フリーマンの随想

その37. 21世紀を迎えて


* 悲観的にしかなれないのですが・・・ *

(12. 30. 2000)


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21世紀雑感(1)

千年紀 ( Millennium ) とか、 21世紀の始まりとか、いろいろ世間は騒ぎますけれど、 言うまでもなくこれは単にキリスト教の暦の具合がそうなっているだけで、 信者でもない人にとっては、 他の年の変わり目と、 何の変わりがあるはずもありません。 ところが身の周りを見わたすと 「 いつもの年末とは違うんだぞ 」 という意味の言葉も氾濫しており、 そのためにウキウキしている方もいらっしゃるように思えます。

私の家の近所の大きな曹洞宗のお寺が 「 新しい千年紀の開始を祝って 」 元旦の朝零時に盛大に花火をあげるそうです。 宗教家が他宗教の祝いごとを利用して、 参詣客を増やそうとする。 この国は何とも融通無碍と言うか、いい加減です。

メートル法にはやや科学的な根拠があるし、世界中が統一される事に非常な便宜もあるから、 国粋主義の戦前の日本も含め、米国以外の全世界がこれを採用しました。 しかし 「 キリスト教に根拠をおく西暦 」 を嫌悪する国は、回教国を中心に、 現在でもまだ少なくありません。 若い頃からズッと不思議で仕方なかったのですが、キリスト教の古い伝統のある旧ソ連はともかく、 最近まで宗教を強く否定し弾圧していた中国までが西暦を採用したのは、 一体なぜなのでしょうか。 国際的に便利だからというだけでしょうか。

中国の最近の急激な変りようを見ると、中国人の変わり身の速さもなかなかのものですが、 「 良く言えば他人の考えややり方を積極的に取り入れる柔軟さ−−− 実際の所は 「 自分の頭で考える力 」 や確固たる信念、 行動力に乏しく、周囲の変化に合わせ、 外圧にうまく対応してて行くだけ 」 という点で、断然世界一なのが、残念ながら我々日本人です。 ( M総理はこの点まさに典型的日本人です )。

1945年8月16日には、前日まで私に軍国主義を鼓吹していた教師たち全員が、 一夜のうちに 「 民主主義者 」 「 平和主義者 」 に変ったことを、中学1年生だった私は今でも覚えています。 この時に日本は、一瞬の内に、西暦の採用に変わりました。 それまで使っていた日本の紀元が歴史的根拠が無いから止めたというのなら話は分かりますが、 それは、のちの議論で、当時は占領軍のご指示に素直に追随しただけの話だったと思います。

アラブやイスラエルの人たちのような、 自分たちの信念、文化、価値観などを、命を懸けても守りたいと思う頑固さのようなものは、 この日本には、カケラほども無くなってしまったように見えます。 ほとんどの日本人は、アラブもイスラエルも、どちらも、 妥協を知らず大昔から戦い続けている頑固者たちだと考えているのではないでしょうか。 それとも、そんな事すらも考えず、ひたすら物質的な豊かさに酔い痴れ、 毒されながら 「 21世紀おめでとう ! 」 と祝おうとしているのでしょうか。

21世紀雑感(2)

ということで、この随想の ( その24 ) で述べたように、戦後ずっと、そして最近特に急速に、 日本は米国の文化や風習をズルズルと無定見に真似し、取り入れ続けて、 20世紀の終わりまでに 「 もう相当にダメ 」 な国 になり果てました。

1989年頃、全米商工会議所が、米国の高校教育の危機について、 実に率直に発表した統計の一部を紹介します。 米国の人口は日本のそれの約2倍だという事を頭に置いてご覧下さい。

  1. 米国では1日に40人の10代少女が3人目の子供を産んでいる。

  2. 毎年100万人の高校生が中退する。

  3. 毎年卒業する高校生のうち70万人が自分の卒業証書の文章を読めない。

  4. 高校3年生のうち80万人が満足に字が書けない。

  5. 今日生まれる赤ん坊の23%は婚外出産である。

  6. 白人の子供の50%は親が離婚している。

  7. 黒人の子供の54%は未婚の母から生まれている。

当時これを見た私は、日本との余りの違いに驚き、かつ、安堵したものでした。 しかし、たった10年余り経った今、私は、ごく近い将来、 日本もこれらのレベルに近づくだろうと怖れています ( 日本では避妊技術が普及しており、中絶も可能ですから、1や7は実現しないでしょう。 なお、その頃のその市の高校中退率は何と約30%で、日本では当時 0.数%でした。 今は数%でしょうが、これも今後急増することでしょう )

永いこと世界一の識字率を誇ってきた日本でも 「 文盲 」 ( 全く字が読めないわけでもないが、 新聞記事程度の文章が読めず、あるいは読めても意味が理解できず、また、 他人に自分の意思を分からせるような文章を書けない人たち ) が、 10年後くらいには相当数生じるだろうと私は予想します。

信じられないとお思いでしょうが、10年前、私程度の英語力の日本人が、 米国工場の米人技術者の英文報告書の文法上の誤りを見つけた事は一度ではありませんでした。 普通の工場では作業者には文盲も少なくなく、職長が 「 改善提案 」 を代書したりしていたそうです。 その職長クラスですら、分数、少数、負の数の計算となると心配でした。 それほど、米国の教育は危なっかしいものでした。 しかし、もうそれは他人事ではなくなりました。最近、日本のある優良企業に入った、 一流国立大学修士卒の技術者の書いた報告書が文章の態をなしておらず、 先輩たちには全く意味不明だったという、驚くべき話を最近耳にしました。

このように、米国を追い越して、もっと悪くなってしまった部分は、ほかにもあるでしょう。 例えば、米国人は沢山集まっても、静粛にしなくてはならない状況のもとでは、 長時間静かに黙って、ある事に集中できます。 教会の礼拝でも、学校の授業でも、そうです。 しかし日本では、騒がしくて成人式の講演が 日本中どこでも出来なくなったなどというのは序の口、 企業の新入社員教育が携帯電話や私語で成立しないとか、 小学校の参観日に参観に来た母親たちが教室の後ろで、 タレントやファッションについてお喋りし続けるので、 授業が妨げられるなどという現象も出始める所まで 「 社会のルールの崩壊 」 が起きはじめています。

社会のルール、規制、法律などが全面的に守られなくなる日も近いでしょう。既に、 いくら繰り返しアナウンスしても、電車内の携帯電話使用はなくなりません。 大学や高校の教室内もそれに近いと聞きます。 高校生たちが白昼公然と 「 終日禁煙 」 の駅のホームで喫煙しいてても、警官も駅員も見ぬふりです。 おとなたちも誰も注意しません。 怖くて出来ません。 これが法治国家なのでしょうか。

近い将来、このような社会ルールの崩壊が、乗り物の中で、路上で、スーパーマーケットで、 そして学校で、企業内でと、全面的に公然化したとき、日本は 「 もう完全にダメ 」 な国 になることでしょう。

欧米諸国では、有無を言わさず銃砲を使用してまで警察が強力に悪事を実力で取締まり、 社会のルールの最後の一線が守られますが、 日本ではなぜかそういう警察の実力行使を非難する風潮があるし、警察も最近とみに逃げ腰なので、 見通しは暗いと思われます ( そう言えば、警察の堕落という点でも、日本は米国に急速に追随し、 追い越そうとしています )。

最近TVで、カリフォルニアでは警察とは別に民間のスクールポリスというのができて、 日中サボッて校外をうろついている高校生を捕まえては補導し、 学校に送り返しているという報道 ( 伝えられる通りとしたら手段として適切かどうか疑問だが ) を見ましたが、 日本ではその種の運動はどの分野でも起きそうにありません。 教師も、親たちも、地域の成人も、ごく一部の人しか立ちあがっていません。 この点だけは、米国人は立派で、どの町でも直ぐに多くの人が立ち上り、 腕を組んで行動に移るので、社会に 「 復元のバネ 」 があるという感じがします。

企業の内部構造も着実に崩れ始めているようです。高度な技術の商品開発、品質の良い製品の生産、 良質で納期を守る工事などは前世紀 ( 全盛期 ? ) の日本の良き時代の思い出の中だけになる可能性が大です。

・・・と、今年の私の初夢は、終る事のない悲しい白昼の悪夢の連続でした。 これが今の私の偽りない予感ですが、どうか夢のままで終って欲しいものです。 新年早々、皆様の気分を暗くするような話題で、申し訳ありませんでした。

21世紀雑感(3)

私には、だいぶ以前から、新聞の元日特集版を毎年保存しておくという習慣があります。 5年後、10年後にはこういう時代が来るだろうとかいう、 将来に明るい夢や期待を述べた論説、予測特集などが面白くて、本当にそうなったかどうか、 後日検証してみたいと思うからです。

いづれにしても、手にとっていま読み直せば、 つい最近までの元日特集全体に充満しいるキーワードといえば、進歩、発展、 繁栄、夢、解明、向上、理解、協調、克服、宇宙などポジティブな言葉ばかりでした。

私がこの文章を書いている今日は2000年の12月25日です。 私が2001年の元旦の、 21世紀最初の朝刊を手にするまでにはあと1週間あります。 どの新聞社でも、 もう初稿くらいは出来あがっていることでしょう。

しかし、私がもしその編集を担当しているとしたら・・・と考えた時、 今回ほど難しい年はないと思います。 果たして、今迄のような、読者を 「 ウンウン 」 と肯かせ 「 そうなのか 」 と未来に明るい希望を湧かせるような題材を今探せるのでしょうか。 「 世界の片隅で必死に貧困や疫病と闘う奉仕活動をしている若者 」 などという題材も、 探せばあることでしょう。 明るく強く生きぬこうと努力している障害者や、 それを援けている献身的な人たちを見つけることも出来るでしょう。

でも、上にあげたような種類のキーワードに当てはまる社会現象や人間を、 現在の世界に探すことは、極めて困難でしょう。 仮にそれを探しあて、伝え、称えあげても、 読者の心を新しい年への希望と自信で満たす事など至難の業でしょう。 そういう意味では、 私たちは過去数十年のうちで最悪の新年を今迎えようとしている のではないでしょうか。

新聞同様、TVも苦しいメッセージを伝えるしかないようです。 12月23、 24両日のNHKの国際共同製作・地球白書・エピローグ 「 環境革命 」を観た妻は、 本当に深刻な衝撃を受けたと、翌朝私に話してくれました。 地球全体の水不足、 食料不足、温暖化などの脅威の急速な進行の中で、 風力発電が採算が取れるようになったというのが唯一の明るい話題というのでは・・・。

この日本の中でも、行政も外交も財政も金融も、教育も家庭も治安も環境問題も、 すべてにおいて、今当面している巨大で猛烈に困難な課題に有効に取り組めないまま、 国全体が右往左往しています。 課題の根本的解決はすべて先送りされて、 ひずみは蓄積する一方です。 いよいよ 「 後がない 」 状況になってきています。 それなのに、 目前の大切な選択、決断は一日延ばしにされたまま 「 21世紀 」 が始まろうとしているのです。

殆どの人が、このままでは日本は、そして世界は一体どうなってしまうのだろうと心配しているのに、 明確な方向を示し、先頭に立って大鉈を振るってくれそうな勇気ある聡明なリーダーは、 誰一人見あたりません。 永田町の住人たちは、間違いなく戦後最低のレベルです。

毎年今ごろは純白の雪に覆われていた富士山の上部も、昨年以降は不気味に黒い地膚を見せています。 元旦の新聞は、我々に向って何をどう書こうとしているのでしょうか。 私は、子や孫たちの次の世代に、ささやかでも何かをしてあげてから死にたい・・・。

ご感想、ご意見、ご質問などがあれば まで。