るびりん書林 別館

「イシュマエル―ヒトに、まだ希望はあるか」ダニエル・クイン (著), 小林 加奈子 (翻訳)ヴォイス1994年6月)

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■アダム、カイン、アベルらの真実を知るとき、私たちは、物語が間もなく破綻すること、しかも、頑張るほど破綻が早まることを知る。イシュマエルの語る別の物語は私たちをピダハンらの幸せに導く。■

私の日記に頂いたコメントをきっかけに、図書館で借りて読んでみました。

元々「イシュマエル」は聖書に登場する人物であり、新約聖書ではほとんど言及がない一方で、ユダヤ人とイスラームの伝統ではアラブ人の祖先と見なされているとのことです。 ただし、本書に登場するのは同じ名前を与えられたゴリラです。

主人公は、

当方教師
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
生徒募集。
世界を救う真摯な望みを抱く者に限る。

という馬鹿げた広告記事を出すインチキ教師を冷やかしに行った「僕」です。

本書では、「アダムと禁断の木の実」、「カインとアベル」など聖書の知識を前提としている部分があります。 そこに記された新解釈によって、私たちの世界では、なぜ生物の多様性が失われていき、人々が貧困に喘がなければいけないのかなどの疑問が解明されていきます。

ただ、おそらく、狩猟採集の暮らしと農業改革(新石器革命)に関する知識を持たないで本書を読んでも、これらの説明に同意しづらい面があるかと思います。 一方で、狩猟採集の暮らしは飢餓とは無縁であることがほぼ学問上常識となってきたことや、数千年に渡って文明社会と隣接しながら狩猟採集の暮らしを続けてきたピグミーたちの森の神に守られた暮らし、幸福感の強いピダハンの世界観などを知った上で本書を読めば、もしかするとイシュマエルや著者のダニエル・クイン以上に、本書に記された物語を理解できるかもしれません。

たとえば、「狩猟採集者に戻れというのか」と他人は聞くのではないかと問う僕に、イシュマエルが次のように答える場面があります。

「虚しい考えだな。狩猟・採集が重要なのではない。共同体の他のメンバーも生きられるような配慮が重要なのだ。それは狩猟・採集者でなくとも、農耕者でもできる」

しかし、狩猟・採集の何が虚しいのかと私は反論します。それに、農耕の特徴と思われる特徴は定住化による特徴でしかないのだと。

このように全面的に賛同できるとは言い難いものの、本書には、私が『ピダハン』に出会って以来、狩猟採集の暮らし方こそが本当の生き方であると想定したときに見えてきたことと共通する多くの指摘があり、大変感動しています。ぜひ、この感動を分かち合い、希望を見出していければと考えています。

この本は、環境問題、貧困問題、先住民や少数民族、宗教、遺伝子組み換えなどの技術、TPPなどの政治問題を考える上でも大いに役立つと考えています。 もしかすると、私たちは1万数千年前に始まった一つの物語を完全に捨てなければならないのかもしれないという視点を与えてくれるからです。

内容の紹介


僕は呪術師になりたいわけでも、弓道を極めたいわけでも、瞑想をしたいわけでもなかった。 チャクラを調整したり、過去生を知りたいのでもなかった。 その種の「道」や修行」は根本的に自己中心的である。 どれもが生徒のために考案されており、世界のためではない。 - 6ページ


よく見ると、部屋はまるっきりの空っぽでもなかった。 左側の壁に小型の本棚があり。 三十冊か四十冊、主に歴史や先史、そして人類学関係の本で埋まっている。 - 8ページ


個人によって程度の差はあれ、君たちは、君たちに世界を破壊し続ける行為を無理強いする文明システムに拘束されている。 そうしないと生きられない仕組みになっている - 30ページ


現時点で君が知っておくべきは、人類の歴史が始まって以来、根本的に異なるふたつの物語がここで演じられているという点だ。 ひとつは二百万から三百万年前、先ほど『残す者』と呼ぶことにした人びとが開始した。 その物語は今も変わらず順調に続いている。 もうひとつは一万年前から一万二千年前、『取る者』と呼びことにした人びとが開始した。 その物語は明らかに破局を迎え、終演しようとしている - 44ページ


私が言いたいのは、君たちが払ってきた代償は人類となるための代償ではない、ということだ。 その上、君が今言った快適な生活を手に入れるための代償でさえもない。 それは、人類が世界を的にまわす物語を演じるための代償だ - 76ページ


しかし、先へ進む前に描き入れねばならない下絵の大事な要素がひとつ残っている。 取る者たちの文化の特筆すべき傾向に、予言者への情熱的かつ確固たる依存がある。 モーゼ、ゴーダマ・ブッダ、孔子、イエス、モハメッドといった人物は、取る者の歴史上、絶大な影響力を持っていた。 - 83ページ


私たちは今日、時間をかけて君たちの歴史的な記念碑を見たのだよ。 それは『いかに生くべきかについて確実な知識を入手する道はない』という宣言文を刻んだ記念碑だ。 母文化は、この宣言文を証明なしに受け入れるよう勧める。 彼女にとってはそのほうが都合がいいからね。 証明なしに勧めるのは、この宣言文が本質的に証明不可能だからだ - 89ページ

他方の「残す者」には「いかに生くべきか」の確実な知識があると思われます。


しかし、神たちの最後の罠は、輪をかけて悪かった。 取る者はこの罠にまだ気づいていないが、コガネ虫やダニやエビやウサギや軟体動物や鹿やライオンやクラゲなどの全生物を統括する法則から、人類は除外されていなかったのだ。 人類を重力の法則から除外しなかったように、この法則からも除外していなかたのだ。 最後の罠は、この先、すべての取る者へのとどめの一撃となるだろう。 - 100ページ

私の言葉で言えば「世界はヒトの都合に合わせて作られてはいなかった。ヒトは世界の都合に合わせて生きることしかできない存在だった」ということです。


この法則の効用はそれだけではない。 この法則に従って生きない種は絶滅する。 生物学的な時間の尺度では、かなりの速さで絶滅する。 - 101ページ

人が裸になっておそらく7〜8万年、言葉はせいぜい20万年前ほど、そして、「文明」はわずか1万〜1.2万年前。
人類史をたどることで、私たちの「常識」は、極めて特殊な限定的な状況でしか通用しない常識であることが見えてきます。


実際には真っ逆さまの途中なのだが、本人は『飛行』と思い込んでいる現象に有頂天だ。 - 103ページ


この惑星の生命共同体は、過去三十億年の間うまく機能していた。 美しく機能していたというべきだな。 取る者は、恐怖のためにこの共同体から身を引いた。 共同体を無法と混沌と野蛮人の世界、すべての生物が生命の危機にさらされる冷酷な競争の世界と考えた。 しかし、現実にこの共同体内部で生きる君たちのある種はそうは考えていない。 死から自分を切り離すよりもむしろ、死に立ちむかっている。 - 112ページ


そして一万年ほど前に、ホモ・サピエンス・サピエンスから枝分かれした一族は言った。
『人類はこの法から除外される。神様たちは人類がこの法に縛られるのを望んでいない』
  それで一族は、この法をあらゆる点で無いがしろにする文明を築いた。 そこから五百世代が経過するうちに、生物学的な時間の物差しでは一瞬だが、ホモ・サピエンス・サピエンスから枝分かれした一族は世界が死の淵に瀕するような事態を自分らが生みだしているのを知った。  - 113ページ


「人類は三百万年ほどの間、この惑星に害を与えず暮らしていた。 しかし取る者はわずか五百世代のうちに、すべてを崩壊の淵にまで追いつめた。 彼らはこれをどう説明している?」
「ああ、わかりました。人類はどこかに根本的な欠陥がある」
「君たち取る者が『何か間違いをしているのかもしれない』のではなくて、『人類そのものに根本的な結果がある』のだな」
「そうです」
「今、君はその説明で満足できるかな?」
「疑い始めています」 - 114ページ

私たちは、別の物語を始めることのできる存在でもあるのです。


ピーター・ファーブが『人類』(Humankind)という著者で語った言葉だ。 増加した人口に食糧を供給するための生産強化は、さらなる人口増加を招く - 126ページ


君は世界を征服して、世界のすみずみまで余す所なく開墾し、すべての者に農耕者になれと強制できるほど拡大したいのではないのかね? それが今日まで取る者たちのやっていることだ。 君にも理解できるだろう。 それが取る者たちの農耕の目指すところだ。 - 127ページ

森の民ピグミーやアイヌ、マタギなど、自然環境がそのままであることが自らの生かされる道である一方で、 その自然環境に影響を与えることでしか生きることができないと知る人びとの世界観は、余す所なく開墾することを拒否します。


何もわかっていないな。 定住とは程度の差こそあれ、人類を含めたすべての種が実践している生物学的適応だ。 そしてすべての種の適応は、その周辺で生きる他の種たちの適応との競合関係のなかで存在する。 つまり、人類の定住は競争の法に反していないのだ。 競争の法の範囲内なのだ。 - 128-129ページ

『人類史の中の定住革命』には、人類ほどの大きさの種は本来定住できないと記されています。 定住が理想でもないとも指摘されています。定住は取る者の特徴であるように私には思えます。


飢饉は人類だけに起こる現象ではない。 世界中あらゆる場所で、あらゆる種に、飢饉は起こる。 どの場合にも、食糧に比べて個体数は減少する。 母文化は、この原理から人類が除外されていると告げる。 だから、どこかで人口が食糧源の限界を超えると、彼女は大あわてで他所から食糧を調達する。 そして次の世代では、さらに多くの人間が確実に飢える結果となる。 生産する食糧に見合ったレベルまで人口が低下するままにされたことがなかったので、飢饉は人類の営みの慢性的な特徴となった - 142ページ

たとえば天明の大飢饉の影響が大きくなったのは、それ以前に農耕によって人口が増えたことが背景にあると考えられます。 狩猟採集社会には、ある程度の余力があり、異常気象の影響を軽減できます。また、生物として人は死ぬことを運命と受け入れる必要もあります。

(『アメリカ・インディアンの遺産』に関して)
「この大陸が無人の地ではなかった事実を認識して欲しい。 人口抑制は『贅沢』ではなく『必要性』だったのだ」
(中略)
「彼らは人類全体のため、あるいは環境のために人口を制限したのではない。そのほうが隣人たちと戦うよりは楽だった、というのが主な理由だ。 - 133〜135ページ

ここに、私が目の前の世界だけに視線を狭め、「細胞は全体を知らないが人体はうまく機能する」ように、小地域内の調和だけを目指す多くの集団に分割されることで、地球環境は維持され、人びとも本来の生き方ができると考える背景があります。


私たちが発見した法は、人類も含めた全生物種の生き方、生き残り方を教えてくれる。 気分を高揚させる薬物を合法化すべきか否かを教えてはくれない。 婚前交渉の是非を教えてはくれない。 経済政策の是非を教えてはくれない。 この法が教えてくれるのは、絶滅を避けるための生き方だ。 そしてこの知識こそ、誰にとっても最優先かつ最重要で必要とされる知識だ。 - 137ページ

本書の最重要な一文がここにあります。私たちにとって、この法を知ること以上に重要なことなど何一つないのです。


認める認めないの問題ではない。 重力の作用を認めない者が崖っぷちから足を踏み出したらどうなるかは、君にもわかるだろう。 取る者は自らを消滅させる過程にあるのだ。 そして取る者が消滅すれば共同体の安定は回復し、君たちが与えてきた損害は修復にむかう - 138ページ


残す者が過去三百万年の間ここで演じてきた物語は、征服と統治の物語ではない。 その物語を演じても彼らは権威を手にいれない。 その物語を演じて手に入るのは、彼らにとって意義のある満たされた人生だ。 君自身、彼らを訪ねてみればそれがわかる。 彼らは不満や恨みで鬱々とした人生を送ってはいない。 (中略) すがる対象を求めて、毎週のように新しい宗教を発明したりはしない。 - 142ページ

狩猟採集社会では、政治、宗教、経済といった面での社会的分業も未分化で、社会的統合のレベルも低く、集団の意志を長期的にわたって左右できるリーダーも存在しない。(『アフリカを知る辞典』より)

神様たちは何百万年もの間、世界を統治してきた。 そして世界はうまく運行していた。 ほんの二、三千年ほど取る者たに統治された世界は、今や死に瀕している - 159ページ


聖書にあるふたつの物語の作者が、君たちの文化の祖先ではない証拠がある。 そのひとつは、農耕が自由な選択、望ましい選択としては描かれず、呪いとして描かれている事実だ。 ふたつの物語の作者には、額に汗する生活を好む者がいるなど、文字どおり思いもよらぬことだった。 物語の作者が抱いた疑問は、『この者どもは、どうして労多い生活を選んだのか?』ではなく『このような懲罰に値する、どんな悪事をこの者どもが犯したのか? 彼ら以外の者には心配のない生活を保証する恩寵を、神が彼らから取り上げるような、何を彼らはしたのか?』だった - 171ページ

『モモ』の時間泥棒、灰色の男たちが犯人なのではなく、農耕生活そのものに原因があるのではないかという指摘です。


物語のなかの関係性は、比喩的に理解せねばならない。 セム族は、堕落が人類をふたつに分けたと解釈した。 正義の味方と悪漢、羊を飼う者と土を耕す者だ。 後者は前者をやみくもに殺した - 172ページ

『日本よ、森の環境国家たれ』では、羊を飼う者と土を耕す者の連合(動物文明)が、森の文明を滅ぼしたと見ています。 羊を飼うこともまた、農耕と同じく労多い生活であると著者がみない理由が私にはわかりません。


残す者の生き方は、進化にともなって形成された、人類が言葉を持つ以前から、残す者はその生き方を試しては形にしていった。 誰かが「我らが従うべき法を考案する委員会を作ろう」と言って、その生き方が採択されたのではなかった。
  残す者の文化は、即席の考案品ではない。 僕らの立法は、政府が国民に与える即席の考案品だ。 無数の世代がつちかってきたものではない。 唯一正しい生き方を独断的に宣言したものだ。 ずっと、それが続いている。 立法府は、うまくいく生き方だからという理由で法を制定しない。 唯一正しい生き方を提供するという理由で制定する。 - 198ページ

狩猟採集の暮らしには私たちには受け入れがたい冷酷さや野蛮さと見える行為がある。しかし、突き詰めて考えていくと、私たちは私たちの価値観と世界の法則とが一致しているかどうかを誰も確認してなどいないことに気付く。


歴史を見ればわかるように、残す者をその生き方から引き離す方法として、ただひとつ取る者が採用したのは暴力だ。 大量虐殺だ、 たいていは、残す者を根絶するのが一番簡単な方法だった - 207ページ

文明が進むほど、文明に組み込まれることを嫌う人びとも増えているように見える。


狩猟・採集者は地球上で一番暇のある者たちでもあった。 マーシャル・サリンズは、石器時代の経済に関する著書【Marshakk Sahlins:近年、注目されている米国の人類学者。 本文で言及されている著書は"Stone Age Economiscs"『石器時代の経済学』法政大学出版局刊】のなかで、狩猟・採集社会を評して『最初の富裕社会』と述べている。 - 212ページ


しかし、実際にはそうではなかった。 どの人類学者に尋ねてもそう答えるだろう。 狩猟・採集者は、君たちよりもずっと不安のない生活を送っていた。 誰も彼らに『金がなければ食べ物はない。着る物もない。住むところもない』とは言えない。 彼らには失うべき職もない - 221ページ


いつか話したが、人間の定住が法則に反しているのではない。 定住は法則の範囲内だ。 文明も同様だよ。 - 234ページ

私は陰謀論的に歴史をとらえ、文明=支配。支配者=「取る者」であると判断して、文明を否定する立場に立っているので、この点では著者と意見を異にしています。


行動計画はこうだ。 まず『創世記』の物語を心に留めておくのだ。 そして、カインによるアベル殺害をやめねばならない。 君たちが生き残りたいのなら、これは必須項目だ。 残す者は、絶滅の危機にひんしている種の中でも失ってはならない最後の種といえるだろう。 それは彼らが人類という種だからではなく、正しい生き方がひとつではないことを破壊者たちに示せるのが彼らだけだからだ。 次に、当然、口に含んでいる禁断の木の実を吐き出さねばならない。 地球上の死すべきものと、生くべきものを知っている、という考えを永遠に手放さねばならない - 237ページ


取る者の世界は、ひとつの巨大な刑務所だ。 世界中に散らばって住むひと握りの残す者を除いて、人類全体が刑務所の壁の中にいるのだ。 十九世紀、北アメリカに残っていた残す者には選択が与えられた。 抹消されるか、収監を受け入れるかの選択だ。 多くは収監されるほうを選んだ。 しかし、刑務所生活に順応できた者の数は多くなかった。 - 240ページ

ヤナの森の生活』は、絵空事であり、取る者となった私たちには結局は許されない生活であることがわかります。


「君たちの社会という刑務所内では、どんな囚人が権力をふるうのかね?」
「ああ」僕は言った。
「男性、特に白人の男性の囚人です」
「そう。しかし、そのような白人の男性の囚人も、ただの囚人であって看守ではない。 彼らは、その権力と特権のすべてを使って刑務所内の他の囚人たちを支配する。 しかし、彼らの誰ひとりも監獄の扉を開ける鍵は持っていない」 - 241ページ

これは陰謀論者の見逃している点のひとつです。結局、取る者として生きる限り、誰もが囚人でしかないのです。

「取る者が刑務所から脱獄することには、全人類が賛成できる」
  僕は頭を左右に振った。
「むしろ、ほとんどの人類が賛成しないように僕には思えます。 僕らの刑務所のなかでは、白人であれ、有色人種であれ、男性であれ、女性であれ、みんなが、できるだけ大きな富と権力を得たがっているんです。 それが刑務所だろうが、世界を破壊する行為だろうが、少しもかまわない」
  イシュマエルは肩をすくめた。
「君は相変わらず悲観的だねぇ。 たぶん、君は正しいのだろう。 私は君が間違っていることを望むがね」
「僕だってそう望みます。本当です」 - 242ページ

人類学の知識だけでは動かない人びとも、陰謀論や心理学や霊長類学の知識を持つことで、動くようになるのではないか。 私はまだ、人類を信じたいと思っています。


追記:
1994年に出版された本書はその真意を汲み取られることもわずかで今や書庫に追いやられた存在となっていました。 当時、翻訳者の小島さんに「私の個人的な費用でこの本を百人の友だちにプレゼントしたい」と言わせた、この本に込められたメッセージは、母文化のささやきにすっかり洗脳されて、人類が世界を支配しさえすれば問題は解消するのだと信じる人びとには届かないのでしょう。 しかし、時の経過とともに、本書の示す二つの物語の結末はいよいよ確実になってきていることに、今から本書を読む人はきっと気づくことでしょう。


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