『酒松小ネタ』(1)〜(5)

(1)「本音?」

 俺はヒロが本気で怒った所を見たのは、伊勢に帰った時の1度だけだ。
 痛いところを突かれて逆ギレしたあげく、言葉と身体で暴力をふるった俺に、さすがに我慢強いヒロも切れた。
 凄い目付きでに睨んで怒鳴り声を上げたと思ったら、こっちが拍子抜けするくらいすぐに怒りを収めた。俺にはとても真似できない。ヒロは本当に強いと思う。
 そんなヒロに俺はいつも甘えてしまっている。怒る事は無くても、ヒロも多少の不満くらいは有るんじゃないだろうか。

 風呂から上がって横目でチラリと見てみたら、俺の天子はごろりと横になって、箱売りアイスバーをかじりながら漫画を読んでいた。天子訂正。いつものちょっとズボラなヒロだ。
「なあ、ヒロ」
「んー?」
 足の指先だけで返事をするな。猫かお前は。
 それにしても相変わらずつんつるてんの足だな。外に出る時はジーンズだから見えないが、手入れに苦労している女共から蹴りを入れられそうだ。……って、俺は何をやってるんだ? 野郎の足観察している場合じゃねえっての。
「聞きたい事が有るんだ」
 俺の普段とは違う声のトーンから何かを察したのか、ヒロは数回瞬きをして本を置くと身体を起こした。
「なん?」
「前々から思ってたんだがヒロは俺に対して不満は無いのか? …………俺は散々ヒロに迷惑掛けてるから気になってたんだ」
「いきなりどないしたん?」
 ヒロは大きな目を丸くして俺の顔を真っ直ぐ見上げてくる。どうにも言いづらいな。
「その……ヒロはいつも笑っているけど、本当はストレスが溜まってるんじゃないかと思って。その原因は多分俺で。……だから、不満が有るならちゃんと俺に言って欲しい」
 ヒロは黙ったまま不思議な物体を見つけた様な目で俺を見てくる。
「何だよ。その目は?」
「ホンマに言うてもええの? まつながー、泣かん?」
「やっぱり言わないだけで不満が有るんじゃないか。覚悟の上で聞いてるんだから、そうそう泣かないっての。頼むから言ってくれよ」
 でないと俺達はいつまで経っても本当の親友じゃ無くて兄弟もどきのまんまだろ。俺の本気を感じとってくれたヒロはゆっくり頷いた。
「分かった。ほな言うで。その前にまつながーも座れや。ショックでコケて頭でもぶつけられたら洒落にならんもん」
 ショックでこけるって……余程の事なんだろうか? 普段が天子様だけに怖くなってきた。
 いや待て。せっかくヒロが俺に本音を言ってくれるんならちゃんと聞かなきゃ駄目だ。
 ベッドの上から見下ろすのは嫌だな。俺が正座をして座ると、ヒロもあぐらのままだが真っ直ぐに俺に向き直した。
 ヒロの目付きが少しだけ変わる。俺のよく知るヒロでも天子様でも無い。初めて見る表情だ。こんな顔もするんだな。
「まず1個目。まつながーの寝起きの悪さホンマに何とかしてや。メッチャはた迷惑な悪さやん。また寝ぼけて俺に抱き付いてきたら遠慮のう顔を殴るで」
「うっ」
 いきなりストレートで来た。俺の抱き付き癖はどういう訳か今も直っていない。裕貴の話じゃストレスが原因らしいけど、意識が無い時だけに自分ではどうしようもない。
「2個目。俺の事「天子」て言うのソロソロやめてくれん? まつながーはアパートの外では絶対言わんて約束しとるのに、つい、うっかり、思いあまってで、何回言うた? ええ加減にせんと俺でも切れるで」
 えーっと、数え切れないくらい言った気がするぞ。思ったままを口にしてしまうのも考えモンだな。段々冷や汗が出てきた。
「返す言葉も有りません」
 俺が頭を下げるとヒロはすーっと息を吸った。何だ?
「一々切るの面倒やから一気に言うで。寝言やかましい。しかも俺の名前を大声で呼ぶのはやめれ。マジで夜中にビビるわい。嫌なコト有った晩にガラスを引っ掻く様な歯ぎしりすな。ストレスは起きとる時に発散してや。暑いからて布団を俺の顔の上に蹴り落とすなや。夏布団でも何度も窒息しそうになったで。ついでに俺が寝とる間にセクハラまがいのイタズラすんのもヤメレ。気色悪い。隠し撮りした写真もデータごと全部捨てれ。同い歳の男の顔を撮るって変態としか思えんやろが」
 ……今何個言われたんだろう。マジで数えきれねえ。だけどこれだけは言い返したい。
「しゃ……写真だけは。その……俺にも計画が……」
「なん?」
 ヒロの目が据わった。ここで反論したらマジで顔を蹴られる!
「済みませんでした。何でもありませんっ!」
 風呂上がりだってのに全身嫌な汗だくだ。
「ほんでな」
「はいっ!?」
 まだ有るのかよ。マジで泣くぞ。
「寝ぼけとる時は1万歩譲るとして、意識が有る時に俺を抱きしめたり抱き上げるのは2度とやめれ。マジで気色悪いやろが。毎回全身に鳥肌立つ身にもなれや! ええか。今度やったらどんだけオヤジに怒られても五体満足ですまさん。よう覚えとけや」
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
 怖い。マジで怖い。手加減されても胃液を吐いたのに、本気のヒロに蹴られたら痣じゃ済まない。
 すでに涙目状態の俺が土下座したままガタガタ震えていると、ヒロは声を立てて笑い出した。
「ぶはっ。やめれー。土下座させるために言うたんとちゃうて」
 あれ? 何かリアクションが予想と違う。
「ヒロ」
「なん?」
「ひょっとして……俺の事を本気で怒ってないとか?」
「アホかーーーーーーーーい!! んな訳あるかあっ!!」

 その晩、俺は荷物置き場になっている蒸し暑いヒロの部屋で寝た。
 だって、本気で怒ったヒロが怖いんだもん。

おわり

(2008.06.10 UP)


(2)「知らない幸せ」

 気付きさえせんかったら、スルー出来たて思う。
 ほやけど、1度気付いてしもたらメッチャ気になって、毎回チェックしてまうから、今の俺はやりとうも無いプチストーカー気分を味わっとる。
 自分でもホンマにアホくさーて思うけど、こういうもやもやした気持ちってどないしようもないんよな。
 隣……つまり俺の部屋から、俺をストーカー……この言葉自体がメッチャ嫌。にさせとるまつながーが戻ってきた。
「まつながー」
「何だ?」
 まつながーは冷蔵庫から冷えた麦茶を出してベッドに腰掛けた。うん。今は沢山水分欲しいんよな。俺もそういう時有るから気持ちはよう解るで。
 はあああー。
 これで何回目の溜息やろう。もう我慢の限界や。中途半端なんは嫌やから、はっきりさせたる。
「まつながーって毎日俺の部屋に行くけど、手ぶらで行って帰ってくるやろ。何しに行っとるん?」
 まつながーは少しだけ頬を引きつらせて硬直した後、いかにも何でも有りませんと無理矢理顔に書いて台所を突っ切った。
「別に特別な用で行ってるんじゃないから」
 「別に」なあ。まあ普通はそう答えるよな。俺かて同じツッコミ入れられたら完全にとぼけるて思う。
 ほやけど、まつながーの視線はさっきから思いっきり泳いどるで。そない嘘付いてるて態度に出してどないするん。
 アホスイッチが付く前ちゅーか、今にして思えば完全に猫を被っとった時期のまつながーは、俺のコトを「ポーカーフェイスが出来ない」て笑うて言うたけど、俺の感覚やとここ2ヶ月くらいは、まつながーの方がよっぽど正直に顔に出とるて思う。
 まつながーが感情を表に出すんは、俺のコトホンマに信じてくれとるからやて解っとる。ほやけど、あない見え見えのボケかまされると、ツッコミ精神がむくむくと湧いてくるやろ。
「まつながーて……」
「ん?」
 あ、今言うのは危険やからやめとこ。悲惨な状況になるんが頭に浮かんだ。
「後で言うから先にお茶飲んじゃってくれん」
「はあ? あ、うん」
 何のこっちゃて顔をしながら、まつながーはコップに入っとる麦茶を全部飲んだ。よっしゃ。もう何言うても安全やな。
「あのな。まつながー、こういうのホンマは言いとう無いんやけどはっきり言うで。毎日うんこしにわざわざ俺の部屋行くなや。この部屋にもトイレ有るんやから、普通にソコですればええやろ」
「はあ!?」
 ビックリしたまつながーは、見事に手を滑らせてコップを自分の布団の上に落とす。やるて思った。
「な、……何でばれ……いやそんな事は……」
「嘘付くなや。そんなん一緒に住んどったら誰でも判るわボケ。女の子やあるまいし、今更恥ずかしいも無いやろ。おしっこは普通に部屋のトイレでするんやから、堂々とうんこもしたらええやん。わざわざ部屋を移るコト無いやろ」
 余程ツッコまれたく無いネタやったんか、まつながーは何度もコップを拾っては落とす。
 ベッドの上で良かったあ。まつながーの動揺っぷりを現す様に、空のコップは空中を飛び交っとる。畳の上ならまだエエけど板の間に落ちたら割れとったかも。
「まつながーは納豆食いは腸が健康ていつも言うとるけど、急に調子が悪くなる時かて有るやろ。身体苦しいのに我慢して鍵持って部屋から出てくなんてどう考えても変やろ。無駄なコトすんなや」
 コップを手にしたまま俯いとったまつながーは、聞こえるか聞こえんかくらいの小さな声で呟いた。
「……無駄じゃない」
「へ?」
 まつながーは顔を上げるとしっかりと俺の方を向いた。
「俺は何1つ無駄な事なんかしてないっての」
「なして? どない考えてもメッチャ無駄な行動やろが」
「このアパートの便所は窓も換気扇も無いじゃないか。消臭剤だけじゃ臭い抑えきれないだろ」
「ほえ?」
「だから俺はクソする時だけはヒロの部屋に行ってるんだ」
 ……えーっと、どういう意味やろう。臭い? 俺は全然遠慮せんで部屋のトイレ使っとるで。
「俺のベッドはトイレと対角に有るからそれ程気にならないけど」
「ん?」
「寝る前に部屋の便所でクソしたら、トイレのすぐ側で寝るヒロが臭いだろ」
「……」
 一瞬頭が停止してしもた。まつながーは赤面したまま両手を握りしめて手をブルブルさせとる。
「俺のクソの臭いがヒロに付くなんて嫌だから。そんなの俺が我慢出来ないから……」
「ちょい待ってーっ」
 その先聞きとうないて言う前に、まつながーは大声を出した。
「俺の綺麗な天子がクソの臭いさせてるなんて絶対に嫌だったんだっての!」
 うっわーーーーーーーーーーーーーーーーっ。言い切りおった。メッチャさむー。

 えーと。……落ち着けや俺。まずはまつながーの変な誤解を解かな。自然と頭を抱えてまう。
「あのな、まつながー」
「何だ?」
「俺も人間やから普通にご飯食べるし、おしっこするし、うんこもするんやで」
「ヒロは冷やすと腹を壊しやすいだろ。そんな事は知ってる」
 ほっとけ。要らんツッコミだけはするやっちゃな。
「俺も俺が出したうんこで臭うなるわけで……」
 段々言うてて虚しゅうなってきたな。
「まつながーがそない俺に気使わんでもええんやで。ほやから、もうそういう変な気配り止めてや」
 お願いやから。と言って顔を上げたらまつながーはメッチャ真面目な顔をして俺を見とった。
「ヒロがヒロの臭いさせてんのはまだ妥協しても良いけど、天子に俺のクソの臭いなんか付けさせたくないっての。トイレ掃除は俺の当番だから、絶対譲らないからな」
 ……。
 言わな良かった。ちゅーか、マジで知らな良かった。泣くなや俺。メッチャ虚しいけどまつながーはアレで自分が普通やと思いこんどるんやから。
「堪忍……ちごうた。おおきに。まつながーの好きにして」
「うん」
 返事だけは毎回ええんよな。考えるの嫌になってきたからまあええか。

 そんな俺の考えはチョットばかし甘うて、翌日俺らが使っとる部屋のトイレの中と、俺の枕元に消臭スプレーが置かれとった。
 今後のまつながーの行動が簡単に想像ついてしもて、俺はホンマに泣きとうなった。

おわり

(2008.06.20 UP)


(3)「意外」

 元々ヒロは穏やかで懐が広い方だが、それ以上にもの凄く我慢強い性格だと知ったのは最近の事だ。
 日頃から(ヒロの言い分だとほぼ毎日らしい。マジかよ。)俺は地雷踏みまくってるんだから、いい加減に学習しろとブチ切れたヒロの怒りは相当なもんで、丸1日生きた心地がしなかった。
 それでもたった1日で怒りが収まるところが、いかにもヒロらしい。
 俺はどれだけ怒られても、ヒロは天子の様に優しいという認識を覆す気なんて全く無いんだよな。俺がこの数ヶ月の間にヒロに貰った沢山のものを考えたら当然だ。
 ……と、口に出すとまたヒロに怒られるから言わない。一応、これでも学習したんだぞ。

 表計算ソフトを使ってレシート片手に家計簿を付けていたら、向かい合って同じ様にノートパソコンを開いていたヒロと目が合った。
「まつながー、お金予定額分貯まったて言うてたやろ」
「ああ、うん。おかげ様で」
「助かっとるのはお互い様なんやから、そういう言い方せんといてや」
「ごめん」
 夏の暑さに耐えかねて、ヒロと共同出費でエアコンを買って同居を始めた副産物は、予想よりはるかに大きかった。
 まず食費、光熱費、水道代が減った。どうせだからと、今は物置部屋兼洗濯物干し場になっているヒロの部屋の風呂場に激安洗濯機を買ったので、個人個人で払っていたコインランドリー代と往復する手間も浮いた。その分増えた水道代と電気代とは比べものにならない。1つ1つは小さいけれど、纏めて計算するとかなりの金額が浮いて、お互いほくほく顔で貯金に回せた。
「まつながーも1、2年の間はなるべくバイトするて言うとったけど、お金の余裕ってかなり有るん?」
「そうだな。仕送りも有るし、次の冬休みか春休みに合宿自動車免許取得費用と、何か欲しい物が有ったら買えるくらいかな。消耗品はバイト代でなんとかなるだろうし」
「へー、メッチャすごいやん。まつながー、ホンマに頑張ったんやなぁ」
「そうでも無いって」
 ヒロは人を誉める時もストレートに言葉を使うから、言われる俺の方が赤面する。
 頼むから俺なんかを誉めてくるなよ。高校時代から喫煙しながらパチンコとか、かなり後ろめたい事もやってた結果なんだ。バイト代だけで4年間分なんとかなりそうだと思えたのは、ヒロの協力が有ったからなんだぞ。
「まつながーはホンマ偉いなぁ。俺は高校3年時に運転免許取ったから、全額親に講習と試験代出して貰うたん。やっぱ、まつながー見習って返さなアカンよな」
 ああ、もう止めてくれよ。マジで恥ずかしいっての。
 水戸と伊勢じゃ同じ田舎でも全然交通の便利が違う。校則で卒業するまでは運転禁止だったらしいが、ヒロの地元じゃ早めに免許を取るのが普通なんだろう。
「ヒロは免許が必要だったからだろ。俺とは事情が違う。それに返すにしても出世払いで良いと思う。バイト増やして成績下げるより、就職してから返せば良いだろ」
「うん。……それもそやなぁ。おおきに」
 にぱっとヒロが笑う。やれやれ。やっと「言われる方が恥ずかしい」攻撃が終わった。
 俺は赤面した顔を見られたくないのと、照れ隠しに入力済みのレシートをゴミ箱に放り込んだ。

「なあ、まつながー。お金に余裕有るんやったら、俺のお願い聞いてくれん?」
 ……。
 その顔できたか。
 経験上、ヒロが上目遣いで可愛らしく口元に手を当てて「お願い」って言ったら、俺にとっては「強制」だ。意識してやってるんじゃないから尚更タチが悪い。
「何だ?」
「金余分に有るんやったら新しい携帯を買ってや。スピーカー機能付きのやつ。2度と人の事リフトしたり、膝の上に乗せたらマジで切れるで。ええな。絶対に買えや。ビール買う金削ってでも買え。今度やったらホンマに顔の形変えてやるで」
 ……。
 これだからヒロの笑顔は怖いんだ。
 非常処置で1回しかやってないってのに、しっかり根に持たれていた。普段のヒロは俺がどんな馬鹿をやってもヘラヘラ笑っているけど、意外と1度怒らせたらしつこい性格なのかもしれない。
 スピーカー機能付きの最新型携帯。……一体いくらくらいするんだろう。
 そう思っていたらヒロが自分のノートパソコンを俺に向けてきた。画面にはしっかり携帯電話の一覧が表示されていた。用意周到すぎるっての。
 最新機種はマジで高けえぞ。こりゃ店長に頼んでバイト時間を増やさないとすぐには無理だな。
 俺の顔色を見ていたヒロが、ノートパソコンの裏側から器用に手を回して、別のブラウザを開いた。
 携帯電話用外部スピーカー。価格は新型携帯の10分の1と。本当はヒロはこれを買えって言いたかったのか。
 ……はい。俺の負け。

おわり

(2008.07.04 UP)


(4)「罰ゲーム?」

 朝からずっと立ちっぱなしやったからか、チョットだけ足が筋肉痛っぽい。歩いとって膝もカクカクいうとるもんな。
 同じ時間歩き回ったり、小走り続けてもこない痛うはならんから、鍛え方がアンバランスになっとるんやろう。
 ここ数日、アパートで寝る時以外は座ってレポート作成しとったのも原因かもしれん。
 ほやけど、もうまつながーの前では基礎トレーニングしとうないんよなあ。
 興味もたれて真似されたあげく、あれ以上無駄に馬鹿力付けられたら俺が困るんやもん。……色々な意味で。
 思い出したらマジで泣きとうなるから忘れよっと。

「あ、酒井君だ。久しぶり」
 踏切を渡りきった所で背後から女の人の声がした。振り返ると駅の出口で健康的に日焼けした真田さんが笑って手を振ってくれとった。
 うはあ。真田さんて肌の色変わっても美人さんやなぁ。学校まだ始まっとらんのに、こないトコで偶然会えるなんてメッチャラッキーや。
「真田さん、こんちゃー。元気そうやなあ」
「酒井君もね。バイトの帰り?」
「うん。さっき終わったトコやで。真田さんはどないしたん? 家って千葉やったよな」
「あたしは夏休み中実家に帰ってた友達とここで待ち合わせ。惜しいな。これから酒井君のバイト先に一緒に行こうと思ってたんだ。あの和食ファミレス、値段の割に美味しいから気に入ってるの」
「いつもご利用いただき誠にありがとうございます」
 俺が店でするみたいに営業スマイルで頭を下げると、真田さんはウケて笑ってくれた。
「あはは。酒井君て本当に裏方より接客向きだね。笑顔が凄く良いから客も気持ちが良いよ」
「へ? あ。おおきに」
 俺が真田さんの接客したんは1回しか無いのに、そない風に思ってくれてたんや。短時間バイトやけど、お客さんからそう言うて貰えると嬉しいなぁ。
「あ、そうだ」
 俺がちゃんとお礼言い直そうとしたら、真田さんは肩に下げとるトートバックに手を突っ込んでごそごそ何かを探し始めた。
「これあげる。友達にあげる約束して何本か持ってきたから酒井君にもお裾分け」
 そう言うて手渡されたんは、今まで見たコト無い柄で黄色い小さなコーヒー缶やった。地域限定品なんかな。
「ええの? おおきにー」
 俺がシャツの胸ポケットに缶を突っ込むと、真田さんはいたずらっ子みたいな笑顔で舌を出した。
「好みにもよるけどお礼を言われる様なものじゃないかもね。それ、酒井君が飲めなかったら松永君に押しつけちゃえば良いから」
「へ?」
 飲めないって、市販のコーヒーやろ。コーヒーに見せかけて実はお酒てオチや無いよなぁ。俺は外では絶対酒呑まん主義やから、酒に弱いんは真田さんも知らんはずやし。
 俺がチョットだけ考え込む顔になっとったんか、真田さんは苦笑しながら俺の肩をポンポンて叩いた。
「真面目に考えないでよ。飲めばあたしが言った意味はすぐに解るから」
 真田さんはチョットだけいじめっこモードに入っとるっぽい。解るて言われたかて益々解らんくなってくる。どないしよう。真田さんは笑うだけで何も言うてくれん。
 俺らが黙って顔を見合わせとると交差点の向側から大きな声が聞こえた。
「あ、友達が来た。酒井君、また新学期にね」
「うん。ほなまたー」
 真田さんはまた手を振って横断歩道を渡って行った。友達に会えて嬉しそうな顔しとる。目の保養もできたコトやし俺も帰ろっと。

 バイト先からアパートまで徒歩で20分くらいなのに、帰ってきた時には汗だくで喉もかなり渇いとった。
 大学まで早歩き10分の距離で自転車使うのもアホらしいから、俺もまつながーも買わずに済ましとる。ほやけど夏場は厳しいかも。
 近所のスーパーで冷凍物買うと、ドライアイス使うてもアイスが柔らこうなっとるんやもんなぁ。肉や魚、牛乳に卵もこの時期は怖い。
 時計を見たらまだ5時やった。夕飯の支度はもうちょい後でもええよな。せっかくやから真田さんがくれたコーヒーを飲んでみよっと。
 冷たくはないんで、ガラスコップに氷を入れてコーヒーも入れる。
 ……。
 なんか色がびみょーやと思うんは俺の気のせい? カフェオレ系ともちゃうよな。氷が溶けた水とコーヒーの部分が完全分離しとるような。
 ……まさかなあ。俺の目が変なんかな。寝不足で疲れとるんかも。ミルクと砂糖入りならバイト疲れも一気にとれるやろう。ここは一気飲みして……。
「ぶはっ! あっまーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
 なんやこれぇ? 見た目はともかく絶対コーヒーやないで。ちゅーか、何かの罰ゲーム用アイテム?
 甘さに耐えかねて口の中が痙攣してくる。ホンマにあり得んちゅーねん。とりあえずうがいしよっと。
 げーっ。口の中の味が全然変わらん。舌も完全に麻痺しとる。これってホンマになんやねん? 正体を突き止めようと俺は缶の説明を読んでみた。
 えーと、原材料。加糖練乳、砂糖、コーヒー、香料、カラメル色素、乳化剤。
 れ・ん・に・ゆ・うううっ!?
 真田さーん、もしかしてこれってイジメ? 泣きそう。

 俺が台所から離れられずにおると、昼勤務やったまつながーも帰ってきた。涙目の俺と目が合って不思議そうな顔をする。
「ただいま。ヒロ、何やってんだ?」
「お……おかえりー。うがい」
「それは見りゃ解るが、何でコーラでうがいしてるんだ?」
 まつながーの不思議そうな顔も当然で、俺の手にはコーラのペットボトルが有る。水は口の中の味を変えるのに全然効かんかったからちゅー苦肉の策やけど、そら事情を知らんかったら普通は驚くよなぁ。
 俺は水で口をゆすいで、帰ってきたまつながーが手を洗える様に流しを離れた。こういう時洗面台が無いと不便やなぁ。コーラと空の缶と謎の液体が入ったコップを持ってテーブル前に座る。
 まつながーは首を傾げながら手を洗うと、俺の正面に座ろうとしてテーブルの上に有るモンを見て固まった。なんか知らんけどまつながーも変や。
 ああ、そうやった。真田さんから言われてたんやった。
「まつながー、お願いやからこれ飲んでくれん。ついさっき、偶然会うた真田さんからの差し入れなん。俺かまつながーにやて」
 缶に視線を固定しとるまつながーの頬が露骨に引きつった。まつながーにはコレが何か解るっぽい。ホンマになんやねん?
「あの千葉県女。何を考えてるんだ」
「何って。あーっ!?」
 まつながーは不機嫌な顔のままコップを手に取って立ち上がると、速攻で流しに中身を全部捨ててコップを綺麗に洗った。
 なんやメッチャ凄い拒絶反応やけど、ちゃんとした飲み物っぽいし、甘いだけで毒やないよなあ。不安になって俺も流しの中を覗き込んだ。
「まつながぁ?」
 まつながーの背中は確実に怒っとる……て思ったら振り返った顔も怒っとるし。そない顔されても訳解らんちゅーねん。
 まつながーは黙って俺の肩を押して座る様に勧めると、自分もテーブル正面前に座って、コーヒー缶を指さした。
「これは千葉県民と一部の茨城県民以外には受け付けられない飲み物だからヒロは飲むな。こんなカロリーが高い凶悪な物をいきなり飲んだら、ヒロなら腹を壊すぞ。と言うかまだほとんど飲んでないよな?」
「う、うん。甘うて一口しか飲んどらん。まつながーはコレ飲んだコト有るんや。真田さんも俺が飲めんのやったらまつながーに回せ言うたし」
「俺も小学生の途中までくらいなら普通に飲んでたと思うけど、それ以降は甘さに耐えきれなくて飲んでない」
 まつながーは甘いモン嫌いやからなぁ。割と好きな俺かて口が曲がりそうになったし。ちゅーか、ホンマに地域限定飲料やったんやな。
「千葉県民てみんなフツーにこれ飲むの?」
「千葉県民全員じゃないと思うぞ。……多分。とにかく、これを飲むのは一種の拷問みたいなモンだから、今度この黄色い缶を見たらヒロは逃げろ。良いな」
「うん」
 罰ゲームアイテムも確定っと。覚えておこ。こっちの食べモンてホンマに凶悪なモン多いよなぁ。
「まつながー、おおきに」
「礼は良いって。まさかヒロにこれを渡す奴が居ると思わなかったから、油断してた俺も悪い。真田には新学期始まったら俺から苦情を言っておく」
「えー。そないなコトまでせんでもええて。これ貰うた時の会話からして、真田さんも冗談でくれたっぽいし」
 甘いモンを受け付けられないなんて理由で苦情言われたら、真田さんかてたまらんよなぁ。ちゃんとまつながーなら解るてヒントもくれたんやし。
 俺が「お願いやから止めてな」て言うと、まつながーは何度も首を横に振った。
「俺が嫌なんだよ」
「へ?」
「ヒロがこれを飲むのは俺が嫌なんだ」
 ……なんかメッチャ嫌な予感。
「ヒロは今がベスト体型なんだぞ」
 ……ちょい待てや。
「いくらヒロは甘い物に耐性が有るからって、こんなの常飲して太ったりしたら抱き心地が悪くなるだろ」
 キショイコト言うなっちゅーねん。あれだけヤメレて何度も言うとるのに、今さらりとでかい地雷踏みおったな。
「なしてコーヒーの話からそこまで飛ぶん? いい加減に懲りろて何度言わせるつもりや。こんボケーっ!」
 文字通り俺はテーブルをひっくり返してまつながーにぶつけた。角が顎に直撃してまつながーがのけぞる。
 運悪くペットボトルの蓋も飛んで、豪快にコーラが畳の上に飛び散った。
「げっ!?」
 自己責任や。地雷踏んだまつながーやのうて、やった俺が部屋の掃除係決定。
 俺がぞうきんを濡らして取ってくると、まつながーは何かを言いたそうな顔をしながら、ひっくり返ったテーブルをテレビに立てかけてベッドに移動した。
 あの顔からして本当のコトを言って何が悪いとか思っとるな。十分男の俺に対して失礼やろうが。……て、何度言うてもまつながーには解らんのやろうなぁ。

 はあああ。こういうのってメッチャ疲れるなぁ。
 いつになったらまつながーのアホスイッチは取れるんやろう。

おわり

(2008.07.18 UP)


(5)「名物?」

 伊勢で生まれ育ったヒロが、東京周辺の事情に詳しくないのは仕方が無いと思う。
 俺も実際に三重に行くまで、伊勢周辺がどうなっているのか、ニュースや学校で習った知識しか無かった。ましてやあの地方の食文化や習慣なんて全く知らない。そういう意味でも伊勢に遊びに行った時のヒロは、理想的なガイドでホスト役だった。「百聞は一見にしかず」は至言だな。
 布団の上に座って深夜のテレビ番組を見ていたヒロが、何かを思いついた様に俺の方を向いた。
「まつながー」
「ん?」
「関東の代表的食べ物ってやっぱ納豆?」
「……。そりゃ俺は好きだから納豆だと言いきりたけど、何でそうなるんだよ。他にも色々有るだろ」
 ヒロが無言で指をさすんでテレビを見たら、いかにも関東地方だけしか放送していないんだろうローカルな食べ物屋紹介番組を流していた。ヒロはこれを観て疑問に思ったんだな。
 パスタにケーキにラーメンか。……たしかにどこにでも有りそうなモンばっかりだな。納豆創作料理が出ないのは、普通にどこの家庭でも食べられているからだろう。
「この番組はええとして、まつながーが料理担当して納豆が出んかったコト無いからそうなんかなーて。裕貴さんはそんなんまつながーだけやて言うてたけど、中毒になるくらい納豆好きが育つんやから、やっぱ関東の名物は納豆なんやろ」
 だからどうしてそういう思考になるんだ。少しは常識で考えろよ。
「ヒロ」
「なん?」
「東海地方の名物食い物言ってみろ。小倉トーストとどっかの喫茶店メニューは外せよ。あれは地方名物とは言わないだろ」
 質問に質問で返されたヒロは、怒りもぜすに「そやなあ」と無意識で口元に手を当てた。
 すでにヒロのこの動作への突っ込みは止めている。自覚が無い上に指摘すると怒りだすから言っても無駄だ。
 誰が何と言おうが、「お前が言うな」という指摘は一切受け付けないからな。
 って、俺は誰に向かって言っているんだろう? 散々ヒロに怒られ続けている自分への言い訳なら情けないな。

「えーと、愛知は赤味噌やろ。岐阜は……何なんやろ? 鮎か柿かなぁ。三重は……えっと、伊勢なら伊勢うどん」
 俺の予想から1パーセントも外れていないボケをありがとう。
「ヒロ、俺はさっき東海地方のって聞いたんだが」
「あー。そやったなぁ。堪忍して。ほやけど、そうやって地方で括られるとこれって言えんのよなぁ。県内でも局所的に味覚がちゃうトコ多いし。ちゅーコトは関東もそうなんやな」
 勘が良くて飲み込みが早いのもヒロの良いところだ。無駄な説明が要らない。勘違いを素直に謝るところもヒロらしい。ここはちょっとだけ教えておくのも良いかもしれない。
「まあ、水戸というか茨城は納豆でも良いとして千葉は……」
「M○Xコーヒーやろ」
「それは忘れろっての」
 真田の馬鹿が予備知識無しでヒロに変なモンを飲ませるもんだから、ヒロはすっかり千葉名物イコールM○Xコーヒーと覚えてしまった。あれを茨城名物と勘違いされなかっただけでもまだマシか。
「普通に千葉の名物なら、落花生とサバカレー辺りかな」
「サバカレー?」
 ヒロが露骨に嫌な顔をする。この分だと1度も食った事が無いな。三重でも缶で売っているだろうが。……多分。
「何や知らんけど、生臭そうやなぁ。堪忍してぇ。味が想像できんのや」
 今、何気にヒロは全千葉県民を敵に回した気もするが、俺も名古屋の小倉バタートーストを受け付けないからお互い様なんだろう。それに俺も名前は聞いた事は有るがサバカレーを食った事はない。
 今度スーパーでサバカレー缶を見つけたらお試しで買っておくか。
「ほやったら、東京名物てなん?」
 ……。
 何だろう? もんじゃ焼きか? ごめん。ヒロ、俺も地元以外は自信ねえや。

おわり

(2008.08.01 UP)

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