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「タイの田舎で嫁になる―野性的農村生活」森本薫子(著)(めこん 2013年6月)

→目次など

■学校になんぞ行かなくてもいい。伝統医療が生きている。多くの食べ物が無償で手に入る。親戚の子を育てる余裕がある。それが、バンコクともチェンマイとも異なる2000年代のタイ東北部。■

1971年に埼玉で生まれアメリカの大学に通った日本人女性が、タイで嫁ぎ、義母を頼って東北地方(イサーン)で夫や子どもたちと暮しています。

豊富なカラー写真を収録した薄い本には、日常生活の様子が綴られていき、首都バンコクや北のチェンマイとはまた違うタイの農村を知ることができます。

子どもたちは裸足で土の上を歩きまわり、水は雨水が頼りです。

土壌の痩せたイサーンでは一般的な野菜は作りにくく、野生の空芯菜、バジル、ミント、バナナの花のつぼみ、蓮の花や茎などを食べます。イサーンの人たちはこうした野菜を生で食べることが多く、ものすごく苦い葉を平気で食べたりするそうです。(カラハリ砂漠のブッシュマンが食べる野生の植物も随分苦味が強かったことを思い出しました)。

当然虫やカエル、トカゲなども食べます。大雨が降ると道路まで水浸しになることがあり、人々は喜んで魚を捕まえに出かけます。驚いたのは牛肉を生で食べる習慣です。牛肉を生で食べると寄生虫が出ますが、人々は苦い薬草などで対処して平気だというのです。

米作りが一番だといいますが、雨の少ないイサーンでは年に1回しか作れません。機械を使うより人力のほうが安上がりなので田植えも稲刈りも人力です。厳しい仕事ですが、農家の人たちは、定年まで満員電車で通うよりはずっといいと考えているようだといいます。厳しい農作業を少しでも楽にするコツがあるのかもしれません。

小さい子どもの世話をする子どもたちや、親戚の子をひきとって育てている夫婦の姿、何もしてない時間や身をまかせるあり方の大切さ、伝統医療が今も生きる暮らし、学校へ行かなくとも暮していける社会など、この本に描かれたタイの東北地方の姿は、日本で言えば戦前か、明治時代、さらに以前の姿に相当するかもしれません。

世界システムへの組み込みという視点からすれば、この地方はまだ比較的組み込みが遅れている地方のようです。余り利用価値のない地域であり、利用しにくい人材であることが幸いしたのでしょうか。この本は、タイの東北地方での暮らしを肯定的に受けとめていることから、私たちが世界システムに組み込まれたことで何を失ったのかを知る上で有用であると私は受けとめました。

内容の紹介


「不潔で死ぬ人はいない」
  どんな水がきれいで、どんな水が汚いのか。透明ならきれいなのか。濁っていたら汚いのか。
  水が貴重な地域では、どんな水でも利用する。イサーン人はちょっとでも溜まっている水があればそれで手を洗う。田んぼ、水溜まり、金魚の水槽、外に放置され雨水が溜まったパケツ…もちろん濁っている、が気にしない。そして、その手でもち米をにぎって食べる。 - 15ページ

ウチの猫たちは、風呂桶に残った水や、雨水をためた水槽の水をかえって好んで飲みます。それで調子が悪くなることはないようです。こうした動物たちの様子を見ていると、本当に大切なことはマスコミが流布するような綺麗な水の供給ではなくて、多少問題のありそうな水でも平気で生きる強さなのだとわかってきました。


何もしていない時間も大事なんだ
  日本人にとって、「何もしていない時間」「待っている時間」は無駄な時間。生産的なことをしていないのは無駄な時間。タイ人に、日本の電車の時刻表と本当にその時間ぴったりに来る電車のことを話すと、そんなことあり得ないし、そんなことをする意味がわからないと半信半疑だ。日本は電車が1分遅れても、謝罪のアナウンスが流れる。急いでいなくても「待つ」ことにイライラする。タイ人にとって待つ時間は、ゆっくりする時間、おしゃべりの時間、ぼ〜っとする時間。村での時間の流れはそんな感じ。
  忙しくしていないから、村の誰かが困って助けを呼んで時にすぐに手を貸すことができる。それが当たり前でお互い様なので遠慮なく声をかけることができる。助けてもらったところで、お礼をする必要もない。 - 60ページ

サボタージュは邪悪な支配者たちから身を守る手段であり、暮らしを豊かに保つ知恵である。


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「ルビリン」は東山動物園にいたアムールトラの名前です。土手で出会った子猫を迎え入れ、「るびりん」と命名しました。

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