魔王ダンテ
〜週刊ぼくらマガジン 1971.1/1(1)〜6/1(23)号連載〜


第1話掲載号。一挙100ページ。冒頭のカラーがあまりに うれしい。


講談社コミックス全2巻(加筆新編成版)
このバージョンより、冒頭の神の侵略はじめ、修正が施され今に至る。

その他、サンコミックス(最初の単行本・全3巻)、朝日ソノラマ文庫 (旧版・全3巻)、サンワイドコミックス(全2巻)、中公愛蔵版(全1巻)、 中公文庫版(全2巻)、講談社ZKC版(全3巻)がある。


『魔王ダンテ』。『デビルマン解体新書』や『永井豪世紀末悪魔事典』 (ともに講談社)などでも触れられているように、永井豪が正面切って 「魔界」を描き始めた記念碑的作品である。また、この作品から『デビルマン』 が生まれたことも、余りに有名な話である。

事実、
・ヒマラヤの永久凍土に閉じこめられた悪魔たちが現代に甦ると言う設定
・ダンテのシルエットは『デビルマン』のゼノンや『凄ノ王』へとつながる
・悪魔に体を奪われながら闘う主人公
・羽根を生やした宇津木涼の姿はデビルマンの原型
・ダンテに敗れ、神への復讐を願うゼノンはアニメ版『デビルマン』の 魔将軍ザンニンの元デザインだろう

などと、幾らでも「原型」を見いだすことが出来る。むべなるかな...では あるがココはも少し掘り下げるのが俺の主義(苦笑)。以下のように解説を 分けていく。

(1)魔王誕生編  (2)悪魔人間編  (3)神と魔編  (4)魔神編


まずは、『デビルマン』と決定的に異なる『ダンテ』の世界観。短い連載期間 でありながら、コレが意外と二転三転している。ここでは大きく分けて3つの展開 があると思われる。上記(1)〜(3)がそうだ。

ちなみに、上の「加筆新編成版」と平成14年に出た全3巻のバージョンにある 冒頭13ページは、描き下ろしである。故に、魔王ダンテを読んだ読者が改めて ダンテを再認識するのに必要な物語の断片という感が否めない。俺は改めて再構築 されたダンテ世界、そう読んだ。


(1)魔王誕生編

夢のヒマラヤ風景から2巻冒頭、ナパーム弾を撃ち込まれるまで。

そもそも永井豪が『ダンテ』を描いたきっかけは、映画「ゴジラ」をゴジラ 自身の目線で見たら、ということだったという。そのまま怪獣てのもなんだ から、と『神曲』ルキフェルをイメージソースにしたのだ。この段階ではあくま でガジェットとしての「悪魔」だったと思われる。

それにしてはその為のディテールに費やすページ数が余りに多い。単行本1冊分 200ページ余。

それは、本人の預かり知らないところで悪魔に魅入られ、喰われ、あまつさえ 醜いバケモノにその姿を変える、と言う非常識な出来事を作者も読者も納得 するための手段であったろう。言わずもがなだが、今と違って殆どの一般読 者は西洋の「悪魔」の知識に親しんでなかったのだから。

ダンテは宇津木涼の精神を操り、脱出を図る。だが、なぜ涼なのか。なぜ体をサデ ィスティックに引き裂き、痛めつけた上で喰わねばならぬのか。上半身だけにな ってのたうち回る涼。この「理不尽な暴力」への怒りが源泉となって、 涼はダンテの意識を乗っ取ってしまう。

平和に暮らしている男が、突然思いもよらない外からの暴力に巻き込まれ、周り から後ろ指差される「怪獣」となるまでを描いているのだ。その「哀しみ」 「怒り」こそが破壊活動の源となる。またか、という言わずもがなではあるが、 永井豪の身に起きた、例の事件との符号(*注1)を見せないだろうか。 ココに来てダンテは永井豪という作家の思うままの怪物となる。

ダンテ・涼はその暗い心に自らを任せ、都市へ。自分が生まれ育った街を人々を 文明の全てを破壊する。それは苛立ちだ。自分の姿を見る人々の視線が痛い。 その時選ぶのは二つ。自分が消えてしまうか、自分以外の全ての視線を消して しまうかだ。無敵の魔王はそうして大殺戮と大破壊を選んだ。

この「怪獣」を一体どうやって倒すのか。物語の展開は「ゴジラ」に則ればそう なるはずだった。だが、権力という暴力に楯突く作家・永井豪はここで視点を 変換する。(次ページへ続く)


*注1/例のごとく...ではあるが、「ハレンチ学園」叩きに端を発した悪書追放運動。 日本各地で掲載誌の不買運動が起こり、ワイドショーで永井豪を吊し上げるという 一件まであった。当時の担当編集者は『魔王ダンテ』を読むなり「人間が許せなく なってるでしょう」と言ったという。


(2)悪魔人間編  (3)神と魔編  (4)魔神編

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