renascence project《第4章》

〜 latent calamity 〜



新高校1年生最初の試練。
中間テストの季節がやってきた。
定期テストというだけなら、中学3年間で十数回似たようなことはやってきた。

しかし、今回は俺には一美ちゃんがいる。
よって、「恋人と一緒にお勉強」という、男の夢の一つが今、実現されようと
しているのであった!!

「…………」
一美ちゃんの学力は正直、絶望的なものがあるのだが。
なぜ、同じ入試を同じように受かってきた人間達が、たった2ヶ月でここまで
差が開くのか?!
嗚呼、現代の神秘。

「えーと……」
「ごめんなさい」
場所はさざなみ寮、一美ちゃんの部屋。普段一美ちゃんが使っている机とは別に、
2人でノートを広げられるように、折り畳みのこたつテーブルを、フェイクファーの
ラグの上に出してもらっている。
こんな時でなければ、もっとまじまじと見たいんだけどな。

例えば、机の上はきれいに片づいているけど、ローチェストの上に溢れんばかりに
乗っかっている、ぬいぐるみやマスコット。ちらっと見ただけでも、かわいくて
有名な、猫・兎・鼠の「アレ」から、何者なのかどこがかわいいのか、さっぱり
分からない物まで詰め込んである。
壁際の奥の方なんて、何がひそんでいるのか想像もつかない。
(自作でへりが作ってあって、上から転げ落ちないようにしている辺り、
相当の剛の者だ)

「とりあえずどこから始めるかなー……」
まだ一週間ある。から、それなりに一夜漬けじゃないことも、まだ間に合う。
「うん、まず国語と社会の復習から行こうか」
「はい先生!」
いい響きだ。将来教師というのもいいかもしんない。
二人分のノートを同時に広げて、一美ちゃんのノートになくて、俺のほうの
ノートにはある部分を、順次書き込んで行って貰う。

「この時、あの先生どんな表情だったか覚えてる?」
「へ?」
「『……という訳だ! これは言うなれば〜であり、さらに付け加えると〜…!』
なんてね、こんな感じ」
「あはははは!」

暗記系の科目は、体系を理解することと同時に、教師自体の体重がどの辺に掛かっ
ていたかを感じておくことが重要だ。向こうもよほど低能でなければ、そこが
ちゃんと理解の「キー」になることを感じているからこそ、強調しているんだし。

「ところで一美ちゃん、風校の入試の時の、自己採点用紙とか取ってある?
とりあえず理数系と英語だけでいいんだけど」
「え? あると思うけど…… どうして?」

論理系の科目は、一度つっかかった所があると、その後ろにずっと影を
ひきずってしまうことがある(無いにこしたことないけど)。
入試レベルまで行くと、練習量とか短絡回路の暗記とか、そういう物も
必要になるけど、定期テストの場合は、理論の体系を丁寧になぞる事の方が
効果的だろう。

「弱点とか強みとかを分析して、そこから一美ちゃんの学習計画を立てようと
思って」
「え、そんないいよ、そんな事までしてたら孝ちゃんが勉強する暇がなくなっ
ちゃうよ」

一美ちゃんは「遠慮」とか「気遣い」とかが上手だ。
そして無理をしたりするし、我慢をためたりもしてるとも思う。最近はそれが
ちょっと気になっていて、……それがちょっと悔しかった。
「俺は平気だよ。そんなことより一美ちゃんの方が余裕無いでしょう?」
「そんなことないよ! 孝ちゃん、この中間の成績が特待生の最終審査になるって
言われてたし、アルバイトも始めてるじゃん!」
「アルバイトは一美ちゃんも同じでしょ? それに俺より全然多く入れてるじゃない」

この間面接を受けに行ったお店が、たまたま一美ちゃんのバイト先だったのだ。
俺の方は家計的な余裕は出始めてる。
高町家にお世話になれたことと、特待生が目の前になった事で、計算上必要な
労働は随分小さくなった。とはいえ、3年後の大学のことを考えると、少しずつ
でも溜めておきたいと思って、それなりにやらせて貰っている。

「それは……そうだけど。でも、孝ちゃんにはその先があるんでしょ? 大学も
すごい所にいって、凄い勉強するんでしょ? だったら…こんなところで私に
足を取られてたら、だめだよ……」
「…………」
なんか。
そうなのかもしれないけど。言われてる事は、何年後かに事実になる事だとしても。
道を隔てられたようで。好意をはねつけられたようで。
だめだ、平静にならないと。

「そう言えば、一美ちゃんはなんでバイトしてるの?」
「え? 同じだよ、孝ちゃんと。学費ぶん稼ごうと思って」
でもそれは。同じじゃ……ない。
さざなみ寮の家賃がどれくらいの額なのかは知らないけど。風芽丘の学費は
けっこう高い。計算してみた。分かってる。

「じゃ、なんで一美ちゃん、風芽丘なんか受けたの? 公立でも普通にいいトコ
全然あるじゃないか」
公立の高校は、海鳴にもいくつかある。太一の行った城西もそうだ。
俺の場合、男で、大学進学をするという前提だったからここしか残らなかったけど、
そうでないなら、他にも選択肢はあったはず。というより、風校は制服・部活動
その他の要素も相まって、競争率は相当鬼だったはずなのだ。

そんなことが頭の回路の中を駆け巡った。


「分かん……ない?」
俺の興奮が退いて。我に返ると、
一美ちゃんの視線は俺を捉えていた。見つめてそして揺れていた。
「そっか。分かんなかったかな。ここに受かれた時点で私、奇跡を使い果たし
ちゃったかな」
一美ちゃんはうつむいていた。

俺は愚かにもその時になって、やっと気が付いた。中学生の一美ちゃんが、能力
不相応な覚悟で風芽丘を受けた理由。学費が重い負担になってでも、ここに来な
ければならなかった理由を。
俺はやっと声を絞り出したけど。その声はふるえていた。
「一美……ちゃん?」
「帰って」
「か……」
「帰ってよ! 私は一人でも、ちゃんと勉強して、ここで3年間通って見せ
れるから!」


ばたん、と。俺を部屋からたたき出して、一美ちゃんはドアを閉めてしまった。
「…………」
声をかけようにも、名を呼ぼうにも。目の前は物言わぬ扉が遮っている。
「あれ、沢木くん、どうしたの?」
振り向くと、管理人の槙原さんが立っていた。ちょうどお茶をいれてきてくれた
ところだった。……いたたまれない。
「すいません、俺、帰ります。お邪魔しました」

 * * *


帰り道を歩いていた。いや、帰っていたのか、彷徨っていたのか、もしかしたら
さざなみ寮に戻ろうとして歩いていたのかも、定かじゃなかった。
ただ足は動いていた。世界が終わったような気分だった。

「孝、お前、何をそんな世界が終わったような顔をしているのだ?」
そんな道の途上で、桐子に会った。どうやらウインドヒルズの下まで来ていたらしい。
「話してみるか? 口は堅いぞ。もっとも口は悪いがな」
桐子はいつも、人に近寄ろうとしない。言葉はいつも混ざり物が多くて、本音を
伝え過ぎない様にしている。でも、残り10%の本音は、いつでも真っ直ぐに相手に
向けられているので。
こういう時。
いつでも誰よりも頼りになった。


夕方、缶コーヒー、広場、ベンチ。
俺達は並んで座っていた。
俺の話は、要領を得なかったかも知れないけど、桐子はのんびりと聞いていてくれた。
「孝」
聞きおえたと判断したのか、桐子が口を開く。
「お前が悪い。謝れ」
一言ですか。

桐子が一言しか踏み込んでくれないので、こちらがしゃべることになる。
「ええと……」
「うん」

「一美ちゃんは、あの時部屋をたたき出す勢いだった! 一回拒絶されて、また
行って、取りつく島もなかったら? 話も聞いてもらえなかったら?」
「その時は話を聞いてやれ。たまってるうっ憤は時々吐き出した方がいいんだ」
「…………」
話を、聞く。
「俺があの時、一美ちゃんの思いに気付いて上げられなかったんだ。 その事実は
変わらないわけで、つけてしまった傷は消えないわけで」
「なら、悪意がなければ、自分のことを好きでいてくれて、心配してくれていた
男を部屋からたたき出しても許されるのか?」
「…………」
「………」

一瞬、あっけにとられた。そんなに一方的な悩みじゃ、なかったのかな。
桐子の話を聞いていると、そんな気がし出す。
だから、つい全てを明らかにしてみたくなる。
「それにそもそもの発端になった問題は、まだ何も解決してないよ? 二人の
学力の差とか、一美ちゃんが感じている後ろめたさとか、そういう物は全部
残っていて、それを抱えたまま、また一緒になったって……」
「まあ、あんま自惚れるなだな」
「?」
「男は相手の抱える問題を解決してやらなきゃならないのか? 問題が解決する
までは結ばれちゃいけないのか? 悩みを抱えている人間は、人を好きにならな
いのか? 違うだろ」
桐子のつり目で黒目がちな瞳が、俺を見つめている。
「それこそ「二人の問題」じゃないのか? そのためにこそ協力するものなんじゃ
ないのか?」
………でも、それでも、

「なんというかだな………」
桐子は背もたれに体重を預けて、前髪をかきあげた。
「うっかり怒って、お前をたたき出してしまった一美ちゃんを、今の苦しさ
から救ってやると思えばいいんでないの?」
「と、言うと?」
言ってしまってから、間抜けた相槌だと、自分でも思った。

「怒ったはずみで、格好がつかないから、部屋から追い出した。怒りが退いて
きて許してやろうと思った時には、もうお前はどこか遠くに行ってしまって
いる。
謝ろうにも、おおもとの原因はお前だから、自分から謝ることもできない。
自分にも落ち度があったから、良心は痛む。
……そんな時、どうしたらいい?」

ふっと。
桐子の横顔が寂しく見えて。
俺は一日前に太一が、「桐子と喧嘩してしまった」と言っていた事を、思い出す。
「そうだな、謝ってみるよ、まだお互いに引かれ合ってる物は残ってるはずだし」
「そうしろ。鉄は熱いうちに打て、だ」
「向こうも許したくて、待ち焦がれてるはずだし?」
「そこまでは保証しかねるが」
「これでうまくいったら、太一にも今の言葉伝えといてやるから!」
「…………!」

桐子の表情は固まっていて動かなかったが、顔色に朱がさしたのが分かる。
「さっさと行け! チキン野郎が」
うお、言葉の汚さがパワーアップしてやがる。どこで覚えるんだそんな言葉。
でも真っ赤になる桐子、なんて珍しい物も見れたし、アドバイスサンキューな。

日は完全に沈んで、刻一刻と暗さが増していたが、俺の心の中には光明が射していた。

 * * *


「孝ちゃんの……ばか」
さざなみ寮の一室。もう何度目かになるセリフを呟いて、一美は自分の電話を
見つめていた。

────────────────
「だー、あの勤勉少年も存外だらしない奴だな」
「でも、ボクはあいつのこと信じてますよ。むしろ、こっちも動かなくていいん
ですかね?」
「ばーか、こういう時は男の方から謝るのが相場なの……って?!」

一美の携帯が鳴り出した。一美が携帯に飛びつきディスプレイを確認する。一瞬
にらみつけ、深呼吸し、3拍ほどおいて通話ボタンを押した。

《はい、深瀬です》
《なんだ孝ちゃんか……なに? まだ何か話すことあったっけ?》
《…………》
《?!》

一美が携帯から耳を離す。だが、次の孝太郎の声は一美にだけではなく、さざなみ
中に響き渡った。

『ごーめーんなさーーい! 許して下さいーーー!!!』

それはもう、フォントサイズが+3や+4ではすまない様な大音響だった。


「にゃ、にゃにー?!」
「ばかな、これは携帯電話の出力を完全に超えている!!」
のぞき魔達が少年漫画のアナウンサーに変貌する。

─────────────────

一美は自室の窓を開けて、足下を見ていた。
「こんな所でどうしたの? 孝ちゃん」
「携帯って、こんな風に使うもんだろ?」
「絶対違うと思う……」

孝太郎が顔の前で、ぱんっと手を合わせる。
「怒らせてごめんなさい、傷つけてごめんなさい、無神経でごめんなさい、
ほったらかしちゃってごめんなさい、あと謝りに来るの遅くってごめん!」
一息に言い切ってから、
孝太郎は手を合わせたまま顔を上げる。
二人が窓枠越しに見つめ合っていた。
一美がくすりと笑う

「いいよ、もう、怒ってないから、仲直りしよ?」
「よ…………」
「孝ちゃん?」
「よかったあぁぁぁ……」
孝太郎がそのまま、窓枠に崩れ落ちそうになったので、一美が手を伸ばして
受け止めた。2人に甘い空気が降りてきかけた時。

ばーん、と
部屋の扉を開け放ち、今度は時代劇になって現れる三人組。
「少年よ。心がけは感心だが、時間はもう夜だ。騒音というものに、もう少し
気を配ってもらいたいな」
「す、すいません」
「さらに言うと、ここはあくまで愛の私有地。これは不法侵入に当たるのだぞ」
「す、すいません」
「次からやる時には、オーナーの愛、管理人の耕介、もしくは私に許可を
取ってからやるように!」
「……真雪さんは、なんでなんですか?」
「ばか、そりゃお前、寮の最年長者であり、影の実力者たる……」
「じゃ、また明日ね、一美ちゃん」
「うんまたね、孝ちゃん」
「人の話は最後まで聞けー!!!」

走り去る孝太郎に、二階建のさざなみ寮全室から、歓声が飛んでいた。


「…………」
ほっとしたのと、嬉しいのとで、なにかうかれだしたい気分だった。
「あはははははは!」
寮が見えなくなった所で、小さくガッツポーズをしてみたりして。
よし!
よしよしよし!

何か確かな手応えをつかんだ日。
自分をまた一つ好きになれた日。
大丈夫。

俺達は、大丈夫!



─続く─




全5章の中でも、群を抜いて長い話になってしまった……

段々、孝太郎が強くなってきた気がします。
腰は低いままだけど、それに開き直ってきましたね。ある意味で無敵。
と、いうか、「頭がいい」とはっきり設定された主人公が珍しくも
あるんでしょうね。

次の話でエピローグ、です。
←3章へ進む
→5章へ進む
↑一つ上の階層へ