Community Space /ボスの展望台/ボスのTwitter/2019年/2月 |
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2019年
2月
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〔人間の巣のパラダイム〕 〔人間の巣/未来型都市/千年都市/・・・極楽浄土インフラ〕 ・・・の全国展開/世界展開/・・・ポスト民主主義社会の器!
★ 日本の社会インフラの再構築・・・ 激烈化する気候変動/豪雨・豪雪・ 熱波・ 寒波・ 地震・火山災害から・・・国民を完全防御!★ 対核シェルター以上の・・・ 戦争ゴッコへの対応! 感染症パンデミックへの対応!万能型・防御力/地球近傍天体の衝突への対応! ★ 気候変動への長期的対応・・・ 脱・冷暖房社会! コンパクト・分化・多様性の文明!
〔ポスト・民主主義社会・・・人類文明の折り返しの器!〕
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水 爆 ![]() 北朝鮮の核軍拡も 安倍政権の軍拡も しょせんは、同じ… <戦争ゴッコ!> です! |
アメリカの水爆実験 Russian
Atomic Weapon Museum 史上最大威力/Tsar Bomba (King of Bombs)と呼ばれる水爆
核弾頭は更新せず/廃棄を!
<核融合爆弾の、構造の概略> ・・・・・・<ジャンプ> |
2月 28日 |
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (276)
<比叡山/天台宗/・・・最澄>と、<高野山/真言宗/・・・空海>…の話に移る前 に、平安時代の仏教というものを概観して置きます。
平安時代より興隆した日本仏教の宗派です。具体的には、平安時代初期からの<天台 宗>と…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (275)
大同2年より、2年ほどは…大宰府・観世音寺に止住(しじゅう/ある場所にとどまって、住むこと)して います。 この時期… 空海は、個人の法要を引き受け、その法要のために、密教図像を制作するなどをしてい たとされます。
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (274)
ね。
20年の留学期間を2年で切り上げて帰国したために、空海に対して、朝廷は対応に困っ たのか…
806年((大同元年)) 10月の帰国後は…入京の許しを待って数年間は…大宰府に…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (273)
れています。 <未だ学ばざるを学び、 ~ 聞かざるを聞く (/『請来目録』 より・・・)> 空海が請来したのは、<密教を含めた・・・最新の・・・文化体系であった・・・>と…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (272)
10月22日付で…空海が、朝廷に
『請来目録』(しょうらい・もくろく)を提出しています。 『請来目録』 によれば、多数の経典類(/新訳の経論など、216部461巻)、両部大曼荼羅、祖師 図、密教法具、阿闍梨付属物など膨大…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (271)
空海は無事、博多津(/福岡市の、博多港の古称)に帰着します。 大宰府(だざいふ)に滞在し… 呉服町には東長寺を開基し、また宗像大社神宮寺であった鎮国寺(ちんこくじ/福岡県宗像市吉 田に所在する寺院。宗派は真言宗御室派で別格本山)を創建したと伝わります。 ちなみに… 806年3月に…第50代/桓武天皇が崩御し、第51代/平城天皇が即位…
(/ネットより画像借用)
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2月 27日 |
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (270)
…という空海の言葉は、 わずか2年前、無名の1留学僧として入唐した空海の成果が、いかに大きなものであった かを、如実に示しています。
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (269)
福江の地に… 本尊・虚空蔵菩薩(こくうぞう・ぼさつ)が安置されていると知った空海が、参籠(さんろう/祈願のた め、神社や寺院などに、ある期間こもること)し…満願の朝には、明星の奇光と瑞兆(ずいちょう/良い事が 起こる前兆。吉兆 )を拝しました。 異国で修行し、真言密教が日本の鎮護に効果をもたらす証し…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (268)
帰国の遣唐使船に便乗する形で…8月に明州を出航し…日本への帰国の途につきまし た。
暴風雨に遭遇し…長崎県/五島列島/福江島玉之浦の大宝港に寄港して…そこで真言 密教を開きました。
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (267)
高階遠成(たかしなの・とおなり/・・・左大臣・長屋王の後裔)がいました。 その高階遠成を通じ、皇帝に上奏して… <20年の留学予定を短縮し・・・2年で留学の滞在費がなくなった事>
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (266)
ここでも… 土木技術や薬学をはじめ、多分野を学び、経典なども収集しています。 往路航海で遭難した、<遣唐使船/第4船>…に乗船していて生還し…その後、急に 任命されて唐に再渡海していた…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (265)
同年12月15日…恵果和尚が…60歳で入寂(にゅうじゃく/僧侶が死ぬこと)します。 元和元年/西暦806年(延暦25年)1月17日… 空海は、密教の全弟子を代表して、恵果和尚を顕彰(けんしょう/功績などを一般に知らせ、表彰する こと)する碑文を起草(きそう/草稿を書きおこすこと)しました。
3月に、唐の都/長安を出発し…
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2月 26日 |
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (264)
尚から与えられた・・・健陀穀糸袈裟(けんだ・こくし・けさ/東寺に現存)や・・・供養具など5点> …の計13点です。 これに対して… 空海は伝法への感謝を込め、恵果和尚に袈裟と柄香炉(えこうろう)を献上しています。
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (263)
恵果和尚からは、<阿闍梨(あじゃり)付嘱物>…を授(さず)けられました。これは、<伝法 の印信(/密教で、師僧が秘法を伝授した証拠として、弟子に授与する書状。)>…とされるものです。 <阿闍梨付嘱物>とは… <金剛智(こんごうち) ~ 不空金剛(ふくう・こんごう) ~ 恵果(えか)・・・と、伝えられてきた仏 舎利(ぶっしゃり/・・・お釈迦様の遺骨。分骨された1部)>、…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (262)
空海は…青龍寺や、不空三蔵ゆかりの大興善寺(だいこうぜんじ/756年に、不空金剛が、灌頂道場 を開いてからは、密教の中心寺院となった。)から、500人にものぼる人々を招いて、食事の接待をし、
感謝の気持ちを表した…と伝えられています。 大勢の人たちが関わって、曼荼羅(まんだら)や密教法具の製作、経典の書写が…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (261)
味する・・・遍照金剛(へんじょう・こんごう)・・・の灌頂名>…を与えられました。 この名は、後世、<空海を尊崇(そんすう)する・・・ご宝号>…として、唱えられるようになり ます。
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (260)
<胎蔵界(たいぞうかい)・金剛界(こんごうかい)の・・・いずれの灌頂>においても… 空海の投じた花は… <敷き曼荼羅の・・・大日如来の上に落ち・・・両部(/両界)の大日如来と結縁(けちえん /仏道に入る縁を結ぶこと)した>…と伝えられています。 8月10日には… <伝法(でんぽう)阿闍梨位(あじゃり・い)の・・・灌頂(/阿闍梨の位を、継ぐ人のために行う潅頂)>を受 け…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (259)
するもの、さらにこれから必要とする修学についても、細かな助言をした、と思われます。
6月13日には…<大悲胎蔵(だいひ・たいぞう)の・・・学法灌頂(かくほう・かんじょう/弟子入りして、密 教の修行を始める人のために行う潅頂)>を… 7月上旬には…<金剛界(こんごうかい)の・・・灌頂>を受けました。
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (258)
部屋に通されたのでしょうが、これは後見人を伴った、拝謁(はいえつ/君主など、高貴の人にお目 にかかること)の儀式の体裁(ていさい)を取ったのかも知れません。 すると、そこには、主だった者多数も参集していたと考えるべきです。十分なお膳立て(/ 手順を整えること)が、あったわけですね。
この一大事を、空海はすぐに師/般若三蔵に…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (257)
す)、大いに喜びました。そして、一番喜んだのは、恵果自身だったと思われます。 あ、少し訂正しますが… 同席したのは、この2名と考えましたが、それでは不自然ですね。
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (256)
当然、神妙に礼を尽くし、この様に聞いたと思われます。
潅頂の壇(だん)に入っても・・・ よろしいのでしょうか?」
「君の機根(きこん/仏の教えを理解する、度量・器)は・・・ すでに、それを越えている・・・ 明日、潅頂をやろう!」
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2月 25日 |
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (255)
したがって… 真に、中国的な仏教が生まれ育って来るには、やはりそれなりの、熟成時間が必要だっ た、という事でしょうか。
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (254)
<密教は・・・ヒンドゥー教化された仏教>…とも言われ、その神々も多く取り入れられ ていて…インドで生まれて、中国に移入されて来た、<仏教の・・・進化形>…です。 一方、 <禅宗には・・・インド文化の体臭/インド臭さはなく>…中国の大地から生まれてき た…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (253)
とが重なって、<仏教宗派の・・・2つの、新しい大輪の花>…がまさに陽射しを受け、 大きく成長し始めている時…だったのでしょうか。 まあ、正確なところは… 浅学若輩者の私(ボス/岡田)には…あまりにも膨大な話であり…分かりかねますが。
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (252)
<玄奘三蔵がもたらした・・・膨大な経典の翻訳が完了して・・・> ようやく、それに命 を吹き込まれ、花開した時期と… <菩提達磨を初祖とする禅宗が・・・中国大陸/中国文化圏の・・・土着の仏教宗派 の誕生>…として、黎明期(れいめいき/ある事柄が、形になる前の始まりの時期)を終え…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (251)
北朝時代に鮮卑族の拓跋氏によって建てられた国。戦国時代の魏や、三国時代の魏などと区別するため、通常はこの拓 跋氏の魏を北魏と呼んでいる。)の時代でした。 その<北魏/嵩山(すうざん)・少林寺>において、達磨はひとり壁に向かって、<9年面 壁>…を行っていた、と言われます。 ここでも… <禅宗のタネ・・・1粒の麦の移入>…の方が、先を行っているわけです。
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (250)
秦の時代に、長安に来て約300巻の仏典を漢訳し、仏教普及に貢献した。)>…と共に、二大訳聖と言われ ます。 私の知る<禅宗>との、比較をしてみますが… <禅宗において・・・初祖/菩提達磨(/ダルマさん)>が…仏教勢力の斜陽の見え始めた インド大陸を…
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2月 24日 |
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (249)
翻訳作業で従来の誤りなとも正したわけですが、<法相宗(ほっそうしゅう/日本では…薬師寺、興 福寺、京都の清水寺)の開祖>となっています。 また… インドへの旅を、地誌/『大唐西域記』 として著し、これが後に伝奇小説/『西遊記』 のモ デルとなっています。
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (248)
支那大陸に希望を託して送り出したのでしょう。 大冒険を終えた玄奘三蔵には… 膨大な経典の翻訳という、訳経僧としての第2の人生が待っていました。玄奘は、持ち帰 った膨大な経典の翻訳に、余生の全てを捧げることになります。 <太宗(たいそう/唐朝の第2代皇帝)>の勅命(ちょくめい/天皇・皇帝の命令)により… 玄奘は貞観19年(/645年)2月6日から、弘福寺の翻経(ほんやく)院で翻訳事業を開始しま した。この事業の拠点は、後に大慈恩寺に移ります。 さらに、持ち帰った経典や仏像などを保存する建物の建設を、<次の皇帝・・・高宗(こうそ う/太宗の第9子)>…に進言し、652年、大慈恩寺に大雁塔(だいがんとう/)が建立されました。 その後… 玄奘は、玉華宮(ぎょくかきゅう/陝西省銅川市に位置する観光地)に居を移しましたが、翻訳作業はそ のまま、玄奘が亡くなる直前まで続けられました。 麟徳元年2月5日(/664年3月7日)、玄奘は経典群の中で、最も重要とされる、 『大般若経 (だいはんにゃきょう)』 の翻訳を完成させた百日後に…玉華宮で寂(じゃく)しました。
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (247)
そこで学び、巡礼や仏教研究も、精力的に行いました。 そして、16年後/645年に… 玄奘は、経典657部や、仏像などを持って…仏教の勢いが陰り始めたインド大陸を離れ て…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (246)
その頃は… インド大陸を席巻していた仏教も、ようやく、<その頂点を究め・・・すでに、陰りが顕在 化していた時期>…と言うのは有名な話です。 インド/ビハール州のナーランダ大学は、世界最古の大学の…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (245)
空海は、唐の都/長安において、<仏教思想の・・・新しい風・・・最新バージョン>… を恵果から知ることになりました。 その最新のバージョンと言えば、その源流は、菩提達磨の<禅宗>の勃興(ぼっこう/急に 勢力を得て盛んになること)と、やはり<玄奘三蔵(げんじょう・さんぞう)>による、膨大な経典や仏像 の、中国/漢字文化圏への移入になるのでしょうか… 唐代随一の訳経僧/玄奘三蔵が…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (244)
それから、恵果は… 密教の奥義を、若い空海に諄々(じゅんじゅん/よく分かるように、繰り返し教えさとすさま)と、説きはじめ ます。空海は、砂が水を吸い込むように、その全てを吸収していきます。そして、打てば響 くように答えを返します。空海には、まさに、それを聞き取る力量と…
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2月 23日 |
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (243)
和尚の言う意味を測りかねました。 しかし、恵果和尚は… そうした、<空海のとまどいの状況・・・後々の才能の拡張性・・・そうした全て見抜い た上で・・・灌頂(かんじょう)を授けたい! >…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (242)
柔和ではあるが、鋭く深い眼差しで… <一瞬にして・・・空海の・・・膨大な才能・広がり・奥行>…を見抜いて、<般若三蔵 >の言葉が、誇張ではない事を悟ります。 そして恵果は、即座に、<灌頂(かんじょう)を授けよう! >…と言い出します。 逆に、空海の方は…
★ 灌頂(かんじょう) 菩薩(ぼさつ)が仏になる時… その頭に諸仏が水を注ぎ、仏の位に達したことを証明すること。 密教においては… 頭頂に水を灌(そそ)いで、諸仏や曼荼羅(まんだら)と縁を結び、正しくは種々の戒律や資格を授けて、 正統な継承者とするための儀式のこと。 **************************************************
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (241)
推薦していたのかも知れません。 恵果には… 1000人を超える弟子がいたわけですが、そのうち両部の大法を授けた高弟が何人かい ても、<正嫡に・・・価する弟子>…には、恵まれていなかった様子です。
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (240)
こんな会話になったのでしょう。 <般若三蔵>が… おそらく、空海の異能に、いち早く気付き… それも濃密に、深く見抜いて、いたのでしょう。それも含めて、恵果に伝えて置き…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (239)
<日本から遣唐使船で来た・・・空海という・・・異能の若い学僧・・・>がいて、<私 に師事し・・・梵語を学んでいる>…と、聞き知っていたのでしょう。 恵果は… それに興味を持ち、さらに弟子としての様子も…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (238)
恵果和尚は2人の弟子を従えていて、空海が入室して挨拶(あいさつ)すると、いきなり言い ます。
長安に来ている事は承知していた! 君が… 何時来るかと、首を長くして、待っていた! 」
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (237)
空海と、<密教7祖・・・青龍寺(せいりゅうじ)/恵果和尚(えか・おしょう)>…との出会いにつ いて、実態はどの様だったのか、“参考文献” をかき集め、もう少し具体的に考察してみま す。
毅然(ぎぜん)とした顔立ちの中にも…
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《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (236)
<禅宗>が日本に伝来するのは、<鎌倉時代/・・・栄西・道元>…を待たなければな りません。空海の時代には、時期尚早だったという事でしょうか。
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (235)
方/新州へ去らせた古事/【無門関・・・二十三則/第不思善悪】と、似ていますね。 ええと… 時代は、いずれも中国/唐の時代ですが… <慧能は・・・西暦638年~713年の人>で…空海のいる、この時代は806年です。 百数十年も前の事ですね。 しかし…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (234)
空海がすでに十分な修行を終えている事を、初対面のさいに見抜きました。そして、間も なく、自身の寿命が尽きる事を知っていた恵果は、即刻、空海に密教奥義の伝授を開始 しました。 この辺りは… <禅宗の黎明期(れいめいき/ある事柄が形になる前の、始まりの時期)>における、<5祖/弘忍禅 師>が、頓悟(とんご/修行の段階を経ず、ただちに悟りを開くこと)の、<6祖/・・・慧能行者(えのう・あ んじゃ)>に…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (233)
ら、“梵語の経本”や“新訳経典”を与えられています。 5月になると… 空海は、<密教の第7祖・・・青龍寺の・・・恵果和尚>…を訪ねました。以降、約半年 にわたって師事します。
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (232)
われます。 そして… おそらく、その永忠の仲介で、空海がまず師事したのは、醴泉寺(れいせんじ/唐の都長安醴泉 坊にあった仏教寺院)の<般若三蔵(はんにゃ・さんぞう/インドの学僧で 『四十華厳』 (華厳経最終章の「入法界 品(にゅうほっかいぼん)を漢訳した人)>だったのでしょう。 永忠の勧めで、密教を学ぶために必須の、梵語(ぼんご/サンスクリット語)に…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (231)
を模して作られたと言われます。 西明寺で、空海が割り当てられた部屋の先住者は… 空海と入れ替わりで日本に帰国する、在唐30年の永忠(/大安寺の僧)でした。
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2月 21日 |
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (230)
一方、気楽な身分の、学僧/空海は… 中国/唐の永貞元年… 西暦805年(延暦24年)の、2月10日に、<西明寺(さいみょうじ)>に入っています。 <西明寺(そいみょうじ)>は、玄奘三蔵(げんじょう・さんぞう)がインド祇園精舎(ぎおん・しょうじゃ)の 兜率天(とそつてん/数ある天界のひとつで、六欲天の下から4番目の天のこと)の内院を…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (229)
私(ボス/岡田)は、今、あらためて気付いたのですが… 最澄は、唐滞在の8カ月間を、台州の周辺で過ごしています。つまり最初から、<唐の都 /長安>には、入る予定が無かったわけですね。 最澄は、御身を大切にし…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (228)
に発揮されたわけですね。 また… 空海個人でも、<長安入京留学の嘆願書・・・“啓(けい/閉じたものをあける)”・・・>を提出し て、<20年・・・留学予定>…と記述しています。そうした努力の結果、11月3日に長安 入りを…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (227)
途中で嵐にあい、大きく航路を逸れて、8月10日、福州(ふくしゅう/福州市・・・最澄のいる台州より もだいぶ南で、台湾海峡に面しています)/長渓県/赤岸鎮に漂着しました。 漂流の上、海賊の嫌疑をかけられて… 疑いが晴れるまで、約50日間待機させられています。この時、遣唐大使に代わり、空海 が…
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2月 20日 |
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (226)
のことで、船の構造や、積荷などで、各船は多少異なる所もあったのでしょうか。 ちなみに… 遣隋使の頃から、朝鮮半島に上陸し、陸路を使っていないのは、それ以上の困難があっ たのだと思われます。ともかく、陸路となると莫大な費用と、調整が必要となります。
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (225)
肥前国松浦郡田浦、五島市三井楽町から…入唐/大陸への渡航…の途につきました。 <空海と橘逸勢(たちばなの・はやなり)が乗船したのは・・・遣唐大使/藤原葛野麻呂(ふじ わらの・かどのまろ)の乗る・・・第1船>、<最澄は・・・遣唐副使/石川道益(いしかわの・みち ます)の乗る・・・第2船>…でした。 4隻からなる船団でしたが…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (224)
1つ。宮中で天皇の安穏を祈ることを職務とし、天皇の看病などに当たるほか、正月の御斎会で読師となる。)の1人> …に任命されていて、当時の仏教界に確固たる地位がありました。 一方、空海は、全くの無名の、得度したばかりの一沙門(いち・しゃもん)でした。 遣唐使一行は、難波津(なにわつ/古代大阪湾に存在した、港湾施設の名称)を出航しました。
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (223)
第16次(/20回説では、18次になります)遣唐使一行には… <最澄>や<橘逸勢(たちばなの・はやなり/・・・空海・嵯峨天皇と共に、三筆の1人。)>、そして後に、 <中国で・・・三蔵法師の称号(/訳経僧を指す尊称)を贈られる・・・霊仙(りょうせん/法相宗の僧 侶)>…がいました。
<★ 橘逸勢 (たちばなの・はやなり/平安時代初期の貴族・書家。参議の橘奈良麻呂の孫。空海・嵯峨天 橘逸勢は… 空海とは違い中国語が苦手で、語学の壁のために唐の学校で自由に勉強ができぬと嘆いています。 そのため、語学の負担の少ない、<琴>と<書> を学ぶことになり、806年(大同元年)の帰国後は、 それらの、第一人者となりました。 <詞書(ことばがき)>によれば… 唐で顔真卿(/現在、東京国立博物館で展示中)にも会い、在唐中も <橘秀才> と称賛されていた、とあ ります。
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《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (222)
それから、翌年… 再度、遣唐使が派遣される事になり、今度は、長期留学僧の学問僧として出発しました。 当時の留学僧は、中小氏族の子弟が多く、まさに空海はそうだったわけですね。中国語 の能力の高さも、有利だった様です。
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (221)
<空海>は、医薬の知識を生かして、入唐を推薦されています。直前に東大寺で得度し ましたが、医薬を学ぶ薬生として出発しました。しかし、この渡航は悪天候で…
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2月 19日 |
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (220)
しかし現在は… 804年(延暦23年)、遣唐使が遭難し、来年も遣唐使が派遣されることを知った入唐直前/ 31歳の時に、東大寺戒壇院で得度受戒したという説が…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (219)
戒明は空海と同じ讃岐の出身で、その後、空海が重要視した、『釈摩訶衍論(しゃくまか ・え んろん)』 の請来者(しょうらいしゃ/・・・仏像・経典などを請い受けて、外国から持って来た人)である、という事 です。 空海の得度(とくど/出家して、受戒すること)に関しては… 793年(延暦12年)に、20歳にして<勤操(ごんぞう)>を師とし…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (218)
と伝わっています。 <求聞持法/虚空蔵求聞持法>を空海に伝えた一沙門(いち・しゃもん)とは、旧来の通説 では<勤操(ごんぞう/三論宗の僧)>とされていますが、現在では<大安寺の・・・戒明(かい みょう/宝亀年間(770~780年)に、勅命で唐に渡った僧)>…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (217)
室戸岬の、<御厨人窟(みくろど)>で修行をしている時、<口に明星(/・・・虚空蔵菩薩の化身) ・・・が飛び込んで来た>…と記されてあり、<この時・・・空海は・・・悟りを開いた!> …と言われています。 当時の<御厨人窟>は、海岸線が今よりも上にあって…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (216)
『三教指帰(さんごうしいき)』 の序文には、空海が阿波の大瀧岳(おおたきだけ/現在の太竜寺山付近) や、土佐の室戸岬(むろと・みさき)などで、<虚空蔵求聞持法>を修していたことが記され ています。
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (215)
や、梵語(ぼんご/サンスクリット語)、梵字(ぼんじ/インドで使用される、ブラーフミー系文字の漢訳名)にも手を 伸ばしていた形跡があります。 この時期… 一沙門(いち・しゃもん)より、<虚空蔵求聞持法(こくうぞう・ぐもんじほう)/・・・密教で、虚空蔵菩 薩を本尊として行う・・・記憶力増進のための修法>…
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2月 18日 |
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (214)
です。しかし、吉野の金峰山(きんぷさん)や四国の石鎚山(いしづちさん)などで、山林修行を重 ねると共に、幅広く仏教思想を学んだことは、間違いない様です。
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (213)
→ → 『三教指帰(さんごうしいき/空海による、宗教的寓意小説に仮託した、出家宣言の書。)』 >
…について。 空海は… 24歳で儒教・道教・仏教の比較思想論でもある、『聾瞽指帰(ろうこしいき)』 を著して、俗世 の教えが真実でないことを示しました。
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (212)
空海は、大学での勉学に飽き足らず、19歳を過ぎた頃から山林での修行に入ったと言わ れます。 最澄が19歳で、東大寺で具足戒を受けた後…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (211)
15歳で…桓武天皇(かんむ・てんのう)の皇子/伊予親王の家庭教師であった、母方の叔父 である、阿刀大足(あとの・おおたり)について、論語、孝経、史伝、文章などを学びました。 792年(/延暦11年)… 18歳で…京の大学寮に入りました。大学での専攻は明経道(みょうぎょうどう/・・・日本律令制の 大学寮において、儒学を研究・教授した学科。)で…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (210)
日は、不明とも言われます。 788年(/延暦7年)… <真魚>は、奈良/平城京に上ります。上京後は、中央佐伯氏の佐伯今毛人(さえきの・ いまえみし)が建てた氏寺の、佐伯院に滞在しました。
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (209)
の・あたい・たぎみ)、母は阿刀大足(あとの・おおたり)の娘(/あるいは妹)であり、<幼名は・・・真魚 (まお、まいお、まな・・・諸説)>…と言いました。 真言宗の伝承では空海の誕生日を6月15日としていますが、これは中国密教の大成者 である<不空三蔵の・・・入滅の日>…です。
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (208)
を除く各宗派らで授けられる戒であり、完全にして、自在な修行者のたもつ戒のこと。)の独立への根拠となった、 と言います。
<空海>は… 744年(宝亀5年)、善通寺(/香川県善通寺市)で生まれました。
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2月 17日 |
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (207)
の動員などで、好意的な協力を惜しまなかった、と推察されます。 3月2日… 最澄と義真は、円教菩薩戒(えんぎょう・ぼさつかい/・・・究極的な完全な教えを円教と言います。)を受戒し ました。これが、後に比叡山で、『法華経』 による…
伝教大師最澄上人 (日本の天台宗の開祖・・・766/767年~822年) (/ネットより画像借用)
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (206)
還学生(げんがくしょえ/短期留学)の最澄にとって、帰国船に乗るまでの期間は限られていまし た。それにも関わらず、その短期間で、これだけの成果をあげていたわけです。 これには… 陸淳(りくじゅん)/台州刺史(たいしゅう・しし/最高長官)が…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (205)
国清寺の戒壇で具足戒(/・・・小乗戒)を受け…帰国後に入唐僧として十分な資格を得て… 後に、<初代・・・天台座主>となります。義真は同時に、国清寺固有の典籍の書写して いました。 2月20日には… 103部 253巻(/一説には…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (204)
天台山巡礼を終えて臨海の龍興寺にもどります。ここで受学と日本に持ち帰る仏典書写 に専念することになります。最澄は8カ月の入唐期間のうち、6カ月をこの台州に留まり、 そのほとんどを龍興寺で過ごした様です。 また、弟子の義真は…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (203)
天台山仏隴(ぶつりゅう)では… 行満和尚(ぎょうまん・わじょう)に八十余巻の仏典と、妙楽大師湛然(たんねん/荊渓湛然(けいけい・ たんねん)・・・唐代の天台宗の僧侶)の遺品を授けられました。 そして… 天台大師の廟(びょう)のある真覚寺に詣でて、<求法斎文(ぐほう・さいぶん)>を誦(ず)した、と いう事です。
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (202)
龍興寺(りゅうこうじ)に、『摩訶止観(まかしかん/・・・法華三大部の1つ)』 の講義に来ていた、と言い ます。 それから… 最澄は天台大師の祖廟(そひょう/祖先の霊をまつるみたまや)参拝のため、臨海(臨海市。中華人民共 和国浙江省台州市に位置する県級市。)から約50kmの位置にある天台山に登りました。 国清寺では… 惟象阿闍梨(ゆいぞう・あじゃり)から…
《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】 (201)
の滞在許可(/滞在通行ビザ)が必要だったからと言います。 最澄は台州刺史(しし/国守の中国風の名前・・・最高長官)/陸淳(りくじゅん)に面会しました。最澄は 陸淳によって、<当時/天台宗の・・・最も優れた高僧/道邃和尚(どうすい・わじょう)>… に出会うことができました。
《HP/『人間原理空間』の方で・・・アップロード》 2月 16日 《仏教/ 雑学・3 》 【日本仏教の・・・俯瞰・2】
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