葛城古道
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葛城古道は、奈良に行くときによく通る.風の森 葛城古道
国道24号線から少し西に旧高野街道筋の「風の森」と呼ばれるところがある。この地方一帯が金剛山から吹き下ろす強風の通る場所で、風の被害を受けないようにと、志那都彦神社が祀られている。
風の森を抜けて、御所市内の鴨神の集落にある高鴨神社に車を置き歩き出した。

<高鴨神社>

ここ高鴨神社は、京都の上賀茂神社、下鴨神社の本家にあたる由緒正しい神社という。社殿は国の重要文化財に指定されている。ここはまた日本サクラ草の名所であるという。4月から5月にかけてが見ごろということである。
私たちが行ったのはちょうど七五三の時であり、数組の親子連れがお参りをしていた。
境内は由緒正しい雰囲気で、左手に池があり、玉砂利を踏みながら行く。社殿へはそれほど高くない石段を登る。

ここ高鴨神社は、鳥居の右横に梵鐘「時の鐘」が在る。神社に鐘があるのもめずらしい。
石段の上に建つ本殿は、室町時代の代表的建築で、屋根は檜皮葺で中央に唐破風を付けた「三間社流造」でである。
1543年(天文12年)に再建されたという。

主祭神は、大国主命の第1子・阿治須岐高日子根命(あじすきたかひこねノみこと)で、その妹の下照姫命(したてるひめノみこと)と、下照姫の夫天若日子命(あめノわかひこノみこと)を祀っている。
境内には、様々な宮が祀られそれぞれ個性的なたたずまいを見せて点在している。

神社の左手には「葛城の道、歴史文化館」があり、ここに車をおいて古道を歩く。
文化館の展示は、長いこと更新されていないので古くて寂しい感じである。担当者が暇そうにしていた。
(2011年4月にここに行くと、イタメシ屋さんに改装されていた。)

奈良に行くとき、ここでちょうど1時間くらいの距離のため、休憩によく使う。
古道の案内板。このうちの緑の道を歩いていくのである。
この街道の案内板はわかりやすくていい。
高鴨神社 高鴨神社 高鴨神社 高鴨神社
高鴨神社
高鴨神社 高鴨神社 高鴨神社 高鴨神社
高鴨神社
葛城古道   

道は左に葛城山系を見ながら続いている。途中いくつかの地蔵さんや風情のある建物がある。瓦屋根の家並みが続いており、この地の歴史の古さを感じられる。高天彦神社への道は葛城山系に向かって続いている。
ガイドブックでは途中に先住の民・土蜘蛛伝説地としての蜘蛛塚があるというが、見つけることができなかった。

この高天の蜘蛛窟の伝説は

『むかし、千本の足をもつ大きな土蜘蛛がすんでいた。時の天皇はお悩みであったので勅使がきて、字 サルチ(猿伐)から矢を射て殺した。矢の落ちたところを矢の段という。土蜘蛛を高天彦神社の傍に埋め、蜘蛛塚といった。蜘蛛のいた窟は神社の前の並木の東にある。』(御所市史より)
ということである。
葛城古道 葛城古道 葛城古道 葛城古道

<鶯宿梅>

鶯宿梅は高天彦神社の参道前にある。
梅の古木だが歩いた季節が秋なので、花も何もなく、ただの木という感じであった。
伝説では、高天寺で修行をしていた小僧が若くして亡くなりその師が嘆き悲しんでいたところ、梅の木に鶯がきてホーホケキョではなく、
「初春のあした毎にはくれども あはでぞかえるもとのすみかに」と鳴いたそうである。
それ以来、この梅を鶯宿梅(おうしゅくばい)と呼ぶようになったという。
確か和歌山の梅干しにもこの名前があったようななかったような。

<高天彦(たかまひこ)神社>

鶯宿梅からすぐ、杉の巨木が迎えてくれ、その奥に「高天彦神社」が鎮座している。祭神は高御産巣日神(たかみむすびノかみ)、市杵島姫(いちきしまひめ)命、菅原道真で、金剛山別当葛城氏の祖神でもあり、古くから背後の白雲峰(高天山、標高694m)を御神体としてここにあるらしい。
延喜式内社で最高の格式を誇り、独特の風情がある。

葛城古道 高天彦神社ただ社の屋根が赤い瓦で、全体の雰囲気の中で妙に浮き上がった感じをうける。
本来は檜皮葺ではなかったかと思うのだがどうだろうか。
この瓦が、檜皮か銅板葺きであればこの社の持つ深みがさらに増すのではないかと思う。
いずれにしろ、この神社の歴史が古いことをうかがい知れる境内で、気分がすっと落ち着く感じがする。
今はやりの言葉で言うところの、「パワースポット」である。
境内に真新しい休憩所があり、たくさん椅子を置いていてくつろげる。私たちはそこで持ってきていた茶の道具で野点をした。
ちょうど東京からきていた女性がいたので、その方にもお茶を振る舞った。
後でよく見ると、火気厳禁とあった。
すみません。

葛城古道 高天彦神社 葛城古道 高天彦神社 葛城古道 高天彦神社

<高天原>

お腹がいっぱいになったので、高天彦神社からきれいな家並みを見ながら道を下ってゆくと、突然視界が開けた台地にでる。「史跡高天原」の石柱が立っている。この辺りが高天原である。
高天原も全国各地にあるが、ここ葛城が地理的にも歴史的にもふさわしい感じがするのだが、現在のそれは何となくあっけらかんとしすぎている感じがする。

記紀によれば、瓊々杵尊(ににぎのみこと)は、高天原から日向の襲の高千穂に峰に降臨する。
しかし、この葛城の地から日向の地に降臨するというのも、不自然である。こういう不自然さが、記紀反対派が受け入れられないところだろう。神話がここ葛城氏の神話を下敷きにして都合のいいように脚色されたのだろう。

葛城古道 高天原 葛城古道 高天原 葛城古道 高天原

<橋本院>

高天原を抜けてすぐに橋本院がある。
橋本院は真言宗高野山の末寺という。高天原の台地に築かれた寺院なので、奈良盆地を一望できる。葛城古道 橋本院橋本院は、もとは奈良時代に元正天皇の勅により行基が開いた高天寺で、初めは奈良の興福寺に属し、後に弘法大師の真言宗に属した。
また、鑑真和尚も聖武天皇の任命により高天寺の住職になったほど、昔は格式の高い寺院だったという。
寺の縁起によれば、高天寺は南北朝時代に焼き討ちされたため、本尊の十一面観世音菩薩立像などを、以前あった場所から現在の地に移したとされる。そのときに、すぐ傍の池に橋があったことから、寺名を橋本院としたという。
葛城古道は、橋本院境内のきれいな花畑を抜けていく。境内にはたくさんの地蔵と弘法大師像などがある。

畦道には冬桜がきれいに咲いていた。そこだけを見ているととても11月とは思えない空間があった。
橋本院は景色のいい葛城山系をバックにあるが、境内は何となく統一感に欠けている感じがした。これは私だけの感じ方かも知れない。せっかくの自然を生かした境内があり、周囲も開けているのでやりようによってはもっと雰囲気よくできるのではないかと思った。
古い寺社を訪れるのは、異空間に自分の身を置きたいと考えての人も多いが、そこがあまりにも日常空間と差がない場合、その興趣も薄れるのではないかと思う。
そういう意味からすると橋本院はややバランスが悪い感じがするのである。

さて、道は杉木立の森に続いている。杉木立に覆われて薄暗い小道がかなり長く細い。地肌が湿っているためとあまりきれいに整備されていないので注意しながら歩く必要がある。

橋本院から、かなりハードな山道を歩いて極楽寺に向かった。
途中の道は案内板があるので迷うことはないが、この道は昼間のうちに歩いた方が良さそうである。
木が茂り、道も細いので暗くなると歩きづらい感じである。

葛城古道 橋本院 葛城古道 橋本院 葛城古道 橋本院
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  葛城古道 

<極楽寺>
案内板に沿って歩き極楽寺に着いた。ここは吐田(はんだ)の極楽寺というらしい。南北朝時代は楠木正成の祈願寺となり河内、金剛、吉野の要所として南朝側の合言葉に「極楽寺」が用いられたともいう。
開かれたのは約1050年前の天暦5年(951年)。一和上人が、静かに修行できる場所を求めていたところ、ここ金剛山の東に毎夜光を放つ場所がありその場所を探しあてると、そこから阿弥陀仏の頭がでてきた。こここそ縁の地として仏頭を本尊として法眼院と名づけ草庵を結んだという。
そしてその300年後、浄土宗第三祖良忠上人の弟子の林阿上人が寺に入り、広く念仏の布教を行ったという。

私はこの寺の鐘楼門の形が好きである。
軽やかな感じであるが、屋根が重厚でやや危なっかしいバランスでたっている。鐘の部分が見えているのもいい。門のところから見える大和の景色がちょうど額縁のようになっている。

極楽寺 極楽寺 極楽寺 極楽寺

(いにしえの人々もこの景色に感動しただろう

大和の中でもこのあたりは特に古いところである。道の両側にたつ家も古く豪壮なものが多い。歴史ある地域というのがよくわかる。

道はアップダウンを繰り返しながら、次の住吉神社へと続く。
案内板も親切でわかりやすい。
石積みもいい。

途中の道からは大和三山が見え、ちょうど柿の季節であるため、いい景色が眼前に、広がる。

<住吉神社>

極楽寺から10分ほど案内板に沿って歩くと住吉神社がある。参拝者も他にいなかったが、白鳳年間(7世紀後半)に大阪住吉大社より分霊をお祀りしたという由緒ある古社ということである。

ご祭神は大阪の住吉大社で祀られている神様と同じで、上筒男命(うはつつをのみこと)・中筒男命(なかつつをのみこと)・底筒男命(そこつつをのみこと)・息長帯比売命(おきながたらしひめ)である。
この神様はお祓い、航海安全、和歌、農耕の神様として信仰を集めている。しかし神様の名前は難しい。境内には春日神社と八幡神社がある。

住吉神社からさらに進むと高木神社が、地域の井戸会館の隣りに有る。境内の巨樹がみごとで、小さいが歴史が古いことを伺わせる。
創祀由緒など不詳で、春日四神を祀るという。本来の神社の形で小さな祠が鎮座している。祭神は武竈槌命、軽津主命、天児屋根命、比売大神といわれる。境内社に厳島神社がある。
<高木神社>
葛城古道 高木神社 葛城古道 高木神社 葛城古道 高木神社
葛城古道 住吉神社
葛城古道 住吉神社

<春日神社>

高木神社からほどなく春日神社があり、ここも巨樹が林立する。
その昔には、このあたりの神社のそれぞれの境内は広くて、巨樹がかなりの範囲で存在したのではないだろうか?
原生林だったかも知れない。
高木神社を過ぎ、しばらく歩くとレトロな建物が続いている。有名な重要文化財の中村邸や旧名柄郵便局の建物、酒造会社などが続く。葛城古道らしい古風な建物が多いこの地域は歩いていても楽しい。町並みウォッチングをしながらほどなく長柄神社につく。
葛城古道 春日神社 葛城古道 春日神社 葛城古道 春日神社 葛城古道
(長柄郵便局)
葛城古道 春日神社
葛城古道
(レトロな町並みが続く)
葛城古道
(葛城酒造)
葛城古道
(中村邸)
葛城古道
(酒造の軒下に手押しポンプ)
葛城古道
(無人販売の店)
葛城古道
(酒造会社の大きなお釜)

<長柄神社>
長柄神社は、『延喜式』神名帳に記載され、別名「姫の宮」とも呼ばれ、記・紀神話に登場する「下照姫命」が祀られている。この神は天孫降臨神話の国譲りの中で、天雅彦命が高天原から出雲国へ国譲りの使者として遣わされている。
天雅彦命は高天原へ復命に帰らず、出雲国で妻にしたのが大国主命の娘の下照姫である。
本殿は一間社春日造・檜皮葺・丹塗り、創建年代は不明である。また、『日本書紀』天武天皇9年9月9日条に、「朝嬬に幸す。因りて大山位より以下の馬を長柄杜に看す。乃馬的射させたまふ」とあり、天武天皇が長柄神社にて流鏑馬を見たということが書かれている。
豪壮な神社もまた楽しいが、こうした小振りだが格式高い神社を見ると何となく落ち着き、神話の時代にさかのぼれるので面白い。

葛城古道 長柄神社 葛城古道 長柄神社 葛城古道 長柄神社
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