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「ハイン 地の果ての祭典: 南米フエゴ諸島先住民セルクナムの生と死」アン チャップマン (著), 大川 豪司 (翻訳)(新評論社 2017年4月)

→目次など

■伝統文化の記憶を持つセルクナムの最後の人びとと交流し、記録を残し、生涯を通じてその文化の研究と紹介に取り組んだ著者が、残された記録やセルクナムの末裔たちの話などから儀式「ハイン」の様子を復元■

奇抜なセンスに惹かれてフィギュアを自作する人々も続出している(?)セルクナム族。ネット上では誤ってヤーガン族と紹介されていることも多いが、どちらも南米最南端のフエゴ諸島に住んでいた先住民だった。

真夏でも霜が降りることのあるフエゴ諸島の先住民は少なくとも9000年前頃から住んでいたらしい。セルクナム(オナ)、ハウシュ、アラカルフ、ヤマナ(ヤーガン)の4部族が、ほぼ裸身か毛皮一枚をまとって移動しながら暮らしていた。9000人程いたこれらの人びとは、1999年に生粋のセルクナムが亡くなり、ハウシュも絶滅、アラカルフは2006年の時点で15人、ヤマナは2017年現在89歳の女性が最後の一人になっている。

本書は1922年生まれの著者が、1923年に行われたハインの様子を再現したものだ。このハインは、記録を残したかったカトリック系大学の人類学者であるマルティン・グシンデが多数の羊を提供して開催されている。他に、先住民たちに友好的だった牧場主の息子や、初期伝道師たちの記録、友人であったセルクナムの末裔らの話を元に「ハイン」が再構成されている。

ハインは若い男(17歳から20歳)たちが通過儀礼を受ける行為であると同時に、父権制社会を護ることを目的として開催されていた。

セルクナム族は、かつて女が情け容赦なく男を支配していた時代があり、あるとき反乱を起こした男たちが幼女と赤ん坊以外の女たちを皆殺しにしたという神話を持っている。そのような恐ろしい母権制を復活させないために、男たちがさまざまな精霊に扮して女たちに恐怖を与えるのだ。

本書では、ハインについて記す前段階として、こうしたセルクナムの神話から始まり、かつての社会を描いた後、1923年のハインで中心的な役割を演じたセルクナムの二人と、多くの写真を残したマルティン・グシンデについても記されている。

セルクナムを有名にした、目を引く身体彩色は、ハインのときに限らず日常的にも行われており、防寒や狩りの際の迷彩の役割や、こそげ落として塗り替えることで清潔を保つ役割を持っていたが、ハインの精霊の扮装用の身体彩色は特に念入りに行われていた。

本書の中心となるハインについて記述された部分では、さまざまな精霊の扮装や登場する場面、遊戯、踊りなどの儀式などが詳しく記されている。ハインは数か月続く祭典のようで、成人する若者たちに対して成人儀礼と狩猟訓練、しつけなどを行いながら、サルペンと呼ばれる恐ろしい精霊らを登場させて女性たちを怖がらせたり、若い男女の出会いの場としてなどの遊戯・踊りを含めながら、そのときどきによって異なる様式で行われたらしい。ハインの精霊は、秋田のナマハゲや悪石島のボゼに通じるものを感じさせるものの、種類も物語もはるかに豊かである。

こうしたハインの役割について、「訳者あとがき」から拾ってみよう。

読み進むにつれて感じたのは、「ハインは壮大な『ごっこ遊び』だな」ということです。子どものころ「ごっこ遊び」をしていた時の高揚感が思い出されました。非現実の世界を想定し、それに入り込むことでいつしかその世界自体が現実であるように思われてくる……。セルクナムとハウシュの人びとはハインを通して、そんな高揚感を味わっていたのではないか、と考えると彼らが身近に感じられ、羨ましささえ覚えました。梁塵秘抄の「遊びをせんとや生れけむ」に通じるような生き方を編み出し、たとえ極寒の地の厳しい暮らしであっても、彼らは生を謳歌していたのだと思います。だからアンヘラも「あの頃は本当に楽しかった」と述懐しているのでしょう。

精霊はいないと否定する科学よりも、私たちが肉体を持つ以上、私たちが感じ取る内容のほうが重要であり、私たちが生物である以上、立派な理論よりも、生物として生きていける世界が重要なのだということを、世界各地の先住民(狩猟採集者)たちは教えてくれる。

*ハインの精霊を知って考えたのは、こうしたごっこ遊びのような精霊は普遍的な存在なのかもしれないということでした。ピダハンにせよピグミーにせよ、男たちが精霊になり代わって演じることがありました。本当の精霊ではないことをおよそ知りつつ、皆が受け入れているという点にも共通性を感じました。
*セルクナム族の境遇からは『グアヤキ年代記』を思い出しました。
*この1923年のハインでは対象者が年少であったことから通常のハインよりも手加減があったとのことです。
*写真は多数掲載されていますが、すべて白黒です。ハインが南半球の冬の時期に行われることから、白い雪を背景に身体彩色を施した裸体の精霊(男)たちが立つ様子や、恰幅の良い人々の様子を確認できます。
*編集部による解説によれば、フエゴ諸島民の祖先には、アボリジニやニューギニア人に近い人々がいた可能性があるそうです。

内容の紹介


一八八九年、マゼラン海峡沿岸部で一一人のセルクナムがさらわれた。ヨーロッパへ連れ去り、食人種として見世物にするためだった。彼らはパリで檻に閉じ込められ、飢えにさらされ、その上で生肉を投げ込まれた。食人癖があるように見せかけて大衆をだまそうとしたのだ。もちろんそんなことは全て嘘だ。セルクナム族は決して人肉を口にしない。「平等、自由、そして友愛」をモットーとしたフランス革命百周年を記念して建てられ、落成式が行われたエッフェル塔の陰で、セルクナムが幽閉され、途方にくれ、苦しんでいたのだ。この一一人のうち、ティエラ・デル・フエゴ島に帰ることができたのはたった四人だった。その他の者は病気か、おそらくは絶望で死んだのだ。 - 45ページ

フランス革命のモットーは、世界システムに世界を組み込んでいくための標語にすぎなかったわけです。ただ、この文には、食人という行為が文化としてあり得るという価値観はない点が気になります。


生と幻想に満ち、ハレの場であり楽しみだったハイン――あのハインの創造的な儀式や劇が表現していたものが、新しい生活にはかけらもない。羊牧場の仕事は日課であって文化ではない。それは生き方として不完全で、何かが欠落していた。 - 48ページ

カバーの袖にもこの部分が引用されています。


(成人儀礼の対象者(クロケテン)に教えられる戒律から)
八、肉を切るときはニ〇切れくらいに分け、その場にいる全員に分けてから最後に自分の分をとること。そうすれば年をとってから同じようにしてもらえるだろう。(後略)
九、年寄りを笑わないこと。老人や病弱な者に思いやりをもつこと。そうしていれば、年をとったり病気で弱ったりしても、若者たちが同様の敬意を払うだろう。 - 109ページ

私が狩猟採集者たちの話を読み始めて驚いたのが、アボリジニ、エスキモー、アチェなど、老いた親をいとも簡単に殺害していることでした。果たしてこの記述は事実なのか、事実であるとすれば何が違うのかを知りたく思います。


「ハインの精霊たちと登場の場面」から中心人物(精霊)の一人「サルペン」についての記述(冒頭部分)
サルペンはハインで創出された者の中でも最も不気味な存在で、[ショールトと並ぶ]祭典のもう一方の中心人物だ。ハラハチェス(後述)を除くあらゆる地の精霊は彼女の傘下にある。天の精霊たちとは無関係のようだ。彼女はショールトの妻だが、全ての男、中でもクロケテンは彼女の夫もしくは愛人とみなされる。女たちに対して特別な嫌悪感を抱いており、フェデリコによると、その理由は女たちが彼女の義理の母にあたるからだそうだ。大食漢(チテレ)である上、グアナコの肉が十分にないと、クロケテンでも年輩者でもハイン小屋にいる男たちを貪り食ってしまう。また女や子どもがハイン小屋に近づきすぎると同じ目に遭いかねない。だが夫のショールトを襲うという話はまったくない。彼女はむら気で怒りっぽく、誰ともつき合わない。逆説的だが、この恐ろしいサルペンが、この上なく可愛らしい赤ん坊の精霊クテルネンの母親で、その父親はクロケテンの一人だ(写真36と37) - 150ページ

サルペンはめったに姿を現さないものとされ、本書にもその姿は収録されていません。


「ハインの精霊たちと登場の場面」からデザイン的に有名な角のある道化師「ハラハチェス」についての記述(中間部分)
この精霊は反サルペン派で、男性だった。グシンデの言葉を借りると彼は「サルペンから覇権を奪う」者だ。彼がハインに現れると、サルペンはいつでもすぐさま地下の住処に戻って行く。彼女の怒りが今にも爆発しそうで不穏な雰囲気になると、男たちは「ワ」と唱えてハラハチェスの到来を告げる。即座に女たちは歓迎するため「ハラハチェスの歌」(#25)を始める。彼が来ればサルペンが消え去るのがわかっているからだ。サレジオ会文書では、彼は女たちを面白がらせる道化師としてふれられているだけだ。だが一九二三年の時、場面によっては彼は深刻に受けとめられていた。一方、それ以外では彼はおどけていた。クラン(後述)と同じく、彼はいくつもの顔を持つ精霊なのだ。 - 146ページ

本書は、ハインの祭りを逐一再現する形ではなく、精霊や踊りを個別に取り上げていく形になっています。そのため全体像がわかりにくくもあります。数千人規模でしかなく、定住もせずに狩猟採集に生きてきた人々がこのような豊かな物語の世界を持っていたことを知ることには、今を相対化する意味があると思います。


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「ルビリン」は東山動物園にいたアムールトラの名前です。土手で出会った子猫を迎え入れ、「るびりん」と命名しました。

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