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カメラを貸してください。20回シリーズでドキュメンタリーを作りたい。 ――張麗玲はフジテレビの横山隆晴にこう申し入れます。4年前のことでした。彼は直感で彼女の無謀とも言える申し出を受け、4年後、彼女の番組が中国で大反響を呼びます。 「今まで日本人は野蛮で残酷だと思っていた」 という中国人の認識を、一留学生だった彼女が変えるのです。 1996年10月19日。小さな留学生、張素(当時9歳)が日本の土を踏んだところからカメラは回ります。 「わたし、学校の成績で一番になる。中国のために頑張るの。日本は昔、中国を戦争で侵略したの……。でも友好が第一」 という小学3年生は、中村学級に編入します。日本語が一言も話せない彼女、お母さん。中国では必ず手を上げていたのに、言葉がわからず反応できない。休み時間も級友が話しかけてくるのに、わからない。でも、彼女は1時間目終了後に、中村先生のところに行って教科書の読みを教えてもらいます。 中村先生があるクラスメートに 「毎日迎えに行くように」 と配慮をする。父は 「こうした日本人、本当に尊敬すべきです」 と付け加えます。帰りの会の挨拶も 「さようなら」 に加え 「再見」 も入ってます。 1年後、張素はクラスで一番早く手を上げるようになります。回りも彼女が外国人だということを忘れるほどでした。 5年生になった初夏。父の会社が倒産の危機になります。彼女の世界と大人の世界が別ものであることを突きつけられ、家族は母子北京に戻ることを選択します。 「6年生まで日本にいれば、もっともっと彼女は成長したのに」 とは中村先生。クラスの1人1人にカードを配った彼女に対して、男の子たちが 「さよなら、絶対もどってこい」 というのは、本心だったと思うのです。 1998年7月1日。北京の小学校でピアニカを級友に紹介している彼女がいました。祖母は彼女のことを 「心が広くなったような気がする」 と言います。級友から「幹部になれたか(注)」と聞かれて、こう答えます。 「日本に行って、もっと大事なことを知ったの。勉強しなくても幹部になれるの」。 1ヵ月後、中村先生と再会するところでドキュメンタリーは終わります。 淡々と流れる番組を見て 「なぜ張素が日本に来ることを選択して、また中国に戻らなければならなかったのか」 その掘り下げがほしかった気がします。しかし、張麗玲の仕事が睡眠3時間の連続、親戚を巻き込んでの作業、さらに彼女がいた会社の倒産という現実を、一方から知ります。このような日本の姿が知られていなかったということも伝えられます。だからこそ、 「日常を記録しておくことが必要なのだ」 という彼女の思いが、中国全土を揺り動かしたのだろうと思います。 番組の製作クレジット、フジテレビジョンの前に、彼女と彼女の妹の名がありました。この扱いは異例だと思います。けれども張麗玲の思いなしには、この番組が成立しなかったことは確かです。地味な内容の番組を9時台に放映したフジテレビの英断を評価するものです。 (注)「幹部」というのは「学級委員長」のことを指しているようで、中国では成績優秀でないとなれないそうです。そのように知人から教わりました。 ――ここまで5月6日に書いたのですが、番組が再放送だったので、再掲載します。もう1回見て 「なぜ張素が日本に来て、戻らなければならなかったのか」 おぼろげながらわかりました(父が留学生で、落ち着いてから母子を日本に招いた。その後、不況のために母子を帰国させなければならなかったということのようです)。 それにしても、張素のいじらしい純粋さに引き込まれました。また、さりげなく彼女を支えた八王子第七小学校の同級生・先生たちあってこその彼女だということもわかりました。日本思想の底流にあるものが何なのか、そしてそこが中国の人々の涙を誘ったのだろうと思います。 Up |
承前。フジテレビ2夜連続のドキュメンタリー、2日目「若者たち」を見ます。この日の主人公は中国人留学生の韓松(かん・しょう)さん(当時26才・男)と、王尓敏(おう・じびん)さん(当時19才・女)の2名です。 1996年春、成田に韓さんと王さんが到着して、いきなりテレビカメラが取材します。韓さんの両親は中国共産党の党員で、妻子を残しての留学。王さんの両親は 「娘には苦労をさせても留学をさせたい」 という考えで、留学の段取りをすべて立て、気がついたら 「成田に着いていた」 のが王さんでした。 リムジンバスに乗って新宿に向かったのが韓さん。 「新宿の夜景は、まるで天国みたいだ」 と思ったのもつかの間、家賃2万8千円の築30年アパートとのギャップに悩まされます。一方の王さんは電車で叔母さんのところに向かい、大学に入るべく勉強します。 「言葉のわからない日本で、生計を立てる」 現実を、カメラは容赦なくとらえます。年の若い、日本語をそこそこ勉強してきたはずの王さんですら、バイト先を次から次へと断られます。日本人労働者ですら就職難なのですから、彼らへの風当たりはもっと厳しいのが現実です。 さて、天国と現実の差をまざまざと見せつけられた韓さんは、8か月で15キロ痩せてしまいます。仕事は12時間皿洗いだけ、食事する間もなし(!)という過酷な体験をすることで、 「病気にもならなくなったよ」 と豪快に丼飯をかきこむ姿が、精悍になってました。 王さんは来日1年で千葉大学工学部に合格。韓さんは来日ビザが切れる2年間を前に、焦りだしてきます。 「歯を食いしばって、がんばるんだ」 という掛け軸を書いた亡くなった義父のためにも、置いてきた妻子のためにも。そして日本語能力1級検定で400点中335点を取りクリア。明治大学商学部の筆記試験をクリア。そして面接試験も......。 彼らをそこまで留学に駆り立てるものが何なのか、漠然とした現代に安住している私にはわかりません。それは 「よい生活を過ごすためです」(韓さん) ということだけでくくれるのかどうか不明です。ただし、王さんを留学に出した両親のコメント。 「親と一緒にいたら、苦労を経験しなければ、人間は成長することができない」 と言い切る彼らに、先見性・洞察力の凄さを感じるのです。そして王さんの 「苦労をしているから、夢を持つことができる」 というのは、 「苦労をしているからこそ、留学を志願している人に語る資格がある」(韓さん) という言葉に結びつくように思います。はて、私に「苦労」という体験があったでしょうか? 2年前に制作された番組の最後に、2人の近況が出てました。王さんは来春卒業。日本企業に就職内定。韓さんも3年在学中。彼らを知るには、それだけで十分です。 Up |
鯉:ペルーのフジモリ前大統領。実は一目置いていたんです。 熊:日本経済新聞「私の履歴書」にも書いたことがあったなぁ。 鯉:えぇ。リーダーシップを振るう時、軋轢が生じても果敢に決断する姿。 熊:記事連載時に「次も出馬するかどうかは微妙だ」とあった。 鯉:結局出馬し、「当選」し、大統領を辞任する決断に至った。 熊:「私は逃げも隠れもしない」と言いながら、日本の知人宅を転々としているけど...... 鯉:特権階級のおごりです。晩節を汚すという見方もできます。 熊:「潔く散るのが日本の美学だ」と同胞は言うのだけれども、 鯉:彼は、都合が悪くなると「日本人じゃない」と言い、都合で「日系人」を持ち出します。 熊:結局、権力に取りつかれているだけのおじさんなだけかもな。 鯉:彼に必要なのは、メンタツの中谷さんやメディアプロデューサーのテリー伊藤、 熊:コメンテーターの天野祐吉や都立大・宮台真司のような柔軟な思考なんだな。 鯉:彼、まだ議員の選挙に出るつもりなんでしょ。見事な勘違い。 熊:裸の王様は、どこの世界にもいるけどな。 鯉:そうやって、民意が政治からどんどん離れていく。 熊:ところで、サッカーJ1の優勝決定戦を地上波(生中継)で見ることができなかった。 鯉:契約の関係なんでしょうか。ラジオも地上波では可能でも、インターネットが不可。 熊:国立に行って見ろ、ってことだな。 鯉:昨日のような試合は、NHKも編成次第で地上波で流せたのに。 熊:BSの中継カードは、地上波とぶつからないようにしているらしいんだな。 鯉:あ、確かに23日の中継もそうでした。 熊:「BSはぜんぶやる」そうだから、始めにBSありきなんだろうな。 鯉:あの、BSでJリーグを追っかけているのはわかります、認めます。 熊:だけど、肝心の試合の地上波がない。 鯉:たぶん、どこかの民放が中継権を持っていたのでしょう。けど、流れない。 熊:で、途中経過と結果はどこで? 鯉:日刊スポーツのWeb。あとケーブルテレビの分割画面モニターで。 熊:最後の最後はニッポン放送の地上波が聞こえてきたんだよな。 鯉:1ヶ月後、天皇杯の準々決勝が仙台スタジアムでありますが、行ってこようかなぁ。 熊:本当はレッズ(←リンク先はオフィシャルサイト)の試合を見たいんだろ? 鯉:国立まで行きますよ。その時は。 熊:まぁ、レッズもなぁ。相変わらずゴール欠乏症だし。 鯉:大学生に負けたベガルタよりはましです。 熊:清水監督もなぁ、怒り心頭だったしなぁ。 鯉:じゃ、そろそろ仕事行きますね。 熊:あっ。久々の登場で、つい、スペースを使ってしまいました。 Up |
延び延びになっていた「第26回岩手県高等学校演劇発表大会」のレポートです。1ヶ月前に行われた大会について、ここで取り上げるのは躊躇されるのですが、放っておけば「高校演劇の小部屋」に書かないままで終わってしまいかねないので、意を決して書きます。 第26回岩手県高等学校演劇発表大会は、2000年10月27日(金)〜29(日)の3日間、水沢市文化会館Zホールで行われました。審査員が高藤達之輔(劇団青芸演出家)、横澤信夫(専大北上高等学校講師)、坂田裕一(盛岡演劇協会副会長)の3名。4地区の予選を勝ち抜いた12校プラス地元推薦の1校で代表枠2を争ったのであります。では、初日の3団体について。 〇一関第一・佐藤ひとみ創作『水の中の月』 今年の県大会のキーワードが「わかりにくさ(ある審査員の弁)」にあるとすれば、この作品も「わかりにくい」に分類されるでしょう。月に派遣された人間がロボットで、彼らの面倒を見たロボットが実は人間だった。当然、人間側からすれば「だまされた」という思いが強く残ります。そして、月での救命装置が壊れ、逃げそこなった「人間」たちがしたのは......。 地区大会と比べて、いじりすぎた印象があります。加えて出演順が最初だったことも、間の固さ、セリフの弱さに現われていたように思います。「人間」が「ロボット」に示す微妙な恋愛感情が表現しきれてないもどかしさが、惜しかったように思います。当人たちが意識してさらっと表現したところが、舞台上では裏目に現われたような気がします。 〇大東・いしいみちこ作『エール』 見た目は好印象で、女子応援団長をはじめとする熱演がもっと高く評価されてもいいと思うのですが、手許のメモには厳しいコメントが多く記されてます。すなわち、役者のパワーでぐいぐいと引っ張れなくなった時、綻びが見えてしまう難点があるのです。暗めの地明かり、女子高生たちの靴下がルーズソックスだったり、違ったり、BGMと生声とのバランス。黙々と素振りを繰り返す時間がやたら長い......。 主人公の団長に隠れがちなのですが、サトウ役(失敗がちな女子応援団員)の子のドジぶりは、大いに受けてました。彼女が舞台からいなくなった時に、パワーがダウンしたのはなぜだったのでしょう。 ・盛岡市立・滝澤華恵創作『森のうた』 母と少女が森の中で遊んでいるところに、ハンターの流れ弾が母に命中。見ていた少女も殺される。数年後、近所の子が森に入った時に、少女の幻影が現われる――。 10歳女子の表現、祖母の表現。「狩猟禁止」のところで狩猟を試みる必然性。人殺しを続けようとするハンター1を止めようとするハンター2の説得力。それらが薄いのは、演じる側が脚本を無批判に受け入れていた表れだと思います。地区大会から、若干構成をいじったのは認めますが、火災を伝えるアナウンサーの滑舌の悪さがそのままだったのは、どうしてなのでしょう。脚本=演出が力を持ちすぎて、客観的になれなかったのが原因でしょうか。表現したかった「透明さ」が伝わらなかったのが残念です。 (続く) Up |
高校演劇の2日目です。きょうは10月28日(土)分を記します。なお、感想は筆者が写真撮影のかたわら残したものを基に記しています。 〇花巻南・のぞみ奨創作/千葉朝江潤色『タクト』 トモコの生き方が構成の軸になってます。受胎告知→キフエフ(悪魔)との会話→『タクト』の意味(ここでテーマがおぼろげに出るのですが、開幕から30分ちょっとかかってます)→その前のセックス(あれ。中絶・出産を扱った話なの?)→タクトを持つのは、大人にも必要を感じる、というつながりです。 中絶・出産をどろどろとしないで、どちらかというとさらっと触れたところに物足りなさを感じますし、そこを派手なSEで煙に巻いている感じがします。まるでマンガ・劇画チックな作りで、全編日常会話で貫かれていることの薄さを感じます。洗練された構成ならば、役者の力量が問われるところなのですが、前半テンポがもたついていたところがわかりにくさに拍車をかけていたように思います。 〇杜陵・田中雄太作『ゆうたっちょの中学生日記長岡花火バージョン』 結婚したゆうたっちょが中学時代のことを思い出して、落語家よろしく振り返る構成です。彼の独白が長く、落語調のしゃべりがこなれてなかったのが残念です。それからバドミントン部での素振りが取ってつけたような感じでしたし、女子が男役をすることへの違和感が残ります。でも、ゴンダワラ先生の身のこなし・間の取り方が受けてましたし、卒業式後のシルクスクリーンはかっこいい。夕焼けもなお幻想的です。脚本はいいのだけれども、それを力にするためには、達者なゆうたっちょにパワーがついてほしいところです。 〇盛岡北・赤間幸人作『満月だよ!チャーリー』 目の見えない女の子と盲導犬の触れあいを描いた作品です。それにしてはまいちゃんの点字を読むスピードと話すスピードがあってなかったり、ステッキを持つ歩き方も説得力がありません。かずみ先生の怒り方がやたら優しかったりで、脚本の研究がどれだけだったのだろうかって思います。 全体的に表情が伝わらなかったまま演技が終わってしまったのはなぜだったのでしょう。泣けなかったのは、他校のチャーリーの印象が強かったせいか、こちらの感性が麻痺したせいか、それとも......。 〇遠野・篠崎隆雄作『合格通知はお早めに』 部員が足りなくて、あちこちで男子が女子役をこなさなければならない羽目になります。そのことに対する照れが出ちゃっているのかなぁ......。 脚本がハッピーエンドのありがちなストーリーなら、役者が頑張らなければいけないのに、主役のセリフがSEに負けていたり、長ゼリフの間が持たなかったりで、ときめきが伝わってこないもどかしさがあるのです。ときめきを伝える「ピリリときた」というサイン、舞台上の同級生にだけじゃなく、客席にも伝えてほしかったのですが、それにしてもテンションが上がりきらないのが残念です。 〇一関第二・鈴木明子創作『ボランティアごっこ』 老人ホームを訪れるボランティアの高校生と老人のひと時を取り上げたものです。地区予選のとき、意外なオチに声を上げたのですが、そのオチを知って見た今回は、物足りなさを感じてしまいます。それは、老人ホームの日常を追うあまり、ドラマが見えてこないところにあります。老人たちは元気だし、女子高生のほうが振り回されていて、それなら表情・感情がもっとあらわれてきてもよかったような感じがするのですが。 「社長夫人」へのお茶は手で出してよかったのか、「骨が折れた」というセリフが元気だったのはなぜか、ホームで働く人の応対がやさしくなったり冷たくなったりという一貫性のなさは何なのか、フォーカスが合わないまま終わってしまいました。 さて、この日は 〇不来方・別役実作『病気』 もあったのですが、ここからは明日の報告にします。(続く) Up |
高校演劇発表大会。10月28日(土)に演じた不来方(こずかた)と29日(日)に演じた岩手女子が東北大会への出場権を得ます。その不来方と岩手女子への感想を含め、残り5校のレポートです。 10月28日分 〇不来方・別役実作『病気』 地区大会とキャストをがらっと変えてきて、そのことが功を奏したように思います。男1(サラリーマン)が女1(看護婦)にやり込められる姿に象徴されるように、はっきりとした演出と別役作品が評価されたのでしょう。例えば男1のしゃべり方で、とぼけた感じになりきらなくても、それは別役作品に挑んだから評価された。ズボンがなくなったのが上手、発見されたのが下手というのも、別役作品が評価されたから。男1はずーっと立ちっぱなしで、表現に乏しいままだったのも、ラストの神の声の処理が荒かったのも、それは別役作品が評価されたからなのだろうと思います。東北大会に向けて、課題が山積みされているように感じました。 さて、本来の10月29日分です。 〇岩谷堂・千葉春香創作/菊地紗弥花潤色『紫苑』 いじめにあった少女が戦争の体験をすることで、生への決意をする物語です。題名の「紫苑」は砂浜に咲いていた花なのですが、舞台に花そのものがない物足りなさを感じます。舞台に段差をつけたことで、場転がスムーズだったのですが、それが過去の人・時子をデジタル化・パターン化されてとらえられてしまったのが残念です。照明が全体的に暗めだったのが、損していました。装置の下部のすき間も気になります。それでも、地元校の熱演は有無を言わせず観客を黙らせてました。重たい物語で客席を引き込んだのは、この高校の実力だと思います。 〇岩手女子・結城翼作『飛ぶ教室』 制限時間の60分をフルに使い、初めから終わりまでハイテンションで飛ばします。一方で静止部分・動作部分の対比もよく訓練されていて、見ていて気持ちよさを感じます。 地区大会から若干キャストを変えて、一部不満もあります(「あははははぁ」と言って、力なく死んでいくシーン、何とかしようね)。またセリフが超早くて、聞き取りづらいところがあります(ある審査員は「しょうがない」と言ってましたが、それでよろしいか?)。ミュージカル仕立てが成功しているだけに、なおその処理が気になります。洗面鬼への逆光(スポット・正面)も気になるのですが、たぶん何とかするでしょう>東北大会まで。よく訓練されていることが伝わってきた劇でした。 〇盛岡第一・桂田牧子作『リプレイ』 現代劇を表現する時に、「なぜこの脚本を選んだのか」、その愛情が客席に伝わってこないと「何なの、これ?」というまま終わってしまうことがあります。例えば、装置を取ってみても「ゴキブリ取り」「洗剤」といったものを表現する時に、ケント紙に「ゴキブリホイホイ」「ザブ」と大書しただけでよかったかどうか。1人1人は「楽しかった」と思っていても、それが全体としての勢いに変わっているのかどうか。脚本に力がある作品に挟まれてしまったために、この作品が消化不良に見えてしまうのです。脚本は人数合わせだけで選んではならない、ということです。 〇花巻農・県立岐阜農業高等学校演劇部作『実(みのり)−僕が水をくれるのを−』 役者・舞台技術が未熟なところはありましたが、脚本の訴求力がかなりつよいので、それに応えようという熱意は感じました。SEを使ったらいいのに、SEの音量をもっとさげればいいのに。ライトの当て方がこなれていれば、先生の退場の仕方に工夫があれば、むだな出入りを整理すれば......と不満はあるのですが、脚本が農業高校の現状を捉えていて、迫力があるので、その世界に引き込まれてしまうのです。やっているうちに、役者が声を枯らしたり、顔に当たらないピンスポが気になったりするのですが、舞台を見て胸が詰まったのも事実です。熱演でした。 東北大会出場は前述の通りです。ちなみに優秀校は上演順に一関第一・大東・花巻南・一関第二・岩谷堂。創作脚本賞が「水の中の月」(生徒作品)と「タクト」(顧問作品)となってます。(このシリーズ、了) Up |