魔王ダンテ
〜週刊ぼくらマガジン 1971.1/1(1)〜6/1(23)号連載〜
現行版:講談社コミックス全2巻(加筆新編成版)
(2)悪魔人間編
ナパーム弾の雨の中、突如姿を現した悪魔たち。「神」にその身と心を売って、人間からの差別を回避しようと言う。ソレを許さぬダンテは力の全てを持って「裏切り者」を処刑する。だがそれは、あくまで魔王の残留思念であり、涼の意志とは違った。その最中、涼は我に返らされる。神と闘わなければならないという運命。記憶もないまま、その「義務」を果たさねばならないようなのだ。
ここで舞台は一旦、「怪獣」魔王ダンテのマクロの視点から、宇津木涼の一個の人間としての視点に戻される。この鮮やかさは、後の永井豪魔界マンガに共通するものだ。明らかに、当初の構想から逸脱している。というよりも、巨大怪獣の視点が一人歩きし始めたのだ。
そしていわば「悪魔人間」としての涼へと作者の興味は移行した。ココで初めて『魔王ダンテ』は『デビルマン』の原型となったのだ。人間界を騒がす謎の事件。それは悪魔の仕業であり、涼だけはそのことを知っている。ある夜、人を襲う悪魔を、ついに涼は「変身」して倒す。割り切れない煩悶とともに。デビルマン不動明と同種の「孤独」を涼は持っていたのだ。
この展開が続けば、あるいはダンテはヒーローアクションとなっただろう(*注2)。「人間」と「悪魔」の間でアイデンティティを追求しながら、最終的にどちらかを迫られることになったかもしれない。が、それは次作『デビルマン』まで待たねばならなかった。
異形になった哀しみ、自分が人間なのかそうでないのか。このテーマはほぼ同時期に師匠・石ノ森章太郎が同誌で連載していた『仮面ライダー』と通底していて偶然にしろ、興味深い。...だが、ヒーローアクションにならんとした『魔王ダンテ』は、魔女メドッサの登場と予め張られていた伏線、神の一家・宇津木家によって収束の方向を見いだしていく。
*注2/実際のところ、当時の「ぼくらマガジン」編集長の方針は、この雑誌をヒーローコミック誌の最前線にすることだったようだ。石ノ森章太郎『仮面ライダー』、梶原一騎・辻なおき『タイガーマスク』、西郷虹星『超人ハルク』、平井和正・坂口尚『ウルフガイ』など、が同時進行している。『魔王ダンテ』も<悪魔の力を身につけたヒーロー>としてのアイデンティティを模索したのだろう。少なくともこの時点では。