2000年がスタートしました。特別道場・草枕も、第2ステージへ移行します。た
  
      だし、第2ステージ“まほろば”は、第1ステージ“無門関峠の道場”の延長線上に
 
      設定していきます。したがって、修行としては、常に第1ステージの基本に立ち返る
 
      ことになります。
 
          
      さて、禅には“無門関”のような公案集というものがあります。こうした公案集は、
  
      同じ1つの真理を、それぞれ別の角度から参究しています。したがって、多少の温
  
      度差はありますが、一度“無門の関”を通り抜ければ、全ての公案に通じます。無
 
      門禅師も“無門関”の冒頭で、こう言っておられます。
 
       
         
           
 
        
 
                    無門の自序
      
      
        
          
            
              大道無門
                千差路あり
              この関を透得( 
              とうとく )せば
                乾坤( 
                けんこん=宇宙 )に独歩せん
            
          
           
           ここで無門禅師のいわれる“大道”とは、禅の真髄のことです。つまり、こ
          の禅の真髄に至る道は“無門”、すなわち門が無く、それこそ無数の路が
          あるということです。これは裏返せばいたる所が路であり、各自のまさに眼
          前に、真理が開けているではないかということです。
        
      
      
        
           
        
      
        
      このような公案集と同じょうに、この特別道場・草枕においても、同じ1つの真理
      を繰り返し別の角度から考察して行くことになります。しかし、修行が深まって行く
      につれ、同じ言葉の意味が、無限とも思える深さにまで沈んでいくことを知るように
      なります。
        
      いったい道元禅師の御心とは、どのようなものだったのでしょうか...また、釈
      尊の御心とは、どのようなものだったのでしょうか...俗世間の未熟者ではありま
      すが、ともかく私も真剣に取り組んでいます。どうぞ、ご期待ください。
       
    
    
      
         
      
      
        <修行においては、次の言葉を常に心にとめておいてください>
         
      
         (1) 
      見るものと見られるものは、同じ一つのものであるということ...
      
        (2) 
        リアリティーには、切れ目や境界がないということ...
        (3)   
        阿頼耶識にある“自我”を捨て、“無我”に生きること...
  
         
  
          これらの言葉の意味する所は、第1ステージ“無門関峠の道場”で詳しく解説してき
  
        たものです。まだ他にも強調したい言葉は色々とあります。しかし、修行が進めば、現
 
        在ごく単純に理解しているこうした言葉も、さまざまな角度からその深さを知るようにな
 
        ります。