄なものと思えないでもありませんが、あえて廃棄する必要もないのではないかと思います。かつて北部地方にあった軍事政権は解消しましたし、こうしてお話しができるように、近隣諸国の皆様とはオープンな外交チャネルが開かれている民主国家になっているのですから。わたしどもとしては先に使用するようなことはございません。少なくとも、数千年の歴史を通じて、わたしどもの方から近隣諸国に戦争を仕掛けたことはございません。その逆はございましたけれども・・・、ご承知ですよね」、たまたま行き掛かり上保有しているだけで拡充もしなければ廃棄もしない、こういう理屈。政体によってはアメリカは歓迎するかもしれない。(8/19/2009)

 やっと総選挙が公示された。待ちに待ったとはいわないが、安倍、福田、麻生と三代もさして優秀とも思えぬ(よくて「凡庸」、悪くいえば「バカ」、誰と誰がそれぞれに該当するかはあえて書かぬ)人物が、もっぱら自民党というダンナ衆の都合で選挙から逃げることだけを考えてヤミ談合で選ばれ、総理大臣の座をたらい回ししていたのだから、その手前勝手さと無責任さに業を煮やしていたことは事実。

 麻生が「野垂れ死に解散」を行った日にも書いたが、憲法第54条の規定の制限日いっぱいの40日目の投票日という設定はつくづく国民をバカにしている。

 百年に一度の経済危機と言いながら、その経済危機のさなかに40日の空白期間をおくのは自分の言っていることを裏切っていないのか。失業率が日を追って上昇している時期に、40日の空白期間を作るのは失業対策などどうでもいいと考えていることの現れではないのか。国の安全保障について考えているのは自民党だと言いながら、40日の空白期間が生じても平然としているのは安全保障をないがしろにしている証拠ではないのか。・・・。

 こんなことを書き始めればきりがない。自民党が主張する「責任力」なるものは「無責任であることに恬然としていられる鈍感力」そのものだ。いいかげんな言葉遣いをするな。国旗・国歌に敬意を払う以上に、まず、日本語に敬意を払え。我が国語に敬意を払え。

 金大中が亡くなった。真の愛国者であったがために国家によって二度殺されかかった人物。(8/18/2009)

 30日には民主党に投票する。別に民主党が好ましいと思っているわけではない。民主党には、もともと自民党にいた連中も多いし、第一志望は自民党だったのだが「志望ランク」を落として民主党に籍を置くことになりましたという手合いも少なからずいる。古くは新自由クラブ、比較的新しいところでは日本新党に手を挙げた連中と同じ。

 ためしに民主党に「消費税」について訊いてみればよい。短期的には税率を上げることはないとはいうが、そもそもなぜ「消費税」という課税方式を選ぶのかについての説明はない。外交にしろ、安全保障にしろ、根幹を再考する意思がないこともはっきりしている。そういう意味では自民党と変わることはない。しっかりした理念があっての「民主党」などというものはない。もっともそれは自民党も同じことだが。(自民党にあるのは「理念」ではなく「利権」に対する意地汚い欲望だけだ)

 民主党にあるのは政権獲得後の利権への淡い欲望であり、自民党にあるのは利権への未練だ。鳩山が最初から街頭に出たのに対し、麻生がいわゆる業界団体を隅から隅までまわったのはじつに象徴的だ。「予算の配分と裏金(官房機密費などはその代表)をバラまきますよ、そんなこと言わなくてもわかるでしょう、だからいままで通りの利権の流れを変えちゃいけませんぜ」と歪んだ唇の笑いに込めて「説得」してまわったというところだろう。

 民主党が野望を隠しているとしても、政権交代はありうるんだということを、この国の政治屋どもに教えてやることが必要なのだ。自民党が別働隊(幸福実現党)をたきつけて「自民党が負けたら北朝鮮が攻めてくる」とか言わせ、およそ政策政党らしからぬ「国旗と国歌を大切にしなくてどうする」などという愚かしいネガティブキャンペーンをヒステリックに繰り広げているのは、永年にわたる利権を失うことによって、自民党というモザイク政党(民主党だけがモザイク政党ではない)がグズグズになることに恐怖感を覚えているからに他ならない。

 国民は骨の髄まで叩き込んでやるべきなのだ、総理大臣の座を選挙の洗礼も受けずに何度もたらい回しし、その座に居座るために壮大なバラマキや役に立たぬ公共工事を復活させるような漫画的愚策(三度にわたる補正予算を本予算を挟んで行うなどというのは百年に一度も見られぬマンガといっていい)を平然と行うようなことをすれば、次の選挙では壊滅的な敗北を喫するのだということを。

 だから今度の選挙ではホンネでは支持していない民主党に投票する。(8/17/2009)

 起きて顔を洗い、書斎の雨戸を開ける時はまだ東空のほんの少し赤くなっているていどだが、5時になろうかという頃になるとPCデスクに座ったままの角度で見える空まで朝焼けに染まる。

 雨戸を開けた時に聞こえた虫の音はまだバックグランドにあるものの、鳥のさえずりが一気に主役を占めるようになる。きょうは雲が少し多めだ。空気はさわやか、いまの室内は26.8℃、63%。

§

 土日が続けて晴れるのは5月のはじめ以来3カ月ぶりのことだそうだ。きのう、そしてきょうと「晴」も「晴」、雲量ゼロといってもいいほどの「快晴」。夏空なのだが、秋空がそのすぐそばに寄り添っているように感ずるのは湿度が高くないからだろう。

 以下、ウォーキング・スケッチ。

 不意にチャイムが鳴り出した。ベトレヘムの園病院だった。6時、起床のチャイムなのだろうか。**(祖母)さんが息を引き取ったのはこの病院。このコースには**(祖母)さん、**(父)さん、**(母)さんが最期を迎えた病院が並んでいる。それぞれの間の距離は直線にして1キロも離れていないだろう。たぶん、おれもこの病院街のどこかの病院から旅立つことになるんだろう。悪くはない。

 小学生ぐらいの女の子が自転車に乗り、その脇をお父さんが走っている。自転車に乗れるようになったばかりの娘を心配して伴走しているのだろうか、それともお父さんのウェアは間違いなくジョギングウェアだから健康管理に娘が協力しているのだろうか。どちらかな。

 蝉時雨という言葉そのまま。歩道のところどころにセミの死骸がころがっている。たいていがアブラゼミ。仰向けに手足を空に向けて死んでいる。木立がそばにない道の真ん中にある奴は飛んでいる最中に絶命したのだろうか。それとも風に飛ばされてきたのか。数年を地中で眠り、ようやく成虫になって一週間そこそこの命。大人になるのも考えものということかしら。

 軽トラックで乗り付けた業者がナシを売っている。7個で300円。買って帰ろうかと思ったが、**(家内)になにか言われても面白くないと思い直す。(8/16/2009)

 火曜早暁の地震で東名高速の牧之原サービスエリア近くで路床が崩れ上下線が通行不能になった。下り線は比較的早く復旧したが、上り線は当初の予定からは大幅に遅れ未だに復旧していない。きょう午前中の発表では80%完了し、今夜零時の開通をめざしているとか。

 NEXCO中日本は復旧工事に手間取った理由を台風9号による豪雨のため地盤が予想以上に緩んでいたためと説明しているが、ニュース映像で見るとあの崩落の規模、そして復旧工事着手後の地盤の悪化は普通とは思えない。

 最初は手抜き工事かと思ったが、東名高速の建設は40年近く前、工事に欠陥があればもっと早くに何らかの事故が起きていてもおかしくない。とすると、何らかの原因で「みずみち」、地下水脈の流れが開通当初から大きく変わってしまったための、盛り土部の損傷ではないかとも思える。

 阪神淡路大震災で阪神高速の神戸線が無惨な姿をさらした後、高速道路の耐震性確認は広範に行われたというが、実際には橋梁や橋脚、トンネルの点検にとどまり路床にまでは眼が向けられていないとのこと。土地の造成や森林の伐採、降雨量の変化などを全般に見て、地震や降雨災害への裕度を再評価するくらいの取り組みが必要になっているはずだが、「木を見て森を見ない」のが人々の通性になり、社会全体を評価する物差しが考えられないほど単純化している現状では、「災害は発生待ち」になっているのだろう。

§

 先ほど、ホームページ掲載準備をしていたら、「新しい日本を作る国民会議」の「政権公約検証大会」の日本青年会議所の評価文書「具体性から評価する自民党・民主党マニフェスト」へのリンクが切れていることを発見した。件の文書では意外にも、「政権公約に関する総合評価」、「政権運営ビジョン」いずれも自民党49点・52点に対し、民主党63点・58点となっていた。ひょっとすると、自民党筋からクレームがつき、あわてて文書を隠したのかもしれない。

 JCのホームページの「お問い合わせ」欄から、こんな質問を寄せておいた。さて、顛末を語る「釈明文」が返ってくるかどうか、楽しみに待つことにしよう。

 「新しい日本を作る国民会議」のマニフェスト評価の催しに対して、JCが提出した評価文書ですが、現在、当該サイトからJC文書へのリンクが切れています。
 かわりに、何を言いたいのかよく分からない会頭さんのいいわけが掲載されていますが、自民党筋から圧力でもかかったのでしょうか?
 圧力の有無は別にして、公の団体が公表した文書をなかったものにするようなやり方は、JCの存在意義を疑わせるものです。
 綸言汗の如し。いったん公にした文書を隠すような、まるで社会主義国のようなことはなさるべきではありません。
 事実関係について、明確にしていただけますか。

(8/15/2009)

8/20現在、JCからは何も回答がありません。どうやら、「都合の悪いことはなかったことにする」というのが、日本青年会議所の体質のようです。ふだん、批判している社会主義国と同じ体質というのはおおいに嗤えます。

 海老沢泰久が亡くなった。「堀内恒夫物語」と副題する「ただ栄光のために」の解説で、丸谷才一がべた褒めしていたのを憶えている。「文庫本の解説だもの当たり前だ」といえばそうかもしれない。しかしそれはおべんちゃらではない。

 丸谷は「海老沢泰久は文章の筋がいい。だから彼の書くものは楽しんで読める。・・・(中略)・・・彼はこみいつた事情を、それについてまつたく知らない相手に、詳しく、わかりやすく、そしてすばやく伝達することができる。彼の叙述は明晰で、彼の描写は鮮明である。彼はずいぶんややこしい事柄を、もたもたした口調にならずに、こともなげに伝へてくれる」と書いて、こんな例文をあげた。

 たとえばランナー一塁で相手がバントで攻撃してきたとする。この場合、まず一塁手と三塁手と投手が打者の目前まで猛烈にダッシュする。そして二塁手が一塁、遊撃手が二塁、三塁は捕手がそれぞれカバーリングする。なによりもランナーを二塁で殺すことが目的なのだが、もし結果的にバントが成功したとしても、打者とランナーにこのシフトが与える心理的な圧迫には計りしれないものがあるだろう。だが、だれかひとりでもこのシフトに忠実でない野手がいたとしたら、これほど危険なシフトはない。どこかのベースがひとつか、あるいはふたつ、ガラ空きになってしまうのだから。

 この文章は「ただ栄光のために」ではなく「みんなジャイアンツを愛していた」にあるものなのだが、本棚には誰もがあげるだろう「美味礼賛」の他に、この二冊、そしてプロ野球を支える人たちのインタビューを積み上げた「球界裏の演出者たち」、誰もが批判しないプロ野球の天皇・長嶋茂雄の「舞台裏」を小説にした「スーパースター」などの野球ものと、出張先の風景と分かちがたく結びついてしまった「星と月の夜」がある。

 明晰な文章を書きたいものだと憧れつつ、読めばその面白さに学ぶことは忘れてしまう。ともあれ、ずいぶん楽しませていただきました。ありがとう。ちょっぴり、残念です、海老沢さん。

 訃報欄には他にも。朝刊には憲法学者の長谷川正安、夕刊には白馬童子を演じた山城新伍など。廻り舞台はどこまで回転したのだろうか。(8/14/2009)

 きのう、**と飲むため、銀座一丁目の駅から京橋に向かって歩いていると、「Uターン。わたしの発明で北朝鮮のミサイルをUターンさせます。Uターン。幸福実現党、ドクター中松です。北朝鮮のミサイルはUターン」という連呼が聞こえてきた。ドクター中松といえば、羽柴誠三秀吉、秋山祐徳太子などと並ぶホーマツ・シンキゲキの有力タレントだったはずだが、今回は幸福実現党から立候補する予定らしい。中松と幸福の科学はその誇大妄想ぶりがとても他人とは思えず共感したのだろうと、嗤って宣伝カーを見送った。

 ところが幸福実現党が今回の選挙から撤退するというニュースが昼ごろ流れた。比例代表でこれまでの選挙よりは確率が高まったと思っていたに違いない中松先生、相当ショックをうけただろうと思った。もっとも夕方のニュースでは「一部立候補予定者の同意が得られず、撤退決定を撤回」とのこと。ホーマツ政党のことだから、ウロウロしてみせ、それをニュースネタにしてもらおうと仕組んだのかもしれない。まるで宮崎のウジウジ男・中山みたいな話。(出ないといって出るのだから逆か、呵々)。ともに現実把握能力が低く「保守」を名乗っているところが「保守」の恥さらし。どうだろう、中松先生の発明とやらで、Uターンしてもらっては。ミサイルでさえ、Uターンさせられるのだから、邪教の退散もできないことはあるまい。(8/13/2009)

 日曜から三夜連続でNHKスペシャル「日本海軍400時間の証言」という番組がオンエアされた。敗戦から35年が経過した1980年になって、主に海軍軍令部のメンバーが定期的に集まって、先の戦争に至る「反省会」を開いた。この会はまる11年間続き、その内容を録音テープに残しつつも、メンバー内のみの秘密会とした。番組はその400時間に及ぶ録音内容を中心に、海軍中枢でどのような戦争計画・戦争指導が行われたか、エリートたちは戦後いったいどこにどのような問題があったと認識していたのかを追ったものだった。録画はしたものの、できればこういうものは文書の形で参照できるようなになっているとありがたいし、そうする価値があるとも思った。

 久しぶりに本屋をぶらぶらしていたら、「[証言録]海軍反省会」というタイトルで発刊されているのを見つけた。4,200円。買おうと思って手に取ったが、出版がPHP研究所と知ってやめた。こういう歴史史料はきちんとした出版社の出版でないと史料的価値がなくなってしまう。PHP研究所という自称・出版社のイメージは「イデオロギーにあわせるためには、肝心の所を削除し、時にありもしない文言を追加することをためらわない」信頼度の低い「売文屋」というものだ。今回も膨大な反省会の中から、たった10回分のみの刊行。おそらく当たり障りのない部分だけを選んだに違いない、PHPのことだもの、それくらいはやりかねない。(売れるところ―「バカ」にウけるところ―しか出版しないというような「つまみ食い」をするのは儲けのみを考えるからだろう)

 編集を手がけた戸高一成の仕事ぶりには信頼しているだけに惜しい。戸高よ、できるなら、ちょっとはまともな出版社(NHKブックスでいいじゃないか)から、つまみ食いではなく全会合の記録をまとめて出してくれ。そして、PHPよ、汚い手で触るな。せっかくの史料を台無しにしないでくれ。

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 裁判員制度二例目の狭山の殺人未遂事件の判決が出た。求刑懲役6年に対し、懲役4年6カ月。弁護側の執行猶予主張は退けられた。どうやらこれからは刑務所の増設が必要になりそうだ。のんきな重罰主義者の皆さんは気にもしないのだろうが、当然の話、税負担は増加する。その対策は考えておくべきだ。イギリスのようなPFI方式による刑務所運営などを早急に検討すべきだ。執行猶予でもよかった事例が、実刑になる確率が高まるとすれば、「民営刑務所」でもさして不安はなかろう、呵々。(8/12/2009)

 すさまじい揺れで目をさました。5時をまわったところだった。ナイトテーブルのラジオをつけると静岡で震度6弱、都内も震度4とのこと。おとといの夜も震度3があったばかり。

 静岡で震度6弱と聞いて、瞬時に浜岡原発のことが気になった。速報では運転中の4号機、5号機が自動的に運転停止したとのこと。早々と放射能洩れはないと宣伝しているのが嗤える。「地震直後の時点では放射能漏れは観測されていない」、これが正確にしてかつ誠実なものの言い方だろう。

 原発訴訟で裁判所の資料提出命令を拒否したような会社の「社会的信頼性」は極端に低い。つまり中部電力は技術的・社会的誠実さの点で欠けるところのある会社だというのが世の中の認識なのだ。したがってきょうのような場合には逐次発表するデータとその説明に関しては十分な注意が必要なのに、この発表の仕方にはそういう自覚が見られない。モニタリングポストの設置マップと地震発生時から一昼夜以上の風向、風速、放射能に関する記録チャートの公表くらいのことは果たすべき最低限の義務だ。

 原発訴訟において中電は「技術ノウハウ」と「企業秘密」を理由に裁判所の資料提出命令を拒んだ。しかしまさかこんなデータまで「技術ノウハウ」であり「企業秘密」であると主張するつもりはあるまい。たしかに放射能漏れの垂れ流しでもあれば、それは立派な「企業秘密」かもしれないけれど、呵々。

 中越沖地震における東京電力の柏崎刈羽原発の惨状を知り、震え上がった中電がどれほどドタバタと耐震補強工事をしたかについては、失敗学会の畑村報告で知った。それは浜岡原発の原設計がずいぶんと甘いものであったことをうかがわせる「シロモノ」だった。わざわざ選んで地震の巣の上に原発を建設する愚を犯しながら、せいぜいがところ岩盤までパイルを打ち込んだくらいで自己満足した体のもの。柏崎刈羽が醜態を晒すのを見て、中電、こんどはガチガチの補強を施した。畑村報告には冷却塔と建屋内のケーブルラックの写真があった。あくまで写真であり、間近に現物を見たわけではないけれど、一目見た印象では、もし東海地震があったら、補強した鉄骨だけが固まりとして残り、この補強鉄骨の固まりがかえって冷却塔の外側やケーブル室の壁を壊すのではないかというものだった。(8/11/2009)

 先週の日曜、「郵政選挙マニフェスト」の実績評価を行った「新しい日本を作る国民会議」が自民・民主両党のマニフェストを対象に評価した。それぞれの団体が提出した評価文書の採点値は以下の通り。

(各々100点満点) 自民党 民主党
総合評価 ビジョン 総合評価 ビジョン
経済同友会 45 37 45 40
連合 45 21 70 50
日本青年会議所 49 52 63 58
PHP総研 59 35 57 45
言論NPO 36 15 31 50
日本総研 51 38 53 50
構想日本 39 49 62 59
チーム・ポリシーウォッチ 35 30 35 60
全国知事会 60.6 採点しない 58.3 採点しない

 どういうわけか朝日の朝刊には評価枠として決められた「政権公約に関する総合評価」しか上げられていない。評価枠にはもうひとつ「政権運営ビジョン」という設問があった。ここでは「国民会議」のホームページに記載されている各団体の提出文書から、その評価点についても表に記載した。(いま現在、日本総研の文書のみ未掲載)

 マニフェストを具体的数値目標としてのみまとめるならば、政権についていた与党と政権の外にいた野党では比較できないのが本来の姿だと思う。なぜなら「政府の金庫にいったいいくら入っているか」となれば与党と野党が同じ情報量であるということはあり得ない。だから「公約」の項目については与党の方がワンランクくらいは「正確さ」や「緻密さ」を備えていて当然なのだ。そういう見方に立てば、昨夜来のニュースや朝日の朝刊がクローズアップしている「政権公約に関する総合評価」において、自民党が3勝4敗2引き分けというのは、これ以上ない「大惨敗」だ。

 一方、マニフェストには、やはり、「どうしてもこういうことを実現したいんだ」という理念のようなもの、基本的な「思い込み」のようなものが書かれていて欲しい。そういうものが明確にされていてこそ、まだ見えていない政治課題が明らかになった時、大筋においてとんでもないところには行かないだろうという安心感が持てる。もうひとつの評価枠、「政権運営ビジョン」がそれにあたると思う。その「政権運営ビジョン」が、「美しい国」だとか、「とてつもない国」だとか、「日の丸・君が代を死守します」などというアホみたいなスローガンでは、「百年に一度の経済危機」に見舞われている現在、おおいに困る。

 各団体の評価文書を読むと必ずしもそういう考え方で「ビジョン」の採点はしていない。しかし、「ビジョン」などは置き忘れてふだんのお仕事をしている、いかにも自民党別働隊のような「全国知事会」が「採点しない」と宣言したのを除けば、残りの8団体のすべてが(JCやPHPのようなイデオロギー的バカ組織まで含めて)民主党に軍配を上げたのはじつに象徴的だ。つまり自民党なんぞにはもう「ユメもチボーもない」ということだ。(8/10/2009)

 「酒井」というと我々の年代にとっては「和歌子」だが、少し下の世代になると「法子」らしい。その酒井法子が覚醒剤所持の容疑で手配の後、きのうの夜、文京区にある富坂庁舎に出頭して捕まった。捕まるまでの流れがトリッキーだったので、週末のニュースサマリーはこの「事件」で持ちきりの体。

 今週、月曜の未明、渋谷で酒井法子の夫が警察官の職務質問を受け覚醒剤所持で逮捕される。その際、現場に駆けつけた彼女も任意同行を求められたのに対し、「子どもがいるから、いったん帰宅する」と言い残したのち行方不明になった。最初は夫の覚醒剤所持にショックを受け長男を連れて失踪したと見なされ心中の恐れがあるとのニュアンスで夫の母が捜索願を提出。その後、子どもは知り合い(後に夫の愛人と報ぜられる)があずかっていることが判明。時をおかず警察が行った家宅捜索で別居中の彼女の家からも覚醒剤が見つかり彼女自身が指名手配された。いかにもワイドショー好みの経過を経て、わずか数日のうちに「ノリピー」は「容疑者」の呼称つきで報ぜられるようになった。

 時々刻々、事態が展開する。警察は小出しに情報を流し、臨時ニュースのような扱いで伝えられるのだから、少々「不自然な」ところがあっても、堪えられない。**(家内)などは帰宅するごとに「きょうはどうだった」と尋ねるくらいだ。そして「やっぱり人は見かけだけじゃ、分からないわね、清楚な感じの美人だったのにね」を連発。さらに「ノリピー、好きだったでしょ」などとからんでくる。違う、我々の年代ならば、酒井法子ということはない、酒井和歌子なのだ。ムキになっていう話ではないから言わないけれど。

 これ以上しつこく言われたら、「酒井法子はね、きっと隠し部屋にね、自分の肖像画を描かせてね、毎日それを見てるんだよ」(注:参照)とでも言って、煙に巻いてやろうと思っている。(8/9/2009)

注)たぶん、「ドリアン・グレイの肖像」などは読んでいないだろうと、思っているので。

 ふたたびウォーキングを始めて10日ほどになる。朝と夕方、それぞれ80分。けさは5時前に目が覚めた。朝は腹具合が安定しないので、顔を洗ってからも小半時はパソコンに火を入れてニューヨークの市況を眺めたりする。「起床儀式」(就眠儀式の逆)をしていたら、為替が一気に円安に振れていた。先月、大幅に円高の時に、毎月の本代くらいをスワップで稼ごうと、買い建てをした豪ドルは81円60銭あたり、トルコリラは66円60銭あたりをウロウロしている。一括決済すればざっと30万のゲイン。100万の「身代金」で1カ月30万は魅力的だ。いまのスワップ相場では一年継続しても9万くらい、ざっと3年分。しばし悩んだ末に決済した。「早起きは30万の得」。

 ウォーキングの件。前は一時間に8,000歩だったのだが、すねが痛くなるほどピッチを上げても、いまのところ7,500歩止まり。ちょっと減量には手間取りそうだが、時間はたっぷりある。

 コースは東京病院を横切って、産業安全研究所と小児病院の間の小路をぬけ、志木街道沿いを文教堂書店から信愛病院まで歩き、ベトレヘム病院の横を通って、東京病院へ戻る。竹丘団地からジョナサンの交差点を渡り、小山児童学園裏から小金井街道を黒目川遊歩道まで坂を下り、遊歩道を西武線ガードまで東進、折り返す。東久留米高校前の道の坂を登って、小山小学校脇を通って戻る。

 案外、自然が残っている。けさは産安研前の歩道をカブトムシが車道に向けて歩いていた。そのままにして通り過ぎたが、信愛病院横の道路には車に引かれたらしいムシの死骸があった。あの時思ったように小児病院の木立の中にでも移動してやった方がよかったのではないかと少しばかり後悔した。

 時間を決めるとだいたいおなじみさんができる。早朝の東京病院のバス停のベンチに自転車を止めて、スポーツ新聞を読んだり、時にかなり大きなクロスワードパズルと取り組んでいるおじさん、5時半に出た時にも6時半に出た時にもいた。いったい何時からああしているのだろう。自宅に居づらい事情でもあるのだろうか。黒目川沿いを反対方向から老夫婦、少し足の衰えたダンナを叱咤激励するやたら元気な奥さん、いずれうちもああなるのかもしれない。それにしてもあの奥さんはちょっと情がない感じがする。すれ違う時、律儀に「こんにちは」というがっしりした体つきのおじさんがいる。誰にでも挨拶をしているわけではなさそうだが、どう見ても顔見知りではない。誰かと間違っているようだ。残念ながら、いまのところ、このコースには「ムカシマドンナ」はいない。(8/8/2009)

 「グッド・バイ」、太宰治の未完の遺作を本棚から取り出してきた。プレイボーイが年貢の納め時と悟って、つきあっている女どもと別れたいと思い、知り合いの小説家から策をあずかる・・・。

 「・・・うむ、名案。すごい美人を、どこからか見つけて来てね、そのひとに事情を話し、お前の女房という形になってもらって、それを連れて、お前のその女たち一人々々を歴訪する。効果てきめん。女たちは、皆だまって引下る。どうだ、やってみないか。」
 ・・・(中略:主人公がすごい美人の心当たりに思案をめぐらせていると)・・・
 「田島さん!」
 出し抜けに背後から呼ばれて、飛び上らんばかりに、ぎょっとした。
 「ええっと、どなただったかな?」
 「あら、いやだ。」
 声が悪い。鴉声というやつだ。
 「へえ?」
と見直した。まさに、お見それ申したわけであった。
 彼は、その女を知っていた。闇屋、いや、かつぎ屋である。彼はこの女と、ほんの二、三度、闇の物資の取引きをした事があるだけだが、しかし、この女の鴉声と、それから、おどろくべき怪力に依って、この女を記憶している。やせた女ではあるが、十貫は楽に背負う。さかなくさくて、ドロドロのものを着て、モンペにゴム長、男だか女だか、わけがわからず、ほとんど乞食の感じで、おしゃれの彼は、その女と取引きしたあとで、いそいで手を洗ったくらいであった。
 とんでもないシンデレラ姫。洋装の好みも高雅。からだが、ほっそりして、手足が可憐に小さく、二十三、四、いや、五、六、顔は愁いを含んで、梨の花の如く幽かに青く、まさしく高貴、すごい美人、これがあの十貫を楽に背負うかつぎ屋とは。
 声の悪いのは、傷だが、それは沈黙を固く守らせておればいい。
 使える。

 快調な滑り出しで、できればこれを完成させてから自殺して欲しかった。

 なぜ、この小説を思い出したか。大原麗子の訃報を聞いたからだ。ホルモンのバランスを崩させる女優だった。玉に瑕といえば、彼女の場合、その声。鴉声とまではいわないが、「できるならそういう声じゃなくて・・・」と注文をつけたい声だった。(いまでいうと、鶴田真由がそう)

 難病(ギラン・バレー症候群という由)を患い、闘病中の孤独死。62歳。記憶の中のみの人がまた一人増えた。(8/7/2009)

 広島原爆の日。今年はオバマ大統領のプラハ演説もあって、平和式典への参加国も過去最多の59カ国であった由。

 式典参列後、原爆資料館を見学した後、麻生首相は原水爆被害者団体協議会代表と原爆症救済の集団訴訟終結に関する基本方針の確認書を取り交わした。確認書は、まず一審で原爆症を認定された原告については判決を確定させること、そして認定されなかった原告については議員立法により基金を設け、問題の解決を図るというもの。

 夕刊によれば、認定訴訟は2003年以来、国が19連敗中とのこと。今回の「確認書」と「連敗」をどう見るか。自民党は19もの連敗でやっと目が覚めたということか、そうではなくて、黒星を19も稼いだ時に運悪く負けそうな「総選挙」を戦わねばならなくなってしまい、渋々、現実を認めることにしたということか。つまり、もし民主党が政権についてあっさりと国の方針を転換したら、「頑迷に被爆者を踏みつけにし続けた自民党に比べて、さすがに民主党は違う」と言われたくないために、遅まきながら「花」を刈り取っておこうと考えたのか。いったいどちらか。

 まあ6年近く、負けに負け続けながら、厚生官僚の肩をもち「死んでも被爆者救済範囲を広げるものか」と意地を張り続けてきた「実績」から見れば、後者と考える方が自然だろう。つまり自民党は「弱者を踏みつけにするえぐい政党」だったし、これからもホンネではそういう政党であり続けたいと思っているのだろうということだ。(議員立法による基金の創設というあたりは奴らの狡い考えが見え見えだ)

§

 はじめての裁判員裁判の判決が出た。検察側の求刑懲役16年、被害者遺族代理人は懲役20年以上を求めたのに対し、判決は懲役15年だった。夜のニュースは、いわゆる「量刑相場」は11から13年、被告にとっては若干厳しいものだと報じていた。

 誰が言い出したのかは分からないが「被害者の人権を重視して重罰化」というのが最近のトレンドらしい。「重い刑に処する」ことが「被害者の人権を重視することになる」という主張はどのような論理構造によるものかとんと分からないが、被害者家族の大多数はできるなら死刑、懲役ならば一分でも一秒でも長いと「癒される」らしい。だから、お気の毒な方々のご希望に添ってあげるのは当然のこと。

 被告は現在72歳だそうだ。彼が15年の懲役刑を勤め上げられるかどうかは微妙かもしれない。もちろん模範囚ならば、年齢のこともあるから(なにしろ、服役中に病気になれば、公費で治療・療養させねばならぬ)、数年すれば仮釈放(厄介払いということ)もある。仮釈放について逐一マスコミが報ずることはない。多くの人はとっくに興味を失っているし、厳刑を求めた被害者家族だって意識しているかどうかは怪しいものだ。

 結局の所、量刑が長いの短いのということは一時の「気休め」、いや、有り体に書けば、「手すさび」のようなものなのだ。とすれば、裁判員諸君はあまり頭を痛めることなく、被害者遺族代理人のお望み通り懲役20年でも30年でも、平均的な知能の世人が「そんなに長くしたら、刑期を満了できないぞ」ということに気付かないていどの長期刑にして差し上げればよかったのかもしれない。それが最近の愚かな風潮にピッタリのお話しだ、呵々。(8/6/2009)

 クリントン元大統領が平壌入りしたのはきのうのことだった。いまテレビにはこの3月に中朝国境付近で北朝鮮に拘束されたふたりの女性記者がロサンゼルス郊外の空港に降り立つ様が中継されている。

 夕刊の「素粒子」欄。

◎妄想版・熟年夫婦のお話
「ねえ、ちょっと頼みがあるんだけど。あなた、最近、暇でしょ。行ってもらいたいところがあるのよ。私が行けばいいって? 事情があってダメなの。まして今のボスもね・・・でね、あなたが適任なの。昔偉かったけど今は暇だし。えっ、嫌だって。何言ってるの! 私、許してないのよ。あなたとあの女との話。聞いてるの? ビル!」

 ホワイトハウスはビル・クリントンの北朝鮮訪問はまったく私的なものと説明しつつも、我が国を含むいくつかの関係国には事前に通告し、搭乗機は行きも帰りも三沢基地で給油を行った。これがアメリカの姿勢だ。一方、北朝鮮は独裁政権らしく「将軍様の特赦」で素早く反応し、あっという間に「懸案事項」は解決した。

 北朝鮮にとって国法を犯した「犯罪人」は数カ月たらずの間に「釈放・帰国」できたわけだ。一方、北朝鮮が犯した「国家犯罪」の「被害者」は将軍様が自国の「犯罪」を認めた後から数えて7年も経つというのにいまだに「帰国」していない。もう一度書く、北朝鮮に「強み」がある問題は5カ月足らずで解決したのに、北朝鮮に「弱み」がある問題は7年経っても解決していないのだ。この違いはなにか。

 「恩赦」された女性記者が北朝鮮当局の許可のもとに本国の姉に電話をかけ、「わたしたちが北朝鮮の法律に違反したことを認め恩赦を受けることが唯一の方法だ、北朝鮮は元大統領が身柄の引き渡しに訪朝することを望んでいる」と言った。この姉はその旨を極秘裏に当局に伝えた。北朝鮮がいかにも彼の国らしい手口で問題解決の手がかりを仕組んだというのが舞台裏だが、記者の姉もアメリカ政府もプライオリティを正確に判断した上で「賢明に」事を運んだわけだ。

 第一回の小泉訪朝の際、金正日はあえて「拉致問題」という言葉を使った上で、「特殊機関の一部が英雄主義に走って行ったこと。遺憾なことであったとお詫びする」と言った。そして北朝鮮当局が「拉致した11名中生存者は4名」といったところで、我が方は冷静さを失ってしまった。小泉に随行した安倍晋三はこの事件を自分が総理椅子を狙うための道具にしようとして、それまで蜘蛛の糸をたどってきた外務省担当官を外し、かえって解決の好機を無にした。安倍に誑かされた被害家族までもが賢明さを失い、この外務省担当官(田中均)を馘首にすることを主張したのだからあきれてものも言えぬ。日本中に北朝鮮ヒステリーが蔓延し、解決のチャンスは限りなくゼロに近づいてしまった。

 今回の「救出劇」に対し、ある韓国政府関係者はこんなコメントをした由。「北の問題はデリケートだ。この件がわずかであっても事前に洩れていたなら、アメリカ国内の右派世論によってつぶされていたかもしれない」。そうかもしれない、「そんなところに行った記者のために我が国が頭を下げることは断じてしてはならない。彼らの自己責任だ」とでも主張するのだ、この手の右翼石頭人は。

 イデオロギーなんぞよりも現実的に窮地にある人を救う方が先であるという当たり前の判断、賢明にして周到な行動ができたかどうかということが、北朝鮮にとっての「犯罪者」は短期間に無事帰国し、北朝鮮による犯罪の「被害者」が何年経っても帰国できないという「結果」につながっているのだ。

 常識で考えても分かるだろう、誘拐犯に向かって「おまえはひどい奴だ、犯罪者だ」を連呼して、人質が解放してもらえるかどうかぐらいのことは。もちろん、人質が殺されることを密かに望んでいるならば、話は別だが。(8/5/2009)

 自民党の民主党批判を聞くと、この政党もついに末期を迎えたことがよく分かる。

 まず「財源批判」。補正につぐ補正の中で「何でもいい、カネを使うアイデアを出せ」と霞ヶ関に指令したのは誰だった。続けて「バラマキ」。「定額給付金」という究極のバラマキを得意になってやったのは誰だった。「エコポイント」に、「エコ車減税」、あれも立派な「バラマキ」の一種ではないのか。

 そして「安全保障批判」。本来、「アメリカの言う通りにします」という以外にはなにもない外交・防衛ポリシーを安全保障などとはいわない。

 アメリカ軍人が犯罪を犯せば米つきバッタのように哀願しない限り、強姦犯も、強盗犯も、犯人は引き渡されず、裁判権もないなどという不平等条約を放置してきたのは誰だ。アメリカに命ぜられれば、はるかインド洋で無料の石油スタンドを開業し、軍を再配置するといわれれば、そのために我が領土でもないグアムに兵舎と軍属のための住宅を建設し、部隊の移転経費など1兆円近い税金をむざむざ差し出すという「属国」の扱い。常任理事国の椅子を望んではしごを外され、満天下に恥をさらしたこともあった。つい先日、大外交使節団をワシントンに送り込んだ中国はいささか過剰な厚遇を受けた上に、「最も重要な二国間関係」と世辞も言ってもらった。我がマスコミはやっかみ半分、「それは中国が最大の米国債引き受け国だから」と報じたが、ながく最大の米国債引き受け国だったとき、自民党政府はそのように接遇されたことがあったか。

 これらを不思議に思わないのは自民党がアメリカの傀儡政党だからであろう。自民党には長い間の対米追従が肌にしみこんでいる。たまには鏡に己が醜いアホ面を映してみたらよかろう。そのアホ面が自民党のいうところの「安保・外交政策」か。あきれてものも言えぬ。

 その自民党、マスコミに囃し立てられてよほど焼きが回った。政権与党の座から転落する恐怖に、矜恃も失ったようで、最近はついに「保守であること」にすがりつくに至った。民主党が「日の丸」・「君が代」をなおざりにしていると、そんな下らぬ「批判」が「保守」の証か。人間の志が退化する時、だいたい偶像崇拝に走るものだ。アメリカに隷従して「日の丸」・「君が代」とは嗤わせる。

 政治の理想は「鼓腹撃壌」だ。まず安心して食えるようにすること、これができなくてなんの「国旗」ぞ、なんの「国歌」ぞ。それが人というものだ。「命長ければ恥多し」とはおまえのことだよ、自民党。味噌汁で顔を洗え、下郎ども。

 別に民主党がよいとは思わない。しかし同類項でもたまには別の徒党にやらせてみれば、恥のなんたるかは分かるようになるし、世の中の道理も少しは分かるようになる。不本意にも自民党を離れた亀井静香や鈴木宗男など、よほどに真っ当なことを言うようになったのはその証拠。漢字も読めぬアッソウ太郎、酒焼けの酩酊大臣中川ショーチュー、常任理事国騒ぎの折にはあまりの外交音痴ぶりで大向こうを唸らせた(大嗤い)ムチムラ信孝。彼らも落選後ただの人になれば・・・、無理だろうな、無教養とアルコール依存症とゆがんだ見識は簡単には「矯正」されるはずはない。(8/4/2009)

 きのう、「新しい日本を作る国民会議」が主催する政権実績検証大会が開催され、①「政権運営実績に関する総合評価」と②「政策実績に関する総合評価」から郵政選挙後の実績評価を行った。その結果が朝刊に載っている。

①運営実績
(100点満点)
②政策実績
(100点満点)
経済同友会 35 50
連合 20 30
日本青年会議所 40 46
PHP総研 43 58
言論NPO 30 41
日本総研 36 38
構想日本 50.5 50
チーム・ポリシーウォッチ 45 45
全国知事会 58 56

 「全国知事会」の評価点が高いのはいずれ自分たちも採点される側、したがって腰が据わっていないからだろう。「青年会議所」や「PHP総研」などは最初からお手盛りをするに決まっている札付き団体だから評価そのものが無価値。「チーム・ポリシーウォッチ」というのは小泉改革のブレーンメンバーが構成する団体だから、小泉後の足踏みをよく思っていない。「経済同友会」と「連合」は最初から色眼鏡をかけていることが予想される。そうしてみると、「言論NPO」と「日本総研」あたりの①・②合計(200点満点)で71~74点というのが妥当なところだろう。(朝刊にはどういうわけか、②「政策実績」の点しか報ぜられていない)

 それにしても札付き団体・色眼鏡団体の採点でさえ6割にも届かないというのは、三分の二という圧倒的議席をもらった与党としては「落第」も「落第」、こんな実績でどの面下げて「再度のご支持を」とか、「責任力」などと言えるのか、鉄面皮とはこのこと。

§

 はじめての裁判員裁判がきょうスタート。夜のニュースを独占している。素朴な印象をひとつだけ書いておく。被害者は女性、被告は男性という事件に対して、6人の裁判員のうち5人が女性というのは、バランスが悪すぎはしないか。

§

 けさのラジオから、古橋広之進に関するエピソードを追記。出場が適わなかったロンドン大会の競技時間にあわせて日本選手権が開催され、古橋はいくつかの種目でオリンピック金メダル獲得選手の記録を上回った由。この前後、彼は世界記録を出すが、日本水連は国際水連に復帰しておらず、記録はすべて日本記録どまりだったとか。(8/3/2009)

 連日の選挙関係報道をみていると、いやでも「パン」と「権力」について考えるようになる。これにもうひとつ「奇跡」を加えるなら、これはあの大審問官のモノローグ(注:参照)になる。

 つまり選挙というものに擬似的にでもいいから「奇跡」により引き出される「信従」という調味料をひとたらしすれば、それで強固な支配はできあがりというわけだ。

 そういう意味では、自民党の麻生にはもちろん民主党の鳩山にも、そういう奇跡を見せるために不可欠な「カリスマ性」というべきものがないのは不幸中の幸いということかもしれない。

 もともと現代の人々は十分に疑り深いから大丈夫?

 そんなことはない。小さなウソには騙されないが、大きなウソには騙されるというのが、知恵を持ち合わせない現代人というものだ。それが前回の郵政選挙だった。選挙民の一部を占めるバカどもはみごとに騙された。そしてそれがこの空白の4年をもたらした。そして今度は・・・?

§

 古橋廣之進が水泳ワールドカップで訪れていたローマで客死。古橋は数々の当時の世界記録を打ち立てながら、ついにオリンピックでのメダルには縁がなかった。それは最盛期のロンドン大会に敗戦国日本は参加できず、ようやく参加できたヘルシンキ大会はすでに遅かったため。しかしその悲運が逆に彼の盛名を高めたとも言える。80歳だった。(8/2/2009)

注)「あの大審問官のモノローグ」・・・ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」中の挿話

 ようやく自民党もマニフェストを発表した。もっとも公選法によればマニフェストというのは選挙期間中でなければ配布できないそうで、それまでに間に合えばよいのだという考え方もあるらしい。選挙を愚民を誑かすものと考えている政党ならば、遅くて当然だったのかもしれぬ。

 内容は「骨細の方針」とでも形容したいようなもの。他党のマニフェストにケチをつけることにばかり熱心になりすぎて、自らのマニフェストは骨粗鬆症になってしまったものと見える。いや、そうではないのかもしれない。自民党さん、マニフェスト発表の二日前に公表した「郵政選挙マニフェスト」の達成度に関する自己評価を行おうとして愕然とした、「骨太」と呼ぶに足るような肝心なことは何もできていなかったのだから。

 この4年間に政権投げ出し宰相が二人、郵政造反組をグズグズと復党させ、麻生に至っては「私は反対でしたから」と公然と郵政選挙マニフェストの根幹を否定した。「郵政民営化マニフェスト」などなかったものにしてきたのが、小泉が辞めてからの自民党の三年間だった。とても評価などはできないというのが実態だろう。

 それでもというか、逆にだからこそというか、公表された自己評価には、三段階評価で"C"で表される未達項目はゼロだった。大流行したにもかかわらず採用した企業に「成果」をもたらさなかった「成果主義」処遇では、期の始まりに業務目標を設定させ期の終わりに自己申告を提出させるが、どれほど図々しいサラリーマンでもこんな成果申告シートは恥ずかしく提出できないだろう。

 業務目標達成度を報告する時のサラリーマン同様、自民党は今回こう考えたに違いない。「書いたことがなにもできていなくても、恬然と言い逃れできるようなマニフェストを書いておこう」。今回の骨粗鬆症マニフェストの舞台裏はおそらくこれだ。(8/1/2009)

 日経平均は終値で10,356円83銭、きのうに続き年初来高値を更新した。ニューヨーク市場も7月7日に161ドル27セント下げてからは大きく下げることもなく、気味が悪いほど単調に上げ続けている。7月23日の時間中に回復した9,000ドル台を時間中も割ることはなく上げて、けさ(30日)の終値は9,154ドル46セントだった。

 やっと自分の本当の姿が見えてきたらしい麻生は解散の後、ひたすら業界団体まわりに徹していた。これまで自民党総裁が足を運んだことのない団体も多く、「これがはじめて」という声と同時に「よっぽどなんだねぇ」という同情とも憐れみともつかない「感想」が伝えられている。そんな中に全漁連の名があった。全国各地にある漁協の上部組織だが、今月初めの兵庫県知事選で姫路市の坊勢漁協が期日前投票をした人に2,000円を渡し買収ではないのかと一騒ぎになった「著名な業界団体」でもある。落ち目の自民党にしてみれば、こういう「業界団体」の「伝統的で地道な(?)実弾ありの選挙活動」にでもすがりたい気持ちなのかもしれない。(もっとも、件の県知事選では自民・公明に民主・社民までが相乗りをした候補だったので、話は「いまだに選挙はカネという田舎があるんだね」という話にとどまったのだが)

 さすがに麻生も裏街道の利益誘導型団体まわりだけでは戦えぬと思ってか、きのうあたりは恐る恐る大田区だか品川区だかの商店街の「視察」を試みた。報ぜられるところでは動員をかけられた「支持者」の多さに我を忘れてマイクを握り、予定外の街頭演説をした由。さっそくかましたのが「定額給付金、よかったでしょう」というセリフだったところを見ると、動員をかけられたのは創価学会関係だったのかもしれないが、「株価も持ち直して・・・」どうのこうのとも言ったとか。なるほど、最近の株価の上昇はちょっとばかりのりやすい「頭の不自由な」(バカと書いては失礼だから、こう書いておく)お方たちをたぶらかせるには好材料かもしれぬ。

 しかしヨーロッパを含めて、日本も、アメリカも、失業率はまだ増加し続けている。夕刊のトップ記事の見出しは「失業率増、5.4%に」、「求人最悪0.43倍」、「経済指標『底』が見えない-6月」、その下には「消費者物価は最大の下落幅」という見出しもある。これを格差による下層の犠牲はそのままに経済は順調に回復してゆくと見るか、失業はじわじわと中間層まで浸透する結果として企業収益を期待することは難しくなり株価は再び低迷すると見るか。

 経済がカネの循環である以上、そのサイクルに加わることのできる人の割合が低下することは企業もまた下層から落ちこぼれてゆくことを意味している。人を下層から切り落とす発想しか持てない経営者と、それをサポートすることにしか「改革」の道を構想できない政治家・官僚では先行きは暗い。・・・日本の株価がアメリカの株価との相関をいつまで保てるのかを心配した方がよさそうな気がしてきた。

 とは書きつつ、我が家のポートフォリオの国内株セクションは、おととい、ずいぶん久しぶりにプラスに転じた。きょう時点での問題は、ここでいったん、「洗い替え」をするかどうかということ。終値は956円になっている。TOPIX連動ETFのうち780円で仕入れた分の一部を仕入れ値に相当する分だけ売れば350口ぐらいをただで手に入れた形にできる。これはこれでけっこう悩ましい。なにしろ、株価というのは、ケインズがいうところの「美人コンテスト」、つまり他人の思惑を忖度しながら行われるゲームでついたものだ。だから、どれほどの人が「気分」を強くもつか、日和るか、分かりはしないのだ。

 再び麻生にもどれは、たまたまのきょうの株価が愚にもつかぬ「政策」の有効性の「証明」に使えると思うのは、いかにも脳みその軽い漫画宰相らしい考え方だ、呵々。(7/31/2009)

 着いたばかりの「図書」8月号に「石橋湛山と賀屋興宣」というタイトルで松尾尊兊が書いている。懇意の古書店の主から見せられた書簡は石橋湛山から賀屋興宣に宛てたものだった。松尾でなくとも石橋湛山が何用あって賀屋興宣に手紙を出したのかは興味深い話。その内容は賀屋が仮釈放された際(1955年9月の由)に湛山宛てに出した挨拶状に対する返信。

 松尾は中身を引いて、「出獄挨拶状の内容は不明だが、おそらく印刷された儀礼的なものであったのではあるまいか。それに対する返事としては、妙に親愛の情がこもった書きぶりである」として、その背景を探っている。湛山の遺したものを回想やら全集によっても見つからなかったが、賀屋の回想記の中に湛山との関係が書かれていたという。

 そのつながりは戦前、1930年、浜口内閣の蔵相井上準之助(後に結盟団によるテロにより射殺される)が行った「金輸出解禁」の頃にあったのだそうだ。井上は相当のワンマンで、独裁的に懸案であった金解禁、それも旧平価による金解禁へと突っ走ったが、在野の経済ジャーナリストの中には湛山をはじめとして幾人かこれに批判的な者がいた。大蔵省内にもこれらの人々の意見を聞こうという者がおり、主計局の賀屋はそのための勉強会の音頭取りをしたという縁があったというのが、松尾の「発見」。

 では賀屋がどれほど湛山らの考え方を吸収し実務に役立てたかということになると、自分たちのガス抜きていど以上のことはなかったようだ。既に世界恐慌の引き金は引かれているのに、省内には抵抗などなにひとつなく、惰性とムードで金は旧平価での解禁となり、湛山らが恐れていた円高による輸出不振と保有する金の流出に日本経済は大混乱に陥ってしまった。「構造改革」に固執して状勢の変化への対応力を失う話は、現代に生きる我々もどこかで見聞きした話でいささか複雑な気持ちがする。

 そもそも賀屋が湛山の話を聞くとすれば、十年ほどさかのぼって「大日本主義の幻想」あたりからそうしていればよかったのだ。しかし遮眼帯をつけた(つけられた)賀屋の視野にはそうしたものは入らず、ごく狭い「局地戦」に関する論議のみが彼の能力の限界だったのだろう。(7/30/2009)

 川村カオリという人を知らなかった。朝刊の訃報欄に三越事件の竹久みちと並んで載っていた。

 ロック歌手。女優、モデルもしていたらしい。04年に乳癌で手術したが、去年、再発を公表しつつも、ライブ活動もアルバム制作をしていたとのこと。

 たまたまさっきつけたテレビで、彼女が娘に宛てた手紙が紹介されていた。思いのあふれるもので、是非書き取っておきたくなって、検索をかけてみた。

ママからのおねがい

夜更かしをしないでください
ジャンクフードを好まないでください
乳製品を避けてください
体が冷える事をしないでください
がまんをしないでください
強くあろうとしないでください
いっぱい運動をしてください
こうでなきゃだめというマイルールをつくらないでください
まちがってもまっいっかと思ってください
こんな日もあるかと鼻歌でもうたってください
理想など追い求めないでください
ここじゃないと思ったら逃げてください
あなたを大切にしない人と長くいないでください

この世界は強くはできていないから
この世界は思ったよりきれいじゃないから

 まだ小学校に入ったばかりの娘に語りかけるには少し固い言葉遣いのように感ずる。いまは理解できないところがあっても、人生を生きてゆくその折々にかけてあげられる言葉を「いま思いつくだけ、並べておくからね」という気持ちの言葉だったのかもしれない。とくに「体が冷える事をしないでください」というのは、癌患者としての実感そのものだったのではないか。

 それにしても空行を挟む直前の行を含む最後の三行は強く印象に残る。38歳。心から冥福を祈る。(7/29/2009)

 きのうの夕刊に、東京バス協会なる国交省OBの天下り先団体が自民党支部の党費徴収を代行していたという記事が載っていた。マスコミにつっつかれた形の協会総務部長は「前任者から引き継いだだけだ。ずいぶん前からやっていたようだ。各社ごとにまとめたものを党支部に持っていく取り次ぎ担当という認識だった。疑念を持たれるようなので中止したい」とコメントしていた。朝日も、読売も(当然の話だが、こういうニュースをサンケイは報じない)そういう書き方をしている。しかし、このネタのトップを切った毎日の取材はもっと踏み込んでいる。こんな具合だ。

 国土交通省関東運輸局所管で東京都から年約150億円の補助金を受ける公益法人・東京バス協会(村上伸夫理事長)の総務部長が、同協会名で会員のバス会社に対し、社員らの自民入党や党費納入をあっせんしていることが分かった。これに応じた複数のバス会社は社員の党費を自社で違法に肩代わりしていた。あっせん自体を禁止する法律はないが、専門家は「補助金を受ける団体には政治的中立性が求められており、政治資金規正法の趣旨に反する」と指摘している。
 毎日新聞が入手した資料などによると、同協会の総務部長は毎年11月下旬に「取次担当者 東京バス協会 総務部長」名で、各社の「連絡責任者」あてに「平成○年度分自由民主党『党費』の納入について」と題した文書を発送。前年度の「(自民党)東京都陸運支部党費納入者名簿」を同封して継続党員の党費(年4000円、家族党員は年2000円)の納入を求め、新規党員を募っている。
 応じた各社は党員として毎年数人から10人前後の社員を登録。このうち複数社の関係者は「協会のあっせんは10年以上前からあり、会社が党費を肩代わりした」と証言した。会社側が肩代わりして一括払いした党費について、協会の総務部長は「東京バス協会内 ○○(総務部長名)」の名義で「預かり証」を発行。後日、自民党東京都支部連合会から発行された領収書を、協会内にある各社のメールボックスに入れて渡すなどしていた。
 会社側による党費の肩代わりは、本人名義以外での寄付(党費含む)を禁じた政治資金規正法に抵触する。
 総務部長は国土交通省出身で「05年に前任者から引き継いだ。個人の取り次ぎ担当としてやっている」と説明。昨年は会員のバス会社10社余りから40人ほどの党費支払いを受けたと話したが複数の社による党費の肩代わりは「知らない」と述べた。

 続報にはこんなくだりもある。

 関係者によると、協会の専務理事らは昨年9月12日、協会会員のうち大手バス会社5社の担当者を協会本部に個別に呼び、同22日投開票の自民党総裁選に向け、1社当たり4人の東京都内在住社員を自民党員として新規登録するよう要請した。
 これを受け各社は9月中旬、それぞれ4人分の入党申込書を提出。この際、会社側は党費を負担せず、社員の名義だけを貸した形になった。中には意思とは関係なく自民党員として登録された人もいたという。
 また、党員証は会社や社員に渡さず理事側が預かり、その後行われた党総裁選の予備選で、20票は一括して1人の候補者に投票されたという。理事側に総裁選向けの党員集めを依頼したのは「今月の都議選で落選した自民党の大物都議だった」と関係者は指摘するが、この元都議は取材に「そういうことはしていない」と答えた。

 党費の肩代わりは3年以下の禁固または50万円以下の罰金となる由。

 どうも朝日や読売の記事は、なにゆえかは分からないが、肝心なことは何も書いていない「テンプラ記事」ということらしい。たしかに、いまや「不公正」で「不公平」であることが唯一の誇りになってしまった「検察庁」(橘の徽章が泣いているよ)が動きそうもない「事件」には違いないが。(7/28/2009)

 夕刊の「検証・昭和報道」は先週から「終戦への秒読み」。きょうはポツダム宣言の発表により株価が動いた話。面白いので全文を書き写しておく。

45年7月27月。
 日本時間で早朝、ポツダム宣言が発表された日、日本郵船の株価が跳ね上がった。
 ポツダム宣言への各界の反応を内務省がまとめた7月29日付の「思想旬報(号外)」によると、宣言発表以来、株式市場が活況を呈し、特に郵船株は、27日が90銭高、28日は2円30銭高と、値上がりが目立った。内務省は「早期戦争終結に対する希望的観測市場に現出しつつあるものと認めらる」と分析している。
 戦況悪化で経済統制が強まるなか全国の証券取引所は一つに統合され株取引の規制が厳しくなっていた。それでも実際に株を持っている人たちによる実物取引の市場は生き延びていた。
 29日付朝日2面には「実株中値」(28日)という約150社の株価一覧表が載っている。裏表2㌻しかない紙面が戦争一色で埋まる片隅で、株価欄は細々と続いていた。短い解説記事が付いており「企業基礎の堅実性を信ずる空気のあるのが注目される」とある。
 郵船をはじめとする海運業界は、戦争で壊滅的な打撃を受けていた。『太平洋戦争沈没艦船遺体調査大鑑』によると、連合軍の攻撃などで沈んだ船は、軍艦が651隻、商船は陸海軍徴用分も含め2934隻。
 海の動脈が寸断され、経済的に戦争継続は不可能だった。そんななか、ポツダム宣言が出たことで、戦争終結が近いという観測が広がり、海運株が敏感に反応した。
 一億玉砕が叫ばれる裏で、冷静に打算的に、戦争の終局を見つめる人とマネーが存在した。
 実は株価の動きは、ポツダム宣言の前からだった。しかも、日本郵船だけではない。45年に入ると、軍需産業以外の銘柄が「平和株」と呼ばれ、注目が集まっていた。
 4月中旬になると、「郵船、三井、三菱など船株、財閥株、繊維株を中心とする平和産業株に対する物色循環買人気は遂ひに全面高の活況を呼んだ」(『朝日経済年史』)。
 さらに、「戦争の最終段階接近感から時局株の低調を尻目に平和株は、猛烈に買直されて、八月初旬、郵船は戻り新高値へ、連れて松竹、東宝などの興行株の如きまで一段高をつけるなど、人気正に沸騰点に達せんとする感があった」(同)というほど過熱していた。
 株式市場は、すでに敗戦という材料を織り込んでいた。が、それだけではない。 セメント会社や商社の株価も軒並み高騰した。それは敗北の先にある、来るべき復興需要をめざとくかぎつけた人たちがいたことを物語っている。

 大日本帝国の軍人が本土決戦などということを議論している時、もうとっくに戦争の終結を視野に入れ、それに備えることを考えている人々が、同じ国に少なからずいたということ。

 経済の歪みこそが収益の源泉である。これは永遠の真理だ。とはいうものの普通には経済の歪みを見つけることは難しい。だが政治の歪みが経済にストレスを与えているのを知るのは、ある程度の「眼」があれば比較的やさしい。先んじて歪みを見つける者が富を獲得するのだとすれば、狂気に走る愚か者がゴロゴロいて歪みを作ってくれる時代というのは、さほど知恵がなくとも「儲け口」が見つかる「いい時代」だったということになる。もう一度、バカな右翼屋さんとバカな軍人とが共鳴しあってズンチャカ、ズンチャカ、破滅ダンスを踊ってくれるのも、いいかもしれない。

 戦争には反対だし、社会の右傾化にも反対だが、同時代に住む隣人たちが総じて愚行に走る時には、一個人としてその愚行のもたらす歪みを利用するのは当然のことだ。たとえば、消費税には反対だし、その税率アップにも反対だが、世の中がそう動くというなら、「金」を買っておくのは当然のこと。消費税率のアップ分はそのまま儲けになるのだから。(7/27/2009)

 九州、山口あたりはすさまじい豪雨だというのに、きのう、きょうとこちらはみごとに晴れ上がって、暑い。本当に暑い。

 クラクラする頭で朝刊を繰っていたら、いっそうクラクラするような広告に行き会った。幸福の科学出版の本。タイトルは緊急発刊「金正日守護霊の霊言-日本侵略計画vs.日本亡国選択」。大見出しは「国師・大川隆法によって国難の正体が明らかに」。

 「本文より」として一部が載せられている。

質問者-どこにミサイルを撃ち込むつもりか?
金正日守護霊-いちばん効果的だと思う所に。あなたがたが、いちばん嫌がる所。皇居だね。日本の全システムを破壊して、貧乏にしたんでは、取れるもんが取れないからね。象徴的で、経済的にダメージがなく、日本人がいちばん恐怖する所を狙っている。命中精度がさらによくなれば、首相官邸も狙ってみます。

質問者-日本の金融資産を取るとは、どういうことだ?
金正日守護霊-日本は属国になるわけだから、日本のお金は、全部、北朝鮮のものになるよ。わが国が核兵器を揃えても、日本は憲法改正ができないから戦うことはできない。ちょっと威嚇して。そしたら、もう、お手上げでしょ。少なくとも・・・。

 守護霊なるものについては、こんな注釈がつけられている。「守護霊とは・・・人間の魂は6人のグループからなり、あの世に残っている『魂の兄弟』の一人が守護霊を務めている。守護霊の考え方は本人とそっくりであり、本人の利益を守ろうとする。外国人霊の場合、言語中枢から必要な言葉を選び出し、日本語で語ることも可能である」

 なかなか言い訳のうまい注釈だ。この注釈と質疑応答に見る限り、金正日はあまり怖い人物ではなさそうだ。自分の欲望を問われるままにあっさりしゃべってしまうのが、金正日と「そっくり」だというのだから。こんなに素直で正直な独裁者がいるとは驚きだが、高度に機密性を要する侵略の意思をベラベラとしゃべるようでは計画の成功はおぼつかない。どうやら国師様は自問自答したものを金正日守護霊とのインタビューと誤解したのではないか。これほど阿呆で、かつ野心家という条件を満たすのは大川隆法がぴったりだもの。呵々。

 おととしの参院選の直前、自民党の大敗北を懸念したサンケイ新聞はさかんに北朝鮮の脅威をかき立てた。まず、「年金記録紛失問題、閣僚の相次ぐ失言などで苦境に立つ安倍晋三首相をほくそ笑んでいる国がある」と書いた。そして「参院選の『政策論争なき迷走』はいったい誰を利するだろうか」とも書いた。なんとか北朝鮮ヒステリーを再燃させて自民党、安倍晋三の援護射撃をしようともくろんだわけだ。残念ながら、ヒステリーが再発することはなく、安倍は惨敗を喫し、それが総理の椅子を投げ出す歴史的「腹痛」の原因になった。どうやらこの国のライトマインドのお方たちにとっての最大の守護神は北朝鮮の「将軍様」らしい。さて「国師」・大川隆法のこの援護射撃が苦境の自民党を救うかどうか、楽しみに見守ることにしよう。(7/26/2009)

 「ナントカの耐えられない軽さ」というのはあるベストセラー小説のすばらしい題名だが、麻生太郎の底の浅さは麻生太郎以外の自民党政治屋諸君を困惑させているだろう。わずか数日前、「わたしの発言や、ぶれたといわれる言葉が国民に政治への不安・不信を与え、結果として自民党の支持率低下につながったと深く反省している」と侘びてくれた党首が一週間と経たぬのにまたやらかしてくれたのだから。

 きょう、午前中、横浜で開催された「日本青年会議所」の会合に挨拶で立った漫画宰相は「高齢者は働くことしか才能がない」と語り、さっそくマスコミネタになった。釈明宰相は夜の仙台で行われた自民党セミナーで恒例の釈明スピーチを行った。言い訳の論理もまたまた聞き飽きたもので、「一部だけを取り上げられたもので真意が伝わっていない」。

 果たしてそうかどうか、時事通信のサイトに掲載されている「発言の要旨」を書き写しておく。

 どう考えても日本は高齢者、いわゆる65歳以上の人たちが元気だ。全人口の約20%が65歳以上、その65歳以上の人たちは元気に働ける。いわゆる介護を必要としない人たちは実に8割を超えている。8割は元気なんだ。
 その元気な高齢者をいかに使うか。この人たちは皆さんと違って、働くことしか才能がないと思ってださい。働くということに絶対の能力はある。80(歳)過ぎて遊びを覚えても遅い。遊びを覚えるなら「青年会議所の間」くらいだ。そのころから訓練しておかないと、60過ぎて80過ぎて手習いなんて遅い。
 だから、働ける才能をもっと使って、その人たちが働けるようになれば納税者になる。税金を受け取る方ではない、納税者になる。日本の社会保障はまったく変わったものになる。どうしてそういう発想にならないのか。暗く貧しい高齢化社会は違う。明るい高齢化社会、活力ある高齢化社会、これが日本の目指す方向だ。もし、高齢化社会の創造に日本が成功したら、世界中、日本を見習う。

 Wikipediaによれば、凡々宰相は78年、任期一年の青年会議所会頭を務めている。「遊びを覚えるなら青年会議所の間くらいだ」というのはまさに実感なのかもしれない。略称JC、日本青年会議所は「お金持ちのボンボンクラブ」として有名だ。ただしあまり上品な遊びはJCでは覚えられないようで、コンパニオンを裸にしてアレしたとか、飲み屋の女性にストリップをさせてコレしたとか、毎年、各地でスキャンダルを起こしている。最近はカネに飽かせたスキャンダルではなく、使い込みやら強盗殺人などカネを稼ぐ遊びにまで手口を広げているのは時代の流れか。そうそう、麻生同様、会頭を務めたことのある鴻池某が愛人との温泉旅行にJRの無料パスを使う(せこい話)などして官房副長官を馘首になったのはつい最近のこと。JCがどんな活動をしているか知る者は少ないが、JCのスキャンダルの方はそれに比べてはるかに有名という、まことに立派な「団体」だ。

 興味深いのは、マスコミが指摘する「高齢者は働くことしか才能がない、と、高齢者を揶揄したとも受け取れる発言をした」ことではない。「その元気な高齢者をいかに使うか」と会場の「青年実業家」の皆さんに「知恵」を授けようとしている(しょせん学習院レベルの猿知恵だが)ところだ。

 麻生やJCのメンバーがどう思っているかは知らないが、彼らが「遊び」を学んでいる20歳から40歳までの間あくせく働いて、やっと高齢者と呼ばれる年代になった人たちだって、余裕があれば、多くの人は「遊ぶ」だろう。たしかに「女をカネで買って、アレコレする」ようなJC流の「遊び方」はしないだろうが、まっとうな「遊び」くらいは別にJCのようなアホクラブ出身でなくてもできる。

 それでも「働く」のは、余裕がないからか、それまでの経験から見て、多少とも将来に不安があるからだ。(そんな社会にしてくれたのは小泉さんと自民党さんだが)。

 麻生の言う「いかに使うか」の真意は「高齢者は安く使えるよ」というところにある。「働くことしか才能がない」ように見える高齢者は「カモ」だと言っているのだ。高齢者は安く使えるから利ザヤが大きいぞ、遊びを知っているJCメンバーはもっと遊興費が潤沢に使えるようになるぞ、つまり、働くしか能がない働き蟻はもっとこき使え、遊びを知っている我々、青年実業家さまがどんどん遊びに使ってあげるから・・・と、こういうわけだ。

 麻生の話の後段もまたなかなか興味深い。

 「高齢者が働けば納税者になる」。この理屈はその通り。しかしそこに隠されている事情はこういうことになる。安く使われた高齢者の稼ぎでも、それに相当する分は年金支給額をきっちり減額した上で、がっちり課税するぞ、けっして大きな利ザヤを稼いだ「青年実業家」の税負担を多くしなくても、広く薄く税収をあげれば、今のままでゆけるから安心して安い高齢者をどんどん使え。高齢者のいいところは雇用側の年金負担がほとんどないことだ。こういうのを活力ある高齢化社会というんだよ。これが自民党のめざす方向だ。金持ちの金持ちによる金持ちのための政治、これだよ、これ、分かったね、青年会議所のメンバー諸君。・・・おおよそ、こんな所だろう。(7/25/2009)

 ホームページの「玄関飾り」の更新が滞っている。しばらく漢詩がなかったと思うが、思い浮かぶのは秋から冬の詩ばかりでこれというものが出てこない。

 本棚に「李商隠詩選」があった。李商隠は高橋和巳を経由して知っていたが、艶詩の詩人(「詩人の運命」にはどんな風に書かれていたか、まるで記憶がない)と思い込んでいた。ちょっと前に岩波文庫に収められているのを買っておいた。

 たまたま開いたページにかなり激烈な政治批判の詩が載っていた。

   随師東
東征日調萬黄金
幾竭中原買闘心
軍令未聞誅馬謖
捷書唯是報孫?
但須??巣阿閣
豈暇鴟??
可惜前朝玄菟郡
積骸成莽陣雲深

 とても注釈なしでは読めないが、尋常ならざる雰囲気の字が李商隠の怒りを伝えている。選者の川合康三の訳はこのようになっている。

 東方征伐のために毎日一万の黄金を調達し、中原の財が底を突くまでにして兵士たちの戦意を金で買ったのだった。しかし軍令を犯した馬謖を誅するほどの厳正な規律は耳にしたこともなければ、勝利の報はまだ生きていた孫?(そんさん:呉の軍司令官)の首級をあげたなど、偽りばかり。今求められているのは、鳳凰にも比せられる人物が朝廷に集まること。鴟?(しきょう:フクロウの一種)のごとき逆賊を教化する、そんなゆとりはあろうものか。あたら漢王朝が開いた玄菟郡(げんとぐん:朝鮮国境あたりの地名)には、戦死者の遺骸が草藪のように積み重なり、殺気を孕んだ陣雲が深く垂れ込めている。

 幻想的な恋愛詩ばかりという詩人ではなかったということか、などと思いつつ、あちこちと拾い読み。ただ、どうもいまの季節の「玄関飾り」にはちょっと暑苦しい。(7/24/2009)

 申請の受付スタートから3週間、最初の一山を超えたころではないかと思い、エコポイントの申請手続き。「グリーン家電エコポイント事務局」のホームページからインターネット申請ができる。といっても画面から情報を入力するだけではダメで、入力した情報によって自動生成された「エコポイント登録・交換申請書」をプリントアウトし、これに保証書コピー、領収書原本、そして交換廃棄品がある場合は家電リサイクル券の控えのコピーを貼り付けて送らなくてはならない。

 入力して内容を確認し、「印刷」をクリックするとアクロバット文書ができあがる。4ページ構成。申請に必要なのは1ページと2ページ、または1ページと3ページ、4ページは控え。控えは電子データでもっていればいいのだから打ち出すのは2ページ、両面印刷にすれば紙は一枚でいい。

 ただし申請書はエコポイント対象品一台について一葉となっている。今回はエアコン4台。したがって申請書は4セット。複数台の購入というケースもあるのだから、まとめて申請できるフォーマットがあってもよさそうだが、事務処理の問題があるのかもしれない。まあ、仕方がないと作業を進めて、ひとつ疑問。領収書は当然の話だが一台ごとに別々にもらっているわけではない。よくある話のはずだがFAQをサーチしてもない。仕方なしに電話問合せ。

 回答は「まず一台目の申請書に領収書の原本を貼ってください。残りの申請書には各々に領収書のコピーをとって貼ってください」というのだ。「4台まとめて申請書を送るので、残り3枚には『別貼り付けの領収書参照』と注記することではいけませんか」と尋ねると、「ダメです、コピーを貼ってください」という。小さく腹を立てながら、もしやと思って、送付するのは一台について2ページですが、両面印刷でいいですか」と尋ねると、「両面印刷はダメです、ちゃんと1ページずつ印刷してください」との仰せ。重ねて「でも2ページ目というのは、領収書とかの必要書類の貼り付けスペースじゃないですか?」と尋ねると、「ダメです、きちんと別ページにして貼り付けてください」ときた。

 「エコポイントのエコって、どういう意味ですか?」と言ってやった。答えがない。そういう反撃があろうとは思っても見なかったようだ。ポイント還元でカネがもらえるなら下々の者は唯々諾々とそれにしたがうに決まっていると思い込んでいるのだろう。

 「わざわざ用紙を2倍使わせるのは用紙のムダでしょう。ちっともエコじゃないじゃない。領収書なんて、よほどの理由がなければ、買い物の一品一品ごとに別々にもらうわけないでしょ。それを『コピーをとれ』ですか。コピーの用紙がムダ、コピーをとる電気代がムダ、よっぽどエコの精神に反してない?、エッ、どう思うの?」。「・・・皆様にそのようにお願いしていますので・・・」という。ムカムカしてきた。「答えになってないよ。紙を倍使わせて、コピーをたくさんとらせることが、エコですか?、エコポイントなんていうなら、エコに背くようなお願いの仕方は間違っていませんかって、訊いてるんですよ。間違ってないっていうりくつを説明してくださいよ」。「・・・おっしゃるとおりですが・・・、こちらの処理の関係から・・・」。

 もう少しいじめてやろうかと思ったが、問合せ電話はナビダイヤル、電話代はこちら持ちだ。バカバカしいので、「仕組みを作る時はもう少しきちんと考えなさいよ。ちょっと、頭の中で考えればすぐに思いつくケースでしょ」というと、救われたように「承りました件は報告しまして、今後の参考にさせていただきます」と言った。嘘をつけ、お役所仕事なんか、いつだってこんなものだ。カネの支払いに絡む方はじつに細かなところまで制度設計をするが、申請者のやりやすさについてはほとんど何も考えない。それがこの国の役人の仕事ぶりだ。

 一件書類を仕上げて封筒に入れて、宛先を書く段になって、なぜ両面印刷不可、重複案件の領収書コピー添付と指定したかが分かった。宛先は「郵便事業株式会社 新東京支店留 グリーン家電エコポイント申請係」。どうやら郵便事業会社が業務委託されているらしい。同封する紙の枚数が多ければ多いほど送料は高くなる。郵便料金収入が多くなるような効果を狙っているのか、なるほど。(7/23/2009)

 グーグル検索エントリーページのバナー、きのうは「アポロ11号月面着陸」(たぶんアメリカ時間での設定だったのだろう)、きょうは「皆既日食」だ。

 天気は冴えない。日食の時間帯も本曇り、暗いのが天候のせいか日食のせいか判別できず。国内でもっとも長時間皆既日食が見られるというのでツアー客が押し寄せて一躍有名になったトカラ列島の悪石島はあいにくの天候で「完全アウト」だった由。小笠原諸島から硫黄島あたりまでのクルージングというのが大正解だったようだ。

 中国まで出かけた**さんからメールが来た。「曇との戦い?で大苦戦しましたが観ました! 隠れた瞬間、頭上に金星が輝き地上では花火が打ち上げられました 感動しました! 日食は今も続いています 首が痛いです・・・」、興奮気味だ。なにより杭州まで行ったんだもの、よかった、よかった。(7/22/2009)

 やっとこさ衆議院が解散された。国民はじつに300日あまり、「もうすぐ選挙だ」と思いつつ待たされた。麻生が貧相な顔で「解散は然るべき時期に私が適切に判断させていただきます」と繰り返すたび、「また言ってるよ」と嗤わなかった国民は一人としていない。すでに都議選に惨敗する前、石原慎太郎は「射撃の選手なら撃たなきゃ、見送ってるうちに的は飛んでって弾がとどかなくなるぜ」と、いっこうに引き金を引かないアホな太郎を皮肉っていた。

 慎太郎も自分が波をかぶる前にヘジテーション・タローにアドバイスをしておくべきだった。麻生が本当に「総選挙」に対してまじめであったかどうかは疑わしいが、もし解散をうつならいくつか機会はあった。小沢の秘書が逮捕された直後などは、いまや勝つためにはどれほど卑怯な手段を用いようと恥じらいも躊躇いもなくなった自民党にとっては、法務・検察官僚が仕組んでくれた絶好の機会だったはず。

 この3月から4月にかけての好機こそ、公明党との関係からいって最後のタイミングだったはずだが、サミット出席に未練たらたらの麻生はこれを見送った。しかしそのツケは大きかった。よもやの千葉市長選にまで負けた。麻生の頭にはサミットに出ている自分への自己陶酔しかなかったのだろう。静岡県知事選の敗北もサミット出張にウキウキしている彼にはなんということもなかったし、都議選の敗北に至っては「笑ってごまかす」ことに決めていた。

 それでも「解散」をミッションにして就任しながら「任期満了」では格好がつかない。もはや「解散」とは言い条、任期満了による総選挙と何も変わらないことぐらい、いくらバカな麻生でも分かっていたはずだが「伝家の宝刀」を抜かずに辞めるわけにはいかない。つまりきょうの「解散」はほとんど麻生太郎という男のメンツのためだけの「解散」だった。

 にもかかわらず、麻生が決めることができたのは「解散総選挙」という一点のみ。選挙日程は、なんとか自民党幹部に支えてもらうためにも、いまや自民党候補の命綱になった公明投票をめぐんでもらうためにも、最大限時間稼ぎのできる「8月30日」といわざるを得なかった。(複数のマスコミの報道によると、麻生は当初8月2日、ないしは8月8日―土曜日だが、翌9日は久間が「仕方がなかった」と形容した長崎原爆の日のため―を投票日にするつもりだった由)

 これほど惨めな「解散」を行った首相はいない。これこそ、まさに「野垂れ死に解散」。(7/21/2009)

 きのうは**ちゃんと**(家内)を乗せて「たんばらラベンダーパーク」へ行ってきた。7時少し過ぎに家を出たが、既に関越は渋滞。高坂のサービスエリアまでたっぷり1時間半ほどかかった。

 パーク到着は10時半。美瑛や富良野を見てきた眼にはスケールで食い足りない。なにより入園料千円は高すぎる。ファーム富田は入園料などとらない。スキー場との二毛作を考えている以上、ただにはできないのだろうが、もう少しリーズナブルな価格設定をしないとリピーターがいなくなるだろう。

 ゆっくり散策して、お昼を食べ、1時少し前に出た。「吹割の滝は遠いの」と**(家内)。竹芝のホテルまで送り届けて、レンタカーの返却となると時間的に厳しく、却下。

 シーサイドホテル着は4時。朝霞まで戻ってレンタカーの返却は6時10分。

 借りたのは新プリウス。瞬間燃費計があり、トリップメーターをリセットしてからの通算燃費が表示される。なかなか楽しめる仕掛け。ナビも10年前のものとは格段の違い。とくに首都高では威力を発揮する。納車が楽しみになった。

 トヨタ朝霞の**さんに自宅まで送ってもらって帰宅は7時前。いままでになく疲れて、風呂にも入らずバタンキュー。いわゆる「爆睡」。4時過ぎに目が覚めた。たかが200キロ程度のドライブで、あれほど疲れたのは初めてのこと。急速に体力が落ちてきているのだろうか。

 パソコンのスイッチを押し、雨戸を開ける。ちょうど日の出ごろ。「限りなく透明に近いブルー」、そういう空だ。そう、村上龍が芥川賞を受けたとき、いちばんに思い出したのはあいつの言葉だった。「ドカチンしてな、日当もらって下宿まで帰るころ、明るくなってくる。そんときの空には色がねぇーんだ」。それまでずっと「その空は無彩色」なんだろうと思っていたが、「限りなく透明に近い空」ということだったのかもしれぬと思い直した。ずっと確かめてみたいと思っていたが、何年か前、亡くなったと聞いた。風貌は村上龍というよりは中上健次だったと思うが、卒業以来ついに会うことはなかったのだから、たしかな記憶ではない。

 たんばらラベンダーパークのサイトにアクセスしてみると、現在の気温は16.4℃。比較対象として東京の気温も表示されている。29.6℃、熱帯夜だったようだ。高原の朝とは比較にならない。高原の夜明けの空はどんな色なのだろう。(7/20/2009)

 朝刊「赤be」、「うたの旅人」は、あのケンメリ、BUZZの「愛と風のように」。

 会社に入って最初の5年半を東京工場で過ごした。当時工場は8時始まり。まだ武蔵野線はなく、小金井までバス、小金井から「国電」。朝のバスはラッシュ時間に近づくほど乗っている時間が長くなる。6時半過ぎには家を出ていた。ラジオは深夜のパックインミュージックから続く日産提供の番組が終わるころで、日産のテーマ曲が流れる直前、最後のコマーシャルソングが流れるのを聴きながらバス停に急いだものだった。

 「ケンとメリー 愛のスカイライン」というコピー、バックの「道の向こうへ~、出かけよう~」という歌詞とメロディーにはインパクトがあった。その歌が使われていたのは、初代MICREXの開発にたずさわっていた年だったと思う。会社生活がいちばん楽しく充実した時期だったけれど、忙しすぎて辛い時期でもあった。出勤途上は、きょうはこうしてああしてここまで片付けて、なんとか今度の日曜日は確保しようと思うのだけれど、いざ仕事に取りかかると、思うようには進まず土日のスケジュールなどはどこかに飛んでしまったまま週末を迎える・・・ということの繰り返しだった。

 そうだ、あの年の日本シリーズはジャイアンツといまは亡きブレイブズで戦われたはずだが、ほとんど記憶にない。それほどに追い詰められていた。こうして書いてみると。「簡単な話じゃないか、日曜日は休むと決めてしまえばいいだけのこと」、そう思うが当時はそんな風には考えなかった。

いつだって
どこにだって
果てしない空を
風は歌ってゆくさ
いまだけの歌を
心はあるかい
愛はあるのかい

 決められなかったのは、休みを取ったところでどうするのか、心のどこかが後ろ向きになっていたということかもしれない。・・・これ、合理化機制だね。(7/18/2009)

 都議選惨敗の翌日、麻生はやっと解散の予告をした。もっともこの男が解散予告をするのは今回がはじめてではない。去年の秋、福田から総理の座を「禅譲された」こいつは、正式に総理大臣になる前に、手記を書いて文藝春秋に掲載した。

 その手記に「国会の冒頭、堂々と私とわが自民党の政策を小沢代表にぶつけ、その賛否をただしたうえで国民に信を問おうと思う」と書いた。後にこいつは「解散の『か』の字も書いてない」と開き直ったが、いくら漢字が読めないばかりか日本語もよく操れぬ学習院の劣等生(学習院のレベルが世評通りだとしても、この首相のレベルほど低くはあるまい)でも、「国民に信を問う」と書けば「総選挙を行う」ということであり、任期満了によるものでない限り「総選挙」は首相による「解散」以外にはないことぐらいは知っていなければならない。

 そもそも「解散」を「予告」するということ自体が異例中の異例らしい。なぜその「異例」を行ったか。単純に任期満了の解散を迎えた「何もできなかった低能総理」と言われたくなかったからだろう。だが、ここまで引っ張れば任期満了と五十歩百歩、何も変わることはない。

 会期末は今月28日、火曜日。28日の解散では任期満了そのもの。「21日に始まる週に解散」というのは・・・もう嗤ってしまう。嗤えることはこれにとどまらない。来月18日公示、30日を投票日というのは「解散後40日以内」という憲法の規定が許容する限度いっぱい。名古屋市長選以来、さいたま市長選、千葉市長選、静岡県知事選、そして東京都議選(奈良市長選というのもあった)と連戦連敗の自民・公明タッグの「一日でも先延ばししたい」気持ちを如実に表していて哀れさが漂う。

 それにしても月曜日の「解散予告」以来の自民党のドタバタ劇は目を覆うばかり。古賀選対委員長が辞任し、総括目的の両院議員総会を開催しろ、開催しないの押し問答が続き、与謝野・石破は麻生に辞任を進言し、・・・、そうそう民主が内閣不信任案を提出して、麻生に辞任を迫っている自民党内反乱グループが「恥」をさらすのを嗤う場面もあった。亀井静香は「国会解散じゃなくて自民解散だよ」と言っていた。なるほど元身内の目は的確に見ているものだ。

 この空気を記録するために、小池百合子の動静について伝えた記事を書き写しておく。

 「戦いを総括し、戦略・戦術を見直すことなく、そのまま『突入!』ではガダルカナルではないか」。自民党の小池百合子元防衛相は15日、自身のメルマガで、麻生首相による解散をガダルカナルの玉砕戦になぞらえ、痛烈に批判した。
 小池氏は「開戦日程だけが設定され、マニフェスト(政権公約)という武器もなく、赤紙一枚で戦場に赴く兵士の思いは複雑だ」と心情を吐露。麻生首相について「戦後処理にあたった吉田茂の孫は、『失敗の本質』をご存じではないようだ」と皮肉った。
 小池氏は5日に出演したテレビ番組で「首相指名では麻生太郎と書いている。製造者責任がある。しっかり支えることが基本だと思う」と語り、「麻生降ろし」とは一線を画してきた。

 機敏な風見鶏にして達者な軍国少女・百合子の面目躍如。いまやその他の議員も空気は同じ。(7/17/2009)

 きのう、やっと5月分の年金が振り込まれた。60歳になって3月で定年退職すれば、申請手続きが終わっていれば4月から支給されるものと思っていたが、支給開始は5月から。それも2カ月単位で当該月の翌月に支払われるとは思わなかった。

 たしかに4月の生活費は通常ならば、最後にもらう給料でまかなえるだろう。しかし10%の賃金カットがあり、住民税が何ヶ月分かごっそりと差し引かれたため、住宅ローン終了後、退職に備えて定額積立に回していた方は満額に満たず、生活費としての振り込みはゼロだった。

 定年後の生活費は税などすべてを含めて月額40万、**(家内)が「ボーナス月には30万ずつくらいは必要」というので、そういう心づもりでいた。この3カ月分とボーナスの150万はすべてFirst Decade資金の負担になった。さらに企業年金の終身分は年額で試算値より*****円減額。

 ・・・というわけで、First Decade資金を再計算。不足分******円の積み増しを行った。一応、これでSecond Decade以降のため投資資金の原資を***とすることに確定。ポートフォリオの構成を、コア分を国内株、海外株、国内債券、海外債券、サポート分を海外REIT、新興国株に決めた。十年ごとにそのDecadeの所要資金を安全資産に移すスタイルをとるためには年3.8%で回さなければならない。

 したがって当面の比率は国内株に厚く配分するスタイルをとり、48:8:8:16:10:10とした。これでゆくとリターンは12%、ブレは9%ていどになるはず。ただしこの推計値はおそらく従来の経済環境を前提にしたものだろうから、これがどのていど「当たる」かは「やってみなければわからない」。とりあえずはこのスタイルで10年走らせてみて、いずれ21.25:21.25:21.25:21.25:10:5の安定スタイルに変えることを考えよう。

 ここまではすべて机上の計算。昨年からの経験にたてば、一気に全額をポートフォリオに突っ込むのは危険。危険の分散はカテゴリー分散だけでは実現できない。投資時期もまた分散の対象なのだ。投入比率をどうするのか、制限された投資額で年に***万ていどのゲインをあげるのは至難の業。頭を使うことばかりだ。(7/16/2009)

 夕刊の「検証・昭和報道」。5回続いた「戦時下の大東亜会議」の終章として、大東亜会議にビルマ代表として参加したバー・モウが取り上げられている。以下、メモ的にきょうの記事を書き写しておく。

 大東亜会議から1年後の1944(昭和19)年11月、親日家で知られたビルマのバー・モウ首相は再び東京を訪れた。東アジア近海は米軍に支配されており、危険を冒しての旅だった。
 特攻隊出撃や東京空襲が始まる苦難の中で、日本側は大歓迎した。朝日は「遠来の戦友を迎へて」と題する社説で、「バー・モウ総理のかくのごとき全身的対日協力は、氏の大東亜建設の理想への献身……」とたたえた。バー・モウは帰途、台湾に寄り、特攻隊員を励ました。
 翌45年3月、ビルマを支配する日本軍に対し、ビルマ国防相アウン・サン(アウン・サン・スー・チーの父)が反旗を翻した。根本敬・上智大教授(ビルマ史)によると、バー・モウはアウン・サンの抗日の動きを知る立場にあったが、日本軍に通報しなかった。国家元首として責任を問われるのを恐れたのと、再びビルマが英軍の支配下に入っても、アウン・サンが英軍に協力した実績を残せば、将来の本当の独立達成に有利になるという愛国心からであった。

 関ヶ原の戦いを東西に分かれて戦った真田兄弟のような話。

 記事は当時の朝日新聞がどのような報道をしたかという視点から書かれているので、利用価値がなくなったとの陸軍の判断によりビルマ方面軍磯村武亮(磯村尚徳の父)の指示により暗殺されかかる話などは出てこない。

 8月、日本は降伏。対日協力のバー・モウ政樺も崩壊した。以後、彼はばったり姿を消す。「バーモウ氏消息不明」という小さな記事が朝日に載ったのは45年9月8日だった。
 新潟県六日町。群馬との県境を越えてしばらく行ったこの町の周辺に、バー・モウは亡命していた。英軍によるラングーン陥落後、ベトナムに逃れ、日本の外交官とともに東京に飛び、六日町にたどり着いた。
 彼をかくまったのは、地元の素封家で翼賛壮年団のリーダー今成拓三である。
 「お茶を出そうとすると、鋭い目でにらまれ身がすくみました」。彼を接待した旧家2階の応接間で、今成泰子(91)は当時を思い起こした。その亡命者は、拓三に「弟の妻です」と耳打ちされると、ようやく表情をゆるめた。メードになりすます敵を贅戒したという。
 満州から来た先生という名目で、近隣の薬照寺にかくまわれた。泰子は着物の胸元に青酸カリを縫いつけ、いざというときに備えた。逃げる方も、かくまう方も、命がけである。

 バー・モウは翌年1月GHQに出頭し、巣鴨に収監されるが恩赦を受けてビルマに帰国。77年にひっそりと亡くなる。

 思えば大東亜会議に出席した、ホセ・ラウレルを除いては汪兆銘、チャンドラ・ボースもその最期は暗い。参加を希望しながら果たせなかったスカルノはかえって幸せだったのかもしれない。(7/15/2009)

 麻生が解散予告をしたきのうの午後、参議院は臓器移植法改正案を可決した。なんと衆議院が可決したA案と呼ばれる「脳死は人の死」という条項をそのままにして。(脳死に関しては「本人に提供の意思がある場合のみ人の死」とする現行法の定義のままとする改正A案を否決してA案を可決した)

 子どもの臓器移植が国内ではできないのは問題、臓器を求めて外国へ行くのは国辱などといった感情論に突き動かされると、どこまでもドリフトするのが最近の風潮。さしたる論議もせず解散絡みで廃案になることを恐れて、本来「保守主義」のはずの者どもまでがいとも簡単に脳死を人の死としてしまうとはあきれてものも言えない。(山谷えり子、スジは通っている、この点は評価しよう)

 あえて酷な書き方をしよう。自分ないし自分の身内が生きるために「生き肝」を欲しがるということにある種の「ためらい」や「やましさ」を感じないような人に臓器を提供したいとは思わない。

 こんないい加減なことをするなら、オレは臓器提供を断固拒否する。「臓器提供拒否カード」を作ってくれ、それを常時携帯するから。功名にはやる移植医師の卑しいたくらみには絶対に協力してやらない。いい加減な脳死判定で命を奪われる可能性はゼロにしてやる。もっともこんなポンコツ臓器、誰も要らないといわれる可能性も少なくはないが、呵々。(7/14/2009)

 都議選の投票率は54.49%だった。前回よりも10.5%も上がってしまったのだから低投票率頼みの自民党には致命的だった。全員当選を果たした公明党にしても、前回トップ当選を果たした選挙区でギリギリ当選するなど、まさに宗教政党特有の脆弱さを露呈した。

 宗教政党といえば「自称」宗教団体「幸福の科学」の作った「幸福ナントカ党」は問題外の外に終わった。公安関係者は「幸福の科学」の今後の活動を十分に監視した方がいいだろう。オウム真理教は真理党を作って臨んだ90年の衆院選挙に全員落選した前後から一連の犯罪へと路線転換を図った。思い込みのきつい「尊師」だとか「国師」だとかという連中は、自分の妄想が現実の前に跳ね返されると、時にとんでもない「逆恨み」活動をしかねない。それがオウムの教訓のひとつ。

 きのう「石原伸晃にどれだけの反省があるか」と書いたのは、当然、オヤジである都知事・慎太郎の政策のほころびも、今回の自民大敗北の一因であると思ったからだ。

 予想したとおり、いつも被害者面をしたがる慎太郎、きょうの記者会見でもその本領を発揮した。「総選挙の前相撲にされ、大迷惑な結果になった」、「2週間前から始めた候補が自民党のエースを破るなどという現象は異常。非常に浮薄な選挙になった」、「自ら醸し出した人心の離反みたいなのを分からない、空気が読めない、なんていうの、KYか。重い責任がある」・・・などなど。

 告示2週間前から始めた候補とは千代田区で当選した民主党の栗下善行のこと。負けた自民党の内田茂は都連幹事長で連続6期の大物だった。自民党は7つの1人区で「島部」以外のすべてで負けた。麻生が応援演説にまわらなかった唯一の例外選挙区だけで勝利したのだから大嗤いだ。その流れからいえば、安倍晋三以来自民党総裁のDNAになったKY宰相の責任は重いかもしれない。

 しかし築地市場の強行移転、新銀行東京の莫大な焦げ付き資金、浮ついた東京オリンピック誘致など、石原都政の歪みが自民党候補の足を引っ張ったことも事実だろう。なぜ食品を商う市場をわざわざ土壌汚染のメッカに移転しなければならないのか、なぜ新銀行東京は1,400億ものカネを焦げ付かせたのか、そのカネとオリンピック招致基金1,000億があれば、小児病院の廃止は不要だったのではないか、もう少しはましな医療・介護・教育支援ができたのではないか、・・・という素朴な疑問は東京都民の誰にもある。それらのバカバカしい「思いつき政策」に腑抜けのように「賛成」をしたパープリン議員どもが「逆風」にバタバタと倒れたとしたら、慎太郎の責任もまた麻生以上に重大だろう。

 慎太郎のツケを払わされたかたちの伸晃、進退伺いを出した由。「進退伺い」か、女々しい奴だ。武士ならさっさと腹を切る。そういう時代でないとしたら、お伺いなどではなく辞表を提出することだ。

 麻生がやっと解散に踏み切るらしい。来週火曜日以降の「然るべき時」に解散し、来月18日公示、30日を投票日とするという「予告」というのがいかにも右顧左眄している風で可笑しい。それにしても口を開けば、「責任ある政党」だとか、「政治空白は許されない」などと言っているにも関わらず、憲法で定めた40日ぎりぎりを使い切り、それだけの空白の日を作って恥じないというのだからあきれてものも言えない。どうやら自民党が口にしてきた「責任ある政治」とはただの口癖であるということがよく分かった。(7/13/2009)

 都議選、投票日。自民党・公明党が期待したのは台風、それが適わないのならせめて雨、それもダメなら逆に熱中症続発の高温・多湿だったのだろうが、天は彼らには味方しなかったようだ。

 ことさら意地悪く彼らをみているわけではない。しかし、報道では、民主党都連は「49%までは上がる。できれば55%まで上げたい」と答えたのに対し、自民党都連は「50%ていど」と言うそばから「50%を超えると民主党に票が流れてしまう」と言い、公明党幹部は「47~48%」と言った。いつぞや森喜朗が口を滑らせたように、自民党や公明党にとっては「選挙民は眠っていてくれる方がいい」のだ。

 しかし朝から薄日が射し、気温は三十度に届かず、湿度はさほどではない、さわやかな初夏の一日だった。そのせいかどうか、時間帯ごとの投票率は常に前回を数%上回っていたようだ。最終的には50%を超えたらしい。民主主義の空洞化こそが切なる願いの権力志向の政党、自民党・公明党の皆さんにはお気の毒といわねばなるまい。

 「未明には全議席が確定する見込み」という見込みだったが、0時半までには結果が出てしまった。高投票率にもかかわらず、開票時間が短かったことでわかるように、自民党の大惨敗だった。(与党が勝敗ラインとした過半数64議席にも届かなかったのだから、「大惨敗」と書いても誇張ではあるまい)

 友党の足を引っ張っても、わがままを貫いた公明党こそ23人の全員当選を果たしたが、自民党は48から38へと議席を減らし、都議選史上自民党としては最低タイ記録となった。一方の民主党は34から54へと議席を増やし、都議会第一党になった。自民10マイナスに対し民主20プラスということは、その他野党が議席を失ったということ。共産党は13から8、生活者ネットと諸派・無所属はそれぞれ4から2へ議席を減らした。(改正直前、2議席は欠員。前回選挙では民主と公明)

 自民党の38議席、第二党転落は1965年のこと。ニセ証紙を作る(1963年)という奥の手を用いて知事選に勝ち、直後の都議選も圧勝したため慢心した自民党が、議長選挙に絡む贈収賄事件で都議17人が逮捕されるという前代未聞の醜態を晒したため行われたやり直し都議選。そのとき第一党になったのはいまは亡き社会党だった。(面白いのはこの時も公明党が23議席を獲得したこと)

 さしたるスキャンダルもない通常の任期満了選挙にもかかわらず、今回、自民党がその時に並ぶ大惨敗を喫したということに自民党は深刻な反省を迫られているわけだが、東京都連会長・石原伸晃にどれだけの反省があるか、単なる「逆風」としか分析できないようでは政治家の資質が問われる。(7/12/2009)

 あしたは都議選。その結果でいわゆる「政局」がどのように動くか、興味は津々。

 念願のサミットに出席を果たし、もはや思い残すことはなくなった麻生も今、夜には帰国した由。マスコミは解散が今月か、来月かと騒いでいる。

 しかし、もっと先の可能性だってあるということを数日前の朝刊の「ニュースがわからん!」の記事で知った。テーマは「総選挙日程」。ただし純粋に法律ではどう決められているのかという話だった。

 以下は、その要約。

 総選挙には「解散・総選挙」と「任期満了選挙」がある。

 任期満了選挙は公選法31条によると、「任期満了日前30日以内に行う」が基本。したがって任期満了を選択すれば、8月11日公示・23日投票、18日公示・30日投票、25日公示・9月6日投票の3セットのいずれかということになる。

 一方、解散による総選挙は憲法54条により「解散の日から40日以内に行う」とある。いまの国会の会期末は今月28日だから、最大限後ろにずらせるとしても28日解散、9月6日選挙ではないかと思うのは素人の浅はかさ。前記の公選法31条2項には、任期満了前30日という期間が国会開会中、または閉会日から23日以内にかかる場合は、閉会日から24日以後30日以内に行うとある由。

 いまマスコミは何があっても8月には選挙があるだろうという前提で騒いでいるわけだが、仮に自民党が居座り戦術をとるとしたら、最大いつまで選挙を先延ばしにできるか?

 任期満了選挙を避け、かつ、今国会中に解散しない。そういう方法をとればよい。公選法の任期満了規定が有効になる8月11日より前に臨時国会の招集をかける。そうすれば、任期満了の9月10日までの任意の日まで解散を遅らせることができる。たとえば、ギリギリ9月10日に解散すれば、それから40日以内のいちばん遅い日曜日である10月18日まで投票日を遅らせることができる。

 権力維持に固執する自民党にとっては、少しでも時間稼ぎをして鳩山の「故人献金」問題をつつくか、新たな民主党スキャンダルを検察庁があげてくれる(多少圧力をかけるのも手かもしれない)のを待つというのは、非常においしい選択だ。

 もちろん国政は停滞するし、いまの経済情勢ではその影響は計り知れない。しかし、この国がどうなろうと自分たちさえよければいい、権力維持がすべてだという末期的症状の自民党と、総選挙日程について都議選絡みの手前勝手を押し通した公明党のことだ、いろいろな屁理屈をつけて臨時国会の招集をかけるぐらいのことは朝飯前かもしれない。(7/11/2009)

 太史公といえばいまでは司馬遷のことをさすが、太史とは暦の作成や国史の編纂にたずさわる者の官名だった。既に春秋の昔から中国には暦の基礎となる天文現象の記録、自然現象の記録とあわせて、国の盛衰に関する記録はあったが、「史記」の成立のあと、太史と呼ばれる史官たちは明確な意識を持ってその職務にあたった。

 彼らは天命による王朝の交代をやむを得ぬものとしたから、当代に有利な事績のみならず不利、不名誉な事績も収集した。そのことが天道を究める意味で重要であると考えたからだ。王朝が交代するごとに前王朝の歴史書は編まれたが、その都度、記録者は前王朝の史官たちの残した史料を利用しつつ、自らもまたその責任をまっとうすることを心に期したのではないかと想像する。

 こんなことを思ったのは、朝刊トップの「核密約文書の破棄 指示」、「外務省幹部、01年ごろ」という見出しの記事を読んだからだ。

【リード】 日米両国が、60年の日米安保条約改定時に、核兵器を搭載した米艦船の日本への寄港や領海通過を日本が容認することを秘密裏に合意した「核密約」をめぐり、01年ごろ、当時の外務省幹部が外務省内に保存されていた関連文書をすべて破棄するよう指示していたことが分かった。複数の元政府高官や元外務省幹部が匿名を条件に証言した。

【本文】 01年4月に情報公開法が施行されるのを前に省内の文書保管のあり方を見直した際、「存在しないはずの文書」が将来発覚する事態を恐れたと見られる。
 核密約については、すでに米側で公開された公文書などで存在が確認されている。日本政府は一貫して否定してきたが、80年代後半に外務事務次官を務めた村田良平氏が先月、朝日新聞に対して「前任者から事務用紙1枚による引き継ぎを受け、当時の外相に説明した」と話した。
 今回証言した元政府高官は密約の存在を認めた上で、破棄の対象とされた文書には、次官向けの引き継ぎ用の資料も含まれていたと語った。外相への説明の慣行は、01年に田中真紀子衆院議員が外相に就任したのを機に行われなくなったと見られるという。
 元政府高官は、文書が破棄された判断について「遠い昔の文書であり、表向きないと言ってきたものを後生大事に持っている意味がどこにあるのか」と説明した。別の元政府関係者は「関連文書が保管されていたのは北米局と条約局(現国際法局)と見られるが、情報公開法の施行直前にすべて処分されたと聞いている」と述べた。ライシャワー元駐日大使が81年に密約の存在を証言した際の日本政府の対応要領など、日本側にしかない歴史的文書も破棄された可能性が高いという。ただ、両氏とも焼却や裁断などの現場は確認しておらず、元政府関係者は「極秘に保管されている可能性は残っていると思う」とも指摘する。
 ある外務事務次官経験者は、密約の有無については確認を避けたが「いずれにしても今は密約を記した文書はどこにも残っていない。ないものは出せないということだ」と話す。密約の公開を訴える民主党が政権に就いても、関連文書を見つけられないとの言い分と見られる。

 密約があったことは周知の事実だ。記事に出てくるライシャワー他のアメリカ側関係者の証言や00年にアメリカで公開された公文書があるのだから。問題は「遠い昔の文書であり、表向きないと言ってきたものを後生大事に持っている意味がどこにあるのか」と言って恥じない外務官僚の意識にある。

 我々は既に沖縄返還時におけるアメリカの核持ち込みに関する密約について、その交渉を佐藤栄作首相の密使としてつとめた若泉敬の証言も知っている。若泉は信念に従って交渉をとりまとめたが、二十年後にその詳細について記録した本(「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」)を残した。それは彼が学者であったからではなく、過去から未来へつながる歴史に対して責任を果たす人物であったからだ。

 もともとこの国の官僚(軍人を含めて)たちの多くはこういうまっとうな責任意識を持ち合わせていないクズのような連中だ。だから従軍慰安婦、薬害エイズ、・・・数限りない資料を捨てる、隠す、そして都合の悪いことはなかったことにする。まるでただの子どもと同じ。(その子どもの肩を持って、「証明する資料がないから、そんなことはなかったんだ」などと主張するバカ右翼が跳梁跋扈するのはやむを得ないことかもしれぬ)

 この記事の中で面白かったこと。その一、「外相への説明の慣行は、01年に田中真紀子衆院議員が外相に就任したのを機に行われなくなった」。その二、「密約の公開を訴える民主党が政権に就いても、関連文書を見つけられないとの言い分と見られる」。どうやら、霞ヶ関の高級官僚はなんでも言いなりになる自民党から、少しばかり物わかりの悪い民主党へと政権が交代しそうだと考えているようだ。(7/10/2009)

 外交の麻生――そういっているのは本人だけなのかもしれないが――静岡県知事選に敗北した翌日の夜、サミットへと逃げ出した。きのうの朝刊には、ローマ法王ベネディクト16世と会談したという小さな記事が載っていた。「祖父の吉田茂が首相としてはじめてローマ法王と会談し、私もこうしてお会いできた」とのべた由。もはや麻生は「想い出造り」モードに入ったようだ。

 余裕をもって首脳会議前日にローマ入りしたにもかかわらず、ローマ法王、ホスト国ベルルスコーニ首相と会談した以外、各国首脳との二国間会談は実現しなかった。麻生が本当に「外交通」だとするなら、死に体のお暇な政治家に会いたいという奇特な政治家などいないというごくごく平凡なことぐらいはわかっても良さそうなものだ。

 一方、サミットはもはや八ヶ岳ですらなくなったようで、新疆ウィグル自治区での騒乱対応を名目に胡錦濤主席が帰国するや、「主役不在」というレッテルが貼られてしまった。たしかに現下の経済情勢への対応ひとつをとってもG8だけではどうすることもできない。しかしサミットも四半世紀以上。変わらざるを得ない、あるいは変わらなくては無意味だというのは当然のこと。もはやナントカサミットをG8の国の回り持ちでやるスタイルそのものを変えなくてはならない時が来ている。そういう当たり前の感覚が持てなくなった連中が惰性で集まり鳩首凝議したところで何も有効なアイデアは出てこないだろう。(7/9/2009)

 きのう、東国原が自民党本部に古賀選対委員長を訪ねた由。マスコミはまだその顛末を追いかけているようだが、もはや店じまいは濃厚になりつつあるようだ。

 東国原も静岡県知事選の結果を見て、自分が思い込んでいるほどに自民党にはブランドバリューがないことに気づいたのかもしれぬ。そのまんま知事は「ボクがゆけば、自民党は負けない、負けさせない」と宣うていたが、その根拠はたった一点しかない。自分のマスコミ吸引力と自民党への安心感がシナジー効果を生むはずだという「思い込み」だ。

 自民党内の反発は東国原にとってはまったく気にならなかったろう。だから伊吹の言葉にたいして「自民党の血液型はO型でなければいけない」などと切り返していたわけだ。しかし各種世論調査では軒並み80%以上の高率で「立候補不支持」、そしてあの静岡で自民党が候補一本化もできなかった民主党に負けたというのは相当にショックだったのだろう。つまり自民党の不人気度は東国原の「古い常識」を超えるものだったわけだ。

 それでも終了後の記者会見で「自民党内でマニフェストにどう盛り込むかを詰めるのには時間がかかるでしょう」などと自民党にボールを預けた形にしたのは、都議選の結果やらそのあとに続く自民党内のゴタゴタの転がり方によっては、お鉢のまわることもあるかという未練を捨てきれずにいるからだろう。その意地汚さはまさに色物タレントのなれの果てだ。

 その昔、秦野章が都知事選に出るとか出ないとかで騒いだ時、みずから「昭和元禄田舎芝居」と言いながら、結局、出馬して歴史的な大惨敗を喫したことがあった。どうだ、そのまんま知事さん、自民党のお家芸「田舎芝居」に出てみちゃ。その面つきは「田舎芝居」、いや、「猿芝居」にぴったりだよ。(7/8/2009)

 夜8時からBSハイビジョン、「皇帝たちの野望:ヘンリー8世」を見る。

 高校の世界史ではさらりと「離婚するためにイギリス国教会を作った王様」としか習わなかったような気がするが、あのホルバインによる肖像画で知られた「傑物」。

 中野京子の「怖い絵」にはこんな記述がある。

 ヘンリー八世はもともと上背があり(190センチ以上だったらしい)、血色の良い堂々たる偉丈夫なので、肩から上腕にかけて大きく膨らませた衣装を着ると、巨漢ぶりはいっそう強調される。
 胸衣にも詰め物をしているので、まさに威嚇するゴリラのごとしだし、ストッキングの中の詰め物のおかげで、ふくらはぎも隆々としすぎて瘤みたいになっている。
 露骨な精力誇示も怠らない。襞をたっぷり取った短いスカートからのぞく「コドピース」。現代の目からはいささか滑稽だが、十五、十六世紀ヨーロッパで大流行した男性専用プロテクターである。最初、戦場で傭兵たちが使ったときは実用的な金属製だったが、宮廷ファッションともなれば木綿だの絹製になり、ヘンリー八世の派手なコドピースは、なんと毛皮である。

 その毛皮の「袋」の「立派さ」を裏切らず、彼は生涯に6人の妻を娶った。世継ぎの男子が欲しかったことは事実だが、まさに取っ替え引っ替えだ。最初の「離婚」のために相当にエネルギーを使った反省故か、2人目と5人目の妻にはそれぞれ「不義密通」の容疑をかけ、文字通り「首を切る」という強硬手段も厭わなかった。

 興味深いのは6人の王妃の最初と最後がともに「Catherine」であること。そしてこの二人のキャサリンは、一人は「人となり」で、もうひとりは「学識」においてそれぞれに最良の王妃だったのではないかと思われることだ。(最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンの綴りは、生地スペインの表記にしたがって、正式には「Katherine」であるとのこと)

 もし、最初の王妃キャサリンが男児を産んでいたならば、「クレオパトラの鼻」以上に歴史は変わっていたかもしれない。彼女は貴種としてのすべてを兼ね備え、「男として生まれていたら」と評されるほどの胆力も備えた申し分のない王妃だったというから。もっとも2人目のアン・ブーリンとの間の女児があのエリザベス1世であったことを考慮すると、それはそれで実現することのなかったとてつもないドラマが待っていたのではないかと想像できなくもないが。

 それにしてもチューダー王朝の安泰を願って男児にこだわったヘンリー、あの世で王朝の基盤を盤石としたのが女児のエリザベスと知ってどんな思いをしたか。

 **先生、このあたりまでふれてもらえば、もう少し世界史の授業に身が入ったのではないかと、劣等生は恨みます。(7/7/2009)

 静岡知事選、民主推薦の川勝平太が自民・公明推薦の坂本由紀子を破って当選。自民党は努めて平静を装って、「僅差で敗れたことはまことに残念」などとコメントを出した。僅差ねぇ、なるほど川勝728,706票、坂本713,654票と聞けば、僅差には違いないが、三番目につけた海野徹は332,852票を取っている。海野は民主党前参議院議員、つまり民主党の候補一本化が失敗して、なお、この結果だったということ。たしかに海野が出馬しなかった時、海野票がすべて川勝に投じられたとは限らないが、保守王国の静岡で結果的に30万票もの差をつけられた可能性が持つ意味は、若者言葉で言えば「ハンパない」。

§

 旅行中の新聞を順に読む。2日付け朝刊、船橋洋一の「日本@世界」。見出しは「『危機の20年』の出口は」。のっけからすごい数字が並ぶ。

 日本はいま、「危機の20年」の底だまりに喘いでいる。
 冷戦が終焉した1989年に、それは始まった。この年。女性1人当たりの平均出産数(出生率)が1・57へと低下し、黄信号が点滅した。人口減少傾向はその後、一向に止まらない。
 バブルが弾け、90年代初頭に景気が下降に転じてから10年間、日本は年平均約1%の低成長に甘んじた。この「失われた10年」の後、次の「失われた10年」が蛇腹のように連なっている。
 国民1人当たりの国内総生産(GDP)は、4位から19位(07年)に落ちた。国際競争力は、1位から9位(08年)へと転落した。
 この間、政府は数え切れないほどの景気のてこ入れ策を打ち出し、公共事業に湯水のごとくカネを流し込んだ。国債発行が膨れあがり、国の債務残高のGDP比は71%から174%に悪化した。
 90年代末からは、経済だけでなく社会の活力の衰えも目立つ。
 98年に年間自殺者の数が3万人を超え、その後11年間、それを下回らない。10万人比でみると、米国の2倍、英国の3倍である。
学力も下がっている。00年と06年を比較すると、「科学的リテラシー」(2位→6位)、「数学的リテラシー」(1位→10位)、「読解力」(8位→15位)のいずれも低下している。

 80年代、高度成長にプラトーが訪れたころ、国民は「総中流」意識にあった。経済指標だけではなく社会保障もその他の指標も、なかなかいいところまで来たという実感はあふれていた。船橋は続ける。

 「危機の20年」は、80年代になっても、戦後の欧米に「追いつき、追い越せ」成長戦略の次の国づくり構想を提示できなかったところに起因する。バブルがこの失敗の原因でもあり結果でもあっただろう。
 「追いつき、追い越せ」時代、企業の終身雇用制度・年金、女性の家事・介護、公共事業による地方の雇用創出を中軸とする成長モデルは、格差を抑制し、成長活力を育み、社会安定をもたらした。ところが、90年代の低成長とグローバル化の時代、企業リストラと男女共働きと財政・市場規律が要請され、このモデルは根底から揺らいだ。
 政治家は、選挙改革(細川内閣)、行政改革(橋本内閣)、構造改革(小泉内閣)と「改革」を叫び続けたが、国民はその成果を実感できないまま、中曽根康弘元首相が言うように「改革という言葉はくたびれてしまった」ように見える。08年秋の世界金融危機後、小泉改革は、米国の〝強欲資本主義″モデルの亜流とされ、いまでは「格差拡大の元凶」扱いだ。
 しかし、グローバル化は米国に加え中国やインドにも駆動され、その挑戦は続く。それを取捨選択しつつ、活用し、人材と産業の国際兢争力を高め、国富と雇用を生み出し、生活の質を向上させなければならない。改革に「くたびれる」余裕は、日本にはない。

 船橋は「日本はシステムを構想する力に欠ける」と書いているが、言葉尻をとらえるならば日本に欠けているのは構想の基礎となる理念だ。「改革」を単に「変えること」ではなく「理念を実現するために変えること」とする意識、それも持続する意識がないことがこの国の弱点なのだ。

 船橋は「改革にくたびれる余裕はない」と書くが、「国民が成果を実感できないまま」に終わったのはなぜか、未完の改革から実感できる成果を引き出すためにどのような追加的改革を行うか、そういう視点がなくてはくたびれずに行う新たな改革もまた「成果を実感できない」改革に終わってしまうだろう。

 そもそも明治政府に理念はなかった。「万世一系の天皇陛下を戴く理想国」というのは「王権神授説」のバリエーションに過ぎず、支配合理性に対する単なる説明であって理念ではない。(あえて君主制を採るというなら、その君主の住まいは「土階三等」を特徴とするようなものでなくてはなるまい)

 大日本帝国にはせいぜいがところ「欧米先進国に侮られぬ強国となること」が国家目的としてあっただけのことだったから、「一等国となった」という達成感を得るやたちどころに慢心して自滅の道をたどったのは、よほどのバカ右翼でも認める歴史的事実だ。

 たとえば「個人の生きることと考えることを尊重し、それを適う限り保護し、実現に努力する国家」という理念でもよい、そういうものがないから、選挙改革は組織政党選挙の弊害をより高めるものになったし、行政改革は高級官僚の身勝手をより確実にするだけのものになったし、構造改革に至っては逆に安心社会の伝統を破壊し中流以下をなべて下層貧民階級にたたき落とすというすばらしい成果を上げた。

 そしてコイズミ改革があまりにもみごとに過半数の国民の生活水準の低下を実現したために、次の選挙に怯えた安倍・福田・麻生らは理念も構想も放り投げ(もっとも小泉を含めて彼らに理念や構想などがあったかどうかは疑わしいが)、場当たり的な税金バラマキに腐心して、いまやこの国の混乱は目を覆うばかりになってしまった。

 日本の地盤沈下は船橋があげた諸々の数字に表れている。もう一度、国家理念、国家目的を大日本帝国的誇大妄想的なものからもっと身近な国民の腑に落ちるものに設定し直さない限り、社会に活力は生まれないし、ジリジリと低下するレベルは音を立てて最底辺へと落ちてゆくだろう。(7/6/2009)

 10時発のANA4732便。12時前に羽田着。羽田で昼食をとったこともあって、帰宅は3時。

 今回の反省。デジカメのバッテリーチェックをきちんとしておくこと。アイマスクを忘れないこと。できればモバイル環境でもインターネット接続を可能にすること。

 それにしてもさんざん遊んできて、帰り着くやいなや、「やっぱり、うちがいちばん」などと思うのは、歳をとった証拠なのだろうか。

§

 旅行中のニュースを新聞サイトで追う。毎日のサイトの「閣僚・党役員人事不発(その1)首相独りぼっち」と「閣僚・党役員、人事不発(その2)根回し不足、構想幻に」を面白く読んだ。優柔不断のバカ宰相に、死に切れていない森・安倍といったゾンビ宰相。まさに魑魅魍魎の世界だ。

 東京都議選告示日の3日夕、首相官邸。記者団の質問は「応援演説の手応えは」だったのに、・・・(続き)・・・

 森喜朗元首相や伊吹文明元幹事長らベテラン勢は「党の秩序を維持するため」として、・・・(続き)・・・

 「菅幹事長」説がささやかれ始めた6月30日、盟友を自任する大島理森国対委員長は・・・(続き)・・・

 麻生太郎首相の人事構想に火がついたのは6月24日夜だった。・・・(続き)・・・

 麻生・安倍会談後の深夜に帰宅した政府高官は「明日の首相の記者会見は注意した方がいい」と・・・(続き)・・・

 東国原英夫・宮崎県知事(51)の入閣構想が事態をより複雑にした。・・・(続き)・・・

 入閣構想は6月29日を10デーにして調整が進められた。・・・(続き)・・・

 首相を支えてきた勢力にも人事への反発が広がる中、・・・(続き)・・・

 それにしても麻生太郎という男は本当に頭が悪い、スジが悪い。森喜朗、安倍晋三、いずれも総理大臣としては「負け組」だろう。たしかに「敗軍の将」にはそれなりの「反省」にたった知恵があるかもしれない。しかしそれは「反省」の才能がある場合に限られる。森や安倍にどんな才能があるというのだ。ノミやシラミに人生相談をしてなんになる。

 「総理の座は孤独だ。どす黒いまでの孤独に耐えなきゃならん」などと言っていたのは誰だ。(「どす黒い」という形容詞と「孤独」という名詞のつながりが不明だが、某「学習院」地方ではこんな言い方をするのかもしれない、呵々)。「決心」を人のアドバイスに頼ろうとするからグジャグジャになる。ましてゴルフと腹具合で宰相の座を棒に振ったような人でなしどもに、まともな知恵などあるものか。

 夜、静岡知事選の開票速報を待ちながら、ニュースらしい番組を求めてふだんは見ることのないフジテレビの「サキヨミLIVE」を見た。「森氏が言った、『細田君は誰が選んだの?』、首相は『そんなことボクは言ってないんですよ』と・・・」。

 おや、どこかで・・・と思った。毎日のサイトで確認すると、上の記事はきのうの朝刊掲載のものだった。なにが「サキヨミ」なんだ、嗤った。毎日の記事をそのままパクっただけのつくりだ。サンケイ新聞のお粗末ぶりは天下周知、それはお台所が苦しいからでもあるのだが、サンケイを財政的にバックアップしているはずのフジテレビも、毎日の記事をシナリオに何も足さない何も引かない手抜き番組で費用を浮かせているとはね、たいしたものだ。(7/5/2009)

 8時半過ぎにホテルを出て、黒岳ロープウェイで五合目まで。天気はきょうがいちばんかもしれない。可憐な花がいろいろ。こういう時、もう少し植物に興味を持っておくのだったと後悔する。

 10時過ぎに層雲峡を出て、いまや知らぬ人のない旭山動物園へ。久しぶりの人出に遭遇。やはり人気スポットは違うものだ。いや、きょうは土曜日だったと思い直す。

 動物舎ごとの説明書きが手書き文字で暖かい。飼育担当が何を面白がって何を伝えたいと思っているのかの肉声が聞こえそうでいい。

 動物園を出たのは3時過ぎ。そのままホテルに行ってチェックインしてから返すつもりだったが、**(家内)が三浦綾子記念館の看板を見つけて、寄ることにした。

 三浦を通俗小説家のようにいう人がいるが、彼女は自分の目の届く範囲のことを題材に自分の目の高さから書いただけのことだ。けっして背伸びはしていないし、自分を飾り立てるための作為もみえない。そのあたりは同じようにクリスチャンで、「W綾子」と並び称されるもう一人の綾子さんとは大きく違うところだ。そのことは「塩狩峠」一作と、・・・と書いて困った、もう一人の綾子さんのこれという小説が思い浮かばない(思えばもう一人の綾子さん、その有名な旦那さん共々、小説家の看板を上げているのだが、ご両人そろって、これという代表作がないというのはじつに不思議な話)、そう、三浦綾子ならば、素材の勝利ではないかという悪口はありそうだが「塩狩峠」一作で、作家としての彼女が何者であったのかは十分に分かるだろう。・・・急に、彼女の最後の小説といわれる「銃口」が読みたくなった。

 満タン返し。ところがナビに表示されるスタンドはいずれもなくなっていた。やっと見つけたスタンドで給油できた時には時間切れ寸前。走行距離553.2キロ、給油量21.5リットル、リッターあたり25.73キロ。さすがにハイブリッド。

 5時過ぎにパコホテルにチェックイン。西興部に通っていたころ、定宿にしていたビジネスホテル。(7/4/2009)

 9時にホテルを出る。**(家内)の希望で、はやりの田中義剛の花畑牧場へ。牧場本体はスタッフオンリーらしい。申し訳ていどに子馬のコーナーがあったりはするものの、手っ取り早くいうと展示即売コーナーで話題の生キャラメルと乳製品を売るのみ。なんのことはない「道の駅」だ。

 壁のポスターには花畑牧場宣言らしきものが貼ってある。一人勝ちでいいとは思わないという志は立派だが、夕張分工場でメロンキャラメルは分かるとして、東国原知事と連携してマンゴーキャラメルとなると、なんかおかしい。マスコミの力はたいしたものでけっこうの賑わいだが、「そのまんま知事」同様、ブームの峠を越えたら、どうなるのかなと思わせる。

 進路を北にとって糠平湖をめざす。湖畔の鉄道資料館を観覧。士幌線はある意味近代の日本を象徴している。帯広と留辺蘂を結ぼうとして建設が始まったのが大正年間。十勝三股まで開通したのが1939年、しかし、戦後、道路の拡充に伴い鉄道収益は悪化する。人口減少のみならず主要産品であった材木が外材に圧されて激減し、バス代替輸送へ転換した後、廃線。

 タウシュベツ鉄道橋は水没季節とあきらめ、三国トンネルを経て層雲峡をめざす。資料館ではどんよりしていた天気は大函に着く頃には持ち直した。大函から銀河の滝駐車場へまわり、双瀑台へ登る。案内には20分とあったが15分ていど。これは壮観。4時過ぎにマウントビューホテルにチェックイン。(7/3/2009)

 8時半過ぎにペンションを出てファーム富田へ。ペンションの主のアナウンスによれば、終日曇、午後には雨がぱらつくかもしれないとのことだったが、なんの薄日が差してきて、暑いくらいになった。

 後藤純男美術館へ行き、観覧後、二階にあるレストランで昼食。緩やかに富良野の町に下る斜面、青々とした麦畑が続き、サワサワと風が渡ってくる。中也の詩が思い出される・・・ああ、おまえは何をしてきたのだと、吹き来る風がおれに問う・・・。

 ひたすら走る、前にも後ろにも車はない。道はまっすぐに延びている。狩勝峠を越えて、3時半には十勝川温泉着。ホテル大平原にチェックイン。(7/2/2009)

 北海道の朝は早い。いまの季節、4時には明るくなる。中学、高校時代、雨戸のない南7条の家でよく7時まで寝ていられたものだと不思議に思う。

 9時半のスーパーカムイ、11時少し前に旭川着。駅前のトヨタレンタで手続き。慣れないカーナビのセットに手間取り、出発は11時半過ぎ。美瑛をめざす。マイルドセブンの丘をスタートに東奔西走。天気は前回同様の曇ベース。

 北西の丘展望台からレストラン「ブランルージュ」に向かう時、フロントグラスに雨粒。ゆっくりビーフシチューを食べ、東ブロックの拓真館に向かう頃には薄日が差してきた。

 平日のせいもあって観光客は少ない。めだつのは観光バスでまわる中国人団体客と中高年夫婦。平日の観光地をまわれるということはリタイア世代なのだろう。乗っているのは「わ」ナンバー。車種はプリウス。この組合せがじつに多い。まさに我々。

 最近できたらしい四季彩の丘に寄ってから、きょうの宿、ペンション「星ヶ丘」へ。

 ペンションは全5室。コンパクトながら、食堂につながるスペースにはマッキンのC28とMC2205。ターンテーブルにはラックス、アームが懐かしきオーディオクラフト、シェルにはシュアがついていたが脇にオルトフォンT30があったからMCも用意されているのだろう。スピーカーはあのマッキンのアレイスピーカー。XRTの何番かなのだが、残念ながら実物を見るのははじめて、型番は分からなかった。まさに、「諸君、脱帽だ」というセット。

 夕食時には自動ピアノでの演奏。庭には小さいドームがあって、中には望遠鏡があるらしい。主人は天候が悪くて星が見えないことをしきりに残念がっていたが思いは同じ。

 同宿の田無のご夫婦も、「『文通』で知り合ったんです」というお嬢さんたち(「ペンフレンド」・「文通」、なんと懐かしい言葉だ、もう死語だと思っていた)も、いい宿にはいい人たちが集まるものと感激。(7/1/2009)

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