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ロッキンf 83年2月号 「Charのすべて」 〜1955年6月16日 東京生まれ 6歳でピアノ、8歳でギター、そしてチャー坊は音楽少年になった〜
最初はピアノを習わされたんだ。小学校1年生の時で担任が芸大出の音楽の先生だった。「こいつは足し算とかやるより、音楽をやったほうがいい」なんて、その先生が言ってくれたもんだから、こうなっちゃった。
兄貴が5歳上で、ちょうどその頃、エレキ熱狂ブーム到来! 文字どおり兄貴が熱狂しちゃった。オレもピアノのレッスン通いながら、おもしろそうだなって見てたんだよね。やっぱり、ベンチャーズはよく聴いた。オレも早くギターやりたかったのに、兄貴が貸してくれなくて。結局、8歳の時に初めてギターをもらったんだ。テスコ(本人の記憶の誤りで正しくはグヤトーン。96年発売のムック本の巻頭インタビューまで誤った記憶であった模様)のギター。4マイクでスイッチが20個(!?)も付いてて、シマ模様。なんか、持っただけで肩がこるって感じだったよ。
ピアノはずっとクラシックでしょ。塾なんかと同じで、ずっとおさえつけられているって感じで、その反動でギターをやってたみたい、まだその頃はね。
FOX (1966〜1970)
[MEMBERS]
Guitar : 竹中尚人
Bass : 新川博
Drums : 三浦誠
ロッキンf 83年2月号 「Charのすべて」 〜最初グァンときたのはクラプトン。全部コピーしたよ〜
初めて組んだバンドがこの"FOX"。もう、ベンチャーズはとっくに卒業してたよ。ストーンズとか、ドアーズとか、ヴァニラ・ファッジなんかを聴いてた。
やっぱり、クラプトンはショックだったね。クラプトン、クリーム、ほんとすごかったよ。ともかくギターの音が違うじゃん。ピンッて音じゃなくて、ギューンって音なんだ。こいつはヤバイなって思った。もう、これしかないって感じ。クラプトンはもう全部コピーした。知らない曲ないもん。なかでも「クロス・ロード」には、中学校の3年間を費やした。
でも、あれみんなアドリブだとしたらおそろしいよね。音の歪み方がまたいいんだ。SGかな? ハイ・ポジションのフレーズはとりあえずギブソンじゃないとできないだろうし。レス・ポールじゃやりずらいね。ファイアー・バードのSGかな? ぜんぜん違ってたりして。
チョーキング・ビブラートは、クラプトンの場合、音の細かさっていう点でかなり三味線っぽいでしょ。それにしても、ギター持ってる姿がかっこいいね。
ところで、クリームとか全部輸入盤で聴いてたんだ。日本じゃまだレコードが出てなかった。当時としては情報が早かったわけだけど。じつは先生みたいな人がいたんだ。アメリカにも行ったことがあった人で、よくレコード聴かせてもらった。「チャー坊、おまえきっとうまくなるよ!」って励まされたよ。
JAH(ヤッハ) (1970〜1971)
[MEMBERS]
Guitar : 荘司純
Bass : 竹中尚人
Drums : 千代谷晃
ロッキンf 83年2月号 「Charのすべて」 〜ツェッペリンはオレたちの試金石だった〜
"FOX"はツェッペリンが出てきて解散しちゃったんだ。小学校からいっしょにやってきたメンバーなのに、やっぱりあのリズムとあのアレンジについていけなくなったんだな。「グッド・タイムズ・バッド・タイムズ」やろうとしたんだけど、できなくて。それで、違うメンバー探したり・・・。
中学校では間に血バスケットボールやってたんだ。けっこう朝練とかあってきつかった。で、そのバスケ仲間で、ルックスもぜんぜんそれっぽくないやつがいてさ。授業中教科書見ながら「ダダンダダンダン」なって言ってるから、「ひょっとして、おまえ、それ、"胸いっぱいの愛を"歌っているの?」って聴いたんだ。「そうだよ」って。「おまえ、ツェッペリン知ってるの!?」「ラジオでかかっていたから。ダダンダダンダンってやつでしょう」
こいつが、千代谷晃。オレのソロ・アルバム("Moon Child")で"Shock"に入っているベース。いっしょにシンナーとかボンドとかやった仲でさ。それと、さっきのクリーム聴かしてくれた先生みたいな人、しょうじクンと3人で作ったのが"Jah(ヤッハ)"。
小学校から中学2年の間に猛練習したんだ。すごかったよ。あの頃、5時間くらいピアノ弾いて、5時間くらいギター弾いて。
バンドでは、ヤード・バーズとか、急に戻ってやってたね。歌はその頃から歌い始めた。森進一見て、オレでも歌えるかもしれないって。もちろんクリームやツェッペリンなんかも弾きながら歌ったりして。学校の謝恩会とかによく出たね。
そうそう、フリーのオールナイト・コンサートがサンケイ・ホールであったんだ。家をどうやって抜け出すかってのがたいへんだったなぁ。
話は変わるけど、「ホワイト・ルーム」のシングル出た頃って、ヒッピー全盛だったよね。オレもサイケデリックどっぷりだったよ。
〜中学卒業の時、彼女ができて「ウッドストック」に誘ったんだ〜
ずっと3年間好きだったんだけど、黙ってて。卒業式とか全部終わってから、最初に誘った映画が「ウッド・ストック」だった。
その子はふつうのバレーボールやってる女の子で、退屈だったかもしれないなぁ。オレのほうは、見てあこがれちゃったよ、完全に。いちばん印象に残っているのは、フーとスライとジミ・ヘン。特にスライ&ザ・ファミリー・ストーンが出てきたとき。今まで白人の音楽ばっかり聴いてたじゃない。アフリカの土人が輪になってさ、ウォーウォーウォーッてやるような、明るいようで暗い感じのノリ! それを、スライ見て、グワーッと味わってさ。あ、これは違う。黒人はリズムのノリが違うって気がついた。それから、すっごくスライにはいりこんじゃった。
スティービー・ワンダーの初期の頃のとか、クール&ザ・ギャング、EW&F、それにモータウンもけっこう聴いたなぁ。ともかく、「ウッドストック」がきっかけだった。
GAS MASK (1971〜1972)
[MEMBERS]
Guitar : 竹中尚人
Bass : 林勝己
Drums : 竹中公敏
ロッキンf 83年2月号 「Charのすべて」 〜スライがきっかけで黒人音楽にのめりこんだ〜
中学3年生の1年間、グランド・ファンクを全部コピーしたんだ。これだったら弾きながら歌える!みたいな感じだね。そのあたり、やっぱりグランド・ファンクってのはうまくプロデュースされたグループだったよね。
それで、高校に入って、ギターを初めて買った。グレコのSGで、3万8000円のを3万2000円で買った。そのころはグレコぐらいしかなかったしね。そして、Gas Maskを創った。
このバンドで、またまたグランド・ファンクのコピーを徹底的にやった。オリジナルもその頃からやり出した。ヤマハのコンテストなんかも受けて、優勝したこともあるよ。
その頃、港区、品川区、大田区あたりの連中がよく集まって、多摩川あたりでよくコンサート開いてたんだ。多摩川区民会館とかね。オレたちのバンドは、その辺じゃかなり有名でね。オレは大アクション、ギターぶん投げたり、ぶっこわしたり、すごいことやってた。
さっきも話したけど、もうその頃はグランド・ファンク以外は黒っぽいのばっかり聴いてた。それで、たまり場っていうと渋谷の道玄坂。歩行者天国にちょうどなった頃から。ほんとにいろんなやつがいたね。女の子で、そのまま空飛んでいっちゃうんじゃないかって子とか・・・。
バンドの練習は恵比寿のヤマハの貸スタジオでやってて、そこのギターの先生の萩原さんって人にいろいろめんどうみてもたんだ。ある時ヤマハでパーティがあって、出てるバンド見てたら急にアタマきて、
〜「おまえ、ギターやめろよ!」ってスタージに上がちゃった〜
それでもって2曲ぐらい弾いちゃったんだ。オレって、若い頃、今よりもっともっと攻撃的だったんだよね。その人、その日をさかいにギターやめちゃってさ。ともかく、それを聴いてた萩原さんが、自分のやってたスタジオの仕事のスケジュールを全部オレにわたしちゃったわけ。
それでプロとして仕事を始めることになった。最初は教則本のテープの録音。クラプトンのフレーズを分解して弾いたり。スタジオの仕事の最初はエルザっていう女の子のギター。そのあと、あおい輝彦のLP。アレンジまでやったよ。エレックのタレントで、やってないのはないね。高校行きながらだったから、いろいろ大変だったよ。
EDOX会報VOL.22「大河連載新企画 Char's Perfect History 第一回」
「お金をもらって仕事をやるきっかけになったのが、中学の時、とあるバンドがあって、スーパーマーケットというグループだったと思うんだけど。それ観に行ったら、そこのギターの人がギブソンの335を使ってて。オレなんか当時、外国の楽器なんか死んでも買えないじゃん。お年玉40年分、みたいな。なのに、上手くもないのにこんなギター使いやがってみたいな(笑)。こっちも若いから、とんがってますし(笑)で、楽屋行って、「ちょっと弾かしてよー」
Shock (1972〜1973)
[MEMBERS]
Vocal : 南沢和孝
Guitar : 竹中尚人
Bass : 千代谷晃(後にカルメン・マキ&OZに)
Drums : 藤井章司
Keyboards : 佐藤準
ロッキンf 83年2月号 「Charのすべて」 〜章ちゃん、準との出会い〜
高校2年ぐらいになって、親衛隊ができてさ。暴走族のやつらに送ってもらったりしてたね。佐藤準と会ったのも、その頃だ。ともかくむちゃくちゃにピアノがうまいやつがいるって。おまけにジャズやってるって。それに、アンコールでいつも「展覧会の絵」をやってるってわけよ。オレも高3まではピアノやってたわけだけど、意地もあってね。でもあの曲ってとっても最後まで弾けないんだよ。その準と一緒にうあったのが、もと一風堂の藤井章司(Ds)。ハービー・ハンコックみたいなことやってたね。学生のくせしてジャズやっていいのか!学生らしくロックやれ!みたいな変な感じだった。それにしてもたいしたもんだってんで、集めだして、それでできたのが"Shock"だった(Bはあの千代谷クン)。
そのあとあと、鳴瀬(喜博)さんのBad Sceneというバンドにも半年くらいいたから、その半年は二股かけてたんだよね。そのあと急にShockが解散してしまう。
Shockは六本木の元・防衛庁の横にあった東京スタジオでレコーディングの機会を得た。午前中に何曲か録音した後、1Fのレストランで昼食中、ブルース系の音楽を志向するカズ南沢が「こんな時に何だけど、俺やめる」と言い出し、午後の録音をキャンセルしバンドは解散となった。
バンド活動はチャーと金子マリがお互いを認識することになった日比谷野外音楽堂でのコンサートへの出演を最後に終了した。
Bad Scene (1973)
[MEMBERS]
Vocal : 金子光則
Guitar : 竹中尚人
Bass : 鳴瀬喜博
Drums : 長谷川康之(後にカルメン・マキ&OZの初代ドラマーに)
1973年4月のこと。
ある日、レコードでギターだけ弾いてくれという話がきて、演奏後、鳴瀬喜博に牛丼か何かを契約金とご馳走になって、スケジュール渡されて、その日からバンドのメンバーとなった。呼ばれてスタジオに行くとバンドのレコーディングだった。何でバンドのレコーディングにギターが呼ばれる
シングル・レコード"すべてがわかる時(Out of Time)" B面"ロックンロールをぶっとばせ"

発売元はキングレコード株式会社と裏ジャケットにあるが黒地に白文字の質素なジャケットにはLONDON RECORDS
BS(L)-1699
と記載されている。
これはキングレコードの「POP SHOPレーベル」とのことらしい。
"すべてがわかる時(Out of Time)"
3:17
"ロックンロールをぶっとばせ"
3:28
作詞&作曲:BAD SCENE
作詞アドバイス:しのみさこ
Special thanks to 牧野元昭
制作協力:Guyatone
使用楽器
Guitrar:ギブソン(レスポールDX)/フェンダー(ストラトキャスター)
Amp:GA2200(1台)
Speaker:GS2200/GS2080
Bass:フェンダー(ジャズベース)
Amp:GA2200(2台)
Speaker:GS2200/GS2080
Drums:ヤマハ(オーダーメイド)
中央トラックにボーカルとベース、ドラムは中央から左チャンネルに配置し時にカウベルなどを右チャンネルに振り、左チャンネルはギターのリフとカッティングを、右チャンネルに自由奔放に弾くギターソロを配置している。
このレコードのプロモーションで地方を飛び回り、日比谷野外音楽堂にも2回出演したとのこと。
しかしこのBad Sceneもドラマーの長谷川康之が毎週土曜日「ドリフの8時だよ!全員集合」を何をも差し置いて欠かさず観ないと気がすまない気質であったことが原因で解散する。
バンド活動はチャーと金子マリがお互いを認識することになった日比谷野外音楽堂でのコンサートへの出演を最後に終了した。
73年春、日比谷野外音楽堂で開催されたコンサートに出演した5つのバンド。5つのバンドのうち3つのバンドがチャー関係。
この日に解散するShock、金子マリも参加していた"さゆりバンド"がトリ一つ前、同じくこの日に解散するBad Seneがトリ。
チャーと金子マリがお互いを認識した日でもあった。
その後、チャーは女の子へのプレゼントを買いがてら渋谷のデパートの屋上で演奏していたキャロルを観に行ったら金子マリと再会する。
そしてShockの佐藤準と藤井章司、Bad Scnenの鳴瀬喜博で「全員集合もブルースも関係無い、スパーグループを結成しよう」となった。
発売日 | 名義 | タイトル |
1973年(昭和48年)3月31日 | Bad Scene | 第2回RSU音楽祭 at 埼玉会館大ホール
クリエーション、RCサクセション、遠藤賢司、高田渡、VSOP、神無月などと共にBad Sceneも出演。
この日、コンサートもありBad Sceneも出演しているがCharは参加していないとのこと。 |
73年??月??日 | Bad Scene | 日比谷野外音楽堂 |
73年 6月 3日(日) | Bad Scene | 日比谷野外音楽堂 |
1973年(昭和48年)8月15日 | Bad Scene | 俳優座劇場ロックコンサート週間 at 俳優座劇場
頭脳警察、きたもんど&スタイリストと共にBad Sceneも出演。 |
1973年(昭和48年)9月25日発売 | エルザ | シングル「山猫の唄/生きがい」
チャーの最初のスタジオ・レコーディング。 |
1973年(昭和48年)11月10日発売 | あおい輝彦 | アルバム「免許証」 |
1974年(昭和49年)11月10日発売 | あおい輝彦 | アルバム「ニコラシカ」 |
1975年(昭和50年)3月25日発売 | まりちゃんズ
74年〜76年、東京都大田区立池上小学校、大田区立大森第四中学校の同級生であった3人「藤岡孝章、尾崎純也、藤巻直哉」のバンド。まりちゃんとは憧れだった同級生らしい。
| シングル「ひがみブルース/尾崎家の祖母」
B面の「尾崎家の祖母」にキーボード:佐藤準、ベース:鳴瀬喜博、ギター:チャー。 |
Smoky Medicine (1973〜1974)
[MEMBERS]
Guitar : 竹中尚人
Bass : 鳴瀬喜博(後に金子マリ&バックスバニー、カシオペアに)
Drums : 藤井章司(後に尾崎亜美バンド、一風堂に)
Keyboards : 佐藤準
Vocal : 金子マリ(後に金子マリ&バックスバニー、ヴォイス&リズム、そして・・・)
1974年ヤマハ音楽振興会刊「NSPこれ一冊でNSPのすべてがOK!」に「チャーくん、ジュンくん、ダイジくん」とチャー、佐藤準、そして四人囃子のドラマー岡井大二が写真入りで記事が掲載されているとのこと。
その後、ドラマーは藤井章司に変わったとのこと。
Charlie Funk Party (1974〜1975)
[MEMBERS]
Guitar : 竹中尚人
Bass : デイブ伊藤(後にリューベン&カンパニー、ラディックスヘ)
Drums : 長谷川康之(その前はカルメン・マキ&OZのドラマー) 古田たかし(後にスクールバンド、原田真二バンド、佐野元春バンドへ)だったという話もある。
Keyboards : 佐藤準
このバンドはNSPなどバック・バンドとしてのフラストレーションを発散するために佐藤準(Kbd)と古田たけし(Dr)とチャーが中心になって活動したパーティーバンドで、テーマを決めアヴァンギャルド風に騒いでいたり、横浜アメリカンハイスクールのパーティーで演奏していた模様。
この頃、西沢常治ことGeorge Mastich(B)、ジム・ウォーターハウス(Dr)、クリス・ペプラー、マイケル富岡の姉であるシャーリー富岡、アンルイスなどと遊び友達となる。
Mad Brothers #1 (1975)
[MEMBERS]
Guitar : 竹中尚人
Bass : 西沢常治ことGeorge Mastich
Drums : ジム・ウォーターハウス(Jim Compleyとは違う。帰国のため脱退)
Keyboards : 佐藤準
Mad Brothers #2 (1975)
[MEMBERS]
Guitar : 竹中尚人
Bass : 西沢常治ことGeorge Mastich
Drums : 古田たかし(後にスクールバンド、原田真二バンド、佐野元春バンドへ)
Keyboards : 佐藤準
エレック・レコードとスタジオ・ミュージシャン
そしてこの日の模様は09年12月20日(日) CS放送局G+(ジータス)「エレック唄の市2009」放送され、10年7月7日(水) DVD「エレック唄の市2009」が発売された。
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