5/12に自宅からの激励のためと、 姉の所から孫の寄せ書き付きFAXをセルチュクのホテルに送ったので、 そのお礼も兼ねて、還暦"猿頑石"からFAXが届いた。 FAXありがとう。みんな元気なので安心しました。 少しは気分のゆとりも出てきて、まわりを眺めることが出来るようになりました。 私は元気ですので安心して下さい。トルコは今夜(5/13)で最後です。 今朝、旅が終わり日本へ帰る夢を見ましたが、目が覚めてがっかり・・・。 今回の旅は、これまでのところあまり楽しんでいないようですね。 現在、次の訪問国のギリシャやイタリアについて、地図やガイドブックを見ながら案を練っています。 イタリアはスリや物取りが横行しているらしいので、少し心配しています。 じゅうたん屋がうるさいトルコでは、その点安全です。 光広(姉宅)からのFAX、とっても嬉しかったです。 遠く離れた国へすぐ手紙が届くようになり、今までの旅とはちょっと違った楽しみがあります。 では、みんなによろしく伝えて下さい。 これからギリシャ入国までの旅の計画が決まりました。 今日、セルチュクのインフォメーションへ行ってチケットを購入しました。次の通りです。 5/14 :クシャダス(8:30)→サモス島(10:00) 5/15 :サモス島(16:30)→パロス島(22:30)・・・30$+2$(手数料) 5/16or17:パロス島(12:30)→ミコノス島(15:00)・・・17$らしい 5/20or21:ミコノス島→ピレリュース(ギリシャ本土)→アテネ 5/26 :パートレ→ブリンディジ パロス島→ミコノス島のチケットは、パロス島にて購入します。(インフォメーション談)
封書が届いたので、以下に紹介します。 5/7、セルチュク <親切なトルコ人> 近くのレストランで、ししとうとポテトフライを混ぜてヨーグルトをたっぷりかけた物と コーラを飲んで、220,000 T/Lでした。とても安く済みました。 パンは食事に必ず付くので、ライスが欲しいとき以外は注文することもないのです。 そのレストランに、朝食のためパトカー1台、白バイ1台に分乗したおまわりさんが入ってきました。 私の勘定のため、店のオーナーはおまわりさんの背中の上で釣り銭を数えていました。 おまわりさんとにっこりとして、バイバイしてそこを出ました。平和なものです。 町の人も道を尋ねればわかるところまで連れていってくれるし、 「ジャポン、ジャポン」と親しげに呼んでくれています。 商売人を除いて、みんないい人のようです。 後で(ヨーロッパに入って)、この良さ、気楽さ(物を盗られる心配なし)がわかるかもしれません。 <子どもの物売り> 5〜10才ぐらいの子どもも働いています。 女の子はティッシュを売り、男の子は靴磨きの箱を抱えて仕事をしていました。 服装はこざっぱりしていますが、まだまだ貧しいのでしょうか。 日本の子どもには到底考えられないことです。どちらが幸せなのでしょうか。 今日も広場で、ハトのエサを売る少年、ティッシュを売る少年少女を、たくさん見かけました。 体重を計ってお金をもらうおとなと子ども、 ジュースの屋台をおじいさんと孫とで構えていることもありました。 <教育と宗教> 学校はよく見かけます。小学校近くの道路には、日本のように子どもの標識もあります。 田舎ではどこもみんなブルーの制服を着ています。 午後4時頃には、学校からみんな楽しそうに帰ってきているようです。 子どもたちの表情などを見ていると、非常にリラックスしているように感じました。 偉大なアタチュルクが教育に力を入れたおかげで、大人もみんな英語のスペルを書いています。 新聞、雑誌売場があちこちに見られ、よく売れているようです。 尖塔は必ず町の中心部にあり、ちょっとした町なら3個ぐらいは見つかります。 ジャミイにおじいさんが数珠を片手にお参りしています(おばあさんはあまり見かけない)。 トイレを安く開放しているので、ちょこちょこお世話になっています。 数珠を持っているのは中年以上で、若い人はあまり関心はなさそうです。 必ず日に数回、どの町にいてもコーランに響きが拡声器から流れてきますが、 耳になじんでうるさくありません。
ツアーではアメリカ人のちょっと若い夫婦、私と同年輩ぐらいのドイツ人夫婦と一緒でした。 ガイドのメデール氏も気さくでよくやってくれ、昼の食事も豪華でした。 お腹の調子も快復したので、お腹いっぱい詰め込んでみました。 ベルガマでも同じような遺跡が多いのですが、写真もよく写しました。 ベルガマで泊まった宿もなかなか良かったです。ツアーには満足しました。 ガイドのメデール氏やホテルの従業員とは片言の英語で会話しています。 少しの英単語でも、伝えよう、わかろうとするので、だいたい理解できています。 セルチュクからイズミール、イズミールからセルチュクと、ホテルからホテルへと移動しているだけで 楽ですけれど、自分でチケットを買っていないので、方向がわからなくなっています。 このあたりの観光ですが、1人でバスに乗って行くのは難しそうです。 予約を入れて、ある会社のツアーバスに乗らないとローカルバスは走っていません。 この後、あの面倒なパリスホテル(セルチュク)に戻るのかと思うと、 あそこを契約したのを後悔しています。
毎日晴れの天気が続いています。 例のプリエネ、ミトレス、ディディマの3ヶ所を、クルマで延々と走って観光してきました。 片道ディディマまで2時間かかり、アポロンの壮大な柱の立っているのを見たり、 ミトレスでは、2万5千人収容の劇場に登り、階段の裏手にもまわってみましたが、すべて石造りでした。 ちゃんと出入り口も完備しており、王様など貴族(VIP)の座るところに柱がありました。 どこの遺跡も同じなのですが、柱の切れ切れがコロンのように草むらに転がっています。 松林があり、聞こえてくるのは風の音のみです。 2400年前、そこが賑わっていたのかと思うと、歴史はこうして繰り返し、生まれて、また地に返るのですね。 我々もいつか同じ運命なのかと思うと、ちょっとさびしくなりました。 パムッカレや、ヒエラポリス、またここエフェスと、散々人々のかつて住んだ所を見て歩くのですが、 もうギリシャはアテネのみでいいわ、と思うぐらい遺跡を見飽きてしまいました。 →同じように見える遺跡でも、よく見ると、時代、地域により違っていることを認識してほしい。 今日は、エーゲ海の青々とした海を見られたので満足です。 観光していると本当に暑いのですが、クルマで走ると急に涼しくなります。
5/4深夜(日本時間)、セルチュクに滞在中の還暦"猿頑石"よりFAXが入った。 イスタンブール→カッパドキア→デニズリ→パムッカレ→セルチュクとバスで移動してきたようだが、 4/29から5/2までずっと下痢が続き、落ち込んでいたようだ。 年齢も年齢なので、夜行バスでの移動もつらかったのであろう。 ただ、5/4になると症状も落ち着き、快復に向かったらしい。 イスタンブールで歩き過ぎて、足の持病(腫れもの)が痛み出していたが、 抗生物質でおさまったようだ。 これらの件については、心配はいらないとのことであった。 カッパドキアツアー(センクロンツアーの委託を受けた地元のツアー会社)の ファメッド氏、ボスとも、大変明るく応対してくれたようです。 ツアーでパムッカレに入った折り、ボスのTURGAY氏から、プリエネ、ミトレス、 ディディマツアー(ガイド付き)への勧誘を受けたそうです(5/5のフリーデイに実施)。 あわせて、クシャダスは観光地でホテルが高いので、センクロンツアー(現在継続中のツアー)終了後も セルチュクのこのホテル(PARIS)に泊まり、イズミールガイド付き観光、 ギリシャのサモス島フェリー代を加えて、しめて250ドル。 本人も「高い」と言っていますが、正直高いです。 日程・行程は以下の通りです。 5/ 5:プリエネ、ミトレス、ディディマツアー;セルチュク、HOTEL PARIS泊 | :この間、センクロンツアー(従来のツアー)に参加(ベルガマ観光など) 5/10:セルチュク・フリーデイ;同上 5/11:エフェス観光:同上 5/12:イズミールガイド付き観光;同上 5/13:フリーデイ;同上 5/14:チェックアウト、クシャダスのフェリー乗り場まで送る。 サモス島(ギリシャ)に上陸した後は、イカリア島を経由してPIRAEUSに本土上陸するらしい。 ミコノス島へは行かないと行っていたが、せっかくだから行ってもらいたいと思う。 イカリア島とミコノス島とは目と鼻の先なのだから。 以下、FAXを引用します。 トルコ人の考え方がよくわかりません。 本当に親切なのか、こすい(ずるいの広島弁)のか、うそを言っているのか、本当なのか。 今日も土産物屋に、広島の沼田町に住む人の名刺を見せてもらった際、 その人と友人だから私はあなたと友人だというのです。 「大きなポスターを5枚プレゼントするから土産物はどうか?」と言われ、 「いらない」と断ったのに押しつけられ困りました。 ちょっとトルコはうんざりしました。 以上FAXより。 トルコ人には本当にいい人が多いのだが、そこは商売人である。 一般的に、商売人は「スキあらばいかに相手をぼったくって金を巻き上げようか」と考えていることが多い。 国、地域、民族によって程度の差こそあれ、基本的な理念は変わらないと思う。 面倒くさいからと言って、親切な(に見える)人の言われるがままに行動していては商売人の思うツボ。 「かもがネギを背負って歩いている姿=自分」をイメージして、毅然とした態度で望んでもらいたい。 ただし、これを一般の人(国)の印象にまで拡大解釈するのは間違いである。 そのあたり、還暦"猿頑石"にも再考願いたい。 他人の創った旅を続けていても、旅を心の底から楽しめないと思う。 自分の貴重な金で旅しているのだから、自分で納得して楽しんできてほしい。 たとえ、個人旅行の効率が悪くて、予定の行程の半分しかこなせなくても、 自分が発案し、計画し、実行した旅の結果なら納得いくはずである。 もっと主体的に旅を組み立て、実行してもらいたいものだ。
5/3パムッカレにて。 ヒエラポリスでたった1人の日本人女性・OKさん(東京都在住)に会いました。 トルコ、ギリシャ、イタリアを、3ヶ月でまわる予定だそうです。 今まで、トルコの地中海沿岸からエーゲ海、カッパドキアへもまったく1人で歩いてきたと言っていました。 そこのトルコ人は非常に素朴で良かった、と話していました。 都会に入るほど、うるさく感じると言っていました。 音楽をやっている関係で日本はよく往来するが、旅はしたことありません、と言っていました。 彼女がトルコの田舎を旅していたら、やたらと写真に入ってくれと頼まれたとか、日本人が珍しいようです。 私も同様、今日観光していたら「仲間に入って一緒に写って」と頼まれたので、サービスしました。 バスの中から小中学生らも「ハロー!」と手を振ってくれます。 この地元の子どもらも「私は***、あなたは?」と名前を聞いてきたり、 自分の名前を言いたがったりしています。人なつっこいです。
<トルコの大地> カッパドキアは北海道に似た広大な地方です。 一本道は延々とアップダウンを繰り返し、クルマにはほとんど出会いません。 車窓の左右には、ジャガイモ、麦畑が広がり、大きなトラクターがポツン、ポツンと見え隠れしています。 ロバを使って耕作している畑もあります。 女性が大きな袋を前掛けのようにぶら下げ、その中のものをつかんでは種まきしているところもみました。 とにかくカッパドキアは広いところです。 遠くに山も見えましたが、標高は3250m、山頂付近に雪をかぶっていて美しかったです。 一方、パムッカレに来ると木々の葉は繁り、こちらはちょっと暖かなのでしょう。 小鳥はさえずり、ほこりはありません。けれど田舎です。 <長距離バス移動> イスタンブールからカッパドキア、カッパドキアからパムッカレ、 と10時間以上をかけてバスで移動しました。 これは大変疲れました。3時間おきに20〜30分の休憩が入るのですが、 PM11:00、AM2:00、AM5:00、またはPM9:00、AM1:00、AM4:00、AM5:30と、 小刻みに起こされたり乗り換えたり大変です。 私はフリーデイを初日にとっていたので、その日の午前中はホテルで眠り、 午後散歩に出たりします。 若い人や時間のない人はその足ですぐ観光ツアーに入るので、 ツアー終了後は眠りこけているようです。 それでまたその夜、ナイトショウに出かけるのですから、私などとても考えられません。 →いくら元気とはいえ還暦過ぎてますから、若いときのようにはいきませんよ。 日本の長距離バスと違って車中にトイレがなく、しょっちゅう起こされることがつらいです。 座席のシートピッチが狭いので、窮屈で体が痛くなります。 休憩の時、車外に降りて体をほぐさないと、さらに疲れます。 <トイレ事情> 町や観光地で見かけるトイレは、ほとんど有料となっています。 10,000T/L〜30,000T/Lです(1,000T/L=\1)。 トイレによってペーパー付き、手の乾燥機付きなど、様々です。 お金を取るだけあって、中はきれいにしてあります。 紙は便器の中に落としません。備え付けの汚物入れに入れるのです。 配水管が詰まるので、自宅でもそうするそうです。 洗面所には、必ずせっけんが常備してあります。 レストラン内のトイレは無料です。 これをねらう方法もありますが、だいたい高級ですので食べる方が高くつきます。 <PTT事情> 町にはあまり見かけないが、最低1カ所はある模様。 黄色の板に黒くPTTと書いてあるので、すぐにわかります。 公衆電話は至る所で見かけられ、人々が群がって電話をかけています。 長い順番待ちを従えて、平気で長々と電話している姿も見かけます。 その様子を急かすでもなく、じっと待っているのがトルコ人でしょう。 とにかく、電話好きのトルコ人はあちこちにいます。 パムッカレのPTTは立派なものです。 ポストは必ずオフィスの中にあって、休日と営業時間(9:30〜12:30、13:30〜17:30)以外は 郵便物を投函できません。もちろん、切手を買うこともできません。 電話料金の〆が月末の26日で、窓口で皆一様に待ち行列を作って支払っています。 イスタンブールタキシム広場からトラムで海側に下ったPTTは、日祝祭日無休でした。 が、FAXルーム、荷物発送ルームは別々の小さなPTTでした。 PTTの中にも外にも電話機があり、外には十数台ありました。 国際郵便は、ハガキが、90,000T/L、なぜか封書も10グラムまでは、90,000T/Lです。
5/2、パムッカレにて・・・じゅうたん売りアタックにへとへとです。 いたる所で「日本人ですか」「ちょっと待って下さい」「日本語勉強してます」と呼びかけられます。 今日もこのパムッカレに来て、じゅうたん屋に呼び止められ、長々と話の相手をさせられました。 「じゅうたんを見に行きましょう」と誘われ、 「いらない」と断ると、「なぜ」と返ってきたり、 「ダニアレルギーで使わない」などと言い訳したりして、もう結構と言いたいです。 →いつの間に還暦"猿頑石"はそんな英語を憶えたのだろう? 一般的に人はやさしいのですが、じゅうたん売りは余計に立ち入ってきます。 田舎っていう感じですね。そういう意味で、トルコはもういいです。 →そう簡単に判断を下してもらっては困ります・・・
カッパドキアを観光中(5/1)の還暦"猿頑石"から絵はがきが届きました。 とうとう体調を崩した模様です。 4/29のツアーの後、ゾクッときて、夜中寒気で眠れなかった。 4/30から下痢状態が続き、5/1午後でもおさまっていない。 その他の症状は、ちょっと頭痛がするぐらいで、気分は余り悪くはない、とのこと。
カッパドキアを観光中(4/30)の還暦"猿頑石"から封書が届きました。 4/29、還暦"猿頑石"はツアーでカッパドキアの3つの峡谷へ行った模様。 ホテルの朝食時、ツアーに同行する日本人男性のまさし氏、えいじ氏、 アメリカ人カップルと意気投合したようです。 そこで、旅行ガイドブックの編集を生業とするまさし氏が、 "地球を歩く一家"のホームページを見ていたことが判明。 さらに話が盛り上がったようです。 そこで還暦"猿頑石"はまさし氏に、こちらの自宅にEメール送付を依頼、 帰国後ホットな旅情報を送ってくれました。 カッパドキア独特の風景が珍しく、たくさん写真を撮ったとのこと。 ツアーも遺跡(洞窟の中や外など)を登ったり降りたりで、少しきつかったそうです。 4/30、還暦"猿頑石"は、とても人なつっこい地元の少女 (10才ぐらいと17才のふたり)と出会った模様。 還暦"猿頑石"が彼女らの写真を撮ったお礼に、キーホルダーをプレゼントしてもらい、感激。 日本から持参した日本の絵はがきをプレゼントするとのことでした。 17才の女の子とアドレス交換を行い、英文メール交換(写真送付)の約束をしたそうです。 どうやら、その役目は私(長男)が引き受けなくてはならないようです。 さすがにこの辺りは田舎のようで、町の小・中・高校が並んで建っている所を通りかかったら、 子ども達が「ハロー、ハロー、ハロー、・・・」と声をかけてくれたそうです。 大人達とも、会釈を交わしながら、「メルハバ(こんにちは)」とあいさつを楽しんだ模様です。 ホテルの朝食時、またツアー中の日本人男性と出会った模様。 FJ氏は、山口県出身広島市中区中広在住とのことで、「あらら」という感じだったそうです。 帰国後すぐEメールを送ってくれる、とのことでした。 ツアーに同行したアメリカ人カップルは、夫婦でWEB関係の仕事を生業としていたそうです。 彼らも帰国後(イタリア旅行後)、英文メールを送ってくれるようです。
昨夜はPM10:00まで、Iさんのアパートでごちそうになりました。 日本茶に漬け物、やはりおいしいですね。 たくさんの友達が一度にできました。IさんはGIO在籍です。 フランス語、スペイン語が出来るらしいです。 Sさんもとてもやさしい人で、よくしてくれました。 帰路、私の泊まっていたホテルまでオズジャン氏とSさんとで見送ってくれました。 今朝、ホテルをチェックアウトしました。ホテル代は結局、360$支払いました。 最初390$と言っていたので、そんなはずはない、と突っぱねてみたところ、 私が既にキャッシュで支払った電話代、を含めた値段でした。 日本語と英単語を組み合わせて食い下がると、「360$OK」と決着がつきました。 うっかりできません、日本語で言ってもニュアンスはわかるみたいですね。 桜か桃か一緒になったような花が、各家庭の前の街路樹として植えられています。 とても不思議な花です。春はこれから、という感じのトルコです。 カッパドキアはどんな気温でしょうか。 これからアラスタバザールのツアー会社へ荷物を預け、夕方までまた旧市街をぶらぶらします。 でも、行くところ全部行ったのでヒマですが、スルタンアフメット地区では、 日本人と見るとうるさくつきまとわれるので困っています。体調はいいです。
久々、朝早くから太陽が出ました。 でも、曇ったら急に冷え始め、ぐっと寒くなるので油断は出来ません。 1日のうちに春から冬に逆戻りのようです。でもまた、午後暖かくなりました。 今日は休養日としてホテルでゆっくりしました。 ベッドに転がっていると、いつの間にか眠っていたのでしょう、 自分のいびきにびっくりして起きました。 今夜6:30〜7:30頃、Iさんの下宿先にお邪魔して、カレーを食べに行きます。 Iさん、Sさん、IDさんと私の4名で集まり、 彼女ら(Sさん、IDさん)を送る会にするらしいです。 こちらで今咲いている花は、モクレン、コブシ、エニシダ、ボケ、スイセン(日本とは種が異なる)、 パンジー、ディジー、オドリコソウ、ナズナなどです。 木は今、芽吹いているので、もう少しすると緑が多くなると思いますが、 山は全部家で、ほとんど木らしい木が見当たらず、殺風景です。 昨日(4/25)ドルマバッチェ宮殿に行った際、門衛が身動きひとつせず立っているので、 みんな面白がっていました。 私達入場者もそこでだいぶ待たされたので、その様子を見ていました。 時々他の兵隊が来て当番の兵隊の顔を拭いていました。鼻水や目なども拭っていました。 決して体を動かせないのだから、大変苦しい仕事のようです。
イスタンブールの還暦"猿頑石"よりFAXが入りました。 以下に、送られてきたFAXの本文の一部を掲載します。 昨日(4/25)、ドルマ・バッチェ宮殿(ハーレム)1,500,000T/Lで行って来ました。 アタチュルクの死んだ9時5分で時計が止められていました。 とても豪華な室内でした(日本の陶器もあった)。 英語のガイドがつきました。ほとんどわからなかったですが、 「これはボヘミアンのシャンデリア、ナポレオンのピアノ?」らしいことはわかりました。 昨日は寒くて、フリースのジャケットとコートを着て歩きました。 こちらの人もウールのオーバーコートやキルティングのジャケットを着ていました。 食堂のおじさん(タキシム)をIさんが知っていて、私が一緒にいたので、友人と思ったのでしょう。 昼食をそこで食べた際、おじさんはニコニコと握手してくれ、料理をたくさんのせてくれました。 ライス、なすびと牛肉の煮込み、水とで500,000T/Lでした。とてもおいしかったです。 4/24の民族音楽での食事も楽しく過ごせました。 演歌調で悲しい曲が多く、みんな手拍子を打って歌ったり踊ったり・・・。 演奏の様子の写真を写そうとすると、ちゃんとポーズを作ってくれました。 今日は朝日がサンサン。昨日とは一転、暑くなりそうです。
トルコ入国当初は慌てふためいていた還暦"猿頑石"も、すっかり落ち着いてきたようです。 以下に、送られてきたFAXの本文をほぼそのまま掲載します。 4/24 AM8:00〜 すっかり落ち着きました。昨日、メール3通目を出しました。ハガキ、封書、同じ値段でした。 ウスクダラ(アジア側)へ船(40,000T/L)で渡り、散策。 人気の少ない民家の多い所をブラブラしました。 「不審者がいるぞ!」と思ったのか、じっとこちらの様子を見ている人もいるし、 写真に撮った大木が「600年もたっているんだ」と英語で語りかけてくれるおじさんもいました。 午後、セラさん(4/21登場、22才・じゅうたん屋の青年)の店を訪ねました。 ツアーの話(カッパドキア行き、80$)を話したら、 「それは若い人ばかりで、ドミトリーに泊まり、多くの場所を観光してくれない。」 「友人が安くてもいいホテルを含んだツアーを作ってくれる」と言うので、案内してもらいました。 カッパドキアなどを回ってギリシャに行くまで、 フリーを含め14日間のツアーを作ってもらいました。 日程・行程は次の通り(いくつかの現地ツアーを渡り歩くことになる) 4/27:イスタンブール→夜行バス 4/28:カッパドキア観光 4/29:カッパドキア観光 4/30:カッパドキア観光 5/ 1:カッパドキア・フリー→夜行バス 5/ 2:デニズリ・フリー 5/ 3:デニズリ→パムッカレ 5/ 4:パムッカレ→セルチュク 5/ 5:エフェス観光 5/ 6:セルチュク・フリー 5/ 7:セルチュク→イズミール 5/ 8:イズミール→ベルガマ 5/ 9:ベルガマ→エフェス 5/10:エフェス→クシャダス・フリー 料金は587$。ホテルまでずっと送り迎えしてくれる安心なツアーと言うことで契約しました。 セラさんのトルコ語、日本語の説明でよく理解し、1日当たり42$で移動費・食費込みです。 しかし、カードで支払ったので1$を追加、43$/日となりました。 イスタンブールでは40$/日のホテル代だったので、私はこれでいいと思って決意しました。 結局トルコの1ヶ月は10万円くらいでしょうか。 このツアーではトルコ人とずっと一緒です。楽しいことがあるでしょう。 また、クシャダスからギリシャへ渡ることになりました。 ギリシャへは、5/11〜5/14くらいに入国することになるでしょう。 朝、セラさんが銀行に付き添って行ってくれるので、スルタンアフメットの彼の店に行きます。 PM8:00、タキシム近くの民族音楽の店で、 Iさん、友人のIDさん、Sさん(いずれも日本人女性)、 セラさんとそのお兄さん、オズジャンさんと私で会食する予定です。 昨日(4/23)も、例の旅行会社(センクロン・ツアー)にいたらIさんとIDさんが通りかかり、 セラさんの店でグダグダして、ホテルにPM8:00ごろ帰りました。 みんなで大変よくしてくれます。友人としてつきあってくれて、 イスタンブールも離れがたくなりました。 安心して下さい。気分は快復しつつあります。ではまた。 P.S.日本時間PM9:00、テレ下さい。 と言うことで、ホテルに電話を入れたが、還暦"猿頑石"は元気そうであった。 まずは、ひと安心、といったところだろうか。 写真も36枚撮りフィルム3本撮り、今日の昼過ぎ、日本に発送したそうだ。 明日(4/25)、ドルマ・バッチェ宮殿を見物してイスタンブールの観光はほぼ終了らしい。
還暦"猿頑石"より4/23消印付きの手紙が届いた。 はるか16000km彼方のイスタンブールから、約1週間で届いたことになる。 メディアの時間差の関係から、先に届いていたFAXと内容が前後しているので、あしからず。 4/22現在、イスタンブールの有名観光スポット、グランドバザールを観光した模様です。 手紙の内容を、一部紹介します。 やっとグランドバザールに入りました。よく声をかけられました。そこで拾った言葉です。 「こんにちは」「ジャポン?」「ありがとう」「みるだけタダね」「びんぼうねだんね」 「ジャパニーズねだん?」「トルコねだん?」「ドルねだん?」 何で支払うのか聞いているのです。 「どうぞ」「おちましたよ」これは兵隊さんも言っていました。 「ハローマダム」「きれいですね」、最高なのは「バザールでござーる」でした。 私もやり返して「バザールでござーる」と言ってから、 「それは日本のテレビで、ここ(グランドバザール)で流行していると言っていたよ」と言うと、 私の片言の英語でも理解して、その周辺の者とで大笑いしました。 でも、私が宝石に興味を示さないので、それは向こうもわかるのか”攻撃”してきません。 「アイム・ジャスト・ルッキング」と言えばそれまでです。 食べ物店で、ソーセージのトーストパン+フレッシュジュースで、200,000T/L。 ある店では、サラミトーストと水で、90,000T/L。 もう値段はあってないようなものです。 バザール内のレストランで食べたのが、450,000T/L。 なすびに春巻きのような筒型の中にラムのミンチ、 その他にも葉で包んだものなどたくさんあり、パンはご自由にというものです。 これは安かったです。 どんなものがあるのか値段はどうかとやたらと聞くので、 「これか?」「あれか?」とセットを見せてくれます。 店員さんも多く、それぞれ分担していて本当ににぎやかな店内です。 今、祭りの最中なので、パトカーのピーピーと音を鳴らして走りまくる姿を見かけるし、 その他にも至る所に警察が出ています。 おまわりさんにもよく道を聞いていますが、どこでも笑顔で親切に教えてくれます。 タンデムした白バイ(実は黒色のバイク)にびっくり。 必ず2人乗りで走っていて、1人が運転をして、もう1人は無線機を持っています。 最初は黒ずくめのいかつい雰囲気なので、暴走族かと思いました。 その後、まだ手紙は続くのですが、FAXと重複するので省略します。 その他、還暦"猿頑石"はトラムに乗る時、切符の代わりに渡されたコインが理解できず(おつりと思った)、 そのままポケットに入れたまま駅員に注意されたらしい。 帰りも同様にしてトラムに乗ろうとしたが、他の乗客の様子を見てコインの意味を悟ったらしい。 還暦"猿頑石"トラムにタダ乗り疑惑、であった。 また、トラムの右側通行がなじめず、改札後に到着プラットホームにいたこと(間違い)に気づき、 駅員に掛け合って(得意のボディランゲージ)、笑顔で対岸のホームに送り出されたらしい。 こちらの人はそんな失敗にもみんな怒らず、「いいよ、いいよ」と優しく言ってくれるそうです。
今日、午後(現地時間4/21午前10時半)、 姉宅へイスタンブールの還暦"猿頑石"よりFAXが入った。 激励のFAXや電話の成果もあり、本人はだいぶ落ち着いてきたようです。 以下に、送られてきたFAXの本文をほぼそのまま掲載します。 みんな元気ですか? 私は体調はいいのですが、クレジットの件でちょっと心配をしすぎて不安でしたが、 直之とテレしたりして落ち着いてきました。 AM8:10朝食を食べました。 粗末なソーセージ、チーズとオレンジジュース、コーヒー、パンです。 パンはとってもおいしく、フランスパン1ヶ分食べています。 オリーブはおいしくなく、フルーツは他にありません。 昨日の昼食、サラミ入りのプレスしたパンと水で90円。 ライス、ポークビーンズ(グリーンピース)、ヨーグルトで480円の食事でした。 適当に食べています。 どこを見てもめずらしいものばかり。 東洋でもないヨーロッパでもない雰囲気で、顔もヨーロッパ系、アラブ系と入り乱れ、 とても不思議です。 したがって、のっぺりしとしたアジア人(ここもアジアなのに)の顔の私は目立つようで、 よく見つめられます。でもみんなやさしいです。 しかし、街はゴミ捨て場のようでゴミは散乱し、タバコはみんな歩きながら、 また立って吸って、つばは吐く、吸い殻は捨てるといったところでしょうか。 古いお寺・ジャミィ(イスラム教のモスクのこと)を見て歩いています。 おしゃべりで騒々しいトルコ人がジャミィに入るととてもおとなしく行動するので、 おかしくなります。 ステンドグラスの美しさには目を奪われます。 コーランの声が鳴り響き、音楽もどこか哀愁を帯びて東洋的ですよ。 日本人のIさん(イスタンブール在住)に大変お世話になり、トルコ人も紹介され、 困ったことがあったら相談しなさいとまで言ってくれ、親切にしてもらっています。 ??万円もするじゅうたんを見せてもらい、知識も教えてもらいました。 絹でとっても美しかったです。日本にもまた商売に来るそうです。 私がいれば「おいで」と言っておいたのですが、広島には泊まる友人の家もあるそうです。 鼻が、切り立った山の峰のように高く、頭髪は黒くて、ほっそりとした22才の青年です。 気分はだいぶ落ち着きました。早々に帰国しようかと思うくらいでした。 ご面倒ですが、家のFAXはPM6:00(現地時間)からでこちらではホテルのみとなり、 ずいぶん高くつくので、今日は街のPTT郵便局から出してみます。 よろしくお願いします。もしチャージがかかれば帰国後に。 今日はグランドバザール、トプカプ宮殿、タイル美術館、そしてYHか安宿を探しておこうと思います。 落ち着いたらイスタンブールを起点にツアーに参加したり、ブルガリアの情報を入手して行ってみるかも。 さらにエーゲ海沿岸を下り、ロードス島へ渡る船着き場・マルマリスへ。 そこからギリシャに渡るフェリーが出ているようです。そのコースを予定しています。 往路シンガポールで出会った(ツアーに参加していた)女性から、 トラブゾンの修道院へ行くことを勧められたので、 そこへも行ってみようかと思っています。
歩いて地下ケーブル駅まで行って(新市街のタキシムから)無料のケーブル(1817年)に乗り、 ガラタ橋を歩いて(旧市街方面に)渡りました。 屋台があちこちに並び、炭火で焼いた魚を焼いてパンにはさんだものを売っていました。 トルコ帽や金糸の入ったベストを着て、船の中で焼いていました。 本当に、祭り騒然、です。みんな浮かれて歩いています。 特に小学生の高学年か中学生の男の子が一丁前に背広を着込んでサングラスをし、 タバコをスパスパやっている集団がいました。 男たちはみんな格好をつけています。子供から大人まで。 とにかく、トルコの人はみんなやさしそう。 目が大きくちょっと気取っているので、こわい感じもしますが、トラムに今日乗ったら 「いい席に立って、外の景色を見るといいよ」と声をかけてもくれます。 低学年の子供がボスポラス海峡(クルージング)ツアーに乗っていましたが、 「あんたは目が細いね」と、自分の両目じりを引っ張っていたので、私は 「あんたの目は人差し指と親指で輪を作って」見せたのです。 「ジャパニーズ!」と言っても知りませんでした。 イギリス人もいましたが、さすがイギリス人は知っていて国旗の模様も知っていたのです。 今日はだいぶ落ち着いて、知り合いにもはがきを書こうと思っています。 明日(4/21)、PTTからFAX出せればトライします。安いと思うので! ちょっと疲れました。PM7:50寝ます。
昨日こちらから送ったFAXの受け取り確認と還暦"猿頑石"の激励を兼ねて、 滞在中のホテルへ電話を入れた。 電話口に出た還暦"猿頑石"は、まだ本調子ではなさそうであったが、体調は良好、 食事もおいしいとのこと。 初日以来のパニック状態もだいぶ収まっていたようであった。 ・こちらから送ったFAXは無事受け取ったとのこと。 ・マジックテープ紛失の件は、自分の荷物の底にあったマジックテープを発見し、一件落着。 ・VISAカードのキャッシング不能の件は、直接日本のカード会社のインフォメーションに 問い合わせたところ、 トルコ、ギリシャ、イタリアなど一部地域はATM機でのキャッシングは不可能である、 との回答を得たらしい。 それでも、銀行内の対面カウンターではキャッシングが出来る可能性があるので、 再度トライしてみるとのこと。 別に携帯しているJCBカード使用可のATM機は、見当たらないとのことであった。 ・旅の行程を、出発前に計画していた「移動型」から「滞在型」へ変更する旨、発言があった。 日程を大幅に組み替えるとのことである。 ともかく、身体の安全を第一に考え、旅を楽しんでもらいたい。
4/19深夜2時頃、イスタンブール滞在中の還暦"猿頑石"より 「緊急事態発生!」とFAXが入りました。 イスタンブール・アタチュルク空港への道中は一応トラブルなく到着したが、 そこから先トラブルに見舞われた模様。 1.空港内で両替せず(両替所が見当たらなかった)、そのまま停車中のリムジンバスに乗った。 運転手にドルでOKかと尋ねるとダメだと言われ、 運転手の顔パスにより空港内の両替所に連れていってもらい、 最前列に割り込んで両替、事なきを得たらしい。 2.手持ちの現金+T/Cが心許ないので、ATM機でVISAカードのキャッシングにトライしたが、 数件トライしたにもかかわらず全部ダメ。 本人は、所持カードが郵貯セゾンカードのため、 専用VISAカードに比べて利用制限があると言っていたが、これは疑わしい。 この件につき、私(長男)がセゾンカードに問い合わせ確認したところ、 利用制限はないとのことであった。 3.初日に予約していたホテルに入った時、ザックをくくっていたマジックテープを紛失した。 フロントに申し出たがわけがわからず、日本語を話すトルコ人(オズジャン氏)に 連絡を取ってもらった。 それでもダメで、日本人(Iさん)に面倒をかけたらしい。 結局マジックテープの行方は???である(それ以上FAXで言及していない)。 4.日本人のIさんが、実は3/28までGIOに勤めていて、 還暦"猿頑石"の電話を応対していたことが発覚。 両人とも「奇遇ですね!」と喜んだらしい。 そうなるとIさんも、還暦"猿頑石"の”キャッシング尻拭い”に奔走したり、ホテル探しなど、 余計に心配してくれたようだ。 5.ちょうど現地では、イスラム教の断食明けと子供の日が重なり、 4/18〜4/23まで商店、銀行などすべて閉店。 一部のレストランとホテルのみ営業、と言った状態らしい。 6.還暦"猿頑石"、イタリア人のツアーバスに乗る! 4/18は、一人でホテルのある新市街(タキシム)から旧市街へ アヤソフィアを目指して観光に出たところ、 現在地がわからなくなり、近くにいたイタリア人観光客に尋ねた。 それでもよくわからないので、バスの中にいたガイドさんに尋ねたところ、 「このバスで連れていってあげる!」と言ってくれ、他の乗客には 「この人はジャポン、アヤソフィアに連れて行ってあげましょう!」と説明してもらい、 みんなの笑顔の中に迎えられたとか。 どうやら、還暦"猿頑石"は慣れない海外の地で、一度に複数のトラブルに見舞われ、 パニックを起こしているようです。 出発前から本人によく注意していたのですが、 「頭に血がのぼると、何でもないことでもわけがわからなくなる」性癖は、 すぐには直らないようです。 日本人のIさんから 「ヨーロッパひとり旅8ヶ月間は大変だからトルコでゆっくりした後、マドリードへ行けば?」 (1年オープンのエアチケットなので、出航地の変更は不可だが、出発日は自由に変更できる) との提案を受け、本人もその気になりつつあるようです。 しかし、冷静に考えてみると、今回はそんなに大したことではないので、 「とにかく冷静に」とのFAXを送りました。 少し頭を冷やして、旅を楽しむことを第一に、 それに適わないところは旅の再構築をしてもらいたいと思います。
いよいよ還暦"猿頑石"のヨーロッパ珍道中がスタートしました。 これから約8ヶ月の間、単身ヨーロッパ各地を周遊するわけですが、旅を楽しみ、 元気な姿で戻ってきてもらいたいと思っています。(家族一同) 予定通り旅が進行すれば、4/17早朝にはトルコのイスタンブールに到着する予定です。 それ以降は、随時(毎週)旅先から送られた近況報告(写真を含む)を元に、 このページにて旅の様子を皆さんにお知らせします。 出発直前、玄関前でプラカードを持った還暦"猿頑石"の勇姿。