HISTORICAL RECORDINGS BY HUGH TRACEY [2]


   


ヒュー・トレイシーが1950年代にアフリカで行った録音のCD復刻がオランダでスタートした。第一回のリリースは次の4枚である。

SWP 007 AT THE COURT OF THE MWAMI, RWANDA 1952

SWP 008 ROYAL COURT MUSIC FROM UGANDA 1950 & 1952

SWP 009 ON THE EDGE OF THE ITURI FOREST, NORTHEASTERN BELGIAN CONGO 1952

SWP 010 KALIMBA & KALUMBU SONGS, NORTHERN RHODESIA 1952 & 1957

昨年(1998年)SWP(SHARP WOOD PRODUCTIONS)というオランダの小レーベルから、インターネットとメール・オーダーのみで発売されたこれらのCDが、日本のレコード店に全く入ってこないことを残念に思っていた。これらは音楽資料として第一級のものと考えるし、純粋に音楽として耳を傾けても楽しめる録音が数多いからだ。特に後の2枚はすばらしい内容で、このところ私の愛聴盤となっている。

しかし、最近ようやく日本の一部のショップでも、これらのCDが手に入るようになった。私自身が気に入ったCDを、多くの方々にも是非、楽しんでいただきたい。

また、今回リリースされたCDにはしっかりした解説書がついており、現在その日本語訳を作成中である。翻訳文の使用に関してSWPレコーズから承認が得られたため、それをもとに詳しいCD解説をこのページでも始めることができればと考えている。

取り急ぎ以上のことをお伝えすることとし、今回は、CD解説のうちの全体概要部分(試訳)、それと簡単な内容紹介のみ行います。

......MANY THANKS TO MR. MICHAEL BAIRD (SWP RECORDS / www.swp-records.com)

HUGH TRACEY'S RECORDINGS(訳)

ヒュー・トレイシーは19世紀の輝かしい植民探検時代のアフリカ開拓者とは異なる。例えば、アフリカの人々にはすでに数千年の昔からその存在の知られていたビクトリア滝を、リビングストンが「発見」したと主張したのに対して、トレイシーはアフリカに見いだした多様性に富む音楽の存在を、世界にそしてアフリカの人々自身にも伝えることを自分の役目とした。彼は「アフリカ音楽の地図作り」ついて他の誰よりも責任があった。実際、アフリカの地図上でスーダン国境から喜望峰までのほとんどどこに指を置いたとしても、ほぼその地点に対応した録音がトレイシーのレコード・シリーズとして発表された彼の膨大な作品中に見つかるだろう。

彼が1954年に設立したインターナショナル・ライブラリー・オブ・アフリカン・ミュージック(ILAM)から発表された主要なシリーズが「サウンド・オブ・アフリカ」である。このLPシリーズは1977年に彼が亡くなった時点で210枚に達しており、それぞれの録音には詳細な解説がついていた。このコレクションは規模が大きく、世界中の大学の研究学部でのみ試聴可能なことから、一般の人々はそのすばらしい音楽をこれまで鑑賞できないでいた。「サウンド・オブ・アフリカ」の最初のレコードの誕生から約45年、シャープ・ウッド・プロダクションがILAMと協力して、
この宝庫からの選曲によるCDを順次リリースすることとなった。

録音が行われた条件と当時のエレクトロニクスの水準を考慮しつつ、これらの録音に耳を傾けるとき、その高いクオリティーに驚かされる。録音はクリアで、焦点が定まっており、論理的な分析のもとに行われたもので、偶然に実現された訳ではない。またアフリカでのフィールドワークに伴うあらゆる種類の障害を克服するトレーシーの能力を見て取ることができる。障害の例としては、風や雨といった天候条件(彼の録音は希な例外を除いて屋外で行われた)、演奏者や、それを取り囲む聴衆ばかりではなく、同様にそこの土地の権威者をも慎重にもてなすこと、様々な個性をもつ録音技師や他の録音メンバーとうまくやっていくこと(当時、高品位録音機器を動作させるには最低4人必要であった)、ほとんど舗装されていないアフリカの土地で、川渡り、宿泊施設、疫病といった旅行に関わる実際問題をうまく処理すること、などが挙げられる。

30年代の彼の最初の録音は、アルミニウム・ディスクに溝を掘るゼンマイ仕掛けの装置で行われた。その後ディスクはアセテートに取って代わる。さらに1949年テープ録音の登場とともにEMIの機器の使用を始め、1950年代の半ばにはデンマークのリレックに移行し、これとノイマン(訳注:独のマイクメーカー)の大型マイクロホンによって、彼の録音の大半が行われた。これら2つの機器はともに240ボルトで動作し、二重に消音の施されたディーゼル発電機が必要だった。発電機は最低100ヤード離してアリ塚や小屋の陰に置かなくてはならなかった。さらに後にはナグラ。(訳注:スイスのナグラ社製録音機の名称)を使用した。録音は最後のものを除くとモノラルで行われている。

トレイシーはマイクを実際に手に持つ方法をとっていたが、これはクリアな録音を目的としてのことである。演奏者はマイクに向かって演奏した経験がない訳で、彼はマイクスタンドを決して使用しなかった。状況次第では個々の奏者をクローズ・アップしつつバランスのとれた音を得るためには、マイクが位置すべき一点が常に存在しており、彼はその一点を見つけ出した。ほどよいバランスを得るために時には太鼓のような音量の大きな楽器は離して置いた。録音にフェード・インやフェード・アウトはあまり聞かれないことだろうが、これは自然に鳴りやむ音がより満足なものだと彼が信じたからである。複雑な楽器編成の音楽の場合には、彼は単にそれぞれの奏者に近寄るばかりではなく、ひとつのパートを明瞭に録音するため一時演奏を止めるよう他の奏者らに合図したこともあった。また一度に演奏を始めるのではなく、一人ずつ順に始めるよう奏者たちに頼んだりもした。後年の音楽研究にとってこれは意味あることだった。実際多くの音楽がこれらの録音によって学ばれた。また毎回録音が終了する度に彼はいつもテープをプレイバックしたが、たいていは演奏者らに喜ばれた。彼の書いているところでは、ある時ンビーラ(訳注:親指ピアノ)の奏者が自身の演奏を聞いて「今死んでもかまわない。それは問題ではない、私はあのレコードの中にいるからだ。」と語ったという。

もう一つの問題はどれだけの時間録音するかであった。初期には選択の余地はなく、78回転のレコードでは最大で3分半しか録音できなかった。テープ録音になってからは、時間と音楽的オリジナリティーと経済性と実用性、これらのバランスの問題となった。ここで彼がもっていた、あらゆる種類のアフリカ音楽に対する幅広い経験が役に立った。彼は録音する素材のひとサイクルの長さを即座に了解し、もう新たなパートに移らないポイントの見当をつけ、あとは演奏者の気分やノリとのバランスをとることにした。

録音する環境と時間をこの程度コントロールすることは道徳的なことかどうか、人間的にも美的にも本来ある状況を映し出しているかどうか、これまでも疑問視されてきた。これはトレイシーの探索が、社会的な記録というよりも音楽的記録の探求にあると見ることにより答えを得るのが一番だろう。より多くの資金や時間をもつ研究者には、演奏を実際の時間分だけ録音する余裕があるのかも知れない。もしトレイシーがこうした方法をとったなら、彼の研究は実際に行われたほど広範囲な地域をカバーするものとはなり得なかっただろうし、歴史学者、社会科学者にとっての基準、そしてミュージシャンにとってのインスピレーション源の役目を果たしてきた、20世紀半ばにおけるアフリカ音楽の断面図を示すこともなかっただろう。

トレイシーをフィールドワーカーとして成功させた資質のうちで、彼と旅した人々の誰もが指摘するのはそのエネルギーである。避けることができずに日々繰り返すことになる、退行、いらだち、失望、消耗に直面しても、彼はゴールへと向かって前進し続けた。しかし時として、同行者を彼の熱狂により疲れ果てさせることもあった。例えばしばしば録音技師が彼の命とりとなった。彼は彼らのことを繊細な精神と呼んだ。「彼らはアフリカを手なずけても録音ができないか、さもなければ録音ができてもアフリカをてなずけられない!」

トレイシーのゴールは何であったのか。それは彼が南ローデシアのグツの若き農夫だった頃に課せられた。タバコ農場でカランガの労働者に合わせて歌をうたうことを覚えたが、ほどなく、彼の見つけた音楽に対して権威ある人間は誰一人わずかの興味ももっていないことに気づいた。アフリカの個人と社会生活に対して音楽がもつ重要性について理解が深まると、彼は自分がその音楽を録音し発表することに名乗りをあげるべきであると認めた。音楽とそれを奏でる人々に対する愛情を除くと、何の訓練もなしに、彼はついに他のいかなるアフリカ研究者の成果にも遙かに勝る録音群を集成することに成功した。

アンドリュー・トレイシー


MUSIC AS AN ENDANGERED SPECIES (訳)

AT THE COURT OF THE MWAMI, RWANDA 1952  (SWP 007)
1961年、ルワンダ共和国の樹立が宣言され5世紀にわたるツチ・バニギニャ王朝による統治が終わりを告げた。王ムワミ(「王の羊飼い」の意)は国から逃れ去り、権威の象徴である王家の太鼓は失われた。ルアンダ王国も宮廷もすでに存在せず、王家固有の音楽もその名残を残すばかりのものを除くと、再び聞かれることはありえない。幸運にもヒュー・トレイシーは1952年の旅行で、最後のムワミ、ムタラ3世の宮廷での録音を許された。これらのすばらしい録音は、絶対的権威を有するその場を想像させるとともに、美しい音楽も伝えてくれる。

ROYAL COURT MUSIC FROM UGANDA, 1950 & 1952  (SWP 008)
1966年、オボテ首相はウガンダの伝統的な王族たちを攻撃した。ガンダ、ニョロ、アンコレの人々は、カバカ、オムカマ、オムガベといった演奏者を失うこととなった。王宮は強奪と焼き討ちにあい、音楽家を含む家臣たちは殺害、離散し、王家の楽器は400年の歴史をもつものも含めて破壊された。
それでは王家の音楽はどうなったのだろうか?ヒュー・トレイシーが1950年と1952年の2度、ウガンダへの録音旅行を行ったという幸運があり、それらの音楽が完全に失われてしまった訳ではない。ここで彼は支配者らの励ましのもとこのアルバムに聞かれる音楽そのほかを録音した。この美しい音楽の大半を作り直すことはもはや不可能であり、再度耳にすることも決してないだろう。

ON THE EDGE OF THE ITURI FOREST, NORTHEASTERN BELGIAN CONGO 1952 (SWP 009)
このアルバムには、巨大なイトゥリの熱帯雨林の東縁部と北東部で1952年に行われた録音を収録した。これらの土地ではムブティ・ピグミーが肉や蜂蜜を持って森を抜け出し、森の周縁部に暮らすナンデ、ビラ、マンベレ、ブドゥといったバントゥーの人々が持つマニオクなどの品々と交換していた。これらの録音はピグミーと周辺の人々の間にある「特別な関係」を明らかにしており、ムブティがナンデから借りたフルートを吹いたり、マンベレから借りたドラムを叩いたりしており、また一方では例えばブドゥの音楽にピグミーが与えた明確な影響を見て取ることができる。森の周縁部は経済交流ばかりではなく、音楽交流の場でもあった。

KALIMBA & KALUMBU SONGS, NORTHERN RHODESIA 1952 & 1957 (SWP 010)
カリンバとカルンブは最もよく知られたザンビアの2つの楽器の名前である。しかし南部アフリカの大部分と同様に、伝統社会の中で重要な機能を果たさなかったほとんど全ての楽器は衰退したり消滅したりしてしまった。これらの楽器は、楽しみ、慰め、散歩、時間潰し、自分の意見の表現、などのために演奏された。それに対して最近の若者たちはギターを弾いている。
私たちは幸いにも、大変魅力的な一方で、シンプルで覚えやすく、個人的で特徴あふれる「かわいらしい」音楽、ザンビアの2つの楽器による現地録音を紹介することができる。いくつかの演奏は全く外向的だが、そのほかの演奏は内省的なもので瞑想的でさえある。

ヒュー・トレイシーと「サウンド・オブ・アフリカ」シリーズ

ヒュー・トレイシー(Hugh Tracey, 1903-1977)はイギリス系の南アフリカ人で、著名なアフリカ音楽研究家である。彼はヨハネスブルグ近郊にあるインターナショナル・ライブラリー・オブ・アフリカン・ミュージック(ILAM)の創立者で長年間ここの館長を勤めた。1950年代にはアフリカ各地を旅行し、膨大な量の現地録音を行った。CDの原文解説にはILAMに210枚のLPを残したと書かれているが、彼を有名にしたのはイギリス・デッカから出た12枚の25センチLPのシリーズである。その12枚は以下の通り。

"MUSIC OF AFRICA" SERIES
LF1084 Tanganyika
LF1121 Kenya
LF1120 Drums Of East Africa
LF1169 Congo Drums
LF1170 The Guitars Of Africa
LF1171 The Best Recordings Of 1952
LF1172 Congo Songs And Dance
LF1173 The Uganda Protectorate
LF1174 African Stories
LF1224 The Best Recordings Of 1953
LF1225 The Best Recordings Of 1953 Vol.2
LF1254 Witwtersrand (South Africa)

日本でも、中村とうよう氏がこれらのLPから選曲編集した2枚のアルバムが、1977年にキング・レコードから発売された。

GXH 1044 アフリカ音楽のルーツを訪ねて<2> 〜アフリカ伝統音楽の楽器と合唱〜 
GXH 1045 アフリカ音楽のルーツを訪ねて<3> 〜アフリカのギター音楽とその起源〜

中村氏は解説文でこれらのレコードを「アフリカ音楽が大きく変動しようとする1950年代初頭に、伝統音楽のインストルメンタルとコーラスの最良の部分を記録にとどめた貴重盤」と紹介している(上の12枚のリストもレコード解説文からの引用である)。またトレイシーに関する記述は、『アフリカの音が聞こえてくる』や『地球が回る音』といった彼の著書にも収められている。

トレイシーの音源はこれまでにも何度かLPやCDの形でリリースされており、割と最近の例ではジョン・ストーム・ロバーツのレーベル、オリジナル・ミュージック(ORIGINAL MUSIC)がある。この米国のレーベルのカタログ中、以下のCDはILAMの音源を使用している。

OMCD001 AFRICAN ACOUSTIC : Sounds Eastern & Southern
OMCD003 SIYA HAMBA! : South African Country and Small Town Sounds
OMCD004 AFRICAN ACOUSTIC FROM THE COPPERBELT...Zambian Miners Song
OMCD030 KERESTINA : Guitar Songs of Southern Mozambique 1955-1957

しかし現在ではデッカ盤はもちろんキング盤LPも入手がほぼ不可能である。またオリジナル・ミュージックのCDも入手が難しくなってしまった(これまでに40種41枚のCDをリリースしてきたオリジナル・ミュージックであるが、今年?ホームページが閉鎖され、レーベルそのものも消滅したようだ)。

参考までに記すと、ライナーの前文を書いているアンドリューはヒュー・トレイシーの息子である。

さて今回リリースされたCDは以下の4枚である。

AT THE COURT OF THE MWAMI, RWANDA (SWP007)
1952年、 ルワンダでの録音。ツチ人、フツ人、トゥワ人の太鼓、笛の演奏や歌を収録。

ROYAL COURT MUSIC FROM UGANDA (SWP008)
1950年と1952年、ウガンダでの録音。ガンダ人、ニョロ人、アンコレ人のハープ、笛、木琴、太鼓の演奏や歌を収録。

ON THE EDGE OF THE ITURI FOREST, NORTHEASTERN BELGIAN CONGO (SWP009)
1952年、 コンゴ東部イトゥリの森周辺での録音。ブドゥ人、マンベレ人、ナンデ人、ビラ人、ムブティ・ピグミーの演奏と歌を収録。

KALIMBA & KALUMBU SONGS, NORTHERN RHODESIA (SWP010)
1952年と1957年、ザンビアでの録音。ムブンダ人、ララ人、トンガ人、ベンバ人、ロジ人、ルンダ人の親指ピアノとミュージカル・ボウ(楽弓)の演奏を収録。

また年内(1999年10月末の予定)には、次の5枚目がリリースされる計画である。
KANYOK & LUBA, CONGO 1957 (SWP011)
コンゴ南部、カニョカ人とルバ人の音楽。

ヒュー・トレイシーの録音とそのCDの特徴は何だろうか。一部CDのオリジナル解説と重複するが紹介してみたい。

(1)民族音楽中心だが鑑賞する価値のある音源が豊富
民族音楽のCDというとどうしても、一度聞いてそれっきりになったり、聞いている途中で居眠りしてしまうような退屈なものが多いのだが、トレイシーの録音には純粋に音楽として聞いて楽しめる音源が多い。
今回リリースされた4枚のうち、ルワンダ編とウガンダ編の2枚は若干資料的傾向があるともいえるが、ピグミーと親指ピアノの演奏を収録したコンゴ編とザンビア編の2枚には、音楽的に優れたものが収録されていると思う。

(2)録音のクオリティーが高い
オリジナル解説にあるとおりさまざまな悪条件下で苦心して行われた録音には、40年以上昔の野外録音とは思えない生々しさがある。今回のCDでもこれらのすばらしい録音が堪能できる。

(3)地域、内容ともに広範囲の音楽を紹介している
従来発売されたアルバムでは、コンゴ(旧ザイール)、ウガンダ、ルワンダ、ケニア、タンザニア、ザンビア、ジンバブウェ、モザンビーク、マリ、コート・ジボアール、といった国々の音楽が収録されていた。今後、今回のシリーズでもこれらの国々での録音が順次CD化されるものと考えられる。また、トレイシーは純粋にアカデミックな録音ばかりではなく、大衆音楽の録音も行っている。今回の選からははずれているが、例えばコンゴのムウェンダ・ジャン・ボスコのギター演奏などがその好例である。

(4)他では聞けない録音が数多い
ヒュー・トレイシーは他者に先駆けて50年代にアフリカ音楽の録音を行っただけに、現在では失われてしまった音楽や他では聞くことが不可能な音楽をたくさん録音することができた。アフリカ音楽の現地録音で有名なレーベルにはフランスのオコラなどいくつかあるが、トレイシーの録音ほど古いカタログを所有しているところは少ない。

(5)詳細な解説
今回のCDには詳細な解説文と貴重な写真の載せられたブックレットが同封されており、特に1曲ごとに添えられた詳しい解説は有益なものである。

付け加えるとこれら4枚のCDは個人的にもさまざまなことを連想させてくれた。
ウガンダ編(SWP008)には、バリ島のあちらこちらで聞かれるバンブー・ミュージックによく似た演奏が収録されている。また、手元には以前私自身がカラハリ砂漠でブッシュマンの演奏を録音したテープ(未公表)があるのだが、その音楽のいくつかは演奏スタイルといいメロディーといい、コンゴ編(SWP009)収録の "THREE LIKEMBE TUNES" との共通点を感じさせる。はるか遠い距離を隔てて存在した音楽と音楽が、昔はどこかで何らかの接点を持っていたのではないかとついつい想像してしまう。
1996年には短期間ウガンダに滞在したのだが、その時はちょうど大統領選挙のまっただ中だった。投票日直前に行われた、現職のムセベニ大統領を応援する野外集会に足を運んでみると、大群衆が集まった一隅にブックレットの写真に見られるような太鼓や大型の親指ピアノを抱えた一団が出現、ムセベニを応援する演奏を始めて大いに盛り上がっていたことを憶えている。ウガンダ編のCDを聞いてそのことを懐かしく思い出した。CDの解説には「王家の音楽は失われた」とする記述があるが、ウガンダでは現在も名誉職としての王様は地方ごとに存在しており、王家の音楽も形を変えて伝承されているのではないかと考える。


(2000/01/22 改)


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